十人十色の願いが綴られた短冊が七夕飾りごと切り倒され、踏みにじられる。戦闘とも呼べない蹂躙の余波だけで店内をめちゃくちゃに荒らした下手人は、時代錯誤にも程のある鎧武者だ。
武乱骸。怨霊や穢れの集合体とされるその界異の狂暴性、そして強さは白装束とは比較にならない。少なくとも三人以上のチームで対処に当たることが推奨されている、悪食の怪物。一体現れただけで、今のあたしはほぼ詰みだ。諦観や焦燥を超えて絶望が胸中に広がっていくのを感じる。気づかぬうちに息が上がり、弓を構える指先が大きく震え始めた。
それでも退けないのは、後ろに少年が居るからだ。守るべき子供が居て、あたし自身がそれを見捨てることを許してくれないからだ。勝ち目が見えなくても、生き残る道筋が絶えていても、足掻くことを止めるなんて出来るはずがなかった。
「ごめんね、少年。アレには勝てないので、無理でもなんでもどうにか逃げてください。あたしが時間を稼ぎますから」
「で、でも、それじゃあお姉ちゃんがっ」
「でももクソもねーんですよ! 死にたくないなら走ってください!」
少年の返答を聞く余裕はなかった。身を軽く沈ませた武乱骸が槍を構え、突進してくる動作の起こりが見えたからだ。
突進の一歩を踏み出すまさにその瞬間に、ベルトに提げた発煙筒のような道具────
十字槍の刃が頬をかすめていくのを横目に、浮足立ったその軸足を肩で掬い上げる様に刈り取った。
濃密な穢れに直接触れた肩がじゅうと音を立てて腐り落ちる激痛を歯を食いしばって堪え、満身の力を込めて武乱骸を転ばせる。体格差が大きいことが逆に功を奏した。界異は本質的には物理的な存在ではないため、見た目よりも重量は軽い。これが本物の鎧武者であれば重量差的にこう上手くはいかないだろう。
隙を晒した武乱骸にさらに二つの筒を投げつける。一つは黒い爆発を起こして武乱骸の穢れを削り、もう一つは輝くような加護を瞬間的に放出して穢れそのものである界異の
「ぐ、ぷぇっ」
腹から込み上げてくる血を吐き捨てながら腹に突き立つ槍を力ずくで引き抜き、捨てる。穢れに侵された内臓が灼けるような痛みと嘔吐感を叩きつけてくるが、気合いで耐えるしかない。様々な祭具を収めたポシェットの中、致死的なダメージを肩代わりした“形代紙”が黒ずんで役目を果たし終えたのと同時に肩と腹が再生していくのを知覚する。
形代紙。タクティカル祓魔師が持つ、命の残数。破滅やダメージを肩代わりしてくれるそれは、諸々の事情から所持枚数を七枚に制限されている。残り、六枚。あと六回までは死ねるとしても、この状況でその残数はあまりにも……心許ない……!
視界の先。悠々と立ち上がった武乱骸は少しだけ鈍くなった動きを気にする様子もなく、淡々と腰に佩いた刀を抜き放つ。ダメージはあったはずだ、弱体化だってしているはずだ。なのに、それでも、こちらの有利にまで持ち込むにはあまりにも遠い道のりが必要だった。
勝てない。純然たる事実が身に重く伸し掛かる。元々あたしは近接戦闘が得意ではない。一度見せた手はもう喰らってくれないだろう。弓の間合いに持ち込むほどの時間をくれるとは思えないし、そもそも武乱骸も弓を扱う。“奥の手”は……隙が大きすぎる。よしんば撃ち放ち、当てることができたとして今の条件下で使うとあたしも死ぬ。どうせ死ぬならば、リスクを取るよりも長く時間を稼いだ方が良いだろう。
武乱骸の背後に視線をやると、そこにはもう少年の姿はなかった。がちゃがちゃとした音が遠くから聞こえる辺り、どうにか裏口まで逃げ延びてくれたのだろうか。ひとまず動いてくれていたことには安堵する。あとは、この鎧武者もどきが彼への興味を失うまで体を張り続けるだけだ。
は、と自嘲めいた笑みが溢れた。自分の不足に苦しみ、足掻いて藻搔いて、苦労して借り受けた切り札も使わずじまいで死ぬ。弱い奴は死に方も選べない、なんてセリフが何かの漫画であったっけ?
それでも、あたしは止まることができない。ここで命を張れば少年が生き延びられる、その可能性を無視してしまえば、あたしは、今度こそあたし自身に胸を張ることができなくなる。
勝ち目はない。活路はない。投げ飛ばした呪瘤檀は武乱骸に届く遥か前の地点で刀に弾き飛ばされ、そのまま一息に距離を詰められて切り捨てられた。死んだ。死にながらでも動き続け、武乱骸の脚を黒不浄────穢れを押し固めた短刀で切りつけながら間合いを取った。それを気にする様子もなく回収された槍の投擲が再び腹を貫く。死んだ。打ち合いに持ち込ませてはならないと最初に撒いた疑似穢の煙幕に突っ込み、誘引性の穢れに惹き寄せられていた白装束達を武乱骸に擦りつけた。こちらに向かってくる白装束だけを処理しつつ、乱戦状態にある武乱骸へと加護の矢を放つ。二、三射ぶつけた時点で武乱骸も弓を構え、正確無比に心臓を撃ち抜かれた。死んだ。
五枚、四枚、三枚。形代紙の残数は次々と削られ、本当の死が目前に迫る。恐ろしくて恐ろしくて仕方ないのに、それでも体は動き続ける。
集まっていた白装束が全て処理された後、開けた場所を求めてコンビニから飛び出した。黒い雨が叩きつける路上で、所々欠けた甲冑から瘴気を漂わせる武者が一歩、また一歩と距離を詰めてくる。こちらもあれこれと手を打って削りにかかったというのに、武乱骸はまだまだ壮健な様子であった。まったく、嫌になる。
「最期まであたしに付き合ってもらいますよ。少なくとも、あたしの命が尽きるまでは……!」
示し合わせたように、同じタイミングで相手へと向かって踏み込んだ。その手に握るは互いに刀剣。
袈裟懸けに体を刻もうとする刀身を無視して、下から抉り込むように甲冑の隙間から肩を狙う。極限の集中の中で刃があたしの体に触れ、皮膚を裂き、肉に食い込む瞬間が明瞭に知覚できた。これでまた、死ん────
────どぉんっ。
やけに間延びした重たい衝突音が響き、武乱骸の体が吹き飛んだ。互いの刃は標的を見失って空振り、ついで軽い着地音が隣に響く。
「あっぶなーい! もしかして、良い感じのタイミングで間に合ったみたいな!?」
大袈裟なほどに表現される焦燥に合わせて揺れる特徴的なアホ毛。あたし程ではないにしろ、小柄な体にめいっぱいの自信と活力を詰め込んだ同僚が……