皆はクモという生き物を知っているだろうか?
どんな相手だろうと絡みとる巣を張り獲物を待ち、踏み込んできた相手は何であろうと自由な抵抗すら許さず全てを制。した上で蹂躙する。その捕食シーンの忍さに嘔吐感を覚えることも少なくない。
言峰綺礼という人間はそういう類の悪魔だ。いつの間にか相手を自分の手のひらの上に載せて弄び、飽きるまでとことん使い潰す。相手は知らぬ内に内側を見抜かれ、大事なところを踏み荒らされるのだ。
記憶はほとんどないがその底無しの悪意は身体が覚えている。
ーー吐き気がする。
私、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン、通称エリヤは底知れぬ嫌悪感とともに街を横切る冷たい風の中を歩いていた。
「むう……」
苛立ちは簡単には消えてくれない。
教会を出てからもう20分は経とうかというのにたった鳥肌は消えないしあの見るのも嫌な昏い笑みが頭を過ぎるのだ。
元来私はさっぱりした性格だと自己分析していたのだがどうやらそれはどうしようもない間違いだったらしい。
さっぱりなんてしてない。今ならいつまでもあのエセ神父…これは凛の受け売りだけど…の悪口をいつまでも言っていられそうだ。
「ねえ士郎あの子いくらなんでも機嫌悪すぎない?そりゃあいつにあって気分の良い人なんていないとは思うけど……」
「まあ機嫌が良くないのは俺も同じと言えば同じだけどな…エリヤはみた感じせいぜい女子中学生か高校生に成り立てくらいの女の子だろ?しょうがないと思うぞ」
どうも士郎が失礼なことを言っているみたいだけど今は見逃して上げよう。
なんでかというと落ち着いた素振りを見せてはいるが実のところ私よりも士郎のほうがよっぽど気分を害しているだろうし、中に踏み込まれ、荒らされているからだ。
士郎のことをほんの少しだけ、しか理解していない私ですらサーヴァントと人間の筋力差など関係なくぶん殴ってやろうと思ったのだ。
本人がどのように思ったかは私が推し量れるレベルを通り越している。
心中お察しする、なんて言葉はそれこそ死んでも使えない。
ーーそれでも感謝しなきゃいけないってのは癪だけど……
思い出すことでまた沸騰しそうになった頭を落ち着けて今日聞いた情報を整理することにしよう。
わざわざあんな虫酸の走る空間の中を我慢してまで得た大切な情報だ。活かさなければそれこそ何のために耐えたのか分からない。
いくつか重要なことがあったがまず一番大事なこと。
とりあえずこれから起こる……もう起こっているか、聖杯戦争は私が生前イリヤとして挑む、挑まされた第五次聖杯戦争であるということだ。
記憶が大分薄れているせいでこれから~が起こるかわかる~なんてチートくさいことはは出来ないが私の中で1つの目的が芽生えた。
「この衛宮士郎を絶対に守りきる」
最初から士郎である以上またもや乗り掛かった船、そのために戦うつもりではあったけどこの訪問でよりはっきりした。
平行世界というものは無限に存在する。同位体として世界の中では同じ位置に立つ1人の人間でも全く別の人格をもち違う人生を歩むように。
だからこそ一つの可能性があった。それは今私の後ろを凛と並んで歩いてくる士郎は真っ直ぐに進めば「彼」になる可能性がない士郎という可能性だ。
もしもそうならば、私がやることなどありはしない。ただ彼の剣として戦いその結果を受け入れるだけ……もちろん勝つ気しかないけど。の予定だったけどどうやらそういうわけでもないようだ。
恐らく一歩でも踏み間違えればこの士郎はその壮絶な人生の後に彼となり、どうしようもない修羅の道を行くことになるだろう。彼を救いたい私とすればそんなことを許すわけにはいかないのだ。
そしてとある可能性が浮上する。ほんとうに、ほんとうに小さな可能性だけど…士郎を救う事で彼の誕生そのものを防ぐことができるかもしれない。
過去の改竄程度では難しいかも知れない。けれどもここが彼や私が通ってきた直系の過去だとしたら?その道が広がる可能性はあるはずだ。そして違う道を歩んだ衛宮士郎という存在がこの世界に生まれれば矛盾が大きくなり、彼を苦しみから解き放つことも出来るかもしれない。
砂漠の中から一粒の米粒を見つけ出す程度のものだけどやる価値はある。
命だけじゃない。人としても救ってみせる。
「そんで後は……お父さんのことか。私の脳裏に焼き付いてるのは子煩悩な父親の姿だけだし」
つぎに頭に浮かんだのは思い出すことすらほとんどなかった父親、衛宮切嗣のことか。
楽しいことなんかほとんどなかった寒くて白い雪の城の中、母であり第四次の聖杯戦争で命を落としたらしい母親。そして切嗣だけが世界の全てだった。
その切嗣が私を裏切ったと聞かされたときは一体どれだけ憎み、呪ったことだろうか。幼かった私の胸の中がどす黒く染まっている感覚を今でも覚えている。
その裏切りが私の聞かされたものとあの神父が語ったものでは明らかな隔たりがあるのは気になるけれど。
そうだ。せっかくだから後で士郎に衛宮切嗣という人間のことを聞いてみよう昔の私にはそんなことを考える余裕はなかったけど今はそんなことはない、父親がどういう人間だったのか、知っておいて損はないというものだろう。
「……まああの神父の話の通りだとするなら蛇がでるか鬼がでるかわかったもんじゃないけど」
私の父親としての衛宮切嗣、士郎の命の恩人にして義父の衛宮切嗣……そして魔術師殺し、聖杯戦争を最後まで生き抜いたマスターとしての衛宮切嗣。
その本当の姿を知りたいと思った。
「それにしても驚いたわね。まさか衛宮君が前回の聖杯戦争の被害にあってたなんて。」
「俺もあの火事がそんなことが原因だなんて聞いて驚いてる……だからこそもう絶対にあんな事を起こさせない為に俺は闘うって決めたんだけどな。」
力強く語る士郎を凛はなにか複雑そうに見つめていた。
【遠坂たるもの優雅たれ】
こんな家訓を掲げこの土地の管理者にして由緒正しい魔術の名家の後継者である凛からしてみればいくら聖杯戦争と言えど魔術行使によって大量の一般人が死に追いやられた、というのはあまり気持ちの良い話ではないのは確かだろう。
その上自分の父親も参加していたのだから、10年前の聖杯戦争が集結する際に起こった大火事ですらも管理者としての遠坂の責任、ひいては自分の責任と感じ負い目に思っているのかもしれない。
「なーにしけた面してんのよ凛」
「な、そんな顔してないわよ!どちらかというとさっきまでのあなたのほうがそんな感じだったじゃないの!」
「今はもう違うもーん、だ!そんなに眉間にしわ寄せてるとすぐにお婆ちゃんになっちゃうんだからねー」
「こ、こんのー!待ちなさいエリヤ!一度バチっとお灸据えてやるんだから!」
「へへーん、捕まらないよーだ」
ピョンっと士郎の肩に跨がり見下すように挑発する。すると予想通りの反応を凛は見せてくれた。
ガーッ!という風に顔を真っ赤にして襲いかかってくる凛からクルクルと逃げ回る。
……うん、こんな挑発に乗ってくれるなら大丈夫かな。
彼女が中途半端な同情を嫌うのは嫌というほどよくわかっている。全くめんどくさいんだから。
そんな懐かしさに似た感情を覚えながら私は凛との鬼ごっこを続けるのだった。
「ちょっ……2人とも……くるしい…」
「「……あっ」」
そんなときすぐ近くから聞こえるくぐもった呻き声にパタリと2人とも動きが止まる。
しまった。私が逃げ回るのに柱として利用していた士郎の身体は何時の間にか私達2人の手によってがんじがらめになっていた。
ーーーーー
「それじゃあ私はここまでね。申し訳ないけど後は二人で帰って」
「え?」
新都、と呼ばれる高層ビルや繁華街の建ち並ぶいわゆる都市群へと続く道と、士郎の家もある住宅街、深山町へと続く道の二つに分かれる交差点で凛はそう告げた。
その言葉には明らかに違う意味も籠もっているように私には覚えたのだがそれに気付いていないのか士郎はすっとんきょうな声を挙げている。
だから鈍いと言われるのだ。
「え?……て。何をそんな意外そうに」
「いや、遠坂も帰るまでは一緒だとばかり……」
「あなたの家まで行くって?はあ、あなた、根本的に勘違いしてるみたいね…」
凛は参ったな、と頭を抱える。そうしてどうしようかと数秒考え込んだ後に上げた顔はつい先ほどまでの少女としてのそれではなく、冷徹な魔術師としてのそれだった。
「あのね、衛宮君。分かってると思うけど私達は敵なのよ?なんで今教会に連れて行ってあげたのか全くわかってないみたいね」
「……っ!」
流石に気付いたか、殺気に近いものに当てられて士郎が一歩後ずさる。
……うんうん、ちょっと可哀相な気もするけどこれくらい危機を感じる事があっても良いだろう。今でこそ穏やかだがこの聖杯戦争は日常からはかけ離れた殺し合いなのだ。士郎はいくらなんでも危機感がなさすぎる。ランサーに殺されかけたことなどもう忘れてるんじゃないかと思うようないつも通りっぷりだ。
「肝が座ってる、とも捉えられるんだろうけど……」
とりあえずここは静観しよう。自覚があるのかどうかは知らないけれど凛は士郎に大切なことを教えてくれようとしている。ここは心を鬼にして焦っている士郎を放っておく。
「なっ……」
「いい?私があなたを教会に連れて行ったのは、あなたがまだマスターじゃない……言うなればまだ敵にすらなれていない状態だったからよ。今のあなたはもうマスターで、私もマスター、これをただの敵以外になんて言うのよ?」
「それは……そうだけど」
「だからここでお別れ。感謝しなさいよ?正直あなたを殺して令呪を奪うなんて簡単なことなんだから、それをしないのが私からあなたへの最後の餞別とでも思いなさい。……やることもあるしね」
「やることだって?」
殺す、という言葉に一旦たじろいだ士郎だったがその後に凛がボソッと言った一言に意識を取られたのかそちらに反応する。
どこまで自分のことに無頓着なのか。今の凛の脅しは私から見ても十分に威力があって然るべきものだった。
だというのにそれをまるで聞こえてもいなかったかのように切り返す士郎に凛のほうもイラッときたのか不機嫌そうな表情に変わる。
「なんでそこだけ聞こえるのかしら……ええ、せっかくここまで来たんだもの。サーヴァントの一人でも見つけないとね」
「新都にか……?昨日みたいに」
「あら、なんだ目は良いのね衛宮君。そうよ、聖杯戦争はもう始まっている。無駄に出来る時間なんてないんだから」
昨日と言うことは私の預かり知らぬところで2人の間になにかがあったということか。
夜になれば私達の時間。敵を見つけ、速やかに始末するのは道理だ。
だというのに士郎は何やらうーん、と考え込けこみ……
「そうか。それなら遠坂、さっきはびっくりしたけどお前はやっぱりいい奴だ」
「……は?」
何やら晴れやかな表情でそんなことを言い出した。
「いや、だってそうだろ?遠坂はこれから敵を探しに行くって言ったけど、本当にお前が俺のことをただの敵としてしか思ってないなら俺のことはいくらでも利用できたはず…ダシに使ってどっちも潰す、なんてことも簡単だったはずだ。それでも敢えて俺を見逃すことにしてくれたってことはやっぱりいい奴じゃないか」
だよな、と士郎は私の方を見て同意を求めてくる。
一里あるような気もするけどなんとも楽観的というか判断に困る考え方だ。
なんとも言えずに私は聞こえないふりをした。
「あちゃー……心の贅肉だったかしら、これ。最低限見過ごせないラインまで連れてこようって思ったのは本当だけどまさかこんな風に懐かれるなんてね。」
当の凛はと言うと、またやっちゃったよ私とかなんとかブツブツ言っている。
それはいい、それは良いのだが1つ問題がある。
「ーーだから言っただろう、凛。衛宮士郎に掛ける義理などない。さっさとそこのセイバーのサーヴァントごと始末してしまえば良いとさっきから言っているだろう?」
その言葉を投げかけている相手が質問主である衛宮士郎ではなく、今は彼女の従者である彼であるということだ。
「な!?遠坂!どうして!」
「下がりなさい!バカ士郎!」
霊体化を解き目の前に現れた彼を相手に驚く士郎を庇うように前に立つ。
どういうことかは知らないが彼から発せられる殺気は今までに感じたことがないほど鋭い。
今の彼なら私が割り込むのが少しでも遅れていればマスターである凛の指示を待つことなく士郎の身体を両断していただろう。
外から見ると何気ないシーンだったかも知れないが私からすれば冷や汗ものだ。
……そんなこと知る由もなくあわあわとしている士郎にちょっとだけイラッとしてしまったのは内緒だ。
「予定変更、あなた達、ここで潰すわ。ええ、目が覚めたわ衛宮君。あなた達の実力、状況を考えれば早いうちに叩いておいておくのがベストよね」
さっぱりとしたように言う凛にはつい先程までの甘さ、年相応の雰囲気は全く見られない。
やっぱり優秀な魔術師というのはこういうところから人間離れしているというのに…
「遠坂……」
なぜこちらのマスターはこうも踏ん切りがつかないのか。
「知らぬ間に地雷踏んでるのよあなたは!よく言われない?言い方がストレートすぎるって!女の子にそれは絶対NG、分かった!?」
こんな風なことはこれで最後にしてもらいたい。
正直なのは良いことだがそれが仇になることなんていくらでもあるのだ。これを教訓にしてくれることを祈るばかりだ。将来のためにも。
「けどまあとりあえず……」
目の前のやる気満々な彼をどうにかしなければいけない。
クラス補正かスペックこそまあそこそこ有利だが技術はもちろんのことバックアップを務めるマスター資質やら基本的には不利な要素ばかり。
だから今日は大人しく終わりたかったのだがそう簡単にいかないみたいだ。
まずは倒すことは考えずに待避。今の士郎では全くといって良いほど戦闘では役にたたないはず。凛相手には1秒も持たないだろうしそんなんでは私も彼を抑えられない。となるととるべき道は1つ。
構える。意識の8割は彼へ、1割は凛へ、そして残りの1割は逃げ道を探すために周りの空間へ。
さあ、まだ召喚されて数時間だけどもう一度踏ん張ってみますか!
「あれ?何で2人が戦ってるの?」
呼吸を合わせ今にも飛び出ようとしたときか。
交差点の先にある坂の上から不思議そうな声が聞こえてきたのは。
「だれ!?」
「……」
一見純粋そうな声、だがそれに潜む無垢な悪意に気付いたのか凛と彼の注意は私と士郎から完全に離れた。
それに応じるかのように声の主が強大な守護神を引き連れてその姿を見せる。
そうだ、今思い出した。私もかつてそうだったじゃないか…全てを憎み復讐の機会を今か今かと待ちわびていた私は彼がサーヴァントを召喚するのを礼儀として待って、その後すぐに襲いかかったじゃないか。
彼女だって私ならばそうするに決まっているのに……!
「ああもう……!」
自分の失策にイライラする。
だってその場に姿を見せたのは私の予想通り……
「自己紹介がまだだったわね、リン、それとお兄ちゃん。私はイリヤ、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。アインツベルンって言えばわかるでしょ?」
「アインツベルン……!」
凛が息をのむ。アインツベルンは魔術の世界に置いては超がつく名門でありこの聖杯戦争の御三家の1つだ。間違いなく優勝候補であり、強敵だ。その反応は間違っていない。
「それじゃあ自己紹介は終わり!2人とも殺すね。いけ!バーサーカー!」
「ーーー■■■■■!!!」
そしてその号令と共に黒き巨神が弾かれたように飛び上がる。
その瞬間、私と彼の目があった。
「(一時休戦だ。まずはあれをなんとかする)」
了解、と目で返す。
今日はまるで珍しいことのデパートだ。過去の世界に呼び出され、今まで目が合う度に殺し合いになっていた彼と共闘することになった。
そして何より……
「自分と殺し合いをすることになるなんて数奇な運命だこと。久しぶりね、バーサーカー、あなたが敵になるなんて思いもしなかった。」
どうもです。
考えてみればこの場には士郎2人とイリヤ2人がいることになるのか…頭痛くなりそうですね。
それではまた。
評価、感想、お気に入り登録じゃんじゃん待ってます。特に感想お待ちしております。