異世界スピノ ~恐竜に生まれ変わった私はスローライフを希望する~   作:SIS

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第73話 オルタレーネの献身1

 

 オルタレーネにとって、スピノが何なのか。

 

 誰かに問われれば、彼女は迷わずこう答えるだろう。

 

 彼は、私の全てだと。

 

 故郷を追われ、命を狙われ、幼い頃から仕えてくれた侍従さえ失った彼女に、唯一の救いの手を伸ばしてくれたのがスピノだった。

 

 例えそれが偶然に偶然を重ねた結果だったとしても、その事実は揺るがない。

 

 それは間違いなく感謝であり、恩だったが……それが、他の意味合いも含み始めたのは、いつ頃だったのだろうか。オルタレーネ自身、はっきりとは分からない。

 

 ただ、はっきりと自覚したのは、あの時だ。

 

 花の如き怪物に、スピノが捕らわれた時。あの時オルタレーネは、我が身を省みずに前に出た。

 

 それが釣りとも、彼女にスピノを救うだけの力がないというのも、魔獣を喜ばせるだけとわかっていても、尚。それ以上に、スピノを見捨てたという事実がこの世界に刻まれる事が我慢ならなかった。

 

 そして案の定、強大な魔獣にオルタレーネは成す術無く、ただ嬲られるだけだった。

 

 その時、スピノが叫んだ言葉は、はっきりと覚えている。

 

 ……不思議な話だ。彼に神が降りたのは、この後の事。この時の彼はそれまでと何も変わらなかったのに、この時ははっきりと、叫びの裏にある彼の声が聞こえたのだ。

 

 「逃げろ」と彼は言った。自分の為に命を無駄にするなと。恩を感じているのは筋違いだ、たまたま助けたのが自分だっただけで、他の誰かでも代替できた、ただの偶然。そんな、運命でもなんでもない物の為に、命を捨てるな、と。

 

 正直、オルタレーネはイラッとした。

 

 他の誰でもよかった?

 

 たまたま彼だった?

 

 ただの偶然?

 

 ……百歩譲って、その通りだったとしよう。他の誰かが、確かにオルタレーネを助けてくれたかもしれない。もしかしたら、白羊のレギンあたりが彼女を助ける運命も、あったのかもしれない。勇者と名高い彼の事だ、政治的な問題を意識しつつも、オルタレーネを追っ手の手から救い出し、新しい人生を与えてくれただろう。

 

 確かに、他の誰かでも、居合わせさえすれば、彼女を救う事は出来たかもしれない。

 

 だとしても。

 

 独りぼっちの小娘を憐れみ、怯える彼女に気をつかって、下手くそな芝居で狸寝入りをしたのは誰だ? 侍従を永遠に失い、悲しみに暮れる小娘にそっとハンカチを差し出してくれたのは誰だ? 言葉が通じないのに必死に意思疎通を試みて、小石や枝を片手に言葉を教え合い笑いあってくれたのは誰だ?

 

 それに感謝し、心を救われた私の気持ちまで、偶然の産物に過ぎず代替可能と断じるのか?

 

 彼女が、己の内で燃え盛る炎を自覚したのは、まさにその瞬間だった。

 

 

 

 

 ふざけるな。例え神であっても否定させない、この心は私だけのものだ。

 

 

 

 

 そうなったらあとはもう意地だった。あの朴念仁に、例え命と引き換えにしても、自分自身の情愛を示さなければ死んでも死にきれないとオルタレーネは刃を振るった。

 

 結果的には、神が降りた事でオルタレーネは救われ、命を繋ぐ事ができたが……彼女の決意は微塵も変わってはいない。

 

 この、酷く臆病で他人を信じられない、そのくせ軽率に他人に助けの手を伸ばし時に自分の損得さえ度外視するようなお人よしの神獣に、独善的な私の愛を刻み込んでやる、そうオルタレーネは決意した。

 

 とはいえ、段取りというものがある。いきなりガンガン行っても、スピノは怯えて距離を取ってしまうだろう。大胆にかつ、慎重に距離を詰める必要がある。

 

 まず何より、はっきりしないスピノの立場を定める事が肝要だ。二度と彼がしょーもない揉め事に巻き込まれるような事があってはいけない。

 

 それについては、ウォールランド王国とセルヴェの街の交渉が難航したのは渡りに船だった。セルヴェの街に恩はあるが、スピノと比較するようなものでもない。ウォールランド王国は最終的な軟着陸を狙っているのか無理筋な言い分で、付け込みどころは無数にあった。会議がなあなあで流れる前にタイミングを狙って切込み、スピノの公的な立場を切り取ったのは狙っての事だ。ゲーダーあたりは、オルタレーネの真意に気が付いていたかもしれないが、些細な事だ、どうでもいい。勿論、スピノの事をダシにして交渉を進めようとした事は恨みたっぷりであり、その事が多大に条件に影響したのは言うまでもない。

 

 あの時のスピノの顔は今思い出しても面白おかしくて笑ってしまう。彼はどうにもオルタレーネの事を純情可憐な乙女だと思ってくれているらしい。

 

 勿論、彼の前ではそうありたいと願うが、乙女というのは時に冷酷なハンターでもあるのだ。介入は狙い通りの結果に終わり、現金なもので、彼女はあれだけ憎たらしかった故郷での経験に少し感謝の念すら沸いたものだ。

 

 ……まあ、目標達成で気が抜けたのか、その後醜態を晒してしまったようなのだが。ワインを口にしてからの記憶がすっぽり抜けているのはちょっと焦った。一体飛んだ記憶の間に何があったのやら、誰に聞いても教えてくれない。つまり何かやらかしたのである。何事もなかったらそう言うはずであり、こればっかりはオルタレーネ痛恨のミスだった。

 

 とはいえ、スピノは特に距離を開ける様子はなく、まだまだ挽回可能と見たオルタレーネは攻勢に出た。お人よしな彼の隙に付け込んで、どんどん自分の居場所を切り取りにかかったのである。弱った彼がサルッカスに相談しに行くのも想定通りだ。あの神獣らしい神獣は、鷹揚に「別にいいんじゃね?」というはずであり、事実そうなった。そして先任の神獣にそう言われれば、スピノはそう強く反発しない。

 

 すべて、すべて計画通りである。そうして彼女は、日常においても彼の隣に自分の場所を作る事に成功した。

 

 ただ勿論、計画通りにいかなかった事もある。

 

 彼と過ごす穏やかな日々。それは、あまりにも甘美な時間だった。目が覚めて挨拶をかわし、彼に送られて街に向かい、夕刻に二人でまた神殿に戻り、夕食に舌鼓を打ちながら他愛のないコミュニケーションで夜を過ごす。楽しい時に笑い、嬉しい時に笑える。それを誰も咎めない。

 

 それは、同族に迫害され、主として侍従にすら心の内を見せる事が出来なかった彼女にとって、初めて本当のオルタレーネでいる事が許される日々だった。

 

 ましてや、彼の心が聞こえるようになったとあっては。彼は、単純に自分の言葉が時々通じるようになったと思っているようだが、実はちょっと違う。サルッカスもそうだが、神獣が使う始原の言葉というのは、通訳とかそういうのではない。どちらかというともっと直接的な意思疎通に近い。普通だったら、人は自分が何を喋っているのか意識して話すから、言語と思考に大きな剥離は生じないのだが、彼は長期間人と言葉が通じない状態が続いているので、発言と思考にズレがあるようだ。結果、恐らく実際は言葉を選んでいるだろうに、体裁を整える前の直接的な感情がオルタレーネに叩きつけられる事になる。

 

 おかげでしばしばオルタレーネは頭が煮えるかと思ったものだ。「輝ける黄金の少女」とか「磨き上げた大理石のように艶やかな肌」とかイチイチ表現が美辞麗句すぎるのである、しかも完全に本心なのでなおさらタチが悪い。言ったのがスピノじゃなかったらセクハラである。

 

 本当だったら、この間にスピノとの関係をより確固たるものにすべく動くつもりだった。街への働きかけもそうだし、現状の不安定な国際状況を生かし、スピノを新たなる神獣として国家に左右されない存在として確立するべきだった。

 

 だが、このあまりに甘美な日々にもう少し浸っていたい。そんな思いで、あと一日、あと一日と、ずるずると引き延ばしにしてしまった。

 

 在り得ざる怠惰だ。なんという怠慢。それを自覚しながら、振り払う事ができない。彼女は己の自我が確立した瞬間から、歓迎されざる者であるという自覚を持ち、常に計算と警戒の日々を送ってきた氷の令嬢だったはず。なのに砂糖細工のような甘い夢にオルタレーネはすっかり溺れてしまっていた。

 

 そこに、境界剣の話が持ち込まれた。

 

 これこそまさしく天命、と彼女は歓迎した。うっかり幸福な日々に浸っていただけだったのに、向こうから都合のよい話が転がってくるとは、望外の幸運だった。

 

 都合が良すぎると警戒する気持ちが無かったわけではない。だが、話を持ってきたサルッカスは知己の相手であり、何より連合王国は、スピノに対してはとてつもなくデカい借りがある。それを全く返済できていないのに、これ以上恥知らずな真似をするはずがないという確信もあった。

 

 事実、彼らの提案はスピノに十二分に配慮したものであり、危険は少ないと断じれるだけの根拠を伴っていた。

 

 そしてリターンも大きい。あくまで近隣の国家の間においての話とはいえ、世界を救うという功績はスピノの立場を盤石にするのに十分な価値がある。あの危険極まりないサハラの湖を出て、どこか静かで穏やかな湖を領地として貰い、彼に平穏な日々を享受してもらう事も夢ではない。彼だって、あの化け物ひしめく湖にいつまでも居たい訳ではないはずだ。他に行くところがないので、あそこに留まっているに過ぎない。

 

 故に半ば押し切る形で依頼を引き受け、スピノと共に旅立った。旅の道中何も問題はなく、このまま想定通りに終わるものだと思っていた。

 

 

 

 

 そんな筈がなかったのだ。そんな美味しい話が、在る筈がない。

 

 

 

 

 結果、オルタレーネはまたしても、スピノを無意味で不毛な争いに巻き込んでしまった。その事実に、噛みしめる唇に血が滲む。だが自己嫌悪に浸っている時間など許されない。一刻も早く、目的を達成しなければ。

 

「早く……!」

 

「オルタレーネ殿、足元には気をつけてください。ほら、二人とも、急げ!」

 

「お、お師匠様、ま、まってください!」

 

「ひぃーん……」

 

 全力で神殿の回廊を走り抜けるオルタレーネの横に、余裕をもってついてくるレギン。彼の弟子である二人の猫人、そしてガイドの獣人は、息も絶え絶えで辛うじて置いてけぼりにならずにいるといった所だ。鍛錬が足りない。

 

「ま、まって、ちょ、お師匠様……!」

 

「ウヒィ……ン! その、急がなくとも……」

 

「そうですよう! 想定外の怪物が出たなら、引き返せばいいんじゃないですかぁ?!」

 

 一見合理的な意見が弟子二人から出てくる。確かに、まあ言いたい事は分かる。

 

 これが普通の探索であれば、そうするべきだろう。イレギュラーな事態に、真正面から付き合うのは愚策だ。だが今回は、前提条件が違う。

 

「普通ならな! だが、俺達の今回の目的は、この神殿に境界剣があるか無いかの確認! そして回収だ。その失敗は、この世界の命運に直結する! そしてあの化け物は、間違いなく境界剣を狙って現れた、そうでなきゃ他に理由が無い! これがどういう事がわかるか!?」

 

「ええ? わ、わかりません!」

 

「ここで奴を放置して逃げ帰れば、境界剣を奴に奪われるかもしれないって事だ! もしここに境界剣が無くても、奴が暴れて滅茶苦茶になってしまったら、白か黒かどうかすら分からなくなる! いつ禁則地から魔獣があふれ出してくるか分からない今の状況で、そんな真贋定かでない事にリソースを割くような時間も余裕もない! ここで引けないんだよ!」

 

 大体の問題はレギンが説明してくれた。流石に話を分かっている。

 

 だからこそ、スピノはあの闇色の化け物を足止めするために表に残ったのだ。

 

「そういう事だから、悪いなガイドの兄ちゃん! 付き合ってもらう!」

 

「ひぃん、ここまで来たらもうヤケですよぅ! でも戦力にカウントしないでくださいねぇ!」

 

「分かってる!」

 

 ドズン、と神殿が揺れた。パラパラと天井から小石が降ってくる。

 

 外でスピノと怪物が戦っているのだ。どうやら戦いは互いに能力を駆使しての遠距離戦から肉弾戦に移行したようだ。

 

 急がなければ、と思い、オルタレーネは眼前に広がる神殿の構造に内心で罵倒を叩きつけた。

 

 廊下が長い。巨大な岩盤をくり抜いて作ったくせに、むやみやたらと長い回廊が続いている。労力の無駄にも程がある、これを作った一族とやらは何を考えていたんだ。こう、入ってすぐに社とかが置いてあるのが普通じゃないのか、余計な事ばかりして。

 

 それでも全力で走れば廊下の終わりが近づいてくる。息を堰切って、オルタレーネは扉の無い入口を潜った。

 

「え」

 

 そこに広がっていたのは、無数の階段、廊下、渡場。あまりの事に一瞬思考が目の前の現実を受け入れられなくてフリーズする。

 

 後から追いついたレギンが声を上げた。

 

「迷宮になっているのか!?」

 

「う、うわぁ……」

 

「何これ」

 

 三者三様の声が上がる。

 

 レギンの言う通りだ。眼前に広がっているのは、無数の階段や廊下が入り乱れた立体迷路。まるで防衛線の砦のように、複雑に絡み合った構造は、初見で正解ルートを選び出すのは不可能だ。ただ砦の場合は、使う側も困るからあくまで足止め目的程度であるのに対し、こちらは普段から人がいないからか遠慮なしにやたらと複雑な構造になっている。初見では正解ルートどころか、迂闊に進めばスタート地点に戻ってくるのも困難に違いない。

 

 なんで、こんな。理由は分かるが、境界剣を守るなら人相手じゃなくて魔獣相手を想定するべきだろう。なんでこんな無駄な防衛設備に熱意を注いでいるのだ。オルタレーネは八つ当たりとわかっていても愚痴らずにはいられなかった。

 

 だが、イライラしている時間も勿体ない。この場において、唯一希望がありそうな熟練冒険者のレギンに声をかける。

 

「レギン様! 何か、妙案はありませんか? こんなところで足止めを食らう訳には……」

 

「うむ。……そうだな。私の経験だと、こういう露骨な迷路は見せ札、攪乱である事が多い」

 

「攪乱……?」

 

「そうだ。いくら普段から人が出入りするような場所ではないといっても、皆無ではない。そもそも本当に奥にある物を外界から守りたいなら、こんな迷路じゃなくて、物理的に閉鎖してしまえばいいんだ。逆にいうと、迷路を抜ければたどり着けてしまうからな。だから、この迷路は恐らく奥にはつながっていない。多分、どこかに隠し扉がある。露骨なこの迷路は、それから意識を逸らす囮のようなものだと思う」

 

「成程……」

 

 流石だ、とオルタレーネは感嘆した。ただ腕っぷしが強いだけでは最上級冒険者などやっていられない。理路整然とした、経験と理論によるレギンの推測に彼女は深く感心した。

 

 言われてみれば、成程確かに。この訳の分からない迷路が正規ルートではないというのは、感覚的にも納得できる。何せここは神殿なのだ。ならばそれに相応しい道でなければならない。

 

「オルタレーネ殿、落ち着いてください。焦っては事を仕損じる。冷静に、確実に。それが結果的には事態を迅速に納める事に繋がります」

 

「……ええ。わかりました」

 

 深呼吸して気持ちを落ち着かせる。レギンの言うとおりである。オルタレーネは焦りのあまり、冷静さを失っていた。一重にスピノを心配するあまりだが、肝心な事を忘れていた。

 

 スピノは強い。あの闇の化け物がどれだけ規格外でも、そう簡単にやられはしない。そして、彼はオルタレーネ達なら出来ると信じて送り出してくれたのだ。彼が信じてくれたのに、オルタレーネが彼を信じなくてどうする。

 

「レギン様。私が“声”で不自然な繋ぎ目などがないか探ります。皆さまは、何かギミックのようなものが無いかを調べるのをお願いできますか?」

 

「声? ふむ。まあいい、分かった。得意分野で分担と行こうか」

 

 レギン達がガイドと弟子二人に指示を出すのを横目に、オルタレーネは喉を軽く抑えるようにして構え、声を絞り出した。一般的な人類には聞こえない、特殊な領域の声。そしてその反射を、彼女の耳は拾う事ができる。

 

 一般的なアルカレーレ人でも、光の無い暗闇の中、この声の反響を頼りに迷うことなく山道をいく事が出来る。オルタレーネも勿論、得意分野ではないがこの程度の事、いくらでもできる。

 

 だが……。

 

「……!」

 

 駄目だ。ここの材質のせいなのか、あるいはそれも想定した造りなのか、声が上手く返ってこない。本来なら壁の僅かな凹凸も見逃さないのに、ここでは声も曖昧になってしまう。

 

 声はアルカレーレ人のアイデンティティだ。それが役に立たないとなって、オルタレーネの受けたショックはそれなりのものだった。

 

「……っ」

 

 発声をやめて、ズキズキと痛む喉を抑える。ここで無理をしても恐らくリターンは無い。

 

 やむを得ない。大人しくレギン達の結果を待とう。大丈夫、弟子はともかくレギンは優秀な冒険者であるとこれまでで十分に理解している、彼ならきっと何とかしてくれるはずだ。

 

 そう思いつつも、オルタレーネは視線を彷徨わせるのをやめられなかった。何か一つでもヒントがないか、迷宮に目を走らせる。

 

「……?」

 

 今。何か。

 

 視線が通り過ぎた回廊に、再び意識を差し向ける。迷宮の隅、階段の陰。

 

 そこに、一人の少女が佇んでいた。白犬の少女。オルタレーネと違う、女神の祝福を受けていない、ありふれた顔立ちの。

 

 見た事のない、赤と白のゆったりとしたドレス。袖も裾もゆったりと広く、着用者のシルエットを隠すための物のように見える。オルタレーネの知識にも覚えがない、どこかの民族衣装だろうか。それに加えて胸元には、なんだろう。内に着込んだ鎧の装飾か何かなのか、鋭い棘が一本、にょきりと生えている。

 

 やや顔を伏せている彼女の表情は陰になっていてよく見えない。彼女は無言で、右手をすっと持ち上げて右方を指し示した。

 

「レ、レギン様……!」

 

「オルタレーネ殿、どうなされた?」

 

「ひ、人が。民族衣装っぽいのを来た少女が、そこに!」

 

「少女? ……どこに?」

 

「いや、どこってそこに……あれ?」

 

 隣によってきたレギンが首を傾げる。オルタレーネも首を傾げたい気分だった。

 

 一瞬。ほんの一瞬、意識を逸らした間に少女の姿は消えていた。影も形もない。

 

 焦るあまり変な幻影を見たのだろうか。オルタレーネは困惑のあまり自分の認識能力が疑わしくなってきた。

 

 が、レギンは違う感想を抱いたようだ。

 

「ふむ。なるほど」

 

 何か納得しながら、オルタレーネが言った物陰に近づいていく。何か確信すら抱くようなそぶりで、オルタレーネに確認を取る。

 

「その少女とやらが居たのは、ここかな?」

 

「え、えっと。はい」

 

「彼女は他に何か?」

 

「えっと。その、右手を掲げて、右側の壁を指し示して……」

 

「なるほどなるほど」

 

 レギンは何度もうなずきながら、ぺたぺたと壁を触る。

 

 そう、少女が指し示したのはどう見ても行き止まりの壁だ。念のため軽く声を浴びせてみるが手ごたえは無い。確かにここでは声が上手く通じないが、こんな小さな壁一つに集中すれば見落とすような事はないはずだ。間違いなく、何もないとオルタレーネは断言できる。

 

 なんだなんだと集まってくる弟子二人とガイドと一緒に、オルタレーネもレギンの背後に集まる。レギンは何やら熱心に、壁をぺたぺたと触診を続けている。

 

「あの……レギン様? 聞いた所、ここの壁には僅かな凹凸もないみたいなのですが……」

 

「うむ。わかっているよ。うーん……あ。ここか」

 

 レギンが、壁の一部にぐっと力を籠める。すると、ズズ、と音を立てて壁の一部が凹み始めた。オルタレーネは心の底から驚愕した。僅かな凹みすら間違いなくなかったはずなのに!

 

「え」

 

「ふふ。迷路を見てそうではないかと推測していたが、本物の神具を収めるとあって職人は随分と気合を入れてここのギミックを拵えたようだな。ここまで精度の高い隠し扉は私も初めて見たよ」

 

「な、なんでわかったんです!?」

 

「まあ、勘と経験、かなあ」

 

 理不尽な、と愕然とするオルタレーネに対し、やりとげた感じで額の汗を拭うレギン。

 

 そんな一行の前で、ゴゴゴゴ、と音を立てて隠し扉が開いていく。開ききったその先には、地下に続く階段があった。

 

「よし、行こう。恐らくこの先が、神殿の中枢だ」

 

 

 

 

 

 

 地下に続く階段。それを一行は慎重に降りていく。

 

 先頭はレギン……ではなく、彼の弟子達だ。驚いた事に、それを言い出したのは彼らからだった。

 

 地下には、何かしらの危険な有毒ガスが溜まっている可能性がある。この中で最も冒険慣れしているレギンを先頭において、真っ先に彼が倒れてしまったら探索に差し支える、というのが彼らの意見だった。いうなれば、最も危険なカナリア役を弟子達は買って出たのだ。

 

 正直弟子達を戦力外にカウントしていたオルタレーネも、これを見ては評価を新たねばならない。彼らをレギンが連れてきたのは、ただの師匠の七光り、という訳ではなかったらしい。彼らも覚悟を持った冒険者なのだ。

 

「……アッ」

 

「どうした?」

 

「階段はここで終わり……です」

 

「でも今度は上がり階段があるよ!」

 

「ふむ」

 

 彼らの言う通り、松明で照らした先には今度は昇っていく階段がある。

 

「……この神殿を作ったものがいれば、魔獣の侵入も考慮していたはずだ。奴らが迷宮に癇癪を起してぶち壊しても道が見つからないよう、一度下にもぐって上がるような構造にしたのか。まっすぐ続いていると迷宮を全部壊してしまえば見つかるからな」

 

「下に降りる階段なら、瓦礫で埋まってしまいますからね……」

 

 でも、とオルタレーネは内心で呟いた。

 

 それは、ここの事を知らない場合。ここに境界剣があると確信して向かってきている相手には、時間稼ぎにしかならない。

 

 今度は階段を上っていく。降りてきた時と同じだけ昇った所で、道が急に途絶えた。階段は天井のようなものに突き当たって消えている。

 

 勿論、これで行き止まりなはずがない。レギンが前にでて、階段の消えているあたりをガサゴソと探る。

 

「よし、あった」

 

 カチリ、と何かスイッチを押すと、天井が地響きと共に動き始めた。僅かに埃を振らせながら、隠されていた扉がスライド移動して解放される。その向こうからは、明るい光が差し込んできている。

 

 出口だ。

 

 まずレギンが剣を構えつつ飛び出し、周囲を警戒する。その彼の安全確認の合図に従って弟子二人が、最後にガイドとオルタレーネが外に出る。

 

「うわあ……」

 

 そこは、大きな広間だった。唯の広間ではない、床も壁も天井も、ピカピカに磨き抜かれた大理石で出来ている。わずかに床に積もる埃が、長い間人が立ち入らなかった事を示している。不思議なことに窓や照明の類が何一つない閉鎖空間なのに、周囲は明るく照らされていた。

 

 そんな広間の最奥、数段盛り上がった所に、一つの台座がある。飾り気のない四角い石の台に、一振りの剣が突き立てられていた。

 

 決して錆びぬ青銅の輝きと、どのような職人でも決して再現できないだろう緻密な彫刻が刻まれた刀身。

 

 明らかに人知を越えた存在感を示すそれは、間違いない。

 

「境界剣……!」

 

 

 

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