腕をちぎられ、骨を砕かれ、血を流してなお、幼い彼の体はほんのわずか生きていた。
オークめらは豚面のニヤケ顔を醜く歪み、彼の胸に爪を立てじわりと力を込めては流れ出す赤い血潮に歓喜した、あとはじっくりと胸骨が砕けて肋骨が飛び出すのを楽しみに押し潰すだけだ。
人を動く玩具程度に考えている魔物にとっては子供も大人も存在しないのだから。
そして彼の体からバキバキと音が鈍く響き、グチャと潰れた。
心臓が止まった、身体の半分は形を失った。
「私の旅の果てにこんな子を見つけるとは、これも定めか」
笑うオークの背後に、男が立っていた。
深いシワを刻んだ顔に光のない目、黒く煤けた布で全身を覆って体型も判別できない。
分かるのは、その男の視線は魔物をすり抜け彼を見ていたことだ。
「オオォーン」
彼の体を潰したオークが男に振り返り豚の面の下品な笑みで男の頭をゆっくり掴もうと腕を伸ばした。
その腕が届こうとした時、ピタリ、止まる。
異変を感じ取ったそのオークは腕を動かそうとするが微動だにせず、前にも後ろにも腕が動かないと分かったオークは力に任せて目一杯に後ろへ引っ張ると
腕が、千切れた。
「オオォーン!!!!???」
オークの咆哮が響く。
近くの村にまで届くだろう、耳を塞いでいても脳が揺さぶられると錯覚する叫び声だったのだから。
しかして、男はゆらりとその横を歩くだけでオークの事などやはり眼中に無く足を止める事は無かった
「私の……私達の……望み、希望の灯火だ……!」
男の口からはただ縋るように言葉を放つだけで何かをした仕草はない、オークの腕の横を通り抜ける男を止めようと別のオークがその男を捕まえようと腕を伸ばすが、同じ事が起きるだけだった
「オオッ!?」
このオークも腕が動かず、動かそうとして腕が千切れた。
二度も同じ光景を見たその他オークや混じっていた他の魔物は散々自分たちが味あわせていた“恐怖”に支配され未知の何かから逃げる為に一匹、また一匹と群れの数を減らしていった。
この場から魔物が居なくなるのにそう時間は掛からなかった。
男は形ない彼の遺体を膝を地面について抱き上げる、血濡れの彼を優しくその胸と腕を使って包み込む。
「よく……来てくれた……“落とし子”よ……」
男はばら撒かれた彼だったものを汚れる事さえ気にせず、いやむしろ嬉々として血肉をかき集め彼の遺体とともにこの場から立ち去っていく。
男と入れ違いになるように別の存在が大挙してやってくる
「オークの群れが居たという報告があったのはこの辺りだ、虱潰しに奴らを探し出せ! “グリエン”君の仇を討て! あの兄妹に手向ける土産としてッ! “シャハバッハ騎士団〟の誇りにかけてっ!」
その存在は騎士であり、総勢25人の騎馬隊だった。それぞれが槍や剣で武装し、刃と炎をモチーフにした繊細な目を引くような装飾を施した真っ赤な鎧を着込み、声高らかに参上した。
その先頭に居るのは眼帯をつけ額のてっぺんから顎の右下まで一本の切古傷を持つ女性だった、髪も赤く、目も赤く、その表情も烈火のように燃え上がる怒りを露わにしていた。
「必ず殺せッ! 子を無くした親の心になれ! 失った物のツケを奴らに支払わせろッッッ!」
「「「オォーッッッ!」」」
「このセレスタルから逃げられると思うなよ……! ゴミカス共がッッッ!」
士気が高まるのに合わせて騎馬の波が煮えたぎり燃やし尽くすマグマの如き突撃で濃霧の森に潜み隠れていたオークやその他魔物を一方的に殺戮していった。
コロセ、殺せ、ころせ、怨念と喪失感を伴った雄叫びが魔物の悲鳴と混じって聞こえてくる、殺したから殺し返す、ただそれだけの事。
首を切る、心臓を貫く、頭から叩き潰す、四肢を切って自由を奪う、目を抉る、鼻をちぎって喉を潰す、筆舌に尽くし難い人道や道徳のない惨たらしい拷問の技で殺していく、それは騎士団の魔物に対する流儀であり命を奪われた者たちへの弔いを込めていた、死した人々にせめて安らかな眠りを与えるために、実体なき彼らに変わって恨みを晴らすために。
日が昇り、天の中心に立って、月と立場を入れ替える頃にその声は収まり、怒髪天を突く激情を持った騎士たちは返り血に体を染め上げていた。
「クソが……濃霧の森の晴れ日を狙ったのか……」
「隊長、周辺を探索した結果ですが……その……」
「全滅……だな」
「はい、モート村に逃げた“二人”だけが生存者だったようです……」
「ラスカー、ご苦労だった。チッ……この件は上に報告する必要がありそうだな」
騎士団の団長はオークに襲われた濃霧の森にある村にまで足を伸ばし、遺品や遺体の埋蔵などを彼らのやり方で行っている。
遺品を焚べて火で遺体を焼く、死んだ魂がが大いなる世界の魂魄の円環にたどり着けるように足枷になりそうなものを徹底的に燃やしてしまうのだ。
「焔の浄化によってより良い世界に辿り着かん事を……」
血に汚れ荒れ果てた村の中心に大きな炎の柱が立った。
その煙はどこまでも、天へと昇っていったのだった。
★
「あれは……シャハバッハの弔いの火か……火の神の信奉者らめ、何もかもを焼き尽くし、無くせば、それで良いものじゃないというのに……
そうは思わないか……“落とし子”よ……」
遺体を回収した怪しげな男はシャハバッハ騎士団が村を焼いた頃に濃霧の森にある小さな洞窟へ来ていた、ここに来るまで血の滴る跡をつけてきたがそれに気がつく者は獣だろうと存在していない。
洞窟の中は狭く5人集まれば狭く感じるほどのもの、その空間には石を削ったもので作られた細長く高い土台がついた器が鎮座し、その中は既に並々と赤黒い物で満たされていた。
それらはただ蝋燭の火だけで照らされ、一層の不気味さを演出している。
「人が……人であるために戦った、その歴史と、その想いと、受け継がれだ信念を、私は今まで、たった一人でここまで来た」
男は抱えていた血肉を器へ注ぎ込む
「だが狂気に満たされた、孤独が人を蝕んだ」
砕けた足を投げ入れた
「私は、器ではなかった、ただ器の代用品でしかない、知らぬ間に死と隣り合わせになっていた」
かき集めた臓物を投げ入れた
「二百年、長い時をかけて、器足り得るものを呼ぶ為に、私は研鑽し……今日、私の前に現れた」
絶命の瞬間で表情を固定された頭部を投げ入れた
「なのに」
残っていた下半身を投げ入れた
「器は既に壊れていた……壊れていた、魔物に、壊されていた……そんな……! 私の旅の果てがあっけなく終わるものか……!」
男は己の腕をもう片方の手で掴むと、力を込めて引きちぎってしまった。そして、器へ投げ入れた
「器……器よ……器になり得る“落とし子”よ……我が狂気を受け取れ……! 私の苦しみを持っていけ……! 己だけ残された、無力な私の血肉を食らって舞い戻れ……!」
残された手を腕の断面から流れ出る血に浸し染める、血に染まった手で器を中心にした記号を書き上げていく
複雑かつ不規則な魔法の意味合いを持つ円形の陣、世間が魔法陣と呼ぶモノの更に古いもの。
男はそれを知っていた、血で記された魔の法、人に与えられた神の言葉がどれほどの力を持つのか。
「不死なる人、魂魄の円環、解きほぐされた鎖を呼び戻し、死を殺す、人が人である為に私は人を捨て人の生を与える。戻り給え魂よ、神の書から名を消し舞い戻れ」
男の言葉に反応して陣が光だし器に集まる
「外を祖とする落ちた魂よ、魂魄の円環から外れた者よ、理を超え、自律するものよ。我らの一切を喰らい糧とし……新たなる世を、人の世を作り給え……頼む……、頼む……!」
男は全身に残された魔力の全てを陣に注ぎ込む、陣はそれに応えさらなる輝きを見せた、まるで男の死を看取るようだった。
器へ入れ込まれた血と肉と体がブルブルと震え一つの塊になっていく、それと同時に男の体も燃え尽きた炭が砕けちるのと同じように手足がなくなり立っている事も難しくなっていた。
バランスを崩し床へ倒れこんでも魔力の供給は止めない、手足が朽ちて無くなろうとも意に介さない。
その目は只管に狂気と救済に、眩んでいた。
「戻れ……戻れ……戻れ……ゴホッ! ゴホッ! ……やっと……私の死に場所が……仲間たちの所へ……やっと……使命から……この重荷をおろせる……」
器の上では人が膝を抱え丸くなって浮いている、胎児が母の腹の中にいる時のように清廉な水の膜で覆われている
「はっ……」
その一言を最後に男の体が瞬く間に砂粒か灰のようなナニカとなって砕けた、残っているのは浮いている人間と血で描かれた陣だけだった。
男の名は、キルストム。かつて世界を震撼させ人類を滅びの淵に追いやった“魔王”に挑んだ者。
人が人である為に仲間とともに勇気と希望を持って対峙した、神の人類に置ける代行者、その聖なる力を振るい魔王と凄まじい争いを繰り広げたものの敗北し人類が魔物に支配される事を止められなかった。
死にたくても、神の力で不死身となった彼は死ねず、二百年間も後悔を抱えて生きてきた。
そしてやっと、見つけたのだ。望んだものを。器を。
その力は、その後悔は、結実の時を迎えた