銀騎士と……   作:ダルジャン

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銀騎士とあか その2:『あかのゆめ』

 

紅魔館の図書館。その中を、コツコツと足音を立て、チャリオッツレクイエムは歩む。

今の彼は、守るべき『矢』をもたない。だが、その代わり意志を持っていた。

『守りたい』と。その想いは、その身に僅かに刻まれていた矢の残滓と混じり、

『守るためには、全てをかえる』という実に奇怪な発想に変化している。

先程の異変を察した小悪魔が逃げ出そうとしたため、図書館の扉は開いてたまま。

その扉の向こうへ、歩み出す。館の外を目指して。

そんな彼をぼんやりと見送る影が一つ。

「やっぱり、あれ、見覚えあるなあ」

紫の髪をした少年の亡霊は、首を傾げた。

「でも、あれじゃあない。僕を呼ぶのは、あれじゃあないんだ」

開いた扉の中へするりと入り込む。

中の者が全て眠っているためか、あるいはそれが幻想郷の常識だからか、

デッドマンと化したものが部屋へ入るための『許可』は必要なかった。

高い本棚を通り抜けながら、彼は目的のものを探す。

幸いにして、それはすぐに見つかった。

倒れ伏し、寝息を立てる男。赤みがかった髪は、緑の斑模様に染められている。

「ああ、やっと、見つけた」

まるで親を見つけた子供のように、少年は微笑んだ。

「全部、思い出した。やっと、会えた」

すっとその指先を、男の体に伸ばす。

しかし、ばちり、と何かに弾かれたような音と痛み。

驚いて少年は指を引っ込める。

「あれ……?」

少年は困惑した表情を見せる。『彼』の魂が自分を拒絶することなどありえない。

「ああ、そっか。ココに、いないんですね」

納得して、きょろきょろと辺りを見回した。

辺りには、彼以外にも何人かの男女が倒れている。

「……ああ、そこに、いた」

目的の魂の入った『体』に近づき、すぅとその中に潜り込む。

その体は、一瞬だけ目を開く。

「あなたは、眠っていて、ください。全部、僕が、背負う、から」

心の底から嬉しそうに微笑んで、襲いくる睡魔にまた再び目を閉じる。

眠りの中で、少年の魂は、男の魂から、記憶をたぐる。

起きたらきっと、あれと戦わなければ、ならないから。

あれと戦って、この人を、守らなければならないから。

「ねえ、ボス」

まどろみの中、少年はそっと彼を呼ぶ。

 

「う、うぅん……」

時間にしておよそ半刻(一時間程)後。妖夢は目を覚ました。

「私は……? えっと、チャリオッツが、何故か、黒くなって……!

 そうだ、チャリオッツ! 何処ですかチャリオッツ!」

バッと身を起こすと、声を上げて彼の名前を呼ぶ。

「うぅ……」

「むぅ……」

「うーん……」

その声に、三人が目を覚ました。

「くっ、何だあれは、一体何があったというのだ」

銀の髪をしたメイドが、ばりばりと頭を掻きながら呟く。

「ああもう、何なんですか、妙に体が重い……アレのせいかしら」

金の髪をした筋肉質の男が、パンパンと汚れを叩きながら不満そうな声を上げる。

「眠ってたようね。さっきのアレ、一体何だったのよ」

赤い髪に緑の斑模様をした男が、口を尖らせる。

「「「は?」」」

三者は自分を見て、周りを見て、そして、悲鳴を上げる。

「ハアアアアアアアッ?!」

「え、あ、あの、どうしたんですか?」

理由が分からない妖夢は、素っ頓狂な声にびくりと身を震わせる。

「こ、魂魄妖夢! あんたはそのままなのね?!」

赤い髪の男が、ぐいっと顔を寄せてくる。

「ひぇえ、な、何なのさっきから!」

事情が飲み込めず、思わず剣を構える。

30過ぎたおっさんに詰め寄られたら、こんな反応にもなるだろう。

「ああもう! 私よ、パチュリー・ノーレッジよ!

 今はこいつの、ディアボロの体に入り込んじゃってるけど!」

ぎゃあぎゃあとわめく彼……もとい彼女の言葉に絶句する。

「は、入り込んだってそれはどういう?」

「眠っている間に、眠っているもの同士で、精神が入れ替わったのよ!

 ああもう、なんか気持ち悪いわコレ! 何でこいつ網着てるのよ!」

パニックを起こしたのか、文句が口からこぼれるパチュリー。

「精神を入れ替えるとは、何ておかしな能力でしょうかね……」

瀟洒なメイドである咲夜は、その状況にどうにか順応したらしい。

金髪の男の体の動かし具合や、能力が出せるかを確認しているようだ。

「時は、止められる。それも、随分と楽に……これは一体……」

ぶつぶつと、何か考え込むような素振りを見せる。

「……おい咲夜とやら。この服あちこち締め付けてキツいんだが。

 しかも、あれだな。胸の当たりに詰めも」

咲夜の体に入り込んだ男が、尋ねる途中で、殴り飛ばされた。

錐揉み状に回転して、近くにあった本棚を破壊する。

「き、貴様! このDIOに対して何をするだぁー!」

怒りを露に、男は、DIOは叫ぶ。

だがそれ以上の怒気が咲夜から発せられている。

「今度、そこについて何かおっしゃったら、例え私の体でも容赦しませんよ」

DIOは考えた。こいつは、やるといったらやる凄みがある。

だが、ここで逃げては帝王としての誇りが失われる。

どうするDIO、どうする!

 

「……言い争ってる場合じゃないでしょう」

そこに、声がした。パチュリーの声である。

「あ、ちょっとディアボロ! あんた私の体返しなさいよ」

そうやって掴みかかろうとして、違和感に気づいた。

「あんた……誰?」

気質が、違う、とパチュリーは思った。

ディアボロのものではない。もっと、若い、感じがする。

「僕の名は……ドッピオ。ヴィネガー・ドッピオです」

「小町、下がれ!」

突如、若い女性の叫びがする。声の主、小野塚小町が一人の男をかばうように立っていた。

彼女は、ドッピオと名乗った相手を睨み付けている。

「待ちなよリゾット、あんたどうしたってんだい」

黒い頭巾と黒いコートに身を包んだ男が、困惑して呼びかける。

「あれ、小町さん? ど、どうしてここに」

混乱しきっていた妖夢だが、先ほどまではいなかったはずの人影を見つけ、声をかけた。

「……あんたが、魂魄妖夢か」

話しかけた女性の方は、鋭い目つきで射抜くように彼女をにらむ。

その目は、いつもより紅く見えた。

「あー、こっちだよ。あんた以外は全員入れ替わってるみたいだ」

彼女の後ろにいた男が、あっさりと答えた。

「とりあえず、そこのドッピオ、だっけ? あんたは事情を知ってそうだねえ。

 詳しいこと、教えてもらおうか。……この現象が、誰の仕業なのかを、まずは」

その言葉にドッピオ、と名乗った人物は頷く。

「これは、『チャリオッツレクイエム』が起こした現象。

 僕は、僕達は、ローマでこれを体験しました。

 違う点を上げるなら、あの時は全員入れ替わったのに、

 彼女一人だけが、入れ替わっていないこと、そして眠っていた時間が短かったこと」

「チャリオッツ……そうだ、チャリオッツは、何処!」

「さっき、その扉を出て行きましたよ」

「つまり、あの鎧人形を止めればいいのね」

「ふん! このDIOに妙なことをしおって!

 やはり気に食わぬな、あの男のスタンドは!」

「一応私の体なんですから、無茶をしないでください!」

勢いよく床を蹴り、パチュリーとDIOと咲夜が宙に舞う。

「あら、何だか魔法の出具合がいいわ。これならすぐに追いつけそう」

パチュリーがぽつりと呟いた。

「待ってください、奴の能力は……!」

その後をドッピオが慌てて追いかける。

「チャリオッツ、あなたに一体何が……」

「とにかく、壊されちゃあマズい、あたしも映姫様に怒られる!」

「……俺達も行くぞ」

妖夢と小町、リゾットもそれに続く。

ただリゾットだけは、すぐ前を行くドッピオを睨みつけていた。

 

 

「見つけました!」

DIOの体に入った咲夜さ叫ぶ。

チャリオッツレクイエムは余り進んでおらず、ゆっくりと廊下を歩いていた。

その周りでは妖精メイド達が何だかあわあわしている。

「メイド達は邪魔にならないようその辺の部屋に入ってなさい!」

咲夜は自身の得物であるナイフを手に取ろうとして舌打ちした。

今彼女はDIOのボディに入っているため、ナイフが手元になかったのだ。

「DIO! 私の体のどっかにナイフが仕込んであるから渡しなさい!」

「このDIOに命令するな小むすm……睨むな」

拒絶しようとしたDIOだが、咲夜に睨まれて仕方ない、と舌打ちする。

ナイフを探そうと身を探り始めた。

「……ここではないのか」

真っ先に胸を探りそう呟き、またごそごそと体をまさぐる。

「後で日光の中に放り出してやる」

咲夜が小さく怨嗟の声をあげたのに、彼女以外は気づかない。

「よし、あった! やれ!」

太もものベルトからナイフを抜き出し、咲夜へ投げ渡す。

ナイフを受け取った彼女は、精神を集中させる。

「『ザ・ワールド』!」

叫び、自身の能力を発動させる。たちまちの内に、時間が停止する。

「これが、私の能力。もっとも、時間の止まっているあなたには、

 見えもせず、感じもしないでしょうけどね」

チャリオッツレクイエムの周りに、数多のナイフを展開させる。

「……そして、時は動き出す……」

時が動き出した瞬間、そのナイフは一直線にチャリオッツレクイエムへ向かう。

しかし、ある程度まで近づいた瞬間。きぃん、と音を立て床に落ちる。

あたかも、不可視の壁に弾かれてしまったように。

「な、何で!」

その光景に咲夜は困惑する。普通そういったことが起これば、

魔力か妖気の痕跡くらいはある。だが、今は全く何も見えなかったのだ。

「ふん、小娘。貴様がまさか、このDIOと同じ能力を持つとはな」

小バカにしたように笑いながら、DIOが歩み出る。

「目に焼き付けろ、あの程度、時間を止める程でもない。

 このDIOが真の『世界(The World)』を見せてやろう!」

黄色い人影がDIOの傍らに発現する。

「あなたのそれも、スタンドですか?」

追いついてきた妖夢が空気を読まずに問いかけた。

「そうだ。このザ・ワールドこそ最強のスタンドだ!

 WRYYYYYYYYYYYYYッ!」

そうして勢いよく殴りかかる。

ぐしゃり、と鈍い音がしてチャリオッツの腹部が、貫かれる。

「ッ! チャリオッツ!」

妖夢はその光景に慌てふためき、名を叫ぶ。

「ふははは、流石は、我がスタンド、このくらい造作も……」

「伏せて!」

余裕を見せて歩みよった彼を、とっさに咲夜が押し倒す。

チャリオッツを貫いたザ・ワールドがその拳をDIO目掛けて打ち込んだのだ。

「……気をつけて。チャリオッツレクイエムは、精神を支配する力を持ってます。

 迂闊に近寄れば、スタンドを逆に利用されますよ。

 うっ、げほっ、ごほ、ごほっ」

ようやく追いついてきたドッピオだが、その顔色は悪い。

「何、だ、これ、咳が、止まらな、それに、体が」

ひゅうひゅうと息を荒げる。

「あー、私体力ないからねえ。全力疾走したらこうもなるわ。喘息持ちだし」

パチュリーが彼の、厳密にいうと自身の体の背中をさすった。

 

 

「というか破壊されても困るんだけど」

「そ、そうですよ、チャリオッツに何するんですか、あなたは!」

小町の言葉に、妖夢が腹を立てながら続く。

ムッとした表情でDIOも反論する。

「だが、アレを止めなければこの状況は戻らぬのだろう。

 大体貴様は何故入れ替わっていない?」

「そんなこと、私にだって分かりませんよ」

DIOの問いに妖夢は明確な答えを持たない。

「ふぅん。ま、理由は後で考えるわ。今はアイツを止めるのが先。

 スタンドもナイフも、ダメ。弾幕ならどうかしら」

パチュリーは、すっと一枚のカードを取り出した。

「火符『アグニシャイン』」

彼女がそう呟いた瞬間、無数の炎がチャリオッツレクイエムへと殺到する。

「ま、待て、人の話を……ぐっ、げっ、ごほっ!」

ドッピオがイライラしたように叫ぶが、喉がついていかず、また咳き込み始める。

無数の炎は、皆チャリオッツの周りで動きを止め、掻き消えた。

「弾幕もダメか。ちょっとあんた、あれを止める方法を教えなさいよ」

「……あれは、精神の、影だ。だから、各々の背後にある、

 精神の、光を、破壊すれば。そうすれば、奴は消滅する」

そこまで告げて、ぎり、と奥歯を噛み締める。

「その、はずだが……どうもそれで倒せそうに、ない。

 違いすぎる、かつての、チャリオッツレクイエムと」

ドッピオは、幻想郷でチャリオッツがどんな日々を過ごしていたかは、知らない。

だから、気づけなかったのだ。チャリオッツ自身が、ある程度

自らの意志の下、その能力を操作している、という事実に。

それに、と心の内で舌打ちする。今の彼には、力が無い。

残っているのはエピタフのみであり、キングクリムゾンが使えないのだ。

「何だと、それでは打つ手なしではないか、この役立たず!」

DIOが腹を立ててドッピオへ向けて叫ぶ。

「おいおい、それ以前に破壊されちゃあ困るよ。

 あいつは閻魔預かりの特別な魂なんだからね」

ドッピオの物言いに、小町も眉をしかめる。

「っせえなあああ!」

ぶつん、と何かがキレる音と共に、ドッピオが叫んだ。

「じゃあてめえらは、あれを止めれるのかってえんだよ!

 てめえらお得意の弾幕もスタンドも効果ねえんだろうが!!」

「黙れ」

リゾットが発した冷たい声が、その場の動きを凍らせる。

「何か方法があるはずだ。そうぎゃあぎゃあとわめくな」

「うるせ、てめえは、だま、ぐっ、げほっ、ごほっ、ごほっ」

声を荒げすぎたためか、また発作を起こす彼。

「ああもう、私の体なんだから無茶しないでよ」

パチュリーが背中を不満げにその背中を撫でる。

「……第一俺は、お前の言っていることが本当だとしても、

 信じるつもりは、一切無い」

「何……?」

ぎろり、と二人の男の間で恨みの篭った視線が交わされ合う。

殺したものと、殺されたもの。その事実を知るのは、互いのみ。

 

 

そんな二人を横目にしながら、妖夢は思う。

今のチャリオッツは、妄執(まよい)に囚われた状態ではないか、と。

「お、どうやら気づいたみたいだね。あんたの刀なら、

 あれを止められるかもしれない、ってことに」

小町の言葉に、妖夢は剣を握り締める。

彼女が手にするのは白楼剣。魂魄家に伝わる迷いを斬る名刀である。

「でええやあああ!」

たんっ、と床を蹴り、一気に間合いを詰めていく。

この刀で迷いを斬る。そうすれば、チャリオッツは戻る。そう信じたのだが。

かきぃん、と鳴り響く金属同士がぶつかる音。

「な、何っ、あの女が二人いるだとっ?!」

眼前にした光景にDIOがうろたえる。

妖夢の振りかぶった刀を止めたもの。それは彼女の姿をとった半霊であった。

「スタンドだけじゃなくて、幽霊まで操れるとは……厄介ね」

パチュリーが冷静に分析し眉をひそめる。

妖夢は一旦距離をとって、チャリオッツと彼を守るように佇む半霊を見つめた。

それは自らの半身が利用されている、という驚きによるものだけではなかった。

「……今のは、一体……」

自分にだけ聞こえるような声で、疑問を口にした。

刀が交わった瞬間、彼女の中に、流れ込んできた光景。

一瞬であったはずなのに、もっと長い間、その光景の中にいたような気がした。

 

――小さな男の子が、赤ん坊に向かって指を差し出していた――

恐る恐る差し出された指を、赤ん坊は予想以上に強い力で握り締める。

男の子は、その強さに胸の中が熱くなるのを感じた。

『ぼく、きしになる。このこを、まもれるように』

銀色をした頭を、くしゃくしゃと撫でる手は、男の子の父のものだろうか。

優しくて、暖かくて、とても、幸せな時間だった。

 

「妖夢、危ない!」

小町に呼びかけられて、妖夢の意識は覚醒する。

屋敷全体が大きく揺れ、ガレキが彼女に向かって落ちてきていた。

慌てて跳び退いた彼女の眼前に、屋敷の一部だったものが落ちる。

「この感じ……お嬢様とフラン様の……!」

「フランのことだ。肉体と精神が入れ替わってパニックでも起こしたのだろう」

困惑する咲夜に向け、DIOが推測を話す。

「……ここはあなた方に任せました! 私達はお嬢様達を止めてきます!」

妖夢に向かってそう叫ぶと、DIOの首根っこを掴んで飛んでいく。

「おい待て! 何故このDIOがわざわ……そんな顔で睨むな!

 分かったから話せ! 首が、首が絞まる! 痛い!」

チャリオッツの横を走り抜けて、咲夜とDIOはその場から去る。

「そうだ、私が、私が、チャリオッツを止めなきゃ!」

その言葉にハッとした妖夢は、再び斬りかかっていく。

だが、またも半霊の振るう刀によって、それは防がれる。

そして再び、妖夢の中に光景が流れ込んできた。

 

――空っぽの鉢を抱えて泣く少女と、口を尖らせた少年――

『おにいちゃんがおこったああああああ』

まだ十にも満たないであろう少女が、わんわんと泣いている。

『だって、こいつが悪いんだ。こいつが連れてきた猫が、俺の熱帯魚を……』

『わざとじゃないもおおおん。おにいちゃんのばかあああああ』

少女はさらに激しく泣き出す。二人の母親らしい女性は、兄を叱りつける。

『だめでしょ、騎士様が守るべき相手を泣かせたりしちゃ。ほら、謝んなさい』

騎士を引き合いに出されては、少年は逆らえない。

『う、わ、分かったよ。ごめんな……』

しぶしぶだが、少年は彼女に、妹に、謝った。

 

「まただ……、何なんですか、これ、一体……」

ちらりと後ろを見る。死神達は彼女の動きを見守っている。

チャリオッツに対して打つべき手が無いからだろう。

魔女はぜえぜえと発作を起こす自らの体の介護に手一杯のようだ。

どうやら、誰にもこの光景は見えていないらしい。

「まさか」

自身の抱いた推測を確かにすべく、また斬りかかり、防がれる。

 

――少年が、銀の甲冑を纏った騎士と相対している――

『お前は、俺、なのか?』

騎士は言葉を知らない。故に、その問いには答えない。

だが、少年には分かったようだ。その騎士が、彼の一部であると。

『じゃあ、守ってくれるんだな! 俺と一緒に!』

ぱっと満面の笑みを見せると、その手をとった。

『名前、名前は……』

うーんと考え込む少年に、ふと天啓が降りてくる。

妹が学校の図書館から借りてきた占いの本に書いてあったカード。

そのイラストで一番かっこいいと思ったものの名前をつけよう。

『お前は、【チャリオッツ】。銀色の戦車、【シルバーチャリオッツ】!』

これからよろしくな、と少年は、また笑った。

 

ああ、と妖夢は切なげに息を吐く。やはり、と。

「これは、あなたの記憶なんですね、チャリオッツ」

背を向け、歩き続ける彼は、答えない。あの少年が、彼の本体なのだろうか。

守りたいと言っていた辺り、そんな感じがする。

「忘れろ、とはいいません。それでも今のあなたは迷っている。

 だから、あなたのまよいを、私は断ち切ります!」

今度こそ斬る、と勢いよく突っ込んでいく。

けれど、半霊は妖夢の半身。瞬時に反応して、斬撃を食い止めた。

 

――雨の降る、西洋の墓地。喪服を来た少年と少女とたくさんの人々――

『ママン、パパぁ……うっ、ひっ、ひっく』

兄の胸の中で、少女が泣いていた。

『あの車が突っ込んでこなければ……』

『可哀想に……まだ小さいのにねえ』

親戚らしい人々が、二人を見ながらひそひそと囁く。

棺が二つ、白い墓の中に納められる。

少年は、唇を強く噛み締め、妹を強く抱きしめる。

『お前は。お前は俺が守ってやるから。だから、泣くな。泣くなよ』

その目の端から大粒の涙が流れ落ちる。

 

「え……」

思わず体から力が抜ける。瞬間、勢いよく跳ね飛ばされる。

「ぐっ!」

体勢を崩したが、咄嗟に持ち直し、また斬りかかる。

 

――また、雨の日。青年は、居酒屋か何かにいるようだ――

『かーっ、降ってきやがった。やっぱシェリーに傘持たせといてよかったな』

ガラスのコップを磨きながら、青年は呟く。

『おい、お前宛に電話だぞ』

『へーい店長……もしもし?』

どうやら遠くと通信が出来る道具らしいそれに、耳を当てる。

『はい、はい。ええ、はい……え? 嘘、で、しょう?』

ざあざあと、雨音が一層強まったような気がした。

 

――暗く冷たい石造りの部屋。そこに安置された少女――

男の言葉が、耳に入って来ない。辱められた? 犯人は不明?

同行していた少女は重傷? 手がかりはない?

何を言っている。何を言っている。何を言っている。

そっと手を伸ばし、頬に触れる。冷たい。あちこちすりむいた傷が顔に残ってる。

『シェ、リー』

彼女の名前を呼んだ。反応はない。

『シェリー、シェリー、シェリー……』

男は、それでも名前を呼んだ。愛しい人、と名付けられた最愛の妹の名を。

たった一人残った家族の名を。誰より守りたいと願った者の名を。

『守、れな、かった』

絶望のまま、そう呟く。守れなかった、と守りたかったのに、と。

守らなくちゃいけなかったのに、と。

嗚咽まじりで、彼はひたすら目から涙を溢し続けた。

 

「う、そ……」

あまりに衝撃的な展開に、彼女は愕然とする。

そのまま、熱に浮かされるように刀を振るう。再び二つの刀が交わる。

彼の記憶が、流れ込んでくる。

 

――仇討ちのために、あちこちを巡った――

 

――吸血鬼に、その復讐心を利用された――

 

――強く優しく、気高い人達と出会って、また、笑えるようになった――

 

斬りあう。流れ込む。斬りあう。流れ込む。

 

――けれど、その人達も――

『危ない、ポルナレフ!!』

ガオン、という怪物の咆哮のような音がして。

友人の姿が、掻き消えた。目の前には、しゅうしゅうと音を立てる、彼の腕。

『どこだァーアヴドゥルーッ! どこへ行ったんだァーッ』

目の前に現れる、異形の化け物。

『アヴドゥルは……粉みじんになって、死んだ』

遺された腕も、食われて、消える。

 

『ちくしょう……俺の方が、生き残っちまった』

小さな子犬。ひねくれていたけれど、大切な戦友だった。

この戦いが終わったら、一緒に夕食を取ろうと、笑っていたのに。

『俺を助けるなと、言ったのに』

 

彼らを殺めた異形の怪物を、倒す。砂塵の国の夕暮れ空を見上げた。

その空に浮かんで見えた、彼らの魂。

『ア……アヴドゥル、イ……イギー!』

立ち上がって追いすがろうとするが、体がついていかない。

ずるり、と滑り、再び目を開いたときにはもうそこに彼らの姿はない。

『今の俺には、悲しみで泣いている時間なんかないぜ』

そういってヨロヨロと立ち上がる。

膝に置いた彼の手に、ポタポタと零れ落ちる、涙。

 

――そいつの親玉もどうにか倒した。友人はもう一人、死んだ――

 

――何年か後。久しぶりに訪ねた友人。彼は、赤ん坊を抱いていた――

彼の娘に、恐る恐る手を伸ばす。きゅっ、と力強くその指が握られた。

破顔一笑。そんな彼を、友人は何か言いたげな顔で見ている。

『まさか、お前が俺より先に結婚するとは思わなかったぜ。

 それもこーんな可愛い娘さんに恵まれるなんてよ』

ニコニコと笑って、その指の力強さに、胸に込み上げる懐かしさと悲しみをこらえる。

『ポルナレフ。……そっちは大丈夫なのか?』

その問いかけに、ふっと指を離す。一瞬真面目な顔になるが、また笑った。

『【お父さん】は娘がどこぞの馬の骨に持ってかれねえよう心配してりゃあいいんだよ』

おどけた顔で、こつん、と彼の額を突く。

『心配すんな。もうちょっとで核心まで迫れそうなんだ。

 そうなったら、ベイビーの夜泣きみてえに何時だって呼びつけてやるからな』

そう言って、また赤ん坊と戯れ出す。友人は、押し黙った。

 

妖夢は、その記憶、あるいは夢に浮かされたように、刀を振るっていた。

今、彼女に見えているのは、チャリオッツでも、己の半身でもない。

それは彼が今までに立ち向かって、抗って、斬ってきた、数多の敵だ。

こうなっているのには理由がある。幻想郷の幽霊は気質の具現である。

彼女の半身は気質の具現であり、また、友に刃を向けていることで精神的に弱っている。

故に、チャリオッツ自身の気質に、記憶に、に強く影響を受けているのだ。

彼女の精神は今チャリオッツの記憶と重なってしまっていた。

 

――追われる彼。追い詰められた波打ち際――

どれだけの追っ手を切り伏せてきただろうか。それでもなお、追跡はやまない。

電話、郵便、交通、マスコミ、警察、政治……社会全てが、彼を孤立させた。

目の前に立つ青年。それが、彼を追い詰めた張本人。

『シルバーチャリオッツ!』

具現した魂の像。剣先が、男を捕らえようとする。

『……キングクリムゾンを見た者は、その既にその時……』

貫かれる右の目。痛みの中、いつの間にか背後に回った男を見る。

『この能力は……!! 時を……ディアボロ……貴様!』

『もう、この世には、いない!!』

腕が、胴が、貫かれる。落下し、海から突き出た岩に打ち付けられる、体。

それでも……それでも、彼は生きていた。

 

――彼は待った。長い長い間。手に入れた矢の恐怖を伝えるために――

 

――その矢に託された秘密を、ディアボロを倒す希望を伝えるために――

 

――たった一人。ずっと、ただ、ひたすらに、何年も何年も――

 

――その傍らに、シルバーチャリオッツは佇み続けた――

 

「様子が、おかしくないか?」

剣の打ち合いを見守っていたリゾットが、違和感に気づく。

「幽霊の気質に影響されると、あんな感じになるわね」

妖夢を見たパチュリーが告げる。

「このままじゃ、マズそうだねえ」

小町が舌打ちをして、その能力を発動しようと意識を集中する。

 

――『守れ!』――

彼が叫ぶ。悪魔の名を持つギャングのボスと対峙し、その心の中で。

シルバーチャリオッツの右目に、『矢』が刺される。

その直後、貫かれる彼の身。過ぎる走馬灯。砂塵の国の旅路。

 

――『守る』――

どろどろと溶けていく体。意識を保てなくなる精神。

本体と切り離され、狂っていくその身。

ただその身に、心に刻まれた意志を、呪いのように、唱え続ける。

守る、守る、守る、守る、守る、守る、守る、守る……

 

 

ひたすら剣を打ち込んでいた妖夢の体が、誰かにぐい、と引っ張られた。

「妖夢、大丈夫かい、妖夢っ!」

声をかけられて、ようやく正気が戻りかける。

「え……あ……」

目の前に立つ、銀の髪の男。一瞬、彼かと思った。

「一体、どうしたってんだい?」

その言葉遣いから、違う、と判断した。

「あんまりぼーっとしてたから、あたいの能力であんたとあいつの距離を空けたよ」

小町の能力は、距離を操る程度の能力である。

彼女は、チャリオッツと妖夢の距離を広げ、彼女と妖夢の距離を狭めたのである。

「ったく、しっかりおしよ。お前さんだけが、あいつを止められるんだからね。

 ほら、正気に戻ったんなら、パパッと迷いを斬って……」

「……れない」

「あん?」

「斬れない……斬れない、だって……狂うのも、当然、だ……」

妖夢は、嗚咽まじりに泣き出した。

それは、少女が見るには、あまりに残酷な、夢だった。過去だった。

 

 

銀騎士とあかその2『あやかしのゆめ』

 


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