昭和にウマれたウマ娘!   作:調味のみりん

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Ep.20 祭りのおわり、レースのおわり。

 

 

 

 

 

「エキシビジョン・レースの出走は15時45分となっております。ご観覧の方はご注意ください。繰り返します──」

 

 

 トレセン学園のファン感謝祭、秋の聖蹄祭。

 いずれも多くの出し物、有名ウマ娘、それらと直に接することの出来る貴重な機会だ。

 

 中でも目玉となっているのが、多種多様なウマ娘が出走するエキシビジョン・レース。エキシビション(展覧会)の名の通り、精強を誇るウマ娘も多く出走する。

 

 今回に至っては、万単位の人がレースを見ようと押し寄せた。それもそのはず。出バ表を見れば分かる。

 

 

 

 10.シンボリルドルフ

 

 

 

 この、たった8文字がどれだけの人を熱狂させたのだろうか。

 この、たった8文字にどれだけの意味が込められていたのだろうか。

 

 現在時刻は15時00分。

 出走まで、あと45分間だった。

 

 

 

 ◆

 

 

「オハナちゃん、ほんとに走るの?」

 

 ハナノアカリがトレセン学園から借用した体操着を着て、控えで使用できるグラウンドの隅でストレッチをしていると、店を手伝ったクラスのウマ娘たちがやって来た。焼きそばやらパックに入ったオムライスやらを心配そうな顔でハナノアカリに押し付け、なんとか食べさせようとしながらも、彼女らはみな一様に心配そうな表情で、とくにぱっつんの子などは冷や汗を浮かべていた。

 

「ほらっ、食べないと倒れちゃうよ!」

 

「いま食べるとげろげろしちゃうんだけど!?」

 

 

 それもそのはず。

 ハナノアカリが出走するレースには、あのシンボリルドルフが出ると前々から話題になっていたからだ。

 強者は強者を呼んだのか、釣られるように出走する他のウマ娘も一線級だ。とある雑誌のレース記者なんかは、“なんでこんな豪華なメンツをここに集めた!? ”と悲鳴を上げたそうだ。

 

 

 そこに、この小柄な体躯のウマ娘は出ようとしている。

 番号は12。大外だ。

 

 

 

「オッ、本当にいた」

 

 めいめいがそれぞれの台詞でハナノアカリに言葉を送っていると、そんな男性の低い声がグラウンドの脇から聞こえてきた。

 

 ハナノアカリや、その周りに集まっていたウマ娘が顔を向けると、人好きのする笑みを浮かべた壮年の男が立っていた。

 

 彼の周りには周りに何人もスーツ姿の若い人から中年の人までが居る。

 中心にいた、ハナノアカリに声を掛けた男は、何も知らない人が見ても一目で分かる、仕立てのいいスーツを着て、秘書らしき人物を控えさせている。

 

「わっ、シャチョーさん! ホントに来てくれたんだ!」

 

「まさか。貴方ほどのウマ娘の走りが見られるならば、いくらでも調整しますよ。きっと、ステキなものが見られる」

 

 そこで男は言葉を切ると、横に控えていた秘書らしき若い男に合図をした。すると、若い男は手に持っていたボストンバッグのような物から薄い紙に包まれた何かを恭しく取り出すと、社長の男に手渡した。

 

「このレースは貴方にとっても、大事なものでしょう? だから、うん。()()()()()かは分からないけど、作った」

 

 開けてごらん、と突き出された物を、ハナノアカリは恐る恐るあける。周りのウマ娘たちは『きゃあ』とか『危ないんじゃ……?』なんて好き放題に言っているが、男はニコニコと笑ったままだ。

 

「これって……」

 

「貴方の勝負服をなるべく再現しようと思いましてね。文献やら、メモ書きやら、日記やら、探しました。いや、映像が無いというのはつらい。二つの意味でね」

 

 中から出てきたのは鮮やかな羽織。

 夜になる前の空を思わせる、静かな藍色。

 そしてくるりとひっくり返すと──

 

 

 

 背中にふた文字。『快走』と。

 

 

 どうですか? と男が優しく聞いた。ハナノアカリは言葉がうまく出てこずに、ひたすらに手元の羽織を見つめ続けていた。

 

 少女は思い出した。

 どんな小さなレースでも、丸に檜の文字の入った羽織を着て、応援に駆けつけてくれていた人たちのことを。

 

 檜組の若い連中は、仕事でも、休みでも、ハナノアカリのレースがあると一番前を陣取るように確保して、応援をしてくれていた。

 

 “サァ、走れ! ハナノアカリのお嬢! ”

 

 国の状況が悪くなると、若く元気な檜組のひとたちは向こうに行ってしまって、その人数もだんだんと減っていって、トーリョーさんは寂しそうにしていたけれど。それでも呵呵! と笑っていた。

 

 

 それを、思い出した。

 

 

 改めてハナノアカリは藍色──むしろ紺色に近いかもしれない──の羽織を見る。

 本来、彼女の勝負服は若草色のものだが、これは紺色。檜組の色だ。よく見れば細部のデザインも違う。本来彼女の勝負服は袖や襠の部分に風に揺れる桜があったが、これは風に逆巻く紋様だ。

 

「ふふっ、ちょっと違う」

 

 何十年と気の遠くなる時間を経た、『ハナノアカリ』というウマ娘の勝負服を出来る限り再現しようとした痕跡が、温石のようにじんわりと羽織に熱をともす。

 

「どうも、最高です。風にはためくこの紋様、見ていてね」

 

 ぱっ、と流れるように羽織を纏ったウマ娘は、体操服に羽織なんていう格好ながら妙にサマになった立ち姿でストレッチを終えた。

 

 レースが始まる。

 

 

 ◆

 

 

『今年もやってまいりました、トレセン学園聖蹄祭、エキシビジョン・レース。秋の空の下、集まった豪華なメンバーにファンの期待は熱のように膨れ上がります』

 

『いやー、このレースは普段ならば集まらない世代の対決も見られることが特徴でしょうね』

 

『ええ、楽しみです。レベルの高いウマ娘が割拠するトレセン学園ならではの催しです。その証拠に、こうして実況と解説も同伴していますから』

 

『その通りですね。あ、と。お時間です。それでは、注目のウマ娘をご紹介していきましょう。二枠、3番。ナイスネイチャ』

 

『メイドの格好で参戦です。彼女のクラスの出し物であるメイド喫茶からでしょう。数々のグレードレースに出走し、有マ記念でも見せてくれた掲示板に入る実力は本物です』

 

 

『続いてその隣。二枠4番、ウイニングチケット。

 

『彼女の最後まで諦めない走り。決して諦めなかったあのレース。最後に残った勝利を見事に掴み取った姿を覚えている方も多いでしょう』

 

 

『そして、──来ました。10番、シンボリルドルフ』

 

『堂々たる威容です。彼女は生徒会の腕章を付けての参戦となります。また本大会の運営側でもあり、出走を表明した際には驚きの声が上がりました』

 

『そうですよね』

 

『レースに絶対はありませんが、彼女には()()。そう言わしめてしまうほどの輝かしい成績を残しています。強い、と評されたウマ娘が、しっかりと結果を残す。どれだけそれが難しいか。それを彼女はやってのけました。二つ名に異存ありません』

 

 

『そして最後。この子も紹介したいと思います。大外12番。JCYグループ協賛、シンボリルドルフ会長推薦として出走します。ハナノアカリ』

 

『今年度の協賛枠ですね。しかし、興味深いのが、()()シンボリルドルフ推薦という点です。トレセン学園指定の体操着にエプロン。クラスの名前が書いてありますね。仲良くなったクラスの物でしょうか。そこに羽織姿で登場です。一体どんな走りを見せてくれるんでしょうか。楽しみです』

 

 

 

 ◆

 

 

 スタートの前は、いつも心臓が早鐘を打つ。

 その代わりに身体は静かに冷えて。頭の中はゾクゾクと何か入力が切り替わっていく感触がある。これが、いつもの、だけど、()()()スタート前の状態だ。

 

「やけに落ち着いているね」

 

 シンボリルドルフ会長がこえをかけてきて、ハナノアカリは歯を剥き出しにした。

 

「落ち着いてなんて、いるもんか。そんなコト聞かなくても分かってるクセに」

 

 その答えを聞いて、皇帝はぷっ、と吹き出した。次の瞬間、巡る圧力。ビリビリと肌が粟立つ、覇気、と表現すればよいのか。これほどの相手はハナノアカリも思い出すことが難しい。化け物だ。化け物が、ハナノアカリを見つめている。

 

「今に見てなよ、ああ、今日はお天気だ。風が、遠くまで花びらを運んでくれる」

 

 二人のウマ娘のやり取りに周りのウマ娘は興味深そうに観察を続けていた。シンボリルドルフは言わずもがな。今回飛び入り参加の小柄なウマ娘からも尋常でない雰囲気が漂っている。紛れもなくGⅠに出てくるような英傑の片鱗。

 

 

 

 数多くの注目の中で、ハナノアカリはその場でしゃがむと、蹄鉄──特注の──に付いた革のベルトをバチン! バチン! と止めていった。あたりに異様な音が響き渡り、何人ものウマ娘がびっくりした顔をした。

 

「まさか、アンタとまた走ることになるとは……」

 

「そうだね。とっても嬉しいよ。次は完全に勝つね」

 

 次に声を掛けてきたのはナイスネイチャ。

 少ないやり取りがやけに馴染むのが嬉しい。ハナノアカリは頬を緩めた。

 

 

「うわ、キラキラが眩しい……。ま、アタシは自分のペースで行かせてもらいますよ」

 

 そう言って彼女は自分のゲートへと歩いて行った。

 ばいばい、手は振らず心の中でハナノアカリは応えた。

 

 

「うおおおおお! こんな凄い脚の子と走れるなんて!」

 

 ウイニングチケットはちょうどしゃがみ込んでいたせいで強調されたハナノアカリの脚、そこについた筋肉に感激の声を上げた。

 

 言われた方の少女はといえば、キョトンとした顔をして、立ち上がった。ちょうどウイニングチケットの顔をすぐ下から覗き込むような位置になって、首を傾げる。そしてあろうことか、両手でペタペタとウイニングチケットの顔を触り始めた。ペタ、ペタと。顔の形を触覚で確かめるように。

 

「! 、?」

 

 十秒ほど、たっぷりそうしたあとに、ゆっくりと少女は手を引いた。そして、「うん」と一言。満足そうに言うとゲートに向かった。

 後に残されたウイニングチケットは状況が飲み込めていないような顔で固まったままだった。

 

 

 ◆

 

『まもなくエキシビション・レース出走時刻です。ご観覧の方はご注意ください。繰り返します──』

 

 日本一のトレセン学園ということもあって、スタンドの広さは尋常ではない。だが、今に限っては多くの人で埋め尽くされ、狭くなってしまったように思えた。万単位の人間をのみこんで、レース会場は熱気に包まれる。スピーカーから流れるアナウンスも途切れて聞こえるほどだ。

 

「やっぱり、シンボリルドルフだろう」

 

 若い格好の男が興奮したように呟いた。

 確信を持ったような言葉に、彼はサッとカメラを構えた。初任給で買った、まだまだ安いが男にとっては精一杯のカメラを。

 男はこれから始まる激戦を捉えようとファインダーを覗き込む。

 

 

 

「あの子だれ? シンボリルドルフさんが推薦したの?」

 

 カップルの女性が呟いた。カップルの男はウイニングチケットの方を見つめて、話を聞いていないようだった。あんまりにも生返事をするものだから、彼女にはたかれて、我に返ったようだった。「しらないよ、そんな子」

 

 

 

 

「分からんな……名前が出てこない。トゥインクル・シリーズを走ってない子なのか?」

 

 レースのデータに精通した中年の男が耳に短くなった鉛筆を挟みながらパンフレットを睨みつける。そしてもう一度呟く。「ほんとに、なんで出走したんだ?」

 

 

 

 若い男の二人組は調子良く最前列を取れて、柵に手を突いてレースが始まるのを待っていた。大学のサークルもこの日ばかりはお休みだ。似たような奴らが集まるサークルだったから、学園内にも来ているかもしれない。だが、彼らほど最前列を確保できた者は居ないだろう。

 

「いきなりあんな小さな子走らせて大丈夫なのか?」

 

 仮にも、エキシビションとはいえど、かなりレベルの高いレースだぞ。心配そうに言う片割れとは対照的に、刈り上げのもう一人は得意気な顔で顔を反らした。

「分かってねぇなぁ。あのな、あの小さい子、JCYグループの協賛かつ、シンボリルドルフ推薦なんだよ。つまり、タダモノじゃないね。俺には分かる。見てなって」

 

 心配そうな顔の男は、ホントかなぁ、と呟きケイタイの画面を構えた。

 

 

 

 

 多くの人がシンボリルドルフの強さを見にきていた。

 ナイスネイチャの粘りを期待していた。

 ウイニングチケットの最後の伸びを待っていた。

 あの子の、その子の、誰かの走りを見たがっていた。

 

 

 ハナノアカリは、誰も知らなかった。

 無名の、出走歴のない伏兵だった。

 

 だれも、彼女を覚えていなかった。

 

 

 ウマ娘のぬいぐるみを大事そうに胸の前に両手で抱えていた男の子が傍の父親に尋ねた。

 

「おとーさん。“はなのあかり”どんなウマ娘?」

 

 父親は困った顔をして、頬をかきながら答えた。

 

「さあ、知らないよ。それよりシンボリルドルフが走るぞ。ほら、ナイスネイチャもいる! そっちにいるぞ!」

 

 

 

 ◆

 

 

 

 ぴりり、と鉄の匂いがする。

 ゲートの中は静謐に包まれていて、外のガヤガヤとは違う世界みたいだ。

 

 

 この世に運命というものがあるのなら。

 

 ゲートの中で、少女は夢想した。

 

 もし、運命というものがあるならば。

 たくさんの景色が()()にはあるのだろう。レースに負けた子は、悔しさを糧に次のレースに臨んでいく。勝った子は、笑顔でいながらも、周りから寄せられる重圧に耐えて、さらなる高みを目指して走り出す。

 

 結果次第で地方へと転向を考えている子は、レースの後の結果で指導員(トレーナー)と泣きながら話して、考えて、悩んで、考えて、それで、決心した地で戦っていくのだろう。

 

 もし、運命というものがあるならば。

 

 少女は夢想をとめた。

 ワタシはきっと、そのどの景色にもいないんだろう。みんなはそれぞれ、続く道を駆けていく。でこぼこしてたり、沈んだり、最後には光っている道を。

 ワタシはきっと、すぐ先に行き止まりがあるんだろう。

 みんなは進んでいく。ワタシは先には行けない。

 

 だから、このレースは。

 なによりも、たのしい、大事なレースだった。

 

『サァ、最後のウマ娘がゲートに収まりまして……』

 

 みどりの風が頬を撫ぜる

 煌めく夕陽が、ターフを情熱的に燃やしている。

 ハナノアカリは最後に深呼吸をする。青々とした草の匂いと、微かに香る鉄の突くような鈍い匂いがする。

 観客が静まり返る。鼓動が静まっていく。

 沈黙。そして──ゲートがひらいた。

 

 

 ◆

 

 

 ゲートが開き、世界が開けても尚、シンボリルドルフは冷静だった。

 

『揃ったスタート……いや、12番、ハナノアカリが少しつんのめったか? やや遅れて加速していきます。先頭はヴェルデゴウ。続いて、サイショウエルドラ。ウイニングチケットはここに付けた。アストヴァレゴーがこの後に続き、シンボリルドルフは5番手、そのすぐ横の位置です。後ろ、ナイスネイチャ、機を伺うように外を回っていきます。やや縦にグーっと長い展開となりました!』

 

 エキシビション・レースのコースは左回り、芝、2400メートル。

 観客席の近くからスタートし、最初のコーナーまで350メートルになっている。アップダウンのあるコースを制しさいごに待ち受ける最終直線は525メートル。

 

 なんとも馴染み深いコースだ。そう、()()されている。

 日本ダービーと同じに。

 シンボリルドルフは笑った。現在位置は5番手。先頭は指の大きさ程に見える。射程圏内だ。

 

 さいしょの直線の半ば。観客席、スタンドの前へと差し掛かる。グワーっと視界を揺らす歓声が聞こえる。ダービーの時が思い出された。踏み込む、芝が少しめくれる。掘り起こされた土の匂いが高速の風に乗ってやってくる。

 

 間も無く最初のコーナー。そこで、シンボリルドルフはふと、()()はどうしているだろうか、と後ろを伺った。すると、いた。最後尾に。見た目はフツウの()()()()姿に見える。観客もそう思っているだろう。実況も、レースを走る誰もが。

 

 

 

 その瞬間、彼女の桜色の瞳がこちらを向いた。視線が通った。

 

 

 

「──ッ!!」

 

 

 思わず上る口角。ゾクリと背中に走る感覚。

 やはり恐ろしい御仁だ。シンボリルドルフは思う。

 さあ、勝負は最終直線だろう。

 

『最初のコーナーに差し掛かりました! 先頭は依然変わらずヴェルデゴウ! ウイニングチケットがここで位置を上げます! 2番手に付ける! シンボリルドルフは依然5番手、ゆっくりと、しかし着実にコーナーにてインを沿うように仕掛けの位置を探ります!』

 

 レースが始まった。

 

 

 ◆

 

 

『先頭集団から順に向正面に入っていきます。ずいぶんハイペースで推移しております、第──回、トレセン学園エキシビション・レースです。おおっと! 場内ざわめき! シンボリルドルフがスーッと位置を上げていきます! 間も無く3番手のサイショウエルドラに追いつくといった位置! ナイスネイチャも外を回ってやって来ました!』

 

 

 ゴウ、と風がミミの周りを包んでいく。時速は60kmを超えただろう。風圧の律儀な物理法則で体が常に後ろに引かれる。

 9番手を走るウマ娘は、前を走るウマ娘により千切れた芝が飛んできて目を細めた。

 

 

 ──なんでこんな怪獣大決戦みたいなレースに入っちゃったかな。

 彼女は思った。彼女の格好はクラスTシャツの上にお祭りの法被、頭には捻り鉢巻き。どれもこれも、ムリやり付けられたものだ。そんでもって出走の手続きも無理矢理だった。

 

 クラスの手伝いを一通り終わらせたからって、窓の外を見ながらぼーっとしていたのが悪かったのだろう。

 

(こんなアタシなんて放っておけばいいものを)

 

 少女は自嘲する。

 

 何が『アンタが一番早いんだから、勝ってきてよ! わたしたちのクラスの代表!』だ。シンボリルドルフも出てるんだぞ。

 

『──! ──!』

 

 耳朶を打つ振動に思考が目の前へと戻ってくる。

 

 先頭集団で動きがあったようだ。

 あそこは鳥肌が立つほど狂執的に細かな駆け引きが行われている。体重移動の機微、視線の位置、足運び。シンボリルドルフという異常がブラックホールのようにレースを歪ませている。巻き込まれたら、逃れる術はない。

 

 

 マァ、なんとも遠い世界だ。と、腕を振り上げ続けた。

 

 

 その拍子に服の奥にしまっておいた小さな巾着が手首の位置まで下がってくる。だから、ちらりと手首につけていた巾着──お守りが目に入った。

 

 トレセン学園に入学が決まった時に妹たちが作ってくれた、不恰好なお守りだ。いっつもレースに出る時はこっそり手首につけていたが、クセで今回も無意識のうちに付けていたらしい。

 

 風に吹かれてお守りがクルクルと回る。

 

 ヨレヨレで、縫い目はガタガタ、シルエットはずんぐりとしている。何ヶ所か解れも出て来て、その度に自分で直した跡が見える。

 

 

「──っ、ふっ」

 

 

 

 ──いってらっしゃい、おねえちゃん! 

 

 

 そうだな。アタシだって、勝つためにトレセン学園の門を叩いたんだ。ハナから諦めるのは、違うよ。

 

「ぜッ、はっ……ッ!」

 

 肺は酸素を求めて喘ぎ続け、汗が滴り落ちる、よりも早く脚を前に出す。

 

 それでも、グッと一歩踏み込んだ。

 次に来るのは、一番得意な、コーナー。最終コーナー。なんどもなんども、なんども、なんども、誰よりも練習したコーナリングだ。

 

 

 レースはハイペース。

 どのウマ娘も苦しそうな顔をしている。

 だから、だから! 私も! 

 

『シンボリルドルフ出方を伺いますが……ここで、サートラームが最内の隙間を縫って上がって来た! インコースをスルスルと、突くように順位を上げていきます! 8番手、6番手、交わしていく!』

 

 

 コーナーが終わる。身体に掛かっていた遠心力が名残を残しながら離れていく。

 直線がみえる。これが、最後の直線だ。

 

『サートラーム、一気に順位を上げて5番手の位置となりました! その前にナイスネイチャが、シンボリルドルフは現在3番手、サイショウエルドラは苦しいか! ウイニングチケットが先頭で最終直線へと突入していきます!』

 

 視界の端が白い。体力が限界だ。

 この位置まで上がるのに、ムチャをしすぎた。

 

『前、5名が固まったような状態! 直線は残り約400メートル! 第──回、エキシビション・レース王者の栄冠を戴くのはどのウマ娘なのか!』

 

 ああ、前が固まって道がない。5着、掲示板内。

 ここで、ここで、終わ──

 

 

 

 

 

 

 

 ──がシャン。

 

 

 

 

 

 

 

 金属音が、聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 ──直線は残り約400メートル! 第──回、エキシビション・レース王者の栄冠を戴くのはどのウマ娘なのか!』

 

 芝の感触を確かめながら、一歩一歩確実に。

 最後尾からでは先頭は見えない。でも、慣れっこだ。

 

 ハナノアカリは風圧ではためく羽織の袖を一瞬視界に捉えた。

 

 レースは高速。ありえないほど。自分のペースでなんて走れない。周りに置いてかれるから。そんな環境のせいでみな息が上がっていた。

 

 ──1人の例外を除いて。

 

『シンボリルドルフ、ここで仕掛けて来た! 確実に、確実に前へ、前へと進撃していきます! 大歓声! 場内大歓声です!!』

 

 

 

 そう、シンボリルドルフ。

 彼女だけが、涼しい顔をしてこの場で走っている。

 

 なぜか? 

 

 

 このハイペースは彼女が()()()()ものだからだ。

 否応なく理解させられた事実にハナノアカリは口の端をニイッと上げてみせた。

 

 

(なんっ、て強さ! レースの支配力!)

 

 

 あの子、前のウマ娘に圧をかけて、高速化させた! しかも高速化させるタイミングが、みんなが体力が尽きる位置が坂に差し掛かろうというところになるように持ってきた! 

 

「ばっ、けもの──ッ!」

 

 

 

 ははは。

 

 

 面白い。

 

 

 細かく、強い。スタート助走も、コーナーの取り方も、走る型も。膝の使い方も、身体の柔軟性も、脚の可動域も、コースの知識も、仕掛ける手札の多さも、相手に対する読みも、荒れた地面の見分けも、体力管理も、レースを()()力も、筋肉も、関節も、瞳も、魂も。

 

 すべてが高水準。聳え立つ塔。シンボリルドルフ。

 

(あったまいいなぁ! あの子!)

 

『三百標識を通過しました! シンボリルドルフここで先頭に迫る! ウイニングチケット粘る、しかし伸びないか! シンボリルドルフ、シンボリルドルフが先頭に立った!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 だから、ぶち抜いてやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スウ、と息を吸う。

 

 

 

 

 

 

 

『息を呑むようなデットヒート! ナイスネイチャもここで最後のスパートをかける! シンボリルドルフ強い! 先頭変わらず、シンボリルドルフ。しかしウイニングチケットも諦めない!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 視界が薄くなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昔の景色が脳裏に浮かぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スタートラインの後ろでは老人と、乾いた泥を貼り付けた詐欺師がその様子を見ていた。詐欺師はふと少女の佇まいに質問をぶつけた。

 

 

「おい、アカリ、お前()()姿勢は取らないのか?」

 

 

引ったくりを捕まえた時に見せた低いスタート。地面に両手をついて四肢を固定して爆発するクラウチング。

少女はちょっと視線を右上にやってから答えた。

 

「距離が長いって分かってるから。あれは最後にやるヤツ」

 

 

 

 

 

「ははぁッ」

 

 嗤う。

 

 

 汗に張り付く髪に、煌めく瞳を見て、観客は一様に息を呑んだ。

 誰もとくに期待してなかった、小柄なウマ娘が、倒れたように見えたからだ。だが、違う。あれこそが彼女のスパートの姿勢だった。

 

 

 ハナノアカリは、眉毛が短くちょこんとしていて、笑うと可愛らしい元気なウマ娘。

 ハナノアカリは、データブックにも載ってない、無骨で不思議なシューズを持ってる桜色のウマ娘。

 ハナノアカリは、街中を歩いていても、格好でちょっと浮いてしまうくらいの普通のウマ娘。

 

 そして──

 何十年も前に、軒並みいる強豪をねじ伏せて大レースを勝った、時代最強。現代(いま)ではない、トレセン学園(ここ)ではないところで覇を競い合った、特殊なバックボーンを持った、昭和にウマれたウマ娘! 

 

 それが、逆巻く春風を巻き起こして芝を後方へ弾き飛ばしてやってきた。

 

 背中に『快走』の二文字を背負って、脚に八十年主人を待ち続けたシューズを嘶かせて。

 

 彼女は踏み込む。

 地面に沿う影のように、深く。

 

 芝の下に潜り込むように。潜航開始のダイバーのように。

 身体をググッと前に倒して。

 

 一歩。踏み出す。

 

 地面に深く、深く蹄鉄ごと脚を穿つ。

 深く、いっそ異常と言っていいほどに深く沈み込んだ脚は、ハナノアカリの身体の力を()()()地面に流し込んでも揺るがないアンカーとなる。

 

「おい。おいおいおい……! どこのチームの子だ!?」

 

 観客席でぼうっと座っていたトレーナーが上体を起こして悲鳴のように言った。

 ハナノアカリの周りにいたウマ娘たちは空気が変わった感覚を鋭敏に感じ取っていた。

 

 走っているはずなのに、自分の耳元で風がひるゅりと抜けていく音がする。風に乗って桜色の花びらが舞っていく。なんだ、これは。

 

 後方から聞こえるドン、ドンッと可笑しい地面の芝が弾けていく音。

 ハナノアカリの風切音が変わった。

 彼女の特注のシューズが、特注である所以となった偏執じみたスパート。その時にかかる圧にがシャンと悲鳴を上げる。

 

「なっ──!?」

 

 10番手の子が、驚愕の目でこちらを見て後ろへと流れる。

 観客が目を見開く。

 

『シンボリルドルフ、シンボリルドル……こ、ここで12番、ハナノアカリが追い上げて来たぁ!! すごい加速! なんて脚! なんて脚だっ!? ひときわ低い姿勢で地面を這うように、1人だけどんどんとバ群を抜けている!』

 

 

 芝が飛ぶ。息を吸う。

 そして、また低く潜り込んだ。

 

 前に開いた直線コースはない。

 塞がれたウマ娘が前に行くには体力と時間の大幅消費を覚悟で大外を回るか、そもそも塞がらない位置取りに腐心するか。

 

 だが。

 

 ハナノアカリのミミが大勢の声を捉える。

 

 

 

 

 

 ──レースが、見たいんだろう? 

 

 

 

 

 

『信じられない、信じられません! 12番のハナノアカリがバ群の中を()()()()()()抜けていく! 右に、左に、巧みに進路を切って、まるで塞がれた壁などないように貫いて行く!』

 

 

「あ、あぁぁあぁぁッ!」

 

 

 一瞬だけ開く、1人分しかない隙間を縫っていく。芝の塊が顔に当たる。だが、抜けた。

 前が、見えた。

 ゴール板が見えた。

 ここが、一番前……、その前にいるのはシンボリルドルフ! 

 

 

『ハナノアカリ迫る! シンボリルドルフとの一騎打ちです! 残り100メートル! 差が縮まる! シンボリルドルフまた加速する! だが──ハナノアカリも加速した! 2人のぶつかり合いだ! 届くかハナノアカリ! 威容を見せるか、シンボリルドルフ! 残り50メートル! ハナノアカリ、シンボリルドルフ……もはや手がかかる位置だが……──シンボリルドルフッ! シンボリルドルフ1着! “皇帝”がエキシビション・レースにも覇を唱えましたっ!』

 

 

 

 最初に感じたのは、雨上がりのような感覚。

 汗がとめどなく頬を伝って、肺は狂ったように酸素を求めて呼吸を繰り返す。

 

 

 

『シンボリルドルフ1着、そのすぐ後ろ、クビ差にてハナノアカリ2着、ウイニングチケットが3着となりました! いやー、波乱! ダークホースの12番ハナノアカリが皇帝のクビに迫って見せました!』

 

「あはっ……ふっ……ッ」

 

 喉から新鮮な酸素が流れ込んできて、視界が正常な色合いを戻して、それで。

 レースが終わったんだとわかった。

 きらめく時間は一秒ごとに、こうして過去のものとなって遠くなるのだとわかった。

 

「はあっ、はあっ……」

 

 滲む視界で震える手を見つめた。芝が近い。いつの間にか膝をついていたようだ。ぽた、ぽたと雫が手の甲を濡らした。

 

「素晴らしいレースだった」

 

 上から降ってきた声に顔をあげる。

 沈みゆく夕陽を背景に立っていたのは、このレースの勝者、シンボリルドルフそのひとだった。

 

「私も、一つでも判断を誤っていたら抜かれていただろう。風向きが少しでも違ったらこうはならなかっただろう。何より、キミがこのコースに慣れていたなら結果は同じとはならなかったはずだ」

 

 よくよく見てみれば、“皇帝”も呼吸が荒い。滝のような汗をかいている。

 立つ脚も、レース前よりもしっかりしたものではない。

 

「やはりキミは凄まじいウマ娘だ」

 

 言葉とともに差し出された右手。二秒ほどハナノアカリはその手を見つめたあと、フッと肩の力を抜いて手を取り立ち上がった。

 

「ありがとう。走らせてくれて。ワタシと走ってくれて」

 

「それはこちらの台詞だよ」

 

 ほら、とシンボリルドルフはハナノアカリの背中を押して向きを変えた。ちょうど観客席のほうを向くように。

 

「なにを……って、あ」

 

 

 

 目に飛び込んできたのは、何十、何百、何千もの観客たち。

 

 

 

『すごかったぞーっ!』『おめでとう、ルドルフー!』

『12番の子、よく頑張った!』『ありがとー! すごいレースを見せてくれて、ありがとーっ』

 

 圧倒されるように、ハナノアカリは無意識に一歩二歩後ずさった。

 初めてみる、大観客。はじめて聞く大歓声。

 東京優駿大競走(日本ダービー)では情勢を鑑みて、無観客で行われた。

 

 ハナノアカリか覚えているのは、白い、無人のスタンドだ。

 

 

 大観衆の記憶にも残らない。

 映像にも残らない。

 拍手にも迎えられない。

 喝采など聞こえない。

 

 

 ハナノアカリは、静寂と涙のなかで、産まれたダービーウマ娘だ。

 誰もいない観客席の前で、数分立ち尽くし、静かに去っていった過去を思い出し、初めて聞いた大歓声にわなわなと震えた。

 

 

「──つ! ぅ」

 

 腕で目元を覆い、下を向く。

 

 その時、シンボリルドルフはハナノアカリをちらりと見た。すぐ後に、観客席に向き直って右手を挙げた。湧き立つ観客。

 

 大勢が“皇帝”の強さに快哉を叫んだ。シンボリルドルフは揺るぎない瞳に熱をたぎらせて、声援に答え続けている。だが、何人かの観客は、その陰に隠れるように静かに泣いていた少女に──大番狂わせにも2着に食い込んだ小柄な優駿にも、拍手を送り続けた。

 

 

 

 ぱちぱちぱちぱち。

 

 

 彼女はただ、泣いていた。

 

 

「ありがとう」

 

 

 

 

 ありがとう。

 ワタシのさびしい記憶を、やさしい記憶にかさねてくれて。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 手に汗握る、白熱のレースを魅せてくれた小柄な少女。

 ハナノアカリ。彼女は観客席を見て満足したとばかりに頷くと、ひとつ礼をしてみせた。

 きれいな、ほんとうに綺麗な礼を。

 

 そうして観客の注目がいっせいにシンボリルドルフに集まったタイミングで静かにターフを後にした。

 

 

 

 こうしてハナノアカリの、最後の“楽しい”レースは終わりを告げた。

 あと、彼女が悩むのは、みんなにどう別れを告げようか、という点だった。

 

「そういえば、()()って言ってなかった」

 

 

「ま、なんとかなるでしょ。たぶん。──ああ、つかれた」

 

 

 不満げな言葉を口に出す割には、頬は緩み、身体に残った消えゆく余熱に微笑んでみせた。

 

 

 

 







tips、本人はさらりと別れると思ってる。
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