牢獄から出て初めて見たのは空だった。美しい。金色にところどころ黒が混じる、狭間の地とはまた違った景観だ。豊かに生える名も知れない草々に、ほうとため息を漏らすと、後ろからついてきた壺巫女の方を見る。
「壺巫女殿…すぐそこにあるのだな。角人達の村、ボニ村が。」
「ええ。…牢獄から戻った私を見たら、また植え継ごうとするでしょう。大方、巫子が罪を払って帰ってきたと。彼らの、おぞましい文化です。」
体を震わせて壺巫女が言う。彼女の日常を破壊した因縁の村だ。壺に巫子を詰める風習を生み出したということは、人としての性質もねじ曲がっている可能性が高い。先ほどまで以上に気を張り詰めるべきだ。
周囲を見渡せば木製の吊り橋があり、ボロ屋の立ち並ぶところへ続いている。あれがボニ村だろう。
しかし、遠くを見る前に一仕事あるようだ。カサカサと虫が高速で移動する音が、左から聞こえる。
「…何というでかさだ!」
左手で壺巫女に後ろへ下がるよう促し、臨戦態勢を取る。そこにいたのは、巨大なサソリだった。ただ大きいだけではない、体色が影に溶け込むように黒く、異様なまでに毛が生えている。ふとその異形を見て、「Bloodborne」における蜘蛛を思い出した。さしずめこいつは「蜘蛛サソリ」だろう。
間違いない。こいつは、狭間の地の地下で幅を利かせていた蟻の代わりのような存在だ。
単調な意思を持つ虫特有の直線的な突きを右手で払い、左拳を見舞う。
ぴぎぃと虫が鳴き声を発する。怯んだ隙を逃さず、連続で殴打する。酸で反撃されるが、この手の虫はペースを掴まれたら一気に不利になる。粒子を宿し、十近く拳を突き出した頃には、蜘蛛サソリは潰れ動きを止めていた。
「流石に手強いな…。虫は死ぬまで動くというが。壺巫女殿、進もう。」
振り返ると、何やら壺巫女がお腹を押さえている。酸がかかったかと傷を探すが、特に爛れている部分はない。ではどうしたのだろうか。
「戦士の壺様、お恥ずかしいのですが…空腹に耐えられず。そのサソリですが…食べられるものでして。」
「これを…食べると?」
空腹が抑えられなくなったのは事実のようだ。くうと壺巫女の腹から断続的に続く。
しかし、これを食べる?食べれるのか?影の地の食のラインナップは、狭間の地と並ぶゲテモノ揃いなのではと邪推してしまった。
万全の状態が望ましいだろうと、火を焚き、二人で囲む。石と木を擦り合わせるという原始的な火起こしだったが、しばらく雨が降っていないからか時間をかけずに火種がついた。くだらないことだが、鉄拳アレキサンダーの技があれば火起こしには困らないだろうなと思った。
草々を材として焚火を途切れないようにする。目の前では、俺が炙った蜘蛛サソリの身を壺巫女が勢いよく食べている。明らかに体内へ入れてはいけない器官はちぎり取ったため、おそらく大丈夫だろう。
壺人は食事を必要としないが、こうやって食事する人と卓を囲むのは、それだけで楽しいものだ。会社の後輩に都度奢ってやったのを思い返す。蜘蛛サソリが美味しいのかはまた別の話だ。
「壺巫女殿、それは食べられる味なのか…?」
俺が問いかけると、頭に壺を引っ掛け顔を出している壺巫女は咀嚼を早め、飲み込んでから返してくる。
「少し酸味が強いですが、食べられます。」
「ならば良いが…鹿や狼などいるだろうし、足りなければそちらを狩ってこよう。」
「お気遣いを…ありがとうございます。」
しばらくして、壺巫女は蜘蛛サソリの可食部を全て食べ尽くすと、話し始めた。
長い話だった。このサソリを食べたのはボニ村に連れてこられてからで、角人たちの伝統的な料理に、「サソリ煮込み」というものがあるらしく、鞭で叩かれ精神が壊れそうになるたびに、それを食べさせられたそうだ。生きるためには食べざるを得ないが、何よりその食事は温かく、そこにのみ「人」を感じたのだと。壺巫女は沈痛な面持ちで話してくれた。想定を上回る、最悪のストックホルム症候群だった。
そして食べさせられるものは「サソリ煮込み」だけだったため、お腹が空くとサソリを食べたくなるように、いつしかなっていたとのことだ。
「それでも、戦士の壺様が準備してくださったおかげで、気持ちが軽くなりました。」
「…サソリだけではなく、色々なものを食べられるように尽力しよう。」
人は人だ。断じてこんな非道なことが再演されてはならない。巫子の村までの道中で、優先すべき事項が増えたな。
壺巫女のお腹が落ち着いたようなので、焚き火を消し再出発することにした。
木製の吊り橋は、無論人が通ることを前提としているので、だいぶ重さを増した俺が足を踏み入れると、ぎしぎしと嫌な音がする。幸い吊り紐は太く、固く結ばれているため、大きな衝撃を与えなければ切れることはなさそうだ。だがソウルシリーズでの吊り橋は切れる可能性を捨てきれないと思っているため、ひやひやする。
橋を進むと、ボニ村の異様な全貌と雰囲気が分かってくる。まず上には、夥しい量の細長い壺が吊り下げられている。奥に見える影樹との親和性が高く、陽が当たっているのに薄暗い。そして、俺よりも大きい儀式壺が崩れかけの民家の横に複数安置されている。
村の入口にたどり着いた。儀式壺の横や上に何やら蹲る影がある。人だ。霊体のように見えるが、黒い影を纏っている。彼らは小刻みに震えており、何かに怯えているように見えた。
壺巫女が俺の横に立ち、声を潜めて言う。
「彼らが、ボニ村の住人です。…様子がおかしいですね。」
「壺巫女殿の記憶にある彼らは、どのような態度だったのだ?」
「ずっと笑っていて…尊大な態度が多かったように思います。」
これまで壺巫女から聞いた話から確かに、閉鎖的な村社会で生活している人々の悪意を抽出したような者たちという印象があったが、この状態はどういうことなのか。疑念で二の足を踏んでいると、視界に鮮やかな黄色が映った。あまりに周囲と違った色に、無い眉をしかめた俺は、そちらを注視して唖然とした。
頭部にびっしりと毛蟲を付け、体にはふんどしのみを身に着けた、全身が真黄色の異様な人間がこちらに走ってきたのだ。
横にいる壺巫女が縮みあがり、それの正体をか細く告げる。
「大壺師です…!」
背丈ほどもある巨大な刃物を振り回し、大壺師は壺巫女へと切りかかる。型もない乱雑な斬撃を岩の腕で受け止め、押し返す。
すんなりと大壺師は押し返され、地べたに尻をつく。その隙に俺は臨戦態勢を取ったが、反撃が来ない。
その体勢のまま、包丁を手から取り落とし、大壺師は声を発した。
「あんた、生きている壺か…?」
炙りサソリ…
毒性の強い部分を除き、念入りに炙ったもの。戦士の壺(パチモン)の手作り。
残った金色が、元々の効果を引き上げている。
一時的に、防御力と物理カット率を高め、HPが減るたびに回復させる。
この食物は、おぞましい因習を想起させるのと共に、どこか懐かしさを感じるという。