俺は村でゆったりとした時間を過ごしていた。大方懸念していた事柄は解決できたからだ。俺は思考を巡らす。外なる神の干渉は、ほぼ存在しない。大いなる意志はもうこちらを観測しておらず、腐敗の神は端末を封じた。悪神は火の巨人を最後にこの地を去っている。残るは三柱だけだ。
だが真実の母そのものは、動きを見せていない。また死の神に至っては障害とはならない。寧ろ、死に生きる者を時代に組み込むべきだと俺は考えている。
つまり人の時代を築き上げる上で、邪魔かつ危険なのは狂い火だけだ。念の為ミケラの作った巨大な針は持っておくが、腐れ湖のときのように複数人で召喚に応じることはもう無いだろう。
フレイヤやミケラは、狭間の地に戻るのを心待ちにしており、時折そわそわしながら日々を過ごしている。反対にトリーナは、落ち着いている。この間話を聞いたところ、エブレフェールを拠点にするつもりはないことを伝えられた。トリーナは言った。私は、深き眠りを信者たちや泥濘に与えたいのだと。彼女は、既に自身のやりたいことを明確にしていたのだ。
泥濘は、死に生きる者に近い。深き根の底や、霊廟に沈められた魂無きデミゴッドにも行く行くは関わってもらいたいと俺は思い、その旨をトリーナに伝えておいた。
彼女は儚げな笑顔を向け、もしゴッドウィン兄様と協力できるならと、俺に期待してきた。トリーナとミケラは、ゴッドウィンと年の離れた友であったそうだ。魂が殺されても尚、俺が行ってきた奇跡によって蘇ることができると、彼女は信じていた。俺は彼女の期待に応えるため、頭の中にある大いなる意志の知見を、隈なく漁る作業に没頭した。
表面上は動きが少なくとも、頭の中は大忙しな日々を送った俺は、指がうずくのを感じた。前回の召喚から、だいぶ時間が開いているので、気分が高揚してきた。
知見を漁るのは、一旦置いておこう。気分転換も大切だ。
俺は村の皆に、しばらく留守にすることを伝えた。これで村に残る俺の肉体は、ただの壺のインテリアだ。俺は、褪せ人の呼びかけに身を任せた。
取り戻した俺の視界は、白一色だ。褪せ人の言葉と、元々持っていた知識で、ここが巨人たちの山領であることを理解する。俺が足を付けたところは緩やかな坂になっており、辺りを見渡すと、巨大な窯が聳え立っていた。本来はあの窯の縁で、メリナと永遠に別れることになるのだなと少しブルーな気持ちになる。
褪せ人は、ケイリッドでの出来事を事細かに話してくれた。ラダーン将軍との雑談が盛り上がったこと、その彼に手合わせをしてもらい充実した時を過ごしたことを。褪せ人は、ラダーン将軍の強さを何度も称えた。ケイリッドでの話は楽しく、あっという間に時が過ぎる。
そして楽しい話が終わり、褪せ人は思い出したように、良い知らせがあると俺に言った。あの窯に上れる鎖があって、探索してみたらアレキサンダーがいた。ようやく貴公を会わせられるぞと、俺の岩の腕を軽く叩きながら、彼は笑う。
俺の頭の中が、パチパチと弾けるような感覚に見舞われる。アレキサンダーがいる?本物が?夢ではないよな?
俺は壺の正面を掌で押さえ、ぺたぺたと触る。壺だから表情筋はないが、人の身であれば絶対に口角が上がりきっている。
「褪せ人殿…ありがとう。沢山お礼を言いたいのだが、これしか言葉が見つからないよ…。」
俺は褪せ人の手を握って、心の底から感謝を伝えた。こんなご褒美があっていいのだろうか。俺は幸福を噛み締めながら思う。この世界に来れて、本当に良かったと。
鎖を縦に並んで上り、縁に立つ。褪せ人は窯の中を示し、あそこだと教えてくれた。確かに窯の底には、灼熱の赤色と壺らしきものが見える。窯の斜面は急であり、褪せ人は落下死してしまうだろう。これでは下まで辿り着けない。俺は褪せ人を近くへ招く。
「ここは俺に任せてくれ!俺の上に乗ってくれればすぐだ!」
褪せ人はサムズアップをして、屈む俺に手を当てる。
俺は強化した蛇綱を用い、窯の縁を噛ませる。そして壺の蓋に褪せ人を乗せ、俺たちはゆっくりと下降していった。
足場に近づくにつれ、滅びの火の熱を褪せ人が感じ始めた。ぱたぱたと掌で額を仰ぎ、体力の削られる暑さだと褪せ人はこぼす。俺は絶えず金色の粒子を出して、褪せ人の体力を回復していく。
声が聞こえてくる。親しみを感じる、低い男性の声だ。
「ぬおおおおおうっ!滅びの火よ!我、アレキサンダーを焼くがよい!」
聞き覚えのあるセリフが、目の前の大きな壺から発せられている。褪せ人が、壺に対して大きく手を振り声を張り上げた。腕の組んだ壺が、こちらを向く。
「…おお。貴公、久しいな!先だっての戦い、見事であった!」
その壺、鉄拳アレキサンダーが褪せ人に言葉を返す。アレキサンダーの表面は火に包まれ、そのためか頻繁に唸り声を上げている。本物だ。本物のアレキサンダーが、今目の前で焼きを入れている。
感極まって黙っていると、彼がこちらに気づいた。
「そこの貴公!貴公もすさまじいな!その、滅びの火を意にも介さない体。さぞ鍛えたことだろう!」
「俺は戦士の壺、鉄拳アレキサンダー。貴公の名は?」
こうして声をかけられることが夢のようで、言葉が詰まりそうになる。俺は彼を参考にし、そして今となっては自然と染み付いた話し方で、彼に名乗る。
「俺は…戦士の壺!そう名乗っている!」
滅びの火での焼きを一先ず終え、アレキサンダーは窯の上へ戻ってくれることになった。俺は褪せ人とアレキサンダーをしっかり固定し、窯の急斜面を蛇綱で上がっていく。
縁に付き、鎖を渡って、火の巨人がいた場所まで来た。
褪せ人は、この山領に再び来たわけをアレキサンダーに話した。王になる前の、最後の旅路だと。彼は腕を組んで、褪せ人の話をじっくり聞いている。
「あの神のごとき巨人を倒し、その先を見据えているか…!英雄と見込んでいたが、それ以上の大英雄よ!」
褪せ人はアレキサンダーの称賛を受け、照れながら続ける。同行者である俺の紹介と、影の地での旅路について。俺はごくりと無い喉を鳴らし、アレキサンダーに話しかける。
「アレキサンダー殿について、俺は前々から褪せ人殿に話を聞いていてな。勇ましき戦士の壺が、友であると。今この時、貴殿に会えたことが嬉しくてたまらないのだ。握手をお願いしても、いいだろうか。」
「もちろんだ!正気のラダーン将軍と戦い、見事勝利するとは…!生まれは違えど、同じ壺として誇りに思うぞ!」
固い岩の手同士を近づけ、俺とアレキサンダーは握手をする。力強い手だ。この拳で、ラダーン将軍や火の巨人に立ち向かったのだと思うと、ぐっと気持ちが零れ出る。
俺はアレキサンダーの体をまじまじと視界に入れた。戦祭りで大きくひび割れ、火で焼いて塞ぎ直したキズ跡だらけの壺。戦いの勲章である。しかし滅びの火で表面を焼いても、この跡が割れる原因を作るかもしれないと思うと、どうしても余計なことをしたくなった。
「アレキサンダー殿、お願いがある。その体、少しばかり直させてはくれまいか。」
「貴公?お、おおお…?」
俺は手に金色の粒子を出してアレキサンダーの表面に触れ、そのキズ跡を修復していく。キズ跡は俺がなぞった傍から無くなり、見た目は新品同然となった。
アレキサンダーはしばらく固まっていたが、俺の肩をばしばし叩いて笑った。
「なんと…つるつるになってしまったぞ!すごいぞ、貴公!ハッハッハ!」
「気に召して頂けたか…!」
「ああ、ありがとう。これでもっと、この器のまま強くなれるよ。」
アレキサンダーに礼を言われ、俺の意識が吹き飛びそうになる。温和な彼だ、怒りをあらわにはしないだろうと踏んでいたが、喜んでくれるとは。俺は平静を取り戻すために、腕を組んで瞑想を始めた。
再起不能になった俺の傍で、褪せ人と俺が今行っていることを話す。俺が大いなる意志の力を受け取り、その力でデミゴッドや死を望まぬ者を蘇らせて回っていることだ。そして、人のための律を構想していることを話してくれる。
「神そのものの力か。俺には想像のつかない話だ。」
「アレキサンダー殿、俺は守るための力をつけている。戦士の在り方には遠いが、それでも心は、貴殿や褪せ人殿のように勇ましくありたい。そう考えている。」
「いいや、戦士の壺はそれぞれだ。俺も、貴公らの話を聞いて奮起させられたよ。英雄になるための道は、まだまだ遠い。もっと焼きを入れなくてはな…!」
アレキサンダーは、自身の壺の中心を叩いて言った。彼の声の調子は明るく、ひたむきに戦士として力を高めていくことを決意していた。その真っすぐな性根が、俺の心を打つ。
彼は俺の導きだ。こうして会って言葉を交わし、その導きは更に深く刻まれた。
それにアレキサンダーは、俺を戦士の壺として認めてくれた。生き壺になり、戦士の壺を騙った俺が、本当の意味でこれから戦士になれる。そんな気がした。
俺たちは戦いの話、旅路の話を語り合い、和気あいあいとした時を過ごした。真の戦士の壺であるアレキサンダーの話は、俺の戦いに活かせる部分もあり、しっかりと記憶しておく。
またアレキサンダーと軽く手合わせを行った。地面を揺さぶる技や、炎を纏った突き上げは、確かに彼を英雄まで押し上げることができるだろうと、壺の表面で感じる。
この談話と手合わせは、俺がこの世界に来て最も幸せな時間だった。
日も暮れ、夢のような時間は終わりを迎える。アレキサンダーは、再び窯の中で焼きを入れるとのことだ。俺たちとアレキサンダーはお別れをすることになった。
俺は追い縋ってアレキサンダーを引き留めたい気持ちをぐっと堪えて、彼に手を振る。
戦士とは孤独なもの。アレキサンダーはそうある武人なのだから。
「アレキサンダー殿、会えて嬉しかった!貴殿の修練の旅路に、祝福があらんことを!」
「ああ、貴公もな!お互い戦い抜き、再び試練の前で会おう!」
褪せ人とアレキサンダーも言葉を交わす。王城ローデイル、その王の座の前にて会おうと。
褪せ人は、自らの試練をアレキサンダーに話した。王となるための最後の壁、英雄ラダゴンとの戦いについてだ。褪せ人はマリカの真実を知っている。だから、黄金律を重視するラダゴンが戦いを挑んでくることを読んでいるのだ。俺たちは、狭間の地で英雄になるために、これは最も良い試練となることを力説し、アレキサンダーは一緒に戦うことを快諾してくれた。
あのアレキサンダーと肩を並べて戦える。まだ先のことであるのに、闘志が湯水のごとく湧き出でてくる。
そして俺は最後に、アレキサンダーと両手で握手をしてもらい、物々交換を行った。アレキサンダーが手慰みに作っていたという二つ目の壺頭と、影の地に向かえる耐火性の地図をそれぞれ渡し合ったのだ。
俺は金色の大壺による鍛錬が、必ずアレキサンダーの力になると話した。強者の記憶への対峙は、彼を英雄へと導くだろう。
アレキサンダーの旅路は、道半ばで終わらない。彼はもっと高みへと行けるのだから。
俺は貰った壺を大事に抱えながら、褪せ人と目的を果たしに向かった。黄金律の仕組みを誰よりも識る、厳格なる探究者の元へ。