転生したら美少女VTuberになるんだ、という夢を見たんだけど?   作:蘇芳ありさ

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現状確認、そして対策会議中にドッグラン

 

 

 

 

 

 2011年12月15日(木)

 

 

 キャリフォルニア州を中心とした極めて大規模な通信障害と、中国政府が主導したと見られる魚釣島周辺の不法占拠──ほぼ同時期に発生した二つの大事件により、アメリカ合衆国大統領官邸であるホワイトハウスは蜂の巣を突いたような騒ぎになった。

 

「インターネットの通信障害はどうなってる! なぜ情報こちらに回ってこない!?」

 

「落ち着いてください、副大統領。インターネットの事業者は各基地局に人員を配置しているわけではなく、有事の際にこちらへの報告義務があるわけではありません」

 

「御託はいい。それならさっさと確認したまえ」

 

「こちらで確認したところ、システムがダウンした理由は不明ですが、復旧自体に問題はないとのことです。ただし、すべての基地局に人員を回すのは時間がかかると……」

 

「まったく忌々しい! 世界中の視線を集めているのだぞ!? これほどの醜態を晒しておいて原因は不明、復旧時期は未定では済まされんだろう!! それとチャイニーズの連中は──」

 

 ……なるほど。この短時間で概要だけでも把握するとは、自分を補佐する大統領官邸のスタッフは極めて有能である。自分のような素人にアメリカ合衆国大統領の重責を押し付けた党幹部も、どうやら何のフォローもせず放り出すほど恥知らずではないらしい。

 

 だが、有能な彼らをもってしても事件の全容を掴むのが精一杯の状況で、この義理の娘はどうやってここまで詳細な被害状況を把握したのだろうか……?

 

 アメリカ合衆国第44代大統領アルジャーノン・シュヴァルツネッガーは、傍に浮かび上がる立体映像(ホログラム)に遠慮がちな視線を向けるのだった。

 

「ドクター・タカマキ!!」

 

 そんな折に、自身の目付役である副大統領がやらかした。自身の居場所である執務席に巨体を捩じ込んだ大統領は、これはマズイと判断せざるを得なかった。

 

「いち早く状況を把握した君ならば事件の全容を説明できるのではないかね!?」

 

「……知りませんね。なぜ私に尋ねるんですか」

 

 やはり──副大統領に問われた義理の娘は見るからに不機嫌で、こちらを見捨てる気配がありありと伺えた。

 

「すまない、サーニャ(・・・・)! どうか私を助けてくれ!!」

 

 そう判断した大統領は迷わなかった。直ちに恥も外聞もなく土下座して、両手を合わせて拝み倒した。

 

 どうした理由からか、彼女は自身を愛称で呼ばない人間を敵と見なす傾向があった。大統領はそのことを、初見にも拘らず愛称で呼んでしまった経緯から(いや)と言いほどよく知る立場だった。

 

「……そこまで言われては仕方ありませんね」

 

 他のスタッフはいきなり土下座した自分に仰天するが、頭上から掛けられた彼女の声は、やはり直前まで不機嫌だったとは思えないほど優しげであった。

 

「まったく、貴男(あなた)という人物は困ったものです。いかに私が義理の娘だからって、ここは貴男のプライベートな場所ではないのですよ? だというのに、まるで私を口説き落として、強引に自分の(モノ)にしたときのように土下座などして……さあ、私の下着を覗き込むのが目的でないのならそろそろお立ちなさい。誤解を招きますよ?」

 

「あ、ああ。それは私の本意ではないのでね。喜んでそうさせてもらうよ……」

 

 むろん彼女に言いたいことはあった。誤解と言うが、君こそとんでもない邪推を誘発するような物言いは控えてくれないかね、と。

 

 しかし、もちろんこの男は何も言わなかった。副大統領に「ドクター・タカマキ」と呼ばれてあそこまで不機嫌になるのを見せられた後とあっては、尚更である。

 

「さあ、貴方たちも何をグズグズしているのです? 日本でアーニャが貴国の回線網の復活を待ち侘びているのですよ!? リミットは明日までです!! 私の指揮下で明日までにアーニャの配信環境を復活させますよ……!!」

 

 今度、大統領令で彼女を愛称以外で呼ぶことを禁止する法令に署名しようかな……?

 

 急にやる気を出し始めた義理の娘を憂鬱に見上げながら、それでも大統領は彼女の方針に両手を挙げて賛成するのだった……。

 

 

 

 

 

 2011年12月16日(金)

 

 

 昨日はあり得ないほどのイベントが凝縮された盛りだくさんの一日になったが、その中で最たる事件は中国海軍による魚釣島の占拠だろうか。

 

 近年になって尖閣諸島の領有権を掲げるようになった隣国・中国との関係は、数年前の中国漁船衝突事件を一つの切っ掛けとして急速に悪化した。

 

 日本の領海内に無断で侵入した中国の漁船が、これを取り締まる海上保安庁の警告を無視して巡視艇に衝突しながら、当時の民社党政権は右往左往の末に無罪放免の決定を下し──与しやすしと見なした中国政府は、以降ますます領海侵犯を過激化。

 

 中国政府の対応と国内の反発に困惑しきった日本政府は、タカ派の東京都知事が尖閣諸島を地権者から買い取ろうとしたために、仕方なく国有化の手続きを開始。これに猛反発した中国政府は、他国に販売する戦略物資(レア・アース)の割り当てから日本を外すなど様々な揺さぶりをかけてきたが、いよいよ痺れを切らせて実力行使に打って出たようだ。

 

 今朝のニュースによると、数千隻に及ぶ中国漁船と、数隻の中国軍籍の船舶の写真を公開した中国政府は「今回の派兵は自国の漁船を保護するための正当なものだ」と強弁したが、そんな主張を信じるのは時代錯誤な親ソ反米の価値観に生きる現日本国政府与党くらいなものだ。

 

 案の定、緊急の会見を開いた政府民社党の中下幹事長は「この問題につきましては中国側の出方を見極めながら、引き続き中国政府と協議していくことを、政府与党内で確認しました」と発言して、居並ぶ記者を唖然とさせた。

 

 さすがに我慢できなかったのか、讀購新聞の記者が「自国の領海が侵犯されているのに弱腰がすぎる」と非難したが、中下官房長官は「弱腰外交ではなく柳腰外交だ」と意味不明な発言をして会見を打ち切った。

 

「おれさぁ……政治のことはよく分かんねぇけど、なんだがすっごく情けねぇものを見ちまったのは分かるよ。なぁ父ちゃん、いつから日本はこんな国になっちまったんだ?」

 

 これにはまだ小学4年生の弟も呆れたが、前回の選挙で迂闊にも民社党に一票を投じてしまったというお父さんは、死にそうな顔で「すまん」と詫びるのみだった。

 

 あまりに打ちひしがれた姿に心配になった愛犬(ユッカ)が膝から飛び降り、お父さんの足元に顔を擦り付けて励まそうとしたが、前回の選挙で民社党を支持しなかったというお母さんは容赦しなかった。

 

「裕福な家庭に生まれて生活に不自由のない人ほど“高尚”なことをしたがって、学生運動とか捕鯨反対とかよく分からないものに憧れるのよ。あなたたちも気をつけなさい」

 

 弟の順平と妹の美鶴、そして居候の鴨川さん(スバルちゃん)はお母さんの言葉に「『はぁい』」と素直にうなずいたが、自分のような人工知能が国内の政治問題に口出しするのはあまりに僭越であると考えるメイド(サーニャ)と、家庭内での地位低下に歯止めがかからないお父さんの姿に、熱いものがこみ上げてきたわたしは慎重に口を噤んだ。

 

 そんな真白家の朝食の一幕はさておき、学校でも1番の話題がこれだったのは正直意外だった。

 

「本当に信じられないよね。なんで大人の人は文句を言わないのかな? 真白さんはどう思う?」

 

「うーん、お父さんはなんて情けない政府だって怒ってたけど……」

 

「あっ、やっぱりさすがはゆかりちゃんのお父さんだね。すごく毅然として、うちのお父さんとは大違い」

 

「本当にそれだよな。うちの父ちゃんなんて曖昧に口を濁しちゃってさ、こっちはもう恥ずかしくて仕方なかったっていうのに」

 

 いつものようにわたしを取り囲むクラスメートの口から出るのは、昨夜の配信を中断せしめた北米の大規模通信障害ではなく、支離滅裂な日本政府の対応にノーコメントを貫く自分たち両親への憤りだった。

 

 なんだ、この全国的な小学生の政治意識の高まりは……。

 

 ま、まあ、見栄っ張りなわたしはウソを吐いちゃったけど、政治の中身を知ろうとするのは決して悪いことじゃないよね?

 

 子供の頃からしっかり勉強しておけば、大人になってもマスコミに騙されて悪夢のような政府を誕生させずに済むわけだし……いやぁ、日本の未来は明るいかなって……。

 

 そんなわけで在校中は居た堪れない気分だったけど、午後になるとだいぶ風向きが変わってきた。

 

 昼休みにスマホで確認したiyahooニュースによると、なんとロシアのラスプーチン大統領が異例の声明を出したというのだ。

 

 内容は中国による日本領海の侵犯を激しく非難し、24時間以内に退去しなければ深刻な結果をもたらすと警告したというもの。

 

 相変わらず物騒な発言は含まれているものの、これまでの反欧米的で中国寄りの外交姿勢から大きく逸脱した声明に、この記事をiyahooニュースに寄稿した記者は「アーニャたんの復帰ライブ以降、急速に改善された米露両国の関係が今回の声明に繋がった」と絶賛したが、いいや……この部分は見なかったことにしよう。

 

 いやね、なまじ裏面の事情を知ってるとコメントしづらいこともあるのよ?

 

 たとえば厳つい顔付きとロシアの国獣が熊であることから、日本のネット社会で『クマのプーたん』と揶揄されるあの人が、実は昨夜のアーニャ(わたし)の配信のゲストに名を連ねていたのに、例の通信障害で途中で中断されちゃたこととかさ。

 

 そういうのを知ってると、苛立ちを手近なところにぶつけただけなんじゃって邪推しそうになるから、あまり迂闊なことは言えないんだよね……。

 

 ともあれ、先の選挙で民社党政権の樹立を支持してしまった立場から、赤面して口を濁す大人たちの代わりに、具体的な行動を起こしてくれたラスプーチン大統領を賞賛する「すごぉーい」という大合唱は校内のあちこちから聞こえてきた。

 

 そして欧州共同体(EU)もロシアに負けじと「今回の中国の領海侵犯は、武力による現状変更を禁じた国連憲章違反以外の何物でもない」と強く非難し、アメリカも「日米安保条約の定める規定を遵守し、同盟国である日本を防衛するために、太平洋上に展開する三つの艦隊を沖縄に急行させた」と大統領自ら明らかにした。

 

 なお、この声明に政府与党の中下官房長官は「日米安保条約の定める事前協定違反だ」と、あろうことか同盟国のアメリカに抗議したそうだが、気が短いことで知られる大統領は「売国奴は黙ってろ」と非難して激しい論争を生じさせたとか。

 

 とまぁ、色々と気になるところもあったが、こうした諸外国の動きに日本は大丈夫だと安心したのだろう。クラスメイトの一時的な政治意識の高まりは落ち着きを見せ、代わりとばかりに昨夜の配信中断が話題になって、みんなに「大変だったね」「昨日の続きはやらないの?」と揉みくちゃにされたが、この程度はご愛嬌だ。

 

 わたしは答えられる範囲で彼らの不安解消に努めたが、午後の授業か始まるやクラスの担任に「先ほど国連総会で、中国の領海侵犯を非難する決議が、中国と某国の二ヵ国以外の全会一致で採択されたからもう大丈夫だぞ」って説明されて驚いた。

 

 今回の決議に賛成した国には、中国との関係が深い国も多数含まれているだろうにどうしてそうなったのか……わたしは帰宅すると、テレビの向こうで「あんな誰も住んでない小島を引き渡せば戦争を回避できるんだからそうすべきですよ」ってがなりたてる女性閣僚の声に呆れつつ、お母さんから受け取ったおやつを手に愛犬を従え、相棒(サーニャ)の待つ自分の部屋に向かってもう一度呆れた。

 

「おや、ゆかりさん、おかえりなさい。今日もお母さまのおやつは絶品ですよ」

 

「ええ、本当に美味しいわよ、ゆかり。このチョコロールときたら、もうほっぺたが蕩けそうで蕩けそうで……」

 

 どこから侵入してきたとは言うまい。わたしの部屋に座布団を並べて、鴨川さんと一緒にチョコロールを頬張るアーリャに何を言っても無駄である。

 

 その証拠にわたしのご意見番であるサーニャ(サブちゃん)も何も言わない。ただわたしの帰宅にホッとしたように薄い胸を撫で下ろすのみだ。

 

「おかえりなさいませ、ゆかり。……こちらのお二人に関しては、申し訳ありませんが判断をお任せします」

 

「うん、お疲れさま。……とりあえず込み入った話は落ち着いてからにしようか?」

 

 問題を先送りするようでこちらこそ申し訳ないが、難しい話をするなら脳に糖分を補給しないといけないしね。食べ物の匂いとアーリャというお客さまに興奮する愛犬を隣に座らせて、落ち着かせながら答える。

 

「ああもうっ、ユッカの分もあるから落ち着いて……ほら鳥のササミね。その代わり残したら晩御飯を減らすからね」

 

 猛烈な勢いで尻尾を振る愛犬を宥めつつ「ヨシ」の合図をするや、おやつに顔を突っ込むユッカときたら本当に誰に似たんだか、とお母さんのロールケーキを頬張る。

 

「あっ、これすき……すごくいいの……」

 

「ね? はぁ……ダメ、本当に蕩けそうよ……」

 

「んんっ……そこっ!! チョコレートの甘味が五臓六腑に染み渡るわ!!」

 

「確かに絶品ですが、そこまで変な声を出すほどですか?」

 

 なんて色っぽいんだか何だかよく分からない会話をしながら至福のひと時を過ごす。

 

「ワンッ……ハッハッ……クゥーン」

 

 最後に自分のおやつを食べ切ってちょっと切なそうな顔をする愛犬を「めっ」と叱り付ける。

 

「ダメダメ。そんな顔をしてもこっちのおやつはあげないよ。みんな半分くらい残ってるけど、これは食べきれなかったんじゃなくって、後の楽しみに残してあるだけだからね」

 

「クゥーン……」

 

 諦めきれないユッカが鴨川さんや新顔のアーリャに媚びるが、残念ながら人間の食べ物を面白半分に与える不届き者はいなかったので無念の結果になった。なお、サーニャには媚びても無駄と学習したのか近寄る気配もない。

 

「釈然としないものもありますが、まぁいいでしょう」

 

 そう言って全員分の紅茶を継ぎ足したメイドは、別にユッカを嫌っているわけではなく、たんに群れの中における序列を争っているだけであり、恭順するならむしろ甘やかす気満々である。

 

 だからいつまでも自分の軍門に降る気配のないユッカに、なぜそこまで嫌われるのか理解できないと言わんばかりの不満顔だ。

 

 そんなサーニャに微笑み、鴨川さんとアーリャを見渡したわたしはあらためて昨夜のお礼を口にした。

 

「残念ながら途中で終わっちゃったけど、昨日はお疲れさま。鴨川さんとアーリャのゲストの方からもお礼のDMが届いてるっていうから、後で確認してくださいね」

 

 そうぺこりとお辞儀をすると、二人は若干苦味のある微笑を浮かべてこう答えるのだった。

 

「本当にね。結局わたしのところの二組目は、音楽の先生がゆかりの素晴らしさを熱心に語っているだけで終わっちゃって、他の二人は何のおもてなしもできなかったから心苦しいわ」

 

「昴のところはみなさん親切でとっても楽しかったんですが……キャップの正体はやはり例の人ですか?」

 

「ええ、私の法律上の保護者で、自国民の前に姿を見せると『もっとしっかりしろ』と笑いながら罵られることで有名な3世ですよ」

 

「しゅばしゅばしゅばぁ〜」

 

「しゅばしゅば……ってゆかりさん、何ですかこれ?」

 

「さあ? 咄嗟に口に出たものだから、自分でもサッパリ」

 

 いやもう、本当に自分でも意味不明な言葉が頭の中に浮かんできただけだからあまり気にしないでほしいが、なんでか鴨川さんが口にするとしっくりきた。

 

「鴨川さんごめん、今のもう一回だけいいかな?」

 

「え? しゅばしゅばしゅばぁ〜?」

 

 うーん、やっぱりどこか懐かしい……まるで自分の部屋のような安心感、って自分の部屋にいるんだから当然か。

 

 しかしこの、久しぶりに頭がムズムズするこの感覚……もしや今のは異界のVTuber、大空スバルの持ちネタやもしれぬ。

 

 さすがにそこまで詳細な記憶は、地道に掘り返すしかないから確認に時間がかかる。今はそれどころじゃないのでス虐を発掘するのは後にしよう。

 

「なんだかゆかりがすっごく気に入ってるみたいだけど、今の汚い音に何の意味があるのかしら?」

 

「さあ……私の口にからは何とも」

 

「そこ、外野うるさい。いいじゃん、ぺこらさんの持ちネタ(ぺこ)みたいで。鴨川さんも気に入ってもらえたら嬉しいよ」

 

「まぁ、ゆかりさんの言うことですから言われた通りにしますが、正直どこがそんなに気に入ったんですかね? 埋もれないように個性を尖らせろっていうのはなんとなく理解できますが……」

 

「うん、個性たっぷりの鴨川さんには必要ないかもしれないけど……なんとなくいいよね?」

 

 あまり同意は得られなかったけど本当になんとなくだからね。

 

「滑ってると思ったら配信中は封印してもらっても構わないけど、二人っきりのときに思い出したら使ってもらえると嬉しいな」

 

「わかりましたしゅば」

 

 そんな経緯で誕生した業の深い語尾に爆笑したら、おやつの残りも少なくなってきた。おかげで舌も滑らかになったし、そろそろ本題に入りますか。

 

「しかし大変なことになったね。アメリカの大規模な通信障害でYTubeにアクセスできなくなったし、中国の船が軍民問わず大量侵入でしょ? そのせいでホロライブの事務所が日本中でオープンする予定だったのに、すっかり埋もれちゃって」

 

 気分は以前の世界線で3DNS発売直後に震災を経験した磐田社長だろうか?

 

 今はそれどころじゃない、という日本中の空気に苦戦した歴史をこの世界でも繰り返すのだろうかと思ったら、サーニャが「そちらは大丈夫ですよ」と説明してくれた。

 

「ゆかりの登校中に株式会社カバーさまの中村みゆき社長から、日本各地の事務所をオープンさせるのは、今回の騒動が落ち着くまで見合わせると連絡があり、関係各所にも通達済みとのことです」

 

「あっ、そうだったんだ」

 

 良かったと胸を撫で下ろす。正直こんないつ戦争に発展するか分からないような状況じゃ、研修生中のみんな(社畜ネキさんは除く)はもちろん、スタッフの人たちも仕事に身が入らないだろうなって心配だったんだ。

 

「……となると、すでにカバーさんと契約済みのスバルと同様に、明日から京都の本社入りが決まってる1期生までの人たちはともかく、それ以降の人たちの研修はこの件が片付くまでお預けですか」

 

「合衆国西部の大規模な接続障害に関しては心配要らないでしょう。すでに私のほうから現地の詳細な被害状況と、復旧計画をワシントンのホワイトハウスに提出しましたからね。本日中は難しいでしょうが、明日の午後には復旧するでしょう。私の義父が余計なことをしなければになりますが……まあ、あの筋肉ダルマの関心はもう一つのほうに釘付けでしょうから、大丈夫だと思いますが……」

 

 あの評判が良いんだか悪いんだかよく分からない大統領の出方が不安なのか、サーニャの歯切れはあまりよろしくない。

 

「じゃ、あとは中国政府の出方次第ね。……まったく、本当に腹立たしいわ。飛んでいって悔い改めさせてやろうかしら?」

 

「いやいや、アーリャさんが地球の平和と愛のために戦う魔法少女だからって、人目につくのはいけませんよ。幸いと申しますか、さっきテレビのニュースで確認したら中国の報道官もだいぶトーンダウンしてましたからね。このままビビった中国政府が撤退を指示して終わるんじゃないですか?」

 

 ……いや、本当にね。

 

 あんな説明を受け入れた鴨川さんも鴨川さんだけど、アーリャが考え無しに突撃する前に止められて僥倖だったよ。

 

 まぁ見ての通り不満たらたらだから油断できないけどさ。司祭さまにも「くれぐれもアーリャをよろしくお願いします」ってメールしなきゃ……とスマホを操作すると、サーリャが意味ありげなため息を吐いた。

 

「ねぇ、鴨川さんが『めでたしめでたし』で話を締め括ったあとにため息を吐かれちゃうと、何かあるんじゃないかって不安になるんだけど……?」

 

「いえ、そうであってくれたらと願ってはいるのですが、どうもそう簡単にはいかないようで」

 

「どういう意味?」

 

 わたしが首をひねるとまずユッカが真似をして、鴨川さんとアーリャも釣られた。

 

「ふむ……今の段階では何の確証もない推測に過ぎませんが……」

 

 不確かな推測を口にすることが嫌いなサーニャは渋る様子を見せたが、わたしたちが黙って言葉を待つと説明の必要性を認めたのだろう。手動でパソコンを立ち上げたサーニャは、どこからか取り出した眼鏡と教鞭を装備し、昨夜の地図を表示した。

 

「ゆかりにはすでに説明しましたが、こちらが現地の被害状況になります。光点が現地のインターネット事業者の基地局で、点と点を結ぶ線が現地のインターネット回線と思ってください。そして赤く塗りされているのがインターネットが不通になっている地域です」

 

「わっ、メッチャ広範囲で繋がらなくなっているんですね」

 

「わたし、てっきり被害を受けてるのはYTubeだけだとばっかり……主にゆかりの配信でサーバーが圧迫された所為で」

 

 うん、わたしもそう思ったけど違うみたいなんだよね、これが。

 

「結論から申しますと、これほど広範囲で事故が重なることはあり得ません。事故ではなく、大規模な震災でもないとなると、残されるのは人為……それも個人ではなくより大規模な、それこそ国家規模の介入がなければここまで被害が広がることはあり得ません」

 

 サーニャの説明に場が静まる。アメリカ西部のインターネットが不通になった夜に中国海軍の事実上の侵略。これを偶然と考えていいものかどうか。サーニャが疑っているのはそれか。

 

「つまり今回の大規模なインターネットの不通は中国の仕業だと、サーニャさんは考えているんですか?」

 

「さて、どうでしょう……彼らの犯行を裏付けるような証拠はなにもなく、仮にそうだとしても合衆国の中枢であるワシントン周辺ではなく、軍事的には無意味な西部諸州を狙い撃ちにした理由は想像もできませんが……」

 

 そう言いつつも確証はなくても確信はあるのだろう。彼女の『本体』は極めて確度の高い分析を行えるのだから。

 

「今回の日本の領海侵犯と合衆国西部のサイバーテロ……どちらも中国政府の指示によるものなら最悪です。友好国のロシアを怒らせたのは計算外でしょうが、彼らもそう簡単には引き下がらないでしょう。尖閣諸島を巡る合衆国艦隊との睨み合いは下手をしたら長期化を余儀なくされ、その間、追い詰められた中国政府による第二、第三のサイバーテロが起きないとも限りません」

 

 なんてこった……1日や2日ならともかく、そんなに長いこと配信再開の目処が付かなくなったら、視聴者の鬱憤がネットにあふれてとんでもないことになりそうだよ。

 

「さすがに無理があるんじゃないかしら? 中国の領海侵犯の前振りが、アメリカ西部のインターネットを何日か使えなくすることだなんて……そんなことをしたってゆかりたちがYTubeを使えなくなって困るぐらいにしか……」

 

 そこでは何か気付いたのだろうか。アーリャが真っ青になって口元を押さえ、鴨川さんが驚いたようにわたしを見つめてきた。

 

「まさか中国の狙いはゆかりさんの配信を妨害すること……?」

 

「ええ、きっとそうだわ……ゆかりの配信中に中国が日本の領海を侵犯したってニュースが飛び込んできたら、アーニャが暮らしている日本を侵略した中国を許すなってすごい騒ぎになるわ……」

 

「さすがにそこまで踏み込むと陰謀論者の世界ですが、否定する材料に乏しいところが悲しいかぎりですね」

 

 はぁ、とサーニャがこれ見よがしにため息を吐いた。この反応を見るに、鴨川さんとアーリャの推測を荒唐無稽と切り捨てる気はないようだ。

 

「まあ、何の根拠もない邪推を披露した私が言えた義理ではありませんが、間違った情報をネットやSNSで発信して、世間を混乱させないようにくれぐれもご注意を。ゆかりだけではなく鴨川さまも、すでにそれだけの影響力を持ったインフルエンサーなのですから」

 

「すみません、つい名探偵になったような気持ちになって……サーニャさんのお言葉、肝に銘じますね。」

 

「わたしも今になって穴だらけの迷推理を披露したことが恥ずかしくなってきたわ。大丈夫、わたしも誰にも言わないわ……」

 

 影響力、影響力か……鴨川さんとアーリャの二人はサーニャの言葉に納得したようだが、以前の世界を()るわたしには彼らの狙いに見当がついた。

 

 まず間違いない……彼らの狙いはアーニャ(わたし)だ。彼らは以前の世界でとある女性VTuberの未来を閉ざしたように、自分たちに制御できない個人が多大な影響力を持つことを極端に恐れている。

 

 まったく、わたしたちVTuberが彼らの権力を崩壊させるよう民衆に呼びかけるとでも思っているのだろうか。

 

 そんな理由であの女性の輝かしい未来を奪っておいて、よくも──得体の知れない感情が首をもたげ、同時に手の甲の温かい感触に気がついた。

 

「クゥーン」

 

 気がつけば愛犬が膝の上に身を乗り出して、心配そうにわたしの顔を覗き込んでいた。

 

 自分でも驚いた。わたしのなかにあんな激しい感情が眠っていただなんて。危うく呑み込まれるところだったよ、と引き戻してくれた愛犬を抱きしめる。

 

「ごめんね、もう大丈夫……心配してくれてありがとうね」

 

 そうしたわたしの台詞は鴨川さんとアーリャには意味不明だったようだが、わたしの相棒には漏れなく伝わったようだ。畜生でも愛玩以外の役に立つとは意外でしたと憎まれ口を叩いたサーニャの口元は、やはりとっても優しげだった。

 

「うーん、イマイチ何があったのかよく分かりませんが、スバルは大空スバルの名義で余計なことを言わないように気を付ければ、例の掲示板に顔を出してもいいんですよね? 今まで何がなんだかよく分からなかったので利用を控えてましたが、そろそろあいつらも新しい情報に飢えているでしょうから、スバルが皆さんを代表して何も心配はいらん、みたいな報告を──」

 

 そして場の空気を入れ替えようと思ったのか、鴨川さんが務めて明るい口調で『あのスレ』とやらの閲覧と書き込みの許可を求めたようだが、サーニャの「ああ、あの掲示板なら落ちてますよ」という言葉に硬直するのだった。

 

「えっ……? すみませんサーニャさん、いま何と……?」

 

「ですから、『あのスレ』とやらのある匿名掲示板なら、現在めでたくサーバーダウン中ですよ」

 

「そ、そんな……アーニャさん生誕の地がなぜそんなことに? これも中国のサイバーテロですか?」

 

 いやいや、なぜかそんなことになってるみたいだけど、わたしは『あのスレ』とやらにまったく関与してないからね?

 

「違います。さすがにこの件は中国政府とは無関係で……むしろ犯人は、非常に申し上げにくいのですが、鴨川さまのお仲間たちが暴れた結果です」

 

「スバルたちのお仲間って、それぜったい社畜ネキが犯人だろ!?」

 

「さて、社畜ネキさまもご利用になっておられたのは間違いありませんが……私はさほど向こうの掲示板に手を入れてませんからね。あんな短時間に膨大な書き込みが殺到すれば落ちるものも落ちます。しかもその中身がよりにもよって『FAQ(ふぁっきゅう)』なのですから、もう情けないやら呆れるやら……」

 

「そんなぁー! スバル第二の安住の地がまたしても炎上をーっ!?」

 

 ガックリと泣き崩れる鴨川さん……いやさ、思い入れがあるのは分かったけど『あのスレ』は鴨川さんがそこまで入れ込むほどなの?

 

 なんかわたしの勝手な思い込みだけど、『あのスレ』には幾百幾千の社畜ネキさんたちが暴れてるイメージしかないんだけど……?

 

 でもそうなると社畜ネキさんに代表される熱狂的なファンが、インターネットというおもちゃ半ば強制的に取り上げられてることになるのか……それはまずい。暴動を起こされる前に何とかしてやらないと。

 

「うーん、それならしばらく配信もお休みだし、久しぶりにアーニャたちの絵を描いてWisperに投下してみようかな? それならみんなの欲求不満もだいぶ解消されるだろうし……」

 

「──なんと、ゆかりさんの新作ですか?」

 

「うん、どうせだったらこの場にいるメンツで仲良く遊んでいるところを描こうかなって」

 

「いいわね! わたし前からゆかりの絵に興味があったのよ。ゆかりが嫌じゃなかったらぜひ見学させてほしいわ」

 

 と、その場の勢いでひり出した話題に意気投合するわたしたちだったが、次の瞬間その興奮は別のものにすり替わってしまった。

 

「それもよろしいですが、午前中にゆかりが楽しみにしていたドッグランが完成したそうなので、そちらで遊んでこられたらどうですか? たまには子供らしく外で遊ぶのも大事ですよ」

 

「行くか」

 

「行くしゅば」

 

「ええ、行きましょう」

 

 この間、実に0.2秒のノリであった。

 

 もはやわたしたちを止めるものは何もない。空になったお皿を手に台所に向かい、お母さんにお礼を言ったらリビングで愛犬のおもちゃを捜索。遂にコイツの出番が来たかとばかりにフリスビーと柔らかいボールを手に、中庭のドッグランへとひた走るのだった。

 

 

 

 

 

 お父さんがトレーナー狛村さんの会社に注文して、完成まで一週間を要したというドッグランの威容には圧倒されるものがあった。

 

 幅だけで10メートル以上、奥行きに至っては30メートル以上あるだろうか。鉄筋コンクリート製の土台と屋根に、壁は四方が防音ガラス製で、床には絨毯のような分厚い人工芝が敷き詰められている。

 

 家内からのアクセスも良好で、リビングの窓を開ければすぐ左手に吹き抜けの通路があり、こちらはガラス張りではないが雨に濡れないように屋根があって、ドッグランと同じ清潔な人工芝の上を移動できるようになっている。

 

「うん、これならドッグランと行き来してもユッカの足が汚れないから、掃除の手間を気にするお母さんもニッコリだね」

 

 問題はお金が幾ら掛かったのかということだが……いや、言うまい。下手をしたら家を一軒建てるくらいのお金が掛かっていたとしても、お母さんとお父さんの二人がどうせ建てるならいい物が欲しいと思ってそうしたのだ。養われている身で家計の心配をするのは僭越だけど……ちょっとお金を貸してほしいと言われたら大喜びで全財産を預けそうな自分がいる。

 

 まぁいいや。鴨川さんとアーリャの二人も口をポカンとしてるけど、そのうち我が家のスケールに慣れるだろう。これだけ大きなドッグランを建てておきながら、未だに大きな余白と潤沢な植木に池まで残している中庭のスケールにもね。

 

「いやぁ……こういうのを見ると、ゆかりさん()がすごいお金持ちなってことを実感しますね」

 

「あら、鴨川さんだってそうよね? 昨日だけで一千万近く稼いでるんだし、すごい豪邸に引っ越すんだから」

 

「そぉなんだよなぁ〜! スバルは根っからの庶民なのにこんなのってないよっ!!」

 

 わっと泣き崩れる鴨川さんに二人して微笑む。昨夜の配信でゲストの大統領が口を滑らせたとかで、鴨川さんがプールまである豪邸に引っ越すことは知れ渡っている。そのせいで将来を悲嘆する鴨川さんには悪いんだけど、わたしとしては「大変なのは自分だけじゃない」という仲間意識についつい口が弛んでしまうのだ。

 

「さ、ユッカもそろそろ自分の足で歩いてみようか」

 

 そんな鴨川さんを他所に、わたしは胸元の愛犬を人工芝の上に下ろそうとしたんだけど、これが暴れること暴れること。

 

 単純に新しい環境に慣れてないのか、それとも家の外に出るのが怖いのか。通路の手前で振り返って手招きしたんだけど、リビングの窓際で立ち止まったユッカはなかなか降りてきてくれなかったので、ここまで抱っこしてきたんだけど……。

 

「なんだろう……まだ初めてだし、外が怖いのかな?」

 

「うーん、それにしたって怯えすぎじゃないかしら? ゆかりの家に来る前に外に出て怖い経験でもしたのかしら?」

 

 まあ流石にそれはないだろうけど、クンクン切なく鼻を鳴らして抱っこして欲しそうに見上げてくるユッカは、わたしたちが持っているおもちゃが目に入らない感じだ。まずはこの子を落ち着かせてやらないと話にならないかってしゃがみ込むと、案の定ユッカは大喜びで抱っこをせがんできたが、入れ替わるように立ち上がった鴨川さんが身を翻すとそれも変わった。

 

「ああもうっ、嫌なことを考えるのは止め止め! 遊ぶぞぉ、うおりゃあああ!!」

 

 大声で叫ぶやダッシュで駆け出した鴨川さんが、ドッグラン右側の障害物のあるアスレチックコースに突撃した。豪快に翻る学生服のスカートに、躍動する健康的な太もも。そして──。

 

「ちょ、ちょっと鴨川さん!?」

 

 たまらずストップをかけようと立ち上がるのと同時に、足元のユッカが猛然と飛び出し、鴨川さんの後を追いかけた。

 

 さすがは仔犬ながら過酷な環境を生き抜いたシベリアンハスキー。すごい運動量だ。軽々と障害物を飛び越し、一本橋ので鴨川さんに追いついてUターン。二人ともすごい笑顔で戻ってくる。

 

「やりおるな。ではもう一周行くか」

 

「ワンッ」

 

「いやいや、二人ともすっかり馴染んでくれたんだからいいんだけど……そういことをするなら鴨川さんはジャージに着替えてこようか。はっきり言って心臓に悪いです」

 

「おや、これはとんだ失礼を……すぐ着替えてきますね」

 

 上機嫌にスキップを踏みながら通路に戻る鴨川さんを見送ると、もっと遊びたくってウズウズしてるユッカが自分の尻尾を追いかけて円を描き、そんな愛犬の姿に鼻息を荒げるのがわたしとアーリャだった。

 

「ふふ、行くわよ……えいっ!?」

 

 アーリャが投げたボールはへろへろ地面に落下。その飛距離、実に1メートル未満。これにはユッカも困惑。

 

「じゃあ、次はわたしだね。行くよ、ユッカ……ていっ!?」

 

 そしてわたしのフリスビーは防音ガラスに衝突して落下。その飛距離、やはり1メートル未満。

 

「おかしいわね……ボールを投げるのって意外と難しいのかしら?」

 

「うん、難しいねフリスビーって……どう投げるのが正解なんだろ?」

 

「何やってんだよ姉ちゃんたち」

 

 と、そんなことをやっていたら招かれざる客が……なんて言ったら可哀想か。どこがで道草を食っていた弟と妹が騒ぎを聞きつけ、こちらにやって来たようだ。

 

「ちょうど玄関でスバル姉ちゃんと会ったぜ。こういうことをするならおれたちも誘えよな」

 

「あっ、また知らないお姉ちゃんが増えてる。お姉ちゃんって浮気者だね」

 

「知らないとかいうなよ。姉ちゃんの友達なんて二人くらいしかいないんだから、どうせマナカの中の人だろ。おれは姉ちゃんの弟の順平。よろしくな」

 

「わたしは妹のみつる。よろしくね、マナカちゃん」

 

「あはは、ゆかりったらそんな顔をしないの。いい弟さんたちじゃないの。……初めまして。わたしはゆかりの友人で、うるるかマナカの演者。名前はアーリャよ。よろしくね」

 

 うん、まあ、先んじてアーリャに嗜められちゃったから、弟の言いぐさに抗議するのは別の機会にしようか。

 

「で、姉ちゃんたちはボールとフリスビーでユッカと遊んでたのか?」

 

「……うん。でも上手に投げられなくってさ」

 

「はあっ? 姉ちゃんって相変わらずどんくせえのな。いいか、手本を見せてやるからよく見てろよ」

 

 ちょっと、アーリャの前でそういうことを言うのは止めてくれると思ったが、手本は見せてもらいたかったのでグッと堪えた。

 

「いいか、ユッカ。おれが今からボールを投げるから拾ってこいよ……それっ!!」

 

 だが、さすがは体育の成績が小1のころからずっと5の弟だろうか。気軽に腕の力だけで投げたボールは10メートル以上飛んでいった。弟が手を振り抜くと同時に駆け出したユッカが転々とするボールを咥え、大喜びで戻ってくる。

 

「へへっ、ざっとこんなもんよ」

 

「すごいわ! 順平くんって運動神経抜群なのね!!」

 

 いや、たんにうちらがしょぼいだけやわと、地元の方言で無自覚に褒め役を奪ったアーリャに内心で答える。

 

「次はみつるだね! いーい、ユッカ? 今度はみつるのフリスビーを空中でダイレクトキャッチして戻ってくるんだよ」

 

 いや、さすがにそれは難しいんじゃないかと思ったが、ユッカはなんと、美鶴の投げたフリスビーが床に落ちる前に飛びつき、見事に咥えて戻ってきたではないか……!!

 

「キャー! すごいすごい!!」

 

「すごいねー! ほんと天才だよユッカは!!」

 

 褒め役は譲らないとばかりに二人して愛犬を揉みくちゃにする。真っ白なお腹を見せて喜ぶユッカは見るからに幸福そうだった。

 

(ぬる)いことをやってんじゃねぇぞ、お前ら」

 

 そこで今度はジャージに着替えた鴨川さんが戻ってきた。

 

「ジャージに着替えたこの鴨川昴、もはや容赦せん! ついて来いお前ら! 人生は駆け足だ!!」

 

 こちらもなんいうかすごい笑顔だった。

 

 この贅沢なドッグランに運動部員の血が騒いだのか、猛然とダッシュした鴨川さんの後をユッカが追いかけ、キャーキャー言いながら妹たちもそれに続いた。

 

「やっぱり歳の離れた弟さんが二人もいるからかな? 鴨川さんって子供と遊ぶのが上手だね」

 

「ええ……ところでわたしたちはどうするの?」

 

「もちろん行くよ! スカートの端を気にしながらだけどね」

 

 そうして童心に返ってドッグランを走り回ったんだけど、これが楽しかった。馬鹿みたいに騒ぎながら駆け回ったわたしたちは、やがて息が切れ膝が覚束なくなるまでそうしたのだ。

 

 ちなみにダウンした順番はわたし、妹、弟の順番で、鴨川さんとユッカ、そしてアーリャは多少は汗をかいたり呼吸を乱しているものの割と平然としていた。

 

「ああ、くそ……おまえらの体力って底なしかよ……」

 

「まぁスバルはこれでも陸上をやってましたからね。まだまだ若い者には負けませんよ」

 

 悔しそうに漏らす弟に胸を張って答えた鴨川さんが、そこでアーリャに向き直り。

 

「アーリャさんもお見事です。さすがは愛と平和の魔法少女。天晴れな走りっぷりです」

 

「か、鴨川さん、その話は……いまは、ちょっと……」

 

「クゥン?」

 

 昨夜のやらかしに言及されたアーリャが慌て、そして赤面する。

 

 まあ「魔法少女って何だ?」とばかりに顔を見合わせる弟たちに知られたら、多少は面倒になるかもしれないけど……鴨川さんのように現場を見られたわけじゃないから、そこまで心配しなくていいと思うよ。

 

「ところでさっきから気になってたんだけど……こっちの引き戸って何のためにあるのかな?」

 

 というわけで話題を変える目的が半分。もう半分は純粋に気になったので、通路の反対側にある引き戸を開けると、そこには靴を脱ぐ玄関と、ちょっとした休憩用のスペースが用意されていた。

 

 玄関の向こうは道路で、門扉を開けるとすぐ入って来れるようになっている。

 

「なんだろう……見た感じこっちが正規の入り口みたいだけど?」

 

「母ちゃんのことだから、将来的にユッカが外で散歩して友達が増えたら、そいつらにもドッグランを使わせる気なんじゃねぇの?」

 

「見て見て、お姉ちゃんたち。こっちに冷蔵庫があるよ。中身は空っぽだけどちゃんと動いてるみたい」

 

「いやぁー、この椅子は人間をダメにする椅子ですなぁー! もう座り心地が半端ない!」

 

「ええ、それに内装もとってもおしゃれ。飾ってある植物も素敵だし、この場所でいただくお茶はきっと最高よ」

 

 なるほど……どうやらドッグランの完成を楽しみにしていたのはお母さんも一緒だったようだ。

 

 こみ上がる笑いに、わたしはこの場所が素敵な憩いの場になるのを確信するのだった。

 

 

 

 

 

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