昭和にウマれたウマ娘!   作:調味のみりん

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Ep.17 義理は果たされ、爺は笑った。

 

 

 

 

 花火のあとみたいな、不思議な匂いがした。

 鼻の奥がツンと小さな棘が突き刺さるような、香り。

 

 

 それが火薬の香りだと知ったのは、その日の夜だった。

 思えば、花火だって火薬を使っている。なんだかおかしな気分になった。

 

「おおい、休憩は終わりだぞ。準備しろ」

 

 空はまだ暗く、煤がかっている。

 吸い込む空気は煙っぽく、埃っぽい。

 

 そんな時こそ思い出すのだ。

 あの緑を。鮮烈に眩しく光を反射するターフを。

 

 

 青い芝生の上で、駆け巡れる。

 競い合って、どこまでも。たのしく、何にも引っ張られず、ゴールを目指して進める。

 

 

 若草のような、水をふんだんに含んだ匂いがした。

 誰かがスタートラインで蹄鉄を気にしている。

 ワタシは笑った。誰かも笑った。

 

 ◆

 

 

 

 夜の20時。普段は養護教諭の者も帰って静まり返る頃。この日ばかりはトレセン学園の救護室は慌ただしく溢れかえっていた。

 それもそのはず。不法侵入ウマ娘を捕まえたのだから。

 

「では、誰もこの方を知らない、という事でしょうか」

 

「そうなりますね、困ったことに」

 

 凛とした態度を崩さず、柳眉をわずかに下げたのはトレセン学園生徒会長、シンボリルドルフその人だ。横で困った顔をするのは理事長秘書である駿川たづな。いつもは冷静な2人だが、しかし、この時ばかりは両者とも吐息を吐くしかなくなっていた。

 

「ぅぅー……ま、マサちゃん、ごめんって……うーんむにゃむにゃ」

 

 原因は中央のベッドで寝かせられている、黒のセーラー服姿のウマ娘のせいだ。罪状は聖蹄祭直前の夜にトレセン学園への不法侵入。よりにもよって警備が厳しくなる開催数日前に。

 

 ちなみに現行犯で不法侵入ウマ娘を捕まえた芦毛のウマ娘は何処かへと消えていった。彼女の追求は誰もが諦めている。

 そしてなぜシンボリルドルフがここに居るのかと言えば、三日後に控えた聖蹄祭の書類仕事のために生徒会室に篭っていたためである。だからちょっとお疲れモードのシンボリルドルフだった。

 

「ぐぅ……」

 

 そこに追加で頭を悩ませる問題がきたものだ。彼女の心労はいかに。

 確保されたウマ娘は、菖蒲色の髪をすこしシーツの上に広げながら、眠っているが眉間に皺を寄せては時折り唸っている。唸っている内容はずいぶんホワホワとしていた。

 

()()()警察にも連絡がつきませんし、警報装置も作動しませんし……」

 

 駿川たづなは唸る声を聞きながら息をひとつついて、隣へと目をやった。そこには不法侵入ウマ娘の第一の被害ウマ娘が穏やかに寝息を立てて眠っている。ライスシャワーである。間には仕切りがなされ、2人が対面しないように注意が払われていた。

 

「ライスシャワーさんはただ気絶しただけのようです。それもこの方が抱えていたおかげか怪我はありませんし、もうすぐ目が覚める筈です……」

 

 そこで言葉が止まる。それに対しシンボリルドルフが言葉を引き継いだ。

 

「問題は、彼女ですね」

 

「はい」

 

 現代の価値観で言えば気絶も問題なのだが、それはさておき。

 そう、問題は不法侵入ウマ娘の方にあった。

 

「身元が分かるものを持っていない、制服に照合する学校もない、そして何より、こんなウマ娘は見たことがない。そんな事があるものか」

 

 このウマ娘、所持品が制服の他にほつれたボタンひとつがポケットに入っていただけなのだ。驚きのミニマリズムである。

 

「この釦が彼女の身元に繋がる手がかりになれば、などと思ってしまうよ」

 

 おどけたように場を和ませる冗談を言うシンボリルドルフだったが、その目は真剣に暗い光沢を放つ滑らかなボタンへ向けられていた。そのくらい彼女は身元が分からないのだ。

 

 ちなみにボタンは、ハナノアカリが河川敷の特訓場から帰る時に横着して草むらの中を突っ切った時に引っ掛けたものである。帰ってからコウマサに付けてもらおうとして忘れてずっと制服に入れっぱなしだったのだ。謎の手がかりも何もありはしない。あるのはハナノアカリのズボラの証明だけである。

 

「本当に誰なのか……」

 

 皇帝の異名を冠するウマ娘は首を傾げる。

 勿論、一度会った人物を忘れない特技を持つシンボリルドルフとて全てのウマ娘を覚えているわけではない、が。それにしたって見覚えが無さすぎるのだ。

 

「彼女は、トゥインクルシリーズとは関係のない所で走っている方でしょうか」

 

 カチ、と壁掛けの電波時計が長針を刻む音がして、駿川たづなが少し整合性のないつぶやきをした。

 ウマ娘は確かに走るためにウマれてきた、なんて言われるが、全員が全員ランナーではないのだ。なのにこの身元不明ウマ娘が走っているウマ娘だと決めつけるような発言。普段論理的な思考に基づき行動する彼女には少し似つかわしくない言葉だった。

 

「ふむ、確かにトレセン学園やURAはスカウトも行っていますよね。だとするならば、尚更。彼女に見覚えがない訳がない……中長距離かな?」

 

 しかしシンボリルドルフはその発言を当たり前のように受け止めて、思索を深めた。

 

「筋肉ですか?」

 

「精明強幹。流石のご明察です」

 

 駿川たづなは適正距離までおおよそ見当をつけてみせたシンボリルドルフに瞠目してみせた。皇帝は照れたように少しはにかんだ。

 

「走らなければ、脚にこんな筋肉のつき方をする筈がない。努力を怠らず、果敢に研鑽し続けなければこの機能美は出来上がらない。同じ道を歩む者として、彼女の肉体は百の言葉より雄弁に我々に来歴を教えてくれる」

 

 シンボリルドルフは思考の速さと同じ早口で捲し立てる。

 すらすらと口から流れる説明はやがて流暢さを帯び、言葉に真実味が乗った。

 

「つまり──」

 

 そして皇帝は最後に一区切り、息を吸い込むと証明完了した数学者のような口調で告げた。

 

「彼女は、レースを走るウマ娘だ。まず間違いなく」

 

 

 

 ◆

 

 

 

「し、失礼しますっ!」

 

 その後、7分ほどして救護室の扉を叩いたのは、眼鏡に三つ編みが特徴的なウマ娘、ゼンノロブロイだった。

 

「あっ、ゼンノロブロイさん」

 

「こ、こんばんは。ら、ライスさんは無事ですか!?」

 

 同部屋がいつまでも帰ってこないようでは大事だと駿川たづながライスシャワーの同部屋であるゼンノロブロイにすこし前に連絡を入れていたのだ。

 電話口で概ねの事情は説明したのだが、息を切らせて明らかに慌てている様子のゼンノロブロイを落ち着かせるように、駿川たづなは努めてゆっくりとした口調で目を合わせて言った。

 

「ご安心ください。大事はありませんよ。ただ驚いて気絶してしまっただけのようです。一応、念のため明日、医務室の方に見てもらえるよう手配も済んでいます」

 

「ありがとうございます、そうですか……よかった」

 

 説明を改めて現地で聞き、穏やかに寝息を立てるライスシャワーを見てようやく人心地ついたのか、ゼンノロブロイは大仰に胸を撫で下ろした。

 

「……ああ、よかった」

 

 そしてゼンノロブロイはライスシャワーの寝るベッドまで歩いて行き、間近で呼吸に上下する体を見てホッと胸を撫で下ろした。

 

「──そういえば」

 

 なんとなしに、ズレた眼鏡を直しながら、ゼンノロブロイは切り出した。

 

「学園に外部の人の侵入があったと伺いましたが……犯人は捕まったんでしょうか」

 

 彼女にとってはほんの世間話のつもりだったそれは、皇帝の眉間に皺を刻むと言う偉業を成し遂げてみせた。慌てたのはゼンノロブロイだ。そんなおかしな事を言ってしまったか、と。

 まさか件の人物が同じ部屋でスヤスヤと寝ているとは思うまい。状況は少し特殊すぎた。

 

「それこそが今、我々が頭を悩ませる問題なんだ」

 

 シンボリルドルフは疲労を滲ませた声で、軽く部屋の奥を指差した。衝立で見えないが向こうにも誰かが寝ているらしい。そう思ってゼンノロブロイがパチクリと瞬きをすると、シンボリルドルフが少し衝立を横にずらした。

 

「どうだ、まったく見覚えのないウマ娘だろう。それに、見たこともないデザインの制服だ。どこの地方のトレセン学園にも当てはまらない」

 

 30センチほど横にずらし、寝ているウマ娘の顔が見えるようにすると、困ったように微笑んだ。

 

「見ても、いいんですか?」

 

「ああ、もしかしたら知り合いかも知れないからね。尤も、可能性は限りなく低いんだが」

 

 ゼンノロブロイは物語が好きなウマ娘だ。とりわけ好きなものは英雄譚だが、それはそれとして他の物語もよく読む。だからこの状況に不覚にも、不謹慎だと思いつつも心の隅でワクワクとした気持ちがあった。

 

 トレセン学園に侵入したウマ娘。

 そして皇帝シンボリルドルフがわざわざ“見覚えがない”と念押しするウマ娘。

 何かあると考える方が自然だろう。

 

 いったい、どんなウマ娘だろう。

 

「へぇ、そんな不思議が事が……へっ?」

 

 そんな気持ちで覗き込んだゼンノロブロイが素っ頓狂な声を漏らす。

 思いがけない出来事に遭遇したら本当にこんな風になる。

 

「へあっ、えっ、えぇ!?」

 

 うら若き年頃のウマ娘とは思えない惚けた声を漏らしながら、ふらふらと衝立の方に進む。そして寝ているウマ娘に手が届くくらいに近づくと、改めて顔をしっかりと覗き込み、二秒。

 

 睫毛の長さ、短めで愛嬌のある眉、そして桜のような淡い色合いの髪。それらを確認した後、ゼンノロブロイはいちど目を瞑って、記憶の中を攫った。記憶の検索に一件、とあるウマ娘がヒットした瞬間、文学少女は目をかっ開いて叫んだ。

 

「──アカリさん!?」

 

「うえっ!? なになになに!?」

 

 ◆

 

 

「どうも! こんばんは! ハナノアカリです! 走るのが得意です! 昔からタイムスリップしてきました!」

 

 ゼンノロブロイの声で目覚めたハナノアカリはベッドの上に姿勢よく座り、手を挙げ自己紹介をした。

 目覚めたら知らない場所にいた混乱はすぐに収まり、今は辺りを見渡している。

 

「意識ははっきりしていますか? どこか痛いところは」

 

 駿川たづなはハナノアカリの手首を取りながら、軽く脈をはかり眼球の動きを観察した。桜色の瞳はしっかりと開かれており、駿川たづなの緑色の制服を反射していた。

 

「はい! ばっちりばっちり!」

 

「それはよかったです」

 

 特に異常は見られず、その場から動かしても大丈夫だと判断しにっこりと笑った。ハナノアカリも釣られて笑顔になる。

 

「では警察に連絡させていただきますね」

 

「なんでぇ!?」

 

 

 

 ◆

 

 目覚めたハナノアカリに対して、駿川たづなは極めてオブラートに、警察機関に保護してもらうと伝えた。健康面では異常はなさそうだが、自身をタイムスリップしてきたと証言する。記憶の混濁があるかもしれない彼女の保護のためにそういった処置が一番だと考えたからだ。

 

 ハナノアカリはそれを『お前をしょっ引いて、警邏に突き出してやるぞ』と解釈した。間違ってないし、そうされるだけの理由はあった。

 

「い、いやだっ! 流石に捕まりたくはないっ!」

 

「そんなことにはなりませんよ」

 

 駿川たづなが安心させるように微笑めば、身元不明の少女は駿川たづなの腕に縋りつき、うわんうわんと声を上げた。

 

「嫌だヨォー! だってあそこの人らいっつもピリピリしてんだもん! ……特に配給が少なくなってからはいざこざいっぱいで、もっとピリピリしてんだからぁー……」

 

 不法侵入ウマ娘は、前半ははっきりと涙声で、後半ごにょごにょと呟き枕に顔を埋めた。

 

「悪いようにはなりませんから」

 

 ね? と言うが、ハナノアカリはイヤイヤと首を振る。

 

 トレセン学園は教育機関でもあり、生徒を保護者から預かっている身であるため身分の確かでない方を置いておくわけにはいかないという大人の事情もあった。

 

 だが、そうは言ってもこの様子はあまりに可哀想がすぎる。

 トレセン学園に通う年頃のウマ娘と同年代の子が、こんなになっている姿に否応なく庇護欲が掻き立てられる。もはやそれは生物としての本能とでも言うべきものだった。

 

 駿川たづなはどうにも困って視線を窓の外にやった。

 外はとうに暗く、ガラスは明るい部屋の灯りを反射して、緑色の事務服に身を包んだ自分自身が写っていた。

 

 

 

 そう、駿()()()()()()()が写っていた。

 

 

 

 窓には無人のベッド。ハッと室内に目線を戻せば、確かにそこに居るウマ娘。だが、ガラスには一切写っていない。誰かが使った形跡のあるシーツだけが乱れていた。いや、よく見ると写ってはいる。本当に、極めて薄く。まるで和紙を月の光に透かしたように。

 

「──っ」

 

 不思議と湧き上がってきた感情は怖さや気味の悪さではなく、不安感だった。彼女の存在の不確かさ。さっきまで明るく話していた子の影が急速に薄れていく感覚。

 彼女が、さっき庇護欲を抱いた彼女は、本当に()()()()? 

 

 

 身元不明のウマ娘は、ぐす、ぐすと鼻を鳴らしながら途方に暮れている。

 何処からどう見ても、ただの少女だった。なんの変哲もない、ただの。

 

 

 そしてハナノアカリと言えば、“前にもこんな八方塞がりあったなぁ”と思い出していた。あの時はたしか、突然昭和のあの時代に放り出されたとき。

 記憶もなければ、記録もない。レースに出たいのに、その登録に必要な身元を証明する手立てが無くて、困ったのだった。あの時は確か──

 

 

 

 ここで身元不明ウマ娘に天啓が走る。

 

 

 

「み、身元を証明すればいい!?」

 

 

 さっきまで顔のあたりまで両手で抱えていた毛布をばっと手放し、緑色の事務服をきた女性の袖を掴む。

 

「えっ? えっ? その……」

 

 駿川たづなは突然の事態に口ごもる。

 

 

 ハナノアカリの思考はこうだ。

 身元さえ証明できれば、怪しいウマ娘だと思われなければ、捕まらないのではないか。だってそもそもワタシは東京レース場所属だし。

 ──ちなみに彼女が所属していた頃と現代のトレセン学園は管轄も管理者も違うため普通に不法侵入である。その事に関しては忘れている。加えて現在はレース場自体に所属して走ると言うことはない。所属は各トレセン学園、もしくはURAに帰結する。

 

 

「身元を証明出来るに越したことはありませんが……」

 

 貴方が言っている事と、学園に滞在できるかは関係がないよ、と言いかけた所で、身元不明のウマ娘はパッと顔に花咲くように笑顔を浮かべ、あたりをキョロキョロと見回しはじめた。

 そして建物の柱に貼られたシールを見つけると右の人差し指でアピールするように指した。

 

「えーっと、どっかに……あーっ! あった! すごいすごい! あるよあるよ、ほら、このマーク! ここの印のトーリョーさんにお世話になったんだよー!」

 

「これは……」

 

 そこにあったのは丸の中に檜の文字が入ったとある建築グループのマーク。上部にはアルファベットでJCYと記されている。

 

 JCYグループ。

 売上高が数兆円規模の超大企業。

 50.000人規模の従業員を抱える誰もが知る会社であり、国内屈指の建築企業だ。何十年も前から続く大手にして、海外展開も盛んな上場企業でもある。

 

 東京の一等地に本社ビルを構えるその会社はとてもではないが一個人が、それもこんな小さな子が気楽にコンタクトを取れる場所ではないのだ。駿川たづなはハナノアカリの発言が、冗談かそれか何かの勘違いかと思い大声の言葉を口にした。だがそれより早くハナノアカリは携帯電話で電話をかけていた。

 

「あ、もしもし、はい。ハナノアカリです。──。──」

 

 駿川たづなはびっくりする。だって彼女はなにも持っていなかった筈。訳がわからず横を見れば、慌てた様子のゼンノロブロイがアワアワと体の前で絵を彷徨わせていた。

 

 成程。ゼンノロブロイに携帯を借りたのか。なんて早業。いや、行動に一切躊躇いがないからか。

 そう理解が進むうちにハナノアカリの通話は止まらず、最後に「うん」と彼女が言って終わった。

 

 ありがとね、と携帯をゼンノロブロイに返すハナノアカリ。

 その姿をシンボリルドルフはただ見ていた。動く事はできなかった。

 やがて身元不明のウマ娘は部屋の中をぐるっと見渡し、イタズラが成功したように笑って見せた。

 

 

 

 

「来ていいってさ」

 

 

 

 50,000人超えの大企業にである。

 

 ◆

 

 

 

「うわーっ、この車、速いねーっ。すごい、もうこんなとこに。しかも揺れない! すごいすごい!」

 

 タクシーの中で真ん中にちょこんと座るハナノアカリは手をプラプラさせながら興奮している。両隣には付き添いのシンボリルドルフと込み入った事情を知らないエアグルーヴが奇妙なものを見るような視線を向けていた。

 

「ワタシ、出生記録もなにも無かったからさ、レース場に所属できなくて、そしたらレース出られないんだよ!? だから権力持ってるトーリョーさんに勝負ふっかけて、レースして勝って、色々手を回してもらったんだー!」

 

 ペラペラと喋る菖蒲色の少女は、楽しそうな様子で、まるでお気に入りの物語を子どもたちに聞かせる紙芝居屋だった。シンボリルドルフは彼女の出自が──本人の証言が正しいのなら──タイムスリップしてきたウマ娘だと聞いている。実際、駿川たづなにこっそりと耳打ちされて窓を見ると彼女はほとんど写っていなかった。月夜に見える朧月のようにあやふやな輪郭だけが反射していた。

 

 

 しかし、エアグルーヴは違う。たまたま仕事がひと段落していて、たまたま外に用事のあったシンボリルドルフに、たまたま付き添いで付いてきたのだが、用事の内容を聞いて驚き。まるで眉唾物だった。

 

(タイムスリップしてきたウマ娘……だと? 会長は本気にしているのか……いや、しかし)

 

 信じては居ないし、冗談か何かだと思っている。だが()()シンボリルドルフが動いていると言う事で何かあるのだろうとは思った。だがそれが何か分からない。故に皇帝たるシンボリルドルフの真意を見極めるべく、付き添いを申し出たのだ。

 

「だからレースに出られたんだよー。あの時勝負した海外から取り寄せたっていうクルマ凄かったなぁー、排気ガスが」

 

 当の本人はそんな空気や思考を気にせず楽しそうに話し続けている。

 ちなみに、内容が内容なので、このウマ娘、能天気な顔してめちゃくちゃやるな、と一同はドン引きである。

 

「あの平屋、まだあるかなー」

 

 ふふふ、と菖蒲色のウマ娘は笑った。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「な、な、な……」

 

 

 そして到着。

 能天気なウマ娘は、遥か空まで貫くような摩天楼の前に立って、あんぐりと上を見上げ口を開けていた。

 

「なんじゃこりゃーっ!?」

 

 建っていたのは、ハナノアカリが想像していた木造の平屋でも、少しくらい豪華になった工房でもなかった。

 三十階は優に超える、石灰のような色合いの堅牢なビルだった。

 

「が、ガラスがあんなに」

 

 都会の光を受けて乱反射するガラス群は、鏡面のような滑らかさを持ち、硬い建材と鏡で不思議な威容を醸し出している。見慣れているシンボリルドルフとエアグルーヴはなんの感慨も抱かないが、ハナノアカリはせいぜい三階建てくらいしか見たことがなかった。

 

 ──一応現代に居たという記憶はあったのだが、ほとんどが薄れている。起きた時に、見ていた夢の内容をどんどんと忘れていくように。だから、彼女の脳内にある常識と記憶は基本的に昭和初期基準だ。昭和のアタマはひたすらに混乱していた。

 

「あの、会長。彼女は一体誰なのですか」

 

「言ったろう。タイムスリップしてきたウマ娘、だそうだ」

 

「ご冗談を」

 

「今に分かるさ」

 

 シンボリルドルフはタクシーを降り、入り口の豪華な両開きの自動ドアをくぐる。すぐに磨き抜かれた石材で出来たフロントが彼女を出迎え、窓口の職員が軽く会釈をした。

 

「あの、先日連絡させていただいた彼女、ハナノアカリの件ですが」

 

「はい、お話は伺っております。あちらの入り口まで係のものがご案内させていただきますね」

 

 事情を説明しようとした口が止まる。

 流石というべきか。昨日の今日ですでにこんなにスムーズに話が通っている。

 

 すぐにフロントの奥の扉からスーツ姿の若い男がやってきて、こちらですと奥の通路を示した。シンボリルドルフは衝撃で固まっている小柄な菖蒲色のウマ娘を引きずってその奥へと進んでいった。

 

 ◆

 

「ほ、ほんとにすんなり通れるとは」

 

 通屋の奥にあった、明らかに職員用と分かるエレベーターに乗り、最上階近くまでやって来た一向。降り立った通路に等間隔に設置されている窓からは東京の建物たちがパノラマのように小さく見えた。その光景を見てエアグルーヴはしみじみと驚いたように呟くのだった。

 

「それは、そうさ。JCYグループはウマ娘やレースに対する資金提供や慈善事業の面でも何度か表彰されているんだよ。学生で知っているものはあまり居ないけれど」

 

 そしてそれを拾う人物が一人。

 通路の脇にあるドアを開けて出て来た初老の男だった。

 

「存じ上げております。トレセン学園にも資金提供並びに協賛を頂いておりますから」

 

 シンボリルドルフがスラスラと続ければ、初老の男は感心したように目を見張る。そしてニコリと虫も殺さぬ満足そうな笑みを浮かべた。

 

「おや、お若いのに博識でいらっしゃる。未来は明るいね。桜が照らしてくれたのかな」

 

「社長! こちらにいらっしゃったんですか!」

 

 慌てたような声を出したのは、シンボリルドルフ一行を先ほどまで案内してくれていたスーツ姿の若い男。男はエレベーターの操作を終えて、小走りでシンボリルドルフ達の場所に向かいながら素っ頓狂な声を出して初老の男に視線をやっていた。

 

 その発言にエアグルーヴは目をぱちくりとさせた。シンボリルドルフはあらかじめ分かっていたように動じない。ハナノアカリはビル外観の衝撃で固まったまま復帰してない。

 

 声をかけられた初老の男は、イタズラ小僧のように茶目っ気のあるウインクをひとつした。次いで一際豪華な扉の前に歩いていくと恭しく手を差し出した。

 

「さぁ、改めて。お待ちしておりました。ハナノアカリさんとのことで」

 

 改めてシンボリルドルフは姿勢を正す。

 社長と呼ばれた男はふくよかな顔の、温和な見た目の人物だった。

 ただし、しっとりとした生地のスーツと、目の奥にある透徹した光が彼がこのビルのトップなのだと言外に伝えている。

 

 ちなみに競合会社からの渾名は『狸親父』である。

 その意味は推して知るべし。大企業を束ねるのは一筋縄の人物ではそうそういかないと言うことだ。

 

 

 ◆

 

 場所は移り、社長室。

 革張りと思われる高級な、それでいて柔らかすぎない品のいいソファーに腰掛けて、シンボリルドルフたちとJCYグループの代表は向かい合っていた。

 

 ハナノアカリはまだぽけっとしている。

 気にせずシンボリルドルフは社長と目を合わせた。

 

 

「彼女の出生や身分証明になるものがあると伺ったのですが」

 

「はい、はい──」

 

 

 役職の高い者の時間は刻み込むようにスケジュールがある。それが常だと知っての単刀直入だ。

 込められた意図に気づいてか、代表の男は穏やかに頷いた。

 

「義理とは──」

 

 だが返ってきた答えは素っ頓狂なものだった。

 空気を切り裂くように、話題を仕切り直すように、初老の男が低い声で言った。

 

 

「一体何なんでしょう」

 

 これにエアグルーヴは目をパチクリとしてしまう。

 話題のつながりが無く、突然に独り言を始めたようにも思えたからだ。

 しかしそれは確実に問いの形をしている。

 

「私は“繋がり”だと思います。恩によって繋がれた、絆のようなものではないかと。人と人との関係性です。そして、それは商売の世界では“信頼”と言います。金より重い、しかして目に見えないそこにある黄金です」

 

 初老の男が噛み締めるように持論を話す。

 繋がりのない話をいきなり始めた筈なのに、ゆっくりとした声のトーンなのか、深く沈み込むような抑揚なのか、初老の男の話は聞き入ってしまう響きがあった。

 

「黄金……」

 

 シンボリルドルフは口の中で同じ言葉を繰り返す。男は嬉しそうな笑みを浮かべた。

 

「そうです。そうですよ。時間は全てを変えてしまいます。果たして、遥か長い時間は、黄金を溶かすのか。それとも、“黄金”は気高くそこにあり続けるのか。過去の誰かが信じた価値は、まだ繋がっているのか」

 

「ふむ……」

 

 あまりの変化についていけず、エアグルーヴは一旦の話題の停止が欲しかった。シンボリルドルフは理解をしているようだが、側から聞いていては何が何だか。だから、整理の時間が欲しかった。しかし初老の男は止まらず、それどころかパンパンと空中で二度手を打ち鳴らした。

 

 

「これを」

 

 

 すると若い男の職員がまるでベルボーイのように、二人がかりで高級そうな“何か”をカゴに乗せて運んで来る。二人は初老の男の前に“何か”を運び終えると一言も言わず、一礼をして去っていった。

 

 シンボリルドルフはその“何か”を体を動かさず視線だけで見やる。

 “何か”はL字型をした一対の金属製で、何箇所もベルトやバックルが装着されていた。形こそ異様だが、これは見たことがある。むしろ見覚えがありすぎる。

 

 

「これは……? 蹄鉄付きのシューズのようですが、あまりに」

 

 

 そう。あまりに、大きい。分厚い。見たこともない形に留め具。

 こんなもの、履くのでも一苦労で、脚を上げて走るなんてとても出来そうになかった。重さをつけたトレーニング用の加重シューズでも今はこんなにはならない。それくらい目の前に置かれたものは常軌から逸脱していた。

 

「見覚えがあるんじゃないかな。なにせ、()()が履いていたのだ。これを履いてレースに出ていたのだ。つまりは、()()の特注のシューズなんだよ。ハナノアカリと名乗った君。よし。君が本当に()()であるならば、分かる筈だ。さぁ、どうぞ。()()()()()くれないかな?」

 

「──っ」

 

 エアグルーヴは思わず喉を鳴らした。

 

 

 分かった。

 これは試練だ。

 電話をかけて来たお前は、本当に“ハナノアカリ”というウマ娘なのかどうか見定める試験だ。

 

 お前は身分を偽った誰かではないのか、という笑顔の奥の圧力がこちらを真正面から見つめている。

 

 先ほどまでの穏やかな空気は一転し、レース直前のような見定めが気がつけば始まっていた。発生源の男は穏やかに笑うだけだ。しかし圧力は50,000人の人生を背負うものだった。つまり重たい。

 

「サァ──」

 

 

 

「えっ、これあるんだ。ほいほいほいっと」

 

 

 

 

 だが、そんな空気を感じていないのが一人。

 

 菖蒲色のウマ娘は能天気な声を出すと、ぴょんとソファーから飛び降り、シューズのそばに近寄る。右足を手に持って、慣れた手つきで澱みなく留め具を外していくと、ベルトを調節して右足からすっぽりと履いてしまった。そしてそのままパチパチと金具の奏でる音が響き、件の少女は満足気に両手を腰に当ててむふ、と息を吐いた。

 

「しっくり!」

 

 あまりにすんなり履くものだから、試した側の男も面食らったような顔をした。しかし、すぐに眉の上を皺の刻まれた手で軽く抑えた。

 

「本当に……」

 

 重たい何かを噛み締めるような一言だった。

 初老の男はいつの間にか軽く浮かしていた腰を改めて椅子に下ろした。そしてゆっくりと、圧力を雲散霧散させて喋り出した。

 

「過去に、もう70年も前ですか? それほどに前から新しく我が社の社長の任に就くものには、機密事項が伝えられてきました。経営上のこと、設備のこと、土地のこと、相続のこと。そして、中でも一際異質なのが、一つありました」

 

「そうなの?」

 

 靴を履き終わったハナノアカリが不思議そうな顔で尋ねる。初老の男は改めて少女に目線を合わせて、その顔をしっかりと見て“ええ”と返した。

 

 

「その一つとは、『ハナノアカリの嬢ちゃんを走らせてやれ』ですよ」

 

 

 聞いた瞬間、ハナノアカリは目を見開いて、両手で口元を押さえた。ここにいるはずのない人が目の前に立っている気がして、一瞬で色んな記憶が再生された。

 

 

 その、口調には覚えがある。

 その、呼ばれ方に覚えがある。

 

 

「過去に、そういう話を聞いたのだそうです。大きなビルが建つ時代に、そこに彼女が行った時に、それでも走れるように」

 

 とある好々爺の笑った顔が思い浮かんだ。

 腰を重たそうに曲げて、だけど人前に出る時はしゃんと伸ばして、和服を瀟洒に着こなす、皺だらけの手を思い出した。

 

「トーリョーさん……」

 

 ハナノアカリの口から言葉が溢れる。

 初老の男は襟を正して椅子から立ちがあり、スッと綺麗に頭を下げて見せた。ただの少女、ハナノアカリに対して。

 

「我々、JCYグループ改め、()()一同。あの大きな戦いの前より、あなたの事をお待ちしておりましたよ」

 

 

 黄金は、時間の摩耗に形を変えても、確かにずっとずっとそこにあり続けていたのだった。

 

 

 ◆

 

 

「本当に貰っていいの?」

 

「ええ。それは本来は貴方の物ですから」

 

 

 話は終わった。

 初老の男は晴れやかな顔で部屋の入り口までハナノアカリたちを見送った。

 

 

「身分も保証します。彼女は、しっかりとした()()()()()ウマ娘ですよ」

 

 初老の男がちら、とシンボリルドルフを見ながら言えば彼女は一つ頷いた。取り敢えず、トレセン学園に置いておく分には問題は無いだろう、と。あとはあのハナノアカリという子を帰す方法を探すだけだ。きっと元の時代に帰りたいのが常だろうから。

 

「ええ、彼女はひとまず学園で保護、ということになるでしょう。何もかも特例ですが」

 

 初老の男は縦にかるく首を振った。

 ハナノアカリは過去から来たと言った。だが()()から来たとは言っていない。意図的に彼女が伏せていた。

 

 

 部屋の扉をくぐる直前。

 ハナノアカリはくるりと向きを変えて、シューズをこの時まで守り通して来た男に近づいた。そして耳元で何事か呟くと、初老の男は目を丸くした。しかしすぐに笑い、意味ありげに視線を送った。

 

「ハナノアカリさん」

 

 今度こそ帰ろう、と言う時に、男が呼び止める。

 ハナノアカリが不思議そうに首だけ振り返ると、初老の男はすこし言いづらそうに口を引き結び、やがて意を決したように切り出した。

 

「最後にひとつだけ。言わせてください」

 

 

 

 

 

 

 

 

「一緒に写真、撮ってくれませんか?」

 

 

 

 

 

 

 

 ハナノアカリは快く応じた。カメラマンは先ほどハナノアカリ専用のシューズを運んできた若い男がどこからとも無くやって来て、使い捨てカメラにてつとめた。

 

 ハナノアカリは色々と出自や、タイムスリップなど複雑な事情を抱えたウマ娘であるが、それ以前にダービーを制したウマ娘なのだ。ダービーウマ娘なのだ。普通に有名ウマ娘である。凄いのである。

 

 件の少女は“むふふん”とずっと得意げにしていたという。

 

 

 ◆

 

 

 

 三人のウマ娘が帰った社長室にて。夕陽が差し込む時間帯に、男は窓際に外を眺めるように居た。

 

「普通のウマ娘だったなぁ」

 

 先代から伝えられた、社外秘の機密事項に並ぶ不思議な伝言。“ハナノアカリ”とはどんな精強で威容のあるウマ娘かと想像していれば、ただの可愛らしい子だった。

 

 他の圧倒する圧力も、見るだけで背筋が震えるような威圧も、見惚れるような華もない。

 だが、穏やかな子だった。あの子を例えるならば、春の陽だまり、天気の良い日にそっと道端に咲いている花。もしくは花見の時にひらひらと花の上に乗って来てくれた花弁。

 

 部下に頼んで印刷して来てもらった写真を封筒から取り出す。

 そこには、かなり姿が薄くではあるが、得意げに腰に手を当てて笑う昭和を生きたウマ娘が写っていた。

 

「“聖蹄祭に来てね”、か……」

 

 彼女が最後に伝えた言葉。

 真意がどんな物かは分からない。だが、たまの息抜きは良いだろう。

 

 男は再びデスクに座ると、スケジュールを弄り始めた。聖蹄祭は2日後。

 いったい彼女は何をするのだろうか、と思いながら。

 

 

 

 

 ◆

 

「ふん、ふふん」

 

 ハナノアカリはトレセン学園までの帰り道、上機嫌に鼻歌を歌っていた。

 頭に浮かぶのは、聖蹄祭なるお祭りのレース。

 

 三女神さまがくれた時間はきっと有限だ。

 ハナノアカリがここにいる事自体が奇跡のアディショナルタイムなのだ。

 

 だから、聖蹄祭のレースがきっと()()()

 ハナノアカリというウマ娘が純粋にレースをぶつけられるのはきっとさいご。しがらみも、政治も、動きも何もかも気にせず1着を目指せるレース。

 

「ふふん、ふーんふふん」

 

 ハナノアカリは過去に戻れた瞬間から、とある計画を実行する気でいた。

 

 

 

 

『鉄火の場にレースのウマ娘たちを送るのならば、まずは一人だけを送って欲しい』、と。

 

 

 

 

 そしてそれは一番速いウマ娘が適任だろう。速くて、スター性があって、人気のあるウマ娘。つまりは次のレース。【一級特殊整量長距離走】にて一着になれば、文句なしにハナノアカリが選ばれる。

 

 ハナノアカリが実地に向かい、学園に残った子たちは訓練をしている間に、きっと戦いは終結を迎えるだろう。

 結果として鉄火場に向かわなくてはならないのは一人だけで済む。

 みんなの想いは繋がる。

 

 だから、聖蹄祭は最後のレース。

 楽しむだけ楽しめたのなら、覚悟を決めるためのレース。

 

 

「ふふふーん、ふふ」

 

「ずいぶんと上機嫌だね」

 

 

 皇帝に問いかけられた桜はニッコリと笑って答えた。

 

「君に逢えたからね!」

 

 

 

 君たちに逢えたから。

 今からやることが無駄じゃないと分かるから。

 だから、ちいさな桜は笑うのだ。

 

 みんなのおねえさんは見ているよ、と。

 君たちを遠い場所からずっと、見守っているよ。

 

 

 

 聖蹄祭まであと二日だった。

 

 







一級特殊整量長距離走は現在の菊花賞。

前回から、こんなに時間が空いてしまって……
それでも読んでくださった方に、心よりのありがとうございますを。
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