短編:マギ~替天行道~   作:御代川辰

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第零夜 魔星解放

 迷宮(ダンジョン)────世界のどこかに、どこからともなく現れる巨大な迷路。その内にはあらゆる財宝や武器、知識や遺跡が秘められ、同時にあらゆる危険が潜む死と欲望の坩堝と化している。

 迷宮(ダンジョン)はかつて存在した七十二の(ジン)が一柱ずつ封じられており、(ジン)たちの名と序列を冠して呼ぶ者もいると言う。しかし、大陸より東方の中原には迷宮(ダンジョン)とは異なるもうひとつの()()…………

 魔星宮と称される城が各地に存在していた。迷宮(ダンジョン)に封じられているのが神とも呼ばれる(ジン)ならば、魔星宮に封じられているのは魔神とでも呼ぶべき魔星の王である。

 天罡(てんこう)三十六星と地煞(ちさつ)七十二星、占めて百八もの魔星の霊魂たちは自ら堕転を繰り返し、幾度とない輪廻転生の果てに宿星を取り戻すべく息を潜めているのだ。そして事が大きく動き出したのは、同じく時代が大きく動くその時を数十年先に控えたその日。

「太尉!間もなく竜虎山です!」

 中原への進出を企てる東方諸国と黄海沿岸への進出を目論む西方諸国が血みどろになって争う極東、その中心に位置する辺境の小国たる宋の地にて、一人の男が行動を起こそうとしていた。名を(こう)(しん)、宋国軍の全権を握る太尉の官を預かる権力者である。

 それほどの男が俗世から離れた仙人たちの墓所となった竜虎山に訪れたのは、一つの目的があっての事だった。それは(ジン)にも匹敵する強大な力を有する魔王がことごとく封じられている、と風の噂や宋国各地の伝承に聞く伏魔殿から百八魔星を解き放ち、宋による中原統一を手助けさせ自らの一族の繁栄を確約しようという、実に俗な発想に由来するものだ。

 しかし今現在の中原は戦国乱世真っ只中で、宋の周囲には単独で相手取る事のできない強国ばかりが名を連ね、しかも宋の立地自体も他国と同盟を結ぶにおいて満足な返礼ができるような豊かな土地ではない。何をするにもにっちもさっちもいかない最悪の状況におかれている現状を打破するには、もはや人外の力に頼るほかに手段はなかったのである。

(百八魔星の協力を得られれば御の字だが、果たして事はなるか……!)

 (しん)は馬車の中で立ち上がり、格子の隙間から深い森と濃い霧に覆い隠された山々を見据える。この山々こそ竜虎山。“マギ”と“魔法使い”が台頭する以前に栄えた、“神仙”たちの修行の場である。

 むき出しの土が見えているだけで全く整備されていない道を進み、(しん)の乗る馬車は竜虎山を構成する数十の山の中で最も重要な神山……伏魔殿が存在する雲錦山の麓に到着した。

 馬車が止まったのを確認して扉を開けて馬車を降りると、麓に敷かれた石畳と山頂へ続く石段が目の前に現れるが、その恐ろしさ足るや五里霧中という言葉で言い表せそうなほど濃く深い霧が周囲を包み込み、もたもたしていると四方はおろか自分の手さえ見えなくなってしまうほどである。

 もとより格下の相手に気の大きい態度をとる(こう)(しん)すら足を竦ませて後ずさりし、馬に至っては今にも逃げ出したいと言わんばかりにきょろきょろと周りをうかがっている。

「太尉、ここからは……」

 同じ異境とは言えどとても仙人が暮らし修行していた場とは思えない、あまりの居心地の悪さにすっかり心をやられた馭者が、声を震えさせながら(しん)に言うが(しん)は手のひらを向けてそれ以上の言葉を制止した。

 万が一にも「ここから先は一人で」の後に泣き言の一言や二言が続けられれば、つられて自分も失禁しかねないほどの恐怖が全身を包んでいるのだ。もしもここで心が折られてしまえば魔星の調伏どころではない。

「今は黙っていよ……言われずとも理解しておる」

 がちがちと歯軋りしながらも答えを返し、がたがたも震える足をようやく石段の一段目にかけ、伏魔殿を目指して雲錦山を登り始めた。馭者は馬車と馬を停めている麓にとどまっているため、(しん)の後ろに続く者は一人としていない。

 石段を一つ上がるごとに霧はさらに深く濃くなり、また石段を踏む靴の音もだんだん小さく聞こえる錯覚に陥り、「後ろから得体の知れないものが迫っている」という強迫観念さえもある中で、振り返る素振りさえ見せず一心不乱に階段を上がり続ける。

 雲錦山の頂上はまだ見えない。しかし一歩近付くごとに悪寒と不安は増していき、素人目にしても体にかかる負担が重くなり、その心身に容赦なくのし掛かって来るのが容易に感じ取れる。

(これも仙人にとっては修行の一貫にすぎなかったと言うのか……!)

 常人であればまず間違いなく途中で引き返すであろう、と心の中で舌打ちをするものの、(しん)は引き返すどころか後ろに目を向ける勇気すら湧かない。

 今この状況で出きる事と言えば、ひたすら石段を上がり続けて伏魔殿にたどり着くことのみ。だが全身の穴と言う穴から脂汗を流すほどの緊張で、生きた心地さえしない中石段を登り続けた。

 どれ程の時間が経過したのか、(しん)の進む先に階段を挟むようにして置かれた二つの石塔が見えた。考えずとも伏魔殿が鎮座する雲錦山の頂上に到ったのだと理解した時には、あれほど不気味に山を覆い尽くしていた霧がすっかり晴れ渡っている。

 よもやと思い恐る恐る階段を見下ろしてみると、既に小さくなっているがあれほど怯えきっていた馭者が、こちらに向けて何かを呼び掛けながら手を振っているのが見える。また馬たちも落ち着きを取り戻したらしく、平然と辺りの草を()んでいるのが辛うじて分かる。

 (しん)は安堵のため息を吐いた後、自身の無事を知らせるように手を振り返すと、馭者も安心したのか身振り手振りで「無事に降りてくるように」と返した。それを見届けるともう一度振り返り、これから向かう先へと視線を改める。

 今目の前で威容を放つのは有史より千年以上に渡りこの竜虎山、ひいては雲錦山にて百八の魔物を封じる強固な結界、伏魔殿である。その外観は良く言えば絢爛豪華、悪く言えば華美過大の様相であり、鋼鉄製の黒色の瓦が屋根に敷き詰められ、杉を切り出した柱は辰砂の顔料で朱色に染められている。

 また扉と壁の装飾にも金箔の他様々な顔料や金属が用いられており、やはり仙人が暮らす隠れ里としての機能はない事が分かりやすく感じられ、ひたすら「魔星を封じるための結界」としての機能が強調されている。

「はてさて、鬼が出るか蛇が出るか」

 霧が晴れてまた日の光を見ることができたかと思えば、またもひっきりなしに全身を襲う悪寒に苛まれる。(しん)は恐怖と同時に苛立ちさえも覚えながら、警戒を最大にしつつ伏魔殿へと近付いて行く。

 隙間から苔や草が頭を覗かせている石畳をある程度進み、ようやく伏魔殿の扉の前に立ったその時だった。伏魔殿の扉を開けるため錠を壊そうと持参した金槌を右手に、目の前の錠を手に取った時、錠に刻まれた四文字が目に入ったのである。

 その四文字とは「遇洪而開(洪に遇ひて開く)」、つまり「洪姓の者によって魔星の封印は解かれる」と。ただでさえ止まらない悪寒がさらに酷くなり、金槌を握る手の震えは痺れにまで変わったが、もはや後戻りできる状況ではない。

 (しん)は意を決して青銅の錠に金槌を叩きつけて壊し、錠に繋がれていた鉄鎖も廊下に落として、伏魔殿の本宮に通じる扉を塞ぐものを全て取り払うと、躊躇なく扉を開いた。開かれた扉から本宮の中に陽光が射し込むと、その中心に安置された石像と周囲を囲むように配置された木像の数々が姿を現す。

 その数は実に、百八体。

(この濃厚な気……!……間違いない……伝承は真実だったか!)

 石像の台座には【天魁星】の三文字が刻まれ、他の木像にも目立つ部分に魔王たちの名が刻まれている。これらがまさしく天罡地煞の魔星を封じる依代(よりしろ)なのだ。もしもこれらがただの飾りだったのならとんだ骨折り損だが、魔星を解放するのに特別な儀式など必要ないと分かっただけでも充分な収穫である。

 (こう)(しん)は早速石像の前へと歩み寄ると、早速金槌を振り上げて石像の足に力の限り叩きつけたところ、石像の足首は粉々に砕け散って崩れ、あれよあれよと言う間に出入り口とは反対側の大黒柱を巻き込みながら倒れた。

 大黒柱が折れると言う事は建物が崩れる事と同義であり、大黒柱に支えられていた連鎖的に他の柱や梁には次々と亀裂が生じ、みしみしと嫌な音を響かせながら木像を押し潰しつつ崩れてゆく。

 はじめは茫然自失としていた(しん)もこの光景にいよいよ命の危機を悟り、慌てて回れ右をした足で命からがら伏魔殿から脱出し、倒壊に巻き込まれる事はなかった。当然伏魔殿がある雲錦山の麓で上司の帰りを待つ馭者にも伏魔殿が崩れる音は聞こえており、一度は引っ込んだ冷や汗を滝のように流しながら見上げている。

「はあ……はあ……はあ……危なかった……」

 九死に一生を得た(しん)は跡形もなく潰れた伏魔殿を背中越しに視界に入れた瞬間、強大な気配を全身で感じ取り動きを止めてしまった。その気配の主こそ、既に倒壊した伏魔殿の中で渦巻く百八の魔星たちであり、伏魔殿の倒壊をもって解放されたのだ。

 だがこれだけでは終わらない。瞬きをする間もなく倒壊したはずの伏魔殿の残骸が地面に沈み始めたかと思えば、わずか数秒後にはいつの間に出現していた大穴の奥底に吸い込まれるように瓦礫一つ残さず落ちていく。

 これには開いた口が塞がらず、その場にへたりこんで一歩も動けなくなるが、怪現象はとどまる様子を見せない。伏魔殿の残骸をきれいに吸い込んだ大穴の奥底から、得体の知れない巨大な生物の唸り声のような音が聞こえた直後、今度は色とりどりに点滅する無数の光が穴から飛び出して来たのだ。

 この幻想的とも禍々しいともとれる摩訶不思議な光景を前に、(こう)(しん)は一つの確信に至る他なかった。百八魔星の解放は成った、と。

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