雨夜の星に手を伸ばし   作:クサリ

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「……ダメか。通じる気配すらない」

 

 少年を連れて身を寄せた無人のコンビニで、一向に繋がる気配のない通信端末にため息を吐く。ひとまず安全を確保できた今こそ、隊の皆と通信して合流を図りたい所だったが通じないことにはどうしようもない。

 申し訳なさを感じながら、商品棚からタオルを失敬して体から水気を拭き取っていく。後できっちりと清算するつもりではあるが、どうにも無断で商品を使うことに罪悪感を覚えてしまうのは小市民のサガであった。

 しかし、一度やらかしてしまえば踏ん切りも付くというもの。ホット飲料の棚からココアを二つ取り出し、気まずそうに背中を向けている少年に声をかける。

 

「ほら、少年もココアとかどうです? あったまりますよ?」

「ありがと。でも、いいの? その……お金とか」

「緊急事態ってことでひとつ。色々解決したらちゃーんと払うからいいんですよ」

 

 おずおずと缶を受け取り、その熱に触れた途端に表情を綻ばせる少年に思わず笑みが浮かぶ。平時なら蒸し暑さに苦しめられるはずの七夕の夜から、黒い雨はすっかり熱を奪い去っていた。季節に逆行した悴むような寒さに、暖かく甘い飲料は染み込むように活力を与えてくれる。

 先は、不甲斐ない姿を見せてしまった。手の震えを隠せないまま大丈夫だと繰り返すしかなかったあたしに少年が何かを言うことはなかったが、唯一頼れる大人がこのザマではさぞかし不安に思っただろう。今はひとつでも安心できる要素が増えてくれるのはありがたいことだった。

 

「でも、どうしてみんな居ないんだろう? ここまでの道でも、誰も見なかったもの」

「ああ、それはですね。この黒い雨を降らせてるオバケ……アメコジキの出現が予報されていたから、みんな前もって避難しているんですよ」

 

 少年がふと零した疑問に、違和感を覚えた。避難そのものは公的機関が主導して行われたものだ。普通ならば当然知っているはずのことだが……そういえば、この少年の事情もよくわかっていない。

 何故、あたしはこの子と二人でぼうっと突っ立っていたのか。何故この子は自分のことが何もわからなくなっているのか。状況は謎だらけだ。

 

「予報って、オバケなのに天気みたい」

「ある意味天気予報そのものなんですよねー、これが。アメコジキは黒い雨を降らせるけれど、前兆として雨雲を異常に成長させるからそれを察知してるってわけです」

「ふうん。オバケなのに、なんだか律儀なんだねえ」

 

 オバケなのに、というフレーズが気に入ったのか何度か口の中で繰り返してきゃらきゃらと笑う。呑気と言うべきか、大物と捉えるべきか。少なくとも怯えて萎縮されるよりは良いものの実に判断に困る明るい笑みだった。

 

「それじゃあ、これからどうするの? えっと、この雨、危ないのにオバケがずーっと降らせてるんだよね? いつか、晴れるの?」

「うーん、ほっといても晴れるってわけにはいかないですけど……大丈夫です! この近くにはいないみたいですけど、お姉さんの仲間がちゃーんとオバケをやっつけるために頑張ってますから! こーして雨宿りしていれば迎えに来てくれるはずです!」

 

 そっかあ、と頷く無邪気な姿に心が痛む。実際の所、仲間がどうなっているのか、無事に作戦を開始できているのかはあたしには知りようがないからだ。それでもあたしは、この子をできる限り安全に守らなきゃいけない。

 

「でも、それならお姉ちゃんはぼくと一緒にいて良いの?」

「……それは」

 

 ────逃避を鋭く突き刺す言葉に喉が詰まる。

 分かっている。現実問題として一般人の保護は必要だとしても、簡易な探索すらせずに付きっきりでいるべきではない。こうして屋内を拠点として使えるのがわかった今、やるべきことはおしゃべりではなく次に打つ手を模索することだ。なのに、あたしはその一歩が踏み出せないでいる。

 だってあたしには、才能がない。正確には、才能になりそうな要素がうまく噛み合わず、その全てを腐らせている。

 高速で動く物体を認識できる目があるのに、体の反応が追いつかない。霊的な力そのものは持ち合わせているのに、それを運用する素質がない。頭の回転が速い自負はあれど、持ちうる手札が少なくてはそれを活かしようがない。“奥の手”こそ存在するが、それは本質的にはあたし自身の力ではない。

 はっきり言って、あたしは弱い。祓魔隊第八班の中で一番の落ちこぼれが誰かと言えば、それは間違いなくあたしであるだろう。だから……正直、自信がなかった。あたし一人で、少年を守り切れる気がしない。この不可解な事態を打開し状況を好転させられる気がしないで、竦んでしまっているのだ。

 

 何かを言わなければならないのに、言うべき言葉が見つからない。その一瞬の静寂を、ぴしりと何かがひび割れる音が引き裂いた。

 

 コンビニの入り口から、死装束を着た女性のように見える人型がこちらを覗き込んでいる。それは垂れ下がった濡羽色の髪の隙間から暗闇を覗かせ、袖から歪に伸び切った指のような器官を出してこちらを指差しているかのようだった。二メートルにも及ぼうかという巨躯から見下ろされた少年が息を呑み込み、後ずさる気配を背中で感じる。

 

「“白装束”!? そんな、結界は!?」

 

 答えはすぐに示される。コンビニ到着後に安全確保のためにと最初に張り巡らせていた結界。それが、まるで和紙を破るかのように白装束の指に突き破られ、引き裂かれていく。

 ああ、これだから非才は嫌なのだ。こうして並の祓魔師ならば雑魚と吐き捨てるような小物の界異にすらも付け焼き刃が通用しない! 

 

 息を吸って、吐いて。背後に少年を庇う位置に立つと背中に提げたコンパウンドボウを構える。ゆらゆらと緩慢な動きで向かってくる白装束へ照準を向けながら、少年へと声をかけた。

 

「少年。ぶっちゃけこいつは弱いですから、あたしがなんとかできます」

「……えっ?」

「ただ、たぶんここから逃げなきゃいけないことにはなります。……今は下手に動かないで、でもあたしが合図したらすぐに裏口から逃げられるようにはしておいてください」

「え、えっ」

 

 残念だが、状況をうまく飲み込めていなくとも少年に構っている時間はもう残されていない。無理を言って小さめの規格を用意してもらったとはいえ、この矮躯で弓を扱うのは相当な負荷がかかるのだ。

 腹に力を込め、空手のまま固い弦を引くと、滑らかな音を立てて滑車が動作を補助してくれる。最大まで引き切った頃には、何もつがえていなかったはずの指には微かな光が凝集し、矢の形に固まりはじめていた。

 

 MITAKAオールドバレル。「対象に向かって射る」動作を簡易的な儀式として成立させ、穢れを祓う加護を矢の形で撃ち放つ祭具(ギア)────祓魔道具の一つである。

 

 使い手の素養を問わない装備は十全にその機能を発揮し、輝きの矢は過たず白装束の頭を消し飛ばして霧散させる。動きが鈍く、特別な能力を持たない白装束という界異は武装した祓魔師であればまず遅れを取らないような弱小界異だ。故に、あたしがいくら弱かろうと一体や二体相手にする程度なら全く問題にならない。

 そう、問題は……

 

「ああもう、やっぱりこうなった!」

 

 黒い粒子に解けて消える白装束の背後から、新しい白装束が顔を出す。よく見ればその背後にも二、三体がまちまちの距離に見えていた。

 界異は、基本的に穢れで体を構成する。つまり、こうしてアメコジキが黒い雨を降らせ続ける限り、辺りはいつどこに界異が発生してもおかしくない状態にあるわけで……そんな所で戦闘なんか始めればどうなるかは、見ての通りだ。

 

「ごめんね少年、やっぱり逃げないとダメみたいです! 走れます!?」

「ひ、え、あ、は、はし、る!?」

「あーまだダメみたいですね分かりました走れるようになったら教えてください!」

 

 声で判断するしかないが、腰を抜かしたのか、はたまた怯えて竦んでしまっているのかで走れる状態にはないらしい。できれば早いところ復帰して欲しいものではあるが、仕方ない。例えいくら気丈な人間だろうと、実際に界異を、こちらに害意を向ける怪物を目の当たりにすればこうもなろう。

 時間をかけるほど悪化する状況の中で、時間を稼がなければならない。何とも趣味の悪い冗談だが、それでも大真面目にこなさなければ待っているのは諸共の死だった。

 

「あーもーやったろーじゃないですか! かかってきなさい界異ども、あたしに向かうは死と同義だと教え込んで────」

 

 あたしはきっと、舐めていた。怯え竦んで足踏みしてしまう程に警戒していたとしても、実態よりもずっとずっと、甘い想定で考えていた。

 アメコジキの降らせる黒い雨、その脅威を籠ってやり過ごそうだなんて如何にバカげた考えであったのか、思い知らされる光景が目の前にはあった。

 

 照準を向けた白装束が、唐突に腹から刃を生やす。びくりと痙攣して硬直したその巨躯が軽々と持ち上げられ、小石のような気軽さで投げ飛ばされた。

 轟音を立てて商品棚を薙ぎ倒す白装束へと意識を向ける余裕はなかった。少しでも意識を逸らした瞬間に、死ぬと理解していたからだ。

 “それ”は、背後に控えていたはずの白装束達を無残に切り散らして、穢れを喰らうように身に取り込んでいた。

 白装束に並ぶような恵体。全身を鎧甲冑で固めたような威容。そして何より、白装束とは比べ物にならない程の、穢れの圧。

 

 界異“武乱骸”。視界に映る全てを鏖殺する埒外の怪物(格上)が、あたし達を睨み据えていた。

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