雨夜の星に手を伸ばし   作:クサリ

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 (うた)の効果は、その戦場に置いて強烈無比に働いた。

 あれだけ意気軒昂に戦っていた祓魔師達が揃って頭を抱え、つうと静かな涙を流す。被呪耐性の低い面々は膝すらつき、耐性の高いメンツですら頭に手を当てて足元を覚束なくさせている。

 

 襲ってきたのは、悲しみだった。理由のない、しかし止めることの出来ない衝動。胃の腑からせりあがってくるような悲哀が胸中を占め、その他の思考を強制的に塗りつぶしていく。

 声の届く範囲に強烈に作用した精神汚染は、確実に敵対者の動きを止める。

 

 その様子を嘲笑いながら、アメコジキの周辺に七つの黒球が生みだされる。空から、地から、アメコジキの体から滲みだす黒い水が異常な力で圧縮され、その解放を今か今かと待ち望んでいる。

 

 それをマズい、と頭が考えた。回避、あるいは妨害しなければと本能が囁いた。しかし心が悲哀に染められ、それらを行動へと統合していく過程を乱していく。

 成す術もなく、致命の七条が放たれる。

 

 超圧縮された水の塊は、言ってしまえば高圧のウォーターカッターだ。あまりの濃度に物質化した穢れ────黒不浄と同じ欠片が無数に混ざりこんだそれは、比類なき切れ味を遺憾なく発揮する。

 

 黒い線が通り過ぎた後には、細く深い溝だけが残された。通り道に存在した肉体は消し飛ばされ、内に直接叩き込まれた穢れが残った肉体と霊魂を諸共汚染していく。遠く、視界の端にちらりと映るような距離の建物が、切断に巻き込まれて倒壊した。

 

 祓魔師達の懐で、形代紙が一斉に散る。一枚どころで収まる規模ではない。濃縮された穢れによる暴威は継続して彼らの心身を侵し、それが収まるには複数枚の形代紙を犠牲にしなければならなかった。被害は各々の被呪耐性に左右されるだろうが、それでも平均して三枚は一気に役目を終え、散った。

 

 アメコジキは、五号級にしては戦闘能力の低い界異である。それでも、()()()()()()()()()()ということの意味を、祓魔師達は文字通り叩き込まれていた。

 

「……っばいねぇ~、コレ! 『別にあれを倒してしまっても構わんのだろう?』ってセリフが本来の用途になっちゃうじゃん!」

「冗談言ってる場合かなぁ!?」

 

 どこかコミカルなやり取りを尻目に、アメコジキはこれ見よがしに二発目の充填を始める。

 それを阻止しようと仕掛けられる猛攻も、アメコジキの行動を阻害するほどの効果を見込めない。ついにはその抵抗すらも刈り取ろうと、再び(うた)が空間に響き────

 

 ────乱暴に重ねられた連なる銃声に、強引にかき消された。

 

 (うた)は、耳に届いた瞬間には既に敵の心の裡に触れている。聞いてからでは間に合わず、予備動作の少なさから見てからでも間に合わない。単純明快にして対処困難なその攻撃に、誰が、どうやって対応したのか? 

 単純な話だ。人は心に依って行動するが、(くろがね)は心を必要としない。

 

「これ、後で絶対怒られますよね……!」

 

 田中陽斗。高度にサイバネ化された彼の肉体には、戦闘補助を行う自動補正プログラムが存在する。そして、彼の体の内を流れるナノマシンを介してセッティングすれば、時限式で予め自分の行動を決めておくことができるのだ。

 (うた)の僅かな前兆を見抜いた彼は、数秒の猶予の内にその仕込みを済ませていた。非推奨の用途で用いた機能が後でどんな形で彼に牙を剥くのかはまだわからないが────彼の齎した数秒は、千金に値する数秒だった。

 

 だが、再び(うた)を妨害するには今度はリロードを必要とするはずだ。連続しての対応はできまいと、嘲笑いながら再度繰り返そうとするアメコジキが、ふと気づく。

 

 自分の傀儡を発生する前に叩き潰していたあの忌まわしい男の姿が、見当たらない。

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

「どうしてまだ頑張るのって……なんですか、それ。どう見ても、ここであたしが頑張らないと詰みの状況でしょう?」

 

 あたしには、本当にその問いの意味がわからない。だって、ここに戦える人間があたししかいない以上、あたしが頑張らないといけない場面なのだ。放っておけばあたしも少年も、現実世界の人々もろくなことにならないことは目に見えている。

 

「アメコジキは、従ってさえいればぼく達を傷つけることはしないよ。この世界はそういう場所で、そういうルールが敷かれているからぼくは、お姉ちゃんが来るまでを生き延びられたんだ。なのになんで、戦うの?」

 

 恭順を迫るその言葉は悲痛に染まっていて、本当にあたしを心配しているんだと伝わってくる。元々、心根の優しい子なのだろう。誰かが傷つくのを見ていることに平気でいられなくて、それでも害されるのが怖いから仕方なくアメコジキなんかに従っている。

 

「前に、話したでしょう? 誰かのために頑張れることは尊いんだって。これは、あたしの納得の問題なんです。あたしが、あたしに胸を張れるように────」

「────そんなの、誰も見ちゃくれないよ! 命を張ったって、誰も見てくれなかった!」

 

 血を吐くような叫びに、眼を見開く。歯を目いっぱいに食いしばって、ぼろぼろと涙をこぼして。明らかな心の傷を、少年はあたしにさらしていた。

 

「だって、だって、ぼくがそうだ! 実際にそうだったんだ! ()()()()()()()()()()()()、みんなすぐにぼくのことなんて忘れて生活してたんだから!」

「少年、きみは」

「わかるでしょう!? 比べられるのは、比べちゃうのはとてもとても悲しいことなんだって! 死んだぼくが、生きている弟に勝てることなんて何一つだってないんだって、そう考えてしまうことが、どれだけ苦しいのか……!」

 

 少年の悲しみに呼応するように、アメコジキがわざとらしく顔を覆い、おおお、おおおと泣くような真似をし始める。この場を満たす黒い雨が気配を変えて、精神を汚染するように、少年の過去を直接頭に染み込ませてくる。

 

 少年は、バス亭で殺されてもなお終わることができなかった。その恐怖が、無念が、死を受け入れる判断を下したことへの後悔が、自身の死穢に染み込んで、亡霊と化してしまった。弟に紐づけられ、取り憑いてしまい、思考と感情だけの存在となって、その後を見ていることしかできなかったのだ。

 次第に美化されていく自分。懐かしさと僅かな感情しか向けられなくなっていく自分。思い出す事すら、少しずつされなくなっていく、自分。

 弟には、常に新鮮な感情が向けられていた。期待、失望、身勝手な理想、歩み寄り、理解、共感。暖かなものも薄暗いものも全部全部鮮烈で、何もかもが自分とは違う。

 比べてしまった。弟と自分を、他ならぬ自分自身が。その日々は苦痛に満ち、嘆きに呑まれて────そこを、アメコジキが掬い上げた。

 

「もう、止めようよ。ここに居れば、もう誰かと自分を比べることはないんだよ。ぼくとお姉ちゃんは、同じ悲しみを知っているんだからもう繰り返すことはない。ここに居るのは悲しいけれど、これ以上の悲しみは背負わなくていいんだから」

 

 ぽつぽつと語る少年の声が、想いが、あまりにも明瞭にあたしの心に染み込んでくる。

 だって、わかるからだ。その苦しみも悲しみも、あまりにもあたしの経験と近い場所にあって、思わず共感をしてしまうからだ。

 だからこそ、あたしはこれを言わなければならない。少年の苦しみを誰よりもわかるあたしだからこそ、伝えなければならないことがある。

 

「それは、違うでしょう?」

「────え?」

 

 そうだ、違う。少年は、自分の悲しみを勘違いしている。比較して、失望して、妬んで、落ちぶれる。その苦痛が彼の最大の根幹ではないことを、彼自身が気づけていない。だから、こんな俗悪な界異になんか心を囚われてしまっている。

 だって、少年はあたしに言ったのだ。『ぼくも頑張れる自分で居たかった』んだって。少年があたしと同じであるのなら、その言葉が意味するのは。

 

「少年の悲しみはそれじゃない。苦しみの根源は、それじゃないんですよ」

「お姉ちゃん、なにいって」

「だって、失望しちゃったんでしょう? 弟を死んでも守ったその選択を、後悔してしまう自分自身に」

 

 少年の目が見開かれた。ぎゅうと胸元を握りしめ、動揺に体が揺れるのが見える。焦りのような困惑が滲み、何かを否定したくて口が開閉するのが、ようく見えた。

 思ってもみない核心に気づくと、怖いよね。苦しいよね。……あたしも、そうだったよ。

 

「少年、君の悲しみは、『比較』にあるわけじゃないんです。それに嫉妬してしまうことが、妬みたくなくても大事な人を妬んでしまうことが、……善くありたくても、善くあれない、悪い自分が居ることをやめられないのが、悲しいんでしょう?」

 

 顔を蒼ざめさせて、口をつぐんだ少年とは対照的に、嘲笑うようなアメコジキの大笑が辺りに響いた。

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