転生したら美少女VTuberになるんだ、という夢を見たんだけど? 作:蘇芳ありさ
2011年12月17日(現地時間12:30)
中村さんたちが設置したモニターの向こうで、いま現実と幻想が融合する。
ジュネーブ・セントラルホテルの豪華なパーティー会場を背景に躍動するのは、数えきれないほど配置されたカメラの前に存在するわたしたち本人ではなく、それまで限られたインターネット上のコンテンツにしか存在できなかった
これも現実を仮想的に拡張する試みの一つになるが、思いついたのはついさっき。室内に立体映像の投影が可能なら、実際の風景にCGを重ねるARみたいなことも可能なんじゃないかと思ったが、その結果はさすがサーニャの一言である。
いつものように子供の思いつきを、わたしの
これなら将来的な現実のイベントにも問題なく出張できそうだ。今やバーチャルYTuberの肩書きに偽りすら生じたわたしたちの姿に、モニター内のコメント欄に表示される
[アーニャたん新曲すごかったよ!!]
[Finally Anya-tan becomes a real thing?(遂にアーニャたんが現実のものに?)]
[えっ、これどうやってんの?]
[初見じゃがなんという幻想的な姿じゃ]
[ふつくしい……]
[やべっ、アーニャたんの新曲がすごすぎて意識が飛んでたわw]
[what, just a goddess(なんだ、ただの女神か)]
[これってもしや、実在のアーニャたんたちを3Dモデルに置き換えてるの?]
[たまげた……技術者視点でも軽く30年は先を行かれてますよ、これ]
するとそちらの造詣も明るい視聴者がいたので早速コメントを拾っていく。
「うん、今のコメントにもあったけど、明日のライブで使われる新しい技術を見ていたら思いついてね。実在のわたしたちを3Dのアーニャたちに置き換えるAR(現実拡張)をサーニャに頼んでみたんだ」
「まったくいい迷惑です。そんな思い付きを土壇場で実現できるなど私くらいのものだというのに……アーニャには感謝の心が足りません」
「あはは、ごめんごめん。でも感謝してるよ?」
プリプリと怒ってみせるいつものメイドに微笑み、さっきのお肉を手に自分はどうしたものかと焦る
「はい、ぺこらちゃん、アーン」
「えっ? あ、アーン」
アーニャの口のなかに消えるジューシーなお肉をゆっくりと咀嚼すると、視聴者のみんなも大変な驚きようだった。
[なんという……なんというご褒美]
[たまげたよママン]
[うわっ……ここまで完全な融合を果たしてるとか凄まじすぎる]
[あっ、アーニャさんが我輩の前に受肉を?〉ラプち]
[うん、良かったねラプち〉白鷺風華]
[素晴らしい! ところで私もラプちなのだが?〉愉悦神父]
[Anya-tan is still the best(やはりアーニャたんこそ至高)]
[でもさ、ここまでやられるとバーチャルYTuberを名乗れなくね?]
[実在する非実在人物実現とか夢が広がりすぎて頭がおかしくなるwww]
そこに気付いちゃったか……でもカンのいい視聴者は嫌いじゃないよ?
今の配信で使っているAR関連の技術だけでもこれだ。これからも世界の常識は変わっていくだろう。
明日のライブで立体映像を公開したらどこまで変わるか、言い出しっぺのわたしには想像もつかない。
いつかは当たり前のように受け入れられるにしても、しばらくは混乱もあるだろうから、わたしとしては受け入れられるための努力を怠るわけにはいかない。
「うん、でもそれはサーニャの頑張りがあってこその話だから、今後もアーニャたちがVTuberを名乗るのは許してね?」
ちょっとしたサービスとばかりにその場で一回転。スカートの端を摘んでお願いすると、視聴者のみんなは大喜びで「勿論だよ!」と懐柔されるのだった。
ふぅ……描いた覚えのない下着を見られたらたまらないと初配信以降は封印してきたお辞儀だけど、上手く出来てよかった。
ふふふ、若干サーニャが悔しそうだけど、実際に見えてないんだから厳密な物理演算とやらの出番はないよね。ザマーミロなのだ。
「ま、今回の配信で使ってるAR関連の説明はそんな感じで、次はどうしてアーニャたちがここに居るか説明するね?」
さて、それではわたしの思いつきで始まった今回のオフコラボだが、まずは優先事項から説明したい。
特に重要なのは二つ。明日のライブと、オープンを見合わせたホロライブの事務所の今後についてだ。
どちらも大規模な通信障害でYTubeと繋がらなくなって以降、十分な情報提供ができなかったように感じるからね。ここはめんどくさがらず丁寧に説明したい。
「というわけで、冒頭の挨拶でもちょっと触れたけど、アーニャとホロライブのみんなは明日のライブを控えて、ここ、スイスのジュネーブ・セントラルホテルに宿泊しています」
ザッと背後を振り返ると、そこには各国の料理を手に自信ありげなVTuberのみんなが手を振って応えてくれた。
さすがだ。悪戯好きのメイドが勝手に始めちゃったにも関わらず、この短時間で自分たちの果たすべき役割を見極めた彼女たちは、出しゃばらずわたしの話を注視している。
「そうなった事情はアーニャが歌いたかったからという、割としょうもない理由なんだけど……詳しく聞きたい人いる?」
[いや、その辺はまぁ、アーニャたんのやることだしねw]
[その場の思いつきでここまで突っ走ったアーニャたんにそれを訊くとかwww]
[Freedom is the best for Anya-tan(アーニャたんは自由なのが一番)]
[ホンマ、毎回付き合わされるサーニャたんたちはお疲れ様やでぇ]
[いいよいいよ、俺らは全力で楽しんでるアーニャたんを応援するだけだし]
[そこに居るのは好きでアーニャたんに振り回されとるヤツらだけやしね]
[それで迷惑するヤツが俺らの中にいるか?]
[That's the charm of Anya-tan(それがアーニャたんの魅力よ)]
[外野の声は気にせずアーニャたんの好きにしたって?]
ネットには今回のライブを色んな騒動に関連付ける声もあるそうだけど……そんな声は微塵も聞こえず、やっぱりわたしは視聴者に恵まれたなって嬉しくなる。
「じゃ、そっちは割愛して明日のライブについて説明すると、アーニャのファーストライブはWisperで告知した通り、このスイスのジュネーブ音楽院フランツ・リストホールで、日本時間の夜8時……こちらだと明日の正午かな? ドイツのベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で行われる予定なんだけど、わたしの単独ライブというわけじゃなく、何曲かホロライブのみんなにも手伝ってもらえることになりました」
わたしがライブの全容を明らかにすると視聴者は大きな驚きを見せた。
もちろんその中にはあの子たちの参加を不安視するものもあったが、これに関してはとっておきの切り札で応戦することにした。
「ふふ、いまマリン船長こと社畜ネキさんも一緒で大丈夫か、ってコメントした人は覚悟してね? 明日のライブが終わったら『おっ、誰かと思ったら社畜ネキで大丈夫かの人じゃん』って呼ばれるようになるから」
[そwwwれwwwwはwwwww]
[おい、社畜ネキで大丈夫かのヤツ反省しとけよwww]
[ああ見えて歌上手いんだよね、マリン〉白鷺風華]
[他の子もアーニャたんが決めたんなら問題無しだろ]
[It's Anya-tan's live, so you can do what Anya-tan likes(アーニャたんの好きにしてよくね?)]
[そうだ、社畜ネキで大丈夫かのヤツはアーニャたんに謝ってどうぞ]
[正直すまんかった!〉社畜ネキで大丈夫かの人]
[ちょwwwさっそく反映されてるwwwwwww]
[ところでアーニャたん、俺らはどこで見ればいいの?]
途端にお祭りとなるコメント欄に吹き出しそうになる。まあ安心して見てなさいって。本気を出したみんなは色々とおかしいんだから……と、一番大事なことを説明してなかったか。
「うん、いま訊かれたけど、残念ながら今回は一般チケットの販売は無し。その代わり会場には各国の報道関係者とテレビ局スタッフを受け入れて、明日のライブはYTubeだけじゃなく各国のテレビからも視聴できる予定だから、家族みんなで楽しんでもらえたら嬉しいな」
[おーっ、遂にアーニャたんたちが公共の電波にも出現か]
[思い切ったなぁ……放映権を取ればいいのに、どこまでも自腹なのか]
[事務所には多額の広告費が寄せられてるって話だから還元のつもりなんだろうが]
[うーん、告知から実行まで時間がないから仕方ないのかもしれんが……]
[アーニャたんたちがお金の面で損をすることがないようにしてほしいな]
[うん、まだ子供のアーニャたんの前でお金の話はしたくないけど……]
[やっぱさ、アーニャたんにはきちんと報われてほしいって思うのよね]
[俺らも今まで楽しませてもらった分を返したいって気持ちもあるしさ]
[Is this the custom of Anya-tan's family?(こ、これが雪国民の民度か?)]
そうして今回のライブが事実上無収益であることを明かすと、途端にコメントは心配の声で埋め尽くされた。
まぁサーニャ一人でも兆単位の蓄えがあるっていうし、みんなの言うようにホロライブには使いきれないほどの資金があるっていうから、明日のライブに関わる人たちも無報酬ってわけじゃない。
ただみんなの推しに報いたい気持ちも分からないわけじゃないし、以前から考えていたこともあるのでチラリと確認すると、サーニャは笑顔で許可を出してくれたからそちらの話もしておこう。
「うん、今回は入場料とか放映料は取らない方針だけど、その代わりアーニャちゃんねるのスーパーチャットを解禁して……収益は全額、サーニャがソフトウェア関連の研究と、エンジニアの育成を目的として起業する予定の財団に寄付する方針です。明日の配信でスーパーチャットを使う人は、あらかじめこの点に同意してくださいね」
「ええ、こちちらはN社の支援のもと世界各地に事業所を展開する予定ですが、やる気があるなら学歴や経験を問わず幅広く募集する予定なので、奮ってご応募ください」
そうだ、これもずっと前から考えていたことだ。サーニャがディスコや宇宙人狼を開発したために割を食った人たちに還元できる制度の実現を、わたしはずっと願っていた。
当初は慈善団体を通じて、貧困に苦しむ人たちに寄付することも考えたんだけど……サーニャの話によると、そうした寄付の恩恵が末端まで行き渡るシステムは未だに確立されていないらしい。
なのでそちらは今後の課題として、今回はソフトウェア関連の開発を行うエンジニアの育成に投資することにした。
こちらはわたしの自己満足にならないように、磐田社長の協力も仰いだ。資金、ノウハウ、伝手と全部揃ったこの試みが成功するように祈りたい。
「とまぁ、明日のライブとスーパーチャットの使い道はこんな感じで、これからアーニャたちは視聴者のみんなには失礼して、各国の好意で寄せられた料理を楽しみつつ、食レポをしながら今後の抱負や意気込みを聞いていくんだけど……その前に中村さん?」
「アーニャさんが呼んでるッスよ、先輩」
「えっ? あら、あらあらあら何かしらアーニャさん!?」
まさか話を振られると思わなかったのか、わたしの配信を邪魔しないように、見えないところでこっそり料理を楽しんでいた中村さんは大変な驚きようだった。
「うん、ごめんね邪魔しちゃって? でも聞きたい話があるから、北上さんたちもこっちに来てもらえるかな?」
すると隣で溜め息をついたサーニャが、中村さんたちに汎用の3Dモデルを適用する。途端にモニター上で確認できるようになった中村さんたちは、そそくさとこちらに駆け寄ってきた。
「ただいまご紹介に預かりましたホロライブプロダクションの責任者、中村です。……食べてるところは見られてないわよね?」
「知らねッス。えー、アーニャさんのマネージャーをやってるスタッフの北上ッス。アーニャさんを金儲けに利用しようとする金に汚い大人と殴り合うのが自分の役割なんで、よろしくお願いするッス」
「日向です。主に大空スバルさんのマネジメント業務を担当していますが、今回はスタッフの一人として同行しています。どうかお手柔らかにお願いしますね?」
美人のキャリアウーマン風の中村さんと、オタクっぽい北上さんに、爽やかな笑顔の日向さんがわたしの無茶振りにもめげず、笑顔で挨拶するのを見届けてから尋ねる。
「中村さんにお尋ねします。ホロライブの事務所を切り盛りする株式会社カバーさんは、YTubeとの安定した接続に不安が生じたことから、日本各地に展開予定の事務所のオープンを見合わせたと伺いましたが、今後の予定はどうなっているのでしょうか?」
わたしの質問にここに呼ばれた理由を察したのか、中村さんの表情が真剣な物になる。
「はい、アーニャさんの仰るように、私ども株式会社カバーは今回アメリカの西部で発生した大規模な通信障害により、YTubeを通じた持続的なサービスの提供を不安視しましたが、現在そちらの問題は解決され、今後も同じ問題は発生しないとサーニャさんから伺っております」
「そうなのサーニャ?」
「そうなりますね。私もこのような些事に振り回されるのはごめんですから、合衆国を通して多少のテコ入れを。主に七基のスーパーAIを投入して回線網の監視体制を構築しました。スパコン程度の演算力では突破できないようにしましたから、今後は大規模な空爆でもない限りYTubeとの接続が不可能になることはないかと」
わたしの質問に付随して中村さんが新たな事実を明らかにすると、サーニャの口から相変わらずぶっ飛んだ保証が。
「まぁ、今回の通信障害が誰の仕業か突き止められなかったのは悔しいところですが、今後は覚悟することですね。仮に核を使おうと、今回の渡航で使われたフロンティア・スピリッツ号に搭載された縮退砲を用いれば、全弾迎撃も容易です」
ああ、そっちの話をするつもりはなかったのに飛び火しちゃったかぁ……コメント欄を見るのが怖いな。
[いま縮退砲って言ったような……?]
[フロンティア・スピリッツ号ならこちらでも観測されましたよ!〉キアラ]
[時速6万キロの艦に縮退砲とか完全にガイ◯ックスやん]
[あかん、宇宙の法則が乱れるwwww]
[ふふふ、サーニャ=サンの技術力は宇宙一ですね〉アメリア]
[あんなのと相見える中国海軍かわいそ過ぎだろw]
[完全に自業自得だけど同情の余地があり過ぎますね〉畜神ミオ]
[会見でシュバちゃん3世が7回も義理の娘のおかげを強調してたよな]
[先生がバカの末路って言ってた!〉紺野茉莉]
よし、
「ありがとうございます。問題が解決したから今後は予定通りでいいんですね?」
「ええ、それにサーニャさんが用意してくださった
ふむ? そちらに関しては今回のライブで味を占めた向こう次第だけど、仲良くしたいというなら断る筋合いじゃないもんね。調整を担当する中村さんたちは大変かもしれないけど、なんとか頑張ってほしいところだ。
「おかげでよく分かりました! ホロライブに応募したみんなは心配しちゃったかもだけど、焦らず研修の開始を待ってね? ありがとうございました、カバーさんの中村さんたちでした」
「こちらこそありがとうございました! 株式会社カバーは引き続きアーニャさんたちの活動を全面的にサポート致しますわ!」
「まぁ自分はアーニャさんに味方すると決めた人間なんで、それ以外の人たちにとっては愉快な人間じゃないかもしれないッスけどね」
「またそんなことを言っちゃって……こんなことを言ってますけど、北上さんって意外と熱血漢なんですよ? 嫌いにならないでくださいね?」
わぁーっと拍手すると中村さんたちがお辞儀をして、コメント欄の話題もこれ一色になった。
[中村さんどことは言わんが眼福やのぅ……おいちゃん嬉しいわ]
[北上さんもええ性格しとるわw]
[ねぇアーニャさん、この人たちもVTuberとしてデビューさせるの?〉四宮ノエル]
[なんか日向さんのほわほわした笑顔に癒されるわ……]
[ホロライブって裏方もこのレベルなの?〉天宮ソラ]
[彼女たちのサポートがあるならVTuberの未来は明るいね!〉キャプテンAS]
[Miyuki-tan, can you bow again?(みゆきたんもう一回お辞儀して?)]
[北上さんはアーニャたんのマネージャーとして一番大事なことを心得てるな]
[いいねぇ、ホロガールズ! 今後も配信に顔を出してほしいわ]
そうだね。そのうち中村さんたちがみんなに弄られる時代が来るかもしれないよ?
そのときのためにも、わたしはこれまでの活動を通して知り合ったすべての人たちに感謝しつつ、この配信を進めるのだった。
そんなふうに業務連絡も終わったので、相も変わらずどうしていいか分からずわたしの背後に立ち尽くすぺこらちゃんを連れて、見るからに色々とやらかしてる人たちのところに突撃することにした。
名前を付けるとしたら、さしずめ『突撃となりの晩ごはん! ホロメンと行く食レポの旅!!』かな?
「ね、ねぇアーニャちゃん……アーニャちゃんの相方なんて大事な役、本当にぺこーらでいいの? 今からでもサーニャちゃんに代わってもらったほうがいいんじゃ……」
「ううん、適任だよ。サーニャはAR関連のソフトが誤作動を起こさないように監視するので忙しいのもあるけど、ぺこらちゃんなら安心して任せられるからね。切れ味の鋭いツッコミ、期待してるよ」
そうだ、これ以上の適任は他にない。わたしは自信なさげに「う、うん。そこまで言うなら頑張る」と何度かうなずいたぺこらちゃんに微笑み、さて、どこから行こうかと吟味する。
会場の広いスペースに散ったあの子たちは、0期生や1期生という狭い枠組みに囚われることなく幅広く交流しているようだ。
世界各国の料理を手に談笑する彼女たちは例外なく微笑み、時折りこちらに視線を寄越していつ来るのかと手ぐすねを引いて待ち構えてるようでもあったが……まずはあそこか。
匂いを嗅いでるだけでもお腹がいっぱいになりそうなこの食堂で、ひときわ芳しく強烈な香辛料の香りが漂うその一角。飼い主の足元でお利口さんにしているラブラドール・レトリーバーが嬉しそうに尻尾を振り、わたしたちを追い抜いたシベリアンハスキーの仔犬がその鼻先に抱きつくようにして甘える。
「いらっしゃーい! 本格インドカリー専門店フブあやへようこそ! 店長の白上フブキです、どうぞよろしくぅー!」
「うちは女将の百鬼あやめだよ。ようこそお越しやす」
「ウェイトレスのがうる・ぐらだよ。本当は
「いや、色々とおかしいだろ? いつからここはフブちゃんたちの店になったんだよ!? しかも最後! おまえそれ絶対ウェイトレスの仕事じゃねぇーぺこだろ、バカタレがぁ!!」
そうして響き渡ったのは、社畜ネキ時代からのマリン船長との付き合いで磨き抜かれたであろう、切れ味抜群のツッコミだった。
途端に生気を取り戻して怒鳴りつけるツッコミ体質の少女に、わたしを含めた全員が大喜びだ。
「ふふ、本格インドカリー専門店なんだ。どうしてそうなったのか聞かせてもらえる?」
ちょっとぺこらちゃんに叱られそうだけど、くすくす笑みをこぼしながら尋ねると、白上さんは大事な仲間が調子を取り戻したことを喜んでいるとしか思えない笑顔でこう答えるのだった。
「いやいや、実は白上たちも本格的なインドカリーは初めてだったので、中村さんを通してどう食べたらいいかお伺いしたんですけど、詳しく聞かせていただいたらハマってしまいまして」
「基本的にこっちのナンっていうインドのパンみたいなのを、あっちのカレーにつけて食べればいいみたいなんやけど、見ての通り種類がぎょうさんあるからね。好みの味付けを求めて他のカレーやら、香辛料やらヨーグルトやらを混ぜてもいいみたいなんで、それでブレンドにハマったっちゅう寸法や」
そして相方として当然のように割り込んだあやめ殿が、ほれほれと自慢の一品らしきカレーポットをいきり立つ女の子の前にチラつかせる。
「腹が空いとるからってそうカリカリせんで、他の料理が食べられる程度に腹を満たして幸せになりな。インドカリーだけに」
「焼きたてのナンも美味しいよ。はい、アーンして? わたしが食べさせてあげる」
ダジャレかよと毒突いたぺこらちゃんは、この日二度目となるわたしに続いてカメラの前でのアーンが恥ずかしいのかしばらく
そうして口の中に消えたカレー付きのナンを、目を閉じたぺこらちゃんはおっかなびっくり咀嚼する。それを差し出した人物の性格を思えば激辛のスパイスを仕込まれていてもおかしくなかったが、さすがにその手の悪戯は施されていなかったようで、目を開けて口元を押さえたうさぎの女の子は意外そうに顔をほころばせた。
「あ、すっごく美味しいね……わたしあんまり辛いのは苦手なんだけど、これは辛いのに口当たりが柔らかくって全然食べられるよ」
「だって? ハイッ、アーニャもアーン!」
「はい、アーン」
そうしてぺこらちゃんの保証付きのナンをぐらちゃんに食べさせてもらったが、たしかにこれは絶品だった。辛いけど口の中が焼けるような痛みでいっぱいになることはなく、微かに感じられる甘みのようなものがナンとも心地よかった。ナンだけに。
「うん。ありがとうね、ぐらちゃん。とっても美味しかったよ」
「やった、ミッションコンプリート! それじゃあわたしはマリンを悔しがらせてくるから、またね?」
わたしのほうが年下だけどお礼に頭を撫であげると、大喜びのサメちゃんは元気いっぱいにその場を後にした。
ぺこらちゃんは「フリーダムなヤツだな。まだ研修も受けてないのに野放しにして大丈夫か」と呆れているようだけど、あの子の明るさに救われているようでもあった。
「まぁぺこらさんのおっしゃるように、実はこのカレー、美味しいけど辛すぎて一口が限界っていう激辛カレーにヨーグルトを混ぜて、なんとか食べられるようにしただけのものですから、出すときは注意したほうがいいかもですね」
「せやな。腹んなかで何日も寝かせて極太にしてからひり出すと、たぶん地獄を見ることになるから、うんちは早めに出しておかんとアカンよ」
「おいっ、なんちゅうもんを食わせてくれたんだ! しかもアーニャちゃんの配信でシモの話なんぞすな! 反省しろっ、このバカタレどもがぁ……!!」
しかし配信慣れしている二人の口からそれ以上にフリーダムな話が出ると、途端に激昂したぺこらちゃんは全身の毛を逆立てて抗議するのだった。
「まぁまぁ、ぺこらちゃんも落ち着いて? わたしなら毎日モリモリうんちをしてるから大丈夫だよ。ぺこらちゃんも辛かったら早めに相談してね」
わたしといえば、未来のVTuberがうんちの話で盛り上がったのを憶えていたのでそう宥めたけど、よく考えたらとんでもなかったね。
コメント欄が予想通り『うんち助かる』で埋め尽くされるのを見て、どっちの視聴者も考える言葉は一緒なんだなって半笑いではあったものの、これを見ているお父さんが居た堪れなくなるような話は避けたほうが無難だったかも……。
「……まぁいいや。それより白上さんたちは明日のライブが終わったらデビューまで秒読みだけど、今後の抱負を聞いてもいいかな?」
少し恥ずかしくなってきたのを誤魔化して訊ねると、お二人は自身ありげに顔を見合わせてからこう答えた。
「抱負と言われましても、白上たちはもともと二人でゲームの実況配信をしていましたからね。ホロライブのVTuberになってできることが格段に増えましたが、基本的には同じことを続けるつもりです」
「うん、フブキも言っとるけど、うちらはゲーセンのほうが好きなんよ。せやから今までもゲーセンのゲームをなんとか実況配信できんか、試行錯誤してきたんやけど……」
「なかなか撮影を許可してくれるゲーセンはありませんし、顔出しもねぇー。自宅でこっそりならまだしも、ゲーセンで堂々となると、ナンパの類がとにかく面倒で」
「だからアーニャちゃんたちには、また感謝することが増えたわ。このARがあれば、貸切に応じてくれるゲーセンさえ見つけりゃ、念願のゲーセン配信ができそうやろ?」
「それに今回、アーニャさんのライブの練習に参加して思ったんですけど、どうも白上たちは、人前で歌うのが好きなほうかもしれませんね」
「うんうん。余もマリンたちとカラオケ行ったりしとるから、今後はそっちもやってみようかってフブキと話とってな」
「まぁ、わたしたちフブあやの近況報告と今後の抱負はそんな感じで……どうかアーニャちゃんねるの皆様と、昔からのファンの皆様におかれましては、今後も温かく見守っていただければと」
「余は今後もコンビ配信者としてフブキの
「クゥーン、ハッハッ、ワンッ」
最後に世界初の動物系VTuberのゴン太くんが飼い主の話を締めくくると、ぺこらちゃんが感心したように漏らした。
「フブちゃんたちスゲェぺこだな……ちゃんと色々考えてるんだ」
「うん、白上さんには自分の道がちゃんと見えてるね。この道に引きずり込んだわたしとしては一安心かな? もう一人のお嬢さまは完全におんぶに抱っこだから不安だけど……」
「アーニャちゃんまでそんなことを言うなんていけずやわ。ええやん、余のなかではもう完全にフブキ嫁いどる心境やし」
「家のことを何一つしようともしないくせに笑わせるんじゃありませんよ。そういうセリフはせめて一人でお風呂に入れるようになってから言いなさい」
「うそっ、あやめさんってそのレベルなの!?」
思わぬ内情を相方に暴露されたお嬢さまが「だってナキリ、自力で入るの面倒やし」って唇を尖らせると、ぺこらちゃんの口から非常に個性的な笑い声が飛び出した。
無敵の声帯を持つわたしでもそう簡単に真似はできない独自の引き笑いに、楽しい気分がますます盛り上がる。
「あー、おっかしい……コイツガチニートじゃん。たかられるフブちゃんに本気で同情したわ」
「いいもん。余は、パパ上にもママ上にもお願いだからお前は働こうとか考えんでくれって言われとるし、フブキの部屋代と生活費も二人が払っとるもんね。せやからこれは親公認やわ。絶対逃さへんわ」
「……おい、その話はおまえができもしない一人暮らしをしようとして、こっちに飛び火しただけだろ。白上はバイトしながら大学に通うつもりだったのに、断りきれずにお前の面倒を見る仕事を引き受けたんだから、どちらにしろおまえがふんぞり返る話じゃない。わかったら反省をしなさい、反省を」
「はぁーい……ううっ、フブキってば二人っきりでもそうじゃなくても百鬼に厳しすぎひん?」
どこか不満そうにぶう垂れるお嬢さまを、白上さんは保護者目線で叱りつけて反省させる。
人に歴史ありというが、今の話を聞いただけでもこの二人がどんな生活をしているのか興味は尽きない。
そう思ったのはわたしだけではなく、横目で確認したコメント欄もこの魅力たっぷりのコンビに興味津々のようで、わたしまで嬉しくなってきた。
「うん、二人とも素敵な話を聞かせてくれてありがとうございました。とっても楽しかったです」
「いえいえ、こちらこそ楽しかったです。白上たちはもう少しお客さんにインドカリーを振る舞いますので、食べたくなったらまたいらしてくださいな」
「その代わりうんちは毎日もりもりすること! 極太の激辛をひり出すとか本気で地獄やから気い付けぇや?」
「ああ、もうっ……うんちの話はやめろっつってんだろ!? カレーを食べてるときにうんちの話をするとか、最低すぎてどこから突っ込めばいいか判らねぇからよ!!」
まあね。あまり上品じゃない話をしているのは間違いないんだろうけど、かといって下品って印象もなかったりするのだ。
弟が見ていたら「うんちの話で盛り上がるとかガキかよ」って呆れるだろうけど、なんていうかこれも人柄かな。あやめさんの口から出ると汚いとか品がないとか思えないのが正直なところだ。
「それじゃあわたしたちは他の子の様子を見てくるから、白上さんとあやめお嬢さまもカレー屋が終わったらこっちに遊びにきてくださいね?」
「はぁーい、またぁー! そのときはよろしくお願いします、アーニャさん!」
「ほれ、ユッカちゃんもうちのゴン太に構っとる場合やないで? ほれほれ、アーニャちゃん行っちゃうよ? 追いかけんでええんか?」
そうしてゴン太くんと名残惜しそうにお別れして、慌てて追いかけてきた
「幽霊の正体見たり枯れ尾花、ってとこだね。あの怠け者の本性はそれとなく察してたけど、フブちゃんも十分にアレだわ。さすがはマリンと仲良くどつき漫才をしているだけあるよ」
「そうだね。わたしも驚いたけど、それだけ
北上さんによると、なんでもホロライブは
でも無理やり言わされてるような感じはまったくしなかったから、あれは多分、あの人の素の部分だ。これまでの付き合いを振り返っても、どこかわたしに遠慮しているところのあった白上さんが、安心して素顔を見せてくれるようになったんだとしたら……嬉しくって顔がにやけちゃうな。
他の子はどうだろう──そう思うといてもたってもいられず駆け出しそうになるわたしだった。
さて、そうして浮かれてスキップをしたわたしだったが、あまりに異様な光景に思わず足を止めるのだった。
中国政府が今回のライブを黙殺する構えを崩していないことから、中華料理のスペースがあるとは思わなかったのもある。だが真に異様なのはその一画に陣取るヌシの存在だった。
どう見てもラーメン店の従業員の格好にしか見えない女傑が、これまたラーメンの屋台としか思えないもののなかに君臨しているのだから、この驚きも当然だろう。
「いらっしゃい。麺屋ぼたんへようこそ。とりあえずラーメンでお腹いっぱいになるのもアレだから半人前でいい?」
「いや、いらっしゃいじゃなくてだな……ぼたんさんまで何やってるぺこだよ!?」
再び炸裂するぺこらちゃんのツッコミに、しかしぼたんさんは微塵も動じず。
「いや、あたしラーメン好きなんだけど、香港と台湾から送られてきた中華料理はあるのに、ラーメンはないから例の隊長さんに聞いてみたんだけど、作り置きができないから並んでないけど材料はあるからお作りしますか、って言われてね。それなら自分で作りますって調理器具を借りてきたんだ」
「答えになってねぇよ! それがどうして自分で作ることになるんだよ!?」
うん……とりあえず中国政府と微妙な関係にある香港と台湾が好意で色々してくれてるのは判った。
でもよかったらお作りしますが、どうしてそれなら自分で作るになるのか、ぺこらちゃんの言うように謎のままだ。
そんな話を切り出された隊長さんも困っただろう。一見、穏やかな常識人に思えたぼたんさんだったが、その正体は経歴ともども恐ろしいものだったようだ。
過去に搭乗した飛行機が3回とも墜落したと話したときに、社畜ネキさんが「ヤベェな、コイツも天然かよ」と戦慄した意味を、わたしは察せずにはいられなかった。
「おや、ここはラーメン屋ですか?」
そんなわたしの背後から屋台の暖簾を潜ったのは、見るからにご機嫌のスバルちゃんだった。
「おーっ、スバルちゃんもいらっしゃい。アーニャさんにも言ったけど、こんなに色んな料理があるのにラーメンでお腹いっぱいになるのは勿体ないから、とんこつラーメン半人前しか提供してないけどいいかな」
「あっ、アーニャさんたちもご一緒でしたか。挨拶が遅れちゃってごめんなさい。とりあえずスバルは軽く5人前は食べてきたんですけど、またまだ腹八分目なので、ぼたんさんは麺大盛りでお願いできますか?」
「うわっ、さすがは現役の運動部員だね。そういうことなら喜んで大盛りにするけど、ここの料理に比べたら大したもんじゃないから、口に合わなかったらごめんねー」
「ああ、あと外にあった餃子と炒飯も持ってきたんですけど、ここで一緒に食べてもいいですかね?」
「いいよいいよ。アーニャさんとぺこらさんも座って待ってて? すぐ用意するから」
そうして陽キャの圧が凄すぎるマイペースなふたりに屋台の席に押し込まれる。
なんということだろうか……これはようするに
「もう開いた口が塞がらねぇよ……アーニャちゃんの教え子にまともな常識のあるヤツはいねぇのかよ。師匠に申し訳なさすぎだろ……」
うん……わたしを気遣ったぺこらちゃんには悪いんだけど、たぶんこれ、類は友を呼ぶとか朱に交われば赤くなるということわざの実例みたいなもんだね。
何かと常識人を気取ったりするわたしだけど、これだけサーニャたちに思い込んだら命懸けの性格を指摘されると自覚くらい芽生えるんだ……。
しかしスバルちゃんもすごいな。当初は家族のこととか、これからの生活を不安に思うあまり、オロオロする姿が目立ったけど……そうした不安が解消されてからは、一皮剥けたというか、素の部分に磨きがかかったというか。
相変わらず苦手のホラーをやらせればオロオロするんだろうけど、視聴者が見ているのにも関わらずご飯をモリモリ食べるスバルちゃんの横顔からは、図太くなったなぁという感想しか出てこなかった。
「あっ……スバルだけご飯を食べてごめんなさい。すぐアーニャさんたちの分も持ってきますから」
唖然と見守るわたしとぺこらちゃんの視線に気がついたのか、少しだけ照れくさそうに笑ったスバルちゃんが席を立とうとしたので押し留める。いや、本当に羨ましそうに見てたんじゃないし。
「ううん、わたしとぺこらちゃんは向こうでカレーをご馳走になったばかりだから大丈夫だよ」
「おーっ、カレーですか……いいですね。スバルもあとで行ってみます」
「こんなに食べたのにまだ食えんのか……底なしかよ、胃袋」
普段の食べっぷりを知らないぺこらちゃんが呆れるが、スバルちゃんはどこ吹く風と言わんばかりにケラケラと笑った。
「クラスの友人にはよくからかわれますが、スバルなんてうちの部じゃ割と胃袋が小さいほうでして……一番すごいヤツだと、朝は3杯、10時に早弁、昼は別の弁当と購買のパンを何個か食べて、部活の前にメシを3杯もかっ喰らったのに、夜は自宅で焼肉を5人前なんてのもいますからね……もちろん女子で」
思わず胃袋の中身がこみ上げてきそうな話に口元を押さえると、屋台の調理場に立つぼたんさんが楽しそうに笑った。
「そりゃすごいね。でも運動部なら割と普通かな。プロの選手も一日中メシを食ってるっていうし、スバルちゃんも毎日20キロくらい走ってるんでしょ?」
「スバルの競技種目は400メートルですからもっとですね。自宅と学校を走って往復するだけで20キロはありますから、最低でもその倍は毎日欠かさず走ってましたね」
道理で仔犬ながらシベリアンハスキーの全力疾走についていけるはずだと、わたしの膝の上で眠そうにあくびをした愛犬の頭を撫でる。
「過去形なの? そっちは大学に入ったらやらない感じ?」
「はい。色々と迷いましたが、スバルはVTuberになると決めましたからね。そちらはもう処分しました」
そう断言したスバルちゃんの横顔はすっきりしたもので、未練のようなものは感じられなかった。
「これを言っちゃうと、アーニャさんが責任を感じちゃうかもしれないからハッキリと伝えますが、スバルがこの道を選んだのは自宅が火事になって路頭に迷ったからでも、アーニャさんが誘ってくれたからでもありません。たとえ何事もなく大学に進学して陸上を続けたとしても、スバルはどこかでこの道を志したと思いますから」
「……うん。スバルちゃんが後悔してないのは知ってるよ」
仮に後ろ髪を引かれる思いがあったとしても、それはわたしの胸で眠ったあの夜までだ。
それ以降の彼女は大喜びでわたしという暴走列車に乗り込んで、そのジェットコースターぶりに全力で悲鳴をあげながら楽しんでくれた確信がある。
「うーん、いい話だねぇ……これは以前の配信でチラッと耳にした例のアレかな? アーニャさんと一緒のお風呂に入って、夜も一緒に寝てるっていう?」
「え゛っ!?」
そんなわたしたちを微笑ましそうに見つめるぼたんさんの言葉に、ぺこらちゃんがギョッとしたように腰を浮かせる。
「あー、してましたねぇ……アーニャさんはあまり洗いっこは好きじゃないみたいですが、アーニャさんのお家でお世話になった初日に、スバルのコトをこう、優しく抱きしめてくれましてね。気がついたら朝になっておりまして、久しぶりに安眠できた次第なんですよね」
「うんうん。あったよね、そんなことも」
そうだ。口に出したらぜったい誤解されるから言わないけど、心の中なら構うまい。あの抱擁に性的な意図などなかった。途中から逆の立場になって、
ふと気になってコメント欄を確認したが、そこにあるのは『てぇてぇ』の文字ばかり……よしよし、みんな分かってるなと安心する。
「羨ましいね。あたしも行きのヘリで口を滑らせたけど、無人島に漂着してサバイバルをした経験があってね。もともと映画か何かの影響でそういうのが大好きでさ、アメリカにいたときに両親にねだってそっちの学校にも通わせてもらったから、体力的にはへっちゃらだったけど……精神的にはキツくてね。あたしは何のために生きてるんだと考えるようになったらもうダメだ。そんなときにアーニャさんがいてくれたら答えはシンプルだった。だからちょっとだけ羨ましい」
ふと過去を懐かしんで遠い目をしたぼたんさんが、具を盛り付けたどんぶりを差し出してくる。
「不幸中の幸いなんだけど、あたしが漂着した無人島は日本からそんなに離れてなかったらしくて、たまたま近くを通りかかった日本の漁船に発見されて救助されてさ……日本で最初に食べたのがこのラーメンだった」
「ぼたんさん……」
ぺこらちゃんが涙に潤んだ瞳でぼたんさんを見上げる。聡明な彼女は気づいてるようだ。この精神的にも穏やかな女性がそこまで追い詰められたのは何故か。
「不思議なもんでさ、人間そんな状態でも温かいものを食べると生きててよかったと思うんだ。あたしにとってこのラーメンはその味……あのときのラーメンには及ばないけどよかったら食べてみてよ」
「はい、いただきます」
そう答えて啜ったラーメンは、たしかに何の変哲もないとんこつラーメンだった。
でもそのラーメンから、少しでも美味しいものを作ろうという努力の跡を感じたのは気の所為ではないだろう。ラーメンでお腹いっぱいになって他の料理が食べられなくなったら可哀想だという、ぼたんさんの優しさ。わたしがいま口にしているのは、彼女の人間性そのものなのだろう。
「美味しいです……とっても……」
「うん……なんだか優しい味がして涙が出そうだよ……」
「やめろよ、そんなこと言うの……スバルも鼻水が出てきちゃったじゃねぇか……」
「あー、そりゃ大変だ。はい、ティッシュティッシュ……ごめんね、変な話をしちゃって。おかげでスバルちゃんのラーメンがすごいことになるとこだったわ」
おおらかで優しく、いつでも楽しそうにゲラゲラ笑ってるぼたんさんから孤独の陰を感じることはない。どんなに辛い過去があっても前を向いて笑っているぼたんさんは、しかしわたしたちの目元を拭ってこう言うのだ。
「ま、そんなわたしがアーニャさんに憧れたのはね、ようやく気づくことができたからなんだ」
「何に気がついたんですか?」
この質問はわたしの役目だ。他の誰にも譲れないと思って尋ねると、彼女はこれまでに一番優しい目でわたしを見つめてきた。
「あたしはね、たしかに自分でも強くあろうとしたの。でもそうやって強くなって、一人で生きられるようになったあたしは退屈だった。最初に遭難したときのように、こんなになって生きてどうするんだろって悩んで……
何か重大な話を打ち明けようとする女性は笑顔だった。だからわたしも最高の笑顔で彼女の言葉を待った。
「人間一人じゃ生きられないって意味を、あたしは勘違いしてた。たしかにあたしは一人でも生きていける。このナイフと空のペットボトルさえあれば、何にもない無人島に流れ着いても余裕でね。でも楽しくない。独りじゃ全然楽しくないんだ。あたしはそのことにアーニャさんとマリン船長のコラボ配信を見て気づいたんだ。本当にあのときは数年ぶりに笑い転げで死ぬかと思ったよ。……だからあたしはアーニャさんとマリン船長の大ファンなんだ」
その言葉に混じった意外な人物の名前に、ぺこらちゃんはしかし納得したように微笑んだ。
「妙に突っかかると思ったけど……なんだ、そういうことか。好きで好きで仕方ないから絡んでたんだね」
「まぁね。でもその辺はぺこらさんも一緒でしょ?」
「うん、大好き……って、これ本人には言わないでよ? ぜったい調子に乗るから……」
「分かりました。この秘密は不肖大空スバル、墓場まで持っていくと誓いますが……これ本人はこっちに気づかずお酒に夢中だけど、あとでアーカイブを確認されたら意味なくねぇ?」
「そういうことなら今のところはアーカイブに収録しないから大丈夫だよ。……言えないよね、わたしたち3人は口では何やかや言ってるけど、本当はマリン船長のことが大好きで仕方ないなんてね」
そうして悪戯っぽく笑い合う社畜ネキさん大好き娘。おそらくは4人中3人の姿に、スバルちゃんはこの日最高の爆弾発言に
「大丈夫みたい。内緒にしてくれるってさ」
先んじてそちらを確認したぼたんさんの言うように、いつにも増して謎の連帯感を見せたわたしの
さすがは雪国民……って、この呼び方は『あのスレ』の住人も使ってるらしいから、アーニャの配信ではあんまり使いたくないんだけども……。
「まぁこんなことばかりやってるから、アーニャさんのファンは民度を疑われるんだけどね」
「もう質問に答えただけで感謝されるのは飽き飽きだよ……」
「まぁね。でもそれがあるから親切にしてもらえたわけだから、スバルとしては感謝するしかありませんね」
って、ほら。そんなコトを考えていたら、やっぱりこっちにも飛び火した。
己がメンタルを防御するためにエゴサを禁じたわたしとしては、黙して語らずが無難だった……。
「ま、そんなわけであたしは、アーニャさんたちと楽しく遊びたくてVTuverになろうと思ったんだけど、何をしたらいいか全然分かってないからね。これからも相談に乗ってもらっていいかな?」
「大歓迎です。ディスコはわたしが不在でもログを残せるから、何でも相談してくださいね」
「ありがとう。ところでさっきマリン船長とお風呂に入るって言ってたけど、それはさすがにやめといたほうがいいと思うんだ。本人も必死に自制してるけど、飢えた狼の前に裸で横たわったらどうなるか分かるでしょ?」
「あー……ぺこらも一緒に入るつもりだったから、最悪、自分の
「どうだろうね? わたしは別に触られても構わないんだけど……その逆にわたしが見ちゃったり触っちゃったりするのが申し訳ないだけで」
「まぁ、船長の性癖が完全におっさんなのはスバルも理解していますが……そうそう、アーニャさんの弟さんなんですけど、あの子も口ではあんなことを言ってましたが、スバルの裸が気になって仕方ないようなんで、そろそろ一緒に入るのはやめておいたほうがいいかもしれませんね。この前もスバルのお尻を……」
そしてこの日一番のセンシティブな会話にコメント欄がかつてないほど騒つき、遠く離れた日本にも流れ弾が飛んでいくのだが、それはわたしの知らないお話だった……。
ちなみに大空スバルさんが大食いだったり、獅白ぼたんさんに遭難経験があったりする設定は本作独自のものです。本気にするとえらいことになるのでご注意のほどを。