転生したら美少女VTuberになるんだ、という夢を見たんだけど? 作:蘇芳ありさ
2011年12月15日(木)
やっぱり楽しい時間はあっという間だ。割り当ての30分を消化して、退場する未来のVTuberたちを笑顔で見送るわたしの内心はちょっと切ない。
「それじゃアーニャちゃん、色々とありがとう。まったねぇー」
「あ、アーニャさん、吾輩もありがとう! 吾輩まだ11だけど頑張りまっしゅ!!」
「わたしもありがとう。アーニャちゃん、とっても楽しかったよ」
「こっちこそありがとうだよ。みんながVTuberとしてデビューしたら、そのときはあらためて紹介させてね」
明るく元気な
みんなとっても優しくて素敵な人たちだったな。出会ったばかりなのにお別れになっちゃうのは少し寂しいけど、こうした人たちとコラボで知り合えるのもVTuberの醍醐味だね。
わたしが思うに、VTuberが担うのは笑顔の起点である。わたしたちはそれぞれ、自分たちが楽しいと思ったことに全力で取り組み、わたしたちの配信を見てくれた視聴者を笑顔にすることができれば、これに勝る喜びはない。
ひとつの笑顔が多くの笑顔を生み出す好循環……もうね、VTuberの普及と発展を目指してきたわたしとしては達成感が半端ないよ。
この幸福を別枠で配信中の二人も感じ取ってくれたら嬉しいなと思ったら、ちょうど
街中で親切な人を見かけたら、それだけで幸せそうになるマナカはさておき、鴨川さんちのスバルちゃんきたらぎこちない笑顔で、だいぶぐったりしてる。
「二人ともお疲れさま! 慣れないことをしたから、ちょっと疲れちゃった感じかな?」
「ううん、全然! ねぇ聞いて、アーニャ? あのね、わたしの配信に参加してくださった方々はね、どなたも女性で、結構なご年配だっておっしゃるのに、すごくゲームがお上手なの! もう楽しくって──!!」
わたしとしては、リングの隅で真っ白に燃え尽きそうな娘さんを
でもごめんね……純粋無垢な
磐田社長からサーニャに「すみません! あとでマナカさんが真実を知って傷つかないようにフォローをお願いします!」っていうDMが届いたっていうし……本当にこの子って日本で放し飼いにして大丈夫なのかなって、しみじみと
「うん、こっちに来てくれた人たちもみんな素敵な人で楽しかったよ……スバルちゃんはどうだった?」
まあそんなわけで、多少気の毒ではあったけれども企画物の司会としてブレーキを掛けると、幸いにもマナカは自分だけしゃべり散らしている現状に気づいてくれたらしく、ほんのりと朱に染まって平身低頭するのだった。
「えっ? やだ、わたしったら楽しくって、つい……わたしだけ喋っちゃってごめんなさいね、スバルさん?」
「あっ……いえ、こちらこそボーッとしてしまって」
そうしてようやく会話の流れに気付いた様子のスバルちゃんだったが、見たところ元気がないというより脳の処理が追いついていない感じだ。さすがにずっと注視しているわけにもいかなかったので、向こうの流れは把握しきれていないが……何か問題でもあったのだろうか?
「スバルさまに関しては、少し不用意な発言があって……疲れているのはそのことで気を揉んだからでしょう」
と、ちょうどそのタイミングでサーニャが説明してくれた。うん、ナイスフォローだけど、具体的な発言の内容が気になるな。まさかわたしのように
「はい……まさか京都の学校に通っていることと、部活で陸上をやっていたことと、結構いいところまで勝ち進んで、地元のテレビにも映ったっていう、何気なく口にした三つの情報が結びついて、スバルの正体が特定されそうになるとは思いもしませんでしたよ」
ああ……それは迂闊だったね。
「ふむ、その辺りはネット初心者のスバルさまらしい失敗ですね。ネットの特定班は優秀ですから、本名や住所、電話番号といった個人情報さえ口外しなければ大丈夫と慢心してはいけませんよ。スバルさまがアーニャのように、ご自身の身元を公開したうえで活動を続ける気なら話は別ですが」
「はい……」
「ただ今回の場合はそこまで深刻にならずともよろしいでしょう。この件を追求した畜神ミオさまからも、手持ちの情報からスバルさま個人を絞り込むのは難しいことは証明したので、これ以上余計なことを言わなければ大丈夫でしょうとDMを頂いています」
「あっ……ミオしゃの『さすがにそれだけじゃ絞りきれないから、もう少し何かないかな?』はそういう意味があったんですね……言うわけねぇだろ馬鹿野郎って、悪いことを言ってしまいましたね」
「うん、普通にいい人だね。お客さんじゃなかったら『おい、あまり余計なことを言うな』って怒ってくれたんじゃないかな」
とりあえず最悪の事態は回避したみたいなのでそう締めくくると、マナカが「本当に
これにて一件落着と、そろそろ次のお客さんを決めようと思ったんだけど、スバルちゃんはまだ何か言いたいことがあるのか、サーニャの顔をジッと見つめていたのでもう少し待つことにした。
「ところでサーニャさん……スバルのチャンネルはいつの間にか収益化していまして」
「おや、それはおめでとうございます。チャンネル登録者数とアーカイブの総再生時間といった条件はとっくに満たしていますし、私がYTubeの運営元に提供したAIによって審査も迅速化しましたが、それを考慮しても記録的な短時間での収益化ですね。お祝い申し上げます」
「それはどうも……ところであの¥10000とか書かれた赤い紙は何ですか? かるく数百枚は届いたんですが?」
「そちらはスーパーチャットと呼ばれる特別なコメントで、高額なほど入力できる文字の数が増え、長時間コメント欄に残り続けるという、まあ、所謂一つの
「いやっ、たしかに有難いけどさぁ……知ってたんなら事前に教えてくれてもいいじゃん! こっちは何も知らないのにこれでパンツでも買いなよとか、ジャージ以外の服も買いなよってコメントで埋め尽くされたら、もう殺してくれって気持ちにもなるじゃねぇか……!!」
「知りませんよ。私はスバルさまの『スバル⭐︎ちゃんねる』にそこまで関わっていませんからね。そもそも陸上の話を打ち切るために引越しの話を持ち出し、学生服と運動服しか手持ちにないから楽なものだと余計なことを口にされたのはスバルさまですから、ハッキリと自業自得では?」
なるほど、とりあえずサーニャの知りませんよって態度は嘘だね。あのいかにも腹黒い笑みを見れば、いつもの漆黒のオーラを控えていても解るよ。
目的はたぶん、グループ配信機能に続いて投げ銭機能の試験運用のついでに、スバルちゃんの正しい遊び方を視聴者にあらためて周知したかったんだろうな。
ス虐の生け贄にされた本人にしてみれば
コメント欄もすっかりス虐オンリーで、わたしの脳内まで「ス虐の子のこ虎視眈々」のフレーズが浮かんできたよ。
[ほらぁ、ス虐の子が困ってるじゃん(´・ω・`)]
[本当に誰だよ? ス虐の子の投げ銭がオンになってるのを発見したのは(´・ω・`)]
[俺としては、スバルちゃんに有効活用してもらえたら嬉しい(´・ω・`)]
[Don't lose, Nacchan(´・ω・`)]
[ス虐の子は犠牲になったのだ……収益化と投げ銭機能をスルーするアーニャたん、その犠牲にな(´・ω・`)〉マリン船長]
[ところでアーニャたん投げ銭機能をオンにしないの?(´・ω・`)]
[そうだよ! アーニャたんも俺らの気持ちを受け取ってよ(´・ω・`)]
[おいこらマリンしばくぞボケが!!〉白上フブキ]
[やばっ、名前出ちゃった〉マリン船長]
ほらぁ……社畜ネキさんまで余計なことを言うから、ス虐だけじゃ満足せずこっちにまで火と硫黄の雨が降り注いできたじゃん……ええい、こういうときは責任転嫁だ。
「ええと、みんなの気持ちは嬉しいけど、アーニャはまだ12歳の未成年だからね? そういうのは両親と事務所の人に相談してからじゃないと、ちょっと難しいかなーって」
うんうん。さっき興味本位で確認したら、チャンネル登録者153万人、最大接続者70万人のスバル⭐︎ちゃんねるでも投げ銭総額1000万円だからね。これがチャンネル登録者1488万人、最大接続者628万人のアーニャちゃんねるならどんな惨劇が起きるか……って何でこんなに増えてるの!?
なんかおかしくない? 昨日よりどっちも400万人くらい増えてるんだけど、いったい何があったの!?
「まあ、その話は追々するとして……次のお客さまがお待ちかねです。残りの参加枠は18で、そのうち髑髏マークが10ですか。ふふ、これは確実に次回は誰かがババを引くことになりそうですね……というわけでルーレットスタート!!」
頼むっ、と言わんばかりに両手を合わせる二人に挟まれて、わたしは自分自身の影響力を過小評価していたことを悟った。
わたしの忠実な
大国の指導者や、世界的な大企業の経営者、団体の最高幹部をインターネットを介して呼べるのが
でも……わたしはこうも言ったんだ。たとえどんな人たちであろうと、
たかが小娘が不遜だと思うだろうか? それならわたしが彼らに恥じない大人になればいいだけの話だ。誰であろうと胸を張って、臆することなく迎えよう。
「ふむ、うるるかマナカさまと大空スバルさまの配信にはお一人ずつ。そしてアーニャの配信はVIPのみで満席ですか。ご愁傷さまです」
……なんてね。
自分自身を奮い立たせたところで所詮は強がり。よりにもよって全員が雲上人という結果になると笑顔を保つので精一杯だ。
これも全部わたしの為だと解っていても、悪戯好きのメイドの采配を恨めしく思ったわたしは、巻き添えを食らって「あぁ〜」と力無く崩れる二人に心底同情するのだった。
本当にこんな地獄のような企画に付き合わせちゃってごめんね……!!
◇◆◇
そんな前振りもあって、どんなVIPを迎えることになるのかと人知れず震えていた大空スバルだったが、彼女の緊張と恐慌は問題のゲストが登場すると同時にどこかへ吹き飛んでしまった。
「やあっ、会えて嬉しいよ。私の名前はキャプテンASさ。気軽にキャップと呼んで貰えると助かるよ、スバル。堅苦しいのは苦手でね」
「こんにちは。わたしの名前はアメリア=ワトソンよ。キャップと同じアメリカ人で、貴女たちの大ファンなの」
「ご機嫌よう、スバル先輩。そんなに身構えないで。ワタクシはキアラ=クリームヒルト。ドイツ人だけど『あのスレ』の出身だから、いつものようにフランクに接して頂けると助かります」
「OH! キアラもなの? わたしもそうよ!!」
「HAHAHA! 私だってそうさお嬢さんたち! だから仲間外れにしないで貰えると助かるよ!!」
陽気で大柄なアメリカン・コミック風のヒーローと、奥ゆかしいほど古典的な探偵姿のアメリカ人女性に、鶏だか孔雀だかよく分からない鳥をモチーフにした衣装に身を包んだドイツ人女性。なんと彼らは、全員が『あのスレ』の出身だというのだ。
大空スバルの中の人である鴨川昴は『あのスレ』とやらの重篤な利用者ではなかったが、同じ穴の
全員が吃驚するほど日本語に精通しているのも有り難い。これが自動翻訳の字幕を目で追いながらの会話となったらスムーズには行かなかっただろう。気さくで友好的な客人を前に、いつまでも渋面を保てるほど彼女の感性と礼節は死んでいない。大空スバルは自然といつもの笑顔を取り戻し、果敢に斬り込むのだった。
「あー、こう言うと語弊があるかもしれませんが、あのスレの利用者だと知ったらなんて言うか実家のような安心感がありますね。多少の無礼は許容範囲、みたいな」
「そうそう。私たちはみんな仲間みたいなものさ。アーニャたんのファンクラブのね」
「イエス。国籍も人種も、性別すらあのスレでは無意味だわ。まさに人類皆【検閲削除】兄弟【検閲削除】姉妹よ。共通の趣味の前にキャップの正体など些細な問題だわ」
「ところでスバル先輩は火事のほうは大丈夫でしたか? 先ほどはお困りのようでしたから、ワタクシからも一枚包ませて頂きましたが……火傷でお尻がフライドチキンみたいになりませんでしたか?」
「あっ、これはご丁寧に有り難うございました。幸い人的な被害は皆無で、スバルもピンピンしておりまして……着替えもですね、スバルは普段からジャージばかりなので、実はあまり困っていなくて……」
「ウーン、あまり迂闊なことは言えんが、私はいいと思うよ。私もジャージは好きだからね。あの絶妙な着心地は愛好者がいて当然じゃないか。それと見たところ君は先ほどのおひねりを心苦しく思っているようだが、なに、みんな手持ちの余裕の中から正当な報酬を支払っただけだよ。君がVTuberとして私たちを楽しませてくれたお礼をね」
知る人が見れば如何にもあのスレの住人らしい紳士的な言葉に、同席する二人のレディは「ウンウン」と何度も頷いた。具体的にどういうふうに楽しんだのかを口にしない辺りも如何にもあのスレの住人らしかったが、大空スバルは気が付かなかったようだ。
「ありがとうございます。……ところでみなさん、日本語がお達者なんですね。スバルはあのスレで外国の方が翻訳に苦労しているのを見ていたからビックリしちゃいました」
「おや、君はまだ知らなかったのかな? 英語と日本語とドイツ語のトリリンガルなミス・クリームヒルトは自力で会話しているがね。私とミス・ワトソンはサーニャの開発したリアルタイム変換式の自動翻訳を使って自国語で会話してるのさ」
「ええっ、それってマジぃ!?」
「マジマジ、マジです、スバル先輩。わたしはずっと英語で会話していて、スバル先輩のお返事もすべて英語で聞こえています。便利なことこの上ありませんが、まだテスト中なのか、わたしの発言が一部【検閲削除】されてしまうのが残念ですね」
「サーニャさんによると、自動翻訳を搭載したボイスチェンジャーを使っているみたいですね。まだ試験運用中とのことですが、ワタクシのように多国語の習得に苦労した人間から見ると多少ズルいと思う反面、これほど画期的なシステムを前に何をいわんや。完成が待ち焦がれます」
「おおーっ、やっぱりサーニャさんってマジモンの天才だったんですね。いやぁ、毎回ギリギリを攻めてくる悪戯ぶりに誤解するところでしたが、それさえあればスバルのように英語が赤点スレスレでも、みなさんと会話できると……」
「イエス。これでアメリカの税制の問題さえなければ、わたしも日本に移住して、スバル先輩と一緒に【検閲削除】な配信ができるのに……」
「ん? もしかしてミス・ワトソンが言っているのは、アメリカ国籍を有する者は世界中のどこにいても合衆国に納税する義務を負うという、例のファッキンな条項かな? それなら心配無用さ。私のゴリ押しでその制度は近く廃止される予定さ。いつもは私のすることに反対してばかりの議会も、アーニャたんの魅力には勝てなかったみたいでね。珍しく賛成してくれそうで助かったよ」
「ワオッ! 本当にリアリィですか
「勿論大マジのマジだとも! 君たちもホロライブのブイチューバーになろうというのに、税制の問題でアーニャ=タンと離れ離れにされては堪らないだろう? だから先手を打たせて貰ったのさ!!」
「アーン、愛してるわ大統領! 共和党と民主党の内紛で候補者が0になった史上最悪の大統領選の棚から牡丹餅野郎と罵ってごめんなさい!!」
「素晴らしい! さすがは国際政治の素人なのに、何故か結果だけは最高の物を出すことから、実は有能なのではと国際政治学者に頭を抱えさせただけのことはあります。これで皆もココ先輩やぐら先輩のように日本に移住して、アーニャ=タンたちと楽しくやっていけますね!!」
「HAHAHA! 私は合衆国を愛するただのキャプテンASに過ぎんさ。だが君たちの気持ちはワイチューブを通してあの筋肉ダルマに届いただろうね。さあ、後顧の憂いはもはや無しだ。いま最もホットなトライジーをやっていこうじゃないか、スバル」
「アッハイ」
薄々察していた正体を隠す気もなくなったVIPに大空スバルは大いに呆れ、同時に深く納得した。
ASのイニシャルが意味するところはもはや明白。日本ではシュバちゃんの愛称で知られる元ハリウッド俳優にして、現キャリフォルニア州知事アルバート・シュヴァルツネッガーの孫であり、3年前の大統領選予備選挙で共和党の候補者が内紛で全滅したときに党幹部の祖父に推薦され、不幸にも担ぎ出された結果、本人もよく分からないうちに第44代アメリカ合衆国大統領に就任したアルジャーノン・シュヴァルツネッガー──それがこの陽気なアメリカ人男性の正体なのだろう。
そしてサーニャことアレクサンドラ・タカマキ博士の法律上の保護者であり、自分の住居を進呈するにあたって、多大な便宜を図ってくれた──大空スバルはその件で礼を言うべきかかなり迷ったが、さすがの彼女も先ほどの失態で学んだばかりであり、躊躇うのも当然だったが……。
「フフフ。その顔は私の正体に気付いたようだが、なぁーに、君もテレビを見たことがあるなら私のことは知っているだろう? あんなものさ。たまたま爺さんが有名だっただけの冴えないオッサン。それが私の正体で、君の共演者さ」
「自分で言ったら世話がないわね、この税金泥棒は。スバル先輩もこんなニートの中年男は罵ってくれて構わないわよ」
「ハァ……相変わらず自国民の評価は辛いのね。何故だか結果だけは最高のものを出してくるから、同盟国は表向き高く評価しないといけないのに……」
近年の好例としては、柔道の有段者であるロシア共和国大統領ウルツヴァーノフ=ラスプーチン大統領との謎の死闘と、歴史的な和解だろうか。夕日ではなく巻き添えを食らって困惑する三ヶ国首脳を背景に『分かり合った』二人の友情は急速な関係改善をもたらしたという……。
「なぁに、あと一年の辛抱さ。それで歴代最悪の大統領と評判のあの筋肉ダルマともおさらばだよ。まさかもう一度担ぎ上げようとする馬鹿もいないだろうし……その割には支持率がやたら高いのは何でだろうね? なんかおかしくない?」
日頃からカメラの前で「ファック! 何でオレがこんな苦労をせにゃならんのだ! オレはただの選挙ボランティアだったんだぞ!!」と唾を飛ばして、世界中のコメンテーターに酷評される姿しか知らなかったが、その実像は如何にもアメリカ人らしく陽気で、自然と共演者を気遣える好漢だったようだ。
少なくとも無自覚に権力を振りかざして威圧するような人物ではない。自然と口元が弛んだ大空スバルは「アーニャさんたちとも気が合いそうだな」と漏らし、彼女ではなく自分がこの三人の相手をすることに申し訳ないような気持ちも覚えた。
「わかりました。それじゃあみなさんの武器種とランクを確認してから、クエストを受注しましょうかね。ちなみにスバルはハンマーを使っていまして、ランクはGⅢに上がったばかりですね」
「私の武器は合衆国を愛するこの心と、アーニャたんも愛用のパワフルな大剣さ。ランクはGⅢだね」
「わたしの武器はたった一つの真実を見抜くこの眼と、使い勝手のいいライトボウガンで、ランクは皆さんと一緒です。お世話になったココ先輩の名を辱めないようにスバル先輩のグラウンドパウンドをお手伝いします」
「アメリア……? それはスバル先輩のハンマーの叩き付けをヒップドロップに喩えただけよね?」
「モチのロンです。決して【検閲削除】的な意味ではありません」
「そう言いながらしっかり検閲削除されてるじゃないの、アナタ。……まぁいいわ。ワタクシもランクは一緒で、武器は色々使いますが、うーん、今回はスバル先輩の邪魔をしないように狩猟笛を使いますか。ぺこら先輩じゃなくマリン先輩のスタイルを踏襲するのは、ちょっと釈然としませんが」
「あっ、なんか気を使わせてすみません……でもそうなるとかなりバランスがいいな。これはうわさの煉獄龍に会いにいっちゃいますかね?」
今回の配信形式については色々と言いたいこともあったが、大空スバルはVTuberとしてこの出会いに感謝し、嬉々としてクエストを受注するのだった。
◇◆◇
アーリャという少女は小さな幸福を見つける名人だった。どんなに些細な他者の幸福にも共感してそれを喜び、神に感謝の祈りを捧げるような少女。その本質はうるるかマナカというVTuberになっても変わるものではない。
だがそんな少女にも苦手なものがある。彼女の天敵、それは話の長いご老人というものだった。
「なるほど……つまりアーニャの歌はすごいってことなんですね?」
「いいえ、もはや人類が使用するあらゆる言語の比喩が追いつかないのが現状です。通常の歌唱で用いられる実用可能な声域は男性なら低音、女性なら高音の狭い範囲に限られています。しかし、我らが
国際音楽協会の理事長と名乗ったフランス人男性は豊かな白髭を揺らして熱弁するが、無学な少女は『なんかすごい』以上のことは理解できずにいる。
「なんかこの人、普段のルーナみたいなのら。ルーナも自分の生徒に何を言ってるかよくわからないってよく言われるから、反面教師にしとくけど、多分悪気はないから勘弁してあげてなのら」
「おーっ、やたてぃーじゃん、うぇあ。はじめもよくあにいってぅかわきゃらにぃいわれぅから、りしゅなぁおいちきほりにゃったやすまんにゃって」
そして残りの共演者は、二人揃ってまさかの赤ちゃん──椿森ルーナと名乗ったファンタジーのお姫様はまだ聞き取れるレベルだったが、爆轟はじめと名乗った少女に至っては、もはや滑舌がどうとかいう次元ではなかった。
片や、視聴者置いてけぼりの業界関係者。片や、聴き取りに多大な困難のある赤ちゃんコンビ。うるるかマナカことアーリャ・グラシスカは生まれて初めて『居た堪れない』という感覚を理解するのだった。
そして発声以外はまともなベイビー達も呆れる。この爺さん、いつまで自分語りをしてんだよ。今回の配信はみんなと3Gをやるんだって、ホントに理解してんのかな、と……。
「まさに我らが女神こそ世紀の歌姫……ッ!! しかし、しかしなのです……彼女はご自身の才能を理解しきれていないところがあります。それが惜しい! これを既存の楽曲に慣れ親しんだ弊害とするならば、それは普及に努めた我々の罪業以外の何物でもありません。ですから我々は女神に乞い願うのです。どうか貴女様の才能を正しく開花させる一助を務めさせてくれまいかと! 故に我々は粘り強く交渉した結果に歓喜するのです!! 嗚呼……遂に我々は女神とその使徒たちの講師役として招かれるとの確約を得ました。この喜びを、我々はどう表現していいか分かりません……」
「……よく分からないけど良かったですね! 善意は必ず伝わるものですから!!」
だがその心配は彼女たちとは無関係なところで現実のものとなった。時計の針はすでに10分を経過し、さすがにまずいぞと熱弁を奮う老人以外が焦り出したころ、それは起こった。
「──!?」
一瞬。
(気の所為……じゃなかったわよね?)
にも拘わらずこの少女が取り乱さなかったのは、それが本当に一瞬のことであり、今は何の問題もなく健在を確認できるからだ。
(まぁいいわ。たぶん大規模な時空障害か何かでノイズが混ざったんでしょう)
だが次に何か起こったときは──そう決意した少女もまさかそのときは、本当に『次』があるとは思っていなかったのだ。
◇◆◇
目の前にその人が現れたとき、わたしは驚きすぎて何もできなくなった。
正直なところ心臓が止まっていないのが不思議だ。呼吸すら正常に刻めているか判別がつかず、表情に至ってはアーニャの
……先んじて挨拶を交わした最初の二人はまだいい。
YTubeの運営元であるGlobal LLCのトーマス・ピュフォイ会長と、PC用OS市場を長らく独占するMS社のビル・グラント会長の二人だけなら「あー、これはサーニャの言うようにすごいお客さまだ」とビックリしただけで終わっただろう。
でもどうして……この人が目の前に
「初めまして。私の名前はスティーヴン・ジェイコブ。私はずっと君に会いたかった。ようやく願いが叶って天にも昇る気持ちだよ、アーニャ」
だってこの人は、もうとっくに──。
「落ち着いてください、ゆかり」
って吸えるはずのない息を呑んだら、目の前にサーニャの顔が割り込んできた。
しかも画面の向こうに動いているLive2Aじゃなくて、わたしの右隣に座っている本人が、よりにもよって本名で……。
「サーニャってば、いま配信中……?」
思わず抗議して、すぐに様子がおかしいことに気がついた。
目の前にあるはずのパソコンが遠く、周りの部屋はもっと遠い。どれだけ歩いても辿り着けないんじゃないかと感じる遠い部屋のなか、目の前のメイドと膝の上の愛犬だけが心配そうに見つめてくる。
「申し訳ありません。緊急事態と判断して通常の時間軸から離脱しました」
「えっ? それってつまりどういうこと……?」
サーニャの言わんとしていることを何一つとして理解できなかったわたしが首をひねると、その動きを真似したのかシベリアン・ハスキーの仔犬も同じくらい首をひねった。
ふふ、ユッカったら、こんなときだっていうのにおっかしい……。
「ゆかりでも分かるように一切の専門用語を排して説明すると……
「ううん! 正直さ、心臓が止まっちゃうんじゃないかっていうぐらいビックリしたから助かったよ……」
しかし時間停止かぁ……
配信中の画面がピクリとも動かないことから、まさか世界中の時間を止めたんじゃないかと内心気が気でないが……周りに迷惑をかけないためにも、今後はできるだけピンチにならないようにしようって自戒するに留めた。
「それでは落ち着いたようなのでお訊ねしますが、いったい何があったんですか、ゆかり? 先ほどの動揺ぶりは尋常ではありませんでしたが……?」
「あー、それはね……」
抱きあげた愛犬にあごの下を舐められながらパソコンの画面を指差す。
「ふむ? この方はAP社の創始者にして、スマートフォンという全く新しい概念を世に定着させた偉大なる先駆者であるスティーヴン・ジェイコブ氏ですが、この方が何か?」
「うん……わたしの
そうなのだ。デフォルメを嫌ったのか、Live2Aがテレビやネットの写真で何度も見かけた本人の顔立ちをよく再現していたから、この人があの有名なスティーヴン・ジェイコブだっていうことはすぐに判った。
「なるほど……だからすでに亡くなっているはずの人物が目の前に現れて混乱してしまったと、そういうわワケですか」
「うん、そんな感じ」
わたしが答えると、サーニャがしばらく考え込む気配を見せた。
時間にしてほんの数秒。多分だけど、わたしに説明するために裏付けとなる情報を精査しているんだろうと待機してたら、何かしらの結論を出したと思われるサーニャが確認してきた。
「以前、未来の『私』が、この世界は多元宇宙論に拠る多世界解釈を採用していると話したことを覚えていますか?」
「うん、ようは
「おや、概ね正解です。さすがはゆかり。ご自身の保身に関わることはよく覚えていますね」
「そう言われると悪徳代官も赤面するような小悪党になった気分だよ」
「そのときは私も悪徳商人が裸足で逃げ出すようなせこい悪役ですが、どうかご安心を。私は永遠に貴女の
なんだろう。こんなときだというのにわたしを安心させようとするサーニャの心遣いが嬉しくって、悲しくないのに涙が出てきちゃった。
「さて、話を戻しますが、私が調べたところスティーヴン・ジェイコブ氏の直接の死因は、膵臓癌を患ったときに東洋医学を盲信して、西洋医学による治療を拒否したことだそうですが……
「うん、わたしそう思うけど……この顔ぶれはなんなんの? ITとコンピューター関連の御三家が揃い踏みだけど、これってどう考えてもアーニャの争奪戦みたいなものでしょ? そんなところにわたしを投げ込んで良心は傷まないのかな……?」
わたしはサーニャの説明を受け入れつつも、冗談めかして抗議するのも忘れなかった。
「いえ、私はゆかりを犠牲の羊にしたつもりは毛頭なく……ただ絶妙なライバル関係にあった3社の力関係がですね、結果としてG社に与したことによって崩れるのではないかという懸念があるので、ゆかりにいつもの八方美人ぶりを発揮していただければ丸く収まるのではないかと愚考し……事前に十分な説明もできず本当に申し訳ありませんでした」
「よろしい」
なんて偉そうに踏ん反り返っちゃったけど、叱りつけているつもりは一切ないのだ。
それなりに長い付き合いだから分かる。この子はね、わたしを驚かせて、ついでに褒めてもらいたくて仕方ないのだ。
だからあれこれ裏で手を回して、わたしに「えぇっ!?」と言わせてから自信満々に説明して、最終的に「すごぉーい」と言わせたいのである。
まるで「実は今日の晩飯、おれが手伝ったんだぜ」と自慢する弟と一緒だ。
そこで「えー?」って不安そうになるのはダメなお姉ちゃん。「えぇっ、すごいねぇ」って驚いてあげるのがいいお姉ちゃん。
「もしゆかりの気に触ったのでしたら、彼らの相手はわたしがアーニャを演じることで代行して、ゆかりには休んでいただいても構いませんが……」
「冗談でしょ? わたしと長いこと付き合ってるサーニャなら安心して任せられるけど、それはわたしの仕事だからね。その代わり危なくなったらまた助けてもらってもいいかな?」
だからわたしはとびっきりの笑顔で請け負って安心させてあげるのでした。
「はい……それでは通常の時間軸に復帰しますが、直前の状況は把握していますか?」
「ジェイコブさんに挨拶されたわたしが固まっちゃったところでしょ? 大丈夫、今度はあんなみっともないところを見せないよ」
そう答えて椅子に座り直したわたしはパソコンの画面と向き合い、クンクンと甘えたそうにする愛犬の頭を撫でて状況の変化を待った。
そんなわたしの隣に腰を下ろしたサーニャが何かしらの操作をした気配すら掴めず、本当に停止した動画を再生するような気軽さで止まっていた時間が動きだした。
「初めまして。私の名前はスティーヴン・ジェイコブ。私はずっと君に会いたかった。ようやく願いが叶って天にも昇る気持ちだよ、アーニャ」
「こちらこそお会いできて光栄です。でも今日は3Gの配信だからビジネスの話は禁止ですよ。違反したら容赦なく追い出して、代わりの視聴者に参加してもらいますから気をつけてくださいね」
返せなかった挨拶に悪戯っぽく応えると、ジェイコブさんは子供の強がりと馬鹿にするのではなく、ちょっと大袈裟に驚いて目を丸くした。
「おや、これは自慢の口説き文句が封じられてしまいましたな。こうなっては
「おいおい、聞いたかい、スティーヴン。トーマスときたら、すでに勝ち馬に乗ってるからこの余裕だよ。まったく羨ましいったらないが、たしかにお前さんの異能は未成年の子供に使っていいものじゃない。ポリスの世話にならないように気をつけろよ」
そしてわたしの冗談に乗ってくれたトーマスさんとグラントさんにからかわれると、ジェイコブさんは降参したように両手をあげて微笑した。
「勿論そんなことはしないさ。ただ私はアーニャに一つだけ訊きたいことがあるんだ。なぁ、それくらいは許してくれるだろう?」
「どうだか。お前さんのそれはイマイチ信用ならんからな。アーニャさんが嫌がったら素直に引き下がれよ」
「甘いよ、トーマス。この男にチャンスを与えたら、ロクな結果にならないのは歴史が証明してるじゃないか。そこは殴ってでも止めるんだ。勿論二人がかりでな」
そうして共演者に泣きつくジェイコブさんと、素気無くあしらうトーマスさんとグラントさんの姿は世界的なIT企業のトップには見えなかった。
まるで学校の教室で戯れ合う仲のいいクラスメイトのような彼らは、30年来のライバル同士であると同時に、最も気心の知れた親友同士でもあるのだという。
だからわたしは嬉しかったのかもしれない。今では地位にともなう重い責任に縛られた大人が、まるでわたしの配信に混ざって本当に楽しそうにしてくれた社畜ネキさんや白鷺さんの姿と重なって──もっと言ってしまえばわたしの大好きな磐田社長と宮嶋さんたちを思い出させて、ついつい口元と警戒心が緩んでしまったのだ。
「一つくらいなら構いませんよ。もっともプライベートな質問には答えられませんけどね」
「ああ、分かっているとも。ありがとう」
どこか照れくさそうに頭を掻いたジェイコブさんが、
「あー、実はこの質問は私自身がされたものなんだ。当時はなんのことかさっぱり理解できなかったんだが、最近になって思い出してね。君への質問を兼ねて、私自身に投げかけられた質問の意味を問い直したいんだが構わないかい、アーニャ?」
「はい、わたしに答えられることなら喜んで」
「有り難いな。それでは聞いてくれ……君はVTuberという画期的な配信スタイルの着想を何処から得たんだい? 私は日本から来たお客さんにAiPhoneについて、まったく同じ質問をされたとき────」
……あれ?
思わずサーニャと目を合わせる。まるで先ほどの時間停止のように固まる配信画面。容疑者と目されたと誤解したのか、サーニャが否定するかのように口を開き、その直後に「ぷつんっ」という音がして……。
「どういうこと……?」
配信画面に『現在こちらのサービスはご利用になれません』という注意書きが表示されたわたしは途方に暮れるのだった。
そう、気分はまさしく「わたし、またなんかやっちゃったかな?」である。これには全身の冷や汗さんもにっこり。ごめんねユッカ、しょっぱいからいまは舐めないでね?
「ね、ねぇ……これってやっぱりわたしの
「いえ、それは違いますね。あの程度で焼き付くような脆弱なシステムは提供してませんし、仮にそうであっても負荷を分散する仕組みもありますから……むしろ原因は……」
愛犬を膝の上に降ろして訊ねるわたしに、サーニャはマウスを忙しく操作しながら答える。人力では不可能な速度で、めまぐるしく開閉を繰り返すのはインターネットの閲覧ソフトだ。最後に「やはりそうか」と呟いたサーニャが顔を上げ、一枚の地図を表示させる。
「なにこれ……?」
表示されたのは西側のかなりの面積が赤く塗りつぶされたアメリカの地図だった。不吉な予感を胸に抱きながら視線を向けると、サーニャが今まで見たこともないような険しい顔をしていた。
「現在アメリカのカリフォルニア州を中心に、かなりの広範囲で大規模な通信途絶が生じて、地図上の赤く塗りつぶした地域でインターネットの使用が事実上不可能になっていることを確認しました」
「えっ、YTubeだけじゃなくってインターネットも?」
「はい、ゆかりはインターネットの仕組みをどれほどご存知で?」
ふと表情を和らげたサーニャが確認するように訊いてくる。わたしはいつものサーニャが帰ってきてくれたことに安心するが、質問の返答にはあまり自信がない。
「ええと、たしかインターネットを中継する基地みたいなものが世界中にあるんだよね? だから空いてるところを使って世界中のどこにでも繋がるって?」
「はい正解です。インターネットの元になったのは、米ソ全面核戦争を想定して指揮系統を分散させる試みでして……ゆかりの言うように無数の基地局が世界中に存在して、それらをつなぐ経路も無数にあると……それらをこちらの地図に表示するとこうなります」
言われてパソコンの画面を確認すると、満天の星空と言わんばかりの光点とそれらを繋ぐ線が表示されたが……それらを辿っても赤く塗りつぶされたところに侵入するの不可能だった。
「こうなってしまいますとどう足掻いてもYTubeとの接続は不可能です。おそらく今頃これらの地域以外のインターネットや各種SNSは、ゆかりの言う
「うん、実際に確認するのが怖いね……」
「問題はどうしてこれだけ大規模な接続障害が発生したかですが、事故はまずあり得ません。インターネットは先ほども説明しましたように、こうした事態を避けるために徹底してリスク回避がなされている。もっと局所的ならともかく、これほど広範囲の基地局が同時に機能不全に陥るような事故、あるいは災害は大震災しかありませんが、今のところそのような情報はなく、ならば人為的なものになりますが、この規模は個人では不可──」
と、そこまで説明したところでサーニャの唇が動きを止めた。
その顔に浮かべているのはどこか呆れているような表情で、両手を腰に当てて深々と嘆息したサーニャは「来ますよ」と呟き、そして──。
「ゆかり、無事っ!?」
わたしはそのとき何が起きたのか正確に掴めなかった。当然部屋の中が眩しくなり、ギチッという大きな音に驚いて振り返ると、そこには白い法衣に身を包んだ女の子が
光の粒子を撒き散らす両翼を背に、その少女が笑顔になってわたしを見つめてくる。
「アーリャ……?」
「良かった! 無事だったのねゆかり!?」
その笑顔がここではない誰かの薄らぐ記憶と重なり──。
『たぶん容姿は誰もが振り返る絶世の美少女で、才能面は、絵と歌は今すぐ覇権が取れるレベル。プログラミングは異次元の天才、語学はありとあらゆる言語を一瞬で習得するレベルになると思います。楽しみですね。応援していますよ』
「あっ……」
喉の奥に引っかかっていた魚の小骨がするっと抜け落ちるように、腑に落ちた理解はすぐに納得へと繋がった。
そりゃそうだ。この子の性格を思えば、付きっきりで見守ってもおかしくないよねと微笑むが、そんな気分に浸っている猶予は残念ながらなかった。
「ゆかりさんすみません! 突然YTubeに繋がらなくなって、スバルも何度か試したのですが、どうしても繋がらなくてっ……!」
鍵を掛けていなかったドアが勢いよく開いて、涙ながらに飛び込んできた
「あっ、もしかしてアーリャさんですか? ゆかりさんの部屋で一緒に配信していたとは知りませんでしたよ」
「えっ、ええ! 実はそうだったの!」
「お初にお目にかかります。自分は大空スバルの演者を務める鴨川昴と申しまして、数日前からゆかりさんのお家でお世話になってるんですよ」
「こ、こちらこそ初めましてでいいのかしら? うるるかマナカの演者を務めるアーリャっていうの。よろしくお願いしていいのよね……?」
「こちらこそよろしくお願いします。……ところで天使のコスプレですか? すごい完成度ですね……どうやって浮いているのかお訊ねしても?」
アーリャが助けを求めるようにこっちを見て、愛犬がなんだこれとばかりに首をひねる。いや本当にね。
「知りませんよ。自分で説明してください。それより別件ですが面白い情報が入りましたよ。魚釣島に中国軍籍の船舶が多数接近だそうです」
それのどこが面白いのかイマイチ不明だが、この状況を放置できないのも確かだ。
鴨川さんに説明しないといけないこともあるし、騒動を聞きつけた家族がこの部屋に踏み込めば厄介ごとには事欠かなくなるだろう。
自分の両肩を叩いてアーリャに迸る光の翼だけでも消せないかと指示したわたしは、笑い出したくなるのを必死に堪えて口を開くのだった。
◇◆◇
翌日の退院を控えて、すでに私物の大半の片付けを済ませた
「ダメだ。こちらからじゃYTubeに繋がらんことしか判らんが、お前さんのほうは何か成果があったかい?」
「無茶言わないでくださいよ。とにかく向こうにネット自体が繋がらないんですから、こっちだって大した情報は集まりませんよ」
「そっちもダメか。こっちも例の掲示板なら何か掴めるんじゃないかと思ったが、判明したのは向こうで大規模な通信障害が発生していることだけだな」
「困りましたね……今夜の配信はどうなるんですかね?」
「それはゆかりさんが決めることだが、おそらく遠からず中止の告知がWisperでされるだろうさ。向こうの通信障害も現地のインターネット事業者がなんとかするだろうし、ここは続報を待とうや」
「そうですね。何か判ったら教えてくださいね。約束ですよ」
「ああ、お前さんには真っ先に教えるさ」
少なくとも嘘は言っていないなと磐田肇は
「さて、待たせてすまなかったね」
部下であり友人でもある男のログアウトを確認して、グループチャットのチャンネルを変更した磐田肇はそう呼び掛けた。
「アメリカで大規模な通信障害が発生したようだが、君のところは大丈夫だったかな」
「はい、僕の住居があるマサチューセッツ州で特に障害のようなものは」
「そりゃ良かった。ようやく君と連絡が取れたのに逃げられちゃ敵わんからな」
口調こそ穏やかであったが、そこに含まれる言葉はなかなかに好戦的なものがあった。
「まぁいいか。まずは君のことをなんで呼んだらいいか訊いても構わんかな?」
「アレックスと……それが僕の名前ですから」
「なるほど、それはすごい偶然だ。見事に掲示板のAX-2776ITというIDに
「失礼ですが、掲示板の初回書き込み時に配布される乱数のIDにまで責任は持てません」
ノートパソコンのスピーカーから聞こえてくるのは流暢な日本語だ。返答に澱みはなく、まだ若いが揺らぐことのない意志のようなものも感じる。
さすがは天才と名高いドクター・タカマキの同期生……と言いたいところだが、彼の経歴は確証は無理でも確信を持てるところまでは掴んでいる。
「そう構えないでくれ。むしろ君にはこちらの話を聞いてほしいのさ」
「どのようなお話でしょうか?」
「たとえば、そうだな……先ほどのアーニャさんの配信が途切れる直前に、スティーヴン・ジェイコブが奇妙な質問をしていたのは憶えているかい?」
「はい、たしか過去に投げかけられた奇妙な質問の意味をあらためて検証したいと」
「実はあの質問を彼にしたのは私なんだよ」
「……磐田社長が?」
「ああ。今からもう8年前になるのかな? 世界最大の家庭用ゲームショーであるE3に出演するために渡米した私は、たまたま彼と話す機会があってね。そのときに訊いたんだよ。あなたはスマートフォンという画期的なアイデアの着想をどこから得たのかとね。そうしたら彼はこう答えたんだ。そのアイデアずっと私の中にあった。AP社を設立したのもそのためで、私はようやく長年の夢を現実のものとすることができたってね……おかしいとは思わないかい?」
「どこがでしょうか?」
「だって彼がAP社を設立したのは1970年代の後半だよ? その頃となると、携帯電話は稀にSFの小物として登場する程度の空想の産物でしかなかったというのに、彼は最終的にパソコンを手のひらサイズに収めた画期的な情報端末をイメージしてたんだから、いくらなんでも飛躍しすぎだよ」
「なるほど……ですが天才と呼ばれる方々は得てしてそういうものでは? 失礼ですが磐田社長自身、ライバル企業のS社を戦慄せしめる商品を幾つも世に送り出してこられたでしょうに」
「おっ、そう言ってもらえると嬉しいね。まあ彼も私に訊かれた話を忘れていたように、私自身もその話を忘れていたんだ。ゆかりさんのアーニャを知るまではね」
「…………」
「彼自身もそうだけど、人類の歴史には時々ね、時代を先取りしすぎた人たちが現れるだけど、その度に私はこう思うのさ。彼らはその着想をどこから得ているんだろうとね。これは私のような凡人の僻みなのかねぇ……どう思うかい、アレックス君?」
「…………」
そうして核心に近づく都度に増える沈黙。答えたくないのか、それとも答えられないのかは不明だが、沈黙もまた一つの答えだ。
(まぁ答えられないんだろうから、あんまり虐めてやっても可哀想か)
元から回答を期待していなかった磐田は、以前、見舞いと称して遊びにきた宮嶋に戯れ半分に語った構想をぶつけてみることにした。
「ところでアレックス君。私は誰でも気軽に遊びに行ける異世界を作りたいんだがどう思うね?」
「は──?」
「アナザーライフのようなメタバースじゃない。最低でも五感を完全に持ち込めるソード・アート・ファンタジア形式。出来れば異世界転生ものの神さまが用意したような世界がいいんだが、君の意見を聞かせてもらえるかい?」
にこやかに訊ねる磐田の笑顔に、画面の向こうでアレックス何某ことAX-2776ITは戦慄した。
何が本物の天才を僻む凡人なのだろうか。磐田社長の語ったそれは最低でも1000年は時代を先取りする構想だというのに……。
「ああ、もちろん自分の手で完成させたいなんて思っちゃいないよ。ただ基礎となる土台だけでも作っておけば、後の人がずいぶんと楽をできると思うんだが──」
己の夢を熱く語る男との会話は病院の消灯時間を大幅に超過しても終わらず、注意しにきた看護師に叱られるまで続けられたが、そこで語られた中身を知るのは当事者の二人だけだった。