宇宙から
仕事が終わって疲れた身体に鞭打ち、帰宅している最中。俺はエルデンリングのDLCで頭がいっぱいになっていた。土日休みは、寝る間もなく影の地攻略だ。体は重いのに、心が軽やかで力が無限に湧き出てくる。
俺はフロムゲーヘビーユーザーであり、ソウル系の集大成とも呼べるエルデンリングが大好きだ。狭間の地の広大さと美しさに魅せられ、発売から少し経った今でも暇さえあればゲームを起動している。
そして壺人を強く推している、頭壺男でもある。謎の多い彼らだが、アレキサンダーや小壺の善良さ、燃える闘志は、仕事中の俺を奮い立たせてくれる。
誰に話すわけでもない気持ちを心の中で独白していたら、ついに家の前にたどり着いた。置き配にしていたダンボール箱を小脇に抱えて、鍵を開け玄関ドアをくぐる。
そのときだった。靴を脱ごうとして屈んだ瞬間、急激な酔いを感じ倒れ込む。頭が割れるように痛く、俺は何となく自身の状態を察してしまった。若さにかまけて不養生な生活を送ったつけが回ってきたのだ。
しばらくして、男の遺体から金色の粒子がこぼれ出た。眩い光を放つそれは、空間に突如として現れた割れ目に吸い込まれていった。割れ目の中は、どこまでも深い闇に染まっており、点滅する光が疎らにあった。それは宇宙であった。
俺はじんわりゆっくりと、意識を取り戻した。目の前は真っ暗だ。脳に原因があるのだろう。納得はいく、自分を騙し騙し生きてきたのだから自業自得だ。
命を取り留めただけでも幸せなので、早く病院へ連絡するため起き上がろうとする。しかし、動かない。手や足に力を入れようとしても、何も感じない。まるで手足がないようだ。それどころか、首も動かない。
「ふんぬー…!」
全身に力を入れてみる。野太い俺の声だ。しかし喉を震わせている感覚がない。何故だ?
疑問を感じていると、徐々に辺りが明るくなりはじめた。視界いっぱいに広がるのはざらざらとした壁のような物。そして、ピンク色に蠢くナニカだった。
そのナニカは俺の声に反応したようで、べちゃりと粘着質な音を立ててこちらを向いた。
それは化物だった。正しく肉の塊と呼べるもので、中心に添えられた人にぶよぶよの肉が張り付いている。ピンク色に染まった体から、血と生肉の生臭さが漂ってくるようだ。俺は叫びたい気分だったが、状況の理解が追い付かず、声すらも出ない。ただただその肉塊がこちらへにじり寄ってくるのを見ていることしかできない。
しかし、俺よりもはるかに大きいその肉塊が顔を近づけてくると、印象が変わった。
泣いている。血がにじんだ粗布から透明な涙がぽたぽたと垂れてくるのだ。その雫が俺に降りかかると、辺りを照らす光が歪む。肉塊は人だった。突き出た腕から、元々は線の細い女性だと分かる。そして髪の乱れたその人の顔は、俺が出会った人の中で最も綺麗だった。
「お許し…ください。この苦痛は、私には耐え難いのです…。神よ…。」
かぼそい声で呟くその言葉は、日本語ではなく英語でもない。聞いたことのない言語だ。しかし、俺の頭にすっと入ってきて、目の前の女性が助けを乞うているのが分かる。病か、元来持つ身体的特徴か分からないが、へばりつく肉に苦しめられているのは推測できた。
肉でぬめった両手を組み、俺に顔を向けて祈る女性。こんな非現実的な状況は夢だろう。もしくはあの世かもしれない。
だからこそ、体の感覚がなく何もできない自分が嫌になる。悔しさから歯を噛み締めようとするが、顎すらないようで全身を力ませることで悔しさを表現した。
すると、目の前の女性に変化が起きた。女性の全身を覆っていた肉がどろどろと溶け始めたのだ。辺りも更に明るくなっている。
「ああ、ああ…!私の体が、心地よい…。」
女性は組んでいた手を解き、自身の体を掻き抱いた。痛みはないようで、恍惚とした表情を浮かべている。俺はふと仮説を立てた。俺が力めば力むほど光が強くなっている感じがする。女性の病も治っていくようだ。
俺は、更に力を入れてみることにした。重い荷物を持ち上げる要領で、お腹に力を込めるのだ。
「ぐむむむむ…っ!」
「ああっ!神よ…感謝を…。」
俺の目論見は、期待通りの結果を生み出した。
女性の体から肉が剥がれ落ち、床にそれらが溜まる。そして、女性のしなやかな本来の姿が露になった。肉の海の中で女性はびくりと痙攣すると、動かなくなる。お腹は動いているようなので、意識を失っただけのようだ。
女性の状態を確かめ、ふうと息をつくと、俺の視界に金色の小さな光が舞っているのが見えた。まるで回復祈祷のエフェクトみたいだとぼんやり思う。DLCの発売日であるせいで、また頭の中がエルデンリングに支配され始めてきた。
しばらくすると、女性の周りにある肉が蠢き始めた。そして無数の頭蓋骨が、肉から浮き出てくる。奇想天外すぎる展開に、俺は唖然とした。
「悪夢にもほどがあるだろう!」
動けない俺を目がけて肉たちは跳んでくる。肉たちは、俺にべちゃべちゃと貼りつき、やがて周りを見る隙間さえなくなり視界が真っ暗になった。
『導きだ!』
『私を迎えに来た!』
聞き取り不可能なほど、大勢が俺の近くで叫ぶ。肉たちは、皆共通して上擦った声を上げており、喜んでいるようだ。声は、ライブ会場に行ったときのように俺の体に響き、俺の中に入り込んでいくようだった。
肉たちが抱える憎しみ、恐怖、そして安堵。
俺の中のすかすかとした部分が、肉たちの感情の渦によって埋められていく感覚を味わいながら、俺はそれに身を任せた。
俺は急に変わった視界に慌て、四肢の感覚が戻っているのに気づく。異様に広い視野に映るのは、俺よりも大きい丸い壺。そして、黒色に茶色の粒がまぶされた、ナッツ入りのチョコのような棒だった。棒の先端は4つに枝分かれしている。
俺が腕を動かすと、棒も移動する。手に力を込めると、棒の先端がわきわきと動く。
「なるほど…?」
部屋にある物から、何となく感じ取っていた。巨大な壺のフォルムと付いた模様は見覚えがあるものだったし、蓋も記憶にあるものによく似ている。
これはエルデンリングを遊んでいるとき、いたるところで目にした壺だ。そして、俺は壺人になっている!
歓喜した。仕事終わりにこんな素晴らしい体験が出来るなんて!
壺人になってから、この場所の冷たさ、ほのかに香る生臭さを感じ始めた。俺のものではない記憶もある。顔に無数の毛蟲を付けた人によって体を切り刻まれ、痛みの中で命を失う幾十もの記憶だ。俺は女性が何故あのような悲惨な目にあったのか、理解した。
俺は夢の中で嗅覚を持ったことが無いし、こんなにも意識がはっきりとしたこともない。これはきっと、壺人を愛し、仕事も頑張り続けた俺へのご褒美だ。また、俺に苦痛の中で死を待つ人々を救えと、この場所へ連れてきた誰かが言っているのだ。
肉たちの記憶から、俺は決心した。この夢が覚めるまで、壺人として人を助け続けよう。
まずは、俺の中に入った女性を出すことから始めよう。俺は蓋を持ち上げ、完全に溶けた肉をかき出した。
戦士の壺(パチモン)の中身…
罪人を善き人にするため作られた影の地の壺、それに入り込んだ並行世界の魂の結晶。
祝福の導きに似て、強い輝きを放っている。無垢ゆえに、よく混ざる。