異世界スピノ ~恐竜に生まれ変わった私はスローライフを希望する~   作:SIS

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第5話 現地住民の視点1

 

 しまった、こんなところで野宿になるなんて。

 

 黒羊のウォンは、己の計画の甘さに頭を抱えていた。

 

 旅商人である彼は、唯一の財産ともいえる荷馬車と共に、取引先に荷物を運んでいる最中だった。その過程で、どうしてもここ、聖なるサハラの湖を通らなければならなかった。

 

 本来ならば、昼の間に通り過ぎていたはずの場所。だが馬車の車輪が外れるトラブルがあり、予定よりも大幅に進行が遅れ、気が付けば夜になっても湖を越えられなかった。

 

 野宿そのものは問題ではない。旅商人である彼は、屋根の下で過ごした日数より、月の下で過ごした日数の方が多い。それにもこもことした地毛はどんな天気でも体温を一定に保ってくれる、野宿そのものに苦労を感じたことはない。

 

 だが問題は、ここが聖なるサハラの湖近辺だという事だ。

 

 このあたりには、乱れ毛皮と呼ばれる狂暴な魔物がでる。奴らは凶暴で残虐、おまけに人を好んで食い殺す。またそういった性質とは別に厄介なのが、彼らは体内に麻薬を生成する器官をもっているという点だ。そのため自家中毒で常にラリっている為、痛みを全く意に介さず襲ってくる。

 

 さらには焚火の近くに人がいるのを学習しているという厄介な特徴もあった。野宿には焚火が必須だが、このあたりで焚火をしようものなら忽ち奴らに嗅ぎつけられ、襲撃を受ける事になる。

 

 かといって火を起こさねば、普通の獣を避ける事ができない。もし唯一の財産である荷馬車、それを牽く獣が襲われるような事があったら、旅商人としてやっていけない。

 

 しかたない、とウォンは己の未熟を反省しつつ、とっておきの獣除けを荷馬車の周囲にまいた。これは野生の獣や魔物……それこそ乱れ毛皮も寄せ付けない悪臭を放つ木の実なのだが、一度使うとおよそ一晩で匂いが抜けきってしまう。それでいてそこそこ値段が張る。

 

 少なくとも今回の商談の儲けにも響く価格だが、背に腹は代えられない。

 

 そうして暗い中、夜を越える支度をしている最中、ふと、湖の方に目が向いた。

 

 聖なるサハラの湖。

 

 このあたり一帯の生命を支える、神聖な水源。その面積は小さな国が収まるほどともいわれており、一部の者には神格化されてすらいるが、その重要さゆえ、邪悪な者も集まってくる。乱れ毛皮もその一角だ。奴らさえいなければ水上都市が発展してもおかしくはないのに、そのせいで今も人が寄り付かない自然のままだ。

 

 そんな湖の一辺に、明かりがともっている。

 

 ぞわ、とウォンの背筋に冷や汗が流れた。

 

 聖なるサハラの湖、その近辺の危険は旅商人なら知っていて当然だ。だが、ただの旅人、旅行客などにまで周知できているとは言い難い面がある。

 

 もしかすると、何も知らぬ人が焚火を起こしてしまったのかも知れない。

 

 そこで駆け出したあたり、ウォンは心優しい男なのだろう。

 

 月明りの下、息を堰切らせ顔も知らぬ人に危険を伝えようと駆け付けた彼は……。

 

 この世界で最初に、ソレを目撃した人になった。

 

 

 

 

「HUUUUUUU!!」

 

 

 

「GYAOOOOOOO!!」

 

 

 

 

 夜の湖の畔。主のいない焚火の横で、二匹の猛獣が向かい合っていた。

 

 一匹は、乱れ毛皮。名前の通り黒い毛皮を振り乱し、狂気に満ちた雄たけびを上げている。

 

 それに対するのは、ウォンもまだ見た事のない巨大な獣だった。

 

 乱れ毛皮が子供に見えるほどの巨大な体躯の、御伽噺の竜にもた怪物。後ろの二本の足で立ち、前足を腕のように突き出して乱れ毛皮を牽制している。背中には剣のような、帆船の帆のような特徴的な翼があった。その肌は深いエメラルドグリーンに輝き、月光を浴びてキラキラと輝いている。

 

 その姿を一目見て、ウォンは腰を抜かした。あまりにも巨大、あまりにも強壮、そしてあまりにも……美しかった。聖なるサハラの湖に、竜がいたとはとんと聞いたことはないが、しかし、これが竜でなくてなんだというのだ。

 

 木陰に隠れるウォンをよそに、魔獣と竜が激突した。不細工に、しかし殺意を漲らせて突進する乱れ毛皮の一撃は、しかし竜の体を通り抜けた。あとから考えればそんな訳はなく、ギリギリで回避したのだろうが、あまりにも動きが速くかつ流麗だった為、月明りの下でウォンにはそう見えたのだ。

 

 直後、乱れ毛皮の巨体が宙を舞う。竜は尻尾を振りぬいた姿勢で、余裕たっぷりに相手の様子を観察している。

 

 役者が違いすぎる。荒事は苦手なウォンでも一目で分かった。

 

 乱れ毛皮は決して弱い魔物ではない。だが、あの美しい竜は明らかに格上だった。

 

 それは乱れ毛皮とて分かっているはずだ。同時に、追撃をかけないのが竜の最後の情けだとも。ひれ伏す相手を見下ろす竜の黄金の双眼、そこには明確な知性の輝きがあり、それがここで去れば命までは取らぬ、そう無言のうちに語っていた。

 

 だが、そこで起き上がり、恥知らずにも向かっていくからこそ、魔獣なのだ。自己中毒で痛みを感じぬ乱れ毛皮は、尾の一撃によるダメージで明らかに身体に異常をきたしていながらも竜に再び襲い掛かった。

 

 ウォンには、竜がため息をついたように見えた。

 

 直後、神速で近づいた竜が、上からあっさりと乱れ毛皮の頭を咥え込んだ。抵抗する暇も与えず、地面にしたたかに乱れ毛皮の体が何度も打ち据えられ、骨の砕ける鈍い音が響く。

 

 ぐったりと魔獣の体から力が抜け落ちた。

 

 瞬殺である。

 

 絶命した乱れ毛皮を放り捨て、その亡骸を踏みしめて竜が勝利の雄たけびを上げる。黄金の月を背景に嘶く竜の姿は、魔的なまでに美しかった。

 

 ひとしきり勝利の咆哮を堪能した竜は、不意に焚火へと歩みを進める。

 

 ふとウォンの頭に疑問がよぎった。

 

 そういえばあの焚火はいったい何なのか。最初の想像通り、無知で不運な旅人が起こしたものだろうか。しかし周辺にそれらしき人の姿は見当たらないし、この場を逃げ去ったにしても荷物一つ無いのは変だ。まさか、あの竜が焚火していた訳もないし。

 

 訝しむウォンをよそに、竜は意外な行動に出た。

 

 土を足で蹴り上げ、焚火の炎を消しにかかったのだ。ウォンは再び驚愕した。

 

 確かに、焚火といえ放置しておくのは危険極まりない。火の不始末が原因で山火事になるなどありふれた事だ。しかし、まさかあのような人ではない竜がそれを気にするとは。

 

 多少の知性の介在はさきほどの乱れ毛皮とのやりとりから見て取れたが、もしや、人に近いレベルの思考能力を持ち合わせているのだろうか。

 

 やがて火が完全に鎮火したのを確認すると、竜は乱れ毛皮の足を咥え、引きずりながら湖の方に向かっていく。まさか、と見守るウォンの目の前で、その巨体が湖へと沈んでいく。

 

 この辺りの水辺には、大型のグラットンが多数生息している。大きな獣でも、迂闊に足を湖につければ引きずり込まれ、忽ちの内に食い尽くされてしまう危険地域のはずだ。にも拘わらず竜は悠然と歩を進め、ついには完全に水中に没してしまう。

 

 慌てて木陰から飛び出し、湖を覗き込むウォン。予想通り、湖底ではグラットンによる饗宴が始まっているようだった。湖底に沈む肉塊に無数のグラットンが群がり、食い散らかしている。黒い毛と血が水中に広がり、湖を汚していく……が、その中にあの竜の姿は見当たらない。

 

 顔を上げると、少し離れた湖面に、あの特徴的な翼が突き出しているのが見て取れた。それは徐々に速度を上げながら湖の中央に向かって移動していき、やがて完全に見えなくなった。

 

 ウォンは言葉もなく、終始それを見送った。自分が見たのがなんだったのかわからないが、しかし何かとんでもないモノを見たという確信だけがある。

 

 彼はわたわたと慌てて短い手足を振り回し馬車の元に戻ると、一刻も早く他の人に伝えるべく馬車を駆り出した。

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