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「狛治、狛治!しっかりしろ!」
私は即座に踵を返し、川に飛び込んだ狛治を引き揚げた。
「……………………」
しかし、薄く目を開いたままの狛治は、何の反応も見せなかった。
ごぽごぽと口から水が溢れている……かなりの水を飲んでいるのに、吐き出そうとしない。
腹を押して水を出そうとしても、吐き出そうとしない……。
当然呼吸はしておらず、顔は一気に青ざめていく。
狛治の心臓の鼓動が……弱まっていくのを感じる。
「狛治……!」
わかってしまう、狛治は死のうとしている。
生きる気力が、もうないのだろう。
仮に水を全て吐き出させ、無理矢理呼吸させたところで……また別の形で死のうとしてしまう。
私の言葉は届かない……いや、当然か。
自分の根幹である二人と、赤の他人である私など、比べるべくもない。
僅かな寂しさを感じるが、それは今は置いておく。
生きる気力のない、死にかけた男に対して……私が出来ることは二つだ……。
これ以上苦しまないようにトドメを刺す。
それと……狛治の意思を無視して、鬼にして生かす、だ。
鬼にする時、死にかけていれば死にかけている程、鬼にした時の人間性は消失しやすい。
もう……狛治は死にかけている……ほぼ間違いなく狛治という人格はその殆どが消える。
そこまでして生かすというのか?
人を殺し絶望している男を、更なる呪われた生に引き込むのか?
生かしてなんとする?
ただの狛治もどきとして観賞でもするのか?
惨い真似をして、狛治の死を汚すのか……?
そんな事をするくらいならば、ここで……。
私の手で……!
私は左手で、手刀を形作る。
殺すならば、一瞬で頭を吹き飛ばす。
右手で狛治の肩を掴み、左手を振りかぶった。
「許せ、狛治」
呟き、手を振り下ろした。
その瞬間、狛治の口元が僅かに弧を描いた。
私の手刀はそのまま、狛治の頭に突き刺さった。
ズシュッ!
……私の、私の利己的な、身勝手な我が儘に、ほとほと呆れ果てた。
殺すと、そう決めたというのに、友の最期すらも汚してしまった。
狛治の頭を貫くと共に、私は自分の血を与えてしまったのだ。
「ごぼっ!ごほっ!」
勢いよく水を吐き出した狛治は、私の血に適応を始め、その体は鬼へと変じていく。
私はそれを見て、気付けば涙を流していた。
「すまない……すまない狛治……」
譫言のように呟く。
私は結局、自分の感情を優先してしまった。
目の前で、死に瀕している友を失うのが嫌だった。
そのまま死を与えるのが嫌だった。
脳漿の生暖かさを感じて、まだ狛治が生きていると感じて……血を与えていた。
ああ、浅ましい、私のなんと浅ましい事か。
そうと決めた事をやり遂げることが出来ない。
土壇場で感情に振り回されて、全てを台無しにしてしまう。
人を食って生きる生を、狛治が……恋雪や慶蔵が、望む訳もないのに。
そこで不意に二人の事を考えたからだろうか、恋雪と慶蔵、二人を失った喪失感が沸き上がってきた。
そして、ふと……もし私がまだ滞在していれば……それを防ぐことが出来たことに思い至ってしまった。
私ならば、何処にいようと敷地内への侵入者はいつでも把握出来ていたし、それが不審人物や要注意人物であったなら、その一挙手一投足に注視していただろう。
そうすれば、毒が仕込まれる前に気付く事も容易く、仮に間に合わずとも早朝、朝陽が昇る前に井戸水を汲むのは私だった。
それならば……一番最初に毒を浴びるのは私になる筈だった。
そして……私に毒など効かない。
「…………くそ」
今更言っても詮なきこと……それでももしも、と思ってしまうのは傲慢なのだろうか。
いや、仮にその全てが間に合わず二人が毒を浴びても、私が側にいれば鬼にして救う事も……!
「……いい加減にしろ、鬼舞辻無惨……」
あんな優しい二人まで呪われた鬼の生に引き込むつもりか?
狛治だけでも罪深いというのに……。
それに、もう遅い、全ては終わったことだ。
私が鬼に出来るのは、私が鬼にしたいと思った者で、生きている者だけだ。
死んだ者は鬼に出来ない、失われた命は戻らない。
命は決して回帰することはないのだ……。
恋雪と慶蔵は生き返ることはない……。
改めて二人がいないことが、私に重くのし掛かる。
私はまた、あの暖かな空間を失ってしまったのだ……。
それが酷く、悲しかった。
目を覚まさぬ狛治を抱えて、剣術道場へと向かった。
そこには、既に鳴女が呼んでいた複数名の鬼の姿があった。
道場内はまさに血の海……まともな五体満足の死体は一つとしてなく、その全てがどこかを欠損し、天井や壁には血だけではなく内臓や脳漿、目玉などが飛び散っていた。
凄惨な光景だ……これを一人の人間が行ったというのだから、凄まじい。
私は狛治を道場の入り口に横たえさせ、道場の中へと入っていった。
道場の中では既に鬼達が食事中のようだった。
バラバラの死体の腕を、バリバリと音をたてて食らっていた鬼の一体が私に気付いて慌てて体を起こす。
「やや!これは無惨様!失礼しました!」
「数が数だ。そのままで、食べているままで良い」
他にも私に気付いた鬼が手を止めていたので、手を振って食べ続けるように言う。
なんせ死体は数十人分あるからな……朝日が昇る前に食いきらねばならん。
なのでまぁ、私もそこらの死体をつまむとするか、と転がっていた足に手を伸ばした時、別の腕が先にその足を掴んだ。
なんだと思い伸びてきた腕を辿ればそこには、目を覚ました狛治がその足にかぶりついていた。
……随分と早い目覚めだ。
適応するのにもう少し時間がかかると思っていたが……。
バリバリと音を立てて死体を食らう狛治は、鬼へと変じ終えているようだった。
その顔立ちは狛治だが、黒かった髪は赤く染まり、白かった肌は更に病的に白くなり……体全体に、腕の刺青と似たような模様が浮かび上がっていた。
まるで別人のような……けれど確かに狛治だとわかるような変わりようだった。
体全体に走る刺青は……狛治の罪の意識の表れなのだろうか。
なんとも……悲痛な姿だった……。
「狛治……」
思わず名前を呼ぶと、狛治は口元を真っ赤に染めて、私を見上げた。
そして……そこに狛治がもういない事がわかってしまった。
そこにいるのは、ただの人食い鬼。
目の前の血肉にありつくだけの獣だった。
私が何も言えないでいると、狛治は食事を再開した。
バリバリ、バリバリ、音をたてて骨ごと食らう姿に、私は口を手で覆い、俯く。
もう、見ていられなかった。
私はもう、狛治を殺していたのだ。
狛治すらいなくなった事実が、更に私に重くのし掛かってくる。
更に……これから私はその死を汚し続けていく。
狛治の面影の残る鬼を、私は殺すことなど出来ない。
この鬼を生かし続けるのだろう。
この鬼からは、心の底からの忠誠心を感じる。
私を守ろうとする意思を感じる。
そんなところに狛治の残滓を感じるのが……また辛かった。
辛い、などと思う事すら烏滸がましい、ただの自業自得だというのに……。
「ああ……また、失った……」
私はその日、忠臣を得た。
そして、友を……また失った。
「無惨様!人っていっぱい食べると強くなれるんですね!」
その時呼び出していた鬼の一人が、そう溢した。
それが……黒死牟と、狛治だった鬼の耳に、入った。
私は今まで、それに気付くことが出来なかった。
人を食えば強くなるなど……そもそも人を食うこと自体がおぞましいというのに。
だが、黒死牟の考えは違った。
「
「そんな事……だと……?」
黒死牟は、それで強くなれるのならば、いくらでも人を食うと。
そして私と繋がっている鬼達も、今のままでは弱すぎる、と。
その力を底上げする為ならば、人をあまり食うなという命令は撤回すべき、むしろ推奨すべきだと訴えてきたのだ。
私は不愉快に思いながらも、怒鳴り散らしたい気持ちを抑え、黒死牟を見た。
黒死牟は至極真顔で、私を見返していた。
その様子に一瞬たじろぎ……その間に側で話を聞いていた狛治だった鬼は、私に跪きながら私の顔を見上げてきた。
「俺ももっと強くなりたいです。
強くなれるのであれば、人だって食べます!」
人を食いたいと、そう私に訴えてくる二人。
かつての友、縁壱と狛治の面影のある二人。
共に強くなりたいと願う、二人。
その純粋な視線に……私はそれ以上耐えられなかった。
「……わかった。許可……しよう……。
ただ、あまり……無辜の民を狙うのは……やめてくれ」
そう呟くと、二人はその表情を綻ばせ、もっと強くなれると歓喜の思いに包まれていた。
せめて、と付け足した言葉に、どれだけの効力があるだろうか……。
これ以降……鬼の被害者は加速度的に増えていくのだろう。
隠れ蓑に、支配下にない鬼の動きも活発になるかもしれない。
それでも……私はもうあの二人を否定出来ない。
私は、覚悟を決めなければならない。
「……好きに、生きるのだ。私は、お前達の全てを肯定する……」
彼らを鬼にした報いを、責任を、私は取らなければならない。
もう彼らは鬼だ、世の理から外れた、人々に恐れられ、後ろ指指される存在だ。
だからせめて……私はその全てを肯定する。
それが……今の私に出来る、唯一のことなのだろう……。
手合わせを始めた黒死牟と狛治だった鬼に背中を向け、私はその場を後にするのだった。
――――――――――――――――――――――――――
猗窩座と鬼狩り四人の戦いは、猗窩座が勝つと思っていた。
柱である杏寿郎は戦力半減、あの耳飾りを持つとはいえ、炭治郎は鬼狩りとなってそう時間は経っておらず、善逸、伊之助とやらも同期のようであったし。
数の利があろうと、猗窩座が負けるとは思えなかった。
確かにまた別の柱とこの三人に堕姫と妓夫太郎は敗れた。
しかしそれはその時の柱が万全で、命懸けで妓夫太郎に食らい付いた結果だ。
猗窩座はその二人より遥かに、単純に強い。
ましてや今相対している柱の杏寿郎は万全には程遠い。
傷は癒えず、失った体力は簡単には戻らない。
自分の目の前で隊士がやられていった、という精神負荷もあるだろう。
それでも戦意は衰えず、燃え上がっているのは流石だが……猗窩座にそれで勝てるとは思えなかった。
しかし今、猗窩座は追い詰められていた。
「くっ……!やるな!伊之助、炭治郎!」
「今日は、ぜってえ逃がさねえぞ!」
獣の呼吸 肆の牙・切細裂き
「これ以上はやらせない!」
ヒノカミ神楽 碧羅の天
そして伊之助の連撃、猗窩座はそれを容易く受け流す。
そこを本来ならば即座に反撃に繋げる所を、炭治郎が隙を潰すように即座に強力な一刀を振るった。
以前とは比べるまでもない鋭さを発揮する斬撃に、それでも猗窩座は負傷覚悟で拳を振るった。
猗窩座は鬼の中でも特に身体能力と治癒能力に秀でている。
日輪刀で浅く切り裂かれようと、次の瞬間には治っているだろう。
雷の呼吸 壱ノ型・霹靂一閃
ズバンッ!
……しかし、それすら阻まれる。
善逸の神速とも言える剣閃が、猗窩座の突き出した腕を切り裂いたのだ。
「善逸!まだ捉えきれないか……!」
悔しそうに顔を歪めた猗窩座がその腕を治したとほぼ同時に、杏寿郎が猗窩座の間合いに踏み込んだ。
「はぁっ!」
炎の呼吸 弐ノ型・昇り炎天
その
「くっ……!」
その刃に対して、猗窩座はいっそ大袈裟な程に大きく飛び退いた。
……その判断は正しい。
先程から、杏寿郎の放つ技を受けた猗窩座の体の治癒が遅い。
猗窩座本人は、傷口がまるで燃え続けているかのような感覚に襲われている筈だ。
……まさかここで杏寿郎が、縁壱やかつての剣士達と同じ
あまりに想定外だ、最も脅威ではなかった男が、最も警戒せねばならない相手になってしまった。
私の事前の予測は覆され、今や明らかに鬼殺隊の有利で事は進んでいた。
だが、そこで猗窩座はそれを覆した。
「負けない……俺は、負けない!まだ、辿り着いていない!」
もう、後悔したくない!
私にだけ届いたその叫びは……『猗窩座』ではなく『狛治』が叫んでいたような気がした。
その叫びが響いた瞬間、善逸の動きがガクン、と止まった。
目を見開いて、思わず、と言った様子だった。
一撃離脱を繰り返していた、神速の剣士の明らかな隙、それを猗窩座が見逃す筈もなかった。
「隙を見せたな!」
破壊殺 空式
猗窩座は即座に拳を突き出す。
凄まじい勢いで虚空に突きだされた拳は空気を巻き込み、その勢いは衝撃波となって善逸へと一瞬で到達した。
「やばっ……!」
善逸が呆けてしまったのは一瞬だったろうが、猗窩座相手にそれは致命傷だ。
見た所、速さはあるが最も体が脆そうであるが……善逸が耐えられるかどうか。
「善逸ーっ!」
「バッ……!炭治郎っ!」
そこで、予想外な事が起きた。
炭治郎が善逸を突き飛ばす形で庇ったのだ。
善逸は転び難を逃れたが……。
「がっ……!」
ドガンッ!
代わりに炭治郎は衝撃波をもろに受け、吹き飛ばされてしまった。
……理には叶っている。
今戦線を維持しているのは、猗窩座が反応しきれない善逸と、猗窩座に有効打を刻める杏寿郎だ。
その片方が崩れてしまえば、確かに戦いは難しいものとなるだろう。
……あの必死な様子では、そこまで考えていたか、定かではないが。
兎に角、一時的かもしれないが、鬼狩りは一人減った。
「うぉお!俺の子分を、炭治郎をよくもやりやがったな!」
伊之助は炭治郎が吹き飛んだ瞬間、猗窩座へと肉薄していた。
獣の呼吸 伍ノ牙・狂い裂き
そして四方八方へと斬撃を繰り出す。
それを猗窩座は笑みを浮かべながら、危なげなく捌き続ける。
「くそ、悪い炭治郎!駄目だ、聞くな聞くな!こんな音聞きたくなかった!
切り替えろ、切り替えろ善逸!あいつは鬼だ!鬼なんだ!」
雷の呼吸 壱ノ型・霹靂一閃・八連
善逸は数言自分に言い聞かせるように呟くと、歯をギリギリと音が鳴る程に食い縛った。
そして、放たれる神速の八連撃。
猗窩座の周囲四方八方を縦横無尽に駆け回り、猗窩座の身に斬撃を刻む。
「どうした善逸!動きが先程より鈍いぞ!」
だが、何故かわからないが善逸の動きが精細を欠いていた。
いや、充分速いのだが、猗窩座はそれになんとか対応出来ているようだった。
何か言い聞かせていたようだし、炭治郎に庇われた事が堪えたか?
「竈門……いや、竈門なら大丈夫だ」
杏寿郎は暫し炭治郎の吹き飛んだ方向を眺めた後、改めて猗窩座に向き直った。
その表情には微かな憂いすらなく、猗窩座を真っ直ぐ見つめていた。
ギシリ、握り締められた刀が軋みをあげ、赫刀、赫く赤熱した刃が煌めく。
「はぁああああっ!」
炎の呼吸 伍ノ型・炎虎
咆哮をあげながら、突進していく杏寿郎に対して、猗窩座はより笑みを深めた。
「はははっ!良いぞ!まだだ、まだ俺は強くなる!」
破壊殺 乱式
伊之助、善逸、杏寿郎の放つ無数の斬撃を、猗窩座は無数の拳の乱打で迎え撃った。
笑いながら、笑みをより深めながら、自分が傷つくのも厭わず力を求める姿は、まさに修羅だった。
その姿を……私は胸に刻み込みながら、見守り続けていた。
誤字報告ありがとうございます。
修正しました。