青世界失格 作:安藤公正
「センセー。おはようございます」
シャーレの執務室へとやって来た早瀬ユウカが見たものは、首を吊っている男だった。
それを見て、ほんの一瞬動きを止めたユウカだったが。抱えていた書類を机の上に置き、慣れた調子で脚立を用意して、机の引き出しからカッターナイフを取り、男の首に掛かっていたロープを切った。
床に落ちた男……センセーは暫くしてむくりと立ち上がり、恨みがましい視線をユウカへと送った。
「折角逝けそうだったのに……君を恨むよ」
「何度も言ってますけど、執務室で首を吊るのは辞めてください! 私のように慣れていればともかく、たまにパニックを起こした生徒が大騒ぎするんですから」
「ああ……ナギサ君といったかな……白い翼の美しい女性の……ナギサ君は来るなり泡を吹いて倒れたよ」
「…………ティーパーティーのホストをそんな目に合わせて、問題になっても知りませんよ?」
センセーのデスクを見ると大量の書類が溜まっていた。センセーのいた世界はキヴォトス程発展していなかったらしい。未だにセンセーはスマートフォンやコンピュータの扱いに不慣れだ。タブレットはどうにか上手く使っている様子だが、時折タブレットに向かって何か文句を言っているので、使いこなせてはいないだろう。
いくつか重要なメールはプリントアウトして、センセーの机の上に置く。ティーパーティーから正式な抗議文が届いていたことに気がついたが、ひとまずは見なかったことにする。
うっかり書類の束を崩して、書きかけ――いや、全文インクで塗りつぶされたので、恐らくは書くのをやめた小説が見えた。
そういえば、センセーは前の世界では作家だったと……センセーに言わせれば今でも作家以外の何でもないようだが……聞いた。見える範囲で読もうと思ったのだが――
「ゆう……か――――え? 私のお話!? せ、センセー? これってもしかして、私が登場するんですか!?」
「む……そういえばそんなものも書いたね」
「ど、どんなお話なんですか?」
そんな筈はないと思いながらも、ユウカは僅かな期待から声が震えるのに自身でも気が付いていた。期待。いったい何を期待しているのか、そんな筈がないとは何なのか。ユウカにも分からない。それでも、間違いなく、僅かとは言え確かに喜びがあった。
「……ふふ。少し前に君の学校を訪れた時に創作意欲が湧いてね」
前にセンセーがミレニアムを訪れた時……確かゲーム部での騒動の時か。あの時はセンセーもゲームというのを理解していないながらも、一部シナリオを手伝ったという話だった。手伝ったと言ってもおまけを書いただけのようだが。
ユウカは忙しくていまだに見ていないが、「走れアリス」というタイトルだけはいくらか話題になっていた。
それで、どんな話なのかはまだ答えてくれていない。はやる気持ちを抑えて、センセーの口から続きが紡がれるのを待つ。
「邪知暴虐の王から仲間を守るために、敵の牙城を駆け抜けるのだ。ゲーム部で見せてもらった数々の作品……あれは小説とはまた別のものだったが、あれを参考に書いてみたのだよ」
「あれ? もしかしてそれがゲーム部の新作に収録されているお話ですか? アリスちゃんが主役の」
「ふむ……そういえば彼女たちはそのようなことを言っていたね。僕は原稿を渡しただけなのだが…………それはその習作のようなものだよ」
「……ん? ちょっと……待ってください」
ユウカの頭の中で何かが繋がり始めた。最近、ゲーム部の新作が出て以来のこと……時折こちらを見てふふふと笑う生徒。ゲーム部に最近入った天童アリスがセンセーの作品の主人公モデルであるということ。センセーがあの騒動の時にゲーム部と共にセミナー襲撃に加担していたこと。そして、今センセーの口から語られたその内容。
「センセー…………邪知暴虐の王の名前を、お伺いしても?」
☆
扇喜アオイがシャーレを訪れた時、センセーは机に向かって書き物をしていた。まさか仕事をしているのかと驚いて近づいたアオイは、しかし彼の向かっている先が原稿用紙だと気が付いて安堵する。
おかしな話だが、センセーが仕事をしているなんて熱に浮かされているか精神異常か、それ以外にあり得ない。
「センセー。仕事はどうなっているのかしら」
時折センセーが何かを書いている様子を見たことがあるが、邪魔されるのを嫌う様子なので、答えが返ってこなくても辛抱強く待つ。アオイの声も耳には届いているようで、ひと段落付いた辺りで、
「ユウカ君が半分ほど持って行ったよ。明日には持ってくると言っていたね」
「あとこれくらいなら、それほど時間はかからないわね」
センセーは、ちらりと書類とアオイとを見て、また原稿用紙に続きを書き始めた。
「センセー……」
と、非難めいた声を出してはみるものの、意味のない事は分っている。
それに、センセーは何もしないわけではない。いくつかの問題を解決に導いてきたし、センセーでなければ救えなかった生徒もいる。
「仕方ないわね」
センセーの横の机に座り、書類を片付けていく。センセーのペンが紙を搔く音が響いた。カリカリとした音は心地が良くて、淹れたコーヒーの香りといい、どうにも仕事をしているという感じが、寧ろアオイのやる気を後押ししてくれた。
書類を半分終わらせた頃。突然センセーは頭を抱えて、二枚ほど原稿用紙を束ねて破り、少し悩んでからもう一枚丸めて放り投げた。
アオイは休憩がてら立ち上がり原稿用紙を拾い、ゴミ箱に移すか悩んでから、念のため取っておいた。
「……ふふ。死のう」
瓶からザラザラと錠剤を取り出してポリポリと食べるセンセーに、アオイは尋ねる。
「書けないの?」
「いいや。傑作が書けそうな気がしているんだ。最近ここを訪ねて来たナギサ君を見た時に……近々彼女の学校を訪れてみてもいいかもしれないね」
センセーは煙草を取り出して咥えたが、火をつける様子はない。生徒の前で煙草を吸うのなら注意すべきなのだが、火をつけていないのでどうするべきか迷い、センセーの横顔を眺める。いつも以上に愁いを帯びた暗い顔。
もしかしたら、気づかずに、吸っているつもりなのかもしれない。センセーは煙草を指でつまんで、大きく息を吐いた。
それから、何かを決心したように立ち上がる。
その時にアオイの方を見たものだから、目が合ってしまった。見つめていたことがバレてしまうと、アオイは誤魔化す為に先ほど考えていた注意をすることにした。
「センセー。生徒の前で煙草を吸うのはどうかと思うわ。以前も話したと思うけど、センセーのいた場所では知られていなかったみたいだけど、受動喫煙と言って、煙草の害は吸う人以外にもあるの」
「僕も他者を害するのは本意ではない。気を付けるとしよう」
「……助かるわ」
「では、僕は数日程ナギサ君の学校に滞在する」
「え? ちょっと待って頂戴……」
「リン君にも言っておいてくれたまえ」
センセーはアオイが何かを言うより先にシャーレを出て行ってしまった。彼の下駄の鳴らす音が徐々に遠ざかっていくのを聞いて、追いかけようと立ち上がっていたアオイはそのまま椅子に戻った。
「こんな調子だと、シャーレをクビになるわ……」
未だ残された書類を見て、アオイは小さくため息を零した。
「先生失格ね」
トリニティ近隣にて、センセーは不良生徒同士の諍いに巻き込まれていた。飛び交う銃弾はセンセーに当たる前に逸れた。
「センセー! 大丈夫ですか!? アロナがいる限りセンセーには――」
「……全く。また余計なことを。未だに銃弾による痛みを味わえていないのは君の責任だ。猛省したまえ」
「うわーん!! 何でですか!!?」
センセーがタブレットに対して文句を言っていた。
センセークズっぽくなったけど、もっと魅力的な人なので。魅力出すにはストーリー進まないと駄目なのだわ。そもそも、続かないのだわ。
腹を撃ったサオリに感謝しするセンセーは見たいのだわ。