転生したら美少女VTuberになるんだ、という夢を見たんだけど?   作:蘇芳ありさ

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YTubeの仕様変更と、視聴者参加型3Gに向けて

 

 

 

 

 

 2011年12月15日(木)

 

 

 わたしの通う高原小学校は、今日も今日とてお祭りのような浮かれっぷりだ。

 

 このドンチャん騒ぎが生徒だけならまだ救いはあるが……本当なら授業に集中できない子供達を叱ってやるべき立場の先生たちでさえ、何かあるたびにわたしの話を聞きたがるのだから困ったものである。

 

 ……それでも昨日に比べればまだマシだし、休憩時間にトイレに行くのを躊躇っていたら、仲のいいクラスメイトが人混みを掻き分けて通路を作ってくれたりと、これまでの苦労が報われた気分になってみたり。

 

 古代中国の思想家じゃないけど、やっぱり人類の本質は善だと再確認したわたしは、昨日ほど気疲れせずに帰宅成功。

 

 リビングのソファーでお昼寝中の愛犬(ユッカ)と、今日はのんびり手持ち無沙汰なお母さんに挨拶して自分の部屋に向かったら、未だかつてないほどに上機嫌の相棒(サーニャ)と遭遇した。

 

 この子がこんな顔するのは珍しいからすぐに分かった。なんだかわたしまで嬉しくなって、何かいいことがあったのかなって訊いてみたら、なるほどねぇと納得することしきりである。

 

 なんと今日は良い報告しかないというのだ。しかも良い報告は3つもあり──一番良い報告に至ってはまさに朗報! 今週末に予定されていたYTubeの大規模アップデートが早くも完了しているというのだ。

 

 G社から依頼されたサーニャ自身がシステムを一から設計し直したという、まったく新しいYTubeを前倒しでお披露目。これには相棒も技術者として鼻が高いだろう、と褒められたがっているメイドを持ち上げる。

 

「おおーっ、ブラウザの立ち上げと動画の読み込みがすっごく速くなってる! 快適、快適……これだけでざっと10年分は進化したね! これがプログラムを書き直しただけで達成できたなんて、ちょっと信じられないくらいだね?」

 

「いえ、もともとプログラムとはそういうものですよ。私たち技術者の間でシステムの拡張は主要交通網の刷新と言われています。国道の混雑を解消するために新たな県道を通したところで、結局は新設した交差点に予想外の混雑をもたらすものです。私のしたことは、そんな無計画な拡張によって(らち)の明かなくなったしてインフラ設備をいったん白紙にして、完璧な都市計画に基づいて再開発したようなものですから、ゆかりに褒められるほどでは……」

 

 なんて言葉では謙遜しながらも、サーニャってば薄い胸を張って踏ん反り返るんだもん。分かりやすいよね。

 

「新機能も……へー、広告は別枠で表示されるようになったんだ?」

 

「はい。そちらはM人狼などの大規模コラボで培った技術の応用ですね。広告は利用者が表示させる場所を自由に設定できるようにしました。これにより、視聴者が見たくもない広告を見ないと動画が見れないという、ある種の不快感が軽減されるのではないかと」

 

「うん、いいね。マウスでクリックしないと音も出ないし、これなら放っておいても……おお、月額500円のプレミアム会員になれば広告を非表示にできる機能も実装されたのか! ますます便利に快適になったね!」

 

 スパゲッティコードの解消によるシステムの安定化と高速化に加えて、事前告知にはなかった広告機能の改善。これだけでもYTubeの使い勝手はかなり改善されたわけだが、今回のアップデートはこれで終わりじゃない。

 

 なんといっても今回の目玉は、YTubeから言葉の壁を取り払う自動翻訳機能と、VTuberが時間や配信内容の被りを気にせず自由に配信できるグループ配信機能。これに尽きる。

 

「自動翻訳は……あれ? こっちはまだ適用されてないのかな?」

 

 さっそく海外の『何を言ってるか(普通の人は)よく分からないけど、何となく面白い』動画を確認してみたけど、日本語訳の字幕は表示されなかった。

 

「そちらの動画は投稿者が自動翻訳をオンにしないことには、こちらで勝手に字幕を用意するわけにはいきませんから」

 

「なるほど……あっ、こっちは字幕が表示された! さっそく気づいて使ってくれたんだね!?」

 

 しかも海外のFワードの翻訳がだいぶマイルドに……これなら親御さんも安心して子供に見せられるね。

 

「よしよし、それじゃあアーニャちゃんねるを開いて……うん、やっぱりまだ誰も配信してないけど、ホロライブのみんなはこっちのチャンネルを登録済みか。実際にどんな感じか見てみたかったけど、そっちはみんながデビューするまでお預けかな」

 

「グループ配信なら実際の配信風景を参考資料として用意してありますが、よかったら確認してみますか?」

 

「本当!? ぜひお願い!!」

 

 わたしが大喜びでお願いすると、マウスを操作したサーニャが未来の配信環境を再現した。

 

 本来ならお勧め動画が表示されるスペースに、鴨川さんの過去の配信がリアルタイムで表示される。試しにでっかい蛇と遭遇した鴨川さんの配信をクリックすると大きくピックアップされ、大音量の悲鳴が響き渡った。

 

「うーん、いいね。これならPCで幾つもブラウザを立ち上げなくていいし、スマホやタブレットでみんなの配信を追いかけられるし」

 

「そうですね。アーニャちゃんねるがほぼ連日のように午後8時から10時までの時間帯に配信していることから、他の方々がこの時間帯に配信しにくいのでは? というゆかりの小市民根性から出た物にしては上々かと」

 

「うるさいな。わたしだって色々と考えてるんだよ」

 

 わたしだって自分のチャンネルが非常識な数字を押さえてるって自覚くらいはあるのだ。

 

 直近の配信だと、同接は200万人以上。その内の7割近くは熱心な海外の視聴者だけど、テレビで言うならゴールデンタイムにそれだけのお客さんを釘付けにする番組があったりしたら、他局の視聴率はお察しの一言である。

 

 だからといってわたしが遠慮して配信を控えたら、他のみんなが「お前らの所為でアーニャの配信が減った」と叩かれることにもなりかねない。その懸念は、わたしのアーニャが自分でもビックリするようなコンテンツに成長するにつれ強まった。

 

 そうした問題を解決するために思い付いたのが、このグループ配信機能だった。

 

 M人狼で他のみんなの視点を追える別枠を用意してもらったことから着想を得たこのシステムは、お勧め動画の代わりにみんなの配信が表示されるだけではなく、いつでも合流してコラボができたり、数字を分け合ったりできるようにした。

 

「これなら大人気の新作ゲームをやりたいけど、今の時間帯は他の人がやってるから遠慮してっていうときにも、同じゲームをなら一緒にやりますかって感じになるんじゃないかな?」

 

「まぁ、その辺りはわたしも否定しませんが……。配信中に他の方を誘って合流。コラボ終了後にソロに戻って雑談と、配信の幅が広がることは間違いありませんから」

 

 だっていうのにサーニャときたらわりと懐疑的だ。

 

「なんでそう思うの?」

 

 わたしは否定しないと言いながらも、奥歯に物が挟まったような言い方をする相棒を睨んでやったんだけど、本人はどこ吹く風でわたしの痛いところを突いてきた。

 

「それはもう、ゆかりが投げ銭機能や有料会員機能にまったく触れようとしないことから、グループ配信機能の目的がご自身の数字……収益を他の方々に押し付けようとしていることはお見通しというものです」

 

「うぐっ!」

 

「どうせ今回はコラボしたから、こちらの収益を半分は受け取ってねって言いたいのでしょう?」

 

「ぐふぅ!?」

 

「そんなゆかりに朗報です。YTubeのアップデートにより、アーニャちゃんねるの収益化が完了しました。これにより、11月27日のデビューから昨日12月13日までの収益は合計で20億を超えました。よかったですね」

 

「……ジンバブエドルかな?」

 

「円ですよ。決まっているでしょうに」

 

「うあっ……予想の10倍じゃん! なにがどうしてそうなったの!?」

 

「それは世界中のあらゆる国と地域に無断転載された分の数字を上乗せしたら、ですね。管理する立場にならなければ追いきれないところがあったので、私とて驚いていますが」

 

「つまり犯人はサーニャってこと!? この子ってば本当に余計なことばかりして……!!」

 

 20億……20億か。ハッキリ言ってわたしには全額両親に預けるか、慈善団体に寄付することしか思い付かない。

 

「そうだ! 収益化記念配信で、総額20億円をプレゼントっていうのは!?」

 

「言うと思いましたが、さすがに額が額です。本当に事務所とよく相談して後腐れのない形なら通るかもしれませんが、毎回その調子で大金をドブに捨てるというのは通りませんよ」

 

「ううっ、ダメかぁ……」

 

 本当にどうしよう……前から悩みの種だったけど、小学生にこんな大金を渡されても困るよ。毎月3000円のお小遣いも余り散らかして、お財布がパンパンになってるわたしに20億円もの大金をどうしろと……?

 

「うぅ〜ん、何か考えないとマズイね。ハッキリ言って使い道なんてまったく思いつかないけど、VTuberが稼げることを証明して、他の子たちを勇気付けたいという矛盾した気持ちもあるし」

 

「そうですね。1期生までのお仲間が全員デビューされたら、ゆかりの出資で海外旅行はどうでしょうか? それならゆかりも楽しめるでしょうし、お金も無駄になりませんよ」

 

「……いいね。海外旅行か」

 

 うん、それならみんなも楽しめそうだし、わりと名案かもしれない。

 

 常夏の島。昼間は素敵なビーチでみんなと戯れ、夜はのんびり温泉に浸かって、毎日美味しいものを食べる日々。うんうん。想像しただけで楽しくなっちゃったよ。

 

「でもどうせやるんだったら、そんなバカンスの風景も視聴者(みんな)に届けたいけど、技術的には難しい?」

 

「いえ、そちらはすでに再現可能ですよ。具体的には──」

 

 なんと! まさかそこまで具体的な話が聞けるとは……!!

 

「というわけで、ゆかりに教えたらさっそく善は急げと言われるでしょうから、いつでも実行できるようにしてありますので……ゆかりもそろそろ莫大な資金と人員を動かす、世界的なインフルエンサーとしての自覚を持っていただけると助かりますが?」

 

 うっ……せっかく夢と希望の世界に逃げ込んでたのに、サーニャときたらしっかり現実を突きつけることも忘れないでやんの。

 

「そうは言っても20億かぁ……税金を差っ引いてこの数字なら、バカンス計画もう◯い棒換算みたいな回数になりそうだし、今後もわたしの貯金は積み上がる一方になりそうだし……」

 

 どうするのが正解なのか判らず頭を抱えるわたしに、どこまでもわたしの味方をすると言ってくれたサーニャ(サブちゃん)は呆れたようにため息を吐くと、厳しくも優しく教え諭してきた。

 

「ゆかりも色々と思うところはあるでしょうが、一つ忘れてはいけないのは、ゆかりは既にVTuberという社会の一員だということです。ゆかりはまだ未成年の身ですが、自ら望んでその立場になったことを忘れてはなりません」

 

「……うん」

 

「お金の使い道もいまは思いつかなくても構いません。いつか必要になったときのために貯めるのも一つの手です。……それでも思い付かなかったら、そのときはご両親や事務所の大人に相談してください。もちろん私も相談に乗りますよ」

 

「うん、ありがとう……」

 

 そうだ、いまは思いつかなくてもいつか必要になるかもしれない。そのときに後悔しないために、焦って無駄にすることだけはないようにしよう。

 

「さて、YTubeのアップデートと収益の話は以上になりますが……ゆかりはやはり投げ銭機能やメンバーシップ登録を解禁しない予定ですか?」

 

「うん、いまはちょっと……投げ銭機能をオンにしたら酷いことになるのは目に見えているし、有料会員限定の配信なんて思いつかないしね」

 

「まあ、これに関しては私も同意します。私の本体の予想では、視聴者のおよそ9割近くが限度額まで投げるに違いないと。さすがに一度で1000億円近くの大金を投げられたら、ゆかりが心労で倒れてしまいますからね」

 

 うん……昨日も200万人以上の視聴者(リスナー)が集まったからね。9割なら180万かける投げ銭限度額の5万で、それくらいになるか……。

 

「でもあれ? YTubeの取り分は? たしか投げ銭(スパチャ)の3割はYTubeに徴収されると思ったんだけど……」

 

「それならYTubeの規約改定に伴い、一部の優良配信者は減額、ないし免除になりました。日本ではゆかりの他にHi⭐︎KAKINさまが免除の対象です」

 

 なんと、それはビックリである。

 

「変わったねぇ、YTube……っていうかG社も。以前はAP社と同じで、プラットフォーマーとして絶対に妥協しなかったのに」

 

「それだけ余裕があるということですね。プラットフォーマーが顧客を大事にする。いいことではありませんか」

 

「うん、わたしもそう思うよ」

 

「他にも将来の暴露系、迷惑系YTuberの利用を明確に禁じましたし、全自動モデレーターを採用して誹謗中傷を許さない姿勢も明確にしましたが、このこともG社の企業イメージを大幅に改善して、株価を押し上げる要因になっています。人権問題を解決する気のない中国に進出して批判されたG社としては、笑いが止まらないというのが正直なところでしょうね」

 

「うーん、まさに躍進。わたしもYTubeにはお世話になってるから、一助になれて嬉しいというのが本音だね」

 

「ただ、そういった事情もありますので、他の方々も限定配信の内容はよく考えないといけませんね。未来のVTuberはプライベートのかなり際どい話をして人気を博していましたが……こちらでは少し難しいかもしれません」

 

「うん、わたしもそう思う」

 

 具体的にどこまで話したのか知る由はないが、同僚のVTuberがちょっとエッチな話をしているのを知って、辛抱たまらず別垢で登録して即バレした悲しいVTuberも実在するそうな。同じ過ちをこの世界でも繰り返してはいけない。

 

「とりあえずメン限は、他所でも使えるスタンプや絵文字を描くとしてさ。ある意味定番になってるVTuberが家族と配信ってネタは、事務所の許可を取ってメン限でやってもらうってのはどうかな? 同じプライベートな話でも、そっちのほうが親御さんも安心できると思うんだよね」

 

「ええ、それならVTuberのご家族の方々が同意すれば問題ありませんが……そうなると逆に、メン限でいいから出してくれってご家族の方も出てくるのでは? 具体的には『坊ちゃん』はともかく、『お嬢さま』が……」

 

 うあっ、すっかり忘れてたけどあの子も乗り気だったか。

 

「ま、まぁメン限なら……今日はこんな話をするから余計なことは言わないでね、って事前に釘を刺しておけば大惨事は避けられる、はず……」

 

「まったく、ゆかりの悩みは尽きませんね。それではとてもよい報告はこれぐらいにして、次のかなりよい報告をするとしますか」

 

 思わず机に突っ伏したわたしを愉快そうに見やったメイドが、口元を押さえて話題を変えてきた。

 

「さっきの一番いい報告が微妙だったから、次の報告を聞くのが怖いんだけど?」

 

「いえ、それは残念ながら受け取り方の問題ですね」

 

 しれっと自分の責任じゃないと明言するメイドを恨めしく見上げるが、まぁお金の話は終わったし、それ以下ということはないだろと視線で促すと、サーニャは意外な報告を口にした。

 

「実は旦那さま……失敬、ゆかりのお父さまを通して、ホロライブの事務所からアーニャのアルバムを出したいと。つきましてはゆかりの学校が冬休みになったら予定を調整して、スタジオで収録してほしいとの要望が」

 

「あっ、出るんだアルバム」

 

 それはたしかにかなりいい報告だけど、なんで再録?

 

「アーニャ関連のグッズは事務所が勝手に出していいって契約じゃなかったっけ? だったらサーニャがデータを渡して終わりじゃないの?」

 

「それなんですが、データ自体はあるのですが、ゆかりのお父さまがどうせ出すなら良い物を出したいと。私の手元にあるのは、世界中の音楽関係者がショックを受けないようにある程度劣化させた物ですから」

 

「あー、あったね。そういう話も」

 

 なるほど。道理で再録という話が出てくるはずだ。

 

 わたしとしてもYTubeのアーカイブでいつでも聴ける曲をアルバムに収録して、あらためてお金を取るというのは歓迎できないものがあった。お父さんの言うように、どうせ出すならより良い物を出したいよね。

 

「それと、これはまだ提案の段階なのですが、ゆかりのお父さまから新曲も2、3曲付けられないかという要望と、アルバムの特典にアーニャのビジュアルファンブックを付けられないかという話も」

 

「うん、いいね。どっちもやろうよ。わたしもアーニャやみんなの絵ならいくらでも描けるし、新曲もその場のノリでいくらでも思いつくから、収録は日曜ならいつでもいいって伝えてくれる?」

 

「わかりました。それではその件は正式に決定したらお伝えするとして……最後にゆかり愛犬の予防接種が完了しました。ドッグランも明日には完成するそうですから、庭に出して遊べるようになりますよ」

 

「あれ、今日だったんだ、ユッカの予防接種……」

 

 いつもは帰ってきたら玄関まで迎えにくるのに寝たままだったから、変だなって思ってたんだけど……。

 

「ねぇ、大丈夫だよね?」

 

「大丈夫ですよ。犬の狂犬病予防で副反応が深刻化するのは極めて稀です。いまは体調が思わしくないようですが、すぐ元気になります。それでも心配ですか?」

 

「うん……」

 

 サーニャには悪いが、10年後の感染症騒動を()っているわたしは楽観できなかった。

 

 ありふれた風邪薬にも副作用があり、良い効果の大きいものが薬に、悪い効果の大きいものが毒に分類されているに過ぎない。ならばワクチンという苦い薬を飲んだユッカは、いま確実に苦しんでいる。

 

「ごめん。わたしちょっと様子を見てくるね」

 

「はい、どうぞごゆっくり。辛いときは側に居てくれるだけで安らぐものですから、優しく抱きしめてあげてください」

 

「ありがとう、そうするね」

 

 わたしはサーニャにお礼を言うと夢中で駆け出した。かなり大きな音を立てたらしく、途中でお母さんが顔を出したがそちらまで気にする余裕はなかった。

 

 そしてソファーの定位置に変わらずユッカが寝そべっているのを発見したが、やはり弱っているのか顔を上げる様子はない。

 

「気づくのが遅れちゃってごめんね。でも、もう大丈夫だから」

 

 そっと手を触れるとユッカの温もりが伝わってきた。よほど深く眠っているのか起きる気配はないけど、この仔は生きてる。生きてるんだ。

 

 愛犬を起こさないように抱き上げると、わたしの目頭が熱くなった。

 

 なんか変だ。泣く理由なんてないはずなのに涙が止まらない。愛犬が予防接種を受けただけでこんなになるなんて、わたしってば情緒不安定なのかな?

 

 頬を伝った(なみだ)が銀色の毛皮に落ちる。するとそのときちょっと不思議なことが起こった。体を揺すっても起きなさそうなユッカが目を開き、不思議そうにわたしを見上げると、ゆっくりと尻尾を振って首を伸ばし、泪を舐め取ったのだ。

 

「ごめんね、起こしちゃった?」

 

「クゥーン」

 

 わたしが笑顔を作ると安心したのか、切ない鳴き声を上げたユッカはわたしの腕の中で再び眠りに就いた。

 

「よし決めた。今日はもうずっと一緒だよ」

 

 ユッカを抱いたままティッシュを拝借して、目元を拭ったわたしはもう一度だけ愛犬の背中を撫でた。何事かと心配させて起こさないようにどこまでも優しく。思い出すのは何年か前に風邪で寝込んだあの日のことだ。

 

 ただの風邪なのに不安でたまらないほど弱っていたわたしの傍には、無言でゲームをする弟と妹の姿があった。

 

 これは不安なときに家族が傍に居てくれて安心したと、ようはそれだけの話だ。

 

 でもわたしは嬉しかったと記憶してる。だから今度はわたしの番だとユッカを抱いて自分の部屋に戻ろうとしたら、ちょうど弟が顔を出した。

 

「あれ、姉ちゃんこっちだったんだ」

 

「うん、その口ぶりだと何かお願いかな?」

 

「いや、お願いってほどじゃねぇけど、スバル姉ちゃんが姉ちゃんと3Gをやるって言ってるからさ、おれたちもいいかなって思ってよ」

 

「いいけど雑談しながら鉱石マラソンをするだけだから退屈じゃないかな?」

 

「いいよ。おれも掘りたかったから、みつるのヤツも連れてくよ」

 

「うん、部屋の鍵は開けとくね」

 

 何がそんなに嬉しいのだろうか、弟が元気いっぱいに階段を駆け上がって、お母さんが驚いたようにまた顔を出した。

 

 わたしは笑いを堪えると、わたしの分まで謝ってから自分の部屋に戻るのだった。

 

 

 

 

 

 そうしてわたしの部屋に鴨川さんと弟の順平、妹の美鶴が自前の3DNSを持参して、突発的な3G大会の開催と相成った。

 

 種目は3Gのエンドコンテンツである鉱石マラソンだが、これが手強い。

 

「ごめん、サーニャの欲しがってたガード性能が出ちゃった」

 

「すみません、私も鴨川さまが欲しがっておられたハンマー向きの良おまが出ましたが……」

 

「スバルもかなり攻撃の上がるお守りが出たんですけど、これってどうなんでしょうね?」

 

「普通にいいじゃん。おれなんて銃槍向けの神おまだぜ? こういうのはサーニャのほうで出してやれってんだよ」

 

「みつるも自分で使わないのばっかり……社畜ネキさんに憧れて笛を始めたから、そっちのお守りがほしいのに」

 

 別に神おまを狙っているわけではなく、あと少しで理想のスキルが完成するから足りないスキルを補完するお守りが欲しいだけなのに、出てくるのは他の人が欲しがってるお守りだけ。

 

「これってやっぱり物欲センサーが反応しちゃってるのかな? ちょっと空気を入れ替えて別の話をしながらプレイしよっか?」

 

 わたしが提案すると確率論の信者であるサーニャですら反対しなかった。

 

 物欲センサーなど確率論の前では乱数の偏りに過ぎないはずだが、ここまでガード性能+2程度のお守りさえ掘れない日々が続くと、迷信に縋りつきたい気分になるんだろうな。パンっと手を合わせて開封の儀を行ったサーニャが崩れ落ちる。なんまいだぶである。

 

「そういや姉ちゃん、3DNSで3Gをやってるけど、アーニャの配信で使ってるのはパソコンのほうだろ? こっちで出しても意味ないんじゃねぇか?」

 

「それは大丈夫だよ。PC版には3DNS版の製品番号を入力すればデータを共有できる機能があるから」

 

「マジかよ。だったらサーニャにPC版のセーブデータを弄ってもらって、神おまをコンプリートしたほうが時間の節約になるんじゃねぇか?」

 

「私は不正には手を染めませんよ。私はPC版3Gを作成するにあたって、チート対策に完全なプロテクトを施しました。その私がセーブデータを改竄するなどあってはならないことです」

 

「サーニャちゃんカッコいい。神おまがほしいからってサーニャちゃんにズルをさせちゃダメだよ、お兄ちゃん」

 

「おれはしねぇよ! おれより姉ちゃんの話をしてんだよ。姉ちゃんはおれたちと違って忙しいんだからよ、少しくらいいいじゃねぇかって思っただけだよ」

 

 寝そべってプレイしてた弟が身体を起こして抗議し、場が穏やかな笑い声に包まれる。

 

 一応ちゃぶ台と座布団を用意したんだけど誰も使っておらず、妹に至ってはベッドの上で正座する鴨川さんの太ももを枕にしていた。

 

「あー、もう物欲センサーが反応しちゃうから3Gの話はおしまいにしようよ」

 

「それじゃあ失礼してスバルの話をしますか」

 

 わたしがユッカの背中を撫でたのに反応したわけではないだろうが、自由すぎる妹の頭を撫でた鴨川さんが照れくさそうな笑顔で提案する。

 

「スバルちゃんの話? みつる聞きたい!」

 

 しかも10歳は年上の鴨川さんをスバルちゃん呼ばわりである。いやまあ、わたしも配信中はそう呼んでるけど、年上のお姉さんを相手にすっかり馴染んじゃってるね。本当なら失礼だよって叱りつける場面だけど、当の本人が歓迎してる場合はどうしたらいいんだろうね?

 

「そういやスバル姉ちゃんは火事でこの家に居るんだっけ? 家族のほうは大丈夫なのかよ?」

 

「ええ、まあ、おかげさまでスバルは皆さんに親切にしていただいていますし、親戚の家でお世話になっている家族も実家のように寛いでいると連絡が」

 

「へー、良かったじゃん。スバル姉ちゃんって自分だけのんびりしてたらストレス感じそうだもんな。うちの姉ちゃんみたいにさ」

 

 うっ、悔しいけど反論できない。昔からよく言われるんだよね。もっと楽にしろって。

 

 鴨川さんも思い当たる節があるのか、黙って苦笑してるし……順平ってばいい子だけど、もう少し遠慮ってものを覚えてくれるとお姉ちゃん嬉しいかなー、なんて。

 

「でも明日からホロライブの寮なんだろ? 社畜ネキの話じゃ新築のマンションを丸ごと一室もらえるってことだし、家族を呼んで一緒にのんびりできるじゃんか」

 

 って、こっそりため息を吐いていたらとんでもない固有名詞が出てきた。これはアレか? ソースは社畜ネキさんが出没するという匿名掲示板の話か? 小学生がそんなところに出入りしちゃダメでしょ……!!

 

「あー、それなんですが……」

 

 これにはさすがに堪りかねて弟を叱ろうとしたが、それに無言で待ったをかけたのが鴨川さんのこの表情だった。

 

 こういうのを屈託した表情というのだろうか?

 

 どこまでも真っ直ぐで、思ったことはすぐ口に出る鴨川さんが、まるで終わったことを後悔するかのようにくよくよしてるものだから、わたしは弟のことなんかどうでもよくなって心配になったが、それにしては出てきたの朗報だった。

 

「実は色々と問題があって寮に家族を呼び寄せるのは難しくなったんですが、その代わりにですね、磐田社長の知り合いの方がとても親切な………すみません、親切な方でしてね、鴨川家の新居を手配してくれたんですよ」

 

 おーっ、と思わず場が沸き立つ。かくいうわたしも声を上げた一人だったが、それにしては鴨川さんの表情が優れないのはなんでだ?

 

「おいおい、スバル姉ちゃん。家が見つかったのにそんな顔をしてるんじゃ、どんなボロ屋だよって心配になるじゃねぇか」

 

「あ、スミマセン。実はまったく逆でして……あんなすごいお家に引っ越していいのでしょうかと小市民根性がフル稼働したんですよ」

 

 なんだそんな理由か。

 

「うんうん、そういう理由ならよく分かるよ。気兼ねしちゃうよね? あんまり大きい家をもらってもさ」

 

「……そうですね。不幸中の幸いというか、スバルにも買い取れそうな金額でしたから、少しずつでも返済していこうと思うのですが」

 

「うんうん、困ったらいつでも相談してね。いま使い道のないお金がいっぱいあって困ってるから、鴨川さんなら金利なしの返済厳禁でいくらでも貸してあげるから」

 

 わたしが冗談めかして実はかなり本気でそう言うと、鴨川さんがまた不思議な表情になった。

 

 まるでそう来ることは解っていたと言わんばかりの諦観と、そうならなくて良かったと言わんばかりの安堵がない混ぜになった表情である。さっきから百面相ばかりだけど本当にどうしたんだろうか?

 

「あれ、姉ちゃんアーニャのチャンネルが収益化したんだ? 幾らだったよ?」

 

「んー、20億7000万だっけ?」

 

「すごぉーい! お姉ちゃん大金持ち!」

 

「ま、そんぐらい行くよな。良かったじゃねぇか。全額寄付するとか無駄遣いすんなよ」

 

 わたしが大金を持ってるのにおねだりしようともせず、二人とも笑顔で祝福してくれる。話題が話題なので内心複雑だけど、やっぱり二人ともとってもいい子だ。

 

 わたしも自分の稼ぎができてプレゼントされる側からする側になったし、クリスマスは二人の欲しい物をリサーチして奮発してあげようかな。

 

「とりあえずアーニャの収益はさておき、おめでとう鴨川さん。新居はここから遠いの?」

 

「いえ、新居は小金平(こがねだいら)だから、わりとすぐ近くですね。その気になれば歩いて遊びにこれますよ」

 

「ゲッ、小金平って駅の向こうだから、歩いたら1時間くらいかかんぞ? それをその気になったらって、どんな脚力をしてんだよスバル姉ちゃんはよ」

 

「まー、スバルは部活で鍛えていましたから」

 

「スバルちゃんって運動部をやってたんだ? うん、いかにも体育会系ってキャラをしてるよね」

 

「おまっ、それを言ったら戦争だろうが」

 

 ようやく調子が戻ったのか、裏表のない弟たちに釣られて鴨川さんの表情に笑顔が戻った。

 

 ちなみにサーニャは無言であっちに行ったりこっちに行ったり、不思議な踊りを繰り返したりしている。

 

 リアル乱数調整かな? かなり行き詰まっているみたいだし、ここはあの子の好きにさせておこう。

 

「まっ、そんなわけでですね。予定では明日にでも寮に移る手筈だったんですが、予定が変わって家族の引っ越しが完了するのを待つことになりまして、図々しいお願いですが、たぶん日曜くらいまで皆さんのお世話になろうかと思いまして」

 

「やった、スバルちゃん大好き!!」

 

 朗らかに笑った鴨川さんにすっかり仲良くなった妹が即答する。

 

 そしてそんな二人をめんどくさそうに見やった弟だったが、口に出しては反対しなかった。

 

「おれはうちの姉ちゃんみたいに、おれを無理やり風呂に連れ込む児童虐待の常習犯にならなきゃ、ずっと居てくれても構わねぇよ」

 

 むしろどこか捻くれた表現で鴨川さんの滞在を歓迎したが、とんでもない風評被害が混ざっていたのは問題だった。

 

「ちょっと、あまり人聞きの悪いことを言わないでよ! わたしがお風呂に連れ込んでるのは事実だけど、あれは順平が毎日キチンと入らないのが悪いんでしょ!?」

 

 いいことを言ってるように見えてとんでもないことを口にする弟に、わたしは毅然と抗議した。

 

「へっ。女ならともかく、男は2日に1回くらい入りゃあ十分なんだよ、ドブス」

 

「そんなこと言って、お兄ちゃんったらゲームをする時間が減るのがイヤなだけでしょ? みつるお兄ちゃんが言ってるのをしっかり聞いてるんだからね」

 

「おまっ……この流れで兄貴を裏切るなよ! チクるとか人として最低すぎんぞ!?」

 

「ブーッ、みつるチクったんじゃないもん。お兄ちゃんがウソを言ってるからお姉ちゃんに本当のことを教えただけだもん。お兄ちゃんホントはねー、お姉ちゃんがすごく美人になっちゃったから、裸を見るのが恥ずかしいんだって」

 

 ほほぅ、それはいい話を聞かせてもらっちゃったな……ふぅん、まさかそんなふうに思ってたなんてね。

 

 男の子の純情をからかうとあとが怖いから何も言わないけど、順平ってば真っ赤になって視線も合わせてくれないでやんの。うふふ、そっかそっか。

 

「あー、男の子は家族でもそういうところがありますよね。スバルの弟たちにもそんな時期がありましたよ」

 

 すると、そんな弟を懐かしそうに眺めていだ鴨川さんの口から身内のネタが飛び出した。まさに初耳。鴨川さんの家族構成が判明した瞬間である。

 

「あれ、鴨川さんにも弟さんがいるんだ」

 

「ええ、野球部に所属する長男と、サッカー部に所属する次男の二人ですね。二人とも横着で、毎日運動して汗かいてるのに申し訳程度のシャワーを浴びただけで出てくるものだから、スバルがきっちり監督してやりましたよ。風呂場で手を抜いたらですね、こう容赦なくケツを蹴飛ばしてやりまして」

 

 ベッドの上で正座をして、膝の上に妹を乗せたまま器用に実演して見せる鴨川さんが一同の笑いを誘う。

 

「まあ、二人とも中学生に上がる前に反省したのかそんなこともなくなりまして、スバルは混浴の卒業を許可したわけですが、途中から……たぶん順平くんと同じくらいの年頃に、スバルの裸を見るのを恥ずかしがるようになりましたから、ゆかりさんたちの気持ちはどっちも分かるという話をさせていただきました」

 

 なるほど……わたしはどこの家庭にも似たような話は転がってるんだって感心したんだけど、弟は疑わしそうな眼を鴨川さんに向けるのだった。

 

 まるで敵か味方か見極めるように、弟が鴨川さんに問いかける。

 

「ちなみにスバル姉ちゃんと弟の歳はどれくらい離れてるんだよ?」

 

「昴が18で上の弟が13だから5歳差で、下の子は12だからもう一つ離れていますか」

 

「やっぱり敵じゃねぇか! 今とあんまり変わらないような見た目で弟を風呂場に監禁してんじゃねぇよ!」

 

 うーん、弟の口ぶりを注意しようと思ったけど、これは共感したわたしの負けかな?

 

 わたしのように初潮も来ておらず、中途半端な体型ならともかく、鴨川さんは美人なうえにスタイル抜群だからねぇ……正直なところ同性のわたしでも恥ずかしいものがあるし、男の子だと余計に大変だって理解できるところはあるかな?

 

「ま、スバルの弟はそんなふうでしてね。ゆかりさんは美人なうえに肢体(からだ)もとっても綺麗ですから、順平くんがゆかりさんと一緒に入るのに抵抗があるのは分かるつもりです」

 

 鴨川さんがそう言うと、弟が再び疑心暗鬼の表情になる。わたしも鴨川さんの真意を見極めようと、つい話に引き込まれる。

 

「ですが順平くんがお風呂に入らないと心配になるゆかりさんの気持ちも分かるつもりです。そこで間を取ってですね、順平くんにはスバルにとっても親切にしてくれたご恩もありますし、今日からゆかりさんの代わりにスバルと一緒に入るというのはどうでしょうか? スバルなら弟たちのケツを蹴飛ばした仕返しに胸を揉まれたりして慣れてますから、安心してご一緒してください」

 

「それのどこに安心できる要素があるんだよ! っていうか、風呂に入ってやるのが恩返しになるとか、発想が家出娘を泊めてやる代わりにカラダを要求するエロオヤジみたいじゃねぇかよ!!」

 

「ええ、スバルは友人たちによくスバおじと呼ばれていますから、発想がおじさんかもしれませんが、記念に一発やっておきますか?」

 

「ダメーッ! スバルちゃんはみつると一緒に入るの! いつもお姉ちゃんとサーニャちゃんとばかり一緒に入ってみつる寂しかったんだから、今日は一緒に入るの!!」

 

「おっ、それなら今日はみんな一緒に入りますか? それならどちらの要望も叶えられると思いますが?」

 

「おれはイヤだって言ってんだろ! おれは美鶴と入る。スバル姉ちゃんは今まで通りうちの姉ちゃんたちと一緒に入れ! ハイ決定!!」

 

「やだ、みつるはスバルちゃんたちと入る。女の子同士、仲良く洗いっこするんだもん」

 

「そういうことなら私は遠慮しますよ。この家のバスルームはかなり広めですが、さすがに4人以上は苦しいと思いますので、配信終了後にゆかりと一緒に入りますから」

 

 なんという混沌……聞けば聞くほど誰が誰と入りたいのか判らなくなる。最後にしれっと会話に混ざったサーニャのおかげでわたしの頭はパンクしそうになった。

 

 こんなときお母さんだったらどう言うだろう? たぶん困ったふりをしながら「鴨川さんが順平たちと一緒に入るの? うーん、微妙だけど美鶴も居るし、鴨川さんがいいなら構わないんじゃないかしら?」って……ダメだ、頼りにならない。

 

 代わりにお父さんでシミュレートしてみたが、こっちはお母さんの顔色を窺うばかりでもっと頼りにならなかった。お母さんが頼りにならないときくらい存在感を発揮してほしかったんだけど、仕方ない。

 

「それじゃあ今日は5時から鴨川さんたちで、わたしとサーニャは後で入れるときに入ろうか」

 

 知恵熱が出そうな頭で苦労して纏めると、場に妹の歓声が響き渡った。喜色満面の妹に、満足そうな鴨川さん。そしてあまり関心がなさそうなサーニャに、まるでわたしと一緒に入る時のような顔をする弟──そんなみんなの反応を見るに、今回の折衷案(テスト)は80点くらい取れるんじゃないかと思うわたしだった。

 

 

 

 

 

 結局みんなの結果を仲裁した結果は60点くらいだった。

 

 妹がいつも仲間はずれにされて寂しかったから、今日のお風呂は鴨川さんたちと入るって許可を求めると、お母さんは「そうねぇ、みんなで一緒に入ると狭いけど、そんな理由で仲間外れにされたら可哀想よね。いいわ、今日はみんなと一緒に入りなさい」と裁判をやり直したのである。

 

 念願の鴨川さんとの裸の付き合いはおろか、女子会に混ざれて万々歳の美鶴に、賑やかなのはいいことだと満面の笑みを浮かべる鴨川さんはかなり乗り気だったが、ピクリとも動じないサーニャと、この世の終わりのような顔をする順平はさておき、わたしはどうだったのかと言うと、若干の不満が残る裁定だった。

 

 というのも、今日はずっと一緒に居てあげると約束したユッカと引き離されたからだ。

 

 ワクチンを接種したばかりということもあって、体調の優れないユッカをお風呂に入れるのは躊躇われるというのがその理由だ。

 

 お母さんが懇意にしてるトレーナーの狛村さんに電話で確認してみたが、返事は「それは避けたほうがいいでな。というか、犬はそんなに毎日入れんでもいいよ」と言われてしまって万事休す。

 

 ユッカもお風呂が大好きだし一緒に入れてあげたんだけど、お母さんと狛村さんの両方に止められては如何ともし難い。ユッカや、不甲斐ない母を許しておくれ……。

 

 というわけでお風呂には5人で入ったんだけど、洗い場と湯舟を交代で使えば割といけるなというのが感想だった。

 

 まあ今回初参加の二人はまだどっちも小さいからね。いつもより多少は窮屈だけど十分に許容範囲だと思うんだ。

 

 とりあえずサーニャと一緒にお湯に浸かって寛いでいると、鴨川さんに背中を流された弟が泣きそうな顔で逃げ込んできた。

 

 さすがに悪いことをしたかなと反省し、立ち上がって場を譲ると、弟は仕返しのつもりかわたしを睨んで小声で呪詛を漏らしてきた。

 

「恨んでやる……恨んでやるからな、姉ちゃん」

 

「そんなことを言わないでよ……わたしだって鴨川さんと一緒で恥ずかしいんだからさ」

 

 わたしが鴨川さんに聞こえないように小声で手を合わせると、浴槽の中の二人は意外そうな顔をするのだった。

 

「理解できません……どこに恥ずかしがる要素が?」

 

 本当に理解できないのか、不思議そうに首をひねるサーニャに説明する。

 

「だって鴨川さんのスタイルって完璧じゃない。わたしだって綺麗だと思うし、それと比べたらさ……」

 

 ほら、と自分の胸を両手で隠すと、サーニャは「年相応という言葉を知っていますか」と呆れ、弟も「なに言ってんだこのブス」と毒づいたけど、恥ずかしいものは恥ずかしいんだもん。

 

 っていうか、いつもはわたしの裸なんて視界に入れようともしないのに、今日はずいぶん普通に見てくるな。

 

 なんかわたしの裸を見るのは恥ずかしいって話が出たような記憶もあるけど、気のせいだったかと湯舟を跨ぐと、弟が急に眼を逸らしてお風呂の壁に頭をぶつけた。本当になにやってんだか……。

 

 まぁそれはそれとして、洗い場では鴨川さんと妹が仲良く洗いっこをしていたのでそちらに参加し、鴨川さんに頭を洗われながら妹の背中を流してやると、弟が不貞腐れたような声で話を変えてきた。

 

「そういやさっきは言い忘れたけど、今夜の3Gはアメリカとロシアの大統領が絶対あいつより先にアーニャと狩友になるって息を巻いてるっていうけど、姉ちゃんはなんか聞いてる?」

 

「えっ? そんな話聞いたこともないけど……?」

 

 わたしが驚くと、視界不良の後ろから鴨川さんの声が聞こえてきた。

 

「あー、ありましたねぇ……たしかゆかりさんのアーニャにより褒められたほうが勝者となり、両国間の問題は勝者の寛容によって解決するだろうって書き込みが有ったとか無かったとか」

 

 鴨川さんまで知ってるとなると、情報源は社畜ネキさんも利用しているという例の掲示板か。

 

「うーん、二人ともアーニャのWisperをフォローしてくれてるけど考えすぎじゃない? そんな国家間の問題をゲームで解決するなんて、どっかの漫画じゃないんだからさ」

 

「ですよねー。あのスレもときどきホントかよって書き込みがありますからね。今回も無責任な憶測が一人歩きしてるのではないでしょうか」

 

 朗らかに否定する鴨川さんにうなずくと、視界の隅に映ったサーニャの様子がおかしいことに気がついた。

 

 わたしと違って発汗機能の制御が完璧だという割には、妙に浮かんでいる汗の量が多い。もしかして長湯がたたったのかな?

 

「はい、おしまい。湯舟に行ってサーニャと代わってくれる?」

 

「うん、わかった。スバルちゃんもお姉ちゃんの頭を洗ったらこっちに来てね。もっといろいろお話ししたいの」

 

「わかりました。のんびりお話ししましょう」

 

 聞き分けのいい妹が鴨川さんに催促してから湯船に向かうと、入れ替わるようにサーニャがこっちに向かってきた。途中で弟がまた頭をぶつけたようだけど大丈夫かな? シャンプーが目に入るからあまり開けられないんだよね……。

 

「終わりましたよ。シャンプーを流しますから、目を瞑っていてくださいねゆかりさん」

 

「うん、お願いします」

 

 言われた通りに目を瞑ってシャワーが終了すると、目の前にはいつも通りのサーニャを発見した。全裸だけど、顔色はいつも通り……特に異常はなさそうなのでホッと一安心。

 

「なんかサーニャの顔色が悪いような気がしたけど、わたしの勘違いだったみたいだね」

 

「ええ、まあ……体調に異常があるという自覚はありませんが」

 

 声の調子もいつも通り……感情の起伏をあまり見せないけど、とっても優しくて素直な声。わたしの大好きなサーニャの声だった。

 

「それじゃあゆかりさんの背中も流したので、スバルは湯舟に引っ込みますね。ゆかりさんたちもごゆっくりどうぞ」

 

「うん。鴨川さん、ありがとう」

 

 そうしてお礼を言った鴨川さんが立ち上がって振り向くと、またしても弟が頭をぶつける音が聞こえてきた。本当になにをやってるんだろうね?

 

「ところでサーニャはさっきの話をどう思う? お二人とも復帰ライブの直後からWisperをフォローしてくれて、アーニャのファンになってくれたのは知ってるけど、今夜の3Gに混ざりたがってるって本当かな?」

 

「さあ、私は何も聞いてませんが……仮に本当だったらゆかりはどうします? 両国の首脳となると、どの国も国賓として対応するのが普通ですが?」

 

「わたし? わたしはどうもしないよ?」

 

 どこか心配そうなサーニャに胸を張って答える。

 

「あの人たちも他の人たちも、わたしにとっては大事な視聴者。誰だって差別せずいつも通り全力で配信する(たのしむ)だけだよ」

 

 これはVTuberとして譲れないところだ。VTuberが特定の視聴者に気を遣ったら他のみんなが白ける。

 

「なんだろう? こういうとき社畜ネキさんなら『視聴者は視聴者だ。それ以上でもそれ以下でもない』っていうのかな? 本当におちゃらけているように見えて、考えさせられることを言うよね、あの人もさ」

 

「それは拡大解釈が過ぎるというものでは? 少なくとも本人にそんな意図があるとは思えませんが……」

 

 わたしが冗談めかしてそう言うと、サーニャの鉄面皮がわずかに崩れ、苦笑らしきものが口元に浮かんだ。

 

 わたしはサーニャがウソを言ってることに気づいている。この子がわたしに隠し事をするときは、悟られまいといつもの優しい微笑みを消して無表情になるからすぐ分かるのだ。少なくともサーニャは、この件に関してわたしに知らせるべきではない情報を何か掴んでいる。

 

 それでも問い詰めるという発想にならないのはこの子を信じているからだ。この子がわたしの不利益になることをするはずがない。仮にそう見えても、きっと深い理由があるって。

 

 うん? 個人的な趣味全開の体操服でBANされた話? ま、まぁ、この子もあのときは若かったから、きっと周りが見えていなかっただけじゃないかな……?

 

「ま、仮にそうなったら頼りにしてるよ。きちんとわたしをフォローしてね、相棒」

 

「……はい、そのときはどうかお任せを」

 

 なんて話をしながら笑い合い、サーニャの赤みがかった金髪(ストロベリーブロンド)を洗ってあげようとしたら、鴨川さんの顔面に水鉄砲をぶっかけた弟が「お前やめろよ、そういうことをいきなりするのはさぁ」って頭に拳骨を落とされる光景を目撃した。

 

「そっちこそ急に立ち上がんなよ! 姉ちゃんだって胸くらい隠すっていうのに、そんな格好で堂々としてな!」

 

「ナメんなクソガキ。9歳年下の子供に見られてもスバルはなんとも思わねぇよ。悔しかったらスバルの弟たちのように、胸くらい揉んでくる気概を見せてみろ」

 

「わぁ……スバルちゃん配信モードだ。やっぱりみつる、配信中のスバルちゃんのほうが好きだなぁ……」

 

 まったく……本当になにをやってるんだろうね。

 

 すっかり打ち解けた鴨川さんが遠慮なく弟をやり込める。そんな日常の一コマに、わたしは笑うしかなかったのである。

 

 

 

 

 

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