シンデレラはガラスの靴を選ばない~魔法使いシンデレラ物語~   作:ヒトリゴト

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第1話 死に戻りのシンデレラ

 とある王国に、それはそれは美しい少女がいました。

 少女の名はエラ・トレメイン。トレメイン伯爵家唯一の子です。

 

 緩やかなウェーブを描きながら背中まで流れる、月の光で染めたかのような艶やかな銀髪。

 折れぬ意志を宿した、滝の降る深緑の森を閉じ込めたかのように美しい碧眼。

 高い鼻筋。陶器のような肌。薄紅の唇。小さい顎。細い首筋。

 健康的な肉付きに、すらりと伸びた四肢。

 

 真夜中のように落ち着いた雰囲気を纏うエラではありますが、彼女はまだ齢15の少女に過ぎません。しかし未熟な果実のような瑞々しさを持ちつつ、時折熟れた果実のような妖艶さを垣間見せます。

 

 大人と子どもの境界線。その上をエラは儚げに歩いていました。

 

 しかしそんなエラ美しさに醜い感情を抱き、理不尽な仕打ちをしている者たちがいました。

 エラの父であるトレメイン伯爵と結婚した義母トレメイン伯爵夫人・ベラと、その連れの娘でエラの義姉たち、長女のアナスタシアと次女のドリゼラです。

 

 詐欺師すら生ぬるいほどの噓を塗りたくった顔の評判がいいベラは、子ども思いという評価とは裏腹に冷酷で残忍な性格の持ち主でした。

 娘たちも同様です。アナスタシアが傲慢で図々しく、ドリゼラは姑息で卑怯でした。

 

 彼女たちは正統な伯爵令嬢であるエラを召使いのように扱い、家畜の餌のような飯を与え、さらには暴力を振るいました。

 この強欲で残忍な裏の顔を見抜けず再婚した伯爵は、なぜか彼女たちを暴虐を見逃し、実の娘であるエラをかばうことはありませんでした。

 

 エラにとってはそれがなによりもつらいことでした。

 

 ある日、伯爵家に招待状が届きます。それは第三王子の生誕を祝う舞踏会を報せるものでした。

 第三王子と言えば婚約者が決まっていな唯一の王族で、それはつまり、舞踏会で婚約者に選ばれるチャンスということでした。王位争いには劣勢なれど王族。強欲な義姉たちにとっては喉から手が出るほど欲しい席であり、またベラにとっても自身の評判を絶対のものにすることができる機会でした。

 

 そしてベラとアナスタシア、ドリゼラは伯爵家の財産をふんだんにつかって用意したドレスを身にまとって舞踏会に出かけました。

 エラを1人置いて。

 

 エラはうつろな目で掃除をしていました。体を清めたのはいつのことか。本来エラが放つ輝きも、今はくすんでしまっていました。

 灰かぶり。義母たちからそう呼ばれるとおり、灰や煤でエラは汚れきっていました。

 

 掃除のための水を汲みに出た井戸の前で、エラは声をかけられました。

 

「お前さんがエラかね」

「あなたは?」

 

 エラの視線の先には、紺色のオーブを被った老婆がいました。

 老婆はしわがれた声で答えます。

 

「アタシかい? アタシは魔法使いさ」

「あの、なぜ魔法使いさまがこんなところに? それにどうしてわたしの名を御存じなのですか?」

「アタシはお前さんに今夜の舞踏会に行ってもらおうと思って来たのさ」

「わたしが、舞踏会に?」

 

 エラは声を落とします。

 

「無理です。こんな身なりでは、とても王城に入ることなどできません」

「アタシは魔法使いだよ? そんなのどうとでもなるさ。ほれっ」

 

 魔法使いが杖を一振り、二振りとすると、たちまちにエラの服が変わっていきます。

 ボロイ服は薄青のドレスに、灰や煤は煌めきに、そして穴の空いた靴はガラスの靴に。

 エラはあっという間に傾国の美女に生まれ変わりました。

 

「これが魔法……すごい」

「どうじゃ、これならいけるじゃろ?」

 

 エラはいつの間にか用意されていたかぼちゃの馬車に、背中を押されて押し込めらてしまいます。

 

「ま、魔法使いさま⁉」

「ほれ、王城で運命の相手でも見繕ってくるんじゃぞい」

「そんな」

「そうじゃ。魔法もいつまでも持つわけじゃないからの。今からだと、そうさね。12時の鐘が鳴る頃には戻るのじゃぞい。でないとさっきまでの姿になってしまうからの」

 

 それ、と魔法使いの声に合わせてかぼちゃの馬車は王城に向けて走りだしました。エラの心を置き去りにして。

 

 絶世の美少女であるエラが、魔法使いの施した美しいドレスを身にまとい舞踏会に赴けば、一番星のように注目を集めるのは必然でした。 

 老若男女問わず、視線はすべてエラに集まりました。当然今夜の主役であった第三王子もです。

 

 第三王子は壁の花となって1人佇むエラに歩み寄り、ダンスの誘いを申し込みます。

 差し出された手をエラが戸惑いつつ取ると、ぎゅっと引き寄せられ、同時に管弦楽団によって、夜をなぞるように優美な音楽が始まりました。エラも久方ぶりのダンスに、華麗な動きを披露します。

 

 エラと第三王子、2人のダンスにあてられて周囲の者たちも最初は見惚れていましたが、甘い花の香りに誘われるミツバチたちのように、ダンスに参加していきました。

 王国が始まって以来、もっとも美しい舞踏会だと称されたこの夜も、鳴り響く頂の鐘の音よって終わりを迎えます。

 

「わたし、帰らないと。申し訳ございません王子殿下。楽しい夜でございました」

「待ってくれ!」

「申し訳ございません」

「名前だけでも!」

 

 ひゅっ、とエラの呼吸が止まります。視界の端に悪魔の形相をした義母が映ったのです。

 エラは胸の前で拳を握ると、王子から目を逸らして言いました。

 

「ごめんなさい」

 

 エラは走りました。時間に追われるように、王子から逃げるように。

 駆けるエラを王子も追いかけるます。が、なにか不思議な力でも働いているのか追いつけません。

 

 王城の外、そこにはかぼちゃの馬車が独りでにエラを待っていました。エラがそれに飛び乗ると馬車は走り出しました。

 遅れてやって来た王子の顔が、馬車の窓からちらりと見えました。

 エラはスカートを強く握りしめました。

 

 王子がエラを追うことはできませんでした。

 なぜなら、馬車は霧に消えるように行方をくらましたからです。

 

 トレメイン家の屋敷に着くと、美しいドレスもかぼちゃの馬車も夢のように消え去り、残ったのは元の灰と煤にまみれたエラだけでした。

 

 ガラスの靴という手掛かりはなく、エラも機嫌を地獄の底まで落として帰って来た義母に地下牢に閉じ込められ、舞踏会を賑わせた謎の美少女が見つかることはありませんでした。

 

 ——エラがシンデレラとなることはなかったのです。

 

 

   ***

 

 

 絶望がエラを包み込む。

 汗と混じった灰は、泥のように体や髪にまとわりつき、屋敷を保つために義母たちに言いつけられた掃除でできた無数の小さな傷たちが、ひりひりと精神を責め立てる。お前は「灰かぶりのいらない子」なのだと。

 

 魔法使いに送り出された舞踏会を機に、エラは笑うことを忘れてしまった。

 舞踏会のあと、義母と義姉妹たちは、目的である第三王子に近づくことすらできず、原因である謎の美少女に対する怒りを抱えて帰って来た。

 

 幸いでもないが、美少女の正体がエラだということは、義母たちを含め誰も気がつかなかった。義母たちが気が付かなかったのは、義母たちとってエラは都合のいいストレスの吐き口であり、その顔を、その声を、その姿を、覚えておくほど興味がなかったからだった。

 

 ただ、そんなことは義母たちには関係なかった。正体を知らずとも、腸が煮えくり返る怒りをぶつける先があったのだから。

 舞踏会の日を境に、義母たちのエラに対する扱いを酷くなっていった。

 碌な食事を与えず酷使し、靴が汚れたからと鞭を打ち、それで汗をかいたからとさらに鞭を打つ。

 

 まさに地獄の日々。エラは次第にやせ細っていき、肌は乾いた大地のように罅が入り、銀糸の髪は糸くずに成り下がってしまった。

 

 そして3年の月日が経ち、自室として与えられた地下牢で、エラは命の灯を隙間風に消されかけていた。

 石畳が冷たいのか、エラ自身が冷たいのか。それすらもわからないほど衰弱しきったエラは、冥府に沈むように床に倒れていた。

 

 霞む視界の中、エラが思う。

 

(どうしてこうなってしまったのでしょう。お父様がベラと再婚したから? 舞踏会で王子殿下に振り向けなかったから? 違う。そうではありません。わたしが弱かったからです。逃げることができないほどに。わたしはベラたちに対する恐怖に屈してしまっていたのです。悪意を知らず、目を背けたのです。それが、今、わたしが死んでしまう理由なのでしょう)

 

 最後の力を振り絞り、ギザギザとなった爪を石畳に立てる。

 

(わたしに勇気が、力があれば。なにか変わっていたのでしょうか? お父様もわたしを見捨てることなんてしないで)

 

 後悔の念は残りわずかなエラの命を燃え盛らせる。涙は灰のように積もっていく。

 足が動かせなくなっていき、手の指は操れなくなり、頭は重しのように転がる。

 瞼が閉じ、薄れていく意識のなかでエラは呟く。

 

「願わくば、あの日のわたしに勇気を……」

 

 こうしてエラ・トレメインの生涯は幕を閉じた。……はずだった。

 

 

   ***

 

 

 エラが目覚めたのは、ありあえないほどの空気が肺に入り込んで咽たからだった。

 

「ごほっ、ごほっ!」

 

 咽ることができるほど元気な体は、寝起きのだというのにエラをベットから転げ落ちさせた。さほど高くないとはいえ不意に打つつけた腰が鈍く痛いことに、エラは驚いた。

 この程度の痛みならもう慣れたはずだったのに、と。

 次第に頭のなかも鮮明になっていき、エラは自身が目覚めた場所に混乱した。

 

「ここ、わたしの部屋?」

 

 エラはきょろきょろと確認する。やはり、間違いなくエラの部屋であった。

 しかし舞踏会の日を境に戻ることがなかった部屋であり、すでにゴミ溜めとなっていたはずだが。少なくともこんなに片付いているはずがなかった。

 物が少ない質素な部屋。エラはベッドの横のタンスに置いてあったある物を見つけ「あっ」と声を漏らす。

 

「お母さんの、ペンダント……っ!」

 

 それは義母がエラを苦しめるだけに踏み壊し捨てたはずの、実母・フラムの遺品だった。

 燃え盛るような赤の宝石を一つあしらった銀製のペンダントを、エラは胸に抱きかかえた。

 しばらくしてエラは顔を上げた。

 

「でも、どうして? まるで時間が巻戻ったみたいに——」

「エラ! エラ! 早く来なさい!」

 

 首を絞められた鶏のように醜いエラを呼ぶ声に、肩をびくりと跳ねさせる。足が竦む動けないでいると、部屋のドアが壊れる勢いで開いた。

 メイクを施した目でエラを見下ろす義母がいた。

 

「起きているじゃない。私が呼んだらすぐに来ないなんて。まったく、どんな教育がされていたのか」

 

 鼻で笑う義母に、エラはギリっと奥歯を嚙む。

 

「ふん、なにかしらその生意気な顔は。いつもならお仕置に叩くところなのだけど、まあいいわ。今日は時間がないもの」

 

 義母は自慢するように顎を上げた。

 

「私はこれからアナスタシアとドリゼラを連れて第三王子の舞踏会に行きます。あなたは私たちが戻るまで屋敷を掃除していること。こんなぼろ屋敷でも、未来の公爵夫人が住んでるわけですからね」

 

 言うだけ言い、ああ臭い、と鼻をつまみながら部屋を出て行った義母に怒りを向ける暇もなく、エラは動揺していた。

 

(今の台詞、3年前の舞踏会の前に言われた言葉⁉)

 

 エラは慌てて机に置いてあるはずの日記を見つけ、最新のページを慌てて開いた。

 日付は神聖歴123年。エラが死んだ日のちょうど3年前だった。 

 

(インクもまだ染みたばかり。……じゃあ、本当にここは3年前のあの日なの?)

 

 エラは窓から庭を覗く。義母たちの乗った馬車が走っていくのが見えた。それに安堵を覚えつつ、気になったのは植えられている花たちの状態だ。雑草はまだ辛うじて生えておらず綺麗な状態を保っていた。

 

 エラは部屋から出て屋敷の中を歩き回る。義母が壁に穴を空けたはずの場所にはその痕跡すらなく、アナスタシアが割ったはずの窓は傷一つなく、ドリゼラが連れ込んだ男が力試しのために壊した家具も無事だった。

 

「本当に3年前なんだ……」

 

 1人きりの空虚な屋敷のなかに転がっていく声は、だからなんなのだ、とエラの顔を暗くさせる。

 

「また、あんな日々を送るくらいなら——」

 

 3年前に戻り、地獄のような日々の目に見える痕跡がなくなっていても、エラの心に斬り付けられた傷はたしかに残っている。

 悪夢から目覚めた時のように、エラは背中に嫌な汗が流れるのを感じた。

 

(ここは、わたしの家なんかじゃないわ。わたしを閉じ込める監獄よ)

 

 生まれたことが罪だったのか、苦しみの日々の前に振り戻されてエラは目の前が暗くなった。ポロポロと涙が零れる。絶望の日々をもう一度やり直せと言うのかと。

 エラはエントランスで膝を崩す。両開きのドアを睨んだ。自由を閉ざし、光を絶たせる重く分厚いドアを。

 

 ——コンコン

 

 瘴気漂う屋敷のなかに、それを打ち払うような軽いノック音が響く。

 エラは呆けて固まってしまった。

 

 ——コンコン

 

 二度目のノック。エラは慌てて立ち上がり、ドアに駆け寄る。しかしドアノブを握って、開くの躊躇う。

 

(今のトレメイン家を訪れる人に心あたりなんて……)

 

 エラは一つ思い出す。たった一度だけ、エラを助けてくれた人がいたことと、その人物は舞踏会の日、トレメイン家に突然現れたことを。

 

「魔法使いさま?」

 

 ドアノブを握る手に力が入る。

 未来では、今日を境に義母たちの虐待は苛烈になっていく。その原因が正体を隠して舞踏会に参加した自分だとうことを、エラはわかっていた。

 それならば、舞踏会に行く原因となる魔法使いには会わないほうがいいのではないかと、エラは考えてしまう。

 

 だけど、とエラは震える手でゆっくりとドアノブを回していく。思い起こしたのは死の間際、薄れる意識のなかで思ったことだ。

 

(勇気を。勇気を持つのよ、エラ! せっかく与えられたやり直しの機会なのよ。もう一度、あの地獄に留まるつもりなの⁉ それじゃあ、意味がないわ!)

 

 ぎぎぎ、と軋んだ音を鳴らしながらゆっくりドアが開かれる。ゆるりとした風が入り込んで、エラの髪の毛を靡かせた。

 ドアの前には、夕やみに紛れそうなローブを被った、エラの肩ほどの身長をした老婆、魔法使いが立っていた。深淵を覗く目が、エラの顔を捉える。

 

「お前さんがエラかね」

「はい。あなたさまは魔法使いさまですね?」

「おや、アタシのことを知っているのかい?」

 

 魔法使いの目が丸くなった。

 

「はい」

「そうかい。どこで知ったのか気になるがね、まあいいか。それよりもアタシが今日ここに来たのは、アンタを舞踏会に送るためさ。だから——」

「魔法使いさま」

 

 エラが言葉を遮る。

 

「図々しいことではありますが、お願い申し上げたいことがあります」

「なんじゃ?」

 

 エラは強くなりたいと願った。

 

「わたしを魔法使いさまの弟子にしていただけないでしょうか?」

「お前さんを、アタシの弟子にかい?」

「それが叶わなければ、せめてどこか遠い場所まで連れて行ってくませんか? お代は、屋敷の物を好きに持っていってかまいませんので」

 

 魔法使いというのは、それだけで尊敬を集める存在だ。エラは名誉も金も興味はなかったが、それらは自身を守る盾になる。魔法を扱うことができれば、反撃の矛になる。エラは自身の心に繋がった見えない鎖を断ち切る強さが欲しかったのだ。

 

「弟子ねぇ……」

 

 ローブの下の目が見定めるように怪しく光る。

 

「たしかに、魔力はあるみたいじゃが。——ん? お前さん、魔法を使ったことあるのかい?」

「ありませんが。そもそも使えませんし」

「魔力が外に流れた痕、魔法を使った痕跡があるのじゃが」

 

 首を傾げる魔法使いを見て、エラはふと思い当たることがあった。魔法かどうかは定かではないが、今のこの不思議な状況を作った原因だ。死に戻りとでも呼ぶべき現象は、まさに魔法と呼ぶにふさわしい摩訶不思議なものだろう。

 

(過去に戻る魔法なんてあるのかしら?)

 

 それに、とエラは自身のなかで結論付ける。 

 エラは本当に魔法の使い方なんて知らなかったし、仮に魔法だったとしても、それを目の前の魔法使いに話す気にはなれなかった。弟子入りを志願した身ではあったが、それでもまだ赤の他人に変わりはなく、エラ自身も荒唐無稽だと思っている事態を信じてもらえるとは思わなかったのだ。

 むしろ、ただの長い長い悪夢だったと言われた方が納得できた。

 

「まあ、いいじゃろう。たしかにお前さんには、魔法使いになる資質があるからの。……ただ、厳しい修行になるぞい?」

 

 脅しの言葉もエラには通じない。

 

「構いません。わたしは、地獄を知っていますから」

 

 真っ直ぐな瞳に、魔法使いもニヤリと笑う。

 

「ほうかいほうかい。なら、荷物を取ってきな」

「はい」

 

 エラは自室に戻って服を着替える。外に買い出しに行くために唯一嫌いな状態を許されたものだ。それから必要な荷物をまとめる。もっとも、エラが持ったのは形見のペンダントただ1つだけだった。

 

「随分と身軽だね」

「はい。わたしは生まれ変わるのですから。過去のものは、これだけで十分です」

 

 首にかけたペンダントを服の上から擦る。エラは胸の内には暖炉も火のようなあたたかなものが灯った。

 

「それじゃ行くかね」

 

 魔法使いが杖をかざしてかぼちゃを馬車に変える。2人がそれに乗り込むと、かぼちゃの馬車は空を蹴ってオレンジの空に溶けていく。眼下に王都の営みを置き、向かい合うように座っていた2人は言葉を交わす。

 

「そういえばまだ名乗っていなかったね」

 

 老婆が杖を軽く振ると、老婆の体から煙が上がり瞬く間に馬車のなかは煙でいっぱいなった。エラは軽く悲鳴を上げ、それを魔法使いは声をあげて笑う。しわがれていない張りのある声で。

 

「あははは。驚き過ぎじゃ……っと、口調も戻さないと。驚き過ぎよエラ。魔法使いになるのだから、これくらいはね」

「魔法使いさま、なのですか? その姿は」

 

 エラの正面に座っていたのは腰の曲がった老婆ではなく、白のブラウスを胸元を大きく開き、見せつけるように谷間を露出させ、肩にウェーブのかかった黒髪を垂らした妖艶な美女だった。

 

「アタシは【命名】の魔女、グリセルダ。よろしくねエラ」

 

 あっけにとられているエラに、グリセルダが手を差し出す。エラはその手を弱弱しく握る。

 

「ただのエラです。家名は捨てます」

「……そうかい。なら、エラって名前も変えたほうがいいかもね」

「なぜですか?」

「義母たちに知られたくないのでしょう? 生まれ変わるって言ってたしね」

「はい。知られたくありません」

「なら名乗りだけでも変えましょう。エラはきっとすごい魔法使いになって有名になるからね」

「そう、ですか? わたしに魔法使いの素質が?」

「一級品の素質がある」

 

 正面から褒める言葉にエラは頬を赤くし、それからグリセルダに言われたとおり名乗りのための魔法使いとしての名を考える。

 新しい名前はすぐに思いつく。

 

「シンデレラ。わたしはこれからそう名乗ります」

 

 隠した意味はシンダー・エラ、つまりは『灰かぶりのエラ』。

 2度と逃げないための戒めだ。弱い自分を名前に刻み忘れることがないように。

 

 グリセルダは笑って頷く。

 

「——シンデレラ。いい響きね」

 

 

   *** 

 

 

 かぼちゃの馬車の行く先は変わった。

 それは死に戻ったエラ——シンデレラの新しい選択。

 

 ——歴史に名を刻む偉大な魔法使いが生まれた日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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