教会の中には、異形があった。下半身が大きなムカデとなっており、女性だと判別できる異形だ。後ろは蜘蛛サソリに似た尾となり飛び出ている。上半身は、蝶の羽を背から生やした紅色の蕾のようで、顔までもが侵食されていた。
褪せ人が彼女の名を教える。蕾の聖女、ロミナ。
ロミナは、その朱色の薙刀を振りながら俺たちに向かってくる。その軌跡から無数の蝶を舞わせ、蝶は連鎖して腐敗していき、死へと羽ばたく。
俺は褪せ人と見合い、頷く。腐敗に侵されようと、治すことができれば、その干渉から逃れさせることができるはずだ。
腐敗の性質を変える。まずは地から。俺は粒子を纏った掌を正面に向け、地面に勢いよく押し付けた。金色の炎が蕾を覆っていく。ロミナが金切り声を上げる。炎の広がる様に、かつてのメスメルの火を思ったのか。ここが神性を祀る角人の教会であれば、そうであっても不思議ではない。
だが、これは罪を祓う炎だ。焼き払われた地を、再び花で埋め尽くせるように。
地面は腐葉土のように、生物が豊かさを得られるように変わっていき、蕾は開花し無害な美しき花へと変わる。
金色の炎はロミナにも広がる。叫ぶロミナは、その炎の温かさからか、次第に声を萎ませる。ロミナのムカデ足を分離させ、サソリの尾を持つ大きなムカデとする。そしてロミナの顔から花弁がはらりと零れていき、隠されていた火傷跡が治っていく。下半身は、ただの人間の足として再現される。
朱色の、人の体を腐らせる神性は、名もなき花々を咲かせる豊穣へと。ロミナは、教会を埋める色とりどりの花々をしかと見、深い眠りに落ちた。
彼女をただ一人ここへ置いていくのは忍びないが、分離され再誕した大ムカデが、彼女を守っている。任せても良いのか尋ねると、大ムカデはその節を上下に波打たせ、ちちちと鳴く。大ムカデは、静かに息を立てるロミナを慈しむように囲う。傷つけもせず、ただ愛を注ぐ。
俺たちは大ムカデに彼女を任せ、教会の先へと向かう。俺の広範囲に放った金色の炎によって、花で舗装された道の終点に、黒き影のような封印の木がある。
影の塔を臨む祭壇の近くには、布を全身に巻いた人々が座ったまま死している。俺が彼らに触れても、何も起きない。彼らは、使命を全うしたのだろうか。
俺は褪せ人を促す。火種を使うときだ。褪せ人は、懐から器を取り出し、そこに柔らかく燃える金色の炎を封印の木に用いた。金色の種火は瞬く間に、小さい影の木と、先に見える影の枝たちを包み込み、緩やかに消滅させていく。影の枝が無くなった頃、塔を覆っていたヴェールが剥がれる。白金に輝きながら、塔は真の姿を見せる。
エニル・イリム。神に届くために建てられた、角人たちの信仰の到達点である。
燃やすことが鍵となっていたのか、褪せ人と近くにいた俺、二人の足元から白金の光が円状に出てきて、少しずつ体を透けさせていく。褪せ人は、また向こうで会おうと声をかけてきた。それに俺は、サムズアップを以て返す。ここからが、最後の仕上げだ。
消えゆく中、遠くから竜の咆哮が聞こえた。
気が付いたら、全く別の場所で立っていた。正面には石でできた手摺の無い階段に、左手には奈落が広がる。遠くを見やると、封印の木があった祭壇らしき場所がある。無事転送は完了したようだ。
天を見れば、雄大なる古竜が一体旋回している。古竜の背に小さな人影が見えることと、近くに宙を浮く銀色の鎧が光っていることから、セネサクスだと分かった。
彼らは上で待っている。早く到達せねばと、俺は階段を急ぎ足でのぼっていく。
近くで金属がぶつかり合う音が聞こえてくる。金色の鎧を着た戦士と、褪せ人が戦っていた。俺は戦士の剣を押さえ込み、褪せ人に訊く。
褪せ人は焦った様子で言う。平穏が効かない相手だと。
「この戦士は…そうか、神降ろしとは…!」
俺ははっと理解した。心が壊れたわけでも、意思が薄いわけでもない。ゴーレムや人形兵などのように、敵対者の排除を目的にしているわけでもない。そもそも、この戦士は敵対していないのだ。
降ろされた神によって、完璧に自然と一体になっている。この戦士は、エニル・イリムを徘徊する人型の現象。天災とは、意思を持ってこちらを害するのではなく、ただ全てをなぎ倒すのだから。
厄介な相手だ。責問官の女性たちに、詳しく聞いておくべきだった。
俺は金色の戦士の攻撃を弾く。粒子を纏って触れたが、何一つ戦士の様子に変化はない。神を降ろした時点で、ただの器となるのか。ミケラが行おうとしていることにも、平穏が機能しない可能性が出てきた。
「褪せ人殿。これを倒すぞ!見た目は人だが、もうただの器だ!」
褪せ人は頷くと、暗月の大剣を構え、冷気の刃を戦士に飛ばす。戦士は翼を生やして飛び上がり、羽のような光弾を放つ。俺はそれを壁となって防ぐと、赤金色の火球を空中に留まる戦士に投げる。
戦士は撹乱するように人間離れした速度で俺を切り刻む。そして鳥のかぎ爪のような形をした足甲で、俺の表面を抉ってきた。肉を切らせて骨を断つ。拳に竜の力を込め、渾身の一撃を放った。
褪せ人との攻撃が噛み合い、それを食らった戦士は翼を展開することなく、階段下へと落ちていった。
粒子を出して消滅する戦士を確認して、俺は息をつく。この鍛えられた表面でさえも、浅くないキズ跡を残す力であった。俺は体に粒子を振りまく。褪せ人も、俺が合流する前の戦闘で多くの傷を負ったようで、聖杯瓶を浴びるように飲んでいた。
褪せ人の細かい傷を治すと、塔の中へと入る。褪せ人は塔の中心に祝福を見つけたようで、座りに行った。準備は念入りにしていくと俺に言い残し、何やら木箱の中から遺灰や食べ物の類を出し入れしているようだ。俺はこの先にもいるだろう、神降ろしの戦士に考えを巡らせ、対策を練る。
この塔からの出口はいくつもあった。一つは、塔の街ベルラートと通じる下り道。二つは、螺旋階段を上った先の崩落した階段。そして三つは、エニル・イリムの中心部にせまる上り階段。俺たちはこの道を選び、先へ進む。
平穏をかけ責問官の歩き回る場を抜ける。黄金の弧が責問官から放たれるが、すぐにその追尾は止められる。その理由は、橋を渡った先にあった。
獅子の仮面を被った戦士が、樹の傍で佇んでいたのだ。戦士はふわりと浮き、全身から雷を放つ。
褪せ人は、あれを勇人と呼ぶ女性がいたとこぼす。その仮面には見覚えがあった。角人側の切り札である獅子舞の面だ。これもまた神事で使われていたようだと、褪せ人は補足する。
獅子面の戦士は、俺たちに雷を吐き、その担がれた剣を薙ぐ。俺は岩の腕で防ぎ、地面を叩いて金色の火柱を戦士に浴びせる。雷には雷だと褪せ人は声高に言い、ベールの似姿を腕に顕現し、炎雷を叩きつけた。
戦士は怯まない。雷を纏った肩でこちらに体当たりし、休みなく攻撃を繰り出してくる。こうなれば力のぶつけ合いだ。
雷が吹き荒れ、角を宿した一振りが薙ぎ払われる。俺が攻撃を受け止めている間、褪せ人は攻撃をしながらも、戦士の動きをじっと観察していた。剣が人外の力を以て振られる。褪せ人は俺の前に出て、その攻撃を受け流した。体制を崩した獅子面の戦士に、褪せ人は暗月の大剣を叩きこむ。それがとどめとなり、戦士は姿を消した。
褪せ人の得意げな様子を褒めちぎりながらも、俺たちは責問官による光の螺旋での攻撃を掻い潜り、塔の中へと入っていく。褪せ人は途中から武器を変えて、姿を一瞬消す猟犬のステップでその空間を抜けていた。祝福に座るまで、この祈りは再び使えないのが辛いところだと、褪せ人は呟いた。
塔の中には、ミケラの十字が深く突き刺さっていた。それに触れれば、ミケラの棄てたものが心の中に浮かんでくる。
全ての恐れを、ここに棄てる
俺は思った。恐れこそ、生物が持つ危機管理能力だ。判断が鈍るか、それとも追い詰められてこそ真価を発揮するか。これを感じるから、人は選択できる。
必ず肉体にこの感情を戻してみせると、俺は誓った。幼子は、恐れてこそ成長するものだ。
螺旋塔の階段を上ると、途中で崩れている。俺は褪せ人を脇に抱えると、蛇綱を引っ掛けて進む。
最上階まで上がると、責問官たちが黄金の弧や灯火からの火炎で、俺たちを出迎える。褪せ人の聖杯瓶をこれ以上減らすわけにはいかない。俺たちは塔の外へと飛び出した。
階段を越えると、とてつもなく広い道に出た。奥には横幅のある建物が、進むべき道の先には獅子面の戦士がいる。褪せ人は肩を落として、膝に手をやる。流石に連戦は厳しいと言い、霊呼びの鈴を鳴らす。すると俺たちの目の前に、スライム状の霊体がしゅうしゅうと音を立てて出現する。これは写し身の雫だ。
写し身の雫は、褪せ人の似姿、戦鬼の鎧に身を包み、獅子面の戦士に向かっていく。俺と褪せ人は少し遅れて駆けだした。
獅子面の戦士は嵐を呼ぶ。砂埃が舞い、竜巻を起こす。戦士は踊るように写し身の雫を切り刻む。
俺は写し身の雫の間に滑り込み、褪せ人たちを庇いながら攻撃を繰り出す。先ほどまでの神降ろしとは桁違いだ。角の幻影を生やした剣を軽々と振り、褪せ人たちを吹き飛ばす。荒々しくも隙の無い動きを畳みかけられ、俺の体にも細かいダメージが入っていく。褪せ人たちは暗月の大剣を、俺は拳をそれぞれ戦士に打ち込み、減っているかすら分からない体力を削っていく。
獅子面の戦士が写し身の雫を掴み、竜巻を起こして浮かばせ、無防備な体を切った。叩きつけられた写し身の雫は、褪せ人と同じ声で呻き、消滅する。火力があまりにも高い。
苦戦している俺たちの横を、火球が通り過ぎた。それによって獅子面の騎士はわずかによろめく。
「戦士の壺様、褪せ人様!加勢いたします!」
聞きなじみのある女性の声が聞こえてくる。
セネサクスたちだ。竜の横に浮かんでいた銀の騎士が、その愛猪ごと獅子面の戦士に突っ込んだ。
暴と技量の併せ技によって、獅子面の戦士は消滅した。永遠に思われた戦いが、ようやく終わりを迎えた。
壺巫女たちとの合流に、俺たちは喜ぶ。セネサクスとガイウスには、先に建物の空で待機していてもらい、その他四名は俺たちについてきてもらう。
褪せ人は聖杯瓶を傾け、最後の一滴まで飲んだ。激戦は俺たちを疲弊させた。そろそろ休む必要がありそうだ。
階段を更にのぼり入った建物で、褪せ人は祝福だと歓声を上げ、部屋の中心に座る。褪せ人曰く、ここは清めの間の前室だそうだ。俺は気合いを入れるため、声を張り上げ、拳を突き上げた。
「皆の力で、神人ミケラを止めるぞ!」
トリーナはティエリエに、囁くように激励の言葉をかけていた。ティエリエはトリーナに深く跪き、必ず成し遂げますと誓っていた。オンジは部屋の外を見張っているようだ。油断を許さない、流石熟練の剣士である。
壺巫女は両手を組みながら、俺に言う。
「…生きてお帰り下さい。村の皆のためにも、この地でされた幾多の約束を守るためにも…。」
「ああ。必ず、いい結果を持ち帰る。どんと構えて待っていてくれ。」
褪せ人の休憩が終わった。他の面々も準備ができたようだ。皆を庇えるように俺が先頭になって、清めの間へと向かった。
清めの間は、真っ白な灰で満たされた大広間であった。その中心に、針の騎士レダがいる。
「きたか…ミケラ様に仇なす者たちよ。」
兜越しに鋭く視線を向けていくレダ。俺に対しては一番殺気が籠っていた。説得の言葉を発しようとしたが、有無を言わせぬ気迫に呑み込んでしまった。レダは褪せ人の方を向き、声を響かせる。
「フレイヤ殿に聞いたよ。君は王となる者として、ここへきた。ならば、当然ここを通すわけにはいかない。」
「…待っているぞ。」
レダは粒子を出しながら姿を消し、赤いサインを残した。褪せ人は協力サインを見る。アンスバッハ、純血騎士の名を思い出した、歴戦の老兵のサインがそこにはあった。
戦った後、彼女らの進む道に選択肢があるかもしれない。俺は全力で打ち合うことを決めた。
俺と、ティエリエ、褪せ人は、レダの敵対サインに手を伸ばす。最後まで忠義を貫き通す、彼女らの思いへ応えるために。