それでも私は死にたくない   作:如月SQ

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プロローグ

 目の前で、死にかけの男が布団の上で私を見つめている。

 いや、顔の殆どを覆う醜い痣と包帯を見るに、その目もろくに見えていないのだろう。

 上半身を辛そうに起こしたその肩を、側に寄り添った女が支えている。

 きっと、そうせねば起き続ける事すら出来ないのだろう。

 呼吸音も苦し気なもので……今まで私が見てきた死ぬ寸前の人間の呼吸音だった。

 目と口から血を流し、放って置いても直ぐに死にそうな、死の淵にいる男。

 

 それでも男は、産屋敷は、私を真っ直ぐ見つめている。

 

「私を、倒したい…………か」

 

 産屋敷は語った、自分は本来半年も前に死んでいた筈だと。

 それでも今生きているのは、私を……鬼舞辻無惨を倒したい一心なのだと。

 

「君は……知らないかもしれないが……。

 君と私は……同じ血筋なんだよ……。

 君が生まれたのは……千年以上前の事だろうから……。

 私と君の血はもう……近くないけれど……。

 君のような怪物を一族から出してしまったせいで……。

 私の一族は……呪われていた……」

 

 そうして語る、私が鬼となった因果が、その報いが血筋である産屋敷に降りかかっているのだと。

 産屋敷は代々30までも生きられぬのだと。

 途切れさせぬ為には、私を倒す事に心血を注がねばならないのだと。

 

 しかし、血筋……か。

 この屋敷についてから感じる奇妙な懐かしさは……それが理由なのだろうか。

 かつて、私が人間だった頃……今の産屋敷のように布団の上で庭を眺めていたのを思い出す。

 ……千年も前の事だと言うのに、あの時の虚しさ、無力感は昨日の事のように思い出せる。

 

「……私が鬼となって千年、お前達は耐えてきたというのか」

 

「そうだとも……その為に……鬼殺隊を作り……何代もかけてきた……。

 鬼の首魁……鬼舞辻無惨……!君を倒す為だけに……ゴホッ!」

 

 血を吐きながら、苦しみながら、産屋敷は言葉を紡ぐ。

 

「……成程。私は死ぬべきだと……お前はそう言っている訳か」

 

 私は目を瞑る。

 考えを、纏める為に。

 

「君が素直に死んでくれるとは思わない……。

 だが、一つ聞かせてくれるかい?

 無惨、君はどんな夢を持って生きているんだい?」

 

「夢……」

 

「目的、と言い換えてもいい……ゴホッ……君は、何を求めているんだい?」

 

「逆に聞くが」

 

 目を開いた私は、静かに問いかける。

 私が、ずっと思っていた事を。

 

「生と死の選択肢が目の前にある時、何故お前達のような人間は生を選ばないのだ?」

 

 私は、いくつも見てきた。

 それを、理解に苦しむ光景を。

 

「愛する人の為、友の為、子の為、親の為……未来の為」

 

 庭の砂利を踏み締めながら、産屋敷へと一歩近付いていく。

 

ジャリ……

 

「聞こえの良い言葉で飾り立てようと、所詮は他人事。

 何故それに命をかけられる?

 何故我が身を省みずに犠牲となる事が出来る?

 この千年……私には理解出来ず仕舞いだった」

 

「無惨……君は……」

 

 澄ました態度を続けていた産屋敷が、初めて揺らいだ。

 私のほうを向いて、戸惑っているように見える。

 その血が流れる、何も映さぬ瞳で、私の何かを覗き込んでいるように感じた。

 

「……素晴らしいと思う、尊いとも思う。それだけの病魔に犯されてもなお乱れぬその意志、私は素直にお前を尊敬すらしている、産屋敷。

 その執念も、自分の子にはその身を蝕む呪いを残さぬという覚悟も。

 ……今私がお前に血を与えれば、お前は生きられる。

 お前の家族にも与えても良い。どうだ産屋敷?」

 

 私の産屋敷への一つの問い。

 

「答えは……わかってるだろう?」

 

 それは言葉にすらされずに拒否されていた。

 だがそれは、わかりきった事だ。

 

「……だろう、な」

 

 死の淵で私の誘いに乗る人間は多くいた。

 けれど、このような人物が誘いに乗る事はほとんどなかった。

 

「素晴らしい……それが人間の強さ、命の輝き……。

 お前程強い人間もそういないだろう。

 死の淵で、なんの思巡もなく、動揺すらない。

 未来の為にと、何の躊躇もなく、自分の命を捨てる事が出来る……」

 

 私は心からの称賛を送る。

 気高い人間だと、素晴らしい人間だと。

 私という化け物のせいで、痛かったのだろう、苦しかったのだろう。

 それこそ本来ならば、自らの手で私を苦しめて殺してやりたいとさえ思っているのだろう。

 

「私は……命を捨てているつもりは……ないよ。

 続いていくのさ……私の命は……想いは……。

 今まで私の一族が繋いできたように……私の子供達に……受け継がれていく……。

 人の想いは……永遠、不滅だ」

 

 それでも産屋敷は、宿願を果たすのが自分ではなくて良いと本気で思っている。

 私が死に、結果的に未来が繋がれば良いと。

 そして繋がった先で、自分の思いが繋がっていけば……それは永遠に繋がり続けるのだと。

 

「……わからん。いや、理解は出来る。

 それが出来るのが人の強さなのだと、繋がっていく想いが新たな何かを産み出すのだと」

 

「……それを理解していて、何故、君は……」

 

「それでもだ、それは結局第三者、自分に関わりのない事柄を外から眺めた時に理解出来る、というだけの話なのだ。

 私は、私が死ぬ事で人が救われると言われても……死を選ぶ事が出来ない。

 私を、自分自身を犠牲にして、何かを守る事を、繋げていく事を、私は選べない」

 

「…………」

 

 沈黙する産屋敷に、私は改めて先程の問いの答えを告げる。

 

「私の目的を聞いたか産屋敷?答えてやろう。

 目的なんてものはない。死にたくないから生きているだけだ」

 

 そんな私の答えに、産屋敷は絞り出すように言葉を返してきた。

 

「……鬼として人を食らい、生き永らえる事を……君は、生きるというのか」

 

「呪われていようと、恨まれていようと関係ない。

 人としてでなくとも構わない、おぞましかろうとどうでもいい。

 私という自我の消失、それを私は恐れている。

 私の目の前に生と死の選択肢があるとして……自ら死を選ぶ事はない」

 

「……それで私達は、君の代わりに苦しめ……と?」

 

「それに関しては……何も思わぬ訳ではない」

 

 初耳ではあった、私が鬼と化した報いが、血筋の人間に降りかかっていたとは。

 鬼殺隊が私を殺す為に血眼になっている事は知っていた。

 鬼という脅威に抗う為、鬼の被害者がその恨みを晴らす為。

 様々な思いで鬼を打ち倒す組織……その勢力が衰えない事を疑問に思った事もある。

 黒死牟が一度、自己判断でその主要な面子を抹殺した事もある。

 それでも、気付けばその勢力は盛り返していて、黒死牟は忌々しく顔を歪めていた。

 

「だが……それで私が自ら死ぬかと言われれば、否としか言えん」

 

 思えば、産屋敷の姿は病床にいた私を思い出させるものだ。

 私が鬼となった頃……正しい歳こそ覚えていないが、今の産屋敷とそう変わらぬ歳だったと思う。

 恐らく、産屋敷達にかかっている呪いは、人間の私が受けた、そして辿る筈だった苦しみを与えるものなのだろう。

 鬼とならなければ、あの後私は間も無く死んでいただろうし、あの時既にまともに立ち上がる事も出来なくなっていたからな。

 

「だが……神や仏がいるというならば、なんと悪趣味な……。

 報いを与えるならば、私に直接与えればいいものを。

 ……やはり、神も仏もいないのだろうな」

 

 あの無力感を遠いとはいえ血筋である産屋敷達に味わわせていたと思うと、流石に心が揺さぶられる。

 何の意志なのか知らんが、悪辣な事だ……。

 

「……いや、君はその呪われた生の報いを受ける」

 

「……何?」

 

「君は既に……眠れる竜や獅子の尾を踏んでいる……。

 君自身が……ではないかもしれない。

 けれど……君が産み出した鬼は……いくつもの悲劇を産み出した。

 無惨、君の無責任な生の……報いを受ける時が来たんだ。

 私の可愛い子供達が……君に報いを与えるだろう……」

 

「……その為に、お前は自分が囮となったのか?」

 

 産屋敷の肩を支える女の肩が僅かに跳ねた。

 一方で産屋敷はただ微笑むばかりで、何の反応も見せない。

 

「火薬の匂いがする……この屋敷を吹き飛ばして余りある程の量だろう。

 自らを、妻や娘達も共に、諸とも吹き飛ばすというのか」

 

 朗らかに庭で遊んでいた、産屋敷の妻と顔のそっくりな二人の娘が、いつの間にか毬を手にして此方を見つめていた。

 妻も、娘達も、私を真っ直ぐ見つめて……その瞳には強い覚悟が灯っているように感じた。

 

「それを知りながら……私との会話に応じていたのかい?」

 

「……ああ。それが、自らの死を賭したお前に対する……最低限の礼儀だと思った」

 

「ふふ……そうか」

 

 産屋敷は、今までとは毛色の違う、何処か軽薄な笑みを浮かべた。

 

「君は……私が、私達が思っていた程は、極悪人ではなかったのかも……しれないね。

 私の勘も……アテにならないものだ……」

 

 ……何を言うかと思えば。

 

「人を食らい、人食いの鬼を作りだす私が、極悪人ではないと言うのか?」

 

「ああ……君は人を幾人も殺したのだろう……けれど、私達産屋敷も、幾人もの子供達を死地へと……送り込んだ。

 その事に後悔はない……だが、訃報が届く度に……ふと思う事があるんだ。人を幾人も殺しているのは……私も同じではないかと。

 私は、自分が善だと思った事はない……だが、もしこの行いが悪であるとするなら……私は……ゴホッ、ゴホッ!」

 

「くだらん」

 

 本当に、何を世迷い言を。

 それこそ、貴様が先程言っていた事だろう。

 

「善だろうと、悪だろうと、お前はその信念を最後まで貫いた。

 そこに偽りなど何一つないだろう。大事なのは受け継がれていく人の想いではなかったか?

 この程度で曲がる想いだったのか?

 ならば爆死する前に私の手で殺してやろうか?」

 

 産屋敷は私の言葉に面食らったようだったが、直ぐに俯いて肩を揺らし始めた。

 ゴポリと一際大きな血の塊を吐き出して、産屋敷はニヤリと笑った。

 

「ふ、ふふふ……君に、慰められるとは、ね。

 ああ……無惨。最期に……こんな楽しい会話が君と出来るとは思わなかったよ」

 

 火の気配が強くなり始めた。

 恐らくは、もう間も無くこの屋敷は爆炎に包まれる。

 それを目の前の男も、その妻も、娘達も知っている筈なのだ。

 それでも産屋敷達は、ただ日々を過ごすような気楽さで、瞳には覚悟を宿して、此方を見つめているのだ。

 ……爆炎に包まれる直前に逃げるつもりだった私は、そこで不意に気が変わった。

 何がきっかけだったのかは……よくわからない。

 

「産屋敷よ」

 

「……なんだい?」

 

「最後に、お前の名前を教えてくれ」

 

 産屋敷は、フッと小さく笑みを浮かべると、その身を少しだけ整えた。

 

「産屋敷家……九十七代目当主……産屋敷耀哉と申します」

 

「私は人食い鬼の首魁、鬼舞辻無惨だ。

 耀哉……その名は私が私である限り、忘れないでおいてやろう」

 

「それは、嬉しいね……」

 

「……耀哉、お前の覚悟に免じて、ここに宣言しよう。

 鬼と鬼殺隊の長年の因縁を……ここで雌雄を決する事を。

 明日の朝日を迎えられるのは、(私達)か、人間(鬼殺隊)のどちらかだけだ」

 

 もう、爆発音が響き、爆炎が見え始める。

 耀哉がいる布団も、その娘達がいる庭も、全てが爆発の範囲内。

 全てが爆炎に包まれる中、耀哉は……。

 

「ありがとう、無惨」

 

 満面の笑みを浮かべていた。

 

 遅れて聞こえる轟音、私を包み込む爆炎。

 凄まじい熱気と熱さに体を溶かされ、燃やされていく中で、不思議と心の中は凪いでいた。

 

 きっと、私は鬼となった時に……いや、それ以前に医者を殺してしまった時に死ぬべきだったのだ。

 けれど、私は生きてきた。

 生きてきてしまった……。

 このまま、燃やし尽くされるのがきっと正しいのだ。

 力を抜いて、その場で横になれば良い。

 それだけの事、なのに。

 

「それでも私は死にたくない」

 

 全てを消し飛ばす爆炎の中で、私は思い出していた。

 かつて、私が鬼となり、ここまで生きてきた道筋を……。




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