[前回と間が空きすぎたための、
ざっくり時系列!]
【聖蹄祭三日前(夕方)】
アカリちゃん現代へ! 迷子の子を届ける。(夜)その後トレセン学園へ不法侵入→捕縛。
↓
【聖蹄祭二日前(午前)】
シンボリルドルフ、エアグルーヴと共に大企業へ! 保管してあった靴を受け取る。(午後)勝手に練習して怒られた。チームカノープスと練習させて貰ったよ!
↓
【聖蹄祭前日】
本編へ。
『プルースト効果』
居なくなってしまったひとを、思い出せなくなるとき。
どこが最初に朧げになるかは、諸説ある。
だが、よく言われるのが、最初に忘れてしまうのは、“声”。
どんな声だったかな。高さは、抑揚は。人に対する喋り方は?
最後まで覚えているのは、“匂い”だ。
ふとした時に、懐かしい香りを嗅げば、一気に記憶はまたあなたの脳へと戻ってくる。
心理学的に説明するのなら、匂いや香りをきっかけに自伝的記憶が想起されるのだ。ノスタルジアを伴って。
ふわ、と懐かしい匂いがして。
「あれっ、なんだっけ、これ」
草のような、うすくて、柔らかくて、飾り気のない。
ふと、陽だまりの中で。窓辺でうとうとするあなたの姿が思い浮かんだ。平和な世界が大好きな、あなたが。
◆
聖蹄祭、前日。
いよいよもって迎えた聖蹄祭前日の朝。トレセン学園は至る所で飾り付けがなされていた。教室の中も様変わりし、普段は整然と椅子や机が並ぶ学び舎も今日ばかりは、それらは何処かへと片付けられて、暖簾にバルーン、テーブルクロスなど、縁日のようだ。生徒たちもソワソワと浮き足立っている。
“やっと聖蹄祭だ”
どこからか、そんな声が聞こえて来た。
聖蹄祭の前日は授業がない。トゥインクル・シリーズに於いても重要な行事。そのために一日をかけて準備にあたれ、というのだ。と言っても気の早い年頃の少女たちはすでに大方の準備を終えてしまっていた。毎年の風物詩である。
だが、やるべき事はいくらでも残っている。
朝の7時から、トレセン学園の廊下ではパタパタと走り回るウマ娘の姿で溢れていた。
「ひまだ」
そしてここにひとり。仕事も帰るところもないウマ娘が。
言うまでもなくハナノアカリなのだが。少女は周りが忙しなく動いているのにも関わらず、自分1人だけが取り残されたようにやる事がなく。たまらず近くにいたウマ娘に声を掛ける。
「やあ! そこのお嬢さん! なにか、手伝うこと、ある?」
「あらっ、どこのクラスの子!? ウチは間に合ってるから自分ところ行ったげてー!」
助力を願い出ればすげなく断られ、かと言ってやるべき事が降ってくるわけもなく。ひとり、ふたりと声をかけてはやんわりと断られ。結局彼女は空き教室の窓際でふて腐れを決め込んだ。
「いいよー、だ。ワタシ、見てるだけでも楽しいし」
空き教室の机は黒板の側に寄せられていて、椅子は座面をひっくり返して机に乗っていた。ハナノアカリはそのうちの一つを(勝手に)引き出して、外の景色が見える場所に一つだけ席を作った。
「みんな、なにしてるかなあ」
窓の外は裸になった木々があって、茶色い秋の色彩と、晴れ渡った空の澄んだ色が対比するように映し出されていた。
「…………」
窓のさんに肘をついて、首だけをぐるりと回し時計を確認すれば7時45分すぎ。また窓の外に視線を戻すと、中庭では仮装をした少女たちが笑って手作りの看板を持って走っているところが見えた。
廊下からは何かを呼ぶ声がする。カンカンと槌の音がする。走り回る靴の音がする。表面を加工された木の床材はツルツルしてるんだよなあとハナノアカリはぼんやり思った。彼女がいた学校の床はざらざらしていた。偶にささくれがあって、避けて歩いたり、ケガをしないようにみんなで取ったりしていた。
声がする。廊下の奥から、誰かの声が──
──声が──誰かの──
そうして意識はうとうとと、朝日が差した教室の窓辺で消えていった。
◆
「それじゃあ、ロブロイさんお願いね」
「はい、承りました」
暗い蒼色の髪をしたウマ娘が頷いて、教室を出ていった。
彼女は廊下を歩きながら、お目当てのものを思い浮かべる。飾り付けで使うビニール紐。スズランの名前で呼ばれるそれを、別のウマ娘が作業で使っている内に、空き教室に置いてきてしまったらしい。
それを取ってきて欲しいと頼まれたのだ。
コツ、コツと音を響かせ、ゼンノロブロイは2階から3階へと上がった。3階は2階に比べ、静かだ。それもこれも、主な出店や出し物は一階から2階でやり、3階はほぼ準備のための物置になっているのが聖蹄祭の恒例だったからだ。
朝8時過ぎの陽光が、窓から廊下へ入って等間隔に照らしている。
ローファーでコツコツと床を叩いていたゼンノロブロイ。やがてお目当ての教室を見つけ、クラスの数字を確認して、閉まっているスライド式のドアをガラリと開けた。
「あれっ」
誰もいない、空き教室。
そのはずが、先客がいたのだった。
「アカリさん……?」
◆
暖かな窓辺で、ひとつの椅子と机を出してくうくうと寝息を立てているのは桜色の少女。彼女が着ているのはトレセン学園では見慣れぬ、黒に近い紺を基調とした、セーラー襟。袖に一つ星。
確か、昨日にシンボリルドルフ会長と何処か出かけたと思っていたが、またトレセン学園に戻ってきたようだ。ゼンノロブロイは彼女のことを普通のウマ娘より知っている。それも、数奇としか言えない方法で。
「寝られているんですか?」
声を掛ける。だが、彼女は身動きせず、愛嬌のある短い眉を動かさず、1人きりで腕を枕に眠っていた。
「……」
ゼンノロブロイはなんとなしに教室をぐるりと見渡した。いつも授業を受けている見慣れた教室だ。そこに
「あの、アカリさん。ゼンノロブロイです。覚えていますか?」
「んぇ? ……あー、一昨日の子」
少女は目をこすりながら、ミミをピクピクと反応させてゼンノロブロイの方を見やる。だが目が開いていない。音の方に顔を向けただけのようだ。
「はい、そうです。どうしてこちらに? うたた寝をされていたんですか?」
「あー……うひひ、そうなんだよー」
少女は幸せそうに顔を歪ませ、にへらと笑った。
「ワタシ、手伝おうと思ってぇ……みんな忙しそうだったから……でも要らないみたいで……」
薄いピンクをした、ずっと前の世界から来たウマ娘は、ゆるゆると窓の外に視線をやった。遠くを見る目だ。ガラス越しに、自分の手が届かないオモチャをみる子供の目。ショーウィンドウの前にいる子供だ。
「そんなら、ね。やること無くて、ここで、外眺めてたら、あったかかったから……」
言いながら、また重力に負けたように机に突っ伏し始める。
ゼンノロブロイはハナノアカリを普通より知っている。ハナノアカリの戦績を知っている。目の前にいるウマ娘が、激動の時代にいたトップ層だと知っている。
だが、この子は。
窓の外を寂しげに見た小さな子は。
「あのっ、もし、よろしければ、私たちのお店を手伝っていただけませんか?」
「ほ! いいの!? やるやる! てつだうよ!」
気がつけば声が出ていた。なんて、陳腐な表現だけど。
だけど、提案は既になされた。
「ありがとうございます。実は教室でカフェをやる予定なんですが、当日の練習のためにお客さん役が必要で」
嘘だ。そんな話は出ていない。
今でまかせで言ったことだ。だけど、それ以上に、目の前の少女を放っておくことなど出来なかった。
「まっかせてよ! 完璧にお客さんやるよ! ワタシ! イラッシャイ、イラッシャイってね!」
「ええ、よろしくお願いします」
こうして、菖蒲色の少女に新たな仕事が付与されたのだった。
◆
「それでは、みなさん。お客さん役をやって下さるハナノアカリさんです」
携帯のグループチャットに急遽した連絡は、思ったより注目を集めたようだった。カフェの準備をする教室に入った瞬間から、十数もの視線を釘付けにした。
「どうもー! ハナノアカリだよっ! バリバリ働いちゃうよー!」
「この方は、本当はトレセン学園の生徒ではないんですが……」
黒板の前で、ゼンノロブロイは横に立つ小柄なウマ娘の紹介をする。トレセン学園の別のクラスの子と誤魔化してもよかったが、彼女が着ている制服が明らかに違うし、ハナノアカリの性格的に、誰も知り合いがいないというのは怪しかったからだ。
だがはたして、急に来た見ず知らずのウマ娘をクラスメイトが受け入れてくれるかどうか。沈黙が裁判の判決を待つ時間のように思えて、ゼンノロブロイは再び口を開こうとした。
「き、きゃああ! かわいい!」
「今何歳? ちっちゃいねー、小学生!? しっかりしてる!」
ワッと一瞬で湧き立つ教室。クラスのウマ娘たちはハナノアカリを囲い、やんややんやと騒ぎ立てた。
「髪の毛サラサラだぁ」
「それ、どこの制服ー? めちゃくちゃカッコいいねー!」
その中心にあって、何故か得意げな顔で佇む少女。意味もなく、髪を手で大袈裟に払い、『ふぁさっ』なんて自分で声に出している。
おや、なんの心配も要らなかったな、とゼンノロブロイは拍子抜けした安堵で胸を撫で下ろした。
◆
「いらっしゃいませー! お席へご案内しますね!」
練習の通りに、エプロンを付けたウマ娘が入り口に立っていたハナノアカリを案内する。席は学校の机にテーブルクロスをかけ、小さな花瓶を置いただけのものである。それでも、それなりにサマになっているものだ。
「こちら、メニューです」
手作りのポップに飾り付けられたファイルを手渡すとハナノアカリはニコニコと中身を開く。
だが、いくつかページがめくった後に、メニューを逆さまにしたり、目を近づけたり、天井を仰いだりした。後方に控えていたクラスのウマ娘たちはその様子をハラハラと見守っていた。もしや、メニューに不備があったのでは、と。
ちなみに、ハナノアカリがメニューに書かれている内容が分からなかっただけだったりする。
「ちょっと、そこのオネーサン、そう! オネーサン! 今日のおすすめひとつ下さいな」
軽い気持ちだった。
メニュー内容が意味不明だから、店員さんに聞けば分かるだろうという安直な考えだった。
「でしたら、こちらの──『キュンカワ♡これでキミも1着♪ オムレツ★』ですね」
「なんと?」
深淵を開けてしまったようだ。
全く意味が分からない。だが、自信満々の説明だけがある。
「キュンカワ♡これでキミも1着♪ オムレツ★ですね」
「なるほど……」
結果、神妙な顔で少女はキュンカワオムレツなるものを注文した。
すると奥からケチャップのかかっていないオムレツが登場し、先ほどオーダーを取ったウマ娘が独特な掛け声と共にオムレツにケチャップで飾り付けをした。
面食らった様子のハナノアカリがおそるおそる一口食べて、“おいしい! ”と言った時点でリハーサルは終わりとなった。あとは袖に控えていたクラスのウマ娘たちがワラワラと集まりだし、ハナノアカリに話しかけていた。
◆
話しかけられる内容は、制服のことであったり、なぜトレセン学園にいるのか、だったり、ただ頭を小動物を愛でるように撫でられていたり。その中でもハナノアカリがいっとう気に入ったのは、オムレツにケチャップをかける時の掛け声と踊りのようだった。何人にも教えを乞い、実際に席を立って練習を笑いながらしていた。
ゼンノロブロイはその様子を一歩引いた位置で、優しい目をしながら眺めていた。
「ああ、本当に楽しい、こんなに学生らしいことしたのは初めてかも」
ふと、笑いすぎで目の端に涙を溜めたハナノアカリが溢すように言った。
「そうなん? 学校、厳しいの?」
「ウチらといっぱい遊ぼうねー」
「ならアタシは足が速くなるおまじないかけてあげる」
耳ざとくそれを拾ったクラスメイトたちは次々に反応を返した。
そうしてつむじをくるくると背の高いウマ娘になぞられ、きゃー、と楽しそうに声を上げる。
あれは、たしかウマ娘なら小学校の頃にみんなが通る道の、根拠のないおまじないの一つだろう。脚が速くなりますように、と。
ゼンノロブロイは、ふふふ、と穏やかな笑みを浮かべた。“たぶんその方めちゃめちゃに足速いですよ”とは言わずに黙っていた。
ハナノアカリは得意気な顔で椅子に座り、シームレスに頭を撫でられている。別のウマ娘にはヘアゴムで髪型をいじられ、てんやわんやだ。もはやお客さんに対する対応ですらないが、それはそれとして。
◆
「そういえば」
食べ終わったオムレツのお皿を洗い終わったころ。ハナノアカリは人より感度の良いミミをピクピクさせた。
「この教室、音楽がずっと鳴ってるね」
「あ、雰囲気いいでしょ。スピーカーから流してるんだよー。ほら、あそこ」
おかっぱのウマ娘が調理場として区切られている地点に行くと、机の上に置かれている物体に掛かった布を取る。そこには黒い光沢のあるスピーカーが鎮座していた。
「へー! すごい! この曲すっごくいい!」
ちょっと頬を紅潮させてハナノアカリが言うと、ウンウンと肯定が帰ってくる。
「いい曲だよねぇ」
「ねー、何回でも聴きたいくらい。……あっ、ロブロイさん。これなに?」
目のあったハナノアカリが無邪気に聞いてくるので、ゼンノロブロイも当初あった肩の力をすっかり抜いて、答えた。
「“花は咲く”ですね。今はメロディーだけですが、本当は歌詞もあるんですよ」
そうして、ハナノアカリの近くまで寄って、ほら、と携帯に歌詞を表示し差し出した。
ハナノアカリは差し出された画面を、博物館の展示を見るようにマジマジと見つめた。
「……わぁ……すてき」
誰に聞かせるでもない、漏れた小さな呟き。
恭しく飾られた宝石を見るような、そんな瞳の輝き。
「アカリさん、携帯は持っているんですか?」
「持ってないね」
「よろしければ」
──よろしければ。
「私の昔の携帯、お貸ししましょうか? 写真を撮ったり、動画を撮るくらいしか出来ませんが、音楽のダウンロードなら出来るので」
「うんっ!」
こうして、ゼンノロブロイはハナノアカリにタッチスクリーンの携帯電話を渡すことになった。既に使うことはほとんどない、黒電話のアプリくらいしかない携帯を。
◆
【聖蹄祭 当日】
聖蹄祭の朝はツンと晴れ渡り、裸になった木々も興奮の予感に震えている。
間も無く開門。あと30分とすれば、この日を待ちに待った、ウマ娘たちの親族とファンが雪崩のようにトレセン学園の中へと入ってくる。
「そんなっ!?」
だが、一つの教室では貫くような悲鳴が上がっていた。
作業により、少し遅れて登校してきたゼンノロブロイがなんだなんだと教室のドアから自身のクラスの中を覗き見ると、1人のウマ娘の周りに何人もエプロン姿のウマ娘が立ち尽くしているところだった。
「卵がないの……」
「無いって、一個も?」
おさげのウマ娘に尋ねられた、ぱっつんのウマ娘は顔を青色に染めて、こくこくと頷くだけだ。口を開こうとすることもうまく出来ていないようである。
「ウチの料理は殆どが卵を使うやつよね? それで、卵が一個も無い。もうすぐ店開く……」
「昨日まではあったの、ほんとうに……」
ぱっつんのウマ娘は声を震わせている。誰も責めている訳ではない。管理の方法は皆んなで決めた事だし、明らか何かしらの事故が発生したのは自明だった。だが、教室の空気は時候にそぐわないほど冷え始め、周りのクラスの喧騒、活気が遠くこの教室だけが別世界に隔絶されたようだった。
「他クラスに卵を使うトコは無いよね……」
「近所のスーパーは? ハロンマート」
「開くのは10時半だから、2時間後だよ」
「開店時間遅らせる、とか」
「もう8時半開店でSNSで広告しちゃった……あわわ、お、お客さん、すごい来るって」
解決策をなんとか捻り出そうと、周りで準備していた少女たちも集まって口々に策を提示していくが、ことごとく失敗に終わる。みな一様に突然降って湧いた緊急事態に頭が真っ白に近かった。
失敗してしまったウマ娘に至っては、肩を窄ませ、下を向き震えていた。
開店時間は迫る。それまでに、店を開くか、開けないにせよ告知をしなければ店の前には時刻通り開店すると思ったお客さんで溢れ返る。それだけでも数多の問題が生起し、せっかくの聖蹄祭は大失敗という烙印を押さざるを得なくなる。
教室はざわめく。だけど、言葉、言葉に活気がなく、しじまのような静かさがあった。状況を把握したゼンノロブロイもまた、アイデアを出そうとしたが思いつかない。誰かが涙目になっているのが見えた。教室の飾り付けで遅くまで頑張っていた子だ。
ゼンノロブロイも顔を覆いたくなってしまった。
「逆境かな?」
すると、やけに通る声がひとつ。
皆がその方向に一斉に目を向けると、
「オハナちゃん……」
ぱっつんのウマ娘が濡れた目で呟く。いつの間にか定着したあだ名で呼ばれる少女は、並々ならぬ自信と昨日使った寝袋を背負い、不敵に息を吐いた。
「昨日のゴハンをまた食べに来てみれば、ふふふ」
ハナノアカリは問うた。“逆境か? ”と。聞かれれば、間違いなくそうだろう。既に外は開店を待つ人で溢れ、材料調達の目処が立たない状態で店を開けるわけにはいかない。開けないにしても早急に対応はしなくてはならない。いかに学生のやることといっても、トゥインクル・シリーズを走るウマ娘は多くのファンに支えられている。それを知って、蔑ろにするなど学生であっても一人の競技者であるなば、許容されない。
「逆境なら、奮い立たないとね」
だから、少女は笑った。小柄な身体に漲るのは、そんじょそこらじゃへこたれない“負けん気”のエネルギー。
「──お店を待ってくれている人がいる。お店を開くために、遅くまで残って頑張ったウマ娘がいる──」
ふん、と桜色の少女は唄うように言いながら辺りを見渡す。気がつけば、教室はたった一人の小柄な少女の空気に支配されていた。そこには昨日、あんなに可愛がられていただけの、
「固い表情はやめて! ほら、やるよ! 泥水を啜っても、支援が見込めなくても、それでも、誰かのためならば、やるんだ! 逆境で踏ん張ってこそ、日の本のウマ娘だよ!」
彼女は高らかに発破をかけた。
ちょうど朝日が高く登り始め、教室の中を照らし少女の細く薄い髪の毛を一本一本白色に光らせ、みんなが顔を上げた。
「なんで、そこまで……」
誰かが言った。
「だって、誰だって、いつか、誰かを助けてあげたいって思って生きているものでしょ? ここまで走らせてくれた恩を、信じてくれた気持ちを、受けた愛情を、何処かで返さなくちゃって」
迷いのない答えが返ってきた。
「出来る、できないじゃない。
そのために、命を燃やすんだよ。
ただの学生のお店一つに、あまりに不似合いな覚悟。だけど、少女は全力だった。この楽しい時間の終わりを知っているから。青春の終わりを分かっているから。だからこの一瞬を煌めくように生きるのだ。
「ゼッタイに、提供するよ! そう、──キュンカワ♡これでキミも1着♪ オムレツ★をね!」
◆
そこからは目の回るような、全てがコマ送りに思えるような鮮烈な時間の連続だった。時が粘性を持ったと錯覚するくらいに。
「いらっしゃいませー!」
そのセリフが言えたのは、驚異の開店時間通り。
お客さん第一号が教室の扉を潜る頃には、クラスメイトは皆一様にやり切った感情を顔に滲ませて、笑った。
やり切ったぞ、と。
◆
「オハナちゃん、ありがとー!!!!」
「こんなちっちゃいのに、すっごかった! カッコよかったよー!」
「ちいさくないよ! 平均くらいだい!」
最初の客を捌き切ったころ、教室の裏では小柄な少女がもみくちゃにされているところだった。
ハナノアカリは最初にメニューの値段を下げる事を指示して、ひとまず卵なしのメニューを作った。ケチャップライスに、精いっぱいのポテト。そして同時並行でクラスでイチバン走るのが速いウマ娘を少し遠くの開店時間が早いというスーパーまで走らせ、材料確保の目処を立てたのだ。
そんな的確な指示と励ましの結果迎えた“なんとかなった”の時間。身体いっぱいに喜びを称えてみんなが堪能していると、教室の裏にあった控室と店内の区切りの幕がペラリと捲られひとりのウマ娘が入ってくる。
「おや、ここに居たか」
「アッ、ルドルフさん。入り口はアッチだよ」
一瞬で空気が変わったのは、入ってきたのが生徒会長、シンボリルドルフその人だったからだ。
「既に飲み物をいっぱい頂いたよ。要件があるのは君の方なんだ」
「ワタシ?」
「ああ、今日の午後。14時からエキシビションレースがあるのは知っているかな?」
いきなりの大物の登場に、クラスメイトのウマ娘たちは固まってしまっている。唯一変わらず話せているのはハナノアカリくらいなものだ。というかクラスメイトは慌てた。会長さんにタメ語って何やってんの、オハナちゃん!? と。
「あー。なんとなく」
「私がここに来た要件は、それだ。ハナノアカリ。単刀直入に言おうか。──エキシビションレースに出走する気はないか?」
空気が変わった。
にやり、と。
「いいの?」
威圧感。
あたりに満ちる、重さ。ハナノアカリの声帯から発せられた声が、辺りを震わせるたびに、声の明瞭さがそのまま彼女の存在力の強さのように。
「日月自明。かつて鉄脚と呼ばれたウマ娘と皇帝とどちらが速いかを知りたいと思うことに、理由は必要ないだろう?」
「アッはっは!」
ハナノアカリは笑った。
口を大きく開けて、愉快愉快と。
本当にさっき頭を撫でられていたウマ娘と同じウマ娘なのか。クラスメイトは知らず知らずに目がおおきく見開かれていた。
「なんてカワイラシイ子なんだろうね! ふふふ、うふふふふ! レースにサヨナラする前の最高の贈り物だッ!」
もう、周りのウマ娘の驚きは目をひん剥く勢いだ。
突然、シンボリルドルフがやって来るのにまず驚き、それが可愛いマスコット扱いのオハナちゃんに会いにやって来たことで仰天。あろうことか、さらにシンボリルドルフがオハナちゃんと走りたいと。
ああ、訳がわからないと混乱するウマ娘たち。それを尻目にハナノアカリはどこまでも自分のペースを崩さず、ころころと笑っていた。それがなんとなく、壁の向こうに隔てられた超常のウマ娘たちの会話のようで、さっきまで話していたウマ娘たちは胸をキュッと抑えた。
──いいかい? レースはね。
「そこまで求められたなら、応えないと、ウソだね」
菖蒲色をしたウマ娘がピンと背筋を伸ばし、シッポを床にそっと接するように晒す。手を伸ばし、指先まで神経を通し、舞台役者のように。彼女をレースに引き込んだ三流詐欺師の真似事で。
「じゃア、皆々様、とくとご覧ください。お代は要りません。おひねりも必要じゃありません。ただただ、示させていただきます。ワタシの名前はハナノアカリ。──人呼んで“鉄脚桜色”。────泣きべそかくなよ、カイチョーさん」
タチの悪い芝居だ。
だけど、どうしようもなく心が震えるエンターテイメントだ。かつて春木と名乗った男がやっていた、勢い任せで周りを巻き込む。そんな手法。
歯を、噛み砕くくらい、激情を抱いたのはなぜだ。
腕の筋が壊れるくらい、感情が昂るのはなぜだ。
くくく、と喉の奥から笑い声が漏れる。
まさか、最後のレースがあちらからやって来てくれるなんて。
ハナノアカリの競争人生で、なんの衒いもなく走れる最後のレース。
これが楽しくないはずがない。
──いいかい? レースはね。
周囲にいるウマ娘たちは、動けずに居た。
たった2人のウマ娘からはじまった、空気で肌が泡立っていた。
「いいかい? レースはね」
軒並みいる強豪を、すべてねじ伏せることなんだよ。
tips,アカリちゃんは、意外と悪ノリするタイプ。