転生したら美少女VTuberになるんだ、という夢を見たんだけど? 作:蘇芳ありさ
作戦会議 〜現状を踏まえた上で、さらなる躍進を〜
2011年12月9日(金)
弟と妹がニヤニヤとこちらを見守る中、お母さんがわたしに注意する。
「ゆかり、女の子がしたらいけない顔をしているわよ。気をつけなさい」
「はぁ〜い、気をつけまぁ〜す」
自分でも自覚はある。自宅に帰ってからわたしの顔は弛みっぱなしのようだが、どうか見逃してほしい。
けっきょくいい名前が思いつかなかったので、Wisperの募集から北欧風のユッカと名付けたシベリアンハスキーの仔犬だけど、これがとってもおりこうさんなのだ。
ユッカを譲ってくれたブリーダーさんによると、この子はまだ生後40日くらいのオスでわんぱく盛りとのことだが、全然そんなことはなく、何をするにも飼い主の反応を窺ってくるのが最高に可愛いんだよね。
ケージから出してあげると色んな物に興味を示すんだけど、ダメだよって言うと「クゥーン」と鼻を鳴らして甘えてくるし、犬用のおもちゃも渡してあげたもの以外は勝手に咥えたりせず、じっと言葉を待つ姿にわたしはもう天才だと確信したね。
トイレも一発で覚えるおりこうさんぶりに、お母さんも「これならケージは必要なかったかしら」と片しちゃうくらい、ユッカはとっても賢かった。
そんなわけで放課後に直帰して愛犬と戯れ、思う存分満喫したわたしは下の子に場を譲ってユッカの天才ぶりを報告したんだけど……サブちゃんときたら、相変わらず重い現実を突きつけてくるんだよなぁ……。
「まあゆかりの言うことなら仔犬にも伝わりますよね。そういう能力ですから、アレは」
おやつを食べる手がピタリと止まるが、サブちゃんが何を言わんとしているか見当もつかない。
「……どういうこと?」
わたしが訊ねると、
「お忘れですか? ゆかりにはあらゆる『言語』を一瞬で理解する能力がおありでしょうに」
「うん、あるにはあるけど……」
わたしがアーリャと知り合うきっかけになった能力だから十分役に立ってくれたけど……外国語に触れる機会は配信中に海外ニキのコメントを目にするときぐらいだし、あとは外国語バージョンで歌うときにしか使ってないから、イマイチ出番が少ないんだよね。
「まぁ、サブちゃんのアドバイスで封印中のプログラミング能力に比べたら、まだ普段使いしてるほうだけど……アレってうっかり人目に触れたら大惨事ってコトはないから、わたしのチート能力さんの中では比較的良心的だよね」
素直な感想を口にすると、サブちゃんが痛ましいものを目にしたような顔になった。
「なによ、その顔……言いたいことがあるんだったら言っていいよ?」
「ゆかりがそう仰るなら言わせてもらいますが、人類が言語という概念を生み出したのは何のためだと思いますか? それを考えればゆかりの才能がどれほど偉大か解ろうものですが」
それはもちろん、おしゃべりを楽しむことではなく……自分の要求を伝えることでもなく……。
「……分かり合うため、かな?」
「おや、今度は正解です。ゆかりのおっしゃる通り、人類が他者という未知の存在と言語を用いて意思を疎通するのは、自分たちは敵ではないと分かり合うためです。よって、意図せずこちらの『能力』を極めたゆかりは言語を解さぬ生物であろうと、何らかの手段で意思疎通を行っている生物なら相互理解が可能です」
うわぁ……なんということだろうか? これまで外国に行ったときに便利くらいにしか思ってなかった、比較的おとなしめのチート能力さんが無限の可能性を帯びてきたんだけど?
「でもわたし、バウリンガルみたいに犬の言葉は解らないし、アリさんに話しかけても返事をしてもらえるとは思えないんだけど……」
「今はできなくてもその内できるようになりますよ。貴女の持つ訴求力は半端ではありませんから、ゆかりがどうか伝わってほしいと切実に願いさえすれば、その意図は正確に伝わるでしょうし……そのときに返ってくる反応を『理解しよう』と思えば見逃さないでしょうね。ゆかりはそちらの才能も凄まじいものがありますから」
なんだろう、冷や汗さんが皮膚の下で出番を窺っているようなこの感覚。サブちゃんの言葉がジグソーパズルのピースになって、頭の中で一枚の絵を完成させる。
「あれ? えっと……ちょっと待って? それじゃあ
「はい、ゆかりの絵や歌はもちろん、言葉にも問答無用の訴求力がありますから当然の結果ですね。……ついでに言わせてもらいますと、私が無意味なものを非表示にして多少は減らしていますが、あの量のコメントを視認しただけで噛み砕いて理解できるのもその才能ゆえです」
なんてこった! できれば知りたくなかったよ……! わたしなりに頑張ってきたつもりだったのに、結局、何から何までチート能力さんの仕業だったなんて!!
「……ゆかりが何を考えいるか判りますが、その話は以前にもしましたよね? 持って生まれた才能や容姿、家柄などに罪の意識を覚えるなど不毛極まりないと。それに才能だけではなく、ゆかりの努力はしっかりと反映されていますので、どうか誤解なさらず。それにゆかりは、これまで数々のやらかしにもめげず、頑張ってきたではありませんか。凄い子だけど、どこか抜けてる。そんなゆかりだからこそ、アーニャというVTuberはあれほどまでに愛されているわけですから、どうかそれだけはお忘れなく」
……そう言われるとぐうの音も出ない。
結局のところ、この後ろめたさの原因は、あの人たちを差し置いてVTuberとしての人気を独占していることにある。しかも努力して会得したわけでもない才能に頼ってとなると、ひどく
悪いと思うならしっかりとやりきろう。世界的なVTuberの枠組みを整えることで、いつかこの界隈に進出してくるあの人たちに恩返しするのだ。
「うん、わかった。申し訳ない気持ちもあるけど、わたしがVTuberとしてやってきたことは無駄じゃないって信じてるから、これからも頑張るよ」
「はい、それでこそゆかりです。ゆかりなら人類に敵対的な地球外起源種とも対話可能ですから、これからも平和の歌を世界に響かせてください。それが人類にとって一番ですから」
わたしがペコリと頭を下げると、サブちゃんは満足そうに締め括った。
「でもサブちゃんってば大袈裟だよね。わたしがそんなエイリアンみたいのと交渉するなんて……」
「そうでしょうか? 実のところ、同系統の能力者がケイ素生命体とのコンタクトに成功した記録が汎人類史に残されていますから、ゆかりなら十分可能だと思いますよ」
あはは、と渇いた笑いが漏れる。うん、聞かなかったことにしよう。
「まあ小心者のゆかりに配慮してもう少し狭い世界に限定しますが、ゆかりの意図が正確に伝わるのはいいことではありませんか。ワンちゃんもゆかりという優れた統率者に恵まれて幸せそうですし、もっと割り切りましょう」
「うん……まあ、名犬ユッカが誕生しそうだって判ったのは収穫だけどね」
なんか無性に頭の中を空っぽにして愛犬と戯れたくなったが、まだそうするわけにはいかないんだよね。
「それでは時間も押していますし、恒例の作戦会議と洒落込みましょうか」
お馴染みの
今回はメールやWisperの他にも、どこかの株価や海外のニュースなど報告は多岐に渡りそうだが、その中に……。
「さて、まずは12歳の誕生日おめでとうございます。今朝の広告でそのことを知った方々からお祝いのメールが届いていますよ」
サブちゃんがおしゃれな便箋を手作業で並べるが、そこに書かれている名前はどれもわたしの知っているものばかりだった。
「うわぁ……磐田社長に宮嶋さん、大谷部長に中村さん……あっ、3Gの藤本さんまで」
「他にもご友人のアーリャさまはもちろん、配信でご一緒したレンタル利用者の方々や、以前からファンレターを送ってくださった皆さまからお祝いのメールが届いていますね」
昨日から驚かされてばかりいるけど、個人的にこれが一番のサプライズだった。
何故ならメールを送信した時間は日付が変わった直後で、今朝の広告で知ったというわけではなさそうだからだ。
これが磐田社長たちだけならお父さんから聞き出したと納得したんだけど、本当に社畜ネキさんたちはわたしの誕生日なんてどこで知ったんだろうね?
「ふふっ、社畜ネキさんったら、さっそくユッカの絵を描いて送ってきたね。しかもアーニャがユッカを洗ってあげる絵を描くなんて、相変わらず手が早いんだから」
「まあ平和なイラストですよね。……裏でゆかりに見せられないものを描いていないといいのですが」
裏ってなんだろうと思ったけど、社畜ネキさんの性癖を知り尽くしているわたしは即座に聞いてはいけないことだと判断して、全力で知らんぷりをした。
こっちに添付されたイラストのアーニャは、しっかりTシャツとスパッツを着込んでたけど……いいや、これ以上は考えないようにしようっと。
「なんか頭が痛くなってきたけど、お返しは必要だよね。……Wisperとは別に、メールをしてくれたみんなには、レンタルVTuber全員集合のイラストでも送っとこうかな」
「いえ、その件は少々お待ちを」
わたしが自分の妄想を誤魔化すように液タブを引き寄せると、サブちゃんから待ったがかけられた。
「誕生日のお祝いとは別に、磐田社長からメールがありまして……実はアーニャとの契約を公表して、VTuberの事務所を来週中に稼働させると公表したのを機に、N社の公式ホームページに特設サイトを立ち上げたそうなのですが、少し問題が」
そう言って『N社公認VTuber』と名付けられた特設サイトを表示して、サブちゃんが申し訳なさそうに説明する。
「ご覧のようにゆかりのアーニャや私のサーニャだけではなく、昨日の時点までにレンタルVTuberのシステムを利用して、今後も活動の意思を確認できた皆さまもご紹介しているのですが……社畜ネキさまのマリン船長だけ画風が違うのは、全体的な見栄えにも関わるので、なんとかしてやれないかとご相談が」
「ああ……」
社畜ネキさんだけMS社のPC用OSにプリインストールされているベイトソフトで描いたんだっけか。しかも64色制限にして。
「他にも今後の活動を見越して、細部の設定や造形を変更したいという方もおりまして。具体的には、白上フブキさまはセーラー服からカジュアルな服装に変更したいと希望され、百鬼あやめさまもできれば和服がいいと思ってらっしゃるようで……湊あくあさまはゆかりのデザインに満足されておられるようですが、兎田ぺこらさまに関しては、バニースーツを恥ずかしく思っておられる気配もチラホラ……」
なるほどねぇ……まぁこの辺りは、わずか一週間の間に五人のVTuberをでっちあげた弊害みたいなものかな。
社畜ネキさんには不十分な環境でマリン船長を押し付けちゃたし、白上さんとあやめさんのときは、わたしのイメージとあの人の記憶が混在しちゃったし。
湊さんとぺこらちゃんだけは最初から丸パクリだったから、デザインの面では完成されてるけど、一部、趣味に合わないって思うのも理解できるし。
今になって全員を並べてみると、アーリャのマナカにだけ『そうした要素』が存在しないから、どこか浮いちゃってるように感じるのも無理はないか……。
「だったらみんなも一度だけのお試しじゃなく、これからもVTuberとしてやっていく意思があるみたいだし、ここらでN社の事務所からデビューすることを見越して、正式なデザインとして描き直してみる?」
「そうですね。最終的にあの方々の全員がN社の事務所と契約するかどうかは判りませんが、レンタル中はこちらの一存で好きにやっていいそうですから、デザインや設定の変更にも柔軟に対応しましょう」
「うん。それじゃあ大した手間でもないし、さっさとやっちゃおうか」
以前のデータも残ってるから手直しはそこまで手間でもない。
白上さんとあやめさんは全体的な精度を高めて希望する服装に変更して、と。マリン船長は640×480ドット、64色の昔のゲームを最新のフルHDにリメイクする感覚で……ついでにぺこらちゃん以外も着替えを何着か用意してやって、髪型もいくつかのバリエーションの中から選べるようにしてみようか。
さて、これであの人の記憶にある、なんて言ったか……ホロメンだっけ? 何処かの世界の未来のVTuberをモデルにした子たちは完成したけど、問題はアーリャのマナカか。
「ううむ……わたしも一昨日の配信で微妙に気になったんだけど、いまいちマナカのデザインがアーリャと噛み合ってない気がするんだよね……」
「それは仕方ありませんよ。もともとゆかりがご自身をモチーフにしたマナカは汎用モデルであり、アーリャさまのご使用を前提としてデザインしてはありませんから。現実のアーリャさまをよく知るゆかりから見れば、アーリャさまが無理してゆかりを演じてるような気にもなるでしょう」
「うん、わたしもそう思う。アーニャもアーリャから思いついたんデザインだけど、完全に丸パクリってわけじゃないし、最初から自分で使うって決めてたからね。そりゃ違和感も覚えると同時に修正されるよね」
でも、今からどうやって修正しようかなぁ……。
これがマナカのデビュー前なら納得するまで描き直せばいいんだけど、残念ながらもう世に出しちゃったからね。
ここでマナカのデザインを一新するのはいいけど、あまりに以前のデザインとかけ離れたものになっちゃうと、視聴者の混乱が……って悩んでたら、なんか不意に肩を叩かれた気分。またか。
やれやれと思いつつも、目蓋を落としてイメージの世界に潜り込むと、あの人と思しき
おっとりと
するとどうだろうか。もはやこれ以外にあり得ないと思うほどアーリャのガワとして相応しではないか。なんというか、わたしの中であの人の影響力が強まったみたいで怖いんだが、そんな理由でこのデザインを捨てるのは惜しい。さっそく形にしてみよう。
「……これならどうかな?」
「お見事です。これならばマナカの基本デザインから外れることなく、よりアーリャさまに相応しいものに仕上がっているかと」
「うんうん。わたしもそう思うんだけど……このデザインがアーリャに合ってるって言えるってことは、もしかして本人を見たことがあるのかな?」
わたしとしてはちょっと疑問に思って尋ねた程度なんだが、サブちゃんときたらこれがまぁ、分かりやすいこと分かりやすいこと……。
「──さて。これで全員のデザインの修正が完了しましたね。さっそくLive2Aを適用して可動テストをしてみますか」
わたしに逆らえないサブちゃんに白状させるのは簡単だけど……そこまでしなきゃいけない必要性もまた感じないんだよね。
だってこの子はわたしの不利益になることは絶対にしない。だからアーリャの姿をどこかで見かけたとしても、それはきっとわたしのことが心配で、どこかの物陰からこっそり見守ってるときに偶然目にする機会があったのだろう。
だというのに問い詰めるなど不義理も不義理。そんな情のない真似をする気はない。
でもサーニャはわたしに隠し事をしているのが後ろめたいのか、一度だけこう尋ねてきたのだ。
「……問い詰めなくていいのですか、ゆかり」
「うん。わたしはサブちゃんを信じてるから、わたしから言わなきゃいけないのは、いつもありがとうの気持ちだけだね」
お母さんのおやつを完食したわたしは、お茶を飲みながら微笑む。わたしに話さなきゃいけないことなら、サブちゃんを急かさなくてもいつか自分から話してくれる。その信頼に疑問を挟む余地はないのだから。
「ところでLive2Aのテストはどう? 問題がなかったら本人とN社のほうに、これが正式なデザインですって渡してもらえると助かるんだけどな」
「…………はい、ゆかり」
「うん、お願いね」
今のはサブちゃんにしては返事が遅かったな。サーニャのLive2Aも動きが少しぎこちない気がするけど……まぁいいや。自分でも湿っぽい話をしたって自覚があるし、ちょっと照れくさいからね。向こうが落ち着くまで、誕生日のお返しになるイラストでも書いてみようか。
Wisperでお祝いしてくれた人たちには、
「すみません。身苦しところをお見せしましたが、もう大丈夫ですよ。ゆかり」
「そうなんだ? ところでお礼のイラストを描いてみたんだけど、どうかな?」
「ええ、相変わらず見事な出来栄えで……特にこちらの愛犬を抱いて微笑むアーニャが傑作です。アーニャの魅力である親しみやすさが、愛犬の存在でさらに際立っていますね」
と、なんだろうかこの絶賛ぶりは……?
まさかわたしが余計なコトを訊かなかった件で、借りを作ったと思っているのではあるまいかと
「……ただそれだけに、私がこの場に描かれていないことに納得いきません。まさか私を描いたら、この家庭的な雰囲気が台無しとでも? それとこちらの全員集合も自然とそういうイメージになったのは理解しますが、マリン船長をアーニャに抱きつかせるのはいけません。本人が調子に乗ります」
「ごめんごめん、悪気はなかったんだよ。修正するからサーニャも手伝って?」
「はい。この際ですから、徹底的に修正しましょう」
そんなわけでどちらのイラストも一部変更。アーニャが愛犬を抱きしめてるイラストには、サーニャをしっかりと寄り添わせて……全員集合のイラストは、哀れにも白上さんとぺこらちゃんにブロックされて、マリン船長が涙目の図に……。
「……完璧ですね。それではさっそく送信しておきましょう」
「うん、お願いね」
「そちらこそお疲れさまでした。おかげで助かりましたよ、ゆかり」
一連の作業が終わったら礼を言われたが、なんか照れくさい。
絵を描くのはわたしの仕事なんだからお礼なんて言わなくてもいいのに、ありがとうの精神を忘れないところが、人類に奉仕することを喜びとする
まぁ、今のはサブちゃんの私情が大いに満たされたのもあるんだろうけど……それにしてもいつになく上機嫌だ。
自然と笑みを誘われたわたしがお茶の残りを飲み乾すと、頼んだ仕事を終わらせたらしいサブちゃんが妙なグラフを表示させた。赤と青に色分けされたグラフだが、青の割合がずいぶん多いな。
「さて、一番の懸念が片付いたので報告を続けますが、昨日の報道と今朝の広告により、アーニャの存在はこれまで知られていなかった層にも拡散、急速に認知されています。このグラフは赤の部分が従来のファンの総数、青の部分が今後に獲得が予想されるファンの総数です」
「って、そんなに差があるの? 一気に三倍以上じゃん!?」
「ええ。やはり既存のメディアの影響力は侮れないものがありまして、昨日の報道からチャンネル登録者数が60万人近く増えていますね。……しかも新規に開拓した顧客はYTubeのような動画配信サイトに興味のなかった方も多く、完全にパイを外から持ってきた状態なのですが、そうなるとあまり喜んでばかりもいられません」
何か気になることがあるのか、サブちゃんの表情が曇る。
「こう言ってはなんですが、これまでゆかりのアーニャを熱心に応援するファンの方は、わりと扱いやすい人たちでした。彼らは主にアニメやゲームのオタ……アニメ調の少女であるアーニャというキャラクターを好まれる方々ですから、アーニャがバーチャルな存在であるという前提をすんなりと受け入れてくれましたが、これからはそうもいかないかも知れません」
サブちゃんが何を言いたいか、何となくだがわたしには判った。
「そうだね。これからはさ、アーニャを恋愛対象として見てくる人たちが増えるってことでしょ?」
「はい。そこまで理解されていらっしゃるんでしたら、もうハッキリと言ってしまいますが、いわゆるドルオタと呼ばれるファン層ですね。従来のアニオタやゲーオタと呼ばれるファン層は、一部の声オタと呼ばれる人たちを除いて、アーニャの中の人であるゆかりにそこまで関心はありませんでしたが、彼らはそうもいきません」
「うん、大丈夫。わたしもそのことは
あの人の記憶にある未来のVTuberは、事務所の方針でアイドルとして売り出されて成功したが……反面、かなり窮屈な思いもすることになった。
そのことを
「わたしはアイドルとしてやっていくつもりはないから、そうした人たちも今まで通り普通の視聴者として扱うよ」
どんな人でもファンの一人として公平に扱い、決して特別扱いはしない。私の答えを知ると、サブちゃんは安心したように息をついた。
「はい、それがよろしいかと。すでにゆかりは彼らを基盤とせずともやって行ける下地を整え、世界的な需要を発掘しています。そのことは新設する事務所にも伝えて、基本的な営業方針として確認したほうがよろしいでしょう」
「うん、わたしもそう思うよ」
「もっとも、ゆかりの歌に惹かれて入ってきた方々のように、オタク以外のファンも増えると予想されますから、そこまで大きな声にはならないでしょうが、あらためてご注意を」
「ありがとう。わたしも十分気をつけるね」
これで方針は決まった。あとはわたしが腹を括るだけだ。
「ところで今夜はどうしよっか? 何かやっておいたほうがいいことはある?」
「それなんですが、今夜はゆかりの誕生日なのですから、夜はご家族と過ごされるんですよね? でしたら今夜の配信はお休みしますにしますが……」
「うーん、うちはその辺りわりと淡白だよ? 晩御飯はわたしの好きなものを作ってくれるし、自分の誕生日だから手伝いに行ってもお母さんに台所から追い払われるけど、そこまで大袈裟なパーティーはやらないと思うな。誕生日のプレゼントも前もって受け取っちゃったしね」
高価なゲーミングPCと配信用の機材一式のみならず、シベリアンハスキーまでお迎えしてもらっちゃったしね。
これだけあってサプライズが止まらず、みんなにプレゼントまで渡されたら、小心者のわたしとしては却って申し訳ない。
「そうですか……そういうことなら配信の告知は直前まで保留にして、やるにしても他の方を誘わず、久しぶりに私たち二人だけでやるとしますか」
「それが無難かな? 昨日は集会所の星4まで行けたから、みんなと一緒に3Gを遊びたい気持ちもあるけどね。視聴者のみんなもすごい盛り上がりだったし」
さすがにそこまで打ち合わせをする時間は取れなそうだしって続けると、サブちゃんは意味ありげにほくそ笑んだ。
「それなんですが、視聴者の皆さまはもちろんのと、共演者の皆さまもすっかり入れ込んでおられるようで……実際に3Gのコラボに参加した方々は勿論のこと、一昨日の配信では表向き辞退された方々も、昨夜の配信で火が点いたらしく、どなたも次にやるなら是非とも参加したいと」
「……マジ?」
「はい、マジです。特に兎田ぺこらさまはPCで使えるコントローラーを購入するために、10年ぶりに遠出をされたようで、大変だったとこちらのメールにも書いてあります」
おおう、それはなんて言うか……買い物ひとつに遠出とは大変と言うべきか、10年ぶりに買い物に行ったことに驚くべきか、なんとも反応に困る。
「そうするだけの魅力がゆかりの配信にあったということですから、ここは素直に喜んでもいいでしょう。おかげで本日発売された3Gは世界中で完売しまして、買いそびれたファンの方がPC版を利用しようと、高価なゲーミングPCに群がって、各地でうれしい悲鳴が続出しています」
「そっか……転売屋に目を付けられなきゃいいんだけどね」
「さすがに転売屋が買い占めるには市場規模が大きすぎるので、心配はご無用かと」
なるほど……転売行為の問題は安く買って高く売ることではなく、事業者集団が買い占めて値段を吊り上げるカルテルにあるが、今回は大丈夫そうか。
「よかった……。これで視聴者の大半が買えなかったら、3Gの配信をしても自慢してるみたいになっちゃうもんね。C社さんにはここで油断せず、安定供給お願いしたいな」
「そちらは十分心得ているようで、すでにN社の全面的な協力のもと大規模な増産が行われています。この分なら品薄は週明けにも解消されるでしょう。また、C社の成功を目の当たりにして、これまで様子見に徹していたその他のメーカーも、ぜひ自社のソフトで遊んでほしいと申し入れてきたそうです」
ここでサブちゃんが随分と人の悪い顔をする。
「一度そのような申し入れを行ったのですから、今後もN社の許諾申請は両手を挙げて歓迎するでしょう。良かったですね、ゆかり。これで配信中はどんなゲームも遊び放題ですよ」
そこまで言われればわたしの頭でも理解できる。なんということだろうか。サブちゃんがここまで計算してC社の藤本Pの善意を利用していただなんて。
「うーん、お主も悪よのぅ三河屋、ってやったほうがいいかな?」
「いえいえ、そのネタはお腹いっぱいなので」
黒い黒い!
「と、まあそんな次第で、上手いことやったC社から、海外の売上からかなりの部分を正当な対価として支払うとの申し出が。最終的な金額が幾らになるか現時点では不明ですが、おそらくビルの一つや二つは建てられるかと。良かったですね、ゆかり。チャンネルの収益化を達成する前に億万長者が確定ですよ」
真っ黒なサブちゃんがさらなる凶報をもってわたしをゲンナリさせる。
「やめてよ、東北大の川◯教授じゃないんだから……事前に約束してないし、わたしはぜったい受け取らないからね」
「ゆかりが受け取らなくても、ゆかりのお父さまが代わりに受け取って事務所の資金になるだけですよ。どうも見たところ、そういう流れになりそうですし」
説明不足と感じたのか、わたしの態度に黒いものを引っ込めたサブちゃんがもう一歩踏み込み、裏面の事情を
「つまりC社としては、ゆかりのアーニャを商業的に利用したことで叩かれることを避けたいという思惑もあるのですよ。よって広告費の名目でN社に出資し、ゆかりのVTuber事業に協力的だとアピールしたいわけです。もともと海外での販売に期待していなかったC社にとって、今回の売り上げはあぶく銭ですからね。今後のためにも有効活用したいといったところでしょうか」
「……そういうことなら事務所がお金を受け取ることは認めるけど、本当に今回だけだよ? 今後は事前に金額を決めて、納得できなかったら協力しないからね?」
「はい、今回は例外ということで周知徹底します。裏でそんな大金が動いてると知ったら、小心者のゆかりは気軽にゲームを遊べなくなりますからね」
解ってるんだったら前もって教えて欲しかったけど、今回は色々と急だったからね。
発端も
大人の事情があるのは仕方ないけど、人の善意を疑うことはしたくないな。
「まぁ悪いのは、これだけ世間を騒がせておいて、まったく対応できないわたしのメンタルだもんね。ここは生まれてきてスミマセンの精神で乗り切るとしようか」
「どんな精神ですかと言いたいところですが、ゆかりはまだ12歳になったばかりの子供ですから仕方ないのでは? 何か問題が起きそうなら私がお止めしますから、ゆかりは子供らしくのんびりと構えていてください。視聴者の幸福から考えてもそれが一番ですよ」
「うん、そうするね。サブちゃん、いつもありがとう」
なんとなく照れくさいものを感じて目を逸らすと、画面の右下の時計が目に入った。現在時刻は5時52分──もうこんな時間か。
やっぱり楽しい時間はあっという間に過ぎるようで、夢中になったわたしとしては少しだけ気恥ずかしいものを覚える。
「そろそろわたしは下に行くけど、他に急いで伝えることはあるかな?」
おやつの皿とカップを片しながらそう言うと、サブちゃんは心得たように微笑んだ。
「いえ、今はこれといってありませんね。強いて言うなら、N社のVTuber事業が公表されたことで、以前のメールではレンタル制度に言及しなかった方が利用を申請したことくらいですが、こちらはご存知のように準備に時間がかかりますから、相談するのは明日以降にしましょう」
「うん、それじゃあ後はよろしくね、サブちゃん」
「はい、こちらこそ楽しい時間をありがとうごさいました、ゆかり」
楽しい時間か……それはこっちの台詞なんだけどな、と食器を手にして立ち上がり、自分の部屋を後にする。
わたしは本当に恵まれている。これ以上ない家族に囲まれながら、怯えるように人目を避けていた以前の自分が信じられない。自分の部屋に閉じこもっているときも孤独とは無縁で、そして──。
「クゥーン」
「あれ、もしかして迎えにきてくれたの?」
「ワンッ」
「こらこら、吠えたらダメだよ。そういうときはね、もう少し声を抑えて『ワン』って言うといいよ」
「ワン」
相変わらず何をいってるのか解らないが、向こうは正確に把握してるようだ。
これってたんにこの子がおりこうさんってだけじゃないかなって
ユッカは食器に残った食べ物の匂いを嗅ぎ取ったようだが、勝手に舐めたりせず、わたしを見上げてじっと許可を待っているようでもあった。
そんなユッカのつぶらな瞳がおかしくって、今度は我慢できずに笑いだしたわたしは重ねて注意するのだった。
「そんな顔をしてもダメだからね。人間の食べ物はどんなに美味しそうな匂いがしても、ユッカが食べるのには適してないんだから、舐めたらお腹が痛くなるよ。はい、分かったら『クゥーン』って返事をして?」
「クゥーン」
やっぱりおりこうさんじゃんって堪えきれなくなったわたしは、台所に食器を置いてから家族の待つリビングへと向かった。