異世界スピノ ~恐竜に生まれ変わった私はスローライフを希望する~ 作:SIS
平和とは良いものである。
湖面にぷかぷかと浮かんで日光浴をしながら、私はしみじみと思った。
こっちの世界に転生してきてから本当に絶え間なくトラブルに見舞われた。馬鹿みたいに広い湖の真ん中に放り出され、命の保証もないまま彷徨ってザリガニに襲われたり、クマモドキに襲われたり、飛竜と戦ったり、ザリガニと戦ったり、サルッカスと戦ったり……いやもう、戦いばっかりだった。
いくら治るといっても戦えば傷つくし、傷つけば痛い。
まさに苦難の毎日だった。まあ人間社会と違ってぶん殴って対処できる分、地獄の現代社会よりはマシだったのは違いないが、それはそれとして物理的に血を流す日々であった。
だが、それも今や遠い昔の記憶のようだ。
実際には一月も経っていないのだろうけど、気持ち的にはそれぐらい、鉄火場からは遠ざかったという事である。
朝起きてオルタレーネを街に送り、自分は悠々自適に過ごして、夕方には彼女を迎えに行って水上神殿で寝る。事実上の同棲生活だが、慣れてしまえば心乱される事もない。オルタレーネがちゃんとこっちの困る事をくみ取ってくれる良い子だったので助かっている。
もともと水上神殿は人の住むようなところじゃない、って事で彼女を街に逃したわけだが、今や礼拝堂は隙間を塞がれ、暖かいシーツもあり、ベッドや棚もあるまともな環境が整いつつある。気になるのはザリガニどもの襲撃だが、長い事棲んでみた事で分かったがあそこにはザリガニが入ってこない。何かザリガニの嫌がる要素があそこにはあるのかもしれない、苦手な味のする木の実もとい水草でも生えているとか。
勿論、何かの手違いでザリガニが侵入してくる危険が消えたわけではないが、生活サイクル上、彼女の傍には常に私がいるし、そもそもオルタレーネ自身が私が思っていたよりもはるかに強い。2,3mぐらいのザリガニだったら、武器さえあれば普通に仕留めてしまうだろうし、なんだったら空を飛んで逃げることもできる。
そのザリガニも、最近はおとなしい。理由はいくつか考えられるが、活発になるならない季節があるとか、あるいは毎日のように私が定期ルートで湖を行き来するので、その通り道に縄張りをもってるザリガニを全部狩りつくしてしまったのか。
まあ、奴らに遭遇しないに越したことはないのでそれはそれでいい。炎と雷の力を扱えるようになった事で私の戦闘力は確かに大幅上昇したが、それでも奴ら相手に戦うとワンチャンあってしまうというのが事実だ。仮に敗北する確率が1%だとしても、それはすなわち百回戦えば一度は死ぬ、という事である。そして死んだら終わりである。
戦いを避けられるなら避けるに越したことはない。
そういう訳で、私はしばしの平和を満喫していた。
「グルルゥ……」
勿論、これが永遠のものではないと分かっている。魔獣の襲撃が頻発している理由の調査が始まったら私も駆り出されるだろうし、水上神殿を調査したいという話も忘れてはいない。
この平穏は仮初のものだ。
だからこそ、今のうちに堪能しておくべきなのである。5日働いたら土日は休む。まあ、そんな話である。……ちょっと違うか。
◆◆
しかし残念ながら、私は一つ失念していた。
休日というのは、得てして予定に無かった急用で潰されるものなのである。
◆◆
その時は突然やってきた。
いつものように朝の支度を整えた私達。しかし、向かう先は街ではない。湖から見てセルヴェの街は西側だが、今日は北川にいく。そう……ウォールランド王国の方だ。
話自体は、昨晩オルタレーネから持ち込まれた。彼女からしても急な話ではあったようだが、水上神殿に戻ってきた私に、彼女は「明日、泳ぐ、北の方」とジェスチャーをしてきた。それだけだと意味がよくわからなかっただろうが、心の片隅でずっと準備をしていた私はすぐにピンと来た。
水上神殿の調査団、その護衛の依頼だ。
とうとうこの日が来た。
話自体は大分前からあったが、今日が決行日、という事らしい。
街の重鎮が、一度この水上都市を訪れたいという話はずっとあった。色々あって街も王国も慌ただしくなり、しばらくこの話は流れていたのだが、とうとう、という事だろう。
聊か急な話なのがちょっと気にはなるが、あちらで何か状況の変化があったのかもしれない。そもそも私としては魔獣被害の鎮静化を待ってから行われるものだと思っていた。歴史を調べるのは大事だが、生き死にがかかってる時にする事ではないはずだからね。
とはいえ調査そのものに何か異存がある訳ではない。むしろずっと待ち望んでいた事である。この日のために湖底から引き揚げた歴史的資料と思われるものを保存してたり、住処である礼拝堂を整理していたのだ。いついかなるお客さんが来ても問題ないように整理整頓はばっちりだ。
湖に身を沈めると、周辺にピラニアシーラカンスがよってくる。最近、街の出入りにあわせて私についてくるという挙動を見せている彼らだが、今日は残念ながら向かう場所が違う。道中でザリガニと交戦になる可能性も考えると、今日は連れていくわけにはいかない。なんていうかな、ちょっとこう愛着が湧いているのだ。もし戦いに巻き込まれて死んでしまったら、少し悲しい。
とはいえ、魚にそんな事を言っても分からないだろうなあ……。しかし、身を守るためだろうが私の周囲に身を寄せるような事をする連中だ、少しぐらいは知性があるかもしれない。
ジェスチャーで、今日は北、と指し示す。いつもとは違う場所にいく、と。
すると驚いた事に、魚達は私から離れて廃墟の影へと身を潜めた。
もしかして通じたのか? 流石にこれはびっくりだ。
ひょっとして私が見た目で勝手に魚だから知能はないと認識してただけで、犬ぐらいの知性があるのだろうか。前世でも蛸の仲間は人間でいう3歳児ぐらいの知能を有しており、瓶の開け閉めぐらいはできるという。
……今後彼らの仲間をとっつかまえて食べるのは出来るだけ控えよう。知性の在る動物を食べたくないエゴというより、私に食われてる時に彼らが何を考えてるんだろうとか考えると鬱になりかねない。地雷は踏まないに限る。
そんな事を考えていると、準備を整えたオルタレーネがたったか階段を軽やかに降りてくる。
今日はちょっとワイルドな衣装だ。太ももがまぶしい短パンに、上はYシャツを思わせる半そでの涼し気な衣服。その上から黒いジャケットを羽織っており、夏の活動的な女の子、といった感じだ。そして肩からはケースをベルトで吊るしている。中身は彼女用に用意されたレイピアである。
たたっと駆け寄ってきたオルタレーネは少し私の周辺を見渡すと首を傾げた。目ざとく何かに気が付いたらしい彼女に何でもないよ、と首を振ると、彼女はにこにこ笑いながら身を近づけてくる。何かと思えばジャケットを仕切りに指さして、ふむ。アルカレーレ人用の衣服は翼を通すために変な位置に合わせ目やボタンがあるのだが、独りでは上手く留められなかったらしい。
仕方ないな。スピノサウルスの器用さを見せてやろう。
指先でちゃっちゃかとボタンを留めてやると、オルタレーネは嬉しそうに笑うと私の背中にさっそうと乗り移った。
なんだか今日は機嫌がいいな。私も吊られて気分が良くなってくる。
冷たい水をかき分けて、私は一路、久しぶりに北へと向かった。
道中何事もなく、私はウォールランド王国の港へと到着した。
そこには覚えのある簡易港の姿は影も形もなく、代わりにしっかりと整理された大きな船着き場があった。
それだけでも驚いたのだが、さらに驚いたのがそこに停泊していた軍艦の数だ。
その数、3つ。
以前私がザリガニに襲われているのを救援したのと同じ形状の船が、三つも港に繋がれている。流石に圧巻の光景であり、私は遠巻きにそれらの異様を観察した。一隻でも私より大きいのだから、それが三つもあると威圧感が凄い。
あれから経過した時間と、この世界の工業力を考えると追加で作った船、という訳ではあるまい。以前から準備していたとしか思えない。
なるほど。あの時は本当に緊急で出したから一隻だっただけで、本来はこうして三隻同時に運用する思想だったのだな。確かにこれならザリガニどもも迂闊には近づけ……いやどうだろう。アイツら、最近は顔を合わせないってだけで普通に格上の私にも向かってくるしな……。知性、っていう意味だと魚にも負けてるんじゃないかアイツら。
軍艦の周囲を迂回して港を通り過ぎ、岸部から上陸する。オルタレーネが軽く滑空して地に降り立つ後ろで、私は滴る水を軽く体を振って払い落とす。びしょびしょのまま人に会う訳にはいくまい。
さて。そろそろ出迎えが来てもいいのだが。
首を巡らせると、港の建物から複数の現地住民がぞろぞろと出てくるのが見えた。気持ち小走りで走ってきた彼らは、私の前でぴしりと整列する。
大半はウォールランド王国のリスっぽい住民達だ。だがその中に違う顔がいくつか混じっている。あまり街で見た覚えがない顔だが、まあ住人は100人どころの規模じゃない。知らない顔もあるだろう。
それよりも、だ。準備は万端、という事らしい。湖の横断は不可能だから、昨晩の内に馬車でこちらに移動してきていたのだろう。
整列した住人達の列から代表らしき老人が出てくる。いかにも、といった感じの作業服に身を包んだ彼は、背中に大量の辞書が入ったカバンを背負い、腰回りには大量の発掘道具をぶら下げた格好で、ぺこりと頭を下げた。その拍子に辞書がカバンからあふれ出してドサドサと転がるのを、慌てて周りと私も拾うのを手伝う。
すべて拾い終わった所で目が合い、私と彼は爪と手を結び合わせて握手を交わした。
「●◆★。▲●、●■▲」
「グルルゥ」
何を言ってんのか分からないが雰囲気は分かる。今日はよろしくお願いします、といった所だろう。見た所礼儀正しい考古学者といったところだし、まあだいたい言ってる事は想像がつく。
これで逆に、「気が利くじゃねえか棘トカゲのくせに。今日は世話になるぜ」とかだったらロックにもほどがあるじいちゃんだが、まあ流石にそれはないか。
「■●、スピノ●。●★▼」
「●★■オルタレーネ。▲巫▼」
オルタレーネともやりとりし、皆がそろって軍艦へと向かう。水上神殿に向かうにあたって必要なのは歴史学者とその助手数名だが、その護衛が随分と多い。
……まあ、軍艦を動かすのだから仕方ない。そして軍艦が複数あっても、安全に渡れるとはとても言い難いのがこの湖なのだ。
よく考えるでもなくクソ危険地帯である。前世の感覚だと通り抜けるのに戦車中隊の護衛が必要で、それがあったとしても全滅する可能性がある地域とか、怪獣王のおひざ元か何かか?
いやまあ、棲んでるのはザリガニなんだが……。
私はこの人数の命運がかかっているかもしれないという事にちょっとドキドキしつつ、再び湖にその身を沈めた。
あ、オルタレーネ、万が一があるから君は船の方ね? 急速潜行とかするかもしれないから。
「駄■!?」
そんなショックを受けた顔をしないでおくれよ……。
三隻の軍艦を先導するようにして、湖を泳ぐ。軍艦は思ったよりも速度が出ないようで、私はしばしば振り返っては彼我の距離が離れすぎないように確認しつつ、周辺にザリガニがいないかどうか気を配った。
こっちのルートはそこまで使用頻度が高くないので、まだ潰してない縄張りがあるかもしれない。三隻で密集陣形を組んだ軍艦の方に向かっていく可能性は低いと思うが……。
「グルル」
念のため水中にもぐり、周囲を軍艦の周囲をぐるりと回って警戒する。前方だけでなく、左右や後方にも注意が必要だ。
既に港からは遠く離れ、沖合近くまで来ている。それでいて水上神殿まではまだ少し距離がある。以前私が助けた時のように、軍艦が自力で離脱して安全地帯に退避するにはいささか厳しい環境だ。
このまま何ごともなければいいのだが。
そう考えていると、背びれに何やら、ピリリとくるものがあった。
こういう時は脳裏にピキーンとくるものだと思うのだが。まあ私はスピノサウルスだしな。感覚に従って身を翻し、私は進行方向に対して2時の方角へと急行した。
そこには、湖の向こうからこちらに向かって泳いでくる二匹のザリガニの姿が。そこまで大きくない、10m未満のサイズ。シャカシャカ脚を動かして水中をゆったり泳いでいるが、その進行方向は間違いなく軍艦を意識したものだ。交戦は避けられそうにない。
しかし、湖に浮いている軍艦は、彼らからすれば巨大な流木のはずだ。好き好んで襲撃する理由はないと思うのだが、もしかすると過去に船を襲撃した記憶が遺伝レベルで引き継がれていて、湖に浮かぶ箱には肉が乗ってる、みたいに学習しているのか?
知性がない生き物でも、そういう傾向はある。前世だと一部のサメが種族レベルで、それもヤバいレベルでエイが好きで好きでたまらないなんて事もある(喉に100本を超えるエイのトゲが刺さった個体が捕獲されたことがある)。特に偏食家の、特定の物しか食べない生き物というのは、進化だけでは説明がつかない事も多い。科学的に立証されておらずあくまで俗説だが、遺伝的記憶、なんてものはあるのかもしれない。
それはともかく、船に近づける訳にはいかない。幸い今の私なら、あの程度のサイズならワンパンだ。雷と炎の力、見せつけるにはちょうどいい相手だ。
なんて考えていた時だった。
完全に意識の外。湖底からぬっ、とただひたすらに巨大な何かが伸びてきて、ガッシとザリガニの一匹を挟み込んだ。
挟まれたザリガニはジタバタと抵抗するが、逃れられそうな気配はない。同胞のそんな姿を見て、もう一匹のザリガニは大慌てで逃げ出した。いつも鷹揚に構えている巨大ザリガニが、ここばかりは血相を変えて逃げ去っていく。
それを見送る私の視界が急に悪くなる。それが湖底から大量に巻き上げられた砂によるものだと理解した私は、あわてて後退して距離を取った。
何かが、いる。透明といっていい湖の視界を防ぐほどの大量の砂埃を巻き上げて、何かが湖底から上がってくる。
「グ、グルル……」
嫌な予感がする。ライトニングアーマーを展開し、いつでも戦闘に対応できるように備える。ちらりと振り返れば、軍艦も異常を察し船足を止めていた。
脚を止めるだけでは駄目だ。今すぐここを離脱させねば……そう判断するも、悠長に伝えている余裕はなさそうだ。
砂埃が収まり、それを巻き起こした何かがその姿を露にする。
……これまで私は、10m級、そしてどれだけデカくても20m級が限界だと思って、やつらを巨大ザリガニと呼んでいた。
だが、それは間違いだった。奴らは巨大なサイズなんかではない。
今、私の目の前にいるコイツこそが、真の巨大ザリガニだ。
目算で、全長およそ30m以上。異様に発達した甲殻は凸凹としており、異形といっていいほどに変形している。本当に同じ種か疑いたくなるが、じゃあ何かといわれるとザリガニ、としか言いようが無い。
文字通りの化け物だ。南海の大怪獣かよ。
さらにその鋏は一対ではなく二対あり、サイズも左右非対称でチグハグだ。そのうち一番発達した鋏が、8m級ザリガニを捕らえたまま離さない。こいつも十分でかいはずなのだが、サイズ差がサイズ差なので小さく見えてしまう。
と、化け物ザリガニが捕らえたザリガニを口元に運んだ。
まさか……と思う私の目の前で、奴は獲物を生きたままバリバリと頭から噛み砕き始めた。
共食いをしている予想はあったが、生きてる奴を頭からいってるのを見る日が来るとは思わなかった。水を伝わって、硬い甲殻がスナックみたいに噛み砕かれる悍ましい音がバリバリ伝わってくる。背筋が思わず泡立った。
「グルルルゥ……」
情け容赦なくザリガニを半分ほど齧った化け物ザリガニは、無造作にそれを投げ捨てると私へと向かい合った。こちらに注目が注がれているのをビンビン感じる。どうやら、たまには変わった物を食べたいらしい。グルメな奴だ。
私はいつでも動けるように気を配りながら、気合を入れて向き直った。
軍艦はやらせん。私が相手だ。