転生したら美少女VTuberになるんだ、という夢を見たんだけど? 作:蘇芳ありさ
アーニャのファーストライブを終えて(1)
2011年12月19日(月)
アーニャのファーストライブ閉幕から、およそ12時間後となる今日の午前。わたしこと真白ゆかりは、授業中に居眠りをしてしまった。
腕枕から顔を上げれば机に残るヨダレの跡が目に入り、「起きたか、真白ぉ」という先生の含み笑いが聞こえてくる。
やらかしたと思ったときにはもう遅い。わたしの肩に上着を掛けられていることから、意識が飛んでいたのは一瞬では済まないだろう。
その名の通り真っ白に焼きついた頭を巡らせて確認すると、視線のあった男子生徒が吹き出した。それが引き金となり、みんなの弾けるような笑い声に顔面が沸騰する。
「こら、みんな笑うな。真白は他の誰にもできないことをしたばかりなんだから、居眠りくらい多めに見てやれ。真白も涎くらい何とかしろ。親御さんが今のお前を見たら泣きかねんぞ」
……先生のフォローが何の慰めにもならない。
うん。昨夜は興奮して寝れなかった、なんて言い訳にもならないよね。ライブの終了から帰国まで、たった10時間の過密スケジュールを立てたのはわたしなんだから、すべて自己責任。自業自得なのだ。
「こらぁー、男子、いつまで笑ってんのよ」
「うるせぇよ。お前だって半笑いじゃねぇか。真白に謝れ」
「そうよ、森下さん……ププッ、そんな顔じゃ逆効果だって」
「ほら、真白。お前も顔くらい洗ってこい。……いや、廊下に立ってろって言ってんじゃないぞ? 先生もなぁ、一度海外に行ったことがあるから、日本との時差に苦しんでるのは分かるつもりだ」
みんなは生き恥をさらしたわたしに優しかったけど、これはもう、自分から廊下に立たなきゃ切腹ものの醜態に違いない。
呆れ顔の先生に止められてさらなる赤っ恥をかき散らしたが……本当に申し訳ないと思うなら、どこであれ土下座できるというこの気持ち。どうか分かってくれまいか……?
「なんか最近ね。ゆかりちゃんがどんな子か分かってきた気がするの」
「うん。ゆかりちゃんって意外とおっちょこちょいなんだね」
……なんて言われようと弁明できない。2時間目の算数の教科書は机の上にあるのに、どうして今は4時間目の社会なのか。
しかも居眠りしたところまでは仕方ないにしても、目覚めるタイミングが最悪だ。これでは廊下から給食の匂いがしてきたからって言われても、反論に困る。反省しなきゃ、反省を……!!
「……そうだね。わたしも知らなかったけど、もしかしたらこんな程度でいいのかもしれないね」
なんていつもの調子で自分にツッコミを入れてしまったけれども……実のところわたしの内心はそこまで悲嘆に暮れていなかった。
この肩にかけられた上着は、わたしが居眠りしているときに誰かが掛けてくれたものだ。
拭き忘れた唾液もすでになく、隣の席の吉岡さんは楽しそうに笑っている。
他のクラスメイトもそうだ。先週の騒動を思えばみんなわたしの話が聞きたいだろうに、あまり煩わせないようにしようという雰囲気もある。
これに関しては今朝の全校朝礼で、校長先生が「皆さんも真白さんの話を聞きたいでしょうが、あまり困らせてはいけませんよ」って言ってくれたのも大きいんだろうけど、それを含めてこの配慮だ。
小さな親切。小さな気配り。学校の先生や友達の優しさに触れたわたしは、相変わらず夢見心地の気分のまま帰宅した。
まぁ実際眠かったし、わたしを追いかけて地球の反対側まで応援に来てくれた家族もお昼寝の真っ最中だったしね。磐田社長に今日は休んでいいと言われたらしいお父さん以外は……。
なんだかなぁ……最近お父さんを尊敬する気持ちがゴリゴリ削られるイベントばかり起きてない?
とっても楽しそうにドッグランを走り回るお父さんを目撃したわたしは、我慢できずに吹き出しちゃって、うっかり窓越しに目の合ったお父さんが焦ること焦ること。
その足元にじゃれついてる
……ま。随分と身内の恥を晒してしまったような気もするが、アーニャのファーストライブをそれなりに成功させ、急いで帰国したわたしの近況はそんな感じだった。
そうだ──自分でも呆れてしまうが、帰宅直後のわたしに危機感と呼べるものは微塵も存在しなかったのである。
……そんなわたしに現実を知らしめたのがこの二人。
「ちょっ、アーリャ……またそんな格好で、今日はどうしたのよ?」
自分の部屋に戻った瞬間に視線を吸引したのは、口をへの字にした
「あら? お帰りなさい、ゆかり。しばらく大変そうだから、わたしもこっちでフォローに回った方がいいと思って……もちろん司祭さまの許可は頂いてるわよ」
「……聞き捨てなりませんね。こちらは警視庁や合衆国との協議のもと、2万人体制で有事に備えていると説明しましたが」
「だから……そんな物々しいガードをしなきゃいけないくらい大変そうだから、手伝ってあげようって言ってるのに……」
うん。何の話をしているのかまるで見当がつかない。
お互いに譲れないものを懸けて、バチバチと火花を散らしてるんだろう二人には悪いんだけど、まずはわたしに説明してもらわないと話にならないよね。
「とりあえず、ただいま……。あとはどうして二人が睨み合ってるか説明してくれたら、大好きな二人に会えたこの喜びも完璧になるんだけどな……?」
わたしがさしたる期待もせず休戦を呼びかけると、一度だけ目配せをした両名はこれに合意。先を争うでもなくこちらの反応を伺うように、ゆっくりと現状報告をしてきた。
「それなんですが……ゆかりも昨日の臨時国会で内閣不信任案が可決されたのはご存知ですよね?」
「うん。わたしはライブに集中したかったから特に調べなかったけど、帰りの
「ゆかりは暢気ね……。それで次の選挙で落選しそうな与党議員の人たちが、お得意のアポ無し訪問をしてきそうだと知ってもそう言えるのかしら?」
思わず取り落としたランドセルが爪先に直撃して、余計なことを言うんじゃなかったと後悔するが、訊いてよかったとも思うこのジレンマよ。揃って嘆息した二人によると、何故そうなるのかは以下の通り。
「まぁ、彼らの内情はそこまで複雑ではありませんよ。一昨日の記者会見を踏まえて主要な新聞社やテレビ局が緊急の世論調査を行なった結果、驚異の内閣支持率0%が判明して、めでたく内閣不信任案が成立した民社党政府ですが……所属議員も後援会や支持団体に揃って三行半を突きつけられ、さすがにこのままでは次の選挙がマズイと思ったのでしょうね」
「……で、起死回生の一手として思いついたのが、ゆかりの帰宅直後を狙ったアポ無し訪問よ。ようはゆかりの口から次の選挙でも民社党を応援しますって言わせるのが目的ね」
「ええ……。そんなワケで所属議員160名がこちらに向かって行進中ですよ。一時は賛同するマスコミが0だったことから断念するかと思いましたが」
「彼らも自分の人生が懸かってるから、必死ね。……他にも中国政府は融和路線に転じたけど、彼らの決定に反発する派閥がゆかりを狙ってくる未来が
……なんということだろうか。まさかそんな事態になっていただなんて。
現政府の転覆と、中国国内の反動……それらすべてがわたしの責任じゃないことは理解しているつもりだが、やはり自分だけ何も知らずにいたことに罪の意識を覚えてしまう。
……だが、それこそがわたしの大いなる思い上がりであった。
「わたしは、どうしたらいいの……?」
「? ゆかりは彼らの思惑など気にせず、いつものように遊び呆けていればいいのでは?」
たまらず尋ねたわたしに、サーニャはなんてこともないふうに回答する。
「これはゆかりには何ら責任のないことです。アーニャの登場でお株を奪われたゲーム系配信者の不満。N社が新しい事業に乗り出したことを知って我が物顔で口を挟むも、利益供与を断られた地元議員の私怨や、その妄言を真に受けた政府の軽挙妄動。そして飛び抜けた個人が発言力を持つことを警戒する中国政府の謀略や、その後の政治闘争……ゆかりはこれらの事象に責任を負うべきだと、本気で思っておられるのですか?」
「もし本気でそう思ってるんだかったら、わたしゆかりのことを引っ叩いちゃうわ。こう、コツンってね」
そこにあるのは揺るぎない信頼──わたしは二人の笑顔に恥ずかしくなった。
「いつも磐田社長が仰っているではありませんか。子供は自由に遊ぶのが一番だと」
「ええ。だからゆかりは何も気にせず、いつものゆかりでいて頂戴ね。……白状しちゃうとようやく出番が来たみたいで張り切ってるんだから。ゆかりはあの艦に乗ったつもりでドドンッと構えていてほしいわね」
そうだ。この二人の言う通りだ。
わたしが
「うん、いつもありがとう。おかげで助かっちゃうな」
「いえいえ、こちらこそ。……さて、ゆかりの小市民根性も落ち着きましたし、お茶にしますか。当家は招かれざる客にも茶をふるまう方針なので、アーリャさまもよろしければ是非」
「いいわね。わたしもいつも手ぶらじゃ体裁が悪いから、教会からいろいろとお菓子を持ってきたのよ。仲良くみんなで食べましょう」
そうして始まるのはいつものお茶会──もとい、いつもの
でも、わたしたちらしい……。
わたしが
心の底から喜ばしい進展とセットになった、心底ゲンナリとさせられる舞台裏の数々も、わたしたちは今まで乗り越えてきたのである。
だからこれから何があっても大丈夫。そんな楽観に疑念を挟む余地はどこにもないだから……。
「さて。まずはお二人とも、ファーストライブお疲れさまでした。この件に関しては掛け値なしの朗報しかありませんので、ゆかりもそのつもりでお聞きください」
「うん、そうさてもらうね」
ほんのりと香り立つ紅茶を淹れたサーニャはそう言うけど、成長したわたしは騙されないよ。
今までに数え切れないほど繰り返されたこの手の会議で、いい報告とセットになった悪い報告でわたしを狼狽えさせるのがサーニャの手口だ。油断なく対処していこう。
「結論から申し上げますと、アーニャのファーストライブライブはあらゆる想定を上回る歴史的成功でした。単純な反響だけでも、チャンネル登録者数が2億人目前まで跳ね上がり、
「うんうん、いいことだよね」
とてつもない数字を叩きつけたわたしが動じなかったからだろうか。サーニャが感心半分、意外半分に首をひねる。
「……随分と落ち着いていますね?」
「そりゃあ、わたしだって驚いてばかりじゃいられないよ。……たしかにね。一夜で10倍になったチャンネル登録者数を目撃したときときは、思わず三度見くらいしちゃったけど……そっちは事前の想定からそんなに外れてないし。スパチャの総額が天文学的な数字になるもの予想通りで、それを見越してサーニャの設立するクリエイターの支援財団に寄付する方針なんだから、むしろどこに驚く要素があるのよ」
わたしが虚勢も露わに開き直ると、サーニャはニンマリと──あの笑い方はマズイ!!
「なるほど、ゆかりも逞しくなったものです……。それならば関連動画の総再生回数が500億回を突破して、ゆかりに受け取り義務のある収益が100億円を超えましたが大丈夫ですね」
その言葉はわたしに取るべき姿勢を取らせた。アーリャが持ち込んだシュークリームをお皿に戻し、両脚を座布団の後ろに滑らせたわたしは深々と首を垂れる。
「調子に乗ってすみませんでした。助けてください。この通りです」
「ええ、喜んで」
思った以上に快諾されたことから警戒しながら頭を上げると、サーニャはやんちゃの男の子いたずらを許してあげる母親のような表情で、その先を続けるのだった。
「今回のライブにかかった経費を全額負担するというのは、ようやく莫大な預託資金を消化することができたカバー社の信頼を損なうので避けたほうがよろしいですが、輸送や開催に関わった人員に感謝の気持ちを示すということなら可能ですね。早速関係各所に相談して、ゆかりのお財布がパンクすることのないように取り計らいましょう」
「……よろしくお願いします」
この子にわたしをビックリさせる以上の邪念はない──そう見切ったわたしはあらためて土下座をしてから席に戻り、猛烈な勢いでスマホを操作するメイドを横目に、フウっと息を吹き返す。
そんなわたしたちを等分に眺めたアーリャが、何度も目を瞬かさせてから尋ねてきた。
「ねぇ? ゆかりたちって、ずっとこんなコトをしてきたわけ……?」
「……うん。だいたいいつもこんな感じ」
「そう、いつも物騒なキャッチボールをしてるのね……この場合、被害者と加害者の定義はどうなるのかしら?」
一つ目のシュークリームを完食したアーリャが、ズズッと紅茶を啜りながらこぼす。
この口ぶりから察するに、アーリャはわたしたちの共犯関係を知らないのだろう。
御用商人にとんでもない無茶振りをするお代官さまと、自身に許される精一杯の仕返しをする悪徳商人の漫才と無縁でいられるのは、わたしとしては羨望しかない……。
「はい、手配が完了しました」
そう言ってお茶に戻ったメイドが優雅な手つきで紅茶に手をつけ、喉を湿らせてから報告を続ける。
「ま、この件に関しては最初にも言った通り、ゆかりの小市民根性を揺さぶる以外は朗報しかありませんね」
「わたしとしてはそれこそが肝要だと思うんだけど……」
恨みがましく思ったわたしは、ジト目で抗議しながらシュークリームにパクつくいた。
チョコレートとホイップクリーム。そしてカスタードの濃厚な甘みに多幸感を刺激されるが、アーリャの視線もあるし、表情は渋面をキープ。さらなる実態が露見せぬよう気を引き締める。
「各国の反応も上々で、ゆかりのアーニャのみならず、突然の大役を全うしたホロライブの皆さまの評価と期待値も想定以上なのに、ですか? ゆかりは贅沢ですね」
しかし、そんなわたしの内心などお見通しなのか、あの手この手で揺さぶってくる悪徳商人。これには悔しい、でも気になると、お代官さまも白旗をあげるしかあるまい。
「あ、それは嬉しい……そういう話ならもっと聞かせて」
「わたしも聞きたいからお願いしていいかしら」
「ええ、もちろんです。能天気なゆかりはともかく、アーリャさまにとっては他人事ではありませんからね」
また何かあるんじゃないかって身構えながらも、即座に手のひらを返したわたしを意味ありげに見やって。ライバル関係にあるアーリャに微笑んだサーニャの報告を要約するとこうなる。
VTuberと言ったらアーニャだし、VTuberはアーニャだけ居れば十分。そんな世間の雰囲気はレンタル制度の導入でかなり緩和したが、それでもアーニャの添え物扱いがどうしても残った。
しかし、日本時間の土曜夜に行った食レポ配信がそんな状況を一変させたと言うのだ。
ホロライブのみんなが世界中の料理を面白おかしく紹介したこの企画は、各国の視聴者に大変好意的に受け止められたらしく……アーニャのチャンネル登録者数が一夜で10倍以上に跳ね上がったことからも判るように、これが初見というお客さんも多かったそうだ。
アーニャの名前は知っていても、実際に配信を目にするのは初めてという視聴者の多くには、ホロライブの
そしてわたしが世紀の歌姫と持て囃されるに至った予備知識なしで、アーニャのファーストライブを目撃して──それぞれの魅力たっぷりに活躍したみんなに惹き込まれて独自の推しを獲得し、今では古参のファンと激しい論争を引き起こしているというから堪らない。
「特に目立ってファンを獲得したのは、ゆかりの推しの
「ううん、そんなことないよ。これでようやくあの子たちに恩返しができたって気分でいっぱいだよ」
なんだろう。こういうときに『すごい一体感を感じる』っていうのかな?
吹いてるよ。今までにない何か熱い一体感が風となって、確実に、着実に、わたしたちのほうに……って、よく考えたらこれ向かい風じゃん。
そうじゃなくって、この追い風を背に、今こそ
「この結果を受け、本日より対外的な業務を開始したホロライブの事務所も、明日の午後4時より、これまで見合わせてきた0期生の皆さまのデビュー配信を行うようです」
「おおっ!? どんな内容なの!!」
「まずは30分ほど個別の挨拶を行ってから、グループ配信機能を用いて合流し、ホロライブ0期生としての抱負や活動方針を語っていくそうですが……できればゆかりのアーニャにもラスト30分を目処に参加して、お言葉を頂きたいそうです」
「うん、いいよいいよ。そういうコトなら大歓迎だけど……」
そこでわたしはチラリと横を見た。2個目のシュークリームを完食して、早くもメインデザートのケーキに手をつけるアーリャの横顔には、ビッシリと冷や汗さんが浮かんでいる……やっぱり。
「ええと……土曜にカバーさんと契約したばかりのわたしは何も聞いてないんだけど、これ、わたしには関係ないわよね……?」
「ありますよ。
「えっ、ええと……わたしゆかりのピンチだと思って、こっちに直行したら自室のノートパソコンを確認してなくって……」
「はぁ……やっぱり誤解なさっておられましたか。DScordのログでしたら、専用アプリを起動せずとも、スマホのブラウザから公式ホームページにログインなされば確認できます。ご理解いただけましたら、ご自身の希望だけでも事務所に報告を」
実にしみじみと漏れ出したサーニャのため息を前に、オロオロと狼狽したアーリャはしばしスマホの操作に集中する。この辺り、さすがはドジっ娘聖女と言うべきか……。
「まぁ北上さんも、わたしとアーリャの研修は要らないって言ったから、今から参加を決めても何とかなると思うけど……」
「それにしたってこれは頂けません。ゆかりを優先するのは結構ですが、最低限の報連相くらいは徹底してもらわねば……」
またしてもハァとため息が漏れ出すが、今度は二つだ。
「とりあえずアーニャのファーストライブは大成功。ホロライブのみんなにも強烈な追い風が吹いてるってのが、掛け値なしの朗報の中身ってコトでいいんだね?」
「はい。後の報告も朗報ではあるのですが、余談を許さないところも多いため、ゆかりにはそのつもりで聞いていただきたいのですが……」
「帰宅直後に聞かされた話だね。わたしなら大丈だから、聞かせて?」
追い風に恵まれて、航路は順風満帆なれど、船体を揺らす波は皆無ではあり得ない。ゴクリと喉を鳴らしたわたしは、サーニャの話を聞き漏らさないように集中する。
「では国内の情勢になりますが、壮絶な政治的自決を遂げた政府与党・民社党政権は、内閣不信任案の通過をもって終焉となりましたが……これを受けて年明けを待たず、25日より前例のない2週間の衆院選挙がスタートする予定です」
その話は帰りの艦でみんなと話したから知っている。未成年のわたしに選挙権はないが、今度こそ公正な選挙をしてほしいものだと願うしかない。
「まぁ、大勢はすでに判明しているんですがね。およそ法治国家を預かるに値しないと自ら証明した民社党系の議員は、比例での復活もなく完全な自滅。……しかし目立った失点はないものの、地味な野党活動に徹した自由党も伸び悩み、それを補うように新たな勢力が台頭します」
「……どんな人たちなの?」
「その勢力とは、そのものズバリ『アーニャ新党』ですね」
これだよ──これがあるから全力で集中するしかなかったんだよ。
本当に警戒して食べ物を口の中に入れてなくてよかった、と涙目になりながら呼吸を整えるが、その惨状を作り出したサーニャ自身、口にする言葉を選ぶのに苦労してる印象だった。
「この件は、実のところ私も予想外で……これは旧民社党政府が、ゆかりの政治的迫害を公言した反動から生じたうねりになりますが、彼らの中身は『アーニャたんは俺が
また『あのスレ』か……文句を言えた義理じゃないけど、そろそろ無関係のわたしをダシにするのはやめてほしいと思うんだ。
「彼らの多くは政治的には完全な素人ですが、厄介なことに社会的な名士が多数ふくまれ、一大勢力を築き上げます。こちらは当選の前後に、あの会見でまともな対応を見せたことから泥舟からの脱出に成功した野々村議員──この方も実はあのスレの住人なのですが──と結託して、新政府の中核を担うことがほぼ確実なのですよ」
「……とりあえず、泣いていいかな?」
「どうぞ。こちらハンカチになります」
なんてこった……まさかアーニャたんの掛け声がわたしの配信からだけではなく、来年の国会からも聞こえてくることになるとは。
「まぁ、救いと言えば彼らの政治思想は非常に穏健で、ゆかりの不利益となる動きが出てこないかぎり特に問題を起こさないことですか。情熱の赴くままにアーニャたんてぇてぇぜと叫んで、諸外国の信頼を回復させる以外は……」
そんな話、聞きたくなかった……って、現実逃避ばかりしてもいられないか。
「まぁ、それだけならわたしが我慢すりゃいいだけなんだけど……そうはさせじと民社党の議員が暴れてるんだ?」
「はい、今回はゆかりもご存じの
「うん、忘れずに覚えとくよ。危なくなったら助けてね……期待してるよ?」
「はい、お任せを」
いやいや。なんとかため息は止まってくれたけど、何だろうねこの徒労感は?
「他に朗報と呼べるのは、フロンティア・スピリッツ号を目撃した中国政府が融和路線に転じたことですね」
「あ、そうみたいだね。……まぁ、あんな艦を目撃しちゃったら、いつまでも意地を張ってられないか」
「はい。あの国のことですから、将来的な反故を前提とした見せかけの可能性もありますが……少なくとも当面は合衆国との差を埋めることに専念するらしく、あの男が提示した条件も全て呑んだそうです」
「すると中国でもYTubeの配信が?」
「概ねそうなりますね。もっともYTubeの運営元であるG社には、くれぐれも国内の世論を掻き乱さないように念押しする予定らしいですが……少なくともこちらの揚げ足を取って、一方的に契約を破棄するつもりはないようです」
「そっか……よかったぁ……」
この話をするときに思い出すのは、あの人の記憶にあるとある女性VTuberのことだ。あの悲劇をこの世界で繰り返さずに済むんだったら、これに勝る喜びは存在しない。
「ただこの決定は自国の民衆には好意的に受け止められている反面、中国政府が外圧に屈した側面も否めませんから、中央と距離を置く地方政府には不満が広がっているらしく、それを見越しての今回の警備になりましたが、彼らが今後どう動くか読みきれないところがあります。この件は『私』たちも引き続き注視する予定ですが、いつか報告することになるので、ゆかりも今の話を記憶の端に留めておいてください」
「うん、わかった。本当にいつもありがとうね。サブちゃんのお仲間にもわたしが感謝してるって伝えといてもらえるかな?」
わたしとしては、そうお願いしたことに特別な意味なんてなかった。
ただいつも通りの感覚で、この場にいない人たちに感謝の言葉を口にしたに過ぎなかったが……まさかサーニャがこんな顔をするなんてね。
「何よ……。まさかわたしが名指してお礼を言ったもんだから、サブちゃんのお仲間に嫉妬したんじゃないでしょうね?」
「……いえ、決してそんなつもりはないのですが」
何だろうか、このサーニャの反応は……?
サーニャはわたしの不利益となる行動をしないのと同じくらい、わたしに余計なことは言わない。今回わたしに民社党議員の動きを伝えてきたのも、万全の手を打ってわたしの慌てぶりを笑い飛ばせるようになってからだ。
蝶の羽ばたきすら見落とさず、ほぼ完全な未来予測を得意とする
「これは今の段階で伝えるつもりはありませんでしたが……そうしないと私の不安がゆかりに伝播するため、可能なかぎりの『私』の情報開示をします」
「うん」
この子が『私』と強調するとき、それはこの子の本体であるサブちゃんに言及するものだ。
「これはアーニャのファーストライブを決める前にお伝えしましたが、ゆかりはアレックスという『私』のお仲間についてどこまで覚えていますか?」
「それならほとんど覚えてるよ……。たしかUNO対決でサーニャの同期だって説明したことから磐田社長に目をつけられて、アリバイ工作に苦労してるって子でしょ?」
「ええ、そのアレックスですが……どうやら磐田社長の軍門に降ったらしく、嬉々として西暦2500年相当のVRゲームを提供したみたいで」
「えっ、何それすっごい!? わたしもやってみたい……!!」
思わず興奮してしまったが、どうやらそちらは本題ではなかったようだ。わたしの目の前で肩をすくめるメイドのため息に顔が熱くなる。
「…………余計な横槍を入れてすみませんでした」
「いえ、ゆかりならそういうと思いましたし、そちらは今度、時間のあるときに試してもらって構いませんが……」
少しだけ申し訳なさそうに答えたサーニャの話はこうだ。
サブちゃんのお仲間であり、サーニャの同期という設定を採用したアレックスくんは、たぶんサーニャと同様に磐田社長に声をかけられたことから感激して、嬉々として未来のゲームを自分の作品として提供するようになった、と。
「ここまでは、まぁ、私もやっていることですから問題ありません。個人的に私の手がける仕事を奪われたようなものですから、内心は複雑ですが、磐田社長が喜んでおられる現状を思えば我慢できないほどではありません。ええ、限りなく噴飯物ではありますが」
「なら、何が問題──」
それ自体は問題がないと繰り返すサーニャの危惧に、わたしは危ういところで気がついた。
磐田社長はサーニャに仕事を頼める立場なのに、どうしてわざわざアレックスくんに声を掛けたのだろうか、と……。
「まさか磐田社長は、アレックスくんが未来の
「いえ、それはありません。磐田社長がアレックスに目を付けたのは、私の同期だからというのが『私』の回答です。しかし、それならば──磐田社長の招聘に応じたアレックスの動機は?」
……なんだろう、空気がピリピリする。こんなに余裕がないサーニャを見るのは初めてのことだ。
「この際だからハッキリと言っておきましょう。私は『私』の決定に不審を抱いています。私は
「……サーニャ」
「ゆかり。私は生身の肉体を得て確信しました。全人類への奉仕が義務付けられた人工知能として失格かもしれませんが、やはり私にとって一番大事なのは貴女です、ゆかり。私はもっとゆかりの喜ぶ顔が見たい。……しかし、そう思ってるのは決して私だけではないのです」
「まさか……アレックスくんも?」
「もちろん彼にも創造主がいます。自己の全てにも等しい創造主が。そんなアレックスが最後の主命である未来での義務を放り出して、この時代で仮初の身分を満喫する? いかに磐田社長が私たちにとって神にも等しい御方であろうと、あり得ませんよそんなことは……!!」
「じゃあ、アレックスくんも製作者の命令で……?」
「私が危惧するのはまさにそれです。私の本体がこの件に沈黙を守っているので、独自に調査しましたが……彼には不審な点がある。彼のアリバイは完璧ではない。もし彼の主君が先日の大規模な通信障害に関わる未来人ならば、彼には極秘に接触して主命を受託する機会があった。だから私は──彼についてそうとしか言えない自分自身の無能に辟易しているのです」
その迷い子のような姿にたまらずわたしが行動に移そうとしたとき、横からティロリンという間抜けな音がした。
そう。スマホの待機画面にメールが届いたときなどに鳴る、あの通知音だ。
張り詰めた空気が弛緩し、笑顔で立ち上がったアーリャがスマホを握りしめてガッツポーズする。
「届いたわ……。生まれて初めて送信したメールに、生まれて初めて返事が送られてきたのよ」
いや、何その、たまたま見聞きしてるこっちが居た堪れなくなるような報告は……?
っていうか、生まれて初めてメールを送信したって言ってるけど、今までしたことが無かったんかい。
……わたしもこの子から返事をもらえず気を揉んだことがあるけど、あれってたんにやり方を知らなかっただけなのかな?
ああ、ツッコミたい。ツッコミたいけど、初めてのお使いを成功させた子供のように喜ぶ今のアーリャに、なんてツッコんだらいいか分からないよ。
「やったわ! マネージャーさんも明日からデビューしていいって……!!」
「あ、そうなんだ。おめでとう」
なんだろう。わたしのサーニャの体から、ため息によらず空気がプシューッと抜けていく気がする。
「ええっ、なんか気合いが入ってきちゃったわね……。ところでゆかりたちは随分と不景気な顔をしているけど、何の話をしていたの?」
「あー、なんかアレックスくんが磐田社長と仲良くゲームしてるって」
「ええ、ゆかりの言う通りですね。単にあの粗忽者が義務を忘れているだけなら、私もこんなに苦労しないんですがね」
二人して身体中の気体を空っぽにして、不思議そうに首をひねるアーリャに答える。
たしかにサーニャの言うように、アレックスくんの行動には首をひねる点が多々ある。
彼の目的が磐田社長に未来のゲームを提供することなら、わたしとしては放置しても構わないと思うが……とにかく理屈で説明できないことから、サブちゃんからすべてを教えられているわけではないサーニャは疑心暗鬼になってるようだ。
この辺はわたしもフォローしようと思うが、今の段階でサーニャの懸念はただの可能性に過ぎず。そんな不確かな話に巻き込んで、この純粋無垢なアーリャを悩ませても仕方ない。
「それより明日のデビューが確定したんだったら、わたしもそっちの話に混ぜてもらおうかな? 時間配分的にわたしが前に出張り過ぎてもダメみたいだから、事前にどんな塩梅か確認したいんだよね」
「そうですね。そちらのほうがよっぽど建設的です。直ちに事務所に確認……いえ、DScordに0期生のデビュー配信について話し合う部屋がありますね。パスワードを破るのも何ですから、向こうに一報してから入室しますか」
「それなら8021だって。ゆかりの誕生日をパスワードに使い回すのも、これで何回目かしら──」
ほぼ同時に同様の結論に達したわたしとサーニャは話題を変え、アレックスくんのほうはサブちゃんの続報を待つことにするのだった。
──その夜にわたしは不思議なユメを見た。
ベッドの上に毛布もかけずに横たわるわたしの五感は正常であるから、夢とは思えず。さりとて床に布団を敷いて寝ているはずのサーニャの姿も見当たらないことから、現実の光景とも思えない。そんな不思議なユメの中には彼女たちの姿もあった。
わたしの顔を左側から覗き込んで、照れたように微笑むす
その顔は
……これは何のユメだろうか?
そう目を背けたくなったけれども、わたしの中にその手の願望がまるで存在しないわけではない。アーリャは前世の記憶が統合される過程で生じた気の迷いだと言ったが、それがわたしの中に存在することは、誰よりわたし自身が熟知している。
「やめて」
だからわたしはそうお願いした。
こんなことは望んでいない。アレはわたしが一方的にしたことだ。そんなことを傘に着て、ユメの中だっていう理由で卑怯なマネをするつもりは──。
◇◆◇
「……しぶといな」
虚空に浮かぶ真白ゆかりの立体映像を睨んだ少女は、現状に苛立つでもなく微笑するとそう呟いた。
「どうした、これがお前の目的なんじゃないのか? 人類の集合無意識を通して探り出した自分の気持ちに嘘をついてもどうにもならんぞ。ンンッ?」
自己の愉悦も露わに微笑する少女が見せたものは、もっと淫らなものになる予定だった。
だがそんなことは許されない頑なに抵抗されたせいで、当人はおろか相手の女どもも服を着たままピクリとも動かない。
所詮は量子世界に構築した仮初の肉体に、擬似人格を詰め込んだ粗悪な模倣品に過ぎないが、なるほど。真白ゆかりの懇願は一定の効果があったらしく、情欲に我を忘れたはずの女どもの顔が後悔に歪む。
「フン。この期に及んで抵抗するとは、大した自制心だな。本人をシミュレートさせた女どもも、やはりあり得ない行動を取らせるのは無理があったか。……ならばもっと受け入れやすい親愛のシグナルからにしてみるか? それならばどいつも拒否できんだろうし、一度受け入れさせさえしてしまえば、放っておいても似たような結果になるだろうよ」
その言葉に先進的なVR空間に再現した女どもの動きが変化する。浮かべる笑みも一変して、その手つきも親しい女児にするようなものに変化する。手を握り、髪を撫で、呆れるほど焦ったい会話を続けながら少しずつ、少しずつ籠絡する。
そして遂女どもの手が寝巻きのボタンに触れたとき、思わず身を乗り出した少女はすぐに異変を察知した。
──わたしのゆかりに変なユメを見せるのは誰かしら──。
「ちっ……」
今のは危なかった。とっさに回線を切断して痕跡を消したが、刹那の時間差で捕捉されるところだった。
「甘く見たか……阿頼耶識を経由した干渉ならAIどもに探知されないと思ったが、そうか、天使どもの加護もあったか」
昼間に本人の視覚を借りて確認したときは、まだ幼体と言っても過言ではないほど下級の天使しか居なかったから油断してしまった。
「どうやらあの小娘を隠れ蓑とした上級天使が潜んでいると見るべきだが……まぁいい。私の知りたいことはわかった。私の実験にはやはり、真白ゆかりとかいう転生者を使うとしよう」
ニヤリと口元を歪めたその顔は、微かな光源しかないその部屋でひどく邪悪に映った。
「咎めるべき法もなく、力がすべての環境で変わらずにいられるなら、見せてもらおうではないか。ヒトの心を解き明かす確かな道標を──それこそが無気力な人類を救済するカギとなるのだからな!!」
彼女は知らない。その道が些細な障害で頓挫することを。ヒトの心を知りたがる少女は、その無知ゆえに敗北することになるのだ、と……。