転生したら美少女VTuberになるんだ、という夢を見たんだけど? 作:蘇芳ありさ
2011年12月17日(現地時間13:15)
「悪かったね。楽しさにかまけて、つい時間を忘れちゃって。長々と話し込んじゃったけど、残りの
「はい、今日のオフコラボはいつもの配信のように最長でも二時間、みたいな時間制限は設定しない方針ですから」
配信の進捗状況を気にするぼたんさんに心配無用と伝えて、最後に確認する。
「わたしは基本的に楽しそうなことを思いついたら遊んでるだけだし、ぼたんさんもいまは見つけられなくても、そのうちやってみたいことがきっと見つかると思いますから……それまで焦らずホロライブで勉強して、自分に合った道を見つけてくださいね」
「うん、本当にありがとう。デビューしたらまた遊んでね」
「こちらこそ喜んで」
差し出された大きな手を両手で握りしめると、ぼたんさんの手のひらは過酷な人生を歩んできたと容易に想像させるほど硬かったが、その指先に込められた力は優しく慈愛を感じさせた。
「ぼたんさんのラーメン、美味しかったぺこよ。また機会があったらご馳走してほしいぺこな」
「おっ、嬉しいこと言ってくれるじゃん。いいよいいよ。とりあえずラーメン食わせろって連絡してくれたらいつでも用意するからさ」
最後にぺこらちゃんが握手に参加して、素直な本音を口にしてぼたんさんを喜ばせる。
たしかにぼたんさんのとんこつラーメンは、少なくともきちんとしたお店でお客さんに出せるレベルには達していないだろう。
でも家庭的な味わいで、とても美味しかった。その素朴さは、手作りにこだわるお母さんが、弟に「たまにはラーメンが食いたい」と言われて苦労したときの味に似ている。
栄養のバランスを考えれば、あまり子供に食べさせたくない料理。でもたまにならいいかと、作り慣れていない料理に苦労しながらも、子供たちのために少しでも美味しくしようと頑張った、そんなラーメン。
ぼたんさんのとんこつラーメンから感じたのは、そういった紛れもない母の味だった。
「うん! わたしもぼたんさんならいいお母さんになれると思うから頑張ってね!」
「あれ、いきなり飛躍したね? でもありがとう。あたしも大概って自覚はあるけど他の子も大概だから、レポーターのアーニャさんたちは大変だろうけど食レポ頑張ってねー」
「はぁーい、またねぇー」
他の子も大概だから、という指摘に吹き出しながらぼたんさんと別れる。
そうだ。あんなに食べたのに途中でお腹を鳴らして「あ、すみません。お腹が空腹を訴えているのでスバルは失礼しますね」と中座した
たしかにあの子はよく食べるが、女子陸上でいいところまで勝ち進めるほどの選手だと知ることになった今は納得しかない。
アスリートの消費カロリーはわたしたち一般人とは比較にならない。運動で消費した分だけ食べなければ筋肉が痩せ細るのも当然の話で、お母さんに引き取られて我が家の居候となったその日に、ご飯を3杯もおかわりしたときはわたしたちを驚かせたものだが……いま思うとあのときのスバルちゃんは、こちらのお世話になることもあって遠慮していたのだろう。
それはスバルちゃんの食事量を見切ったお母さんが、翌日には業務用炊飯器を購入して、十分と思われる量を用意しても変わらず。ひとり、自分のベッドで「馬鹿ッ、スバルの馬鹿! スバルが出て行ったら無用の長物なのに、結局ゆかりさんのお母さまに業務用炊飯器を買わせてしまったじゃないか!!」と悶絶した彼女は、その後も自分の食事をセーブし続けたのだろう。
だから、これは必然なのだ……。
「あら、スバルさん。ここはわたしの祖国、ロシア料理のスペースよ。向こうに世界三大スープの一つと言われるボルシチがあるから、良かったら一緒にどうかしら?」
「いただきます」
ムフーッと鼻息を荒げる食いしん坊を発見して、隣のぺこらちゃんが「まだ食べるのかよ」とげっそりとする。
おかしいな。あの子が中座してからだいぶ時間が経つのに、未だに空腹が満たされないとは……。
だがしかし、どうか勘弁してやってほしい。あの子はたぶん、いやきっと、やむにやまれぬ食事制限で落としすぎた体重を戻すのに一生懸命なだけだから……。
「あらアーニャ! ぺこらちゃんも!」
そんなふうに自分自身を納得させていたら見つかった!
「貴女たちもロシア料理を食べに来てくれたの? 嬉しいわ!!」
正直なところ健啖極まりないスバルちゃんと同席すると、それだけでお腹いっぱいになるところがあるからもう遠慮したいんだけど……仕方ない。あんな素敵な笑顔を曇らせるなど友人として許されない。
そんな内心などおくびにも出さず覚悟を決めたわたしは、おそらくは似たような思考の変遷を経たであろうぺこらちゃんと一緒に、ルンルン気分で料理を取り分ける
「アーニャさんとぺこらちゃんも聞きましたか? いま世界三大スープって言ってましたよ!? どんだけ美味いんだって今から楽しみで仕方ねぇよ!!」
「うん……たしか世界三大スープって候補が四つくらいあって、マナカの言ってたボルシチもその中の一つなんだってね?」
目をキラキラと輝かせて、満面の笑みを浮かべるスバルちゃんに答えながら、自分の腹具合を探る。
幸いにもこれまでは相手に恵まれていたこともあって、わたしのお腹にはまだ十分な余力がある。このペースなら食い倒れることなく最後まで完走できるだろう。
ただし、それにはひとつ前提がある。わたしたちが祖国の料理を食べに来てくれたと大喜びの友人が、先ほどのぼたんさんや白上さんたちのように、食レポ中のわたしたちの胃袋に配慮してくれたらいいんだけど……あの様子だとちょっと期待できないかな?
「無理そうだね……仕方ない、覚悟を決めようか?」
「うん……ぺこらはまだへっちゃらだけど、アーニャちゃんは無理しないでね?」
「おや? お二人は何の話をしてるんですか?」
そんなわたしたちの事情にまで気の回らない食いしん坊に訊かれたので、マナカの耳に入らないようにこっそりと説明する。
「わたしたちは、ほら、この後も配信の企画で食レポしなきゃいけないから……」
「ここでお腹いっぱいになったら後が大変なんだけど、マナカちゃんがあの調子じゃあ……」
「あーなるほどなるほど、そういうことでしたか」
すると想像以上に察してくれたスバルちゃんは、だが、そこで驚くべき行動に出た。ロシア料理が立ち並ぶ一画の飲食スペースでガタッと立ち上がったスバルちゃんは、大声で「すみませーん! マナカさんちょっといいですか!?」と呼びかける。
思わずギョッとしてしまったが、スバルちゃんは何一つ憂慮することのない笑顔で振り向いたマナカに説明する。
「アーニャさんたち食レポの途中だから、ここでお腹いっぱいになるわけにはいかないらしいんですよ。なのでちょっと少なめにしてもらってもいいですかね」
「あら、そうだったのね? うふふ、それならそうと言ってくれたらいいのに。嬉しくってついフルコースを用意するところだったわ」
……お分かりいただけただろうか?
これが本物の陽キャの世界……わたしたち陰なる者が軋轢を恐れるあまり、黙して項垂れるしかないというのに、そんなチンケな計算を彼女たちはものともしない。
「スゲェ……スゲェよ、スバルちゃん。マナカちゃんも……ねぇ、アーニャちゃん、ぺこらたちもいつか……あんなふうになれるのかな……?」
「なれるよ、きっと……いつか、わたしたちも……」
わたしも普段の配信では陽キャを演じているが、本質的にはぺこらちゃんと同じ世界の住人だ。
この話は隠していないので、アーニャちゃんねるの
[うん、ぺこらたんもいつかなれるよ]
[アーニャたんも最初は友達に声も掛けられなかったって言ってたしね]
[孤独な人を作らない試みが重要ですね!!〉キアラ]
[うん、俺らも頑張ろう……]
[I have to take care of my neighbors too(私も隣人を気に掛けねばな)]
[わ、吾輩も頑張る……〉ラプち]
[や さ い せ い か つ〉白鷺風華]
[でもスバルはいい加減にしとかないと太りますよ〉畜神ミオ]
[そんなアーニャたんだからこそ俺らも頑張れるんだよ]
[OH! ミオさんはス虐の何たるかを理解してますね!!〉アメリア]
一部、サバイバルホラーの配信ですっかり味を占めた人たちからのコメントもあったが、まぁこの辺りはご愛嬌か。
今のスバルちゃんはダイエット後の暴食に近いものがあるからね。リバウンドもあるけど、お腹を壊さないように自愛してほしいものだ。
もっとも、スバルちゃんが食べすぎてダウンして、ベッドで寝込んでる姿は想像できないんだけどね……。
「さ、用意できたわ。これがボルシチよ。よく味わって食べてちょうだいね」
なんて物思いに耽っていたら、マナカが真っ赤な液体に野菜が浮かんでいるお皿を並べてきた。
これがボルシチか……随分と鮮烈な色合いをしているけど、さっきのカレーと違って刺激臭はしない。味のほうは想像もつかないが、味覚はそれほど狂っていないスバルちゃんが大喜びで口にしているから、そこまで異質というわけではないらしい。
「……いただきます」
「……いただくぺこ」
というわけでぺこらちゃんともども手を合わせて、まずは一口、大きめのジャガイモと一緒に味わってみたんだけど……。
「あっ、美味しいね」
この酸味はトマトベースだからだろうか?
道理で赤いはずだと納得するものの、この旨みはそれだけではない。赤いスープに浮かんでいるクリームのようなものにも独自の酸味と甘味があり、それが数多の具材と絡み合い、実に複雑かつ鮮烈な味わいを際立たせる。
「うん、ぺこらはもっとビーフシチューみたいな豪快なヤツだと思ってたんだけど、これは正反対……繊細で口にするのが勿体ないような味だよ」
「すごいよね? わたしお母さんのコンソメスープとはまぐりのお吸い物に勝てるスープはないって思ってたけど、これにはお母さんも脱帽だよ」
ふと気がつくと、ほんのりと上気した笑顔で、ぺこらちゃんがうっとりと感想を口にしたので、わたしは熱心に賛同した。わたしたちの惜しみない賛辞に、早くもボルシチを完食したスバルちゃんがテーブルに頭を叩きつけそうな勢いで慟哭する。
「あーっ! もうっ、スバルの馬鹿バカァ!! おまえはまた食欲に負けてっ! こんなすごい料理をよく味わいもせず掻き込むなんて冒涜だよ!!」
「いいのよ、スバルちゃん。料理はお腹いっぱい食べて幸せになるためにあるんですもの。はい、おかわり……今度はゆっくり味わってもらえると嬉しいわ」
そんな食いしん坊にどこまでも優しく微笑み、おかわりを用意したマナカはわたしたちに向き直ると、誇らしげに胸を張ってこう続けるのだ。
「この料理はね、もとはウクライナの農村部の郷土料理なの。それを征服者が持ち帰り、自分たちがより美味しく感じられるように改良して、また別の征服者に奪われることを繰り返したから、東欧からアジア各国にいろんなバリエーションがある。まさにボルシチこそ、奪い、奪われを繰り返したロシアの悲しい歴史を象徴するような料理だわ」
そう語った少女の笑顔からは微塵も悲壮なものを感じさせない。
「わたしもそう。日本でも地方との格差が問題になってるけど、わたしの祖国は比べ物にならないほど悲惨だったそうよ。お婆さまの話によると、農村部の住民は都市部の住民に人間として扱われず、資源として浪費され、もののついでとばかりに玩弄されたそうだわ」
それはこの子自身の話だろうか? 彼女の素性に僅かばかり思い当たりのあるわたしは、どんな悲惨な過去が開示されるか胸を痛めたが、どうやらそれは本題ではなかったようだ。
「でもそんな時代はもう何十年も前に終わりを告げたの。賢明で勇敢な祖国の人々は独裁の継続にノーを突きつけ、自分たちの子供が悲しい思いをしないで済む未来を選択した……だからわたしは祖国を誇りに思うわ」
祖国の人々が悲しい道のりを歩んできたことを否定せず、より良い未来を選択したことを喜ぶ。その笑顔に、わたしは多くの不幸を慰め、小さな幸福に喜ぶアーリャ・グラシスカという少女の揺らぐことのない本質を見た気がする。
アーリャは祖母の話と言ったが、あれはおそらく彼女自身の話だ。
アーリャはたぶん、わたしに想像もつかないほど過酷な人生を送り、ロシア正教が弾圧されたソ連時代に信仰を貫き、天に召されたのだろう。それを是として誰も責めない高潔な魂は、まさに神の御許に召されるのに相応しいだろうが……。
「もしかしていまの話は、マナカがホロライブのVTuberとして契約してくれたことと関係あるの?」
わたしが訊ねると、アーリャはにっこりと笑ってわたしの知らない話をしてくれた。
「ええ、実はね……木曜にロシアのラスプーチン大統領から書簡が届いたのよ」
「……それは自分たちが支援してやるから、ホロライブのVTuberになれって話をされたの?」
ネットの風聞にそこまで詳しくないわたしでも、アーニャというロシア風のキャラクターに世界中の人々が熱狂していることに、ロシアの人々が自尊心を大いに満たされ、鼻が高くなっているという話は聞いたことがある。
ならばそのことを政治的に利用しようとしたロシアのラスプーチン大統領が、
「ううん、むしろその逆ね。書簡の中でラスプーチン大統領はこう述べられたわ。アーニャの世界的な成功で国民の期待が高まっているが、どうか後悔しない道を選んでほしい。アーニャの友人として共に歩む過酷さは、その道を物ともしない地力を備えているアーニャ自身はさておき、彼女と同程度の活躍を期待される君にとっては酷く辛い道のりになるだろう。私は君のように未来ある少女が、周囲の期待と圧力によって道を踏み外すことを望んでいない。どうか君自身が幸福になれる道を模索してくれることを切に望む──ってね」
アーリャの話に、わたしはわけもなく恥ずかしくなった。ロシアのラスプーチン大統領には、国内を厳しく統制する強面の独裁者というイメージがどうしてもあった。
でもそんな先入観でこうに違いないと決めつけるのは恥ずべき話だ。ひとり反省し、背筋を正したわたしの耳に、わたしの大事な友達が出した結論らしきものが聞こえてくる。
「だからね、わたしはこの書簡を読んでこう思ったの。……みんな勘違いしてる。わたしたちはカメラの前で遊んでるだけなのに、そこに特別な意義を見出しすぎだわ。こんなんじゃ、アーニャの後に続く子たちは大変だって……だからね、わたしは
ペロリと悪戯っぽく、可愛らしい舌を見せて微笑む友人に、わたしはクスクス笑いながら同意した。
「素敵な結論だね。
「ね? みんなアーニャを神聖視しすぎよ。なかには本気で女神のように崇めてる人もいるし……このままだとアーニャも大変だわ。だからね、アーニャが女神なら、その意思を正確に伝える神託の巫女が必要になるでしょ? わたしが本格的にVTuberをやっていこうと思ったのはそんな理由なのよ」
「うふふ、そうなるとマナカはさしずめ、女神さまと同居してお世話する聖女さまだね。……いいよいいよ、どんどん配信でわたしのダメっぷりをアピールしてね」
そうしてアーリャと笑い合うわたしの胸には、さっきとはまた別の感情がこみ上げてきた。
楽しいや嬉しいに近く、それでいてわけもなく胸を張りたくなるこの気分は、もしかしたら誇らしいという感情なのかもしれない。
アーリャという素晴らしい少女と知り合い友達になれたという自覚は、自然とわたしの背筋を伸ばし居住まいを正させた。わたしの足元でゴロゴロと寝そべっていた愛犬もまたちょこんと座り直し、不思議そうに見上げてくる……。
「マナカちゃんもスゲェな……。わたしも研修でそれなりの自信をつけたつもりだったけど、さっきからゴリゴリと削られるような気分だよ……」
「いや、スバルはぺこらさんも十分にすごいと思いますけどね。少なくともVTuber最底辺のスバルと比べたらよっぽどですよ」
そんなわたしたちの横で溜め息をついて見せたぺこらちゃんが訝しげなジト目を向ける。すでに自分のチャンネルを保有し、サバイバルホラーの配信で大人気の後輩がそれを言うかとその目は雄弁に語っているが、当の本人はVTuber最底辺の自己評価を改めるつもりはないようだった。
「まぁ聞いてください。スバルはね、これまでの食べっぷりを見てもらえればわかると思いますが、大変な食いしん坊です」
そう言ってスバルちゃんは自分の前のお皿をアピールする。二杯目のボルシチこそ大事に味わってるためかまだ残っているが、それ以外のお皿はほとんど空だ。
「二人の弟も野球をやってるので、スバルほどではありませんがよく食べます。おかげで我が家のエンゲル係数はすごいことになり、家計は火の車で満足な貯金もできません。スバルはそのことを火事の後に知って恥ずかしくて死にたくなりました」
そう笑い話にするには重たい話を、しかしスバルちゃんは曇りのない笑顔で語っていく。
「だからですね、スバルは今度は自分の番だと気負って空回りを続けたんですよ。大学の進学を諦めて、最悪、夜のお店で働くことを視野に入れていたスバルは、さしずめ不幸な境遇に酔う悲劇のヒロインでしたね」
でもと、一つの不幸を乗り越えた彼女はこう続ける。
「なんの展望もなく、ただ奨められるままにVTuberになってスバルは知りました。不幸なんてどこにもなかった。手を差し伸べてくれる人はいっぱいいた。スバルは勝手に自分は不幸だって思い込んでいただけなんだって」
そこでその笑みを少しだけ意地悪なものに変えたスバルちゃんは、まるで煮え切らない少女を挑発するかのようだった。
「スバルは今でも自分が向いているとは思っていませんけどね。声は馬鹿でかいだけのダミ声だし、ゲームをやれば醜態ばかり。でもそんなスバルでも喜んでくれる人がいるなら、VTuber冥利に尽きるじゃありませんか。ぺこらさんはスバルよりよっぽど綺麗な声をしてるんだから、そんなに卑下されたらスバルの立場がありませんよ」
「そうね、わたしだってゲームは、正直みんなについて行くのがやっとだわ。それに比べたらぺこらさんはよっぽど向いてるって、わたしでも思うわよ」
そうして自信満々に請け負う二人の熱い眼差しを一身に浴びたぺこらちゃんは、やがて降参するように諸手をあげた。
「あー、なんだが気を使わせちゃってごめんね。ぺこらも本気でそう思ってるわけじゃなく、周りのヤツらがどいつもこいつもぶっ飛んでるから、プレッシャーが半端なくって」
そう「めんごめんご」と笑ったぺこらちゃんが何か続けようとしたとき、けたたましい悲鳴があたりに響きわたった。
「ノォ〜〜ゥ!! アーニャ、ヘルプミーッ! 助けてアーニャあああ!!」
驚いて声がした方に振り向くとガシッと抱きつかれて、わたしはその子の小さな
「ぐらちゃん?」
「お、オウッ……アーニャ、あっち、あっち……あああっ、もうこっちに来た!?」
この怯えっぷり……また
「オラァ! みこめっとじゃ!!」
「てめー、コラ、うちらの縄張りを素通りするとはふてぇ野郎だ……イタリアン食ってけこの野郎」
「ハーッ、ハーッ! アーニャちゃん助けて……捕まった……」
……これはぼたんさんに大概だって言われても仕方ない。
颯爽と名乗りを挙げたみこちと、あくたんの左手をガッチリ握った星街さんの荒ぶりように、わたしはいつの間にこんな仲良しさんになったと興奮を自覚する。
「……うん。みこちはさておき、すいちゃんはこの短時間で何があったってはっちゃけぶりだね。あと、あくたんは捕まったって言ってるけど、半笑いだから共犯関係がバレバレだよ。それでこれはなんなのか説明してもらえる?」
わたしが尋ねると、未だに園児状態のみこちは「え? アーニャたんがいつまで経っても来てくれないから攫いに来たんだけど?」と身もふたもないことを言い出し、すいちゃんも「というわけで、アーニャちゃんもイタリアン食ってけこらぁ」とわたしの手を引っ張り出した。
「ノー! アーニャカムバックプリーズ!」
「テメーこらっ、洒落になんねぇ真似をすんなよこの馬鹿どもが!!」
そうしてみこめっとのお二人と共犯のあくたんに
「いいんですかねあれ、放っておいても」
「いいんじゃないかしら。アーニャも笑ってるし、とっても楽しそうよ」
そうしてその場を後にする直前にそんな含み笑いも聞こえてきたが、見抜かれたわたしとしては思わぬ撮れ高にほくそ笑むしかなかった。
さて、そうして情熱と美食の国イタリアからの贈り物がそこかしこに並べられる一画に、わたしを連れ去った誘拐犯が何をしたかったかというとこれなのだから、もはや笑うしかない。
「さあっ、もはや逃れられんぞ! みこにもアーンさせろ!!」
「はい、アーニャちゃんお口開けて〜? すいちゃんたちが厳選に厳選を重ねた熱々のパスタとピッツァがこれだよ〜?」
「ハァー、ハァー……はいアーニャちゃん、アーン……」
分かりきっていたことだけどもこのはっちゃけぶり。このホテルに到着したときのテンションのまま突っ走る三人の姿に、若干二名はあとで黒歴史にならなきゃいいけど差し出された料理を頬張る。
「なんだ、何かと思ったら三人ともアーニャにアーンしたかっただけなんだね。ねぇぺこら、わたし知ってるよ。あれが先を越されて焦る女の姿だって」
「いや、抜け駆けしたぺこらにも責任あるかもだけど、あれはどう考えてもおまえが煽ったからだろ?」
呆れ顔のぺこらちゃんに叩きつけられたスリッパとともに、図星を突かれたぐらちゃんが口笛を吹いて誤魔化す。
「わたし知らないよ? ココとマリンには自慢したけど、横から聞いて勝手に悔しがった人たちのことまで、責任なんて持てないよね……」
「まぁまぁ、ぺこらちゃんも落ち着いて? わたしの扱いなんてみんなのオモチャでいいんだし、それにこれだけのメンツが揃ってるなら、残りのレポ相手は向こうでお酒を飲んでるマリン船長たちだけでしょ? そっちでわたしたちが食レポをするわけにはいかないから、ここらで本格的に食べるのも悪くないと思うんだよね」
「それは、まぁ……アーニャちゃんのいうとおりだけどさ」
わたしが助け舟を出すと自分を納得させるように溜め息をついたぺこらちゃんは、でもあんまりコイツらを甘やかしちゃダメだよと憂慮しつつ、もうもうと立ち込めるイタリアンの匂いに誘われたように席に着いた。
そんなわけで始まった楽しいお食事会なんだけれども、わたしには二つばかり気になることがあった。
「おい星街、おまえさっきからピザの野菜が乗ってるところだけアーニャたんに食わせるな。自分でも食え」
「えっ? いやだって、すいちゃんあんまりお野菜好きじゃないから、アーニャちゃんに食べてもらったほうが、食べられるほうも幸せなんじゃないかって……」
「ねー、聞いてよアーニャたん! 星街のヤツ、キッズがたくさん見てるアーニャたんの配信で野菜なんて食えるかって言ってる!!」
「おまっ……おいおいおい、おまえちょっとこっち来いよ……」
一つ目はもちろん、
「おい、やめろよ星街。お前そんなことを言うから23人しかいないファンにもなんか怖いって言われるんだぞ?」
「はぁ? すいちゃん全然怖くないし……視聴者のみんなぁー! VTuber星街すいせいはとっても清楚で優しい女の子だよ? 怖くないよぉ〜? とっても可愛い女の子なんだよぉ〜?」
「星街、おま……その年で女の子とかやめろよ。聞いてるこっちが恥ずかしくなるわ」
四日前の配信から注目していた二人の相性はここに来て絶好調で、これにはこの子たちを紹介したわたしも自分の目に狂いはなかったと鼻高々である。
「ふふふ、二人とも楽しそう。……羨ましいよね。わたしもあんな相手が欲しいんだけど、ココは洒落にならないから躊躇しちゃって。ねぇ二人とも、わたしがデビューしたらあんなふうに遊んでくれる?」
「いや、そりゃ構わないけど他所さまの配信のときは我慢しろよ? やるにしてもある程度の信頼関係がないと空回りするだけだからな?」
「うん、大事だよね、そういうの……あたしアーニャちゃんの配信だとすっごい気が楽でのんびりできるの」
「わたしのチャンネルは初配信のときから、視聴者のみんなに仲良く殴り合おうって言ってるからね。今さら遠慮は無用だよ」
そして二つ目は思った以上に気安いあくぺこの関係だ。
先週の段階ではもう少しぎこちなかっただけに、ほとんど同時に事務所入りした研修生活で培ったのか、あくたんとぺこらちゃんの間には確かな絆が芽生えてるようだった。
そしてそれ以上に底抜けに明るいぐらちゃんがそこに加わっても、拒絶せず理解しようという空気になるのがわたしには嬉しい。
「ね、ぺこらちゃんたちはどんなVTuberになりたいか聞かせてもらってもいい?」
「あ、ぺこらは普通にアーニャちゃんの真似をして、ゲームの実況配信をするつもりだけど……最近のゲームは難しいし、事務所で昔のゲームに触れる機会があったからさ。しばらくはそっちのゲームを中心に配信しようかなって……」
「うん、船長がさ、昔のゲームに詳しくって……あたしたちいろいろ相談に乗ってもらったの。とりあえずギガドライブいいよね……」
「オウッ、サァ〜ガァ〜! わたしもギガドライブ大好き! わたしもココと一緒でサガ信者なんだよ? 音速のソニック大好き!!」
ホロライブのVTuberでは最も若い世代に属するこの三人。
誇るべき経歴を持たない普通の女の子でありながら世界に羽ばたこうとするこの子たちは、VTuberの未来を占う意味でも重要な試金石だ。全力でサポートしたい。
「しかしウメーなこのピザは……日本の分厚いピザと違って薄目で食べやすいしさ」
「うん、日本のピザはすごいボリュームがあるから一切れでお腹いっぱいになっちゃうけど、これならオヤツ感覚で何枚でも食べられるよ」
「アメリカもすごいよ? なのにみんなバクバク食べちゃうから太っちゃうの。せっかく美味しいのに悲しいよね?」
「パスタもすごく美味しいよね……麺がツルンッとしてて、気がついたらお皿が空になってる」
そんなわけで日米の小中高生が本場イタリアの料理に舌鼓を打つ。
もちろん世界中で大人気のイタリア料理の本気はこんなものじゃないだろうけど、日本でも馴染みの深い料理を中心に送ってくれたイタリアの気遣い、それがわたしには嬉しい。
「ねぇー、アーニャたん聞いてよ! 星街のヤツ、昔の動画を消すって言ってるんだよ!!」
と、しばらく食事にかまけていたら、向こうで相方にシメられたみこちが戻ってくるなり泣きついてきた。
「いやだって、ホロライブのVTuberになるのに残しとく意味ねぇだろ? Nicoichi時代の動画なんて……」
「ダメだダメだ! いいか星街。どんなに恥ずべきものでもおまえの大事な過去だ。黒歴史として抹消したら、23人もいるNicoichi時代のファンに申し訳ないと思わないのか!!」
どこか不貞腐れたように項垂れるすいちゃんに噛み付くみこち。
ふむ……二人の会話から察するに、どうやらすいちゃんは以前の動画配信で使ってたNicoichi動画のアカウントを、ホロライブのVTuberとして再出発するにあたって整理する意向のようだが、みこちの剣幕から察するに、満足のいく結果を残せなかった過去に触れられたくないという気持ちもあるようだった。
「でも不思議だよね……すいちゃんってあんなに歌が上手いのにファンが増えなかったなんて」
「いや、それはその……」
わたしが訊ねると途端にすいちゃんが挙動不審になり、相方のみこちがその理由を説明してくれた。
「だって怖いんだもん
うーん、わたしはそっちの事情に詳しくないけど、すいちゃんの動画のセンスが怖いだのホラーだのという話は聞いたことがある。どんな感じなんだろうと気になったちょうどそのタイミングで、お隣からおどろおどろしい音楽が聞こえてきた。
「へー、これがすいちゃんの曲なんだ……なんか昔のコ◯ミみたいな曲だね」
「その曲は……やめて! お願いっ! すいちゃんの恥ずかしい過去を見ないで!!」
悪戯好きのぐらちゃんがスマホで見ているのは、どうやら本人の慌てぶりから察するにすいちゃんのオリジナルソングのようだ。強いビートが特徴のその曲のジャンルはロックになるんだろうけど、すいちゃんの歌声を耳にしたわたしは何が悪いか一発で判った。
「これ楽曲の音域がすいちゃんの声域と合致してないね。だからチグハグな感じがするんだよ」
わたしがそう指摘すると、音楽に詳しくない子たちが「どういうこと?」と首をひねったので詳しく説明する。
「ええとね、基本的に人間の声帯だと、普通の音楽で使われてる音に一人で全部合わせるのは難しいの。個人差もあるけど、一般的に男の人は低い声は得意だけど高い声を出すのは苦手で、女の人はその逆。でもこの曲は全体的に低い音を重視してるから、高い音が得意なすいちゃんに合ってないと思うの」
「あ、作曲をする人はそこまで考えて曲を作るんだ……すいちゃん聴いててスカッとする曲を作ることしか考えてなかったから、歌うときに上手く合わせられなくてこんなことになるんだね」
「うん、わたしはどっちも問題なく声を出せるから、自分で歌う曲は気にせず作っちゃうんだけど、すいちゃんのために作った曲はその辺も注意したつもりだけど……どうかな? あの曲、どこかに引っ掛かるようなとこあった?」
「ううん、すごい歌いやすくてビックリしたけど……」
なんだろう……説明すれば説明するほど、すいちゃんの額に浮かぶ汗が増えていくような気がする。
この人もわたしのように冷や汗さんに苦しめられているのかな? でもそんな話をしたつもりはないのにこの焦りよう……よく分からないけど、ここはすいちゃんのために一肌脱ぐとしますか。
「ねぇサーニャ! いまぐらちゃんが聴いてる星街さんのこの曲、全体的に高めに調整できる? アレンジは任せるからすいちゃんさんの声域に合わせて!?」
わたしがモニターの前で全体を監督するサーニャに呼びかけると、あの子ってばこれ見よがしに溜め息をついたんだけど
自分の声に合わない曲を作って苦しんでるすいちゃんも見てられないけど、サーニャもそろそろツンデレキャラを卒業したほうがいいと思うんだ。ほら、お義父さんがコメント欄で笑ってるよ?
「できましたが、今すぐ歌うつもりですか?」
「歌うよ! さあ、すいちゃんも合わせて? 明日の練習だよ!?」
「えっ? え、いきなり、ちょちょちょっ……!!」
慌てふためくすいちゃんの手を引くとサーニャが気を利かせたのか、一時的に周囲の景色が一変する。豪華な食堂が青白い荘厳なステージに塗り替えられ、スポットライトが降り注ぐ。
歌うのはNicoichi動画投稿者谷村翠さんの作曲、アレクサンドラ・タカマキ編集の『
「見上げる星空は遥か、伸ばした手は届かないけれど、僕らは諦めずに歩んでいくんだ」
「太陽なんていらないから、いまは明けないで、もう少しで届きそうなんだよ」
やはり歌うことさえできればこの人はすごい。すでにリハーサルで合わせているのもあるかもしれないが、見事にこの人の歌声はわたしのリズムと合致していく。
狂おしいほど高らかと歌い上げるように、独学の弊害により埋もれていた才能が花開き、いま、VTuber随一の努力家に脚光が降り注ぐ。
「あぁ〜! いつか僕らも星になりぃ〜、あの
「
そうして歌い終え、元いた場所に戻ってくると、しばらく呆然としていたすいちゃんさんは、やがて何かが気になったようにモニターに振り返った。
[ブラボー! おお……ブラボー!!][なんだこりゃスッゲェ!!][ホロライブにはまだこんな隠し玉が!?][すいちゃんすごかったよ!!〉Nicoichi動画時代からのファン][wonderful! "I can only call you a talent!" !(素晴らしい! まさに逸材と呼ぶしかありません!!)〉国際音楽協会理事長][これは明日のライブが楽しみだよ!!][うわぁん! 吾輩涙が止まらないじゃないか!!〉ラプち][やばい、こんなに何回も魂を抜かれたらやばいw][やっぱりホロライブのVTuberってこんなのばっかりじゃない!〉天宮ソラ][すいちゃんすごかったよ。感動した〉白鷺風華][これは明日の楽しみがまた増えたな〉愉悦神父][ファンタスティック! まさに星空の幻想だとも!!〉キャプテンAS][すいちゃんおめでとう、頑張ったね〉一ファンより]
そこに流れるのはNicoichi動画を思わせるコメントの弾幕──サーニャの粋な計らいにわたしまで嬉しくなる。
「やるな星街! よく分からないけどみこも相方として鼻が高いぞ!!」
「おまえは頭がたけぇんだよ! 褒めるなら素直に褒めろ!!」
「イエース! ナイスソング、すいちゃん! 素敵だったよ!!」
「お、おめでとう……あたし、なんだか自分のことのように嬉しくて……」
「あっ……すいちゃん、いま……」
競うように手を叩くみんなの賛辞に、ようやく実感がともなってきたのか、止まっていた時間が動き出したすいちゃんの視線が移動し、再び硬直する。
その原因となったわたしにできることはそれほど多くない。いまのわたしにできることは、目の前の女の子に微笑み、素直な気持ちを伝えることだけだ。
「おめでとう星街さん。これが紛れもない貴女の実力だよ」
「アーニャちゃん……」
ジワリと、その瞳が透明な液体のなかに消えていく。あふれ出した涙が頬を伝わり顎の先から滴り落ちるも、その
「アーニャちゃん、わたし、わたし……うわぁああああん!!」
受け止めるには大きな
わたしは間に合った。認められない苦しみに自分を責め、魂が損耗するほど追い詰められた女性はもういない。わたしが抱きしめてるのはその才能を正当に評価されて、世界に羽ばたこうとする一人のVTuverだ。
子供のようにわんわんと泣き崩れる女の子を支えながら、わたしはおめでとうとその背中をさするのだった。