一人は緑色を基調とした如何にも魔法使い然とした服装の優しげな青年で、もう一人は陰陽を思わせる白黒の衣服と金の装飾を身に付けるやや小柄な男。この二人は“今代のマギ”のうちの二人である。
「…………ここか」
地中の奥底に続く深く大きな穴があいた
住処を離れ慌ててこの竜虎山に訪れた頃には、肝心の宋は西の晋と趙、北の吾の三国から一方的な蹂躙を受けて国境付近の村落はほとんどが壊滅、さらに魔星復活に合わせて発生した火山性地震の影響もあり、竜虎山そのものだけではなく周辺の村落も甚大な被害を受けていたのである。
もう少し早く気付く事ができればと歯噛みするものの終わった事は終わった事で、今さら四方に飛び散った百八魔星たちの魂の片割れを探そうにも、気配を完全に隠しきっているため手に負えない。
(もう、止められないのかも知れない……)
マギである彼すら時代の変革はまだ数十年も未来の事のはずであると思うのに、よもや自分が予定していた事よりも早く事が始まろうとは予測できなかったのだ。
それはもう一人のマギも同じであるが、あちらはここに封じられていた魔星の力を利用して自分の望む世界……大陸全土を巻き込んだ世界大戦の到来を早めようと画策しているため、早急に手を打たなければ全てが終わると悟ってもいる。
この世に存在している事が確認できる
上位序列の
(大変な事になったな……)
ユナンは乱雑になってきた思考を一度空っぽにし、改めて大穴を覗き込む。百八魔星に対抗するためには力と準備期間があまりにも足りず、彼らがおとなしくしてくれている保証もない。
ただでさえ封印するのがやっとな強大な存在なのだ、今ごろは永い眠りから醒めたばかりで鈍った力を補うため、どこか適当な廃城や禁足地を探している最中に違いない。
魔星たちが潜む繭にして胎である伏魔宮の危険性は、自らが作ろうとしている
(……君には何が見えているんだ?)
渇水を起こしそうなほどの高温で地上を照らす真っ白な太陽と、太陽の回りで広がる雲一つない青空を帽子のつば越しに仰ぎ、長い三つ編みと服の裾を風になびかせて同胞たちの面影を思う。
ユナンは大穴を背にしばらくそこにとどまり、吹いていた風が止んでしまう頃、諦めにも似た表情でうつむきながらその場を後にした。そしてちょうど同じ頃、宋の都開封に一人の男が現れる。
その男は派手な刺青が彫られた腹と背を隠さない上下白黒の衣服を纏い、両手首と首回りに金の装飾を身に付けた、深紅の瞳と長い三つ編みが特徴的な破戒僧を思わせる男であった。
「神官長、よく戻った!遅かったではないか!」
玉座に座る髭面の男に呼ばれた彼もまた“今代のマギ”の一人であり、人は彼を
だがその心中にあるのは血で黒く染まった大地の様相のみで、望みは全世界を巻き込ん大戦争という狂気に満ちたものという、人類史上類を見ない生粋の狂人である。
そうとも知らない宋の重鎮たちは人面獣心を絵に描いたようなこの男が玉座を支える
鎮護の将軍曰く「三国軍の侵攻を遅れさせる策はあるのか」、宰相曰く「戦で治水工事を中断しなければならなくなったが、どうすれば農業用水を確保できるか」、尚書曰く「和平交渉を有利に進める方策はないのか」、曰く、曰く、曰く…………
彼らの言葉を聞くジャガンナータの顔に浮かんでいるのは、内心の感情をそっくりそのまま写した下卑た笑みではなく、子供が親に媚を売る時にするような愛らしい少年の笑顔である。
(この人たち本当にバカだなあ)
ジャガンナータはマギとして大陸と言う大陸の数多くの国々を渡り歩き、その地に生きる人間たちと実際に関わりを持ち言葉を交わす事で、人間の心理的な弱点や思考回路をこれでもかと熟知している。
そして今この時はジャガンナータが最も力を発揮できる瞬間であった。この場にいる宋国首脳部は皆一人残らず、「どうしようもない窮地に陥った自分たちを救う一手として、今まで取るに足らないと相手にしてこなかった者にさえ助力を求めている」のだ。
今まで迷信だ非現実的だと見下し馬鹿にしてきた加持祈祷を生業とする者に、惨めったらしく泣き喚きながら
大の大人たちが見せる情けない姿を前に、ジャガンナータはこの上なく愉悦していた。「ああ、人生とはなんて楽しいのだろう」と、悪魔のような男は心中で呟く。
「どうか嘆かないで。一つ一つ、解決策をお授けしましょう」
そこからは実に早かった。艶のある男の美しい声で放たれる甘言の数々は、王の耳にも臣下の耳にも救いの文句や神の勅語のように聴こえ、中には強烈な快楽に曝されたかのように腑抜けた間抜け面を晒す者さえいる始末。
しかし今のジャガンナータには彼らが醸し出す不快な様相すらも眼中になく、その意識はこれから宋という国を襲うであろう災厄を予感して一人冷や汗を垂らす男…………
(そうだ……全てはあのマギとやらへの危機感からだ)
先程までの怯え様が嘘のようにジャガンナータに気味の悪い笑顔を向け、何の疑問もなく媚を売る群臣を侮蔑を籠めた目で睨み付けながら、先日伏魔殿で自分が起こした出来事を思い出していた。
そもそも
そんじょそこらの人間の思考などジャガンナータには手に取るように理解できるし、そのような人間が実在する事は
自身の脳裏にこびりつく記憶から目を背けるように睨み付ける先には、長旅から帰還したばかりだと言うのにまるで涼しい顔をしている若々しい男が一人。
しかも周囲の群臣たちは呆けた表情で悠長に会議を続け、王は玉座の上で悦に浸っているばかり。全てはジャガンナータの魔法と話術の効力によるもので、今ここで誰かが殺されても気にも留めないだろう。
(この国は、もう…………)
朝廷にいる首脳と官僚は、国全体の人口に比べればごくわずかな人数しかいない。そのような脆弱な存在に依存する絶対君主主義が基本となるこの世界で、肝心の政府が行政機能を失ってしまった以上、檻と化した国土に取り残された国民に逃げる手段はない。
そして、
小国とはいえ太尉にまで上り詰めた男が
その後、神官長ジャガンナータが提示した解決案を盲信した王の手により、民心を無視した政策を強硬した宋の天命はわずか三年のうちに尽きた。