銀騎士と……   作:ダルジャン

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銀騎士と白玉と糸 その3

 

 

『自分』をかばった人影。その人は言った。『いつだって、大切に思っていた』と。

視界が揺れた。目から溢れて止まらない涙のせいで。

今よりも少し大きな自分は、その喪失を越えて、戦った。

失ったものは、その人だけではなかった。

 

――失って、戦って、また失って、戦って。『アタシ』はどうなったんだっけ?

 

胸いっぱいの泣きたい気持ちを抱えたまま、空条徐倫は目を開いた。

見上げた天井は、父方の祖父母の家に似た日本風。

この天井はどの部屋のだっけ、とぼぅっと考えるが答えが出て来ない。

体中がふわふわと熱い。風邪でもひいたのだったろうか、と記憶を辿っていく。

父との口論。自分さえ居なければという悲嘆。迷い込んだ見知らぬ森。

助けを求める女性。見たこともないバケモノ。自分を助けてくれた人。

「ここ、どこ?」

そこが敬愛する祖父母の家ではないと結論づけて、徐倫は布団から身を起こした。

襖で区切られた部屋を見るに日本のどこかであることは間違いなさそうだが、

具体的には一体どこなのか、さっぱり判らない。

「目は覚めた?」

からりと襖が開いて、そこから一人の女性が姿を見せる。

赤と青の奇妙な服装をしている彼女に一瞬身構えるが、帽子の十字に警戒を解く。

それが病院関係の仕事を示すマークなのは、小さな子供でも知っていることだ。

「あなた、ナース?」

女性は優しく微笑みながらも首を横に振る。

「似たようなものだけど、少し違うわ。私は八意永琳。ここで薬師をやっているわ」

「クスシ?」

言われた言葉の意味が解らず、首を捻る。

「……医者だと思ってもらって構わないわよ」

しゃがみこむと、徐倫の手をとり脈を見る。

「うん、脈拍は安定してる……熱はまだ少しあるみたいね」

額に当てられた手の心地よさと寝起きでボーッとしていた徐倫は、

その言葉に意識を失う直前のことを思い出す。

「そうだ。アタシ、頭痛くなって、倒れたんだった」

体中を焼き尽くすような熱に意識を保っていられなくなり、倒れ込んだ時、

誰かが支えてくれたような感触があって、その人が自分を呼ぶ声が聞こえた気がする。

「あ! そうだ、あの、ペルラさんは」

一緒に怪物に追われていた女性の安否を尋ねる。

「大丈夫よ、隣の部屋で寝てるわ。……疲れたみたいだったから」

永琳が微笑む。彼女に真実を告げる必要はないだろう。

こんな小さな子供には、ペルラの身に起きたことはショッキング過ぎる。

その程度に空気を読むことは、何処ぞの龍の使いでなくても出来るのだ。

「よかった」

ペルラも無事と聞いて、徐倫はほっと息を吐く。

「ありがとうございます、ヤゴコロ先生」

「お礼なら、私じゃなくてここに運んできた人に言ってあげて。

 あなたのこと、心配してたみたいだから」

「え?」

徐倫は首を傾げた。運んでくれたのは、多分あの『銀色』を連れた人だろう。

しかしどうして、初対面のはずの自分を心配してくれるのか、解らなかった。

 

――あれ?

 

初対面、ではないような気がした。化け物から助けてくれる以前から

徐倫の記憶の中におぼろげながらも存在している。

街の中で見かけただけ、というレベルではない。

もっと、どこかずっと、身近な所で確かに彼の顔を見たはずなのだ。

記憶を辿る。大きな扉。開くと中には本棚があってびっしりと本が埋まっている。

読んでみてもちんぷんかんぷんな本や、綺麗な海や魚の写真集が主だ。

部屋の持ち主が滅多に帰らないため、埃が積もってしまったそこに一枚の写真があった。

「あ……」

そうして、思い出す。その写真の中に確かに、彼と同じ髪型をした青年が居たことを。

その写真の中で、普段滅多に感情を露わにしない父親が、何処か楽しげな顔をしていたことを。

「先生、ジョリーンの具合はどうです?」

開いたままになっていた襖の向こうからひょっこり覗いた顔は、

あの写真の中にあるのと同じ顔だ、と断定しながらも徐倫はまた首を傾げた。

そもそも、あの写真は一体いつ撮られたものだったんだろう、と。

 

 

「改めて名乗らせてもらおう。俺は、ジャン=ピエール・ポルナレフ」

徐倫が無事だと知るやいなや男の顔が安堵に彩られ、そのまま緩みっぱなしだ。

その人懐っこそうな笑顔に、徐倫の頬もつられて緩む。

「えっと、アタシは名乗ってなかった、よね。アタシは」

「ジョリーン。空条徐倫、だろ?」

ポルナレフが手を伸ばし、その頭をわしゃわしゃと撫でる。

「随分とまあ、大きくなって」

「……やっぱり、おっさん、じゃなくて、ポルナレフは、アタシのこと知ってるんだ」

訝しげに見上げると、その笑顔に寂しいものが混ざったように見えた。

「俺は、君の父さんと友達だった。君とは赤ん坊の時に会ったこともあるんだぜ?」

こんなちっこかったけどな、と親指と人指し指で示す。

そんな小さいわけない、と否定することもなく徐倫の顔が少し曇る。

「そっか、父さんの。……アタシ、父さんのこと何にも知らないのね」

彼女の父、空条承太郎はとにかく寡黙であった。

必要以上のことはあまり喋らない。笑顔を見た記憶もあまりない。

その眼差しはいつもどこか遠くを見ているようだった。

母と知り合う以前の父がどういう人間だったのか、一応周りの人間、

例えば少しボケてしまった曾祖父や明るく美人な祖母、

父と同じように寡黙な、しかし表情豊かな祖父に聞いてみたことがある。

口を揃えて、子供の頃は元気で優しい良い子だった、と言う。

……しかし、彼が十七歳になって以降のことは、ぱったりと皆、口を噤んでしまうのである。

古いアルバムの中にいる闊達そうな少年と、今の寡黙な父が繋がらない。

父は、母と自分に何かを隠している。それに纏わる不信感と不安が拭えない。

「帰ってから聞けばいいじゃないか」

そんな彼女の不安を掻き消すように、目の前の男は事もなげに答える。

「帰って……、そういえば、ここ何処なの?」

今更浮かんだ疑問を口に出せば、男は苦笑しつつ頭を掻く。

「ここは、『幻想郷』って場所なんだが」

さてどう説明したものか、と呟いてポルナレフはしばし黙りこむ。

「……あーまあ、なんつうか、モンスターとかフェアリーが住んでる、

 日本にある小さな隠れ里、かな」

子供だましみたいな説明、と心中で徐倫はやや口を尖らせた。

それからすぐに思い直す。『今』の自分はまだ子供じゃないか、と。

まるで、『大人だったことがあった』かのように。

「んー、アリスの不思議な国みたいなもん?」

「あー、そうだな、そんな感じで。でも不思議の国とは違って、夢じゃあないぜ」

とにかく、妙な場所だというのは理解して、ため息一つ。

「……やれやれ、だわ」

まさか自分がそんな場所に来るなんて、考えもしなかった。

現代のアメリカに暮らす彼女にとってモンスターやフェアリーなんて、想像上の生き物でしかない。

けれど、本当にいるんだ、と少しだけドキドキしたのもまた確かだ。。

ふと、記憶の片隅に追いやっていた光景が、脳裏を過る。

それは彼女は今よりもまだ幼かった頃の記憶。

温かな背中に寄りかかりうとうとしていると、なんだか不思議な気配がしてくることがあった。

そんな時にバレないようにこっそり目を開けるのが好きだった。

『誰も居ない』のに、自分に毛布がかけられたり、

ノートやペンや本がふよふよと空中に浮かんでいたり。

きっと目には見えない妖精がいて、『その人』を手伝っているのだと思っていた。

しかし小学校に入って、妖精なんてただのおとぎ話だとクラスの子達が話すのを聞いた。

だから、あれは寝ぼけた自分が見た夢だったに違いない、と記憶の底に眠らせていた。

今もその光景は薄ぼんやりと遠い。大好きだった背中が誰のものかも思い出せないくらいに。

 

 

「でも、アタシがどうしてそんな場所に?」

「――扉を管理するお姉さんのミスで、な。お姉さんだぞ、お姉さん」

何故か殊更お姉さんを強調するポルナレフ。

危機迫ったその表情に、ごくり、と唾を飲み下す。

「間違ってもっ、何があってもっ、『ミセス』だの『おばさん』だの言うんじゃあないぞッ!?」

「何があったんだお前は」

襖が再度開いて、そこからもう一人別の男性が姿を現す。

よく日に焼けた肌とエスニックな衣装の彼は、呆れたようにため息をつきながら、

ポルナレフの隣へと腰を下ろした。

「俺じゃねーって、ただそう言っちまったやつがよ……」

身震いするポルナレフ。彼が何を見たのかは定かではない。

「そうか……、まあ、それより。この子がジョリーン、だな?」

ジッと徐倫のことを見つめる。

その視線の強さに何だか居たたまれず、足がむずむずしだした辺りで、彼もまた微笑みを見せた。

「成程。顔立ちが承太郎やジョースターさんにそっくりだ」

その微笑みも記憶の中の写真にあったものと同じだ。

「はじめまして、ジョリーン。私はモハメド・アヴドゥル。君の父さんや曾おじいさんの友人だ」

しかし、いざ面と向かって言われるとやはり不思議な感じがする。

 

――父さんってどこでこんな知り合い作ったんだろ?

 

写真に写ってたのは、ガクセー服とかいう日本のハイスクールに通う生徒の服のはずだ、と

記憶の中にある写真をもう一度思い起こす。

そうすると、目の前の光景への違和感が湧き上がった。

「ねえ、ちょっと聞いていい?」

「ん、どうした?」

「どうして……、えっと、ポルナレフのほうが、老けてるの?」

「む?」

質問の意図を理解しかねているらしい彼の表情に、問いなおす。

「……父さんの本棚に、写真があったわ。若い頃の父さんと、アンタ達の写真」

今よりももう十は若い銀髪の青年が、今と全く変わらない褐色の男が写っていた。

「写真が、十年くらい前のなのに、アヴドゥルが全然変わってなくって、

 なのに、ポルナレフはきちんと歳をとってる気がして……」

質問に二人は揃って目を丸くし、ついで頭を抱える。

「まぁ、色々とあってなぁ」

徐倫は知らぬことだが、本人達さえつい昨日その事実を知ったばかりなのだ。

それを、どうやって説明したものか。あの戦いを知らぬであろう、少女に。

「……これだから大人ってやだ」

その答えに落胆し、徐倫は肩を落とす。

「父さんも、アンタらも、私が子供だからって、なーんも教えてくれないんだ」

「……そうじゃあない、けっして君が子供だから言わないのではなくてだね」

子供の扱いがあまり得意ではないらしいアヴドゥルが、少々慌てている。

その隣でポルナレフの表情が強張っていた。

「いいよ、ごまかさなくても。……アタシに教えない理由が、子供じゃないからって言うんなら」

先に言っておこう。この時に、彼女は説明されないことに落胆していた。

故に、その言葉が口を突いて出たのだ。先程まで見ていた夢のことは、最早記憶になかった。

 

「きっと、父さんはアタシが嫌いなんだ」

 

「そんなわけないだろうッ!」

 

反射的に放たれた悲鳴じみた大声に、びくり、と肩が跳ねる。

その肩に、ポルナレフの指が――造り物の小指を含めた十本の指が――食い込む。

「そんなことを、言うんじゃあ、ないッ!」

途切れ途切れに紡ぎ出される声は、震えていた。

「承太郎がッ、君を、嫌いだなんて……」

感極まって、ポルナレフの片方しかない目から、ほとほとと涙がこぼれ落ちる。

「そんなこと……言わないでくれ、頼むから……」

その指の力強さに、徐倫の中にはただ疑問が湧き上がる。

どうして、赤ん坊の頃の自分しか知らない人がこんなことを言って、泣くのだろうか?

肩に食い込む指はどれも冷たい。

 

――まるで、死体みたい。

 

どこか場違いに、そんなことを考えていた。

何故死体の体温を知っているのか、などと考えもしない。

冷たくなってしまった体に、『いつ』『どこで』触れたのかさえ、考えもしない。

ただただ、この状況に困惑するばかりだった。

 

 

 


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