俺は理解した。長い苦しみの果て、最期に会合した俺たちにミドラーは託したのだ。この封じてきた狂い火の扱いについて。
だがまだ可能性はある。狂い火の王から火種を奪い取った後、残ったミドラーの体から蘇生ができるかもしれないのだ。俺は思った。
苦痛の果てに死ぬ。そんなことは、救いであるわけがないと。
壺巫女と褪せ人に素早く作戦を伝える。壺巫女には指の母の護衛の下、回復に専念してもらうことにする。褪せ人には遠距離からの攻撃を行ってもらい、俺が壁になり、狂い火の王を押さえるという陣形だ。
平穏を発動した状態では、人を受け止めたり、触れたりすることは出来ても、押さえつけることができない。ミドラーの体をいたずらに傷つけるつもりはないが、拘束である以上攻撃的な行動となるからだ。
俺が火を回収することが、森に潜った目的だ。ならば狂い火の王に対して、距離的に一番近くある必要がある。
狂い火の王は、火を前面に放出しながら近づいてくる。俺は褪せ人と壺巫女に距離を取るように話し、狂い火の王に向かって走った。
俺は棘の巻き取られた劫罰の剣を掴み、剣を振るうことを封じる。すると狂い火の王は、延々と火を迸らせる。
俺の表面が、狂い火によって灼け溶けていく。しかし、離すつもりはない。俺は右手で狂い火の王の頭部分に触れた。そして粒子を以て、狂い火に働きかける。
褪せ人が、「魔術の輝剣」で狂い火の王の注意を引き付け、俺が狂い火に触れ続ける。今のところは順調だ。
狂い火の王が、ふわりと浮き上がった。俺は振り払われないように、しっかりと狂い火の王の手首を握り直し、地面に縛り付けようとする。しかし、狂い火の王は頭部の火を巨大化し、床に叩きつけた。大広間全体を黄色い火が焼く。
俺は皆の様子を確認する。壺巫女は障壁によって守られているが、褪せ人は体を火で焼かれている。それによるダメージは、次の瞬間壺巫女の祈祷で回復した。壺巫女と褪せ人の精神力が尽きる前に、狂い火を浄化しなくては。
俺は、頭部の狂い火を切り離すという戦法を取り始めた奴に対して、しめたと思った。この行動を行った隙に頭を奪い取り、浄化を早めるのだ。
褪せ人の度重なる攻撃から、狂い火の王は彼にヘイトを向けている。だが俺に動きを阻害されているため、取れる行動は狂い火を飛ばすことと、頭を地面に叩きつけて床を燃やすことだけだ。俺は待ち続けた。
狂い火の王は、無機質な動きで頭部を肥大化させ、地面を焼こうとした。今だ。
俺は外れるその火を抱きかかえ、蛇綱で大広間の奥へ跳んだ。これこそが火種。先ほどまで受けていた火とは比べ物にならないほど、俺の表面は溶かされる。壺の身で鈍くなった五感であっても、熱さを感じていた。
「ぐぐぐ…。狂い火よ、俺の中へ来い!お前の力は、世界を溶かすためだけではない…!人を救うことにだって、使えるのだ!」
俺は、体に戻ろうとするその火種を壺の中に収めた。じゅうじゅうと音がして、金色の液体が煙を出す。だが溶かされてはいない。俺と共に、この火はある。俺は両の掌を合わせ念じた。狂い火が、その生まれを呪わず、優しき火になるように。
しばらく経った。俺が祈っている間、褪せ人たちは応戦してくれていた。
頭を失ってもなお狂い火の王は、劫罰の剣を振るっていたが、突然体を横転させた。ぱたりと、糸が切れた人形のように。それはもう動かない。壺の隙間から漏れていた煙が、消えたからだ。
この狂い火はもう、世界を焼くことはない。俺の中で安らかに燃え続けるのだ。
俺は、狂い火の王の猛攻を食い止めていてくれた皆に合流する。度重なる発狂と、狂い火の王の連撃でぼろぼろになった褪せ人に、粒子を使う。
褪せ人は尋ねてくる。狂い火はどうなったのかと。俺は壺の蓋を開き、中で燃える火の一部を岩の手に乗せた。それは金色の火であった。
「褪せ人殿、壺巫女殿、指の母よ。貴殿らの協力で、俺は目的を達することができた。…褪せ人殿、これが約束の種火だ。受け取ってくれ。」
褪せ人は、器を両手で持ちその種火を受け取った。隣にメリナが出現し、口元を押さえながらその種火をじっと見始めた。そして小さく頷くと、青白い粒子を舞わせてその姿を隠した。彼女の観察眼によって、これが狂い火でなくなったことを認識したのだろう。
俺は褪せ人がその器をしまうのと同時に、もう一つ種火を取り出した。
「褪せ人殿、こちらはメリナ殿を燃やさないための種火だ。黄金樹の棘の傍に行き、使ってくれ。」
褪せ人は、これを待っていたと明るい調子で言い、また違う器を取り出して嬉々として受け取った。
これで彼の目的は概ね達せられたと言えるだろう。あとは魔女ラニの王になってもらうだけだ。
両手を掲げて喜ぶ褪せ人に、こちらも嬉しくなっていると、壺巫女がミドラーの遺体を持ってきた。俺は壺巫女に謝る。彼の蘇生が可能であるか、確かめなくては。
俺は金色の炎を手に纏わせる。これは、癒しの炎だ。必要以上に焼かず、生命を尊ぶ金色。だからこそ、俺の力を増強し、僅かな未練でさえも掬い上げる。
ミドラーは、ナナヤという人物に許しを乞うていた。ならば、それこそが未練。俺は首の無くなったミドラーの遺体に、炎を這わせるようにして包む。金色の炎は、ミドラーの頭部に失われた脊髄、やせ細った体に健康的な肉を付けていく。そして彼は目を覚ます。
「…なぜ、戻った。私の体は、狂い火は…。」
「ミドラー殿。貴殿の未練に、俺が火をつけた。狂い火を除去し、肉体の損傷を治したうえでな。」
困惑している様子のミドラーに、俺は語り掛ける。ミドラーは体の確認をしたあと、顔を歪ませると呟いた。
「私は、生きる意味を失っている。狂い火を宿さぬ私は、ただの老いぼれだ。」
俺はミドラーに話を聞く。彼は、この館にやってきたナナヤという女性を妻とした際、言われたのだそうだ。狂い火こそ、一族を救う手立てであると。
ミドラーはナナヤに進められるがままに、狂い火の研究に没頭した。全てを焼き溶かす狂い火こそが、角人の蠅化を苦しみなく終わらせることができるのだと信じて。
ミドラーは狂い火を受領し、大多数の角人にその行為を忌避され、責問にかけられた。劫罰によって逆棘の剣で貫かれ、長く苦しむように監視を置かれた。そんなとき、ナナヤは彼の近くに来て囁いたという。
耐えてください
ミドラーは、ナナヤとその腹の子に対する愛のため、一族への救済のため、苦しみに耐え続けた。耐えることが狂い火を育てると信じて。
しかし、いつしか彼は、どこか苦痛の終わりを求めていた。苦痛に耐え続け、最後まで残っていたのは、愛だった。
俺は壮絶なミドラーの話を聞き、ナナヤの異常さに疑念を持った。近くで聞いていた壺巫女は、口元を両手で覆って涙を流していた。そのむごい仕打ちに。
褪せ人の方を視認する。褪せ人は兜に手をやって熟考しているようだ。俺は褪せ人に考えを聞いた。すると彼からは思いがけない言葉が返ってきた。
ナナヤとは、本当に彼女自身だったのかと。褪せ人は言う。旅の中で狂い火に関わる者と出会い、その内二人と話した。ハイータという女性と、シャブリリという悪霊だ。狂い火に関わる者は、既に亡くなった人間の似姿を取ったり、その遺体に乗り移ったりしていた。中でもシャブリリは、自分の恩人の体を乗っ取った。推測だが、その女性も目的のために乗り移られた遺体だったのではないか。
褪せ人は苛立ちながら話しており、いつもより口数が多い。しかし筋の通った話だ。
褪せ人の考えを聞いて、ミドラーの瞳がだんだんと開かれていく。俺はミドラーに言う。確かめる方法があると。
「ミドラー殿、一旦ここで待っていてくれ。その、ナナヤという女性を探してくる。貴殿の子も、館の中にいるのであればここに連れて来よう。」
「ああ、頼む…。…私は、騙されていたのか?」
頭を抱えて苦悩するミドラー。壺巫女は、ここで待機していると俺に言った。
「館の主様も、せっかく戦士の壺様に治していただいたのです。お辛いことがこれ以上無いよう、私が見ております。」
「壺巫女殿…ありがたい。…褪せ人殿、行こう。この館にいる責問官なら、居場所を知っているやもしれん。」
俺は壺巫女の言葉に甘え、褪せ人ともに大広間を出た。
俺と褪せ人は館を練り歩き、出会った責問官たちに話を聞く。こちらのことは外の責問官から聞いているらしく、話を聞いてくれた。
同時に彼女たちの情報も貰う。責問官の老女たちは、知らないのと話すのはしばらくぶりだよと口々に笑う。
この館にいる責問官と、外にいる彼女らは派閥が違うらしい。狂い火の祈祷を使うか、そうでないかだ。責問をする立場でありながら、ミドラーに表立って味方した外の責問官たちに対して、老女は愚かな婆どもだと、笑いながら辛口な反応を示した。
奈落の森にいる責問官たちは、同じ考えを持っていた。ミドラーの考えには賛成だという考えだ。蠅になる苦しみから逃れる方法が、それしかないのなら焼くべきだ。それが彼女らの思いだった。
責問官の老女たちは、突然声の調子を変えて俺たちに言う。
「けれど、あの女は嫌いだね。」
「あんた、ナナヤって女はね、館主の爺さんに色々言っていたくせに、さっさと死んだんだよ。」
「なんと…!?では、その遺体は。」
「あそこに座っているよ。全く、子どもまであんな、むごいことを…。」
「責問官のご婦人たち、感謝を。とても有意義なお話だった。」
俺は老女たちに礼を言い、彼女らが指さす先に、褪せ人と蛇綱で跳んだ。
やはりミドラーは生きているべきだと、俺は思った。ミドラーの憂いに、こんなにも理解を示してくれる人たちがいるのだから。
「…壺がしゃべるもんなんだね。」
「しかも金色だよ。長く生きてると、不思議なこともあるもんだ。」
俺たちは足場の崩れかけの上階に着地し、椅子にくたりと腰かけている女性の遺体に近づく。彼女がナナヤだろう。ナナヤの遺体は、小さな狂い火を宿した骨らしきものを抱きかかえていた。これが子だとすれば、あまりにも悍ましい所業だ。
俺はまず、その背骨から狂い火を手に取り、俺の中にしまう。煙は出ず、小さな狂い火はすぐさま浄化された。
次に俺は、金色の炎をもって背骨に触れた。子は生きたいと願うものだ。断じて、骨だけになる末路など望まない。炎で撫でていると、柔らかな肉がついていき、その元々の姿を現す。赤子だ。
赤子は、泣き声を館内によく響かせた。これが再びの産声であり、健やかに育っていくことを俺は願った。
最後に、ナナヤの遺体だ。血が抜け皺が目立っているが、顔立ちに老いは感じさせない。ただ状態が悪いだけだ。俺は褪せ人に赤子を託すと、ナナヤを覆い包むようにして金色の炎を当てた。ナナヤがただ狂気に満ちた女性であった場合、せっかく蘇った赤子に危害が及ぶ。いつでも拘束できるように、俺は心掛けた。
ナナヤの遺体は、生気を取り戻していく。三人とも、生への執着があったようだ。俺は目を開き、辺りを見回し始めるナナヤに、警戒を崩さず話しかけた。
「ナナヤ殿だな。…貴殿がしたことを、覚えているか。」
「…ここは、どこなのでしょう。そこな壺さん、教えていただけませんか。」
「…とぼけているのであれば、相当な策士だな。褪せ人殿、一旦ナナヤ殿を拘束しておく。ミドラー殿のもとへ戻ろう。」
「いたいっ!なにをされるのです!?」
俺がナナヤの二の腕を拘束すると、彼女はか弱く悲鳴を上げる。岩の腕はごつごつしていて痛いだろう。疑念は皆の前で晴らすべきだ。我慢してもらおうではないか。
褪せ人は、油断をしないようにと俺へ釘を刺す。シャブリリは狡猾だった。狂い火に関わる人間であれば、同じような狡猾さを持つ可能性が高いだろうと褪せ人は言う。
俺たちは、赤子が傷つかないように注意しながら、ミドラーのところまで安全に戻った。
戻ってきた俺たちを、ミドラーと壺巫女は出迎えた。ミドラーはナナヤに対して、謝罪するとともに真相の解明を迫った。ナナヤは、俺たち全員に圧をかけられたことで、縮こまりながら声を出した。
「どなたか、ご説明を!ここはどこなのですか…!」
「ここは、こちらにいるミドラー殿の館。そして、館は深い森の奥にある。」
「…森の中、ですか?」
ナナヤは困惑を崩さなかった。俺は、体に入れることで行ってきた記憶の受け継ぎに近いことを行う。
記憶に刻み込まれることはないが、人の記憶を見ることができる技だ。大いなる意志は、俺の力の使い方を全て知っていた。
俺はナナヤの額に手をやり、念じた。彼女の記憶が一時だけ俺の中に入り込む。
ナナヤの記憶は断片的だった。だがその最期はしっかりと分かった。狂い火に目を焼かれた兵士による刺殺。メスメル兵ではなく、俺の記憶にあるどの兵士とも一致しない。場所についても、館ではなく森でさえない。
よく分かった。ナナヤは死した後、乗り移られたのだ。シャブリリか、それに近しい何者かに。
記憶の断片から意識を戻すと、俺は皆に言った。
「この、ナナヤ殿は…狂ってはいない。褪せ人殿の推測通り、死した後依り代にされただけだ。」
俺はナナヤへ手荒に拘束したことを、しっかりと謝罪した。ナナヤは少しむくれているようだったが、その謝罪を受け入れてくれた。元来心優しい女性なのだろう。
その後、ナナヤはミドラーに質問責めにされていた。
しかしナナヤは、ミドラーの話に首をかしげている。記憶がすっぽり抜け落ちているというよりは、この館に来た時には既に亡くなっていたのだから当然だ。
彼女は最期の瞬間、死にたくないという念を強く持った。後ろ暗い執念があったわけではなかったのだ。
ミドラーとナナヤはこれから詳しい話をするらしい。そして赤子についても、責問官たちに話を付け、育てていくようだ。
前途多難ではある。しかしこの慌ただしい空気は、陰鬱な責問と打って変わって、生があった。俺は影の地での大きな問題が片付いたら、彼らの力になろうと思った。
館ですることは終わった。ミドラーとナナヤ、責問官たち。彼らに見送られながら、俺たちは館を出る。
俺は、褪せ人に向き直った。これからも、彼とは長い付き合いになるだろう。志を同じにできる褪せ人に対して、俺は言った。
「褪せ人殿、当初の目的は達せられた。だから、ここからは俺のわがままだ。…共に、拾い上げてほしい。俺の家族たちに、俺が守りたい人々。そしてまだ見ぬ、苦しみの内にある人たちを。」
褪せ人は勿論だと了承してくれた。そして続けた。旅と未知は、長くあるほど面白い。共に旅ができる仲間がいれば、更に楽しいものだと。
俺と褪せ人は固く手を握った。ここから戻ったら、まずは影の城だ。早々に平穏を届けることを、俺は誓った。
「金色の種火」貴重品
戦士の壺(パチモン)の中に包みこまれた狂い火が、変化したもの
金色に光り、粒子を舞わせる種火
封印の木を焼くことができる
(黄金樹における、拒絶の刺を焼くことができる)※もう一つ受け取った分のテキスト
狂い火は金色の中にて、その役目の他を知った