ヤロヴィートは黒い存在にとびかかり、思いっきり振りかぶって剣を振り下ろした。黒い存在は霧のように消えていった。
「今ので最後かな」と彼は言った。ヤロヴィートは深くため息をついて、すこし天を仰いだ。「成れの果てとはいえ、かなりてこずったな…それより、なかなかの戦いぶりだったね、マシュ。きみのような存在がルーシ兵にいてくれたらな…よかったら入隊しないかい?」
「そ、それは…」
マシュは戦闘終わりで、やや呼吸を整えながら、すこし困惑していった。
「冗談だよ」と彼は気さくに笑ってそういった。「僕も本来盾使いなんだけれど、君のように機敏には使いこなせないな。さっきは同僚の武器を借りたんだ。君のその盾の腕前、感銘を受けるよ」
「ありがとうございます・・・それより、今の襲い掛かってきた存在はいったい何なのでしょうか?」
「ああ、いまのは…」
ヤロヴィートはそれまでのなごやかな表情を変えて、すこし神妙な面持ちになった。
「小神格の成れの果てだよ。さっき、この世界の神々の存在について少し話しただろう?この世界では、神格という土着的な神が存在していて、僕もその一人。その神格が人間の信仰をなくし、名前を完全に忘れ去られると、今のような理性を失った存在へとなり下がる。それを僕らは成れの果てと言ったりする。非常に野蛮で、人間でも動物でも、見境なく襲い掛かってくる。君の世界がどうかはわからないが、このキエフ・ルーシでは、人間と神々の関係が密接に結びついていてね。人間の信仰が薄れていけば、神格の力はだんだん弱まり、終局的には消え去る。つまり神格だけではこの世界に存在できないんだ。僕もこの世界にあるとき再び現界したが、かつての自分よりもはるかに力がなくなっていると実感しているよ」
「そうなのですか…そういえば、ヤロヴィートさんはなぜこの時代のマナに適応できているのですか?人間の信仰があるとはいえ、それだけでは紀元後の世界で神霊が現界することはほとんど不可能なはずですが…」
「それは…」
彼は少し考え込んだ様子だった。
「…さあ、ぼくもあまりわからない。たしかに神代はとっくの昔に終わりを遂げている。それは僕たちスラブの神たちも例外ではなかった。・・・僕が語れるのはそれぐらいかな」
風が吹き、森全体がなにか大きな存在であるかのように大きく揺れた。
「さて、少ししゃべりすぎてしまった」とヤロヴィートは言った。「とにかくここから離れよう。いまみたく成れの果てが出てくる可能性がある。僕についてきてくれ」
◇
マシュははじめヤロヴィートに信頼をおぼえながら彼について行っていたが、次第に疑念を抱き始めていった。歩き続けてもいっこうに森から抜け出ることはなく、日はだんだんと沈み続け、あたりは一層暗くなっていき、どこか不穏な空気が漂い始めていた。
─本当にこちらの道であっているのでしょうか…
「ヤロヴィートさん、こちらの道で本当にあっているのですか・・・?なんだか先ほどより大気中の魔力が濃くなっているような気が・・・」
「…ああ、心配する必要はないよ…今に終わるから」
はじめマシュは彼の言った言葉をよく理解できなかった。すると突然、ヤロヴィートが彼女の方に振り向くと、即座に彼は剣を召喚して、マシュに切り掛かった。
「え…?ッ!!」
マシュは困惑を覚えながらも盾でその攻撃を防いだ。
「…さすがに防がれるか。そりゃそうだろうね。さっきの戦闘を見ていれば、それは予測できることか…」
─これは、いったい・・・
彼女は気が動転して、状況をうまく把握できなかった。さきほどまで自分と共闘し、親身に接してくれた存在が、急に攻撃を仕掛けてくる・・・?
「どういうことですか!ヤロヴィートさん!!いきなり攻撃をするなんて・・・ッ!!」
彼女はそのとき、背後から降りそそいでくる魔術攻撃を即座に察知し、それを躱した。
「攻撃の手を止めるな!そいつは並みの神格とは比べ物にならない戦闘能力だ。」とヤロヴィートは森全体に話しかけるようにそう叫んだ。その間にもマシュは苦しい表情をうかべながら、無数の攻撃を躱し続ける。
「そんな…ヤロヴィートさん…あなたは…」
「すまないね。君は悪くはない。ただ…これは運命としか言いようがない。それだけだよ」
「そんなこと、説明になっていません!」とマシュは攻撃を盾でいなしながら必死に彼に問いかけた。「あなたは…私の、私たちカルデアの敵なのですか…」
ヤロヴィートは一瞬攻撃の手を止めた。
「…それはやや語弊がある。君たちが僕らの・・・キエフ・ルーシの敵なんだ」
ヤロヴィートは巨大な黄金に煌めく盾を召喚し、それを携えたかと思うと、力いっぱい彼女に向かって振り下ろした。マシュはその攻撃をなんとか防いだが、背後から降り注ぐ魔力の攻撃が彼女に直撃し、彼女はその反動に耐えきれず、ついに膝を落として倒れこんだ。
「うっ・・・!!」
─まだ、なんとか・・・
朦朧とする意識の中で、彼女は何とか立ち上がろうとした。しかしそれは徒労におわり、結局彼女は意識を失った…
「かまわない、みんな出てきてもいいぞ」
ヤロヴィートがそういうと、暗い森のいたるところから、今度は白い鎧を身にまとったものたちがぞろぞろと現れた。
「しかし、かなりの博打にでましたな」とその兵士の一人が言った。「隊長一人が出て行って、相手を油断させて話しを引き出す。頃合いをみて襲い掛かれ・・・ですか。あなたは本当に奇抜なやり方を実行する・・・」
「そう奇抜でもないさ。むしろ正体不明の反乱分子に、兵全体を引き連れていく方がリスクがあるだろう。ただ、成れの果ての出現は想定外だった。あれは僕一人ではさすがに対処しきれなかっただろう」
彼は先ほどのおだやかさが嘘であったかのように、冷徹に彼女の倒れた姿を見下ろしていた。
「ええ、あのときは私たちも出ようかと迷っていました。」と兵士は言った。
「私の合図が出るまで辛抱してくれてありがたかったよ」とヤロヴィートは言った。「…そこの君たちは彼女を運んでくれ。馬車で運ぶぞ。殺しはしない。これでヴァン二クの予言が正しいことが分かった。もう一つの予言─ドゥモボーイの村で彼女のような存在が現れること─も起こるだろう。万が一そいつを捕られられなかった場合はマシュを人質にすることもできる。君たちはすぐキエフに戻りスヴァローグ神にこう伝えてくれ」と、そこでヤロヴィートは一呼吸置いて、言った。「ヴァンニク族の残した予言は本当だったってね」