山羊の魔王 作:がらがらどん
拳を握る。ただそれだけの動作であるのに、相対する錠前サオリは言い様のないプレッシャーに押しつぶされるような感覚を覚えていた。
「どうし、た。来ないのか?」
「ッ…………行くぞっ」
よく研がれたナイフを右手に逆手に持って、サオリは前へと飛び出した。
対する大男、柄見ガラは両の拳を頭の高さにまで持ち上げる。
ガラの戦闘スタイルは、素手。それも、両の拳のみならず、蹴り、膝、肘、頭突きと五体の全てを攻撃へと転化するもの。
恐ろしいのは、彼の体格と剛力。振るわれる一発一発が一撃必殺となる。
対して、突っ込んだサオリは姿勢を低くしていた。
ナイフによる戦闘は、刃の長い刀剣類とは別物となる。狙うのは、首や手首と言った大きな血管のある部位で、ココを切り裂き相手への出血を強いるのだ。
この時、一撃で相手を深く傷つける事は狙わない。
浅く、それでいてしつこく何度も切りつけて傷を刻む。
何より、素手と刃物の戦いは後者に分がある。何せ、素手側は防御が難しく、刃物側は相手の守備の上からでも傷をつける事が可能なのだから。
低い姿勢から、サオリが狙うのはガラの足。擦れ違いざまに膝、或いは太ももの外側を斬りつける。
だが、
「っ…………」
咄嗟に急ブレーキ、直後にサオリは飛び下がっていた。
間髪入れずに、彼女の頭部が通過しようとしていた地点振り下ろされた拳が通過して、対象を見失った一撃は地面を砕く。
サオリの身長は、167センチ。女性として見るなら中々の高身長だろう。
一方で、ガラの身長は198センチ。31センチの差はそのまま、両者のリーチの差へと繋がる。
(やはり、速い……!リーチ差を考えれば、懐に潜り込めば勝ちの目もあるが……そこまでが茨、か)
小さく息を吐き出して、サオリはガラを中心として円を描くように駆け出した。
彼女が考えるガラの強みは、剛力。そして、この剛力を利用した
筋肉の積載量が増えれば、出力も増すが当然重量も増える。コレが、パワータイプの速力低下の一因であると言えるだろう。
しかし、要はどんな力も使い方次第だ。
ガラの場合、自分の剛力を、というよりは肉体を動かすシステムを身に付けていた。基盤となったのは、マッスルコントロール。
彼は、指先のみならず毛筋の先にまで意識を張り巡らせることが出来た。というか、出来るようにした。
結果、生まれたのがどのような姿勢、体勢からでも最速、準速、低速と一切の淀みなく手足を繰り出す事が出来る近接戦の鬼である。
ガラの周囲を回り、彼の後方から一気にサオリは駆ける。
上体を限りなく前に倒して、半ば地面を舐めるような低姿勢。
当然、これをガラも迎撃する。具体的には、間合いに入った瞬間振り返る事無く振り上げるような後ろ蹴りを容赦なく振るったのだ。
間一髪、これをサオリは回避。代わりに、被っていた帽子が宙を舞う。
蹴り足を掻い潜って、軸足狙いの斬撃。
対して、ガラは振り上げた足を横に振るって体を回転させ、コロの要領で迫りくる斬撃を流してみせた。
「ほぇぇぇ……リーダーもボスも凄いですねぇ」
そう気の抜けた声を出すのは、白いタオルで頬を拭う槌永ヒヨリ。
彼女だけではなく、サオリをリーダーとしたアリウススクワッドの面子がこの場には揃っている。
現在、彼女らは近接戦闘の訓練中。その相手を、ガラが務めている。
「感心する前に、二人の動きちゃんと見て。狙撃手でも、接近戦はあるでしょ」
戒野ミサキがペットボトルから口から外して釘をさす。
銃を主体戦とするアリウススクワッドだが、銃火器というのは強力な反面弾数制限というネックがある。
特に、ミサキのミサイルや、ヒヨリのスナイパーライフルは一発の威力が高い反面、弾数の制限が強い。
だからこそ、サブウェポン含めた複数の戦い方が必要なのだ。
それは偏に、戦場を生き抜くために。
「ぐっ……!」
「良い、動きだった」
一瞬の交差。張り手がサオリの腹部へと叩きつけられ吹っ飛ばされる。
転がった彼女に入れ替わる様にして、前に出たのは白い翼の印象的な少女。
「次は、アズサか」
「ああ、よろしく頼む」
フンス、と鼻息荒く白洲アズサは右手に銃剣付きの拳銃を構える。
「良し、来い」
「行くぞっ!」
チャンバーをチェックして、アズサは前へと駆け出した。
因みに、スクワッドのサブウェポンはそれぞれ自分達で選んだものだ。
サオリは、ナイフ。アズサは銃剣付き拳銃。ヒヨリとミサキは拳銃を。
そして、
「…………」スッスッ
「ア、アツコちゃん、また手話になってますぅ……」
「姫もガスマスクとって良いんじゃないの?」
ガスマスクを被った手話で話す少女、秤アツコはハチェットを選択していた。
ナイフよりも重く、片手で扱えて振るえば遠心力で膂力に劣っても一定の破壊力を発揮できる。その観点からの選択だった。
因みに、このガスマスクはベアトリーチェが渡したものだ。とある理由から、アツコの生存が最優先事項であったために被る事を求められた。
「くっ……!」
「弾薬、を気にするのは構わないが。そちらに意識を、割き過ぎだ、な」
間一髪で振るわれた拳を躱して、弾切れした拳銃の銃口を油断なくガラへと向けるアズサ。
銃剣を装着しようとも、拳銃の主な使い方はやはり銃撃戦となる。だが、至近距離の白兵戦ともなればどれだけリロードの隙を削った所でゼロにはならない。何なら、その僅かな隙を相手に差し切られる事になるだろう。
この街では、拳銃弾程度は牽制以上の意味を持たない。相手に致命傷を与えることは愚か、ストッピングパワーとしても本来は不十分。接射でもすれば話は別だが。
銃を下して立ち上がったアズサ。空になったマガジンを取り出して、チャンバーに残った弾丸が無い事を確認しホルスターへと収めた。
「むぅ………一本取れないか」
「まだまだ、くれては、やれないな……心配、するな。強くなっている、さ」
唇を尖らせるアズサの頭に、その小さな頭蓋をすっぽり掴めるほどに大きな右手が乗せられる。
198と149の身長差は大人と子供の様。
「むふー」ᓀ‸ᓂ
「お前は、撫でられるのが好きだ、な」
満足げに胸を張るアズサに、僅かにだがガラは鉄面皮を緩めて、口元に小さな笑みを浮かべる。
それは、本当に僅かな変化で口角が少し動いただけ。
それでも、少なくともアリウススクワッドの面々には分かった。ついでに、
「ガラ」
「ん?どうした、アツコ」
「私も、今日は頑張ったから撫でて?」
ご丁寧にもガスマスクを外したアツコがいつの間にやら、ガラの左手側に近づいてそんな事を言い出した。
突然の事に首を傾げるガラだが、実際頑張る彼女らを否定する気は無い。左手を持ち上げて割れ物を扱うようにして、アツコの頭に手を置いた。
基本的に、ガラは少女たちの要求を断らない。よっぽど倫理観の外れている場合や、一般常識からかけ離れていない場合に限るが。
この状況が面白くないのは、他二人。
「うわぁああああああん!!二人とも狡いですぅ!!」
「……訓練したのは、私たちも同じなんだけど」
左右に両腕を開く形のガラの無防備な腹部へと飛びつくようにして泣きついたヒヨリと、いつの間にやら後ろに回り込んでガラのシャツの裾を摘まんでいたミサキ。
四方を少女たちに囲まれて、ガラは困ってしまった。
如何に怪力無双がそのままに人の形になったような力の権化も、腕が四本も生えている訳ではない。しかし、かといって二人を無視する事も出来ない。
仕方なしに、右手でヒヨリを、左手でミサキの頭をそれぞれに撫で始めた。
だが、
「む」ᓀ‸ᓂ
「ガラ」
「…………」
今度は先の二人が不満を顔に浮かべる。
彼方立てれば此方が立たぬ。かといって横車を押すような解決策がある訳でもない。
仕方なしに、少女たちの頭を順繰りに撫でる事になる。ついでに、ガラのへの字口は口角が更に下がって困った様に眉根が寄っていた。
「――――お前たち、その辺りにしておけ」
助け舟を出したのは、この場の第三者。
吹っ飛ばされた後、タオルやドリンクを準備しに行っていたサオリだった。
タオルを首から下げ、帽子をかぶり直して口元のマスクを外した彼女はガラへと歩み寄るとドリンクの入ったボトルを差し出した。
「ガラ。先ほど、トリニティの方から連絡があった。三日後に、正式な会談の場を整えるらしい」
「そうか。了解した」
「…………本当に、一人で行くつもりか?」
「俺達がやるのは、話し合い、だ。武力は、必要ない」
「だが、お前はアリウスの総統だ。生徒会長であると同時に、治安維持のトップでもある。もしもその身に何かがあれば…………」
サオリの懸念はもっともだろう。
アリウスは、現状独り立ちも出来ていない殻が割れたばかりの雛鳥の様なもの。そんな状態で、庇護者のような立ち位置であるガラの身に何かが起きれば瓦解する事は必至。
無論、彼もその事が分からない訳ではない。
しかし、
「それは、お前たちも同じだ。俺にもしもがあれ、ば。アリウスの顔役は、
ガラからすれば、甘やかす訳にはいかない。既に結構甘いと指摘されそうだが、それはそれ。締める所はキッチリ締める。
彼が求めるのは、一代限りの短い栄華ではない。永劫とは言わないが、それでも向こう数十年、或いは数百年、豊かでなくとも飢える事の無い時を過ごせるようなシステムを残す事。
この為には、早々に上に頼った状況を変えていくしかない。
山羊の魔王は、目的の為にただ只管前を行く。それだけだった。