影の地
褪せ人は、必ず使うと話し、受け取った岩の指を懐にしまう。これは召喚サインを応用したものだ。意識は連続し、実体に近い状態で呼び出される。
そして再び月へ戻ろうとしている魔女ラニに、俺は声をかける。
「新たな王の伴侶、魔女ラニ殿。俺は戦士の壺。褪せ人殿の呼びかけに応えていただき、感謝する。お話ししたいことがあるのだが、よろしいだろうか。」
「…あの妙な物。お前が、私の王に渡したのだな。…褪せ人と共に戦ったのだ。聞くだけ聞いてやろう。」
「その寛容に感謝する。…貴殿が向かおうとする律について。この地や、狭間の地にとって良い案があるのだ。それを聞いていただきたい。」
俺は話した。俺の、この地での素性について。指の母を通して大いなる意志から、その記憶と知恵を受け取ったこと。また大いなる意志がこの地から完全に離れたことを。魔女ラニは話を聞きながら、冷たい威圧感を出していたが、俺が最後に話したことでその気配を抑えた。それは、律を完全に棄てることができるという話だ。
律は、神人が見出すもの。つまり、神人の性質や生き方と相互関係があるのだ。だからこそ、魔女ラニがスクリーン上で言った「律と共に、この地を棄てる」という文言があったが、完全には棄てきれない。結局は律の持ち主として、戻ってくる必要がある。年月の縛りが生まれるのだ。
魔女ラニは次代の神になることを望んでいない。汚く言えば、二本指が示す運命などくそくらえだと唾棄している。しかし、俺は考えた。俺の頭に入った大いなる意志の知見を調べ漁れば、二本指らや、この世界の理から完全に逃れさせることができるのではないか。
それが、律の融合だ。すでに掲げられている黄金律に加え、魔女ラニの冷たい夜の律、神人ミケラの優しい律、そしてその双子の神人マレニアが持つ腐敗の律。最後に俺が大いなる意志の知見を以て作り出す金色の律。これらをただの器に移すことができれば、それぞれが運命から脱却できる。俺が見出す律については、主のいない律だ。俺を人ではなく器と規定することで、形の無いそれを、エルデンリングなどと同じように保管できる。
俺は魔女ラニにこれらの事を話すと、人形の外に出た霊体の瞳を見張らせる。自由を求め、自分の人生を生きることを望んでいる魔女ラニからすれば甘言だろう。魔女ラニは、褪せ人とこそこそと何か相談し始める。少しばかり単語が聞こえてくる。指の母、大いなる意志、律。おそらく、褪せ人に俺の文言の真偽を確かめているのだろう。褪せ人は手振りを使って答えている。
しばらくして、話し合いが終わったようで、魔女ラニはこちらを向き直る。俺はその口から紡がれる返答を待つ。彼女は、スクリーン上でこうも言っていた。
「確かに見ることも、感じることも、信じることも、触れることも。すべて、できない方がよい」と。
だが、彼女は第一に、この地から離れたいという思いがあるはずだ。黄金律の信仰による対立や、破砕戦争の悲惨さからそう言っていた可能性があるが、俺は律そのものでなくても、何かしらの象徴は人々にとって大事だと考えている。巫子の村で求められた俺の中の液体のように、支えがあるからこそ安心して前に進めると思うのだ。
魔女ラニはふっと笑うと、挑戦的な視線を向けて言った。
「私は、律に縛られるつもりはないのだ。お前に出来るかな。神人であった私ですら難しかった、この運命とやらからの脱却を。」
「十分できる。何せ、この地を導こうと、外から干渉する意志はもういない。これからの道は、自らで、俺たちで作るのだから。」
「…誇大な言葉を吹かすのが、上手いやつだ。面白いじゃないか。」
この提案は、魔女ラニのお眼鏡にかなったようだ。また協力してもらうときがくるだろう。そのときはまた、呼びかけに応じてほしいと俺は言った。
「私の王の呼びかけならば、聞くだろう。褪せ人…再び見えるとしよう。それぞれの路が交わるまで。」
褪せ人は、魔女ラニに手を振ってしばしの別れを告げた。魔女ラニも褪せ人に小さく手を振り、ふっと姿を消す。彼女を呼び出すときは、褪せ人に言うとしよう。俺は褪せ人にも頼み込む。褪せ人は快く俺の願いを聞き入れてくれた。
針の騎士レダに、トリーナに囲まれたミケラは、ついに目を覚ました。ミケラは辺りを見回したり、小さな手を握ったり、裏返したりして戸惑いを露にしていた。
俺は警戒して、周りにいる仲間の様子を確認する。ミケラの魅了は強力だ。目覚めた時点で、意識に異常が出てもおかしくない。
しかし、皆の状態は平常であった。皆も戸惑っているようだ。トリーナが言う。もう一度死んだ時点で魅了の力は失われていると。なるほど、神人の死は大きな意味を持つようだ。
ミケラの頬に、トリーナの平手が飛ぶ。ぱしん、ぱしんと音が二回響いた。一瞬遅れて、ミケラの見開かれた目から大粒の涙が零れ出る。ミケラは大泣きを始めた。
ミケラは泣きながら、トリーナに言い訳を始める。妹の腐敗を治したかった。兄様に王になってほしかった。トリーナが悉くを切り捨てる。その結果、大事なものまで棄てては意味がない。わざわざ私まで、棄てていったと。人格は違っても自分同士であるからか、遠慮のない言葉がトリーナの口から発せられる。ここがだめ、皆のことを考えていないと、言葉でミケラを攻撃していく。ミケラの顔はもうぐしゃぐしゃだ。
俺は思った。色々なものを棄てたからこそ、あの超然とした態度であったのかと。これでは、まるで年の近い姉に叱られる幼子そのものだ。
モーグを支えているアンスバッハが大きく息をつく。魅了の力が無くなれば、ただの幼子ですかと小さくぼやいていた。
モーグもしばらくして目覚めた。モーグは、あのスクリーン上で見た彼とは全く違っていた。統治者としての余裕、知性に満ちたふるまい。褪せ人に対しても、乱心した自分を止めたことに感謝していた。
自身が殺されたのに、感謝できるような人物はいないだろう。褪せ人はきまりが悪そうに頭を押さえ、モーグと会話していた。
ミケラは途絶えることなく泣いているが、全員意識を取り戻したということで、それぞれの場所へ向かうことにした。モーグとアンスバッハはモーグウィン王朝に、フレイヤや、トリーナ一行は一旦巫子の村に。そして褪せ人と、同行しているメリナは、狭間の地での旅へ戻る。
俺はモーグの目指していた王朝の在り方を見たい。そのため別れ際に、モーグたちに話す。俺も、王朝の繁栄に出来ることがあれば協力すると。モーグは片方だけ見えるその目をほころばせ、歓迎の意を返してくれた。
雑談もそこそこに、祝福によるワープを行おうとしている褪せ人に、俺は言葉を残す。
「褪せ人殿、貴殿が善き王になれるよう、俺は全力を尽くそう!また共に旅ができることを、俺は楽しみにしている。」
褪せ人は話す。ラニが自分に対して、王の道を行くのに時間をかけても構わないと言っていた。じっくりとこの地を旅するつもりだと。たくさん召喚するつもりだから、貴公も覚悟しておけと彼は笑った。
俺も声を上げて笑う。またたくさんのものが見れる。他ならぬ、褪せ人と共に。
褪せ人が消えた後、モーグとアンスバッハを影の地の外へと送り届けた。光の柱によってヴェールを突き破り、開いた穴から王城ローデイルへと。ここからは自分たちで向かえると、二人は言い歩いていった。
俺たちも帰る。巫子らや、メスメルたち、生き壺たちが待つ村へ。俺や壺巫女の家族となった彼らに、無事を告げるため、セネサクスの背に乗って影の地へと再び舞い戻った。