昭和にウマれたウマ娘!   作:調味のみりん

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何日空いても、読みに来てくださったあなたに、感謝





Ep.9 はるのむこう 

 

 

 

 

 慰問、と言う言葉がある。

 

 

 読み方は、イモン、だ。

 

 

 その言葉は、()()では病気のために長期入院を必要とされている子供達を励ますために、著名な人物が病院を訪う際にも使用される。

 

 大抵は有名なスポーツ選手だったり、映画のスーパーヒーローに扮した俳優だったり。 

 それを見て、子供たちはもちろん治療に携わる医師や看護師、両親もまた励まされる。

 

 ささくれだった心を、子供達のヒーローが画面の向こう側から飛び出して、慰める。

 

 そんな役割が、1人の少女の元にも回ってきた。

 

 

 ◆

 

 

「病院訪問、ですか?」

 

 顎に髭を蓄えた50過ぎの男は、顎を撫でつつ首肯した。

 春木は示された提案に、目線を斜め上に向けつつ思案する。

 

 場所はレース場の近くにある、郵便局。その裏に併設された生活用の小屋である。

 

 

「えぇ、是非。子供達が主な患者なんですが、最近活躍目覚ましいハナノアカリさんに訪問していただければ」

 

 

 郵便局の職員との打ち合わせの帰りで、ハナノアカリが勝ったら記念の葉書でも作れないかと相談の終わり際になされた提案だった。

 

「慰問……なぜ、彼女に?」

 

 単なる疑問だった。

 たしかにハナノアカリの知名度はぐんぐんと上がっているが、有名な慰問団ほどのものはないし、芸人でもない。

 

「そりゃ、子供たちのヒーロー……おっと、憧れ、ですから」

 

「はぁ……」

 

 

 やけに確信を持ったように言う男に春木は終始、納得のしないような返事を返すのだった。

 

 

 

 ◆

 

 

「ん? いいよー行こっか」

 

 後日、ハナノアカリに、病院への慰問の件を提案してみれば、すんなりと承諾が返ってきた。

 

 そして、いつ? と首を傾げならが聞いてくる。

 

 色の良い返事に春木は頷きつつ、勝手に春木のオンボロ平屋に上がり込んでいるじゃじゃウマ娘に顔を顰めてみせた。

 

「明後日、東小児大学附属病院だ」

 

「へー、なんどか通ったことあるよ!」

 

 そうか、と言いながら春木は座卓に広げた帳簿に鉛筆をすらすらと走らせた。紙には几帳面にも細々とした収支まで整理されている。すぐ横の畳の上ではハナノアカリがぐでんと横になりながらレースプランを練っているところだった。

 

「おい、勝手に上がり込んでくんな、帰れ」

 

「いいじゃん、べつにー」

 

 ケッ、と言いながら春木は手元に視線を戻した。今つけている帳簿の横には茶色の油紙に包まれた紙があった。それを音を立てないように隙間からちょっとだけ出す。そこで動きを一旦止めて、ハナノアカリの方を見れば、彼女はコースの書かれた紙と睨めっこをしていた。

 

 油紙の中にあったのは、とある走るウマ娘の肖像。躍動感のあるそれを不法侵入ウマ娘にバレるのはシャクで、そっとしまった。

 

 菖蒲色の少女はといえば、能天気にも鼻歌を歌っていた。

 春木の知らない歌だった。

 

 

 ◆

 

 

 

「うわー、やっぱ、大きいねぇ」

 

 病院は入り口の門を超えて、5メートルほどの庭を経由して玄関に辿り着く。外装は白色で、下の一部には暗い茶色の木材が使われていた。晴れの空を反射して白色が眩しかった。

 

 木造の両開きのドアの横には、人の良さそうな笑みを浮かべる老人が立っている。男は老境に差し掛かっているだろうが、立ち姿は真っ直ぐで白衣にはシミひとつない。それが男の職業を無言のうちに教えてくれた。

 

「ようこそ、お待ちしておりました」

 

 温和な男の声に導かれて、大きな手提げ鞄を持った春木と、反対にシューズの入った箱のみを抱えたハナノアカリは老人に促されるように木製の扉を潜る。

 

「病室からある程度動ける子どもたちは、談話室に集まってますから、後ほど顔を出していただけるとありがたいです。最初は二階以降の動かない子達からお願いします」

 

「はぁい」

 

 そう言ってハナノアカリは老人の先導の元、木製の階段を軋ませながら登って行った。春木も鞄を重たそうに持ちながら付き従っていく。やがて一行はいくつか扉のある廊下に出て、そのうちの手前から二つ目のところでワンピーススタイルの看護婦がいる。立ち姿が真っ直ぐだ。

 

 老人が頷き、看護婦が扉をそっと開けると中には点滴の管で繋がった6歳くらいの女の子が開いた窓の方を眺めている。

 

 

(短い髪だな)

 

 春木はそう思ったが黙って部屋を見渡すフリをした。

 

 開いた窓からは病院の庭に植えられたプラタナスの緑色をした葉っぱが見えて、風にさわさわとカーテンと共に揺れる。

 

「トシコちゃん、ハナノアカリさんだよ」

 

 扉を開けた看護婦が柔らかな声で言うと、少女はパッと入り口に振り返り、その瞬間目を見開く。

 

「わあっ!? ほ、ほ、本物だっ!」

 

「こんにちはー」

 

 トシコ、と呼ばれた少女はいたく感激したのか、シーツをぎゅっと握り口元まで持ってきて、小さく震えてさえいる。更にハナノアカリが近づくと、少女は恥ずかしそうにシーツを上に持ち上げて顔をすっかり隠してしまった。

 

「トシコちゃんって言うの? ここ、風が気持ちいいねぇ」

 

「う、うん……そうだよ、午後はベッドの下の方に日がさしてきもちいいんだ」

 

「お、すっごく暖かそうだ」

 

「えへへ……」

 

 ハナノアカリはもう少女と打ち解けたようだ。一緒に並んで窓の外を眺めている。青空にちぎれた雲が舞っていた。

 

 春木は一息ついて、休める場所はないかと探す。そして部屋の隅の方にある丸椅子を見つけると、白衣の老人に軽く目線をやった。老人は意図を察して、手で“どうぞ”と示した。

 

「よっこい」

 

 おじさんくさいとハナノアカリに不評の掛け声を出しながら春木は椅子に腰掛ける。ついでに重たかった鞄も床に下ろした。

 春木の仕事は事前の調整と、終わった後の取引であり、つまりはハナノアカリが子どもたちを慰問している間は暇なのだった。

 

 さわ、と部屋に吹き込んだ春の終わりぎわの、すこし湿気を持ち始めた風が春木の前髪を揺らす。そして連日にわたる融資のための資料づくりやお偉いさんとの食事のせいで寝不足、そこからくるあくびを噛み殺して部屋をぼんやりと眺めた。

 

『あの、あの、わたし、一回だけハナノアカリさんのレース、みにいったんです。院長先生に車いすをおしてもらって』

 

『ええっ!? ホント! すっごく嬉しい! レース用のシューズ持ってきてるよ、見る?』

 

『いいんですか!? お、おねがいします!』

 

『よぅし、ちょっとまっててねー』

 

 

 2人の少女の会話はテンポがよくて、声が高くて、なんとも眠くなる。看護婦はそれを一歩引いた位置で笑顔で見守り、老医師はふふふ、と軽く声を出していた。

 春木は重たくなった瞼と必死に格闘しながら、ふと横に来た気配に気がついた。

 

「ありがとうございます」

 

 それは目元を笑顔の皺で埋めた院長の老人。

 

「いえ、……それは後で彼女に言ってあげてください」

 

「あなたが取り次いでくれたんですよ」

 

 穏やかに言う老人に春木は、ははは、と慣れた笑みを浮かべ、そしてどちからかが、何を言うでもなくまたハナノアカリと少女の会話に視線が戻る。ベッドの上の少女は線が細く、点滴は絶え間なく降下していた。看護婦は微笑みを浮かべながらもすこしだけ気を張っている。目線の先は点滴の針だろうか。

 

「ハナノアカリさんは、なかなか居ないウマ娘ですな」

 

「えぇ、彼女は独特の走法を()()()()()()から」

 

「いえ、そういうことでは……。おや、あの力強い走りはあなたが教えたものでは無いので?」

 

「ハイ、元からです。私がしたのは、何もありませんよ」

 

 そう言って春木はもう一度、視線をハナノアカリの方に戻した。

 さぁ、この後も彼女は勝つだろう。それをどう売り出していくか。レースの賞金があるから、(使うかは別として)銀行の融資はまた通りやすくなる。そろそろ、事業主向けの融資まで手を伸ばせるかもしれない。

 そうしたら事前にマークしてあった都会の富裕層向けの商社の小さなものを買い取れるかもしれない。

 そうして──

 

 

「じゃあ、また来るからね! 教えてもらった饅頭のお店、行ってみるね!」

 

「うん、ハナノアカリさんも頑張ってください! わ、わたしもっ! 手術、がんばりますからっ」

 

 

 思考から現実に意識が引き戻される。見れば、ハナノアカリと少女が手と手を軽く合わせているところだった。

 

 ハナノアカリはくるりと身を反転させて病室を後にした。

 彼女を知らないものはあっさりしすぎた別れに面食らうかもしれないが、彼女の別れはいつも爽やかだ。決してダラダラと引き延ばさず、スッと居なくなる。桜の散り際のように、すっきりとした別れを告げて、去っていく。

 

 春木はその様がなんとなく好ましく思っていた。

 また会うことを無意識のうちに約束してくれているようで。

 

 

 ◆

 

 

 二つほど部屋を回ったあと、2人が通されたのは一階にある集会室のような部屋だった。天井が高く、机と椅子があって、7人ほどの子供達が中でハナノアカリを待っていた。

 

「こんにちはー!」

 

 そう言ってハナノアカリが部屋に入れば、すぐに囲まれる。子供中には包帯を巻いていたり、点滴を引きずっていたりする者もいたが、皆一様に明るく、ハナノアカリを取り囲む。

 

 この子供たちは、集会室に集まれるということはさっきまでの子に比べて軽い部類なのだろう。それでも病院に居るという事実は変わらない。だが、無垢は強い。彼ら彼女らはそこらへんで遊んでいる子供と変わらぬ笑顔を浮かべられる子たちだった。

 

 

 春木はまた隅の方にあった椅子に座る。そして鞄の中から書類を引っ張り出して、ハナノアカリと子供のカン高い声をBGMにしながら手元の書類に目を走らせた。

 

『ほらっ、おりがみの風船だよっ! おねーちゃんも作ろう!』

 

『えっと……こう、かな?』

 

『あははー! ぶきっちょだ!』

 

『うるさいゃい! ワタシは走るのに特化してるんですー!』

 

 

 書類はこの前の提案の返事だ。

 新進気鋭の服飾店からの返答には“このお国が逼迫しているときにわざわざやる必要はあるのか”とあった。

 春木は不満気に唇を歪める。だからこそ、やるのだ。

 

 その旨を論理的、かつ相手にも利があるように伝えるには、と胸から出した鉛筆で別の書類の裏紙に返信を考えていく。

 

 

 

「春木さん、表にタチバナ新聞の方がみえてますが……」

 

 

 そう、声をかけてきたのは若い看護婦だ。

 困惑の表情で廊下から春木を呼んでいる。心当たりがあったので春木は笑みを浮かべて“ハイ、分かりました”と言って席を立った。

 

 ◆

 

「えぇ、それじゃ、そういうことで」

 

 そう言って春木は病院の入り口で黒眼鏡をかけた青年を見送った。

 彼は売り出し中の新聞記者で、たまたま近くを通りがかった時に、春木が今日ここにいることを思い出したのだという。

 

 こういう事があるから、方々に愛想良く声をかけるのは大事だな、と青空を飛ぶ白雲を眺めながら春木は頷く。

 

 以前から打診していた新聞記事の掲載についてだが、ずっと難色を示されていた。しかし、今日のハナノアカリの様子を見て考えが変わったようだ。

 

「おっと、戻らネェとな」

 

 思考の海に沈む前に、菖蒲色のウマ娘のところに戻らねばなるまい。

 慣れない子供たちに囲まれて、そろそろ音をあげている頃かもしれない。そうであるなら、あのウマ娘に少しばかり助け舟を出してやらなければ。

 

 

 

 春木は首を軽くポキポキと鳴らして、玄関まで戻っていった。

 

 

 

 いまこうして方々にツテを立てられているのはひとえにハナノアカリという広告塔があるからだ。

 信頼は強い。強い競争ウマ娘というのはそれだけで一つのブランド足りうる。賞金も出るし、そもそも産まれが裕福でないと大抵勝てない世界だから。

 

 

 木の扉を開けて、玄関口を抜ける。中庭に面したあの広い部屋は右側だったか。曖昧な記憶を頼りに歩いていく。

 廊下の電気は付いていない。節電のために電気が落とされ、影が濃い廊下は窓から差す陽の光が空気の埃まで照らしている。

 

 

 

 そんな、廊下の奥から、シャボン玉がひとつ飛んできた。

 

 

 

 空中をゆらゆらと、透明な玉虫色にひかる玉はゆっくりと春木の方に飛んでくる。

 それを半身になって避けて、廊下の奥へ進む。

 

 そうして、ハナノアカリと子供たちの居る部屋前までやってきた。

 その、ドアの隙間から、見える。

 

 子供達に囲まれて楽しそうに笑うハナノアカリが。

 彼女が子供たちと窓に向かって吹いていたシャボン玉のひとつが、こちらまでまた、やってきた。

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 ふと、懐かしい匂いがした。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 

『お兄、また怒られたの?』

 

 

 春木の妹も、子供が好きだった。

 いつか、子供の為の医者になるのだ、と鼻息あらく教えてくれた。

 彼はいつもそれを揶揄っていた。

 

 

 

「おねーちゃん、つぎ、わたし! わたし!」

 

「うわっと、と、ほら! 押さない、押さない! 順番にやってあげるから!」

 

 

 春木ミノルは暗い廊下で時間が止まったように扉に手をかけた姿勢のまま、中の様子を見ていた。

 

 

 

 

 6年前に、妹は病気になった。

 解決法のない難しい呼吸器の病気だもんで、延命にも金が必要だった。周囲の対応は一気に変わって、腫れ物を扱うように遠ざけられた。慰めの言葉はいくつか貰ったが、どの人も病気がうつるかもしれないと顔を顰めていた。

 

『にいちゃ、のど、のどかわいた』

 

 最後の言葉は、それだった。

 ふっくら林檎のような頬を持っていた妹は、最後にはからからに乾いて、木乃伊みたいになっていた。

 

 あぁ金が。金があればもう少し永らえたのに。

 

 

 

「つぎ、おりがみ! おりがみやろ!」

 

「えぇ……、さっきコテンパンに言われちゃったし……」

 

「はしろーぜー!」

 

「シッポを掴むなぁ!?」

 

 

 春木は部屋の中を眺める。

 硝子の奥に飾られた宝石飾りを眺めるようだった。

 

 

 妹の骨を焼いたあとは、すぐに妹の一張羅の着物を質に入れた。

 金のためだった。

 その着物は嫁入り道具のひとつだった。もう使わない。使うひとがいない。

 

 そっから、春木はヘンになってしまった。金がなければ生きられないというのなら、妹の望みひとつもが叶わないというのなら。

 金を稼いでやるぞ。おれは、証明して見せる。もう、金がなく、惨めな思いをしてなるものか。

 

 そういった類の修羅になった。

 

 

「ねぇっ! おねぇちゃんの走ってるトコみたい!」

 

「うぇっ!? でも、ここ室内だし……」

 

「中庭あるよ! すぐそこ! 院長さん、ゆるしてくれるって!」

 

 

「みたい!」

 

「わたしも! みたいみたい!」

 

「ぼくも!」「俺もみてみたい!」「あたしも!」

 

 

 

 

 春木ミノルは、その光景を見て、ふっ、と笑った。

 肩の力を抜いた、自然な笑みだった。

 

 今までずっと、長いこと、笑顔は道具に過ぎなかった。

 対人関係を円滑にするため、見栄えをよくするため、相手の警戒心を解くため。

 だけど、ここには誰もいない。誰もみていないのに、笑った。

 

 これが、そうか。

 

 

 そのとき、廊下の奥から杖をついた老人が歩いてきた。

 彼は春木の隣に黙って並び、中の様子を目を細めて見ていた。そうして、ギョロリと目を開けて、隣の男に問うた。

 

 

「アンタ、あの子の指導員かぁ? ありがとな、良いもん見させてもらってるわ」

 

 

 穏やかな空を眺めている気分だった。

 草原でそよ風に吹かれている心地よさだ。

 

「ええ、そうですね」

 

 そう答えれば、老人はまた杖をついて去っていく。

 春木はその場から動かない。また、部屋の中をゆっくりと見ていた。

 

 

 喧騒の中、微睡み、輪の中心にいるあの子をみて、ああ、よかったなと、そうだな、と静かに、自然に木組みが嵌るように納得した。そうか。これが。

 

 

 

 

 

()()か。

 

 

 

 

 

「くはっ」

 

 

 

「はははっ!」

 

 

 

 

 彼は笑った。

 腹を抱えて、ただひとり廊下で眩しい景色を眺めて笑った。

 

 

 

 ◆

 

 

 次の日。まだ朝も薄い早朝のこと。

 コンコンコンと規則正しく玄関をノックする音に目が覚めた。

 

「ふあぁ……」

 

 のそりと布団から起き上がり、椅子に掛けっぱなしになっていた上着を軽く羽織る。

 

 こんな鳥の鳴き声のする朝早くから誰かと思いながら廊下を進み玄関に向かう。ハナノアカリはこんな時間に来ないし、来たとしてもあんな几帳面にノックをしない。アイツはガンガンガンと適当に叩いた後に勝手に上がり込んでくる。

 

「ハイ」

 

 家の玄関を出ると、まだ冷たい風がふわと顔にかかり涙が出てくる。

 その目をシパシパさせて見れば、そこに立っていたのはきっちりとした役場の制服に身を包んだ生真面目そうな青年だった。

 

「春木ミノルさんですね」

 

 こくん、と頷くと彼は肩から下げた鞄をゴソゴソと漁り、無表情のまま赤い、葉書より少し大きいを差し出してきた。

 

「おめでとうございます」

 

 青年は表情を変えることなく、不動のまま紙を差し出し続ける。その姿に春木は軽く笑ってやった。肩の力を抜いた笑みだった。

 

「おう、ご苦労さん。そうか。俺の番か」

 

 

 春木がそう言えば、言葉を受けた青年が唇を噛むのが見えた。君に言った訳では無いのに、と苦笑する。

 彼も嫌な仕事を引き受けたものだ。若いから押し付けられたのかもしれない。

 

 

 まだ朝も早い。

 あの菖蒲色をしたウマ娘はいまごろは寮で夢の中だろう。

 

 

 春木は空を仰ぐ。

 いまの時間は色が薄い。これから時が経つにつれて青色が濃くなっていく。

 さて、春木は()()にどう説明をしようか、と顎に手をやって思案した。あと1時間ほどで寮の起床時刻だ。そこから学校が始まるまでにここに来るかもしれないから──

 

 そこまで考えた所でドサ、と何かが地面に無造作に落ちる音がした。首を巡らせてそちらを見ると、手提げ鞄が地面の土に落ちた音だったようだ。持ち主として、道路の端には菖蒲色の髪を結んだウマ娘が立っていた。

 

「──それっ」

 

 彼女は目を開きながら、指を振るわせて春木の持つ赤い紙を指さした。口がぱくぱくと動くが言葉は何も出てこない。

 

 ──なんでこんなところに、こんな時間に。

 

 

 

 驚愕の表情で道の端に立っていたのは、ハナノアカリだった。

 

 

 

 

 こうして、時間の迷子だったウマ娘と、詐欺師まがいの男の話は転換点を迎えることとなる。それは必然で、どうしようもなく、定められたものだ。

 

 初春の終わり、5月のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Ep.9 はるのむこう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 また会う日まで、彼女は忘れない。

 この日のことを。

 

 

 

 

 

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