それでも私は死にたくない   作:如月SQ

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 それから私は、自らの体の変化を確かめていた。

 なんとなく、自分でわかっていた。

 今の自分が、人から外れた存在であると。

 そして、自然と理解していた。

 私は人を食らう化け物になったのだと。

 

 噎せ返るような血の臭いの中、私はずっと『美味しそう』だと感じていた。

 血が、内臓が、そこらに散らばった肉が……。

 ふと、真っ赤に染まった手を見れば、同じかそれ以上に豊潤な血の臭いがして。

 それに舌を這わせれば、口内に残っていた馳走の味がまた広がって。

 転がっていた腕の一つを手に取り、その肉に歯を突き立てれば、噛み締めた瞬間に肉から溢れる血が、実に美味だった。

 

 それを血であると認識していて、人の肉であると理解して、それでも私はそれを食らい続けた。

 最初に食べた、馳走だと思っていたそれが、人であった事に気付くのに、そう時間はかからなかった。

 足蹴にしていた母上の脳漿を啜った時、私は自分が完全に人間ではなくなったのだと、その時改めて強く自覚した。

 

 当時の私は、ほとんど産まれて初めて感じたと言って良い、美味い、という感覚に酔いしれていた。

 人を食らうおぞましさなど、この甘美な感覚に比べればなんの価値もないとそう本気で思っていた。

 私が、それがおぞましいと感じるようになったのは……何が、切っ掛けだっただろうか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は自分が産まれ育った、苦しみの思い出しかなかった家を出た。

 嵩張らない程度の金目の物を持ち出し、外の世界を見に行く為に。

 

 化け物となったこの体だが、その特徴は既にいくつか把握していた。

 まず、人を食らわねばならない。

 普通の食物が口に入らない訳でも味を感じぬ訳でもないが、体に取り入れた所で栄養にはならないと感覚的にわかるのだ。

 その代わりに人間とは桁違いの力を、この体は持っていた。

 既に人体を容易く引きちぎれる事は理解していたが、軽く走っただけで風が巻き起こり、跳躍すれば屋根に簡単に飛び乗る事すら出来た。

 体は生半可な事では傷もつかず、例えついた所で短時間で跡形もなく治ってしまった。

 他にも何やら出来そうな感覚があるのだが……それは検証が必要だろう。

 

 ただし、代償としてか、私は日の光を浴びる事は叶わなくなっていた。

 目の前に差す暖かな日の光、これを浴びれば私は跡形もなく消滅すると、私の本能が告げていた。

 試しにと光に伸ばした左手の手首から先は、凄まじい激痛と共に消滅してしまった。

 その際の治癒は、他の傷とは比べ物にならぬ程治る為の時間が長かった。

 それ以降、私は太陽を避けて行動しなくてはならなくなった。

 業腹ではあったが、これ程頑丈な体の代償としては仕方ないとも、思えた。

 

 家を出た私は人目から出来る限り離れ、太陽から身を潜め、静かに旅を始めた。

 色んな物を見たかった、聞きたかった、触ってみたかった。

 問題は、人を食わねば生きていけない事くらいだろうか。

 とはいえ食わねばならぬとは言っても、半年に一人食えば充分。

 更に言えば傍目には身形の良い優男である私の一人旅……肉は向こうからやってきた。

 私の旅は、順風満帆であった。

 実に晴れやかな気分だった。

 日の下を歩けぬむず痒さはあったが、今を生きられる事に比べれば大した問題ではない。

 これまでの全ての苦しみがかき消えていくような、そんな清々しさの中、私は心から楽しんで旅を続けていた。

 

 ふと、振り返った時に点在する血だまりからの怨嗟の声、血塗られた生を歩む事のおぞましさ。

 それを認識してしまうまで、もう間もなく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、とある村に立ち寄った時の事だ。

 ま昼間から分厚い雲が立ち込めた日で、珍しく日中に活動が出来た、そんな日だ。

 そこは小さな村だった。

 遠目で見ても栄えているとは言い難いものだったが、近くに寄ればそんな話ではない事がすぐにわかった。

 畑には痩せ細った作物しかなく、村民には誰一人覇気がなかった。

 頬のこけた枯れ木のような村民しかいなかった。

 

 飢饉……それがこの村を襲ったのだろう。

 何が原因かまではわからない。

 知ろうとも思わなかった。

 

「あぁああ!」

 

「やあ!」

 

 背後から農具を持ち襲い掛かろうとする村民を軽く小突いて大人しくさせ、これも一つの経験だと思い、村を見て回る事にした。

 

 そして、想像以上の光景に、顔を歪ませる事となる。

 

「これは……ひどいな」

 

 凄まじい腐臭だった。

 命尽きた村民達がそこらに転がり、虫がたかり、その肉を鳥が食んでいた。

 見かける生きている村民も、かろうじてとしか言えない有り様で、すぐ近くを歩く私を呆然と見上げていた。

 

 そんな最中、ゆらりと危うい足取りで、ガリガリの、それこそ骨と皮しかないような幼子が私の前に躍り出てきた。

 こけた頬で髪はボサボサで、虫が傍らを飛び交っていた。

 

「おにいさん……なにか、たべもの……もってない……?」

 

 か細い声で、今にも死にそうな掠れた声だった。

 震える手を伸ばす幼子。

 そんな幼子へ、前に立ち寄った場所で貰った干し柿を手渡す事にした。

 どうせ私が食べても栄養にはならん、それに、あまりにも哀れだった。

 ただの気紛れ……仮にこれを食べた所で生き残れる筈もない。

 だが、受け取った幼子は目を丸くした後、本当に嬉しそうに笑ったのだ。

 

「ありがとう……おにいさん……!

 これで……かあちゃん……めをさまして、くれるかな……」

 

 そう言って踵を返した幼子は、目の前にあったあばら家へと駆け込んだ。

 ちら、と見えた家の中では横になっているその幼子の母親らしき人間が見えた。

 ……目は開いたままで、半開きの口からネズミの顔が覗いていたが。

 

 私はそれから視線を切りその場から立ち去る。

 飢饉……初めてこの目で見るが、想像以上に凄まじい光景だ。

 恐らくこの村はもうダメだろう。

 死体がそこらに転がり、既に腐り始めている。

 仮に生きる目処が立とうと、次に襲い掛かるのは病魔……それに耐えうるだけの余力はもうないだろうな。

 

ドンッ

 

 辺りを見回しながらそんな事を考えていると、先程のあばら家から物音がした。

 不意に振り向いてみれば、あばら家から小汚ない男が干し柿を手に持って走り去っていくのが見えた。

 それだけで何が起きたのか察してしまった私は、目を細めた。

 

「…………なんて、醜いんだ」

 

 その言葉は宙に溶けて消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もし……旅の方……」

 

 もう見るものはないだろうと村をあとにしようとしていた私へと、言葉がかけられた。

 声のしたほうを見てみれば、幼子を抱えた女が私の元に跪いていた。

 先程の幼子よりも更に幼い幼子は、女の腕の中できょとんとした顔で此方を見上げていた。

 この村で見た中で、その幼子は最も血色が良かった。

 痩せてはいるものの、子供らしいふっくらとした部分も見受けられた。

 対して、母親であろう女は凄まじかった。

 全ての爪はひび割れ、肌も髪も渇ききり、黒く染まった足は恐らく腐り始めていた。

 全てをその幼子へと与えていた事が想像に難しくない。

 既に死にかけている母親は、虚ろな瞳で私を見上げて口を開いた。

 

「どうか……この子を連れて行っては……頂けませんか……」

 

 そんな女は、私へと幼子を差し出してそう言うのだ。

 

「……なんだと?」

 

「この村は……もう、駄目です。この子もきっと……死んでしまう。

 だから、どうか……」

 

「その提案が私に何か一つでも得があるか……?」

 

「人買いに売っても……構いません……ここで死ぬより、ずっと良い……。

 仮にそれでこの子に恨まれても良い……生きていて……欲しいのです……」

 

 その言葉に、私は暫し考えた。

 本当に私にとって得は何一つない提案だ。

 だが、まぁ……損もない。

 短期間子供を連れている事で不自由になろうと、この体に秘められた力は、幼子一人抱えていても問題はない。

 

「……良いだろう。街にまでは連れて行ってやろう。そこからどうするか、どうなるか……それはこの子次第だ」

 

 私は頷いて、差し出された幼子へ手を伸ばした。

 女は、心底安心した笑顔を浮かべ、私の手に幼子を手渡した。

 良かった、良かったねぇ、と私の腕の中にいる幼子へと声をかける女の目からは涙すら出ない。

 乾ききった唇が割れても、血も出ない。

 これ程まで追い詰められているのに、女は自分よりも子を心配し続けていた。

 私は、素直に思った。

 理解に苦しむが……凄い人間だと。

 

「……む」

 

「ぎゃあ!」

 

 ふと、気配を感じ振り返れば、刃を手にした男が私へと切りかかってきた所だった。

 幼子を左手だけで支え、右手で殴り飛ばしたが……頬を僅かに切りつけられてしまった。

 痛む訳ではないし、直ぐに治ってしまうが……。

 問題はそこではなかった。

 

「あ……が……?」

 

 腕の中の幼子の口に、私の血が入ってしまったのだ。

 

 そこで私は知る。

 私の血を取り込んだ人間は、私と同じような存在になってしまうという事を。

 それを、私は私の意思である程度操作出来る事を。

 私の血が、人にとって非常に有害である事を。

 もし、私が私の血を舐めてしまった幼子を私と同じ化け物にしなかった場合、この幼子は死んでしまうと、そう本能的に理解した私は……苦しむ幼子を私と同じ化け物へと作り替えるしかなかった。

 

「ああ、ああ!自分の、足で……!元気に、なったのね……!

 良かった、良かった!私の、可愛いなきめ、よかっ――」

 

「がぁああああああああ!」

 

ガブッ!

 

 だが……歯を剥き出しに、凶暴な顔で吠える幼子が、自らの母親へと歯を突き立てた時、私は、心底後悔した。

 ぐちゃぐちゃと音をたてて、女を食らう幼子を止める事も出来ず、私は呆然とその行為を眺めていた。

 

「ひ、ひぃいいいいい!!!鬼だ、鬼が出たぁあああ!!!」

 

 先程私を襲った男が、刃を投げ捨て叫びながら逃げていく。

 それを聞いて、私は変に妙に納得してしまった。

 人を食らう、化け物、自らの親だろうと殺してしまう人外。

 まさにそのものではないかと。

 

「ははは……なんと……おぞましいのだ……」

 

 夢中で肉親の血肉を頬張る幼子の姿は、あまりにもおぞましかった。

 嫌悪感、凄まじい嫌悪感に襲われていた。

 この行為をしておいて、なんとも思っていなかった自分自身に。

 なんと浅ましいのか……私は殺されかけたという違いこそあれど、その行為そのものは同じ。

 人を食らう行為を客観的に見て初めて、私はその行為のおぞましさを理解してしまった。

 

「あ…………ぅ……」

 

 やがて、女の全てを食らい尽くした幼子は、唯一残った頭を手にとり……何故か大きな一つ目となってしまった瞳から、ぽろぽろと涙を流していた。

 私の心を占めるのは、後悔……そう後悔だ。

 今ならわかる、私はこの目の前の化け物……鬼と化した幼子の行動を縛る事が出来た。

 この幼子が親を食い殺すという行為に手を染める前に、止める事が出来た。

 それをしなかった、出来る事を知らなかった……そんなものはただの言い訳でしかない。

 

 幼子の頭に手を置いた。

 私と同じ存在になってしまったからには……人の世ではまともには生きられん。

 人も食い続けなくてはいけない。

 こんな幼いうちからその様な生を送る事を、この幼子は決められてしまったのだ。

 ……せめて、私が責任を持つべき、だろう。

 

「……私は、鬼舞辻無惨という」

 

「……むざん、さま」

 

「お前は、なきめ……鳴女だ」

 

「なきめ……」

 

 はらはらと大きな瞳から大粒の涙を流し続ける鳴女の頭を、私は優しく撫でた。

 

「これよりお前は私の元にいるといい。

 人間として生きていた事は忘れろ……。

 好きなように生きろ。お前の全てを、私は肯定する」

 

 その言葉を聞いた鳴女は私を見上げて――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベベンッビンッ

 

「……む」

 

 突如鳴りやんだ演奏と、何かが弾けたような音に、私は目を開いた。

 居城にて演奏を楽しんでいたのだが、どうやら問題が起きたようだ。

 演奏していた鳴女のほうを見れば、琵琶の弦が切れてしまったようだった。

 

「鳴女さん、大丈夫でしたか?」

 

 傍らで鼓を抱えた響凱が、心配そうに声をかけた。

 それに頷いて応えつつも、鳴女は手早く切れた弦を手に取り、張り直している様子だった。

 

「ええ……無惨様、失礼しました。今終わりますので……」

 

 ペコリ、と頭を下げた鳴女に、手をあげて応えた。

 

「気にするな。それももう古い。新しく琵琶を買ってきてやろう。後でどんなものが欲しいか教えてくれ」

 

 そう言ってやれば、鳴女は嬉しそうな雰囲気を醸し出しながら口元を吊り上げた。

 

「ありがとうございます、無惨様。

 ですが、私はこれが良いのです」

 

べぺん、べへんっ、べべんっ、ベベンッ、ベベンッ!

 

 何度か気の抜ける音を鳴らし、やがて元と同じ音を響かせる。

 

「そうか……わかった。何かあれば言え」

 

 それだけ言って、私はまた演奏に耳を傾ける為に目を閉じた。

 後でせめて、手入れの道具でも仕入れる事にしよう……。




本作鳴女は原作鳴女と似たような鬼ですが、別人です。

誤字報告ありがとうございます。
修正しました。
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