魔転の勇者   作:シーチキン佐々山

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4.ヘレナの寂寥

 ヘレナ・アールストロムは自身の暮らしに、概ね満足していた。

 

 愛する夫と結ばれ、ふたりの可愛い子宝にも恵まれ、領地経営も上手くいっている。今のところ順風満帆といって差し支えない人生だった。

 

 ただ、ひとつだけ。

 

 不満、ではないが、思い悩んでいることがある。

 

 それは——。

 

 

 

「あら」

 

 朝、いつものように朝食の席についたヘレナは、ふたりの子ども達の様子に、小さく笑みをこぼした。

 

 ややげっそりしたファリスに、一段と肌艶がよく上機嫌なシスカ。

 

 いつものようにシスカに振り回された結果なのだろうそれが、何とも可笑しくてつい笑ってしまったのだ。

 

 元気に朝食を口に運ぶシスカに、粛々と行儀よく食事を摂るファリス。アールストロム家の変わらぬ日常の風景だ。

 

 食事ももう終わりという頃にローガンが口を開いた。

 

「シスカには今朝も言ったと思うが、今日は午後から客人が来るんだ。父さんの昔馴染みなんだが、娘さんがいて二人と歳も近い。お父さん達が話をしている間、一緒に遊んでやってくれないか?」

 

「わかったわ!」

 

 二つ返事で請け負うシスカ。

 

「ファリスも頼んでいいか?」

 

「はい」

 

 ファリスとしても特に断る理由もなく——やや他人行儀は感じさせるものの——快い返事にローガンは満足げに頷いた。

 

「あら、二人に新しいお友達? じゃあお母さん、お菓子作っちゃおうかしら」

 

「本当!? じゃあ、わたしお母さまのマフィンが食べたい!」

 

 ヘレナは時々自らお菓子や料理を作って家族に振る舞う。

 

 貴族の身で手ずから料理をするというのは、割と珍しいことだ。

 

 ヘレナは元々は辺境の貧乏貴族出身で、その暮らしも平民とさして変わりないものだった。

 

 料理や掃除といった家事もある程度自力でする必要があった。

 

 お菓子作りはそうした生活の中でささやかな楽しみとして身につけた技能だ。

 

「ん、これから作るのか?」

 

「大丈夫、間に合わせて見せるわ」

 

「お母さま、わたしもお手伝いする!」

 

「本当? 嬉しいわ」

 

 ヘレナはシスカの言葉に顔を綻ばせながら、ちらりとファリスを見た。

 

 ——ファリスは、手伝ってくれるだろうか。

 

 ファリスはとても大人しい子だ。親のひいき目抜きで全く手のかからない、賢くて優しい子だとヘレナは思う。

 

 人を傷つけるようなことはしないし、使用人にさえ挨拶や感謝を欠かさず礼儀正しい。我儘らしい我儘も聞いたことがない。

 

 ただ、一方で、あるいはそれ故なのか、他者に対して常に遠慮のような距離感を感じるのだ。

 

 それは親であるヘレナや、ローガンにさえも。ファリスはあまり積極的に人に関わろうとはしない。それこそ困っている人に対してぐらいしか、自分から声をかけているところをヘレナは見たことがなかった。

 

 

 そんなファリスは今も、席で口を噤んだままだ。

 

 きっとこのままではファリスはお菓子作りを手伝ってはくれないだろう。同時に、もしヘレナが頼めば、優しいファリスが首を縦に振ることも確信していた。

 

 だが、それで本当にいいのだろうか。ファリスは本当は嫌なんじゃないか、そんな不安がヘレナを襲い、躊躇させるが——

 

「ね、ファリス!」

 

「えっ」

 

 そんな不安は、シスカの一言で水泡に帰した。

 

 

 

 

 シスカとファリスの二人を交えてのお菓子作りは滞りなく進んだ。

 

 既に型に流し込まれた生地が窯で熱されており、後は焼きあがるのを待つばかりである。甘い香りがほのかに漂う。

 

「二人が手伝ってくれたおかげ凄く助かっちゃった」

 

「ほんとう? えへへ」

 

 実際のところ、かかった時間はさして変わらないか、むしろ一人で作る時より長かったかもしれない。だが、おかげでいつもより楽しく作れたので嘘は言っていない。

 

「まだかな、まだかな! いつ焼けるかな?」

 

「うふふ、もうそろそろ焼きあがる頃じゃないかしら」

 

「わあ! わたしお父さま呼んでくる! 焼きたてを味見してもらうの!」

 

 言うや否や、シスカは調理場を飛び出して行ってしまった。

 

「転んだりしちゃダメよー? ……ファリスも今日はありがとう」

 

 走り去るシスカを見送ったヘレナは、傍らで所在なさげにしているファリスに向き直った。

 

「い、いえ……大したことはしていないですし……」

 

「大したことなんてしなくていい。今日こうやってお菓子作りを手伝ってくれて、お母さんすっごく嬉しかったし、楽しかった」

 

 そう言って、ファリスの頭を撫でながら、しゃがみ込んで微笑みかけた。その笑みを受けて、しかしファリスは思わず目を逸らしてしまう。

 

 ヘレナの笑みに一抹の寂しさが浮かんだ。

 

「あ……、ちが、」

 

「ううん、いいの。大丈夫。私はファリスが優しい子だって、家族のことをいつも気にかけてくれているって知ってるから」

 

 自らの行動に、そして母の様子に狼狽するファリスをヘレナは優しく抱きしめた。

 

 そうだ、この子はこんなに優しい子じゃないか。

 

 どうして、そんなに自分たちに遠慮するのか、何故、そんなに辛そうな表情をするのか。それはヘレナには分からない。

 

 けれども、いつか本心で触れ合える日が来ることを信じて、今はただ抱きしめる。

 

「あー! ファリスずるい! お母さま、わたしもー!!」

 

 そんな折、快活な声が響いた。直後に、ローガンを連れて戻ってきたシスカが飛び込んでくる。

 

「あらあら、おかえりなさいシスカ」

 

「ただいま、お母さま!」

 

 シスカを抱きとめるヘレナと、にへへと相好を崩すシスカ。二人の頭をひと撫でして、ヘレナは立ち上がった。

 

「ヘレナ、どうかしたのか?」

 

「ううん、何でもないの。さ、シスカ、焼きあがったか確認しましょう。食べてもらうんでしょう?」

 

「うん!」

 

 心配そうな顔のローガンにそう返して、二人は窯に向かう。

 

「ほら、ファリスも!」

 

「え、わっ」

 

 シスカがファリスの手を取って、引っ張る。ヘレナは、また、ちらりとファリスを見た。シスカに引っ張られるファリスには、もう先程までの辛そうな表情は残っていなかった。

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