聖樹の支え
褪せ人は影の地で行うことを全て終え、狭間の地にまた戻っていった。
俺はしばらく、彼の呼びかけを待つことにした。召喚される際、共に連れていくべき人があるためだ。記憶の世界に入っている時では、彼らを横に置いておけない。それはミケラとトリーナ、そして二人の従者に近い立場になったレダとティエリエだ。彼らも実体に近い鉤指として召喚されることになるため、ゆくゆくはそこへ生身で送り届けることになるだろう。
そう、最初に呼んでもらう場所は聖樹の支え、エブレフェールである。エオニアで咲いた巨大な花を共に見た褪せ人に、俺は訴えかけたのだ。腐敗の性質をそのまま残すことの危険性を。
一瞬にして朱い腐敗が土地一帯に撒き散らされる光景には、褪せ人も恐れを抱いていた。だからこそ、迅速に対応しようと、褪せ人は俺に返してくれたのだ。
秘割符と、吹雪で覆い隠された聖別雪原の先。厳重に秘匿された土地に向かうには、過酷な道のりを歩むことになる。セネサクスに乗せてもらうにしても、悪天候でだいぶ時間がかかるだろう。それに、今となっては肉体の幼さしか特性を持たないミケラを庇いながら、そこへ向かうのは至難の業だ。ミケラもトリーナも土地の在りかは良く知っているが、レダとティエリエが猛反対した。主君を危険な目に遭わせるわけにはいかないと。
確かにミケラの聖樹は樹の枝を渡って奥部へ向かう構造だった。敵対する生物も強い。足場が悪い場所を大勢で動くのは、やはり危険だと、彼らの話を聞いて再認識した。
爽快な旅というよりは、やらねばならないことになる。褪せ人はそのことに対し、難色を示さず言った。やり残したことを全て回収する。それが最後の旅路の目的だと。
俺の頼み事は、褪せ人の探索のついでだ。土地ごとの探索をし終えた後だろうから、時間は空くだろう。俺はそう考えていた。
日が数度回った。俺がもぎ取り再生させた部分の岩の指が、うずき始める。これは褪せ人に呼ばれている印だ。俺は村で思い思いに過ごす四人に向けて声をかける。
「ようやく…ミケラ様の悲願が叶うのだな。」
「戦士の壺殿。トリーナ様には、軽く触れる程度でお願いしますよ。」
レダは天を仰いで言い、ティエリエは俺とトリーナの間に入り込んで注意してくる。どちらも様相は違えど、主君を想った言葉だ。
ミケラは、マレニアが褪せ人に倒されていることをさっき知ったらしく、マレニアが敗れて、咲いてしまっているなんてと呟きながら、顔を青ざめさせている。トリーナはよく村の皆から話を聞いていたので知っており、半身の背中を擦りながら、気分をなだめる。
トリーナはミケラに囁きかける。私たちの妹は、必ず元に戻れる。信じましょう。
「貴殿ら、しっかり掴まっていてくれよ!」
俺は、トリーナが俺の指を掴んでいること、ミケラが俺の正面に張り付いていること、レダとティエリエが俺の側面に手を当てていることを確認し、褪せ人の呼びかけに応えた。
意識が別の場所へと飛ばされるのを感じる。視界がしばし暗転し、元に戻る頃には、無数の花が水場に咲く場所へとやってきていた。
水場の真ん中には、褪せ人と朱い腐敗の花があった。ミケラが涙を流しながら、その花に向かって駆けていく。レダがミケラの後を追った。花の前で崩れ落ちるミケラに、褪せ人が居心地悪そうに頭を擦る。
エブレフェールには祝福の導きこそないが、マレニアは大ルーンを持っていた。そして彼はミリセントのことを以前俺に話してくれた。祈祷室にて、ミリセントが語ったマレニアへの想いを。彼がミリセントと話したのはそれが最後らしいため、まだミリセントは、姉妹たちとの戦いを行っていないようだ。
友であるミリセントのために最奥部へたどり着いたのだから、マレニアを倒したことに対して非はない。
俺は召喚を行ってくれた褪せ人に話しかける。
「指を使ってくれてありがとう、褪せ人殿。そこに咲く花が、神人マレニアだな?」
褪せ人は手を振ると、頷く。俺は再び感謝を述べると、朱い花に手を当てた。金色の粒子を炎状にし、花にそれを広げる。ミケラが俺の腕を掴んで止めようとする。私の妹を燃やすなと、非力な手で。
「言っただろう。俺は大いなる意志の、特殊な落とし子。この金色は生を祝福するのだ。例えどのような形になってしまったとしても、生を望むのであれば。」
レダがミケラを抱き留める。トリーナとティエリエも二人に近づき、朱い花が金色に染まるのをじっと見つめ始めた。
朱い花は金色の粒子に変わって、先端から宙に溶けていく。花が無くなるにつれ、中心に蹲るようにして倒れる女性が露になってきた。赤髪の、綺麗な女性だ。横で見ていた褪せ人が、腐ったところが元に戻っていくと言葉を漏らした。
女性の額から目にかけてを埋め尽くす深い腐敗の痕は、腐敗を体内から逃した影響で治療が進んでいく。俺はマレニアを抱き上げ、粒子の放出を高めた。
彼女は生まれ持って腐敗を宿している。しかし、それが生き物に豊穣を与える性質に変えられれば。聖女ロミナを変えたときの感覚や、大いなる意志の知見を使って、体内の性質を詳しく分析していき、その性質の源を探し当てる。見えた。俺はすかさず、それに向かって粒子を使っていく。
生を蝕む朱色のそれが、黄土色へと徐々に変化する。植物や微生物といった、あらゆる生物を支える物を育てる養分。分解者としての性質を彼女の表層へ浮き上がらせた。
俺はマレニアをゆっくり水面に下ろす。ミケラがその小さい手でマレニアを支えた。マレニアの体から地へ、花園が広がっていく。それは腐敗の花ではなく、水面に咲いていた白い花々であった。
マレニアをしばらくの間介抱していると、彼女はぼんやりと目を開いた。彼女の視界には、ミケラと褪せ人が大きく写り込んでいる。
「兄様…戻ってきてくださったのですね…。約束は、果たされたのですか…。」
夢現な様子で、彼女はミケラの頬に左手を持ち上げる。腐れ落ち無くなった右腕も生え、鎧も潰れた故に一糸纏わぬ姿で彼女は囁くように言った。ミケラは五体満足になったマレニアに対し、ただ涙を流していた。半身であったトリーナも水面に膝をつき、マレニアに抱きついた。
レダは座り込んだ状態で、呆然としていた。
「これが、戦士の壺が言った…大いなる意志の奇跡…。」
「上手くいったようだな。ああ、向こうにも花があったか。」
褪せ人が入口の方を指す。そして、朱い花がもう一つあることを俺に伝える。
そういえば、誰か分からない、おそらく分け身の一人が咲いたものがあったことを、俺は思いだす。
ここは双子と、その従者に任せよう。俺は褪せ人の案内についていき、樹の根が侵食する建物内を進んでいった。
部屋の中へと入った。エオニアの蝶が、マレニアのものより小さいそれの周りを、羽ばたいている。
褪せ人は、ここで衣類を拾ったのだと話し、旅の服と呼称される衣類一式を俺の前で広げた。確か、メリナも同じ意匠の服を身に纏っていたはずだ。彼は、花から人に戻ったらこの服を返そうと言った。
俺は、マレニアにしたのと同じ要領で、金色の粒子の炎を撒く。赤髪の、褪せ人と同じくらいの身長である女性が姿を現した。彼女は息を吹き返し、ところどころ包帯の巻かれた体を上下させる。包帯の下を見たが、腐敗の痕は除去できている。俺は名も知らぬ彼女を担ぐと、ミケラたちの元へ戻った。
水場を歩いていくと、起き上がれるまで力を取り戻したマレニアが、俺たちに話しかけてきた。ミケラとトリーナは笑顔を浮かべて、マレニアと話していたが、一度それを止め従者たちと会話を弾ませる。
「貴公が、王の器…いや王となる者か。そしてそちらの壺が、私を治した…。貴公らよ、感謝する。」
マレニアは頭を下げてきた。彼女は聖樹の根をちらりと見て、続けた。
「長い、夢を見ていた。腐敗で蝕まれ、消えていく記憶の中で…兄様が帰ってくるのをずっと、待っていた。」
「兄様は、恐ろしさを無くした。兄さまとの約束を果たせずとも、こうして優しさを見せている。真なる優しさが、これからの聖樹を導くだろう。」
腐れ病は体だけでなく、記憶をも壊す。しかしマレニアの性質を変えたことで、その記憶も戻ってきたようだ。はきはきとした口調で、彼女は言葉を紡ぐ。
俺はミケラを見た。トリーナと共に、この先の未来を語り、今日の晩御飯は何かといった他愛無い話までしている彼の姿を。
最初に会ったとき、彼は自らの性質に依存していた。肉体を棄て、優しささえ一時内から離れた彼だが、今となっては料理を手伝ったり、生き壺と友好を深めたりして、村の皆と上手くやれている。見た目未満の精神性だったものから、徐々に思いやりを身に着けているのだ。
幼子の画策は、多くの被害を生み、無為に命を奪った。本来ならやり直しのきかない、大きな罪を背負っている。だが都合のいいことに、ある程度を直し、再出発できる。生を求める者に、金色の祝福を施すことによって。
その再出発には、最後の神人の力が必要だ。俺はマレニアに手を伸ばした。
「神人マレニア。俺は、この地を生きる者に豊穣を享受してもらいたいと考えている。そのために褪せ人殿に協力してもらっているのだ。だから、貴女にも協力してもらいたい。自身の内に律を持つ、貴女の力が必要なのだ。」
「…兄様が喜びの内にあること、これで私の使命は達せられた。力になろう、優しき世界のために。」
マレニアは褪せ人と俺の手を掴んだ。ミリセントやその姉妹たちとして切り離し、欠けてしまった感情が、今完全となった。マレニアは、人情に篤い本来の人格を取り戻したのだ。
褪せ人は、友ミリセントそのものだと呟く。俺の視界にも、マレニアとミリセントが重なって見えた。
その後俺は、マレニアと褪せ人についてきてもらって、聖樹に残る朱い腐敗の性質を変えるために隈なく歩き回った。ミケラも配下の様子を見るためについてくる。
ここは双子のホームだ。攻撃されることも無いだろう。
治した欠け身の一人は、トリーナたちに見ていてもらうことにした。マレニアとその女性に、褪せ人が衣類を手渡し、それを着てもらった。今のマレニアは無地の布の服を身に纏っている。
沼を見つけたら金色の粒子で浄化し、植物のよく育つ土壌へと変化させる。その繰り返しだ。
マレニアには、腐敗の眷属との対話を行ってもらうことにした。腐敗を拒んだ彼女だが、ロミナのことを俺は伝える。腐敗の女神になった後でも、眷属らを愛し、他者との共存を図ろうとする聖女のことを。
「影の地か…そのような場所にも、腐敗の呼びかけは響いていたのだな。…生命に罪はない。貴公の望むように、彼らと話そう。」
祈りを捧げる腐敗の眷属たちに、マレニアは声を張り上げて宣言する。私は、皆を捨てるつもりはない。聖樹に集う者として、その存在を受け入れると。
腐敗の眷属たちは、じいじいと鳴きながら、更に深く祈った。彼らにとって朱い花が咲くことは喜びだ。しかし、それは喜びの一つに過ぎないのだろう。腐敗の女神であったマレニアの、寛容の内に入れられることは最大の喜びだったようだ。自分たちのルーツが、眷属や蟲以外にも利になるものに変わる。これもまた、彼らにとって望んでいたものであったようだ。
白から黄土色に体色の変わった眷属たちは、新しい腐敗の在り方を取り入れるために、土壌から咲く花々を眺め始めた。
エブレフェールを守る聖樹軍や貴腐騎士たちに、ミケラの帰還とマレニアの復活を知らせていく。ミケラは統治者としての立ち振る舞いを以て、彼らに話していく。私たちは、この聖樹を腐敗から解放し、この樹の元で影の地との協力関係を結ぶと。
俺はミケラの思惑について尋ねる。ミケラは言った。愛するを強いることよりも、もっと確実な在り方。それを村で過ごす内に理解できたのだと、彼は無邪気に微笑む。その後、俺たちから顔を背け、見た目相応の悪戯小僧めいた笑みを浮かべる。
何か含むものはありそうだが、その企みは幼子の範疇に収まることを、俺は感じていた。彼は他者の温かさを知ったのだから。
聖樹を守る人々に顔を見せ終わったところで、エブレフェール近くの、聖樹と地を覆う腐敗の除去が完了した。残るは、ミリセントと姉妹たちだけだ。俺は自身の記憶頼りに、ミリセントがサインを書くはずの場所へ向かった。
褪せ人が道中、ここで腐敗した樹霊を倒したことをぽつりと言葉に出した。俺は褪せ人にどんな些細な情報でも欲しい旨を伝えていたので、その有用な情報に心の中で感謝した。
腐敗した樹霊が飛び出てくる場所がここならば、ミリセントはすぐそこだ。俺は先ほどまで朱い腐敗の溜まっていた地に蛇綱を伸ばした。
褪せ人は声を上げ、そこに立っていた人影に接近する。マレニアが付けていた義手にそっくりな、貧金のそれを身に着けた女性だ。彼女は、似た服装の四人の女性と相対している。一触即発の雰囲気だ。
俺は抱えていたミケラを降ろし、マレニアを呼んだ。
義手を付けた女性、ミリセントは、腐敗を除かれたマレニアを視認し、眉をしかめてからあっと声を出し驚いた。四人の女性も、得物をぷらりと腕から下げ、神人二人の姿を目で追っている。
「…貴女は、マレニアなのか。…不思議だ。腐ったはずの貴女が、腕までも治り…ここら一帯の朱い腐敗が無くなっている。もしや、君が?」
「私が、迷いと共に切り離した欠け身たち…。こうして生きていてくれたとは。」
褪せ人は、俺を手で示し、治療はこの戦士の壺が行ったと、ミリセントに説明する。俺はずいと、体をミリセントと姉妹たちの間に持ってきて話す。
「褪せ人殿の友…ミリセント殿か。俺は、戦士の壺。貴殿らの腐敗を変えに来た。」
「腐敗を…変える?」
「今から見せよう。…そちらのご婦人たち!武器を一旦置いてくれ!」
俺は、困惑している様子のミリセントの体に手を触れる。金色の粒子で彼女の体を包み、進行した腐敗で崩れた体を治すとともに、性質を変換する。ミリセントは声を上げようとしたが、瞼が下がり俺の腕に倒れ込んでくる。俺はミリセントを褪せ人に預けると、彼女の姉妹たちへ体を向けた。
姉妹たちは目の前で起こっている状況についていけていないようで、武器を地面に落として呆けている。俺はその隙を狙って、一人一人に金色の粒子を使っていく。彼女らは慌てて戦闘態勢を取ろうとするが、なまじ鍛錬を積んではいない。武器を拾われる前に、素早く寝かせ無力化する。
ミケラが少し怯え始めた。ラダーン将軍におぶさって戦った時のことを想起させられた旨を俺に伝え、口を尖らせる。
ミリセントとその姉妹、計五名を担いで、来た道を戻り、俺たちはトリーナたちと合流する。花となっていた女性はとっくに目を覚ましており、俺たちを迎えてくれる。
彼女は、マレニアが木の根の元で意識を失う前に切り離された、欠け身だったという。旅する前に咲いた彼女は、エブレフェールの外を知らず、ただ腐敗に抗えなかった無垢な女性だった。
トリーナやレダたちの話を聞いて、外の世界を見てみたいと瞳を輝かせながら、俺に話した。俺は彼女に対して、褪せ人が王になった後、村へ皆で遊びに来てもらいたい旨を伝えた。
目的を果たした俺たちは、鉤指としての役割を終え、体が半透明になっていく。今後の予定としては、まず褪せ人とマレニアで欠け身たちを介抱し、聖樹の方へ通達をするそうだ。ミケラの帰還と、聖樹に仕える者たちがこれから進む道について。
ミケラとトリーナは、もう一度マレニアを強く抱擁する。そしてまたすぐに会いに来ると、一時の別れを惜しみながらも、笑顔で手を振る。
神人の復活と、エブレフェールにある腐敗の除去は行えた。だが、念には念を入れよう。記憶の世界で考えた、根本からの変換だ。
俺は消える前に、褪せ人へ伝える。腐れ湖、腐敗の神性が封印された地で再び相見えんことを。