転生したら美少女VTuberになるんだ、という夢を見たんだけど?   作:蘇芳ありさ

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様々な顛末『すでに曇天は晴れ渡り、無限の航路を照らすのみ』

 

 

 

 

 

 2011年12月17日(現地時間16:30)

 

 

 湯舟から出ようとすると足元がふらつき、支える手は小刻みに震えて使い物にならない。

 

 自分でも驚くほど四肢(からだ)に力が入らない。大理石の床を踏み締めた足は現実感がまるでなく、まるでそういう映像を眺めているかのようだった。

 

 頼りないのはわたしの手足だけではなく、他の部位もそうだった。視界はぼんやりと霞んでおり、頭のなかも取り留めのない思考に占領されたままだ。わたしの全身は異様な熱気に満たされ、それと反比例するように正常な機能が損なわれているようだ。

 

 その症状は浴槽(おふろ)を出ても変わらず、みんなが慌てて駆け寄ってくることを疑問に思わない。これはいったい何なんだろうか?

 

 症状だけ見るならば、それは風邪をひいたときに似ているけども、まるで苦しくないのが不思議だった。火照った肢体は苦しいどころかまるで夢心地だ。うん、まさに我が生涯に一片の悔いなしって感じ。

 

 でもそう思ってるのはわたしだけかもしれない。なんでかわたしを正面から抱き止めたぼたんさんも、横から覗き込むココさんも厳しめの表情だ。

 

 そしてぼたんさんの顔が真っ直ぐ近づいてきたとき、わたしは咄嗟に目をつむった。残念ながらしっとりと重ねられたのは唇ではなくおでこだったが、触れ合う肌は柔らかく、ほのかな温もりがなんとも言えず心地よかった。

 

「うーん、全体的にちょっと高めだけど、ゆかりさん大丈夫? 見たところ足元が覚束ない気がするけど?」

 

 全体的に高めというのはわたしの体温のことかな? 手首も優しく掴まれたままだから脈拍もチェックされているのかもしれないけど、自分では不思議と不調に思わないんだよね。

 

「なんか頭がぽわぽわしてるけど、特に調子が悪いわけじゃないと思います……」

 

 自分でも説得力のないことを言っているとは思うけれども、本当にいまの自分が異常とは思えないんだよね。

 

 強いて言うのならば、この感覚は前世でお酒を飲んだ時に似ているかもしれない。

 

 訳もなく幸せだと思っているのは本人だけで、周囲から見たらめんどくさいことこの上ない迷惑な酔っぱらい。

 

 そうかもしれない。わたしはたぶん酔ってるんだ。この想いに。切なくも甘酸っぱいこの桃源郷に……。

 

「あぁー、これはちょっと長湯しちゃいましたかねぇ……白上たちはちょくちょく浴槽に腰をかけて適度に頭を冷やしてましたが、ゆかりさんはずっとお湯の中でしたし」

 

 胴体にバスタオルを巻いた白上さんがこっちに戻ってきて肩を落とすと、可愛らしい下着姿の女の子が脱衣所のなかで首をひねった。

 

「でもずっと一緒だったわたしはなんともないよ? ゆかりにも途中でお水を飲ませたから湯当たりはしてないと思うんだけど……?」

 

「おいお前、ゆかりさんの飲み物にお酒を混ぜていないだろうな?」

 

「そんなことするわけないじゃん! 嘘だと思うならお酒の匂いがするかチェックしてみてよ?」

 

 とまぁ以前のわたしと同様に、飲酒の経験があるココさんは悪戯好きの従姉妹に疑惑の視線を向けるが、あらぬ疑いをかけられた女の子は必死に抵抗した。

 

 その釈明はわたしからお酒の匂いがまったくしないことからすぐに受け入れられたが、無実を勝ち取った当の本人は不満顔だ。

 

「もうっ、ココったらいつもそれなんだから! 少しはわたしを信用してよ?」

 

 未だに納得していない従姉妹にぐらちゃんがプンスカ怒ってみせたので、上機嫌のわたしは彼女の味方をすることにした。

 

「うん、ぐらちゃんはココさんを怒らせて遊ぶのは好きだけど、ちゃんと言い訳ができるように予防線を張ってるよね? その姑息さとへたれ具合は信じてあげてもいいと思いますよ」

 

「そうそう。さすがゆかり、よく分かってるよ。ココは反省して?」

 

「今の説明のどこに私が反省せにゃならん要素があるんだ!?」

 

 そんないつものやり取りを耳にしてにやけると、浴室の内部を軽く清掃中のアーリャがクスクスと笑った。

 

「ま、ゆかりは楽しくってついのぼせちゃっただけだから、向こうで冷たい物でも飲めば落ち着くわよ」

 

 訳知り顔のアーリャがいかにも仕方なさそうに微笑むのを見て、やっぱりそうなのかなってぼんやりと認める。

 

 たぶん、これはアレだ。あまりの桃色空間にわたしの煩悩ゲージが振り切れてしまっただけなんだろう。

 

 いつもだったら必死に顔を背けるみんなの艶姿が、いまは気になって仕方がない。

 

「うん、ちょっと長湯をした程度だからあたしも大丈夫だと思うよ。とりあえずゆかりさんを運んで服を着てもらったら、向こうでくつろいで貰おうよ」

 

「そうですね。ユッカちゃんを乾かすのは白上たちがやりますから、ゆかりさんはひと足先に向こうで寛いじゃってください」

 

 そうじゃなければぼたんさんに「よいさ」って抱き上げられてもお姫様抱っこだって興奮したりしないだろうし、視界を横切ったフブちゃんの胸元にときめきはすまい。

 

「まぁ、ゆかりちゃんが向こうで寛げるか疑問やけどな。聞いた話じゃ社畜ネキのエロい絵で盛り上がってたんやろ? 見咎めた本人が戻ってきたら空気ヒェッヒエやろなぁ」

 

 そして上品に正座をして、我が家の愛犬にドライヤーを掛けるエリナさんの姿にドキドキしたりもしないはずだ。

 

 見ちゃったんだよなぁ……ちょうど腰を浮かせたエリナさんのタオルを巻いてない姿も。

 

「それならあたしがゆかりさんと一緒に行って社畜ネキをからかってやろうか? まだ裸だからちょっと待ってもらうことになるけど?」

 

「へーき、へーき。ゆかりならわたしがベッドまで運んであげるから心配いらないよ」

 

 うん、本当にみんないい子ばかりだ。こんなに素敵な子供たちに恵まれたのに、お母さんだけ煩悩に塗れて本当にすみません……。

 

 脱衣所で体を拭かれながら反省すると、煩悩ゲージもだいぶマシになってきた。ワイルドなぼたんさんも脱衣所では自分の身体にタオルを巻いてくれたしね。目のやり場に困ることはなくなってくれた。

 

「はいゆかり、下着を穿かせるから足を上げて?」

 

「それが終わったらこっちね。夜はキャミソールを使わないからネグリジェでいいのよね」

 

「うん、二人ともどうもありがとうね」

 

 言われるままに足を通して下着を穿かせてもらい、それが終わるとバンザイをして文明人としての体裁を整える。

 

 これで無事、外見だけは蛮族を卒業したわけか……今度は心も百合の花を卒業しないと。

 

 何度か深呼吸すると気持ちのほうは落ち着いてくれたんだけど、頭と肢体はぽわぽわしたまま。不思議なものだがこれは仕方ないのかもしれない。

 

「じゃ、わたしがゆかりを連れてってあげるね。ねぇ、ココもいいでしょう?」

 

「うーん、お風呂の最中にもエッチなことをしなかったから信用しますが、転んで怪我をしないように足元に注意するんですよ」

 

 このホテルに到着してから自覚した幸せな気分は途中で何度か中断されたが、依然としてわたしを解放する気はないようだ。隣り合わせの幸福を意識するたびに気分が高揚する。

 

「うん、頭のほうは大分マシになってきたけど、足元はまだまだ頼りないから肩を貸してもらえると有り難いな」

 

「やった! 任せて。わたしのほうがお姉さんなんだから、ゆかりのほうが背が高くったってへっちゃらだよ!!」

 

 大喜びで手を伸ばした女の子に身体を預けると、彼女はわたしの脇の下に頭を通し、肩を支えて運んでくれるのだった。

 

 その足取りは力強く、わたしはなんの不安もなくこの子に頼りきることができた。

 

「じゃ、就寝までもう少しあるから、向こうに行ったらもう少しお喋りしましょうね」

 

「はぁーい、またねぇー」

 

 ってな感じで楽しかったお風呂の時間も終わり、少しだけ足元が覚束ないわたしは小さな女の子の肩を借りて戻ってきたんだけど……受け取り方は人それぞれなのか、ギョッとしたようにこちらを見つめる面々には別の言い分もあるようだった。

 

 まぁわたし自身、どう贔屓目に見てものぼせてるからね。お風呂で何かあったんじゃないかって心配になるのも分かるが、この言い方はどうなのか。

 

「あっ、アーニャたん!? テメェこらっ、下ネタ大王……おまえ遂にヤッたな!!」

 

「ブーッ、わたし何にもしてないもんね。みんなと一緒にゆかりを洗って、パンティを穿かせてあげただけだよ」

 

「ふざけんな! 十分すぎるほど有罪だろそれ!?」

 

 ううむ……あんなにエッチな絵を描いた社畜ネキさんに言われても説得力に欠けるんだけど、ぺこらちゃんまで怒ってるとなると見過ごせない。この子の無実を証明できるのはわたしだけだとばかりにフォローしようとするも、まだ頭がぽわぽわしているのであまり気の利いたセリフは出てこなかった。

 

「そんなことないよぉ? みんなとっても優しかったし、グラちゃんもあんまり悪戯しなかったから……」

 

 するとわたしをソファーに運ぶのを手伝ったサーニャが、何度か目の前で手をヒラヒラさせるとこれ見よがしに溜め息をついてみせた。

 

「ダメですね。これは湯当たりとは別の意味で前後不覚に陥っています。今のゆかりにまともな証言は期待するだけ無駄かと」

 

 なんとなくムッとするものがあったわたしは瞬時に効果的な反撃を思いつき、そして実行した。

 

「ならこう言おうか? ぐらちゃんはお友達にカンチョーをするのが大好きでも、お尻の穴そのものには興味はないんだって……サーニャたちとは違ってね」

 

「『その節は本当に申し訳ありませんでした』」

 

 異口同音に口にして、腰を直角に折り曲げる面々によろしいと腹腔の内部を空にする。唯一の例外である男子小学生(スバルちゃん)は何のことか分からず首をひねったが、まあ、せっかく反省してくれた子たちの恥を晒すことはあるまいと曖昧にやり過ごす。

 

「ふふん、さっすがゆかり、話がわかるぅ〜! そうだよね。わたしはジャパニーズHENTAI文化に理解があるだけで、わたし自身はとってもノーマルなんだから」

 

 ま、そんなやり取りを経たことで頭のほうは多少マシになってくれた。さっきまでは本当に頭ピンクコヨーテが継続して、自分で何を口走るか不安だったからね。うっかり放送禁止用語を口にする前で助かったよ。

 

「あ、ゆかりちゃんアイス食べる? このアイス、とっても冷たくって美味しいんだよ?」

 

 そんなわけで密かに安堵してふかふかのソファーに身を沈めると、見るからにご機嫌伺いといった様子で、媚びる姿勢の明白なあくたんにも「いただきます」以外の余計なことは口にせず済んだ。

 

「とりあえずさっきも言ったけど別に怒ってないから……今後はわたしの目に付かないとこでやってもらえれば大丈夫です」

 

 さすがにね。今のみんなを目にするのは悲しいものがあるからそう言ったんだけど、貰ったアイスを口に運ぶとそんな気分もどこかに行ってしまった。

 

 こんな冬場に暖房の効いたお部屋で、みんなとお風呂に入って心身ともにポカポカになってから頂いたアイスはまさに珠玉の味だった。うーん、なんて贅沢なんだろう。幸せだなぁってつくづく実感しちゃうね。

 

「で、ゆかりたん……お風呂で何があってそんな骨抜きになったの?」

 

 なんて至福に浸っていたら社畜ネキさんに訊かれたので、わたしは少し迷ったんだけど、秘密にしておくほうが気持ち悪かったので残らず白状することにしたのだ。

 

「ぐらちゃんも言ってたけど、普通にお風呂に入ってただけだよ。……ただね」

 

「『ただ?』」

 

 そこでズイッと詰め寄るみんなの姿にすごい食いつきだなと思いつつも説明する。

 

「たださ、わたしって最近まで家族以外と……特に年上の女の人と一緒に入ったことがなかったから、妙に気後れしちゃって。ほら、わたしはまだ子供だし、同性だから向こうは気にしなくても、こっちはすごく綺麗な女の人の肢体を見ちゃうわけでしょ? だから何というか申し訳ないし、恥ずかしい気分がどうしてもあったんだよね」

 

 そう自分を偽ることなく洗いざらい白状すると、ぺこらちゃんが「あぁ〜! そういうことならわかるよ」って熱心に賛同してくれた。

 

「ぺこらも最初は他人と一緒に入るなんて正気じゃねぇって思ってたもん。ぺこらは見るのも見られるのも恥ずかしかったからさ……」

 

「あ、あてぃしも見られるのはそこまで気にしなかったけど、ゆかりちゃんのを見ちゃったらどうしようっていうのはずっと思ってたよ」

 

 熱心な賛同者はぺこらちゃんとあくたんの二人に留まったが、社畜ネキさんやすいちゃんたち年長組もそうした思春期特有の乙女心は記憶に残っているのか、その顔は若干気まずそうなものに変化するのだった。

 

「あー、すっかり忘れてたけど、お姉さんも修学旅行のときは妙に緊張したんだったわ。マジかよ。みんな気にせず全裸を公開してるけど、これ隠そうとするほうがかえって恥ずかしいのかみたいな」

 

「あぁ〜! そういうことならわかる。すいちゃんも分かるよ。あたしも修学旅行のときは胸を見られまいと必死に隠したっけ……」

 

「星街は平らな胸を隠さんと男に間違えられるからな『死ねぇえ!!』痛ってぇ!?」

 

 そして余計なことを口にしたみこちが頭にスリッパをもらい、最後に鴨川さんが途方に暮れたようにこう漏らした。

 

「あのぅ……それが普通だとなると、スバルはかなり変わってることになりますよね?」

 

「まぁスバルちゃんは蛮族だからね」

 

 ふふっと意地悪く笑って見せると、鴨川さんは予想通り「そんなぁー!」と嘆いてみせた。

 

「そう思うならいい加減服くらい着ろや。いくらスポーツタイプだからって下着姿でうろつくな、この馬鹿たれが」

 

「でもスバルは陸上でも似たような格好なんでしょ? 慣れちゃったんだね、悪い意味で」

 

 うん、わたしもそう思った。

 

 アーリャもいつか慣れると言ってたけど、わたしが鴨川さん(大空スバル)の域に達するのはいつのことか。

 

 正直そこまで慣れたらダメだろうと思うが、あの幸福を知ってしまったら早くそうなりたいとも思うのだ。

 

 

 前世の記憶になるが、わたしがその名を拝借した未来のVTuber(ホロメン)にはこんなエピソードもある。あの人の最推してあるさくらみこさん、大空スバルさん、大神ミオさんの三人娘が温泉旅行に行ったときの話だ。

 

 冬場に暖房の効きがイマイチだから足湯にしようと大神ミオさんが提案。さくらみこさんがタオルを用意して戻ってくると、どうした理由か大空スバルさんが全裸で肩までお湯に浸かっており。そんな友人を迷惑そうに見やった大神ミオさんも、足湯こそしていたもののなぜか下半身丸出し。いつもは無自覚に振り回す側のさくらみこさんが、「え? なにしてんのコイツら?」と珍しく困惑したというエピソードを視聴したことがある。

 

 そのことを思い出したときは妙にドキドキしたんだけど、当人たちにウケ狙いでそんな格好をしているつもりはなかったに違いない。

 

 いつまでも前世の感性に振り回されて、みんなと一緒の時間を楽しめないのは損だと、真顔の仲間たちをチラ見する。

 

「ん? どったのアーニャたん?」

 

「ううん、何でもない」

 

 頭の周囲を疑問部で埋め尽くされる姿を容易に連想して、これほど似合う女の子は他にいまいとほくそ笑むが、それはハッキリと余計だった。

 

 あの子たちがあの子たちなら、この子たちはこの子たちだ。

 

 そんなに前世(あの人)の世界線にこだわるなら、今からでもサーニャ(サブちゃん)たちに頼んでタイムトラベルをしたほうがいい。それをしない時点で、わたし自身もそこまでこだわっていないのだろう。

 

 そんな未練がましい思考に終止符を打つと、脱衣所の扉が開いて、乾燥した毛並みを取り戻した愛犬が飛び出してきた。

 

 その小さな体躯(からだ)を抱きあげたわたしは、こちらに手を振るぼたんさんたちに微笑みながら思った。

 

「おーいゆかりさん、社畜ネキはとっちめた?」

 

「とっちめたとっちめた。わたしにぐらちゃんが何かしたんじゃないかって疑うから、おま言うって」

 

「おー、そっかそっか。社畜ネキもお疲れー」

 

「お疲れじゃないよぼたんさん! 馬鹿っ、この天然……!!」

 

 そうだ。わたしはこちらで得たものが大きすぎる。本当に勿体ないほど恵まれたこの幸福を捨てるなど正気の沙汰ではなく、そんな埒外の思考にかまけてる余裕もない。

 

 この素晴らしい友人たちと共に過ごす時間も永遠には続かない。月曜になればわたしやぺこらちゃんのような学生は通学に、鴨川さんたち1期生は研修に時間を取られる。気楽に集まり遊べるようになるのまだ先だ。

 

 だからいまは楽しもう。翌日のライブを目前に、就寝の時刻が差し迫るこの掛け替えのない時間を……。

 

「さて、日本との時差を考慮すると、もう結構な時間だけど……まだみんなもう少し頑張れるかな?」

 

 ユッカのあとをニコニコと追いかけてきたゴン太くんを撫でながら全員を見渡すと、不安顔のサーニャが「ゆかりにはそろそろお休みいただきたいのですが」とぼやいたけど、わたし自身はもう少し頑張れそうだと思っている。というか頑張らないと明日以降がきつくなる。

 

 現在の時刻は午後の5時前。日本時間に換算すると深夜の1時になるが……いま寝ちゃうと丁度そのくらいに起きちゃうんだよね。

 

 さすがにそんな夜中に起きちゃったら、他にすることもないし二度寝をするしかないんだけど、それをやってしまうと今度はライブのあとに寝れなくなって日本との時差に苦しむことになる。

 

 うん、あまり深く考えなかったけど、外国に旅行するとなると時差のことも考慮しなきゃだね。次回はもうちょっと時間を作って……冬休み中にいけるかな?

 

「わたしはまだ子供だし、サーニャの言うことも分かるけど、帰りはキャップの(ふね)で寝泊まりすることを考えるとさ、もう少し頑張らないとかえってキツくなるんじゃないかって思うんだけど、どうかな……?」

 

 単純にわたしがそこまで考えてるのが意外だったのか、最低でもルンルン気分の継続のために寝るのを拒否しているのではないと認めてくれたようで、心配性のメイドは「そういうことなら私がまずいと判断するまでは起きていても構いませんが」と納得してくれた。

 

「それじゃお風呂からあがったばかりでもあるし、飲み物を用意してからお話しようか」

 

「ドリンクもいいけどアイスもあるみたいだよ。ウエハースとチェリーもあるから、わたしが盛り付けてあげるね」

 

「私もお酒ばかりというのは何ですから、久しぶりにコーヒーフロートを作ってみますか」

 

「余は抹茶ラテが飲みたい。フブキ作って」

 

「材料があったらな……えっ、あるの? なんだこのホテル……?」

 

 そんなわけで就寝前の雑談タイムが確定となり、給仕室と呼ぶには贅沢すぎる空間を探索した子たちが戦利品を持ち帰り──当然のように日本茶と煎餅を持ち帰ってきたアーリャが、わたしの隣に腰を落ち着ける。

 

「とりあえずのぼせたほうは大丈夫そうね?」

 

 わたしの内面などお見通しとばかりに微笑むアーリャに懺悔する。

 

「うん、途中からなんかどうでもよくなっちゃったけど、正直あまりにセンシティブな光景に目を回しました」

 

「そのうち慣れると言ったのはわたしだけど、あまり無理をしないで? 無理に慣れようとするようなものでもないんだから……」

 

「誠におっしゃる通りで……それとごめんね。わたしアーリャの大事なところしっかりと見ちゃった」

 

「いいわよ。わたしだって似たようなものだし、お互いさまってことにしておきましょう」

 

 そう言ってもらえると助かるんだけど、この純粋無垢なアーリャを相手にそれをしちゃうと、今さらながらに罪悪感がヒシヒシと込み上げてくるんだよなぁ……なんて項垂れたら、例によって溜め息メイドが深刻そうにぼやいた。

 

「正直そこまで繊細で色々と気がつくゆかりが、どうして弟さんに配慮してやれないのか私には不思議でなりません」

 

 なんで順平って首をひねると、アーリャも可愛らしく首をひねった。

 

「順平くんは小学生だからまだいいんじゃないかしら? ゆかりが中学生になったら、さすがにもう少し距離をとったほうがいいと思うけど……あの子が引き離されたと感じないように配慮したほうがいいわね」

 

 わたしはアーリャの言葉に深くうなずくも、サーニャときたら「これですよ」と言わんばかりに嘆息する。

 

「ゆかりの感性が色々と怪しいことになってると知っているのに、自分自身は除外するのですから、ゆかりにはこれ(・・)を反面教師にしてご自身の振る舞いを顧みてほしいものですね」

 

「ちょっとサーニャ、言い方……まったく、どうしてアーリャには素直になれないのかな」

 

 その言い草にムッとした様子のアーリャのためにフォローすると、白上さんの「これで大体用意できましたね」という朗らかな声が聞こえてきた。

 

「……お茶会かな?」

 

「……お茶会ね」

 

「お茶会ですね」

 

 ざっと見ただけでも、昼間にホロライブの事務所で北上さんにご馳走になった10倍はあろうかというお菓子が山をなしている。

 

 和洋の区別もなく、ケーキや和菓子といった本格的なお菓子と一緒に、日本のコンビニで買えるようなスナックまでも……うーん、なんて混沌。

 

 今日は朝から食べてばっかりだったのに、寝る前にもこれか。太ったらどうしようと小さく漏らしたら、隣から「ゆかりは太らないわよ」と頼もしい保証が。

 

「それって、わたしの容姿を決定付ける黄金律的な何かが悪さをしているのかな?」

 

「まぁそんな感じね。だから究極的にはどんな不摂生な生活をしても肌荒れひとつ発生しないけど、あまり褒められたことじゃないから出来るだけ普通の生活を送ってね」

 

 うん、今さらだけど甘い物の誘惑はできるだけお断りしようと、アーリャが淹れてくれた緑茶に口をつける頃には、この贅沢なサロンのようなスペースに全員が腰を落ち着けていた。

 

「さて、皆さまが楽しい話題に興じる前に、私のほうからろくでもない報告を済ませたいのですが」

 

 そんな一同の様子を見計らってからサーニャが告げると、全員がその内容に想像がついたようでげんなりした顔になった。

 

 わたしもたぶん同じ顔をしているだろうけど、内容が内容だけに向こうの出方を見極めなきゃいけないのも事実だ。無言の肯定にサーニャが普段のように詳細なデータを駆使することなく、素早く要点を掴んだ経過報告を行う。

 

「皆さまもあまり思い出したくないでしょうが、支離滅裂な記者会見を行った日本政府の首相らが病院送りにされた件について、日本では日付が変わった現在においても活発な議論が巻き起こっています。特にキー局は特番を組んで喧々諤々の罵り合いをやっていますが、その論調は日本政府の対応を責めるもので、左派の論客は防戦すらままならぬ有様ですから、とりあえず安心なさって構わないかと」

 

 その言葉にげんなりしつつも安堵の息が漏れる。いや本当にね、それ以外表現のしようがないんだよね。

 

「まぁね、あのときは思わずぶっ殺してやろうと思ったけどさぁ……」

 

「三権分立のなった日本で内閣総理大臣が国会で裁判ごっこをやると宣言しましたからね! しかも結論ありきの左派特有の公開リンチを宣言ですよ!?」

 

「普通はさ、政治家の人たちはよっぽどの凶悪犯罪でもなければ、裁判の進展にコメントを求められても慎重に避けるんだよね。自分たちがそうなるように圧力をかけてるように思われたくないから……」

 

「そもそも仮にそれが犯罪であっても、捜査するのは警察、起訴するのは検察、有罪か無罪か論じるのは裁判所の仕事であって、政治家の出る幕ではないというのに……」

 

「まぁ完全な自爆としか言いようがないわ。自分たちは法治国家のなんたるかをまったく理解しとらんってぶち撒けたようなもんやし、しかもゆかりちゃんを引き渡すってなんなん?」

 

「あー、今の政府は中国とズブズブだからねぇ……中国は自分たちの国を悪く言われるのが嫌だって理由で国内からYTubeを締め出したし、今回の魚釣島占拠の件で何か言われる前に身柄を押さえようと、日本政府にゆかりちゃんの引き渡しを要求したんじゃないの?」

 

「まさに星街さまのおっしゃる通りですが、中国政府もまさか日本政府がここまて無能揃いとは思わなかったようで……決して口外されてはならないことを口外された中国当局は、ニューヨークの国連本部でも、各国の大使館でも苦しい弁明を行なっているようで……」

 

「……まさに無能な働き者は首を切るしかないってことか」

 

 年長組とサーニャの議論をみこちがバッサリと斬り捨てると、ようやく場に笑顔が戻ってきた。

 

「みこちの言う通りだね。……あと気になるのは首相たちを病院送りにした記者の人たちだけど、あの人たちは大丈夫そう?」

 

 わたしが訊ねるとサーニャはすぐ答えてくれたが、その顔は半笑いだった。

 

「今のところマスコミはもとより、世論も概ね同情的ですが、さすがにカメラという動かぬ証拠があるところでの暴行事件ですからね。今の政府と心中する気のない日本の警察も訴えがあれば動かざるを得ませんが……肝心の日本政府は支援団体のみならず、地元の後援会にも絶縁状を突きつけられる有様で、そちらに構っていられる余裕はなさそうですね」

 

「つまりゆかりはもちろん、ホロライブのみんなも安泰ってわけね?」

 

 アーリャの出した結論を、サーニャは苦笑して肯定する。

 

「まぁそうなりますね。もとより世界中の国々が味方するなかで、利権に絡めなかったという理由で目の敵にしたゆかりたちを潰すのは無理がありました。ほとんど自滅したようなものですが、今後はホロライブも日本政府の嫌がらせからは解消されるでしょう」

 

「わたしもそう思うけど、仮に日本政府とケンカ別れしちゃっても困らなかったと思うな」

 

 最後にわたしが感想を口にすると、ぐらちゃんが熱心に賛同してくれた。

 

「そうだよね。そうなったらみんなで合衆国(ステイツ)に移住すればいいんだし、そっちのほうがきっと楽しいよ?」

 

「うん、それもいいけど、もっと視線を上にあげてみようよ。みんなもあの(ふね)が宇宙を目指してるのは知ってるでしょう? サーニャの尽力により、宇宙開拓の時代はすぐそこまで来てるんだから、どうせだったらわたしたちも宇宙に飛び出して、自分たちの星からVTuberをやってみない?」

 

 自分でも飛躍したことを言ってるなぁと思わないではないけど、残念ながら寝言を言ってるつもりはないんだよね。

 

「言葉の壁はもうないも同然だし、自国民に愛想を尽かされる国にこだわることはないんだよ。もっと自由に、素敵な未来を追い求めようよ」

 

 わたしの言葉にみんなは笑った。もはや笑うしかないとでも言うかのように。

 

「サーニャちゃんがゆかりちゃんのことを暴走列車と言ってたけど、こりゃ乗り込んだわたしたちは大変だね」

 

「なんでよ。いいじゃんかさ、ゆかり号、宇宙の果てを目指すでよ」

 

「うん、みこもそう思った。やるね、ゆかりたん。さすがはこのみこが認めた女だけはあるな」

 

「だから何様のつもりだおまえは!?」

 

 ぺこらちゃんとマリン船長の掛け合いに続いて、再び炸裂するすいちゃんのスリッパに一同が爆笑の渦に包まれる。

 

「さて、日本国内のほうはこれで片付きましたが、あちらのほうはどうでしょうね。あの義父が下手を打っていなければいいのですが……」

 

 そんな最中に聞こえてきたサーニャの声はどこか誇らしげで、本気で心配している様子はまるでなかった……。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 2011年12月17日(現地時間18:00)

 

 

 定刻となり、その会談はこのジュネーブの国連施設で極秘裏に開催された。

 

 主席者は全部で六名。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ロシアの首脳らは生身で。最後に日程の調整がつかないと回避する姿勢を見せた中国の首脳は、しかし安易な逃避を許さぬ五カ国の首脳にオンラインでの参加を半ば強制され。

 

 アレクサンドラ・タカマキ博士が開発した立体映像投影機と、自動翻訳を駆使して、通訳という部外者を排除してのこの膝詰めの談判を拒否することは、彼我の実力差を思い知らされたばかりの中国国家主席には出来ない相談だった。

 

 それでも国内外の面子にこだわるその男は、予想される弾劾に対して用意された論戦を先んじて展開した。

 

「何か誤解があるようですが、魚釣島における我が国の行為は正当なものです。随行させた我が国艦艇の目的はあくまで自国漁船の保護。彼らが漁を終えればその目的も終了して撤収する予定ですので、我が国が日本との係争地である魚釣島を武力占拠するなど妄言も甚だしい。もちろん、我が国が日本政府に日本人の引き渡しを要求したなどという事実もありません。あれは現実と妄想の区別がつかない連中が勝手に言ってるだけ……失礼ですがそんな妄想をまともに取り合うようでは、皆さまの鼎の軽重が問われるのでは?」

 

 毅然とかねてよりの懸念も含め、無能極まりない子分どもの醜態を無関係と切り捨てるが、各国の首脳らはこれ見よがしに失笑してみせただけだ。

 

「ふむ、前半部分に関しては我が国もそうあってほしいと思いますがね。しかし後半部分に関してはどうでしょうか?」

 

「たしか私の記憶が間違っていなければ、日本の民社党政権が成立後に真っ先にやったことは、所属議員全員が貴国を訪れ、貴男と握手することでしたな。いじらしいほどの忠実さではありませんか。もっと優しい言葉を掛けてやってもよろしいのでは?」

 

「とは言え、日本政府の会見は見るに堪えませんでしたからな。まさか一国の首相が自国民を嬉々として処刑しようとした挙句に、女性の尊厳を辱めるような言動をするとは許し難いものがある。主席が今更ながらに絶縁を決意されても無理はありますまい」

 

 嫌な笑いだと、主席は胸中で吐き捨てた。主席に言わせれば先の大戦で自分たちが支払うべき負債をアメリカに肩代わりさせる代わりに、その保護国に甘んじる英仏両国の首脳らは勿論のこと、日本と同様に戦犯国のドイツ如きが超大国同士の議論に口を挟むなど笑止千万としか言いようがない。

 

 自分たちと対等なのはあくまでアメリカとロシアのみ──そう思いつつも現下の情勢は主席に妥協を余儀なくさせた。

 

 そうでなければ誰がこんな会談に応じるものか……。

 

「ご理解いただけたようで何よりですな。ところで今度はこちらがお訊ねしたいのですが、この会談の目的はなんでしょうか? アメリカの軍用機が我が国の領空を侵犯した件を話し合うつもりならば、アメリカ大使を呼び出し抗議したことをもってひと段落したという認識なのですがね……」

 

 慎重に幕引きを図りながらも主席の内心は平静ではあり得ない。

 

 合衆国から贈られてきたこの一見粗末な端末は、主席の言葉にリアルタイムで精密極まりない反応を返してくる。ホログラムなどという眉唾物の技術は、しかし実物を目の当たりにした男をもってしてもオンラインでやり取りしているとは思えないほどだ。

 

 何年だ? 自国の技術班がこの端末の解析に成功するのに何年かかる? アメリカにはどこまで差を付けられている?

 

「誤解があるのはそちらのようだな。我々はそんなくだらぬ話をするために集まったのではない」

 

 ロシアのラスプーチン大統領がむしろ憐憫の表情を向けてくるのを見て、主席の胸中はますます荒れ狂った。

 

 この裏切り者め。両国の誓いはどこに消えた。長年の宥和姿勢にも関わらず仮想敵を解除しようとしないNATO諸国への義憤は偽りだったのか。よもやあんな小娘に絆されるとは情けない、と……。

 

 だが強面で知られるロシア大統領は激しく憤る首席の視線に微塵も動じず、やはり余裕を持った態度でかつての同胞を諌めるのだった。

 

「何を考えているのか判るが、それは誤解だ。無論、一つのきっかけではあったがね。我々は何年も前から知っていた。知らぬは貴国ばかりであったようだな。今後はもう少し、視線を上に向けたほうがいい。そう、もう少し上にな……」

 

 その指摘に何か重要なものが含まれているような気がして、主席は冷や汗を拭った。この男は冗談を口にするような男ではなく、その言葉も直裁的だ。言われるままに半ば天を仰いだ主席は危ういところで気がついた。

 

 ロシアは現状、宇宙開発を継続している唯一の国だ。他国が軒並み割に合わないと撤退する中、自国以上に面子にこだわり宇宙を見上げるあの国が、はたしてあんなとんでもない(ふね)の活動を見落とすことがあり得るのか……?

 

「まぁまぁ、どうかその辺りで。貴国にそれを言われると私たちも辛い」

 

「そうですな、それを言ったら我が国とて、米露両国に答えを教えてもらったようなものですからな」

 

「左様ですな。ここはアメリカの開明さに感謝しつつ、ロシアのアンテナが優れていたことにしておきましょうか」

 

「ははは。確かにみなさんのおっしゃる通り、これは些か意地悪な切り返しでしたな。非礼は喜んでお詫びしますよ」

 

 そしてこの親密さはなんなんだ。もう何百年も欧州入りを希望していたロシアを外敵に留め置いたというのに、そのことに不満を持つかつての盟友が英・仏・独の狸どもに懐柔されたとはさすがに思えないのだが……。

 

 いや、合衆国の一強が判明したら水面下で歩調を合わせることはあるだろう。だがその場合、この場に目の前の男が存在することはあり得ないのだ。

 

 アメリカ合衆国第44代大統領アルジャーノン・シュヴァルツネッガー。アメリカの衆愚政治が生み出した歴代最低の大統領と肩を並べる各国首脳は、自分の知らない何を知ってそうしているのだろうか?

 

「実はね、貴国もご存知の我が国のフロンティア・スピリッツ号だが……すでに13番艦まで建造中でね、そのうち6番艦まで完成、運用を開始しているのさ」

 

「なんですとっ!?」

 

 咄嗟に悲鳴を飲み込むことに成功したが、そんなことはなんの慰めにもならない。あの一隻でも対抗不可能な艦がそこまで数を揃えていると知ったらもはや絶望するしかない。

 

 中国上空を信じられない速度で横断したフロンティア・スピリッツ号には、警告のため発進した戦闘機の展開がまるで間に合わなかったが、これの意味するところはつまり既存の防衛体制が陳腐化されたということだ。

 

 合衆国にその気があれば、いつでも好きなときに自国を爆撃できる。これに対抗するためには、どこぞの泡沫国家のように核にすがるしかないが……いや。仮に極音速ミサイルに搭載したところで彼我の速度差は十倍以上だ。そんな化け物艦が頭数を揃えている現状では、仮に飽和攻撃をチラつかせてもなんの脅しにもならない。余裕で全弾撃墜されるのがオチだ。

 

 主席はこの時点で自国の敗北を見据えていたが、しかし真の驚愕はその先にあった。

 

「それで今回の会議の目的はね、すでに完成済みのフロンティア・スピリッツ号の2番艦から6番艦までを、各国に寄贈するための話し合いをしたかったからさ」

 

「あ、あり得ない……!!」

 

 主席の口から飛び出したものは、残念ながら悲鳴以外の何物でもなかった。

 

 あんな既存の技術を軒並み陳腐化する先端技術の塊を寄贈するなど、狂気の産物と自国民への裏切りとしか思えない。さてはこいつらが懐柔されたのはこの為かと納得するも、やはりあの艦が自国以外に配備される未来は受け入れ難いものがあった。

 

「もちろん完全に無償ではないが、あの艦は君たちが思っているほど高価でもないのだよ。これは艦の設計がそれだけ優れているのもあるが、とにかく無駄がなくってね。精々そうだな……原子力空母の半分くらいかな? 無論その計算は、我が国のように原材料を国内で賄える場合に限られるがね」

 

「我が国はあの艦が建造される兆候を早くから掴んでいてね。かねてより情報公開を求めていたが……この男の代でようやく色良い返事がもらえたわけだが、想像以上の内容に未だに驚いてるところだ」

 

「よく言うぜ。フロンティア・スピリッツ号の話なんてどうでもいいから、アーニャ=タンと義娘の話を聞かせろと言ってたくせによ」

 

「貴様、それを言ったらまた殴り合いだぞ」

 

 親しげな米露両国の首脳の姿に、主席は頭を押さえつけられるしかなかった。

 

 世界はいまや米・欧・露とそれ以外の有象無象に変化していたのだ。その実力差は、もはや笑い話にもならないほど隔絶している。これを思えば屈辱的な阿片戦争当時のほうがまだ救いがあるだろう。

 

「まぁそんなわけでフロンティア・スピリッツ号を寄贈するのはいいが、艦の番号で差を付けられたと思われるのも嫌だから、しっかり話し合っておきたくてね。……実は内々に各国の希望は聞いているが、貴国には聞いていなかったのでね。この場で申告して欲しいんだが、貴国は何番艦を希望するのかな?」

 

 主席は、質問の意味が直ちに飲み込めなかった。それは苦労して咀嚼し、嚥下しても変わらず、むしろ困惑に気が動転するばかりだった。

 

「それは本気で言っておられると? あの凄まじい艦を、我が国にも供与すると……」

 

「勿論だよ。無論、無理にとは言わないがね……さて、ここで問題だ。先端技術を他国に公開するにはいくつかの条件が必要だが、それはなんだと思う?」

 

 それなら簡単だ。そうすることで莫大な利益があげられること。そしてその技術を盗まれないための防諜体制が完成しているか、もしくは──。

 

「まさか……」

 

「気づいたかね? その通り! 最悪模倣されても構わない、その程度の技術だと言うことさ。そうじゃなきゃ、さすがにこんな話は罷り通らないよ」

 

 主席はむろん見逃していない。その技術の背後に誰がいるのかを。合衆国と仲違いしたかの女史との接触と交渉──場合によっては拉致を指示したのはこの主席なのだから。

 

「まあ、どうしても握手をするのは嫌だと言うならそれでも構わないさ。私たちはともに手を取り合い宇宙という次のステージに進み、無限の領土と資源を獲得するだけさ」

 

 そうなればこの埋めようのない差はますます開く。そうして近い将来、地球という限られた資源を食い潰した中国が困窮する中、地球外惑星を獲得した五カ国とその友好国は大いに繁栄する。そのときになって孤立を選択した中国に手を差し伸べる国はない。

 

「それでもやるかい……?」

 

 ゾッとするような凄みを見せる男に、政治的な敗北を認めた主席は静かに首を振るのだった。

 

「わかった、そちらの要求は全部飲む……だが、一つだけ教えてほしい」

 

「おや、何かな?」

 

「あの小娘が何だというのだ? なぜあの小娘にそこまで肩入れするんだ……私とてあの小娘に貴国らの国民が熱狂しているのは知っているが、連中の支持を集める為にしてはやり過ぎだろうに……」

 

 その問いに五カ国の首脳は一斉に笑みをこぼした。おそらく主席は側近の報告を通してしか知らないのだろう。こればかりは直接見ないことには理解できない。

 

「簡単な話さ。アーニャ=タンは私たちにとって実の娘にも等しいからね。パパが張り切るのは当然だろう?」

 

 その言葉に英・仏・独の首脳らが笑い、ロシアのラスプーチン大統領が彼を知る人間からすれば信じられないほど優しげな笑顔を作った。

 

「私もあまり他人のことは言えないが、君はもっと人間を見るべきだ。そうすれば彼女たちがなぜこれほどまでに愛されるているのか理解できるだろう」

 

「羨ましいな……食わせてやらねばならん我が国の総人口は貴国の7倍でね。いちいち名前を覚えていられないが、それが必要なことだと言うのだな?」

 

 力強くうなずくかつての盟友の姿に、主席はこの会談が次のステージに進んだと感じた。老獪な指導者である彼は、支離滅裂な日本政府とは異なり自滅を選択しなかった。その英断が報われたと、密かに主席は安堵するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2011年12月18日(日本時5:45)

 

 

 この日の早朝に、尖閣諸島の周辺から次々と撤収する中国漁船を目撃した海上保安庁の巡視艇は、機能不全に陥った日本政府に無断で連携した合衆国の艦艇と内密で連絡を行い、その返答に驚愕することになった。

 

 すでに中国政府との交渉は完了し、午前中には中国海軍の艦艇も日本の領海から撤退するとのこと。

 

「情けないな……結局オレたちは何もできずにアメリカ頼みか」

 

 その光景を黙って見守る隊員たちは誰とはなしにぼやいた。

 

 自国の防衛すらままならない。いつから日本はこんなに情けない国になってしまったのか。その答えを隊員たちは痛烈に思い知らされたばかりだ。

 

 もちろん答えはわかっている。いみじくもあの会見で政調会長の野々宮倫太郎が言ったように、自分たちが政治ときちんと向き合わなかったからだ。

 

 忸怩たる思いで中国海軍の撤収まで見届けた隊員たちは、やがて驚くべきニュースに二つも触れることになった。

 

 ひとつはこの東シナ海以上に中国の海洋進出が問題となっていた南シナ海で、中国が巨額の費用を投じて完成させた人工島を放棄して中国海軍が全面的に撤退しているというニュースだ。

 

 そしてもうひとつは、呆れたことに与党議員のほぼ全員が欠席した緊急の臨時国会で内閣不信任案が成立したというニュースだった。

 

「何が起こってるんだ? 中国の行動は、まぁ、アーニャたんに叱られたというなら分からんでもないが……」

 

「日本政府の奴らは、たぶん、昨夜の会見で地元の後援会に抗議された議員がそちらを優先したんじゃないか?」

 

「だとしても、まともに出席してるのは野々宮議員の政党だけというのはどうなんだ? 内閣不信任案が成立したら失職間違いなしだろうに……」

 

「よりにもよって年末年始の選挙戦になりそうだな。期日前投票の時間を確保できりゃいいんだが……」

 

「まぁ情けないことこの上ないが、アーニャたんの帰国前に大掃除が完了したのは喜ぶべきだろう。あんないい子に、あまり情けない姿を見られるのはな……」

 

「なんだ、お前も雪国民か」

 

「隊長、それを言うなら自分たち全員がそうですよ」

 

「違いない。この海上で最大の娯楽といえば、衛星回線を通して視聴できるアーニャたんたちの配信だからな。もう少ししたら交代で眠っとけよ。今夜はアーニャたんのファーストライブだ。見逃したらもったいないぞ」

 

 長らく最前線で危機と向かい合ってきた男たちは笑い合い、まだ見ぬ未来を祝福するのだった。

 

 

 

 

 

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