昭和にウマれたウマ娘!   作:調味のみりん

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Ep.10 また、会う日まで

 

 

 あくる早朝。

 

 春木が紙を受け取った時。

 

 道端に立っていたのは、よく見知った、菖蒲色のウマ娘だった。

 

「な、なんで」

 

 少女は狼狽えた様子だ。

 何で“それ”を受け取っているのか、という疑問なら簡単に答えることが出来る。

 

「そりゃ、マァ、俺は戸籍が此処にあるからな」

 

 召集は戸籍を元にかかる。

 春木は天涯孤独であったが、適齢で、かつ東京に住んでいた。だから順番が回ってきただけのことだ。

 

「えっ、えっ、あ」

 

 動揺を微塵も見せず、春木がしっかりした声で答えると、ハナノアカリは頓珍漢な声を出した。手をアワアワと彷徨わせ、口元をモゴモゴとしたあと、ひとつ嚥下。

 

 

「行くの?」

 

「おう。到着期限もあるしな」

 

 

 ヒュッ、と壊れた笛のような音が鳴ったのは、少女の喉からだ。

 額に汗をかいて、目があっちに行ったり、こっちに戻ったりと傍目から見ても混乱している。

 

 いま、彼女の頭の中では混沌とした思考が高速で空回りしているのだろう。それくらい、春木にもわかった。

 

 しばらくそうしていた後に徐ろに姿勢をグッと低くしたかと思うと──あ、マズい。

 春木は焦った。

 

 

 この体勢は、それこそ()()()()()()()。出会った当初、少女に身分がまだ無かったころ。それを得るためのレースで見た……。

 

 

「オイ、おまえ、何しようと──ぐえっ!?」

 

 そして腹部から胸部に伝わる衝撃。

 慣性の法則に従って手足が前に引っ張られ、それ以上の力で後ろに運ばれていく。

 

「とまっ、どまれ!」

 

「────っ」

 

 あろうことかハナノアカリは成人男性たる春木に体当たりをかまし、その勢いのまま抱えて走っていたのだ。

 

 ぐっ、ぐっ、と一歩踏み込むごとに衝撃が伝わる。景色が無声映画の早回しのように後ろに流れていく。車とも違う。生きものの速度。背中の方から感じる息遣い、リズミカルに沈み込む身体。

 目まぐるしく変わる情景の中、春木は“これがウマ娘の見てる景色か”と場違いなほど冷静な頭の一部で考えていた。頬を風が撫でて、駆けていく。

 

 正気を失ったウマ娘に担がれるという逼迫した状況ながら、初めて身体で感じるウマ娘の“速さ”に思ったのは、爽快感だった。

 

 なんだ、こいつ、いっつもこんな気持ちいい走りをしてたのか、と。

 

 

 ◆

 

 

「はぁっ、はあっ……」

 

 

 ハナノアカリが止まったのは、街の外れにある空き地まで来てからだった。周囲は廃工場がひとつあるだけで、膝丈の草と砂利だけの場所に人気はない。その上空がまだ白み始めた早朝だからか余計に静かだ。

 

 

「おっとと」 

 

 

 背中に回された腕から力が緩んだ拍子に春木はハナノアカリの拘束から脱する。そしてバランスを取るようにつんのめって、くるりと向き直った。

 当の少女はそんな事気にもせず、俯いたまま、洗い呼吸を繰り返している。まだ、混乱の最中にいるようだ。

 

「おい、アカリ」

 

 見かねた春木が声をかければ、彼女はびくりと肩を振るわす。

 レースではさらさらと流れる鮮やかな髪が、いまは額に張り付いて止まって、悲壮さを際立たせる。

 

「……わかってた」

 

 あまりに小さな声だったので、最初は言葉だと気が付かなかった。

 そんな春木の様子を伺う事なく、少女はポツリと、定まらない声で呟く。

 

「こんな可能性があるってこと、わかってた」

 

 そう言って、また押し黙る。

 

 まぁ、そうだろうなと春木は思った。

 最近は灯火管制もまた厳しくなった。配給制もどんどん増えていっている。街角に立てば、千人針を求める母親の声をよく聞いた。檜組の見知った顔がどんどん減っていった。レースで戦ったあの子が疎開でいなくなった。そんな世の中で、人に夢を見せたいと望む少女が、現実に対して楽観的になるには、いなくなった人が少しばかり多かった。

 

「わかって……でも、こんな、日常のなかで、来るなんてっ」

 

 ハナノアカリは軽く頭を振りながら口を開く。

 どこもかしこも震えて、レースでの姿とは大違いだ。

 

「こんなっ、朝に来るなんて……っ」

 

()()()はありきたりな日常の朝の延長線上にあった。

 驚くほど何もなく、穏やかに、終わりは訪れたのだ。

 それを理解して受け入れるには、少女はまだ未熟だった。

 

 

「──だめだよ」

 

 

 声色の変わった呟きに、不穏さを感じ春木は目を細める。

 目の前の少女はうわ言のように言葉を呟き、地面をぼんやりと見ていた。

 

「行っちゃ、だめだよ……」

 

 そしてその顔がバッ、と上げられた。

 春木は目が合った顔を見て──舌打ちをしたい気分になった。

 

(迷子の子供じゃネェか)

 

 パキ、パキと少女から音が鳴る。筋肉が血液を回し、骨が鳴った音だ。地面がジャリと擦れる音がする。ジャリ、ジャリ。動いても居ないのに、脚の圧力だけでそんな異音を響かせられるのは目の前の少女の他には居ない。そんな規格外の脚力を持ったウマ娘を春木は他に知らない。

 

 

「ワタシは、あなたを行かせない」

 

 ハナノアカリが嘯く。

 そして再び、先ほどよりも低く、鋭く、地面に手をつく勢いで姿勢を下げた。

 

 ──止めてみせる。

 

 

 

 

 ──たとえ骨を折ってでも。

 

 そして少女は脚に力を込めて

 

 

 

 

 

()めろッ!!」

 

 

 

 

 いままで聞いたこともない春木の大音声(だいおんじょう)にビクリと脚を止め、驚愕に彩られた表情で固まった。

 春木は額に血管を浮かべる勢いで口を大きく開く。

 

「警察に捕まりてぇのかッ! 今の時期に、戦力を意図的に減らそうとするヤツがどんな罰則を受けるか分からないワケじゃねぇだろ、このバカウマ娘!」

 

 一息でそれこまで言い切って、ふー、と息を吸う。

 ハナノアカリは驚いた表情を徐々に崩し、口角を下げて、眉間には皺が寄った。

 

「う」

 

 静寂はすぐに戻って、ちちち、と鳥が鳴く。

 少女はくしゃりと顔を歪めた。

 

「う……うあぁぁー……!」

 

 堪えきれず、ぽろぼろと大粒の涙を流す。

 そして地面に伏すと、行き場のない感情にうずくまった。

 

「い……い、言ったじゃんっ!」

 

 それは、喉奥から絞り出すように叫びだ。

 水音の混ざった声に春木は一瞬目を閉じた。

 

 

「ワタシと、東京優駿に出るって、約束したじゃん!」

 

「そうだな」

 

 

 否定はしない。

 実際に最初にした約束はそうだったから。

 なんだ、思ってたより大事に思ってたんだな、と。

 

 

「ウソつき、ウソつきぃ!」

 

 

 ハナノアカリはうゎんといっとう声を大きくし、腕で頭を抱え込むように声を抑えた。それでも漏れ出る声が、風呂場で響くような音になって、早朝の空き地に染み渡っていった。

 

 

「ひとつだけでいい。よく聞いてくれ」

 

 春木は努めて落ち着いた声で言いながら、蹲る少女のそばに寄った。

 

「お前はな、アカリ。こんなとこで足踏みしていいヤツじゃねぇ。しみったれた詐欺師なんかに拘うな、アホ」

 

 約束は不履行となる。

 仕方が無いとはいえ、春木はそれを弁明する言葉を持たなかった。

 それでも、言わなくてはならない。

 彼女をここに留めてはいけないのだ。

 

 

 ハナノアカリは希望になる。荒んだ冬を耐えた先で頬を撫でてくれる、そんな春風に。だから、大きくなってくれ。俺を踏み台にでも思って。

 そうして彼女自身が語った、“走りで誰かに夢を”という望みを叶えればいい。それが今の日の本には必要だ。落ち込んで、頭を下げた人にも届く、春の風になった柔らかな花の香りが。

 

 

 そして、それら全ては春木にとって()()()()()()()()

 

 

 春木が──ハナノアカリに夢を見た男が望むのはただ一つ。

 

 

「走ってくれ。心のままに。お前が楽しいように。しがらみも、世間体もどうでも良い。あの綺麗な走りを、もう一度」

 

 

 それが世界に存在するだけで、その事実を知っているだけで、たとえどこに居ようと、春木は満足だ。

 

 

「マァ、楽しかったよ。お前と駆け抜けた時間は」

 

 

 そうだ。楽しかったのだ。(カネ)に対する復讐も忘れて、ただ前に進む少女の道を拓くのは。だから、本当はもっともっと、一緒に走りたかった。彼女がたどり着く未来の景色を見てみたかった。

 

 それがどんなに素晴らしいものであるのか、春木には確信があったから。

 

 だけど、行かなくてはならない。

 

 春木ミノルはこれまでの働きで、ハナノアカリというウマ娘の代理人と世間では認識されるようになったから。そんな立場の男が招集を拒否するということは、それを世間に示すということは、間違いなく少女の道行に亀裂が走る。あれだけ見たいと思えた未来も見えなくなる。

 

 だから春木は立ち上がった。

 準備をしなくてはならなかった。たとえ目の奥が傷んでも、鼻の奥がツンとしても、自身が居なくなってから、この少女を取り巻く環境は恙無く廻らないければならないから。

 

 だから春木は約束を破らなければならない。

 それがどんなに不本意なことでも。それを少女に伝える言葉がなくても。

 

 

 ◆

 

 

 

 与えられた猶予の数日は驚くほどの速さで過ぎていった。

 

 その間に特に目立ったことは起こらず、いつも通りの穏やかな日々であったが、それが逆にハナノアカリの心を逆撫でするように、胸を締め付けた。

 

 

 そして、出立当日。

 

 

 召集された者の見送りは親族に限定される規則だ。

 最後かもしれない顔と顔を突き合わせる機会である駅の構内には、認められた近しい人たちだけが入れる。

 

 

 だからハナノアカリは駅の入り口で見送るつもりだった。

 横を歩く荷物を背嚢に詰め込んだ春木との会話はない。あれからギクシャクした関係のまま隣を歩いている。

 

 近くからは啜り泣く声や別れを惜しむ声が風に揺れる草の音のようにさざめく。煩い、止めてくれと少女は耳を垂らす。

 

「止まって。令状を見せるように」  

 

 低い声が2人を呼び止めるので、見てみればカーキ色の詰襟姿の男が駅の入り口で軽く身分検査と同伴者の確認をしている所だ。そこまで理解して、春木は人好きのする笑みを浮かべて紙を提示。男は首だけをクッと曲げて紙の特定の場所に慣れた様子で目を走らせる。

 

「春木ミノル……よし、見送りは──」

 

 ここで、お別れだ。少女は唇を噛む。

 そしてポケットに入れた物を指で突くと、眉を寄せた。

 

 

「──ふむ」

 

 

 すると今まではスムーズに人を捌いていた詰襟姿の男が何か考え込むように顎に手を当てる。

 

「はる、春木……? 横の貴女はもしかしてハナノアカリさんで?」

 

「えっ? はい」

 

 突然の問いかけに思わず生返事を返す。

 あんまりに気の抜けた声だったからハナノアカリはすこし赤面した。

 

「春木さん、ご親族の方は?」

 

「もうおりません」

 

 春木が答えると、詰襟の男はちょっとあたりを見渡して逡巡したあと、かるく首を振った。詰襟の男と春木はなにやら今のやり取りで意思疎通をはかれたらしいが、ハナノアカリにはハテナマークだ。

 ひよっとすると何か問題があったのか、と少女は喉を鳴らす。

 

 

「──うん、うむ。どうぞ、お二人で。見送りは構内までですが」

 

 

 返ってきたのは、そんな意外な返答だった。

 望外にも親切な対応にハナノアカリが訝しげに会釈をして通り過ぎようとすると、前を見たまま詰襟の男が呟いた。

 

「前に、妹と貴女の競争を見ました。手に汗握る、良い物だと思いました。ありがとう」

 

 それを聞いた春木はちょっと驚いたような顔をして、すぐに嬉しそうにフッと笑った。ハナノアカリはうまく言葉を返せなかった。

 

 

 ◆

 

 

 

 駅の構内は人で溢れかえっている。

 騒ぐことは禁止されているが、独特の雰囲気がざわめきになって辺りを満たしている。息が詰まりそうだ。

 その中で、列車に乗るのは一部のみ。

 

 彼らは事前通達で分散乗車を呼びかけられていたため、めいめいにある程度バランスよく分かれている。

 

 緑の服装に身を包んだ春木は、どこかハナノアカリの知らない人に見えた。髪を短く整えて、背筋をピンと伸ばした姿は、いつものだらしない姿と重ならない。いったい、このひとは誰なんだろう。そう思ってハナノアカリは拳をキュッと握り込んだ。

 

 

『──。──』

 

 

 見送りに来た人々が言葉や涙を交わす。そんな中で、ハナノアカリと春木は黙って列車の入り口近くにいる。荷物を置く必要のある春木はすでに乗り込んで、ハナノアカリはホームで立ってた。2人の周りだけ、切り取られたように世界が静かだ。

 

 

 

 どれくらいそうしていたのか。

 ピーと甲高い笛の音が響いて、発車の時刻になった。ざわめきはいっとう大きくなり、形のない熱気がむわりと立ち上る錯覚を覚える。

 

『動きます、下がって、下がって』

 

 あぁ、時間だ。車輪の軋みが音を増して、車体は時期に滑り出す。

 ハナノアカリは言うべき言葉を探して、出てこずに口をぱくぱくさせた。それが自分の身体なのにひどく恨めしい。

 

 

 なにか、なにか。

 最後かもしれないのだ。

 ここまで目を背けちゃいけない。

 

 なにか、なにか、男に言うのだ。

 何か、何を? 何を言えばいい? 

 

 ここまで来て、彼に何を伝えればいい? 

 

 思考はグルグルと高速で回り、結論は焦りと反比例するように出てこない。言葉の一つも残さないで終わってしまう。焦りと、人々の熱気と、眠れなかった数日が重なって、目の前がぐにゃりと歪み──

 

 

 

「なぁ、ナァ。()()()()。レース、興味ねぇか?」

 

 

 

 男はニッコリと笑って提案してくる。

 誰がどう見ても、相手を思う人間の笑みで。

 

 最初に出会った時と同じような口調で。

 あれはまだ、お互いが名前も知らなかったころ。あの時から随分と遠くまできて、格好も、周りからの評価も変わった。

 

 でも、変わらないものがただひとつあった。

 

 春木の唐突とも思える言葉が、ハナノアカリの最初に聞いた言葉だと気がついて、そしてそれを敢えて言ってみせた男の心に気がついた。

 春木の目を見れば、穏やかだ。何も言わずとも、彼は受け取ってくれていた。ハナノアカリの言葉を。想いを。

 

 だから、彼女が返す言葉はただ一つ。

 あの時と同じように。ただ、迷いはなく。

 

 

「──うん、うん……! お昼ごはんを、奢ってくれるならね」

 

 

 ハナノアカリがまっすぐ春木の目を見てそう言えば、揃って2人は吹き出した。

 そして、すかさずハナノアカリはサッ、とハンカチを渡した。

 

 受け取った春木が不思議そうな顔で包みを開けると、中からはすり減った蹄鉄が姿を現す。

 ハンカチに包んで。素直じゃ無い。春木はたまらんといった調子で膝をひとつ叩いた。

 

「走れよ、アカリ。誰のためでもない。自分のために。自分がしたいことのために」

 

 そう言って列車の扉はしまり、ゆっくりと動き出した。

 菖蒲色の少女は春木を目だけで追って、やがて伽藍になったレールを見つめて静かに泣いた。

 

 

 

 これが時代の迷子になった少女と、しみったれた三流詐欺師の最後で、別れだった。

 この時代にはありふれた出来事で、2人にとってはかけがえのない数分間。それがいま、ぷっつりと終わりを迎えた。

 

 列車の居なくなった構内に五月の風が吹く。

 1人になったハナノアカリの服の裾をパタパタと揺らして、風は消えていった。春は終わりを迎えた。

 

 それを理解して少女は頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それじゃあ、さようなら。

 

 

 

 また、会う日まで。

 その時はきっと。きっと積もる話も出来るだろうから。だから、一緒にご飯を食べようね。

 

 

 

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