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私がその日に二人の家に向かったのは、うたの様子を見る為だった。
もう直ぐ産まれる……もしかしたら産まれているかもしれない、二人の愛の結晶を確かめる為に。
その道中で、鬼狩りに襲われた鬼の思念が伝わってきた。
命からがら逃げ出し、死の恐怖に怯えた鬼の強い思念に、ビクリと体が震えた。
だが、同時に人を見つけたと、食って体を治すのだと、歓喜の思念が伝わってきた。
……そこで、伝わってきた光景に、息を飲んだ。
「っ……やめろっ!!!」
思わず漏れ出た叫びと共に、その鬼へと止まるように命令を下し、走り出していた。
そして……見慣れたあばら家が見えて……そこから香る血の臭いを感じて……私は、絶望した。
うたの腹をかっさばき、必死に血肉を啜っていた鬼を、殺した。
ああ、私ならば殺意を持てば鬼を殺せるのだな、などと新たな発見を頭の何処かで思いつつ、私はうたへとすがりついた。
「うた!大―――」
大丈夫か、そう続けようとした言葉は、直ぐに途切れた。
触れた体はまだ温かい、けれど……鼓動がない。
その黒曜石のような瞳は見開かれ、何も映していない。
ピクリとも動かないその体は……もう、死んでいた。
死にかけていれば、鬼にして救う事も出来た。
けれど……死んだ命は、助ける事は出来ない。
命は……救う事は出来ても……決して回帰しない。
うたはもう、ここにはいない。
ぴちゃ
腹から溢れた血が、私の手を赤く染めた。
生暖かい、鬼からすれば今すぐに舐めとりたい、そんな馳走の筈なのに。
私はただ、それを呆然と眺めていた。
うたのかつての命がだくだくと抜けていくのを、呆然と。
「無惨……様……なん……で……」
そこで、鬼が消滅した。
その心は、疑問に支配されていた。
何故無惨様がここに、何故無惨様が僕を、何故ここで死ななきゃいけないのか。
そんな疑問を抱きながら……けれど、最期に。
『…………ありがとうございました無惨様』
私に感謝の念を送って死んでいった。
…………ああ、ああ、そうだ、そうだったな。
お前は、鬼にした時はまだ幼子で、村の大人の言い付けを守らず崖で遊んで、落ちて……。
死にかけていたお前を、助けたんだったな。
救ってくれた恩返しにと、朝日が昇るギリギリまでいつも捜索してくれていたな。
だからこそ鬼狩りに見つかって……それで……ああ……。
顔を覆った手に力が入る。
指が顔にめり込んでいき、痛みとともに血が流れていく。
ぽたぽたと、うたの体に、血だまりに、私の血が落ちていく。
この血で鬼とならないかと微かな希望が頭を掠めるも、うたの体は微動だにしなかった。
『無惨殿!あ、間違った。
無惨!よくきたのお!ゆっくりしていけ!』
無邪気な笑顔を向けてくるうたの顔が、声が、鮮明に甦る。
その笑顔も、声も、もう二度と見れないし、聞けない。
あの、三人で素朴な鍋をつついたあの頃には、けして戻れないのだ。
そして……私は、鬼にして身勝手に延命した子を、身勝手な思いで激情のままに殺した。
あの頃から、激情のままに善良な医者を殺した時から、私は何一つ変わっていない……。
なんて、なんて愚かなのだ私は……。
うたが死んだ事を、私は他人のせいに出来る。
そうだ、私が直接手を下した訳ではないのだ、いくらでも言い訳が出来る。
今消滅した鬼のせいに出来る、元々警戒心の足りない不用心なうたのせいに出来る、この場にいない縁壱のせいに……。
「ぐぅ…………ぐぅうううあぁあああああ……!」
出来る訳がない、出来る訳がないだろう!
結局全て、元を辿れば私が鬼を増やしたからだろう!
不用心だろうと、うたは身を守る術を最低限身に付けてはいた!
縁壱がいないのもきっと、医者を呼びに行っているだけだろう!
ほんの少しでもそのような思考をした自分が、恥ずかしい……。
恥を知れ、恥を知れ鬼舞辻無惨……!
全て、自分が撒いた種だろう!
血だまりでピクリともしない赤子が、左顔面を貪り食われた赤子が……うたから産まれる筈だった赤子が……黒曜が……。
私のせいで産まれる事もなく、死んでしまった……。
どしゃ
私は力無く膝をついた。
目の前にはうたの物言わぬ死体と、黒曜……。
私が奪ってしまった、祝福されるべき命……。
「すまない……すまない……!」
私には、謝る事しか出来ない。
それで何が起きるでもない、奇跡など起きる筈もない。
産まれる前に命つきた黒曜の小さな亡骸を両手で抱えて、私はただただ謝り続けた。
もうあの、温かな空間は二度と――。
「…………うた……?」
その声が聞こえた瞬間、まるで鉛でも飲み込んだかのように、腹の奥が重くなった気がした。
ひどい罪悪感に苛まれ、私の横を通り過ぎる縁壱へ、視線を僅かにも向ける事が出来なかった。
うたの亡骸を抱き起こし、その頬に手を当てる縁壱の顔は見えない。
時間が経つに連れ、私の罪悪感は際限なく高まっていく。
口は渇き、五月蝿いくらいに心臓が早鐘をうっていた。
にも関わらず、縁壱は何の反応も見せない。
ただ、うたの亡骸をみつめるばかりで、何の感情も感じられない。
それが怖かった、何もない事が怖かった。
けれど、縁壱がこちらを見て私を責めるのも怖かった。
同じくらい、縁壱が私を許してしまうのも怖かった。
どれだけ、そうしていたかわからない。
そんな最中、縁壱の肩が僅かに揺れ、顔がほんの少し動いた。
「っ…………!」
バッ!
その瞬間、私は即座に身を翻して逃げた。
脇目も振らずに、背中を見せて逃げ出した。
外は既に日が昇っていて、体の露出していた部分が燃えていく。
凄まじい苦痛が私を襲うが、私は足を止めずにただ、逃げた。
怖かった、何もかもが怖かった。
縁壱が責めるかもしれない事が、私を許すかもしれない事が、殺すかもしれない事が、殺されるかもしれない事が。
縁壱の顔を見て、目を見て、その答えを知ることすら怖かった。
だからただ、逃げた。
無我夢中で逃げ出した。
日の当たらない深い山の中に逃げ込み、 体の至る所が骨が見える程に抉れていても、私はまだ生きていた。
贖罪の為に死ぬことも出来ない。
外に出てじっとしていればいいものを、気付けば安全な場所を探して逃げ込んでいて……。
その浅ましさにも辟易する。
「なんて……醜いんだ……私は……」
その場に腰を下ろし、大樹に背を預けた。
空を見上げれば鬱蒼と繁った葉が、日光を完全に遮断していた。
それでも葉の隙間から僅か見える日光が、私を責めているように感じた。
お前のせいで人が死んでいるのだから、大人しく死ね、と。
ぞわりと、久方ぶりに感じた死の影に、寒気が走った。
再生しきれていない両腕で、私は自身の肩を抱く。
唐突にぶり返した死の恐怖に、体が震えた。
「は……ははは…………ははははははは……」
そして……自嘲の笑みが溢れた。
あれだけ身勝手に死をもたらしたと言うのに、私はこの程度で怯えるというのか。
なんて恥知らずか、なんて浅ましいのか、なんて……おぞましい生き物なんだ、私は。
「ははは…………。
私はきっと……存在してはいけなかったのだ」
ぼそりと呟いた瞬間、私の背後に襖が出現した。
倒れていく体に逆らう事もなく、そのまま襖へと背中から力無く倒れていく。
一瞬で移り変わる景色を見て、私は静かに目を瞑った。
その日私は友を喪い……友から逃げだした。
それから、私は鬼に人を必要以上に殺すなという命令を下した。
うたのような悲劇は起きて欲しくない……けれど、鬼達が生きていけないのも嫌だった。
どっちつかずの、ひどい命令だ……けれど、私にはこう言うしかなかった。
そんな最中だった。
鬼狩り……なんでも鬼殺隊と名乗っている奴等だが、突然その剣術が洗練され始めた。
特に強いのが六人……その六人は強く、初見の血鬼術にすら対応され、鬼達は殺され続けているようだった。
水のように流麗な剣士。
風のように荒々しい剣士。
岩のように力強い剣士。
雷のように素早い剣士。
『炎の呼吸!壱ノ型!不知火!』
そして、炎のように猛々しい剣士。
……あの時、見逃した特徴的な髪の剣士だった。
その剣技は、あの時とは比べるまでもなく研ぎ澄まされていた。
殺された鬼達の、悲痛な声が私を苛む。
痛い、痛いと死にたくないとの叫びが木霊する。
何故突然こうも強くなったのだろうか?
確かに鬼殺隊は強くなっていた。
だがそれは、集団での強さの話だ。
個の強さはまだ、鬼に抗えるようなものではなかった筈だ。
だがその疑問も……姿すらろくに見えなかった、特に強い六人目の剣士の姿を見て、納得した。
納得するしかなかった。
「……縁壱……」
『…………』
縁壱と対峙していた鬼は、一瞬だけ縁壱と目が合い、次の瞬間にはその景色がぐるんと回り……そのまま死んでいった。
一瞬だけだが健康そうであったその様子に、私が言うのもおかしいが、安堵した。
同時に、縁壱に殺されるという擬似的な経験をした私の心はズタズタだった。
殺されて当然だとは思っている……けれど、実際に擬似的に体験してしまえば……辛いものだ。
縁壱の強さは他の五人と比べ、あまりにも突出していた。
恐らくは……鬼殺隊の剣術に磨きがかかっているのも、縁壱が関わっているのだろう。
底知れない男だとは思っていたが……ここまでの才能を持っていたとは思わなかった。
そして同時に危機感も抱いた。
このままでは……縁壱に鬼は滅ぼされてしまうという、強い危機感だ。
……青い彼岸花の捜索を早めなければならない。
早く見つけて、早く人間に戻す術を見つけて……。
そして?
その後……どうすると言うのだ?
気付けば私には、その後の展望が、何一つなかった。
鳴女を戻したとして、私は……どうしたいのだ……?
視界の隅で珠世が、私を悲しげな顔で見つめていた。
――――――――――――――――――――――――――
「……珠世」
「……無惨様、ここは?」
「無限城の一室だ……鬼殺隊はまだ来ない。
全ての鬼と全ての鬼殺隊は、それぞれ無限城の各所で戦っている筈だ」
「そう、ですか……それで、どうしたのですか?他の薬の内容は秘密ですよ」
「何、少しだけ時間があるからな……かつての約束を果たそうと思って、な」
「……約束……?」
ベベンッ
目の前に襖が開き……その先に月光に照らされた海が見えた。
「かつての約束は人に戻ったら昼の海を見る事だったが……人には戻っていないからな、また夜の海で悪いが」
スッ、と取り出したのはあの時、二人で旅していた時に飲んだ酒と同じもの……。
珠世と袂を分かった事で、飲む事はないと思っていたが……。
「……変な所で律儀ですね」
「お前には世話になった……本当に。
更には、こんな私と共に死んでくれる物好きな女だ。
多少の便宜はな……」
そう言って苦笑してお猪口を渡せば、珠世は笑みを浮かべて受け取ってくれる。
「そうですか……では、遠慮なくいただきます」
とくとくと酒の注いだそれを珠世は一息に飲み干した。
途端に、きゅっと顔をしかめた。
「不味……」
「ははは、数百年前の製法の酒だからな。だが、当時の私はこれを美味い美味いと飲んでいた……」
「こんな物をあんな笑顔で飲んでいたのですか?」
お猪口と徳利を交換し、今度は珠世が注いでくれる。
それに対して、私は笑みを浮かべて返した。
「お前が隣にいたからな」
くい、と一息に煽った酒は、酒精があるだけの不味い水だ。
味わいも何もあったものではない。
けれど……こうして二人で海を眺めているだけで、それは極上の酒に勝る味わいになる……気がするのだ。
「……なんですかそれ、もう……」
暫し呆気に取られた珠世は、呆れたように息を吐いた。
そして、ぽふりと私の肩にもたれ掛かってきた。
それを私は苦笑して、無言で受け止めた。
暫くそのままで海を眺めていた。
酒を飲む事もなく、言葉を交わす事もなく。
ただただ、波の音だけが響いていた。
そんな穏やかな時間が流れていく中で……不意に珠世が口を開いた。
「……無惨様、本当は……貴方とずっとこうしていたかったんです。
ただただ静かに、貴方と日々を過ごすだけで満足だったんです」
「……そうか」
海に映る月を眺めながら、珠世の言葉に頷いた。
「でも……それじゃ駄目だったんですよね。
だって、私達は人食いの化け物……必ず何処かで報いを受けなければいけなかった……」
「そうだな……」
震える珠世の肩に手を乗せた。
その言葉に、同意するように頷く。
「だから、貴方を止められなかった私も、貴方と共に全ての報いを……受けます。
……貴方と共にいられて幸せでした。
貴方に救われて良かった……最高の人生でした。
貴方に引導を渡す準備も整いました……。
もう……思い残す事は、ありません」
ぎゅう、と珠世の手が私を抱き締めた。
目を瞑り、私に身を任せた珠世の額を、優しく撫でた。
「ああ……今までご苦労だった、珠世。
最期まで……迷惑をかけたな……」
珠世は、最期に、私の顔を見つめて花が咲いたような笑みを見せた。
「さようなら、無惨様。私の愛しき主……」
「ああ……今までありがとう、珠世……」
笑みを浮かべたまま、珠世の体は私の体へとめり込んでいく。
ずぶずぶと沈んでいくその体は、私の体に吸収されていく……。
最期まで美しいその姿、強く気高いその思い……私が私である限り忘れる事はないだろう。
珠世……私が私でなくなるまで……共にいてくれ……。
『当然ですよ……』
胸に手を当てて天を仰いで、私は静かに目を閉じた。
私の配下を倒し……初めに私の元へたどり着くのは……誰なのだろうな。
知らず流していた涙が、頬を伝った。
誤字報告ありがとうございます。
修正しました。