昭和にウマれたウマ娘!   作:調味のみりん

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Ep.12 冬は去り

 

 

 

 孤独とは、一度抱いたのなら、決して消えることのない感情である。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 そこから、ハナノアカリの苦難の日々は始まった。

 

 

 5月中旬 東京レース場

 (よび)ウマ戦中等 左 芝 2000メートル。

 

 ハナノアカリの五戦目は曇り空に出迎えられた。

 重く、煤を吸ったような雲が地面を押すように垂れ込めている。

 

『呼ウマの中等級、距離も以前とは伸び、東京優駿競争も見据えた一戦になるでしょう。それでは、この鉛色の空にも負けじと集ったウマ娘、全9名の入場です』

 

 ノイズ混じりのスピーカーからは実況の声が流れだす。ラジオ放送もされているようで、街頭には同じ声を聞いている人もいるだろう。

 

 ハナノアカリはひとりスタンドを見上げた。人がいる。カーキ色が少しずつ増えてきているが、それでもまだみんな来ている。レースを見に、やって来ている。

 何も変わらない、春木ミノルだけがいないスタンドがそこにあった。

 

「よしっ」

 

 少女はひとつ頬をはたくと、夏に向けて緑色の強くなってきたターフ──いまは曇り空にくすんだコースへと歩き出した。

 

『注目のウマ娘であるハナノアカリも。おお、いまやってまいりました。堂々と地面を踏み締めてやってきます。果たして3勝を勝ち取った規格外の末脚は今回も炸裂するのか? 観客席では彼女の末脚を見ようと多くが詰めかけております』

 

 蹄鉄付きの特注のシューズの調子はいつもと違ってどこかよそよそしい。普段とは変わらない調整のはずなのに。

 

「ハナノアカリさん」

 

 声をかけられた振り向くと、はじめて顔を見るウマ娘がいた。芦毛で目立つ髪色をしている。強い目をした少女だ。直接会った事はないが、その特徴は事前に資料で知っていた。

 たしか、彼女は地方から上がってきたウマ娘だ。

 

「うん?」

 

「わたし、貴女と走れるのを楽しみにしてたの。実物って、思ったたよりずっと綺麗な子で吃驚しちゃった」

 

「そう? きみは……ホクカゼちゃんだよね」

 

「──! なまえ、知ってたの?」

 

 少女は白くなった髪を少し振って、両手を上品に口に当てて目を見開いた。ハナノアカリは足で芝の状態を確認していたため、その姿を見ていなかった。

 

「え? そりゃ、一緒に走るライバ……好敵手だからね」

 

「わたしが? 好敵手? 4戦3勝した貴女の?」

 

 ホクカゼは疑問符を何個も重なるような、変な問いかけをする。

 ハナノアカリはそこで一回顔を上げて、目の前の少女を見た。やけに食い下がってくるし、真剣な表情だ。菖蒲色の少女は、不思議そうな顔をして、こくん、と頷いた。

 

「わたし、地方から出てきた無名なのに、貴女みたいに噂にもなったないし……それに、ほら。芦毛よ」

 

「? 芦毛だねぇ。ホクカゼちゃんに似合ってるよ。あと、目がギラギラしてて食べられちゃいそうだ」

 

 ははは、とハナノアカリは笑った。

 だが、ホクカゼと呼ばれたウマ娘は二の句を言わず、驚いた顔をしていた。

 

「──そう」

 

 小さな鈴が鳴るように、小さく彼女が呟くと、すぐに顔を真面目なものにし、ハナノアカリを正面から見据え、言った。

 

「いい勝負にしましょう」

 

 うん、と調子を変えずにハナノアカリが頷けば。ホクカゼはすぐに身を翻してターフへと向かって行った。その表情は、最初の頃よりずっと素直なものになっていた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

【当時の新聞】※一部表現を直した箇所がある。

 

 

 

 一番人気で注目を集めたハナノアカリは最初期に後方にて陣取り。地方からやってきた期待の星、ホクカゼは先頭を突き進む構え。[中略]第三角にてハナノアカリが最後の追い込みをかかるも前二戦のような鋭さはなく、3着にて確定。バ場の重さが勝敗を分けたのではと──[略]

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

『ここでハナノアカリが追い込んでくる、鮮烈な末脚が炸裂するのか──! 先頭のセンジュウはねばります! まだ粘る! 二番手のホクカゼも追いすがり、その背後にはハナノアカリがグングンと伸び……ません! いつもより足色が鈍いか!? 先頭センジュウ際どくも逃げ切って、1着! 2着には僅差でホクカゼ……。

 

 

 ──ハナノアカリは2身離れて3着となりました』

 

 

 

 ◆

 

 

 驚きのざわめきが響くターフで、菖蒲色の少女は両膝に手をついて息を荒らげていた。

 ぽた、ぽた、と緑色の草に垂れる汗を見ながら、自身の足元に影が差したことに気がついて顔を上げた。

 

 そこには髪を乱して、息を整え終わったこのレースの2着が立っていた。

 

「は、ははは……期待してもらったのに、負けちゃった」

 

「ううん、わたし貴女と走れて幸せだった。事前情報で知った貴女じゃなくて、実際に話した貴女と」

 

 ホクカゼはレース前と違う、毅然とした声で答えた。

 ハナノアカリは消耗した体力になかなか肺が酸素を取り込めず、喘ぐように空気を貪り続けている。

 

「はあっ、はあっ……思ったたより、弱くて、失望した?」

 

「自分を刺す言葉は、ダメよ。傷はなかなか治らないのだから。それに──」

 

「……ふぅ……それに?」

 

 ホクカゼはそこですこし言葉を待つように黙った。

 観客席からはちらほらと彼女の名前が聞こえる。

 そして、芦毛の少女はすぅ、と息を吸い込み、万感の想いを込めて言った。

 

「あなたは強かったわ。とっても」

 

「……?」

 

「また、競いましょう。何度でも、わたしは貴女の()()()になるから!」

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 後年。

 古い記録

 

 

 

 

「わたしはここで引退だけれども。きっと、後の時代に生まれた子が、芦毛の悪評を吹き飛ばしてくれる走りをしてくれるわ。芦毛は走らないなんて、嘘だもの。そうなってくれると、嬉しいし、信じているの。だって、わたしのことを()()と言った方が居たのよ。わたしよりずっと強かった彼女が、よ」

 

 

 ◆

 

 

 

 閑話休題

 

 

 また別日。

 

 

 

 たったひとり、ハナノアカリは地下バ道に出る。

 鈍く響いてくる歓声も、道の奥から聞こえる、芝を撫でる風の音も聞きたくなくて、集中のためにギュッと耳を絞った。

 

 

 5月末 東京レース場

 (よび)ウマ戦中等 左 芝 2000メートル。

 

 ハナノアカリ、6戦目。

 3着に終わった前走から、2週間も経たない日だった。

 

 ハナノアカリは控え室でぼんやりと天井を見上げて、時間を知らせる放送に出走準備のために腰を上げた。控室を出れば、出たのが最後だったようで、ターフに向かう途中、地下バ道にはハナノアカリの特別な重たい靴音だけが反響していた。

 

「?」

 

 その、終点。

 

 2人の人物が逆光と重なるように立っていた。

 1人はウマ娘にしては大柄な少女で、もう1人はしかつめらしい表情に分厚い身体をピッタリとした和服に包んだ男だった。

 

「あっ、えっ……?」

 

 ハナノアカリが困惑したのは、ウマ娘の方に見覚えがあったから。面識こそないが、誰でも知っている有名なウマ娘。ハナノアカリがデビューした直後に引退の時期を迎えた、レースに関わる者なら知らない人は居ない伝説的な存在。

 実物を見てみると、髪の毛がさっぱりしているんだな、と感じた。

 

「なんで……ク」「おっと、今はもう名前を変えたの。引退したから」

 

 ビロードのように輝く栗毛のウマ娘は、ピッと白魚のように細い指でハナノアカリの口を塞いだ。

 

 じゃあ、何と呼べばと表情に出ていたのか、大柄な彼女はパチンとその身に宿した強さに見合わず茶目っけたっぷりにウインクをして見せた。

 

「いまは、そうね。フジさんとでも」

 

「えっと……はい、フジさんはどうしてここに?」

 

 ハナノアカリは栗毛のウマ娘と視線を合わせながら、コツコツとシューズ感覚の確認をした。蹄鉄と床材の石がぶつかる音は普通のものに比べて大分重たいものだった。

 

「あなたを見に来たのよ。次の春。ハナノアカリさん」

 

 地下の天井についた電灯がジジジ、と鳴って、少し点滅をした。

 その中でも栗毛のウマ娘はどっしりと立っていた。

 

「私は引退を決めた時、走りに後悔は無かったわ。でも、一つだけ。懸念があった」

 

 まだ、ゲートインまでは少し時間がある。

 目の前のウマ娘は百戦錬磨。レースまでの時間は重々承知しているだろう。それでも少し早口になって、それでも重さのある声で、ハナノアカリの目を見て言った。

 

「次の競争界を盛り上げる存在が──後を継いでくれるウマ娘はいるのか。レースの火は、消えてしまわないか」

 

 栗毛のウマ娘はそこで一旦言葉を切った。重厚な沈黙があたりに波紋のように広がって、栗毛のウマ娘はすこし微笑んだ。

 

「いま競争界は火が消えかかってる。時代に呑まれている。それは仕方ない。もっと大きなこともあるから」

 

 彼女はごく自然に目を伏せた。

 そしてスッと頭を下げると、落ち着いた声で言った。

 

「でも、だからといって簡単に見過ごせるわけではないわ。私の大切な物が消えていくのを、ハイソウデスカとは見送れないの。見送らないの。そういうものなの」   

 

 そこまで言い切った顔は晴々としていた。雨上がりに光を受ける梅雨を纏った草のように明るかった。

 

「だからこそ。ありがとう、ハナノアカリさん。私が──私とあの人が愛したレースを守ってくれて」

 

「そんな……つもりは」

 

 突然に感謝。ハナノアカリは一歩後退る。

 その様子を見て栗毛のウマ娘は朗らかに笑った。

 

「うふふ! 緊張させようって訳じゃないの。ただ感謝を伝えたくて」

 

 

 ◆

 

 

 

「それで、あの、横の人は?」

 

 話がひと段落ついたと見て、ハナノアカリはかねてから疑問に思っていることを尋ねた。栗毛のウマ娘の横には壮年の男がひとり立っていたのだ。胸板が厚く、眼力が強い、存在感のある男だった。

 彼は二人のやり取りを一歩引いたところで見ていたが、話題が自分に向いたと分かると、目を少し瞬かせた。

 

 

「あー、えっと、この人は……」

 

 そこで言い淀む栗毛のウマ娘。

 先ほどまでハキハキと喋っていた分、彼女が困っているのが分かりやすかった。

 

 それを見て男が、わっはっは、と豪快に笑った。

 腹から響くような、力強い声だ。

 

「儂のことは気にしなくていい! ただの競争好きのジジイとでも思ってくれ!」

 

「岡さん……」

 

 栗毛のウマ娘はちょっと困ったような、呆れたような声を出す。

 男はキョトンとした顔で言った。

 

「ん? 実際そうだろう。では、儂等は観客席にもどるでな。主役は……」

 

 そして腰に当てていた腕をゆっくりと持ち上げ、人差し指を一つ立てて、ある一点でピタリと止めた。目が、しっかりとハナノアカリに合わせられた。

 

「走るウマ娘。君たちだ」

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

『サァ、皐月の曇り空に精鋭のウマ娘達がやって来ました。呼ウマ娘中等戦です』

 

 地下バ道からハナノアカリが出てくると、歓声は一段と膨らみを見せた。

 

 ハナノアカリは傍目に見てもここ数戦、調子を崩していたが、それでも一目見ようと押しかけ者も多かった。中には店番をこっそり抜け出してハナノアカリのレースを見ようとして、観客席に店主が居てバレてしまったなんて間抜けな者もいたくらいだ。

 

 

 少女はゲートに収まって、鉄の匂いを嗅いだ。

 雨の前の湿気が吸って、臭いがくっきりする。重たい、鈍い、鼻の奥まで入ってくる鉄の匂いだ。

 

 春木もいま同じような香りを嗅いでいるのだろうか。

 身体が重たい。

 

 何のために走ってるのか。

 春木に言われた。自分のために走れ、と。

 

 観客席を見やる。

 白色の塗装がされたスタンドは、今は人が多くいる。だが、そこにはあの胡散臭い男はいないのだろう。

 

 走らなきゃ。力が入らない。

 今までの行動を表面上だけなぞって、空っぽになってしまったような感覚がある。

 

 ゲートの中から見上げた曇天は、いつまでもぼやけた灰色を写していた。冬の、生き物がいない色だった。

 

 

 ◆

 

『──始まりました、先頭はタイツキノ、ハナノアカリはぐぐぐっと上がって三番手、今まで後方から進めてきた競争とは違う展開になったが、吉となるか──?』

 

 

 すぐ横を走っていたウマ娘はハナノアカリの足元を一瞬見やる。

 

 事前に聞かされていた話だと、ハナノアカリというウマ娘は尋常でない踏み込みの走り方をする。それこそ脚が折れてしまうのではないかと思うくらい地面に脚を打ちつけて抉る走りをする。それは彼女が走ったあとは芝に人差し指の第二関節まで楽々埋まってしまうほど。

 

 だが──

 

(そこまで深くない。ウワサは嘘だったってわけ?)

 

「ふっッ、──ふっー!」

 

 やや後方にいるハナノアカリの顔を見れば、歯を食いしばっていた。

 まだ幼さの残る横顔には見るものに刺さるような鋭さを湛えて、必死さに顔を歪める姿は割れた宝石を思わせる。

 

(ともかく今は──走るっ!)

 

 

 

 ◆

 

 

 

『まもなく最終直線です。ー─、全てのウマ娘が一斉に動き出し、ここで一気に勝負は決まるのか──!』

 

 視界が開けて、直線が現れた。

 ハナノアカリはそこで、ぐっと姿勢を──いつもよりかは幾分か高いが──低くした。

 

 彼女の特徴的なスパート。

 観客席がワッと一層沸いた。

 

 しかし。

 

『ハナノアカリは伸びません! 追い込むも力及ばず、先頭がそのまま突き抜け1着──!』

 

 

 

 

 

 

 

「いやー、やられちゃったね。最後、伸びきれなかったよ」

 

 ゴール板を過ぎた後、ハナノアカリは周りに誰もいないのに、努めて明るくあっけらかんと言ってみせた。

 

 ハナノアカリ──4着。

 

 少女は肩で息をしていた呼吸を整えて、観客席を一瞥した。そして重たいシューズを引きずるように地下バ道へと引き返した。

 

「あれ……アレ? おかしいな」

 

 勝手に脚が止まった。

 首は力が一気に抜けて、地面に引かれるように、項垂れる。

 

 膝から下がブルブルと震えて、地面に雫がおちる。草を濡らす。

 身体は筋肉の熱がこもって暑いのに、芯の部分では木枯らしが吹いているように冷えていた。

 

 

「ちくしょう……ちくしょう」

 

 

 そうして少女はまた、無理やり脚を叩いて、動かしてもとの道へと帰っていった。

 

 帰り道では、慰めの言葉はいくつか投げかけられたような気がするし、罵倒の言葉も含まれていたように思う。不思議と今は心配されるより、なじられる方が楽な心地だった。

 

 

 気がついたら寮にいた。1人の部屋だ。

 コウマサはいちど実家に顔を出さなければならないらしく、2日ほど不在だった。

 

 

 

 

 その日は布団に入ってもなかなか寝付けない夜だった。

 

 長い夜だった。

 時間が1秒1秒肌の端からヤスリのように削っていく気分で、存在していることが苦痛だった。思考があることがたまらなく息苦しかった。

 震えて冷や汗をかいて、ベッドシーツの不快感を肌で感じ取りながら、唾を呑むたびに針で引っ掻かれたように感じる喉を恨めしく思った。

 手足に力が入らない。プルプルと震え、以前のように動いていたことが夢にも思える。

 ああ、こんな夜にも意味はあるのか。

 こんな最低な日にも意義はあるのか。

 この苦しさは何かに成るのか。

 こんなヘドロの深海の底にある日はどこかにつながっているのか。

 

 耐えきれなくなって、ハナノアカリはするりとベッドから抜け出し、そのままの脚で秘密の特訓場まで向かった。

 

「…………」

 

 虫の音だけが響く道を、砂利を踏み分けながら歩いていく。

 

 走らなかったのは、走ることが分からなかったから。

 脚が重い。なんでこんなに重いの? 

 

 その疑問に答えてくれる者は居なかった。

 ハナノアカリは一人だった。

 

 走るって、どうやるんだっけ。

 

 淡く点滅する星空を眺めながら、ハナノアカリはひとりごちた。

 

 なんでこんなに迷子の時みたいな心細さがあるんだろう? 

 人の中にいて、それでも一つレイヤーを区切った向こう側にいるようだ。もやがかかっているようだ。

 人と喋っていても、薄いオブラートが眼前に垂れている。

 

 

 そんなんだから、走りも分からなくなってしまったのか? 

 

 

 聞く相手も居ないのに、呟く。

 

 

 夢を見てくれたワタシの走りって、一体なにさ? 

 

 

 分からない、わからなく、なってしまった。

 

 

 静かな夜と1人で噛み締めた敗戦は、いつもより心を凄まじいスピードで削っていった。

 

 

 そして、たどり着く。

 

 楕円状のコース。その端では、驚くことに先客が立っていた。

 あの片足の男だ。男は何をするでもなく、月を背景に佇んでいた。

 

 なんでこんな時間に。

 

 ただ立っている。いつもの風体とは違う。やかましく、酒臭く、世に捨てられた人とはかけ離れた幽玄な姿に、ハナノアカリは今まで考えていたことを一旦脇に置いて、背の高い草の間に隠れてそっと様子を伺った。

 

 男は月に向かって何かそっと手に握ったものを透かして見るように掲げていた。高く、子供をあやす親のようにも見えた。しかし、雲間から出た月明かりのせいで、何を持っているのかわからない。

 あれは、いったい? 

 

 少し場所を変えて、角度を調整すれば、やっと見えた。

 あれは毛だ。和紙に包まれた、柔らかな毛の束だ。色は分からないけど、優雅な艶をしていた。

 

 

「出てこい、じゃじゃウマ娘」

 

 

 うひっ、と声を出す。シッポが跳ねる。なぜかバレた。ハナノアカリは黙って隠れていようと思ったが、男の視線がこちらを向いたので観念して草をかき分け砂利の方まで出て行った。

 

 

「覗き見たぁ、いい度胸だな」

 

「ご、ごめんって。ワザとじゃないんだ。ホントだよ」

 

 

 そこで言葉が途切れる。

 男の罵倒も、普段と違ってキレがなく、無理していつもの姿をなぞったような空虚さを持っていた。

 

 

「それって……」

 

 ハナノアカリは耐えきれずに、伏し目がちに問うた。

 

 

「──昔の子だ」

 

 男は言った。

 月を見るようだったが、あれは月を見ていない。目はどこか別の景色を見ている。

 

「俺がみっともなくも、右足を無くして帰ってきたら、アイツは()()になってた」

 

 

 あたりには静かな夜の匂いがした。

 草の香りが混じって、人の生活の痕跡が薄くなった、色味の薄い穏やかな匂い。

 男が言った。

 

「俺ァ、どうしてあの時、居なかったんだろうな」

 

 彼女の側に、だろうか。

 そこで言葉を切ると、雰囲気をいつものものに幾分か戻して、ハナノアカリの方へと向き直った。そしてざっくばらんに言い放った。

 

「最近、散々だな。お前」

 

 これにはハナノアカリもむっとした。散々とは言っても、掲示板内は確保しているのだ。それがどんなに難しいのか、レースに関わったことのないひとが無神経に言って良いものではない。

 

「そんな風に、言わないで」

 

 分かっても無いくせに、と。

 

「じゃあ、逆に聞くがよ」

 

 男の声はそれでも揺るがなかった。

 しっかりした声で問い直してくる。

 

「お()が、満足いく走りを出来てんのか?」

 

 

「──っ」

 

 それはナイフのような言葉だった。

 なんの抵抗もなく、ハナノアカリの胸骨をすり抜けて、奥の心臓に深々と刺さるような、そんな感覚。

 何気なく放たれたからこそ、身構えのない状態でやられてしまった。

 

 

「俺の仕事は、お()を走らせることだ。勘違いすんなよ。勝たせることまでは、()()()()ねぇよ」

 

 

「頼まれて……え、誰に?」

 

 あまりに意外な言葉に、喉奥に感じていた痛みも忘れて問うた。

 すると男は不思議そうに眉を寄せた。

 

「? 聞いてねぇのか?」

 

 なにも、聞いていない。

 

 だが、春木がいつだったか、言っていたことを場違いにも思い出していた。壊れたレコードが、プレイリストの曲をめちゃくちゃに流すように。

 

 かつて、レースの世界に突如現れて、星のように輝いたウマ娘と指導員(トレーナー)がいたと。

 

 突然変異の天才と呼ばれた指導員がいた、と。

 そして、今は挫折して消えたただの男になっている。

 たしか、その、名前は──

 

 

 

 ◆

 

 

 

ねぇ、キョーカン。

わたしって走るの速いですよね! 

カーブとか、曲がり方とか、ほら東にわたしより上手いウマ娘なんて居ないって噂ですもん。

 

強い子だった。

速いウマ娘だった。

2人で創った、レース中の特別な息の繋ぎ方を継承した子だった。

 

そして何より。

 

素直な子だった。よく笑う子だった。

 

えへへ。

 

 

……いってらっしゃい。

待って、ますから。

 

 

手元に残ったのは、彼女の髪一房。

 

 

「お気の毒です」

 

 

「な、な……なぁにが! 気の毒だッ!!」

 

 

 

そうして季節が巡って。

レース好きのやつはあの子のことを覚えてなくて。

あの子が活けたニリンソウが折れて地面に落ちて。

 

そこで、全ては無駄だったのだと悟った。

 

 

二日酔いは、目覚めた瞬間に分かる。

 

茶色い酒瓶を傾けて、

酒を一口。

 

ぬるい。

 

空になってたので、買いに出かけることにした。

 

 

道ゆく人が顔を顰めていく。

 

 

 ──ワーっ! 遅刻する! 

 

 ──いけいけー! ハナノ号! 

 ──イヤーッ! 耳持つんじゃないよー!? 

 

 

騒がしい声に振り向いて見れば、薄い桜のような髪をしたウマ娘が、上に子供を乗っけて駆けてく姿があった。

 

つい癖で脚の筋肉のつき方を観察して、あれは競技者だなと考えて、思考を意図的に中断させた。

 

やめだ。もう、ウマ娘は教えない。引退して、後進も育てない。

 

親父の代から続く名前も終わりだ。

 

なのに、

 

それで、なんとなく、河原に来た。

植物が茂って、その奥。誰も来ないようなひっそりとした場所。

よく、あの子と練習した場所だった。

 

『ほらっ、土と草むしりしますよー! 維持が大事なんです! イジが!』

 

小石を一個拾って、ケッと息を吐いた。

自分でも分かるくらいに酒の匂いがした。

 

「あ?」

 

だれか、不届きものが使ってる。

 

 

「地面がすこし捲れてる」

 

「硬い土とか、木の根っこが埋まってるところだと、わたし、深く踏み込みすぎて足をくじいちゃうかもしれないんです」

 

「だから、ここを使ってコーナリングの練習を」

 

「丁度カーブもレース場の角度ですし」

 

 

あの子の言葉が反響する。誰だ、使っているのは。手入れはされているが、だれがこんな隠れた場所で練習をしてやがる。

 

片足を無くした男は、立ち上がって、ゆっくりと辺りを見渡した。

 

 ◆

 

 

 

「レースにはな、いいか。三つ必要なんだよ」

 

 トージローと名乗る酒飲みの男は、あたりをゆっくりと見渡して、その後ハナノアカリに向かって指を三つ立ててみせた。

 

「心、技、体。技は俺が教えてやる。体はお()には生まれ持ったものがある。最後の心、これが曲者だ。自分の道は自分で選ばなきゃなんねぇ。たとえそれが間違いでも、な」

 

 

「いまのお()にはこれが欠けてる。これを見つけてこない限り、勝てんぞ。レースにも、自分にも」

 

 

 

 ◆

 

 

 次の日の昼下がり。

 ハナノアカリは寮の自室でベッドに腰掛けながら天井の木目を見上げていた。

 

「今日の錬成は終わりですか?」

 

 朝方に実家から帰ってきたコウマサが地面で荷解きをしながら問いかける。

 うん、とどこか気の抜けた返事をハナノアカリは返した。

 

「すぃません、ハナノアカリさんはいらっしゃいますかぁ」

 

 一階の方からそんな若い男の声がした。寮にインターホンなど無かったので郵便だったり配達は時々こうして呼ばれる事があった。

 

「いますよー」

 

 だから手慣れた様子でハナノアカリが玄関まで出て行った見れば、小さなトラックの荷台を気にした様子の手拭いを巻いた男が立っていた。

 

「や、これはどうも。コウダ服飾店の者です。お届けものはそちらに上げてしまっても?」

 

「お届け物?」

 

 思い当たるフシのない届け物にハナノアカリの頭上に疑問符が浮かぶ。

 それを知ったか知らずか男は手元の細長い手帳のような紙をパラパラとめくって何かを確信していた。

 

「ハイ、そちらに納品するように、と」

 

「えっと、誰から?」

 

「春木ミノルさんですね。ハナノアカリさんの大レース用の服という事で」

 

 男は手元の紙から顔を上げずに答えた。

 ハナノアカリは釈然としないような、不思議なような気持ちで男から荷物を受け取った。それを確認したら男はすぐにトラックに乗って何処かに言ってしまった。

 

 

 ◆

 

 部屋まで上げた荷物は、黒い布の掛かった衣桁であった。

 高さはハナノアカリと同じくらいある。

 部屋に運ばれたソレにコウマサは目を白黒とさせていた。

 

 ハナノアカリが、そっと滑らかな生地の保護布を外すと、中からは若草色の羽織が姿を表した。一目見ただけで息を呑むような、生きているような静かな迫力と存在を備えた羽織りだった。全体的に白色や薄緑に近い色合いをしているが、袖口や襠の部分には風に揺れる淡い桜が刺繍されている。

 

 服飾店の男は、大レース用の服と言った。

 それは、まさに。ハナノアカリの勝負服、そのものだった。

 

「──っ」

 

 菖蒲色の少女は思わず両手で口を抑える。

 これは、春木からの贈り物だ。

 

 春木が出て行く前に残した、忘れ物だ。

 自分が居なくなっても、ハナノアカリが一人にならないように。

 存外、寂しがり屋の少女が孤独のうちに残されないように。

 

 ハナノアカリは震える手で衣桁の後ろに回って、くるりと背中側のデザインを見てみた。そして言葉を無くした。

 背中にはどんと、飾り文字で真ん中に、二文字が誇らしげに刻まれていた。

 

 』

 

 

 ──と。

 

 それは、祈り。

 かくあれと。健やかに走りたまえと。

 しがらみを超えて、時代を超えて、走れ、という祈り。

 

 

「──あはっ!」

 

 菖蒲色の少女は、目の縁に水を溜めながら、可笑しそうに吹き出した。

 

 なんて、なんてバカなひと! 

 そんな事、そんな祈り、直接いってくれればよかったのに! と。

 

 お昼ご飯の時でも、夜ご飯の時でも、面と向かった時に、すこし箸を置いて、こっちを見て、ただ一言。走れと言ってくれれば、よかったのに。

 結局その言葉を聞いたのは、なんと、最後に駅の構内で別れる直前だった。遅すぎるだろう。いつまで溜めていたのだ。

 

 

 この服を仕立てるのにだって、ずっと前からの仕方が要る。それこそ数ヶ月ほど。

 そんなに前から心に秘めてたのなら、なんで別れの言葉にだけ言ったのさ。

 

「ふふっ」

 

 いや、分かってる。

 ワタシに無用な重荷を被せまいとしてたのだ。

 ワタシに夢を見ていたからこそ、ワタシを軽いままにしておきたかったのだ。ああ、不器用。なんて、回りくどくて、気が付きにくくて──それでも確かにそこにある想い。

 

 

 ありがとう、ミノル。

 ありがとう、ワタシに夢を見てくれたひと。

 

 だから、走るよ。

 

 あなたがそんなに不器用なら、ワタシだって不器用でも良いよね。走る意味も、意義も、よくわからないけど、それでも走って、いいよね。

 

 みっともなくても、美しくなくても、走るよ。

 

 

 

 

 

 ──孤独は。

 

 

 孤独は、1人だと人の群れの中で思うこと。

 そうじゃないことは、心の中に、誰かの思いがあると知る事。

 

 人は孤独になって、辛さを知って、だからこそ人に寄り添える。

 春木という親族が皆死んだ男の人生に、それでも生き続けた男の人生に。花が実って、ハナノアカリに手渡された。

 

 

「気がついてね、ミノル」

 

 

 あなたが夢を見てくれた、そして信じてくれたウマ娘は、どこまでも、走るよ。あなたの見た夢は、こんな所まで来たんだよって言ってあげるから。

 

 

 ◆

 

 次の日。

 

 いつものようにハナノアカリは秘密の練習場に足を運んだ。

 そして、いつものように渋面の男が出迎える。

 

 だが、地面を自然と踏みしめるハナノアカリの、その表情を見て、トージローと名乗った老人はニヤ、と笑った。

 

「揃ったな」

 

 心、技、体。そのすべてが揃ったな。

 勝つのに必要なもの、全てが揃って、かつての天才、桐生院 藤次郎が笑った。

 

 

 

 ◆

 

「準備しろ」

 

「うん」

 

 シューズの紐を結べば、さらりと緑の風が髪を遊ばせて行った。

 空を見れば青色がいつもより濃く思えた。

 

 

 春木は居なくなってしまったけど、すべてなくなったわけじゃない。

 葉を散らした木々が、それでも種子を地面の下に深く埋めるように、ここに確かに残ったものがある。

 

 

「お前に特別な一手を教えてやる」

 

 桐生院藤次郎(元・天才)は酒瓶を置いて、初めて立ち上がって言った。

 

「その、規格外の踏み込みからなる狂気のスパートを、()()成し遂げるための、絶対的な準備を」

 

 どんな展開にも、負けず、折れず、息を潜めて機会を伺える。

 そんな、鋼の意志が如き一手を。

 

 それを聞いてハナノアカリは笑った。

 寂しさは決して消えない。孤独な気持ちも小さくはなれど、無くなりはしない。

 

 でも、貰ったものがある。残されたのは寂しさだけじゃない。

 出自やら何やらまで違うワタシに、ここまで心を砕いてくれた。物を残してくれた。居場所を作ってくれた。そんな人がいるって、示してくれた。

 

 ワタシはこの時代に生きていいんだって、何よりの証明をくれた。

 

 だからワタシはぶきっちょに地面を這っていく。

 

 どんな事があれど、ワタシはこの時代に、昭和に生まれたんだ。そう教えてもらったんだ。だから、ワタシはこの時代のウマ娘なんだ。この時代に走るんだ。

 

 

 だって、ワタシは──

 

 

 

 

 ──昭和にウマれたウマ娘! 

 

 

 

 

 

 

 

 あなたとワタシの夢を叶えよう。

 それがきっと、貰ったものに応える唯一の方法。

 

 

 

 季節を進めよう。

 出会いの春は終わり、夏が来る。

 東京優駿が、ダービーが、来る。

 

 

 

 

 

 

 

3.春に実る 終

 

 

 

 

 

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