Milk Tea ~あなたが教えてくれたこと~ 作:ナナシの新人
――ねぇ、見て。まるで"虹"みたいだよ。
長く続いた厳しい残暑も鎮まり、少し肌寒さを感じる日々が続くようになった中秋の放課後。通学路の坂道の途中にある、小さな街区公園の前で立ち止まり、腰で組んでいた左手を伸ばし、柔らかな表情で微笑みながら彼女は言った。
彼女が伸ばした右手の先にある、しなやかなで幾重にも広がる繊細な細い枝に付けた葉の外側から、朱色、黄色、緑色の鮮やかなグラデーションに色づいた楓の木へと視線を向ける。
虹⋯⋯には少々色が足りないけど、虹と同じように人の手が加わっていない自然の美しさがある。
「こういう時はね。そうだねーって頷くものなんだよ」
返事の前に、ダメ出しを受けてしまった。
そんな軽い受け答えでいいのだろうか、と思っていると「一緒に共有してほしいものなの」と、再びのダメ出し。女心は難しい、と思った。
クスクスと小さく笑った彼女は、色づき始めた楓の下に設置されている二人掛けのベンチに座って、隣のスペースをポンポンっと軽く二度触れた。少し間を開け、隣に腰を降ろす。
「ほら、見て。虹が架かってるみたいに見えるでしょ」
目線を上げてみる。彼女の言葉通り、伸びた枝に付いた鮮やかに色づいた楓の葉が、少し傾き始めた秋晴れの青い空に架かり、まるで秋空に虹が架かっているように見えた。
「そうだね」と素直に答える。すると、彼女は少し意地悪っぽく笑って「えぇ~、そのまんまじゃ~ん」と、手で軽く肩を押してきた。
「次はもう、冬かな」
正面を向いた彼女の横顔には先ほどまでの人懐っこい笑顔はなりを潜め、どこか儚げな顔で小さく呟き。微かにオレンジ色の変わり始めた空を、静かに見上げた。
「⋯⋯その時はさ、また一緒に来よう。今度も、二人で――」
返事の代わりに、彼女は肩に身体を預けてくれた。
寄せられた肩に感じる彼女のぬくもりは、何よりも暖かく、何よりも儚く感じた。
* * *
体育祭翌日の振り替え休日。
弥生と二人で近所のファミレスでの昼食を食べたあと、場所を自宅に変えて、彼女が毎週欠かさず観ているドラマ――「恋の
「どうだった?」
と感想を訊かれても⋯⋯前回までのあらすじは彼女から聞いたけど、原作の小説は読んでいないし、ドラマも最新話しか見ていないからよく解らない、というのが正直な感想なのだけれど。
「主人公の男子とヒロインの女子って――」
「
「あ、うん。それで二人は、恋人なの?」
「それが微妙なんだよねー。どうみても両想いなんだけどー」
友達以上恋人未満の焦れったくこそばゆい関係性⋯⋯どちらも最後の一歩が踏み出せない、思春期の男女によくある設定。原作小説の触れ込みは「切ない物語」。確かにクライマックスでの主人公の台詞や、ヒロインの行動に反して、夕焼け空の下で恋人ように肩を寄せ合う二人の間に流れる空気は、どことなく思い詰めたような雰囲気を感じさせた。
「話しが進む度に距離は近くなってるんだけど、なんか逆に遠くなってるような感じなんだよね」
春の終わりに出会った二人は、夏、秋と季節を歩むにつれて物理的な距離は確実に近づいてるけれど、逆に心の距離は遠ざかっていく⋯⋯そんな二人の微妙な心の距離感、感情の揺らぎを丁寧に描いた物語。
「どう? この先どうなるか続き気になるっしょっ!」
「まあ。原作読まないの?」
「映像化するとさ、ストーリー変わったりとかあるじゃん。あたし、ドラマから入ったから出来るだけ情報入れたくないんだよねー。ということで、お茶行こー」
何がといういうことなのかは解らないけど、私もちょうど何か飲みたいところだったから彼女の提案に頷いた。
ドラマを観ていたノートパソコンの電源を落とし、戸締まりをして、玄関のドアを開ける。視界はやや暗く、空には薄い灰色の雲が覆っていた。一度戻って念のため、折りたたみ傘を持って出かける。
駅前のコーヒーチェーン店ではなく、いつもの通学路から一本外れた桜並木の川沿いの歩道へ入った。湿気を帯びた初夏の風を受け、新緑だった若葉がやや色濃くなった葉桜が揺れる歩道を歩くこと数分、以前何度か飲み物を購入したことのある、朱色の橋前の土産物店に到着。桜、お茶のシーズンは連日大勢の観光客で賑わっているお店も今は落ち着いていて、店先のベンチで休憩している犬を連れた人、店員さんと話している常連のお客さんなどが数人居るだけだった。
ともあれ、目的は飲み物。カウンターのメニューを見る。前に来たときと一部メニューが変わっていた。特に目を引いたのは、青波がデザインされた白地の生地の真ん中に真っ赤なな文字で「氷」と大きく書かれた、かき氷の旗。
「かき氷もうあるんだ、気が早いねー」
「そだね。今年も暑くなるのかな?」
「ほんっとやめてほしいんだけどっ、真夏の体育館マジ地獄だから!」
彼女の切実な訴えに同情しつつ、お互い注文した飲み物をカウンターで受け取り、橋を渡った先の公園横の東屋の木製のテーブル席で向かい合って腰を降ろし、私は、アイス抹茶ラテを口に運ぶ。抹茶の苦味とミルクの優しい甘味が絶妙。
他愛のない話の途中、紙コップを置いた弥生はおもむろに頬杖を付き、公園の池の方へ視線を向けた。
「いないねぇ」
「何が?」
「ミステリアスガール」
ミステリアスガール⋯⋯いったい誰のことかと思えば、以前私がここで出会った、髪の綺麗な人。ここから見える範囲を見渡してみたけれど、それらしき人は見当たらなかった。
「彩音が見とれる人でしょ。気になるじゃん」
「別に見とれた訳じゃないけど」
――ただ、あの独特な儚げな雰囲気が気になって自然と目が向いた。
⋯⋯見とれた、のかな? やっぱり。
テーブルに置いた抹茶ラテのカップへ目を向け、出掛けよりも色濃くなった、今にも落ちてきそうな灰色の空へ視線を移す。
「あっ――」
冷たい風が吹き、空から無数の水の粒たちが落ちてきた。涼しさを運んで来てくれた雨は、徐々に地面を暗く濡らしていく。
「うわ~、降ってきちゃった。止めばいいんだけど」
30分にも満たない通り雨。弥生の心配は徒労に済んだ。
だけど⋯⋯そう、あの日も、こんな雨上がりだった。
あの人と言葉を交わした時間も、ミルクティーの香りも、今でも鮮明に覚えている。
「でもさ、なかったよね? ミルクティー」
「カップは、同じお店なんだけどね」
「う~ん⋯⋯あ、もしかして他の店舗じゃない? ほら、城北の道の駅も同じお店あるじゃん」
――城北。顔を上げる。私たちの居る東屋の西側、小高い丘の上に建つ街を一望出来るお城。お城から北へ少し行ったところに、地元の野菜などの名産品を取り扱う道の駅ある。ここからだと、来た道を迂回せずに大通りへ出られる抜け道を行った方が――。
「どしたの?」
「ううん、なんでもない」
小さく首を振る。
考えないようにしていたのにふと、もしかしたら⋯⋯と頭を過ってしまった。
「⋯⋯なんか、急に原作気になっちゃった。本屋さん寄っていい?」
「マジっ? いいじゃんっ! 行こー、てか、隣の図書館に置いてないかな?」
「ドラマ派じゃなかったの?」
「それはそれ、これはこれ」
「なにそれ」
「細かいことは気にしない。ほらほらっ」
上機嫌になった弥生に急かされ、席を立つ。空になった紙コップを片し、道路を一本挟んだ公園横の市立図書館へ向かう。
――迂回せず抜け道を通って大通りへ出るには、病院の前を通ることになる。
ミルクティーの甘い香りの中に微かに感じた、消毒のニオイ。
私の頭を過った直感は、思っていたのとは別の形で的中することになる。
それを知ったのは、振り替え休日明けの登校日⋯⋯明日の朝だった。