昭和にウマれたウマ娘!   作:調味のみりん

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5.『おかえり』
̷E̷p̷.̷1̷5̷ 縺ァ縺阪k髯舌j縲√≠縺ェ縺溘?縺溘a縺ォ →→ Ep.94


 

 

 

 

 

 

 夢をみる意味って知ってる?

 寝るときにみる方だよ。

 

 

 

 寝ている時に見る夢は、その人の押し殺した潜在的な欲求だったり、叶うことのないと分かっている願望だったりするらしい。

 高名な昔の心理学者はそう言っていた。

 

 

 

 

 

 

 いつだったか、夢を見た。

 初夏の暖かな空気の中で、木漏れ日を浴びながら、また会いたい人たちに会える夢を。わたしの名前を呼んでくれる夢を。

 

 

 夢を見た。

 ただ、静かで、色彩は緩やかで、風に草の葉が揺れている。

 わたしの名前を呼んでくれている。

 懐かしく、安心できて、眠たいような。

 

 そんな穏やかな夢を見た。

 

 

 目が覚めて、六月の朝六時の窓の外はもう明るく、カーテンが揺れていて、不思議と枕が濡れていることに気がついた。

 

 

 

 どこか柔らかで、穏やかで、暖かで。決して触れることは出来ない。

 そんな夢を見た。

 

 

 ◆

 

 

 七月もじりじりと近づいてきたある日。ハナノアカリは珍しく東京レース場の隅にある一角でアップをしていた。

 

 珍しく、というのは、普段彼女は河川敷の脇にある秘密のトレーニング場で練習をしていたので、他のウマ娘のようにあまりレース場に顔は出さなかったからだ。

 

 もっぱら彼女はレアキャラ扱いである。

 

 ならばなぜ今日に限ってレース場に居るのかと問えば、その日は、普段ハナノアカリのトレーニングを見ている男──桐生院藤次郎が“知人に用がある”といって不在だったのだ。

 だったらレース場でやった方が効率が良いやと思った次第である。

 

 

 ハナノアカリはストレッチをして、普段より広いターフを見つめた。

 

 

「──よし」

 

 

 

 ◆

 

 

 予約の黒板に書いた順番を気にして、順番が来たならチョークの粉がついた指を軽く振りながらスタート位置に向かい、身体の調子を確かめるように流して走る。全力ではないが集中力を非常に使う調整。

 

 

 ハナノアカリは顎を伝う雫を払って、自身のフォームに微調整を加え続けた。

 

 そして一本、二本と走り終わる。汗が吹き出すように服を湿らすので、建物の影に集めて置いてあった水分置き場へと向かった。そこは建物の屋根がある場所で、地面が芝から石に変わった瞬間、ハナノアカリの足音がガチャン、ガチャンと響き渡って周りのウマ娘の注目を集めた。

 

 彼女の蹄鉄はふつうの何倍も重たいのだ。

 

 ハナノアカリが周りの視線を気にせず、水筒に入った水を飲めば喉を通る水の感触で体が思ったより熱くなっていたのだと足をさすりながら思った。特注の重たい蹄鉄が付いたシューズは痛むのが早く、交換の時期は逸さないように点検を怠らないようにしなければならない。

 

 ひゅっ、と六月末の風が水分置き場を吹き抜ける。世間は少し蒸し暑くなってきた時分で、芝からむわりと熱気が吹き出すようだった。

 

 桜色の目をした少女は日陰から日向のコースを眺める。すこし暗順応した目には照り返しのある芝は眩しくて、目を細めるように眉間に力を入れた。

 

 

 辺りがざわつきは、今日に限っては未だ治る気配を見せなかった。それどころか、具体的にヒソヒソと囁き合う声も聞こえてくる。少女の耳はとくべつ良かった。

 

 

 流石にちょっとだけ気になってきたので、耳に神経を集中してざわめきの内容を聞き取ろうとすれば、“行く? ”だとか、“ちょっと、押さないで”とか、“行きなよ……! ”といった相談が聞こえてきた。内容が聞き取れたので、ハナノアカリは我関せずと意識を切り替え、目を細めたまま、頭の中でまた走り方のシュミレートを始めた。

 

 

「──あのっ!」

 

 

 すると、ざわめきの、その中の一人、黒鹿毛のおさげをした生真面目そうなウマ娘が近づいてきたではないか。ハナノアカリはちょっとびっくりして水筒を取り落としかけた。彼女は気づいていないようだった。そして両手を胸の前でこねるようにモジモジとしながら言葉を続けた。

 

「あの……もしかして、本日はここで練習をされるのでしょうか」

 

「え、うん。そうだけど」

 

 その言い方に、もしかして“普段顔を出さないクセに”とか、“帰れ”とか言われるのかなと身構えたのも一瞬。 

 

「やった! えっと、コホン。あの、ハナノアカリさん、東京優駿大競争、おめでとうございます」

 

 黒鹿毛の子はぱあっと表情を明るくしその場でぴょいと小さく跳ねた。そして目の前にいるハナノアカリの視線に気がついたのか、恥ずかしそうに顔を赤らめてコホンとわざとらしく咳払いをした。

 

「わたし、実はあのレースの設営で駆り出されてて、それで近くで見れたんです。びっくりしました」

 

 黒鹿毛のウマ娘はその時を瞼の裏で再生するようにちょっと上を見ながら言った。

 

「それで、ハイ。あんな風に走ってみたいなって、思いました」

 

「はぁ」

 

 予想外の展開に、ハナノアカリは生返事を思わず返す。すると黒鹿毛の子はますます赤くなって、身を縮め込み小さく蚊の鳴くような声になってしまった。

 

「えっと、それだけ……です」

 

 それきり黒鹿毛の子は固まってしまう。

 ハナノアカリは手に持ったままだった水筒をゆっくり置いて、一度ターフの方をチラリと見てから、目の前の子に向き合った。

 

「ワタシの走りを見て……そう思ったの?」

 

 そして言葉を選ぶように、ぎこちなく尋ねる。

 

「えっと、はい。その……ご不快、でしたか……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

誰かに夢を見せられるような走りを出来たら。

 

 

 

──ねぇ、ミノル。

 

 

 

 

 

 

 

 その日はなんてことない日だった。

 たまたま、レース場を使って、練習をする日常の1ページだった。

 何事もなく朝起きて、ご飯を食べて、夜に寝る日だった。

 

 そんな、そんな日に。

 唐突に、しっかりするほどに、少女の夢はひとつ叶ったのだと知った。

 

 いつのまにか、花は咲いていたのだと気が付いた。

 

 なんてことないように。日常の延長に。

 いままで実感のなかったことが手指の先まで熱が巡るように、じんわりと彼女の身体を駆け巡った。

 

 

 

「──そっか」

 

 

 

 菖蒲色の少女は呟く。

 

 

「──っ!」

 

 

 その時のハナノアカリの表情を見たおさげのウマ娘は何も言えなくなってしまう。それは、まるで花が咲くようだった。冬の蕾が、やっと麗らかな春が来て、陽光に包まれながらその身を人々の前に晒すような笑顔。

 

 ハナノアカリは柔らかく、日陰の蕾が綻ぶように穏やかに嬉しそうに笑った。

 

「ううん、とっても嬉しいや。ありがとう」

 

 おさげの子は更に顔を赤くして俯いた。そしてどうにかぺこりと一礼をするとそそくさと周りで様子を伺っていたウマ娘たちの集団に帰っていった。

 

 

 それからは堰を切ったようだった。周りで様子を伺っていたウマ娘たちがハナノアカリの周りへとやってきたのだ。発生したのは質問に次ぐ質問攻め。どうやってそんなに速くなったのか。どこで走り方は習ったのか。好きな食べ物は? 「シュウマイ」走る時に気を付けてることは? 蹄鉄は何でそんなに分厚いの? と。活発そうな子は、ハナノアカリへ走り方のコツを書きたがり、メガネの子はハナノアカリの特注のシューズを触りたがった。

 

 

 辺りがてんや、わんやと騒がしくなると、その騒ぎを聞きつけた、幼年會で走りたての子も集まってきた。もはやその様子は腹を空かせたピラニアがエサに群がるようだった。この場合、ハナノアカリがエサである。目まぐるしく変わる状況に彼女は目を回しながらも一つ一つに対応していく。

 

 集まってきた幼年會の中で、とくにハナノアカリに抱きつき、懐いた様子を見せたのはシーちゃん、と呼ばれる特徴的な瞳を宿したウマ娘の子だった。

 

「おねえさんの運勢をうらないましょう!」

 

 そう言って何処からかガラス玉のような物を取り出すと、うら若きウマ娘たちにもみくちゃにされるハナノアカリを尻目に、手をかざして唸り始めた。なんで運勢? とハナノアカリは思わなくもなかったが、小さな子が一生懸命何かをやってるので口を出さなかった。

 

「ふんにゃか、はんにゃかー、ふんにゃか……むむっ! 今日の運勢は超吉です!」

 

 

 まだ幼い少し舌足らずな声で迫真に言うものだから、なんだそれーっとハナノアカリはケラケラと笑った。周りのウマ娘たちもつられたようにくすくすと笑い声が広まっていった。シーちゃんは可愛がられているようだった。

 

 

 

 すると、おおい、と呼ぶ声がして、顔を向けると、レース場の柵の外側に見知った顔が立っていた。

 

「トーリョーさん!」

 

 ハナノアカリがびっくりと喜びの混じった声を上げる。察した周りのウマ娘たちが少し離れると、ハナノアカリは軽く会釈をしてレース場を囲う坂へと駆けていった。そこには一人の和装の老人が杖を地面に突き立て立っていて、ニカッと好好爺然とした笑みを浮かべ、矍鑠とした雰囲気を醸し出している。

 

 

「どうしたの? こんなとこに」

 

 ハナノアカリが尋ねる。

 この老人こそ、少女に身分も後ろ盾もなかった時から身元を保証してくれている“檜組”の大親方だった。

 

 

 

「いや、なに。近くに用事があってな。それでついでに嬢ちゃんの姿でも拝もうと思って」

 

 そう言って老人はハナノアカリの背後にあるコースに目を向けた。そして視線を菖蒲色の髪の毛を風に遊ばせている少女に戻すと、まるで悪ガキのような笑みを浮かべた。

 

「どうだ、走ってっか?」

 

「走ってますとも! ほら、この前口添えしてくれたおかげで蹄鉄も新しく出来たんだよ!」

 

 ほらほら、とハナノアカリは足の裏を見せるように掲げてみせた。もしコウマサがここに居たなら顔を真っ赤にして“はしたないです! ”と言いそうなものだが、ここに居るのは老人のみ。

 

 彼は呵呵! と笑って眩しそうにしわくちゃの目元を細めた。

 

「最近はウチも若い衆がみんな行っちまって、静かでな。元気な嬢ちゃんを見ると、こっちまで元気になるよ」

 

「それはよかった」

 

 

 

 

 ちなみに、その頃。元の場所でハナノアカリのやりとりを見守ってたウマ娘たちはざわついて囁きあっていた。

 

 というのも、ハナノアカリというウマ娘はお嬢様出身でもないし、大レースに勝っているのに本人は至ってポワポワとした雰囲気を纏うウマ娘である。だが、周りにいる人物が、片足のない浮浪者のような指導員だったり、明らか親分とかオヤジと言われる類の老人であったり、やけにガタイの良い男たち(檜組の従業員)であったり。

 

 いったいあの子はなんなのだ、と憶測は止まらなかった。

 ハナノアカリは後にその噂のことを知って赤面するのだが、また別の話。

 

 

 ◆

 

 

 

 数時間後。

 

 ハナノアカリは練習終わりの火照った身体で校舎の廊下を歩いていた。

 身体は拭いて、制服に着替えている。なぜ制服なんぞ着ているのかと問えば、私服がないからであるが、ハナノアカリは丈夫な制服をそこそこに気に入っていた。

 

 くるくると制服に含まれているベレー帽を指で回しながら廊下を歩けば、窓からはは夕陽が差して、木張りの地面をミカンより濃い色に染め上げている。

 

 建物にはもはや数えるほどのウマ娘しか残っていない。他にいるのは、避難を拒否した寮母さん、足が不自由になって外国から帰ってきた事務の人。あと数人の職員さん。それだけが残って居るだけで静かになってしまった。彼女がここに来た当初の、どこからかでも響いてくる姦しい話し声や笑い声、走る時の廊下が軋む音は、いまは聞こえてはこなくなってしまっていた。

 

 きしり、きしりとやけに音が響く廊下をひとり、鼻歌を誦じながら自室に向かって歩く。

 

 そして建物の横にある階段で自室がある三階に行こうとした時。

 

 

「──ん?」

 

 

 彼女の、他より敏感な耳が“声”を拾った。

 

 

「なんだ、なんだ」

 

 耳を色んな方向に動かしながらよくよく聞いてみると、どうにもそれが口論のような荒々しさのあるもので、発生源に目を向けると登るべき階段のさらに奥の廊下から聞こえてくるようだ。

 

「なんだろ? 誰か、怒ってる?」

 

 少女は首にかけていた手拭いを改めてかけ直し、そろりそろりと廊下の奥に進んでいく。廊下を少し歩いた地点で声の発生源は分かった。とある扉の閉まった一室の中からで、『来賓室』と白いプレートには書かれてあった。学生はまず使わない部屋だ。

 

 左右を見渡し、誰もいないことを確認するとピタリとミミを壁にくっつけた。

 

『嘘でしょう!? あの子たちを……』

 

 息を呑む声だ。

 ウマ娘の中でも鋭い方の聴覚が、カラカラに乾いた口から発せられる声を捉えた。

 

 一拍、呼吸が開く。

 

『あの子たちを……徴収するなんて』

 

 

 

 

 

 心臓が嫌な音を立てた。悔しいほどに、既視感のある空気を感じた。

 

 

 

 急速に口内が粘ついたような、エマージェンシー。日常が急に音も立てずに途切れて取り返しのつかなくなる前の予感。

 

 

 

 

「……は」

 

 

 

『もはや、頓着ならんのだ。マリアナの島も、じきに我々は居なくなる。この意味が、分からないとは言うまいね。この国の空はもう、我々では飛べんのだよ』

 

 声に渋さのある男が言う。

 意味が分からない。頭が止まっているようで、思考が形を結ばない。

 

『ですが……っ! だからといって、この場所から新しく人員を送る必要は……。彼女たちはまだ学生だ! 子供だ!』

 

 何を言ってるのか、本能が理解を拒んでいる。

 言葉がただ、脳内を流れていく。

 

『分かってるだろう。やらねばならないんだよ。嫌だというのは分かるがね、君。そうも言ってられんのだよ。あたりで工場勤務の人以外はいなくなって居るのに、そも、レースは娯楽じゃないか』

 

 

 それでも話は続く。

 うまく言葉が飲み込めない。どうしようもなく、状況が進んでいく。

 

 

『生産のために必要な設備ではないだろう。君たちが何もしないで居たら周囲からの反発も、予想しなかった訳ではないね?』

 

 バシン、とまるで膝を叩くような音がして、歯の奥から押し殺すような呻き声が聞こえてきた。聞いた人の目の奥が痛むような、悲痛な唸りだった。

 

『それでも……彼女たちが競い合うのは、レースだ……! あの子の、その脚は、手は、……為のものじゃない!』

 

 聞き耳を立てていたハナノアカリはなぜか膝に力が入らなくなって、立っていられなくて、壁に背中を預けたままずるずると下がった。

 ふと見かけた窓に映る夕日に照らされた葉桜が変に遠くの映画みたいに思えた。

 

『自由に走る権利がなくなっていいわけがない! 平和が不当に奪われていいわけがないっ!』

 

 

 

『良いわけがないな。当然だ。私も、こんな事は言いたくなかった』

 

 

 

 言葉の応酬が止まった。

 予想外の発言に、部屋の中で時間が少しだけ止まったようだった。

 ハナノアカリは呼吸の仕方を思い出せなくなった。

 

『あの東京優駿は良かった。ほんとうに。だからこそ……あぁ。いっそ、太平の世に産まれてれば』

 

 カチカチと時計が針を刻んでいる。

 啜り泣く声が、それに添うように響いて居る。

 

『走って、競って、泣いて、勝って、笑い合って、つらいことがあって、手を取り合って進んでいく……。そんな権利を壊されて言い訳が、ない……』

 

『わかって……分かってるんです……。いまは、レースどころじゃないって。それよりも、まず、生きなければいけないと……でも、だからといって納得できるもんじゃあ、ないです……』

 

『わたしは、ずっとあの子たちを見てきたんです。親元を離れて頑張る子たちを見てきたんです。いろんな期待を背負って、それでも溌剌と笑って走る子たちを……しょげて、部屋の隅でいじけるまだまだ子供なあの子たちを……ほんとうの娘みたいに思って……』

 

 

『桜吹雪の中で笑うあの子も、夏雲の下で暑さに恨ましげに目を細めるあの子も、秋の落ち葉を踏む音を聴きながら走るあの子も、冬のきらきら光る星の下で寒さに鼻を赤くして同期と並走するあの子も……ぜんぶ全部、全部あたりまえで、尊くて、だからこそ、それを踏み躙っていいわけないだろ! くそ、くそ、ちくしょう……』

 

 気づいた時には、部屋の扉は開いていた。

 驚いたような若い男と、装飾のなされた詰襟を着て居る壮年の男がこちらを見ていて、そこで開けたのが自分だということに気がついた。

 

「君っ! どうしてここに……いや、さっきの話を聞いて……!?」

 

「落ち着きなさい、まずはその涙を拭って、深呼吸をしよう」

 

 何か言われたので、頬に触ると、確かに暖かく濡れていた。

 ハナノアカリは口を半開きにしたまま、痙攣する口元の筋肉を懸命に動かした。

 

「全員ですか……?」

 

 絞り出せたのは、情けなく震える声。

 昼間はあんなに楽しかったのに、それらが急に遠いものに思えてきた。

 

「ここに居る、レースを走る全員なんですか? マサちゃんも、メジロのあの子も、みんな……?」

 

「まだ検討段階だ」

 

 その言葉を聞くや否や、バッと部屋から飛び出した。

 ただ、人目のない場所に行きたかった。

 

 現実を処理する時間が欲しかった。

 

 

 だから、誰にも会いたくない。

 

 とくにコウマサには、会いたくなかった。

 今会ったら、堪えていたものがすべてぐちゃぐちゃになって出てきそうだから。

 

 がむしゃらに走って、走って、気がつけば景色は変わっていた。

 ひゅるりと生暖かい風が髪の毛を揺らして、目の前に大きなものがある事に気がついた。

 

 

「なに、……これ?」

 

 

 よくよく見てみれば、それは古風な衣装を纏った3人のウマ娘で、掲げる壺からは水がこんこんと流れ出ていた。何かのモチーフがあるモニュメントだろう。問題なのは──

 

「こんなの、あったっけ?」

 

 すこし赤らんだ鼻を啜りながら、ハナノアカリは首をかしげる。

 そして次の瞬間、クラリと視界が揺れた。眠りに落ちる直前のような、どこか恐ろしげで、優しさもある意識が消えていく感覚。

 

 少女はそれに抗おうとしたが、敢えなく意識は黒に塗りつぶされていった。

 

 

 そして──

 

 

 そして──

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 


 

 


 


 





 


 

 


 

 

 


 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぐえぇ、どこだココ!? 

 少女はぐしゃり、と擬音が起きそうなほど、変な姿勢で地面と接吻した。

 

 天地が急にひっくり返った!? 

 彼女は思った。

 

 頭がズキズキする。

 耳が地面と擦れたせいで痛い。

 シッポも砂だらけだろう。

 

 

 ──痛んじゃうまえに払わないと

 

 

 ──…………? 

 

 

「いまの子、急に現れなかった?」

 

「気のせいじゃない? あれ、どこの制服の子だろ」

 

 

 声に反応して、くらくらする頭で起き上がれば、どうやら何処かの道の脇のようだ。証拠に目の前には道路と交差点が広がっている。

 

 まるで東京、駅前のロータリーのような。 

 

 

 

 

 

「……えっ?」

 

 

 

 

 網膜に映る景色を脳が処理する前に訪れる、血液が下から上に逆流するような不快感。

 背骨にドライアイスを癒着させられたみたいなとても嫌な感覚。それらは理解の追いつく前の本能。

 

 

 浅い呼吸であたりを見渡す。

 

 

 スーツや洋服の人がやけに多い。

 反対側の歩道をブレザー姿の青年が走って行った。

 角ばったメガネにスーツ姿の中年がネクタイを気にしながら道を渡っている。

 正面にはずっしりとコンクリートの建物がある。

 

 ちいさな丸みを帯びたクルマがきちんと整備された区画のある広い道路のアスファルトを通って信号が赤から青に変わった。

 

 道も、空もきちんと整備されていた。

 

「……あぇ」

 

 声に反応する人は居ない。

 横にあった柱を支えに立ち上がってみると、それは鉄製ののっぺりとした塗装がなされた道路標識だった。

 

 

「あ……あ、あ」

 

 

 この道路標識を知っている。

 ハナノアカリは知っている。

 朧げになった記憶で、()()()()()として知っている。

 

 

 

 はた、と観察すると表面は滑らかでペンキ特有のつるつるとした冷たさがあった。手のひらから熱が急速に消えていく。肌で感じる気温は六月だったはずなのに、秋口のような空気が漂っている。

 

「えっ?」

 

 思わず同じことばをリライトする。

 

 

 その目に映る街並みは、かつて見た遠い景色とよく似ていた。

 朧げな記憶の中で、忙しなく動く人、車、キラキラと輝く、紛れもなく現代の証だった。

 

 

 

 

 

「…………えっ?」

 

 

 

5.『 お か え り 』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 ◆

 

 

 唖然として見上げる道路標識の向こう空は夕方で、空の端が線香花火の終わりのように赤く暗くなっていっている。

 音質の悪いチャイムから童謡のメロディが流れて、帰宅を促す放送が始まった。

 

「ひゅっ──」

 

 喉の奥から声が溢れた。

 ここはかつていた時代ではないという確信は妙なところにあって、目に映った夕日が焦りと心拍を加速させた。

 

「──っ!」

 

 

 気づけば駆け出していた。頭の中は疑問符と、なんでこんな時にという解決することのない文言で破裂しそうだった。

 走り出した理由はわからない。迷子の子供が急に走り出すようなものだ。

 

 

 

 道路を曲がる。

 服の裾が捲れる。脚から伝わるアスファルトの感触がしっかりしすぎていて気持ち悪い。

 

 道路を曲がる。空の色がどんどん暗くなっていく。

 ウマ娘用のレーンを走れと誰かに怒鳴られた。そんなもの知らない。なんだそれは。

 

 道路を曲がる。

 知らない民家が両側にぐわっと並んでいて、ハナノアカリを見下ろしていた。

 

 道路を曲がる。

 自販機が見えて、見覚えのない見覚えに、強烈な違和感が脳をチリチリと灼くようだった。

 

 道路を曲がる。

 知らない建物、知らない道、知らない人の格好。

 目の奥がツンと傷んだ。

 

 道路を曲がる。

 匂いが違う。空気が違う。空気に乗って聞こえてくる環境音が違う。

 

 道路を曲がる。

 

 

 曲がる。走る。走る。

 

 

 

 

 

 

 ──脚をとめる。

 

 

 

 

 走れども走れども、見えぬアテに、ついにハナノアカリは足を止めた。

 火照る身体に、右手でベレー帽を握り潰していたこのに気がついて、シワを少し伸ばしてなんとなく被った。

 

 

「……ひえる」

 

 

 菖蒲色のウマ娘は呟いた。

 タイムスリップという超常現象の前に疲労も相まって一周まわり冷静になれた。そして藍色に変わる空を見ながら、地面に脚をするように歩く。街灯に光が灯る。

 そのことにびっくりする。こんな明るい夜はしばらく見ていなかったから。

 

 

 

 

 ふわ、と懐かしい肉じゃがのような香りが空気に混じってやって来て、顔を向けると一軒家の窓から子供の弾んだ声が聞こえてきた。

 そこも部屋の暖色をした明かりが付いていたからハナノアカリは焦って家主に知らせようと玄関を叩きかけ、気がついた。

 

 べつに、いいのか。

 

 この前、町内会の回覧板で明かりはなるべく外に漏らしてはいけないと通達があったものだから神経が過敏になっていたのかもしれない。

 

「な、なんだぁ……」

 

 そこで気が抜けて、妙にへたり込んでしまった。

 

 

 

 ははは、きゃっきゃっと声が聞こえる。

 部活帰りの自転車が通る。サラリーマンが携帯を眺めて少し微笑んで歩いている。おしゃれな格好をしたひとが颯爽と歩き去る。

 笑い声が聞こえる。

 

 

 ハナノアカリは口の中の息を暗い瑠璃色の空に向かってそっと吐いた。

 ふるりと肌寒さを感じて、電灯の下にすこし座り込んだ。周りに人は居ない。世界が自身の存在を圧し潰すような息苦しさがずっと付き纏っていた。

 

 

 

 ハナノアカリの家はここには、ない。

 

 

 

 どうしようかな、と一番星を眺めながらぼうっとしていると、10メートルくらい先の十字路の街灯がスポットライトのように当たっている道の端に子供が立っているのが見えた。

 

 少しダボついた毛糸のニットを着た、3歳から5歳くらいの子だ。髪の毛は坊主ではなく近代的な髪型をしている。ここらの近所の子かとも思えば、所在なさげにキョロキョロとしていた。

 

「……」

 

 あたりを見渡しても、保護者と思わしき人はいない。

 みんな忙しなく歩いていた。小さな子はキョロキョロと首を動かしてる。

 

 状況から察するにたぶん、迷子なのだろう。

 こんな黄昏もすぎた暗い時間にひとり取り残されるのはさぞ心細いはずだ。よく泣き出さないと感心さえする。すこし周りを見ても、時間帯なのか人気はない。あの子の周りには誰もいない。

 

 

 ハナノアカリは頭を軽く振った。未だなんでタイムスリップしたのか分からないのだ。

 帰還の方法も分からない。ここに来る前に聞いた()()()の行方もわからない。考えなければいけない事は多く、情報収集も含めてやらなければいけないことも多い。

 だから、些事や余計なことに(かかずら)っているヒマなどないのだ。

 

 

「…………うん」

 

 

 菖蒲色の髪をした少女はひとつ頷くと、よっこいしょ、とシッポについた汚れを軽く払って立ち上がった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「ボク、どうした? 迷子?」 

 

 

 しゃがんで目線を合わせながら尋ねる。

 その子はキョトンとした顔をして、二秒ほど固まったあと、そのままの表情で首を縦にコクコクと振った。

 

(見て見ぬふりなんて、できないよね)

 

 “そっか”とハナノアカリは内心苦笑いをしながら頷いた。

 お父さんかお母さんの場所は分かる? だとか、知り合いはいる? とか聞いてもわからないと答える男の子。

 

「おお、ほら、泣かないで。不安だったね、怖かったね、迷子は。ほら、ハンカチあげるから。鼻チーンってしな、ウンウン」

 

 やがて状況が理解できてしまったのか、突然にも思えるほど、一瞬で泣き出してしまった。

 ハナノアカリは特に慌てず、慣れた手つきで懐から桜の刺繍がされたハンカチを取り出して男の子の鼻に当ててやった。

 

 そして落ち着くまで少し宥めて、男の子と目線が合ったことを確認するとゆっくりと、言葉を探るように口を開いた。

 

「おまわりさんのトコ、いこっか」

 

 そう言って立ち上がる。ゆっくりと歩き出せば、男の子は無表情のまま追随するように小さな足を大股に動かした。そしてハナノアカリの横に並び立つと、自然な動作で少女の袖をちょんと摘んだ。

 男の子が無表情のままハナノアカリの顔色を伺うように見上げてくるので、少女は微笑みを返して二人は歩き始めた。

 

 

 ──どこに通ってるの? 

 

 

 ──今日の晩ご飯はなんだろうね

 

 

 ──好きな勉強はあるの? 

 

 

 二人手を繋いで歩く。交番の位置はさっき目の端に見たから覚えていた。そういうのは何故か得意だった。迷子の子はもう泣くこともなく、時折鼻をすするが落ち着いて歩いている。そしてハナノアカリの服装が珍しいのか、何度かしげしげと袖から肩に向かってデザインを眺めているようだった。

 

 ハナノアカリの服装は制服で、黒に近い紺色のセーラー襟のデザインだ。袖の部分に細く一周、赤の差し色がなされている。そして袖の赤色の少し上には星が一つ付いていた。

 

 これは大レースを勝った個数付けられる証だ。ハナノアカリは貰った当初、たいそう喜んだのだが、いざ付けるとなると億劫さが勝って制服の前に何日も置いておいた。それがある日帰ってきたらコウマサが縫い付けてくれていたのだった。

 

「むふふ、コレ、カッコいいでしょ」

 

 口元に手を当てながらハナノアカリが自慢するように言えば、男の子はそれきり興味を失ったようで視線をふいと外し電柱の広告を目で追い始めた。

 ハナノアカリはがっくしと肩を落として、“ま、そうだよね……”と哀愁漂う表情を浮かべた。

 

「ワタシ、実は獲得賞金1万5千円とかいってるんだけどナー……」

 

 

 それでも未練がましく、自身のアピールポイントを口にするが、男の子は分かっていないようなキョトンとした顔をしていた。

 

 

 ハナノアカリはトホホ、と目の端を拭って移動を続けた。

 街を歩く迷子の二人の影は、街灯の光を受けて真っ直ぐに伸びていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

「イクノ、そっちはどうだった!?」

 

 

 夕闇迫る街中で、トレセン学園の制服を着たウマ娘が切羽詰まった様子で携帯に口を近づけていた。あたりの大人もすこし騒がしいように忙しない。

 

 

『弟さんは緑色のニットを着てるんですよね? すみません、まだ見つかってません』

 

「大丈夫、ダイジョーブだから!」

 

 癖っ毛でツインテールを揺らすそのウマ娘は焦ったように二言ほど話すと、うん、うんと電話相手に相槌を返した。そして“おねがい……! ”と最後に言い、携帯をタップして懐にしまった。

 

 彼女は焦ったようにまた駆け出す。

 目指すはさっき連絡を入れた交番。

 弟は見つかっていないと言われたが、捜索をしてくれるらしい。

 

「まさか、聖蹄祭の準備中にはぐれるなんて……っ」

 

 お願いだから無事でいて、と祈るように少女は宵時の住宅街を駆けていった。

 

 

 

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