草陰から素早く、何者かが俺たちの目の前にやってくる。幅広の帽子に、枯葉のような旅装束を着た男だ。男は帽子を目深に被っており、表情が読み取れない。
突然の邂逅に、俺がどう反応するか決めかねていると、その男は俺に一枚の細紙を投げ渡してきた。俺はタイミングよくそれを掴むと、しげしげと内容を確認する。
「…ミケラ様の命によって、試す。手合わせ所望…。なるほど、貴殿は同志と呼ばれる人々の一人か。」
男は小さく頷くと、両拳を合わせるジェスチャーを行い、じっと俺の行動を待っている。目の前の彼は、服装に見覚えがあるような気がする。狭間の地において、枯れた色合いの衣服を身に纏う者は多く、断定ができないのだ。俺の印象に残りにくいともいう。
しかし、ミケラの信奉者の集まりである「同志」なのは違いない。なぜ、その同志が俺を試そうとするのだろうか。ムーアが俺たちのことを会話の流れで話したのか。真相は分からない。
俺は目の前の男の情報を増やすため、名を尋ねる。
「貴殿、名前はおしえてもらえるか。」
男は肯定も否定もせず、じっと動かない。生物なのか見間違うほどに、呼吸が制御されていてこの墓地平原に溶け込んでいる。俺は、壺巫女たちに少し離れるよう合図し、男に向かって宣言する。
「ならば、貴殿との手合わせの後、聞かせてもらうとしよう。さあ、手合わせの方よろしく頼むぞ!」
俺も男と同じジェスチャーをする。男が動き出した。手合わせ開始だ。
――――――――――――――
落葉のダンは、黒ずんだ生き壺が一体で戦いに来たことから、ミケラ様の言う壺はこれかと合点する。ダンは、自身の磨き上げた落葉格闘を使い、的の大きい壺へと連撃を繰り出す。
生き壺は、うおやおおといった締まりのない声を上げながら、ダンの攻撃を腕で防いでいく。なるほど、ただの壺ではないとダンは動きを見ながら思う。ダンは、攻撃の手を更に苛烈にしていく。
ダンは生き壺の大ぶりな攻撃を避け、蹴りと平手を繰り出し、守りが手薄になった部分に、両手での掌底打ちを放つ。生き壺は後ずさると、何やら話し始めた。
「貴殿、得物の無しを見るに、相当な武人だと見受けたが…想像以上だ。小手調べは互いに終わりにしよう!」
生き壺は全身を眩い光に包んだ。突然の変わりように、ダンは様子を見るため半歩離れるが、生き壺は目にも留まらぬ速さで突進してくる。ダンは手を使って受け流すが、二撃目の攻撃を避け切ることができず、地面に背を付ける。素早く受け身を取り、ダンは自身の決め手である発勁によって、内部からダメージを負わせ動きを止めようと画策する。ダンは右手に気を溜め、一気に解き放った。確実にダメージは与えた。少なからず、ヒビが入っていることをダンは視認した。
生き壺は、壺の体に金色の粒子のようなものを撒く。すると見る見るうちに、その壺のヒビが消えていく。その不可解な出来事に、ダンは一瞬動きが遅れる。隙をつかれた。
生き壺はダンの腕を力強く掴むと、その臂力によって引っ張りダンの体をよろめかせる。
「全力で行くぞ!新しい技だ!」
そして、体勢を崩したダンの体を空中に投げ飛ばす。ダンはどんどんと地面から離れていく自身の体を制御しようと腕に力を込めようとした。すると、ダンの体に白い大きな蛇が食らいついた。その牙は鋭く、ダンの体を貫く。それは生き壺の右腕から出ていた。
ダンが痛みに眼を見張ると、生き壺は空中にいるダン目がけて大きく跳躍し、ダンの体を両手で握りしめると、勢い良く地面に叩きつけた。
ダンの背から、尋常ではない鈍痛が響く。息が上手くできなくなり、ダンはそのまま意識を暗転させた。
ダンは、体が柔らかな羽毛で包まれている感覚を味わう。幼少期の、信仰にまだ生きていなかったあの頃の温もり。自身が捨ててきた温もりに、ダンは首を振る。この温かさは堕落への道だ。そう拒むのに、安寧によって閉ざした心がほぐれていく感覚がする。
落葉派は自らに禁欲を強いる。安らぎも甘えも許さない。そう、自らがそうあるよう選択してきたのだから。
ダンの意識が浮上すると、そこには金色と壁があった。壁がダンに向かって話し始める。
「貴殿、手合わせだというのに、やりすぎてしまったな。すまない。」
壁ではなく壺であった。金色の粒子は生き壺の手から出ているらしく、それが体に安らぎを与えるようだとダンは推測した。ダンは素早く生き壺から離れ、帽子のつばを更に深く被った。このまま壺に抱きかかえられていたら、自身は堕落する。
生き壺は続けた。
「傷は治ったようだな、良かった。して、貴殿。貴殿の名を聞いても良いか。貴殿は達人だ、ぜひ名を知りたい。拳を合わせた者として、どうだろう?」
ダンは、一筆したためた。落葉のダンその名と、ミケラ様について。そして、自身の格闘術が込められた手の布を脱ぎ渡す。自身に戒律を定め修行をしているというのに、完敗であった。また鍛え直さなければならない。生き壺が困惑している姿を背に、その場を去る。
正々堂々と戦い、治癒まで行う。妙な技こそ使うが、この在り方は、ミケラ様の優しい律に沿ったものだ。敵になるはずもない。
しばらくたって、落葉のダンは、再び滝に打たれていた。滝から身を投げることで自分の技を発展させようと、自身を見つめ続ける。
すると、神気をダンの近くに感じた。ダンは薄目を開けると、それが神人ミケラだと理解し、服を着て跪く。そしてしたためた一筆を、ミケラの前に持ってくる。
それをミケラは見たらしく、鈴の鳴るような声で笑い、その場を去った。
ダンは紙にこう書いた。「壺は障害足り得ず、故にご心配なさることなし」と。
―――――――――――――――
最後まで言葉を発しなかった男の後ろ姿を見送る。不思議な男だったが、技量は凄まじく、同じく無手の俺は参考にしたい部分が山ほどあった。故に手布が脱ぎ渡されたのは、とても喜ばしいことだ。有効的に使わせていただこう。
俺はそっと、折り畳まれた紙を見る。彼は落葉のダンという名であり、ミケラが俺に会ったことから試練を課したという旨が書かれている。
ミケラは俺に会っている。俺はその言葉を、頭の中で唱えると、気づいた。点と点が繋がった思いだ。
ぞわりと寒気がする。
「あの幼子は、神人ミケラ…。」
俺の中のミケラの印象として、皆に愛されるほど人格が善いというものがあった。善い人物という評価が行き過ぎた結果、何か含むものがあるのではと邪推されていると思っていた。それは間違いか、本質とは離れた考え方だったのだ。「誘惑の枝」の効果からして、ああいった存在であると考えるべきだった。
まさか、ただ視認するだけで愛することを強いることができるなど、思わなかった。得体の知れない存在と言われるのも納得だ。
「戦士の壺様、お疲れさまでした。…戦士の壺様?」
「…壺巫女殿、ねぎらいの言葉感謝する。皆。救出の件、急がなければならないかもしれん。」
俺は壺巫女に、紙とダンの手布をしまってもらうよう渡す。俺は続けた。
「近々、大きな出来事が起こる。影の地だけでなく、全体を揺るがすようなものが。」
俺は皆を鼓舞すると、エンシスの城砦へと急ぐ。まずは城砦の主と話を付け、早く巫子の村に送り届けなければならない。そして、今後の対策を練らなければ。
ミケラがこの地を彷徨っている。これは褪せ人が来る兆しだ。