「うるっさいですねぇあのヤロウ! 人が大事な話をしてるっていうのになーにを大笑いしてやがるんですか!」
頭に直接響くような嗤い声に思わず眉を顰める。大真面目に重い話をしていたというのに、雰囲気がもうぶち壊しだ。これで人の悲しみに寄り添っているつもりでいるのだから本当に腹が立つ。
「……お姉ちゃんは、すごいよ、本当に。ぼくの気づいてなかったぼくを、ピタリと言い当てるんだもん。でも……」
「でも?」
「それで、ぼくとの『共感』が終わっちゃった。今やアメコジキはお姉ちゃんの悲しみにも寄生しちゃってて、もう、お姉ちゃんを追い詰める必要がないんだ……」
ごめんなさい、と謝る少年の頭に手を当てて、乱暴に撫でる。なんだ、そんなことか。そんなことなら、大した問題ではなかった。
「油断して余裕ぶっこいてるなら好都合ってもんです。いいですか、少年。今からあたし、と──ーっても大事な話をするので、よぉく聞くんですよ?」
「う、うんっ」
ずいと距離を詰めて指を立てる。たじろぐ少年の目をまっすぐに、間近で見つめながら、悲しみに対する至極単純で明快なひとつの答えを囁く。
「迷っても、間違っても、善くあれなくても、それでもあたし達は善くあろうとすることはできるんです。それを忘れなければ、案外あたし達だってそう悪いもんではなくなるんですよ」
「で、でもっ、そんなことを言ったって、そう簡単には」
「そうっ! そう簡単じゃーないからこそ、あたしが見せてあげましょう!」
言葉を食い気味に被せて、もう一度、こちらを見ることすらせずに大笑いしているアメコジキに向けて弓を構える。ただし、今度は空手ではない。ポーチから取り出した秘蔵の種が加護の鏃に取り込まれ、解放の時を待っている。その矢に、さらに“とっておき”の筒を一つ引っかけた。この仕込みを忘れるとロクなことにならない。
「お、お姉ちゃん? 見せるって、何を?」
「あたしみたいな奴だって、善くあろうとし続けることはできるってこと。あたしができるなら当然、少年にだってできるでしょう?」
あたしと少年は、同じなんだから。
当惑したような顔でこちらを見つめる少年に微笑みかけて、あたしは“奥の手”を切る覚悟を決めた。
「地に満ちし繁栄の根源よ、刹那に咲く華の香の君よ、燃え盛るが如き烈火の情よ」
呼びかける、呼びかける、呼びかける。我が身に宿りし恩恵を通し、遥かなる君へ。礼儀は気にしないと笑ったのはあんただ、意を魅せてくれるのが重要なのだと笑ったのはあんただ。生憎詳しくはないもんで、めちゃくちゃな祈りになっているかもしれないが知ったことか。力は貸してもらうぞ。
「願わくば、この矢に御名の如き生命の躍動を与えたまえ。我が手に華の香の護りを与えたまえ。不浄に裁定の浄火を与えたまえ」
この世に、“神”は実在する。それを祀る力ある家々もまた、この日本には存在する。何もかもが足りないあたしは、あらゆる手を尽くして代山家と呼ばれる神祇官の家系に接触し、そこで“舞い散る神”と呼ばれる神性へと仲介された。何をも持たないあたしの声に応える神々が一柱も現れぬ中、最後の最後にその神様は、あたしの元へと力を寄越した。
恩恵、あるいは、単純なエネルギーを呼ぶ時のそれとはまた意味の異なる、加護と呼ばれるもの。代償を支払い、条件を破った際にペナルティを負うことを承諾してようやく借り受けることの許される権能の一部。
あたしにもたらされたそれは非常に取り回しが悪く、隙が大きく、リスクも高いが……その代わりに、界異に対しては一撃必殺に等しい威力を誇る。
輝きの矢に収められた種が祈りに反応し、矢を構成する加護を喰い漁り、蔓となって置換する。強靭に固められた蔓は清浄なエネルギーをこれでもかと辺りに振りまき、代償としてあたしの体から生命力を直接奪い去っていく。
ふらりと揺れる体を奥歯を噛み砕く勢いで食いしばって耐え、照準を大きな隙を晒すアメコジキへと構えた。
「我が行いに瑕疵あらば、浄火に燃え灰となり人に二度と面を向かうべからず」
ギリギリと音を立てて矢を引き切る。そこで異変に気付いたのか、アメコジキがこちらに向けて、口を開いた。
何をするのか分からないが、あきらかに妨害を図っている。ああ、もう。どうせなら最後まで油断しきっていなさいよ。
あと一瞬だけでいい、一瞬の隙が欲しい────
「さすがに油断、しすぎっすよねぇ。────『鎌鼬』ィ!」
アメコジキが気が付いた時には、既に第八班長が己の懐へと飛び込んできていた。どこから? その答えは、明白だ。
彼らの眼下には、組んだ腕で足場を作り、第八班長を跳ね上げた紫原が居る。目の前には、既に示されたアメコジキへと肉薄するルート────那智と田中、供花が切り拓いた、接近への道筋が残っている。
祓魔師側に脅威がないように振舞っていたのは、ブラフだった。初めから、『削り』の主砲を担うのはこの男。この男を警戒させずに、不意を打つ形でアメコジキにぶつける、それだけを狙って戦闘が構築されていた────!
男の声に反応し、彼に従う縁起がその腕に力を纏わせる。渦巻く真空、斬撃の極致。その刃は獲物を“空間ごと”切り裂く、防御不可能、刃としての絶対の一!
冗談のような威力を秘めた拳打が繰り出され、男の体躯の何倍もの範囲を強かに抉りとった。
唐突に、アメコジキの腹が大きく削り取られ、行動が止まる。その特徴的な傷跡に、それが何者によってつけられたのかを察する。ああ、やはり、現実の方でも仲間が頑張ってくれているらしい。
その事実を噛み締めて、腹に力を入れ直す。この影響によって紡がれた数秒、その数秒が、どれほどありがたいことか!
「我が意、我が理に沿うならば────この矢、外させたまうな!」
緑の矢が、黒い雨の中を切り裂くように飛んでいく。溢れる加護であらゆる穢れを寄せ付けず、彼我の距離を瞬く間に踏み越えて。
途中、矢の勢いに振り落とされた筒が空中で光を放つ。通称、聖なる閃光手榴弾────天岩戸の逸話を再現しながら作られた、太陽光の属性を帯びた光を放つフラッシュバンだ。
雨としての性質をもつ故か、一瞬だけ陽光に怯む仕草を見せるがアメコジキには大した影響は出ない。だが、それでいい。それが本命ではないからだ。
アメコジキの腹に突きたった緑の矢が、爆発的に繫茂し、蔓を持ってその体を縛り上げていく。穢れは含めど、水は水。太陽光と併せて植物の生長条件を満たした今、それはアメコジキを完全に縛り上げるまで成長を止めることはない。
まあ、それでも不足する分は、あたしから徴収されるんだけど、ね……!
「お姉ちゃん!?」
血反吐を吐いて蹲ったあたしに、少年が駆け寄る。それをどうにか手で押しとどめて、アメコジキの方へと指を向けた。
「いいですか、少年。……今から起きることを、よーく見ておくですよ」
「えっ?」
「例え雨に阻まれて星が見えなくたって、星はそこにあるんです。あたし達はいつでも、それに手を伸ばすことができる」
善いものがそこにあると信じる限り。あたし達に無縁であっても、分厚い悲しみに覆い隠されてしまっていても。
それでも、雨夜の星に、手を伸ばして。
「たとえ、人が誰も見てくれてなかったとしても。神様は、ちゃーんと見てくれているですから」
アメコジキが、燃えていた。全身を覆う蔓についた清浄な炎が、その身を焼き尽くさんと猛りを上げている。
“舞い散る神”には、華の神としての側面以外に、あまりに苛烈な逸話がひとつ、残されている。妊娠に対し不貞を疑われた際に、自ら産屋に火をつけて、自身が浮気をしてできた子ならば諸共焼け死ぬはずだと言い放ち、実際に我が子ともども生還してみせたのだ。
彼女の齎す炎には、不浄を許さぬ力がある。この力を撃ち放つ度、あたしは彼女に裁定をされている。その上で“悪”を見出されたならば、即座にこの身は燃えて灰と散るだろう。
だからこそ、この炎を少年に見せることには、意味がある。善くあらねば使えない炎。善くある意思を失った途端に、我が身を焼く炎。それを投じて見せたあたしの意思を、きっと、この利発な子ならば感じ取ってくれるだろうから。
暗雲が炎に焼かれ、見る見るうちに消えていく。星の光が地上に降り注ぎ、あたし達の表情を克明に照らし出した。
「お姉ちゃん、ずるいや。……命を張ったって意味なんかないって言ったぼくに、命を懸けてこんなものを見せるんだもの」
泣き笑いを浮かべた少年は、目尻の涙を拭い取って、それから改めて笑いかけてくれた。