昭和にウマれたウマ娘!   作:調味のみりん

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Ep.21 またね

 

 

 一日の中の時間で、夕焼けは帰る時間の目印だった。

 

 

 

『本日の聖蹄祭は終了いたしました。お帰りの際はお忘れ物をなさいませんよう、ご注意ください。繰り返します──』

 

 だから、夕陽が見えると少し寂しく、空いっぱいにひろがる橙色が目にツンとした。

 

『本日の聖蹄祭は終了いたしました。──』

 

 

 ハナノアカリは重たいシューズを脱いで、ひんやりとする芝生の上に脚を投げ出して、風にそよいでいた。ちょっと遠くには学園の門が見えて、ハナノアカリは人の流れから外れた場所にある木の下に陣取って、ぼんやりと人の流れを見ていた。

 

 

「さっきのレース、めちゃめちゃカッコよかったです! いや、まじで!」

 

 校門の近くでは、ハナノアカリが名前の知らないウマ娘が、熱烈なファンと思しき青年に感動を伝えられていた。

 青年の勢いに彼女は少し気圧されたようにのけぞったが、それも一瞬。ミミとシッポを軽やかにして、笑った。

 

「本当!? ありがとー! また応援してね!」

 

「はい!」

 

 その横顔が、夕陽に染まってオレンジ色になるのを、ハナノアカリは校門の少し離れた場所。裸の木の下で眺めていた。

 

「よし」

 

 

 ◆

 

 

 トレセン学園、生徒会室。

 両開きの趣のある扉に、中に入れば品のよい調度品が置かれているのが分かるだろう。どんな部屋か? と問われれば、まるで名家の応接間のような雰囲気を持つ部屋だ、と答えるのが相応しい。

 

 夕方の時間も終わり、空の端が藍色に染まり始め、室内に電気が必要な明るさになった頃。まだ名残のように端に見える夕空を見ながら話をしていたシンボリルドルフは扉がノックされていることに気がついた。

 

 どうぞ、と促せば片方の扉だけを開けてひょっこり顔を出したのは桜色の少女。シンボリルドルフにとってはもう見慣れてきた少女だ。

 

「おじゃましまーすって、あれ、ロブロイさんも居る」

 

「キミか。すこし話し合いがあってね。で、先の表彰式はどうだったかな」

 

 ハナノアカリと目が合ったゼンノロブロイは微笑み、軽く会釈をしてから、ごく自然な動作で何かを、生徒会長の机に隠すように置いた。部屋の一番正面に設置されている歴史を感じさせる机だ。

 

「表彰式? あー、ちょっと吐きそうだった」

 

 ハナノアカリはそれに気がつくそぶりをせず、口元に手を当てるジェスチャーをしてキュッと目をつぶった。

 

「……意外とキミでも緊張をするんだな。いや、気を悪くしないでくれ。ただ、そう思っただけだ」

 

 半目になって答えるハナノアカリに、シンボリルドルフは意外なものを見たとばかりにきょとんとした顔をした。実際、緊張などというものもは無縁そうなハナノアカリだったからだ。

 

「何を思ってるのかシラナイけど、ロブロイちゃんのクラスの子達に押し込まれたオムレツとかが……」

 

 そこまで聞いて、シンボリルドルフは合点がいったように、ああ、と苦笑いをした。ゼンノロブロイもふふ、と控えめに声を出す。

 

「レースが終わってもアカリさんのことを心配してましたから。……多分に興奮が入り混じっていたことは否定できませんが」

 

 ゼンノロブロイが楽しい思い出を想起するように、ちょっと頬をかきながら控えめに申告する。あの時のことを思い出すと、すぐにでも胸の辺りがホッとするような思い出だ。

 

「そっか。なら、果報者だね、ワタシは」

 

「感孚風動。それも人徳というものだろう」

 

 カタカタと風が窓枠を静かに揺らして、シンボリルドルフは一息をついた。ゼンノロブロイはなんだか、この穏やかさがおかしくなった。目の前に立っているのが、ほんの少し前に怒涛の走りをした英傑と一致しなかったから。だから、いまは年相応にみえる少女の表情を眺めるように盗み見た。

 

「ふうん、そういうものね」

 

 と生返事のような声が生徒会下にこだまする。

 部屋の中には3人のウマ娘以外は居らず、窓の外からはガラス越しに聞こえる放送の音がずっと聞こえていた。

 

「それで、どうしたんだ、わざわざ訪ねてくるなんて。この後の打ち上げや後夜祭も参加するんだろう?」

 

「ああ、そうだ」

 

 改めてシンボリルドルフが当初の話題に立ち返るように聞けば、桜色の少女は思い出したとばかりに手を打ち鳴らして見せた。子供らしい仕草だ。違和感はなかった。

 

 そして、ハナノアカリはシンボリルドルフとゼンノロブロイに目を合わせる。ジッと、相手の目の奥まで見つめすかすように。“確実に”という形容詞が似合うほどに。

 

 シンボリルドルフとゼンノロブロイは、ハナノアカリが何を伝えたくてそんな仕草をしたのか分からず、疑問符を浮かべた。間を置かないで、ハナノアカリはなんて事のないように言った。

 

 

 

 

「あなたたちにお別れを言いに来たんだ」

 

 

 

 

 数瞬。沈黙。

 部屋の中には時計の秒針が刻まれる音と、窓の外から減衰した状態で聞こえる喧騒と放送が響き渡る。

 ほかの音は何一つなかった。

 

 絵画の中のように静かだった。

 

 

 

 

「それは……その、()()のか? キミの、お世話になってる家か、何かに」

 

 

 先ほどよりも薄くなった声でシンボリルドルフが聞く。“()()()()に来た時に使っている下宿のようなものに、帰るのか? ”と。

 レースの時とはちがうトーンの“皇帝”の問いに、ハナノアカリは“分かってるクセに”、とゆるく首を振った。仕方がないな、と姉が妹に向けるように。

 

「ううん、三女神さまが呼んでるんだ。“もう時間だよ”って」

 

 あっさりと、なんてことのないように告げられたのは、ハナノアカリの別れだった。

 

 ──なぜハナノアカリが生徒会室を訪ねたかというのなら。

 

 これ以上は居られないと律儀に挨拶に来たのだった。

 

 

 

 

 夕陽が沈む。藍色に空が暗くなる。

 外ではグラウンドに設置されたフィールドライトが点灯した。生徒会室では書類仕事を多くやるため早めに電気を付けていて、室内が外の暗さの中で相対的に明るくなり、夜空に浮かび上がるようだった。

 

「……延長は出来ないのか? その、まだ居ればいいじゃないか。満足がいくまでレースを走ろう。()はどうなるか分からない」

 

「満足はないんだよ」

 

 シンボリルドルフが頭の回転が始まる前に紡いだ言葉は、いっそ清々しいほどピシャリと切って捨てられた。言葉の感じはキツくはないのに、有無を言わせない響きがあって、シンボリルドルフは思わず目を丸くする。

 

「いつまでだってあなたと走ってたいし、マサちゃんとも走ってたい、オジョーサマとだって、ニイボシちゃんとももっと走りたかった」

 

 言葉の途中でハナノアカリは視線を遠くに投げかける。遠くに飛んでいる、夕暮れ空のカラスを追いかけるように、遠い目を。それは、まるで目の前のシンボリルドルフに話しているようで、別の何かに語りかけているようだった。

 

 

「そう、か」

 

 

 シンボリルドルフは反射的に言葉を返した。思考して出た言葉ではなく、相手の言葉に反応して相槌をうったような形だ。

 

 かち、かちと秒針が鳴る。

 

 シンボリルドルフはなんだか時間がゆっくりなように感じた。

 室内が穏やかなベールに包まれたように、揺蕩う感覚だ。はたして、これは時間が歪んでいるのか、それとも目の前の少女のもつ独特な雰囲気のせいか。思考が逸れる。どうでもいい方向に、ふわりと。

 

『まもなく閉門作業が完了します。間も無く閉門作業が終了します』

 

 聖蹄祭という非日常から、日常に回帰しようとする前の狭間に生まれた最後の非日常の延長。

 

 薄桃色の瞳をした小柄な子は、ふふ、と笑った。

 

 

「そんな顔しないで。とっても、楽しかったでしょ?」

 

 楽しかった。

 思い出されるのは、数時間前に競い合ったレース。

 最後の直線でぶつかり合った彼女にそう言われてしまい、シンボリルドルフは“降参だ”と思った。

 

「だから、お別れをしようと思って。こういう事はキチンとやらないと。キチンと終わって、また別の道に歩き出せるから」

 

 ハナノアカリは流暢に喋るが、後半部分は自分に言い聞かせるような響きを伴っていた。当然それを部屋にいた二人は見逃す事はなかった。だけど触れる事はできなかった。綺麗なガラス細工を壊してしまわないように、注意深く接するようだ。

 

「だから、さよならだ。シンボリルドルフ、ゼンノロブロイ。“皇帝”と“大器の英雄”」

 

 彼女の表情を見ていると、かなしかった。あらゆる感情の嵐を超えて、落ち着き払った晴れやかな顔立ちだ。だから、かなしかった。もう、どうしようもないところまで“結論”が来ているのだ。

 

 黙って消えても良かったのに、わざわざ面と向かって挨拶に来たのは彼女の律儀さによるものだ。

 

「……」

 

 ゼンノロブロイはキュッと服の端を掴んで、力を込めた。

 皺が寄って、手のひらに血が集まって行った。

 

「ゼンノロブロイ? 先ほどから黙っているが──」

 

 シンボリルドルフはその様子に気がつき、一体どうしたのだ、と先ほどから、一言も発さない少女に話を振る。

 

 

 

 ──ません。

 

 

「ん?」

 

 ハナノアカリの鋭敏なミミでも捉えきれないくらいの小さな声。

 ゼンノロブロイは俯きがちにぼそりと呟いた。

 

「させません」

 

 キッと顔を上げた、少女の表情は、眼鏡のレンズ越しにでも分かるくらい熱を持っていた。ハナノアカリはゾゾと背中に静電気が走ったような感覚を覚える。

 

「あなたを、悲劇の英雄なんかにさせません」

 

「何を──」

 

 唐突とも思える豹変に、シンボリルドルフは宥めようとする。ここが二人のウマ娘の違いだった。シンボリルドルフはハナノアカリの末路を知らない。調べれば分かる事だが、いちどハナノアカリに止められたのだ。彼女は約束を守るウマ娘だった。

 

 だが、ゼンノロブロイは知っていた。

 この物語のはじまりは、彼女が“とあるウマ娘”の日記を拾ったところから始まったのだから。

 

 

「私は、あなたがどんなウマ娘なのか、正確に把握しています」

 

 

 

 ゼンノロブロイは分からなかった。この行動が正しいのか。だが、迫るタイムリミットに、感情が理論より先に身体を突き動かしていた。頭は真っ白に近く、心からの感情を叫ぶだけだった。

 

「だから、行かせません!」

 

 勢いよく取り出したのは、薄い青の装丁。先ほどゼンノロブロイが机に隠すように置いたもの。中央に白枠があり、丁寧な文字が書かれた()()は、ハナノアカリの物語のはじまり。ゼンノロブロイが、過去に生きた一人のウマ娘を知るきっかけになった本だった。

 

「ん? ……──それはっ!?」

 

 はじめは訝しげに、腰を曲げてまじまじと観察するハナノアカリだが、ゼンノロブロイが持つものが何なのかを理解した瞬間に真っ赤になって叫んだ。

 

「わぁあああ!? な、なんでっ!?」

 

 

「ほんとうに、これを見つけたのは事故のようなものなんです」

 

 

 取り乱すハナノアカリとは対照的に、ゼンノロブロイは落ち着きを取り戻し、発表者のように説明を始めた。

 

「ですが、()()()に三女神さまの導きがあったというなら、()にもあっていいはずです」

 

 既に先ほど強い言葉を発した眼鏡の少女は居なかった。口調は冷静さを取り戻し、双眸には知性の青い光が戻っていた。

 

 

 ゼンノロブロイは手に持っていた本を優しく置いた。

 ぱさ、と乾いた音を本は奏でた。月日を経ても、またおんなじウマ娘のまえに戻って来た本だ。

 

「あなたが私を“大器の英雄”と呼んでくれるなら、そうであれば尚更、私はあなたを止めます。()()なら、目の前にいる、子を止めます。優しすぎるせいで、自分の身を顧みない子を」

 

 

 

 大器の英雄は、惚けた表情のハナノアカリに向き合う。

 

 

 

「あなたです、ハナノアカリさん」

 

 

「──!」

 

 真っ直ぐな目線を向けられた桜色の少女は、しばらく何もいうことが出来なかった。やがて、操り糸が引かれるように、よろよろとゼンノロブロイの方に一歩、二歩と近づき、もう少しで触れるという位置までくると、勢いよく胸に飛び込んだ。

 

「わわっ!? ど、どうされましたか!?」

 

 いきなりの事態に、さっきまで作っていた雰囲気を霧散させたゼンノロブロイ。抱きついてきたハナノアカリの表情は、ちょうど自身の胸部に隠れて伺う事はできない。というか、ハナノアカリはピッタリとゼンノロブロイの身体に顔を押し付けていた。

 

「え、と……!」

 

 やがて、ゼンノロブロイの背中に手を回していた小柄な少女が小刻みに震え出す。ハナノアカリの息が当たる部分の服が暖かくなって、水っぽい音が聞こえ始めた。

 

 そうして、やっとのことで絞り出されたハナノアカリの言葉はひと言。

 

 ありがとう、だった。

 

 

「──。──。……いいんです。よく、頑張りましたね、たったひとりで」

 

 

 それ以降何も言わず、ただ黙って包容を続ける少女の頭をゼンノロブロイはゆっくりと撫で続けた。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 すっかり夜になってしまった生徒会室には、相変わらずシンボリルドルフとゼンノロブロイ。そして目元を赤くして、すこしバツが悪そうに視線を外し続けるハナノアカリがいた。

 

「それじゃあ、作戦会議をしましょうか」

 

 ゼンノロブロイが改めて切り出す。

 ハナノアカリが戻らなくていいように、彼女を助けるために。

 そのための作戦会議を。

 

「まずはじめに考える事は──」

 

 プランを練るために、思考を回しながら同時に言葉にする。

 だが、ゼンノロブロイはそこで部屋の空気が何かおかしなことに気がついた。

 

「──?」

 

 見渡してみると、伏し目がちに表情を作るシンボリルドルフと、晴れやかな顔で微笑むハナノアカリ。二人の様子に不吉なものを感じ取ってゼンノロブロイは言葉を探した。

 

「えっと、あの、やるんですよね? 今から、作戦会議を」

 

「ロブロイさん、もう、大丈夫」

 

「大丈夫って、何が……」

 

 空気が乾燥している気がする。

 口内が乾いて、喉が張り付くようだった。そんな中でも、桜色をした少女は普通にして、優しく目を細めていた。

 

「分かってるよね、どうにもならないってこと」

 

「…………いいえ」

 

「ありゃ、頑固な子だな」

 

「まだ、何か手はある筈です」

 

 

 運動をしてもいないはずなのに、心音が早い。

 胸が重たい。認めてしまえば、楽になることは分かる。だけどゼンノロブロイは否定した。

 

「ルドルフさんも、何か」

 

 打開策を求めて、さながら藁にもすがる漂流者のように生徒会長の方へと視線を投げかける。だが、シンボリルドルフもまた、苦いものを噛み潰したように押し黙っていた。

 

「……なにか」

 

「ゼンノロブロイ」

 

 皇帝は深くソファに身を預けて、天井を見た。

 身体はすこし丸められ、ふぅ、と息を吐いた顔には複雑な表情が浮かんでいた。

 

「──どうして彼女は窓に映らない」

 

 話の流れを無視したような問いかけ。なぜ窓に映らない。

 

 知らない。考えたくない。

 

「どうして、彼女は自身の過去について──未来について、一言も我々に助言を求めない?」

 

 微かに震える声だ。

 つっかえそうになる声を、喉から引っ張り出そうと努力している時の声だ。ゼンノロブロイは首を振った。

 

「それはっ……!」

 

「では、どうして。先ほど表彰式で渡したトロフィーが今、私の手元にある?」

 

 シンボリルドルフは俯いたまま、自身の右手を肘から持ち上げように見せた。その手には銀色に染められた手のひらより少し大きいトロフィーが握られていた。

 

 確かに、ハナノアカリが受け取った()()のものだ。

 わざわざシンボリルドルフに返した訳ではない。パッとハナノアカリの方を見れば、少女は少し寂しそうに笑うだけだ。

 

「──私は。私は、先ほどから、彼女の姿がほとんど見えない。瞬きをするごとに薄くなっている。今はもう、かろうじて気配が分かるだけだ」

 

 ゼンノロブロイは絶句した。異常事態。

 物語を嗜む彼女だ。いくつも原因が想像がつく。

 

 その中でも、いままでの現象をひと言で説明できるとするならば──

 

 

「ワタシは、ここのウマ娘じゃないから」

 

 

 ハナノアカリは“ここ”には居ない。

 元より、この時代のウマ娘ではないから。

 

 

 

 いま、この場でハナノアカリと繋がりがあり、切れかけた糸を繋いでいるのはゼンノロブロイの持つ日記だけだ。

 

 

 

「どうにかなるものじゃない。だから、心配しないで。それにこの時間はもともと“温情”だったんだから。ワタシにくれた素敵なじかんだったんだから」

 

 

「やめて下さい」

 

 

「だから、行くね。ご機嫌よう。大変お世話になりました。皆様も、その行先に幸多からんことを願います」

 

 

「アカリさんっ!」

 

 

 

「だまらっしゃい!」

 

 キン、と耳が鳴るようなひと声。

 思わず姿勢を正してしまうほど、その声は透き通り、鋭かった。

 

「あ、と。大きな声を出してゴメンね。でも、ありがとう」

 

 ハナノアカリはすぐに表情を崩すと、軽くのけぞったゼンノロブロイを見て、微笑んだ。

 

「これはワタシが決めた道なの。自分の後に続く道があるって知ってるから、そんなに怖くないんだ。これって、凄いことなんだよ。後進が、こんなにも素晴らしい走りと精神性を持っている」

 

 

 桜の微かな青い香りがして、ハナノアカリの姿がぼやけていく。

 いつの間にか硬く握りしめていたゼンノロブロイの拳は、その上からそっと小さな手で包まれた。暖かい。顔を上げると、仕方がないな、と優しい表情をしたハナノアカリがいた。

 

 

「だから、行かせてね。あなたと、あなたの大事に思う同期たち、後輩たち、先輩たちを守ってみせる」

 

 ゼンノロブロイの脳裏に浮かんだのは、漆黒の髪をもつ同部屋のウマ娘。

 彼女の脳裏にいくつもの言葉が浮かぶ。バタフライエフェクト、時間的矛盾、タイムパラドクス。

 

「…………はい」

 

「いい子だ」

 

 ゼンノロブロイが何度も躊躇して、それでもなんとか自分の言葉を呟くと、ハナノアカリは短くも強い肯定を返した。

 そして視線を感じてシンボリルドルフの方を見やる。皇帝の強く、透き通った瞳とぶつかった。

 

「──ハナノアカリ」

 

 なに? と軽く首を傾げてみれば、シンボリルドルフは二拍ほど言葉を飲み、改まったように言った。

 

「一言だけ、言ってくれないか」

 

 彼女の声は、芯があって重さがある。

 それでいて、手触りの良い滑らかさがある。ハナノアカリはこの声を聞くのが好きだった。だけど、いまのシンボリルドルフの声は、不安に揺れる子供のようだった。ハナノアカリが首をしゃくって、言葉の続きを促せば、皇帝は目を伏せがちに言った。

 

「私たちは、また、会えると」

 

 シンボリルドルフはそこで視線を上げ、ハナノアカリを捉えた。揺れる瞳。ハナノアカリは真正面から受け止める。

 

「もちろん。約束?」

 

「ああ、約束だ」

 

「…………」

 

「あっはは! それじゃあ、せっかくだから、()()にでも、会いに行こっかな」

 

 やり取りがなんだか小さな子供の頃にした、指切りのように思えて。そこまで思考がいくと、凛としたシンボリルドルフと約束をしようとしている事がたまらなく愛おしく、可笑しかった。

 

 

「あなたたちにとっては、明日に。ワタシにとっては八十年と1日後に」

 

 最後にハナノアカリは俯くゼンノロブロイの肩をポンポンと叩く。

 ゼンノロブロイは歪みそうになる顔を何とかおしとどめて、頷いた。

 

 

「では、さよな……じゃないか。

 

 

 

 

 ────またね」

 

 

 そう言って、手を振ると、彼女は消えた。帰って行った。

 別れはあっさりしていて、ハナノアカリらしかった。

 

 瞬きをした瞬間に、影も形もなく、もとからそこに居なかったかのように。部屋は元の様子を取り戻した。

 あまりに現実離れした体験だったものだから、シンボリルドルフとゼンノロブロイは何か言うでもなく、お互いに示し合わせたように顔を見合わせた。

 

 生徒会室には、二人だけがのこり、また日常に帰っていった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

 すっかり藍色の空となったトレセン学園。

 電気のついたグラウンドでは、一人のウマ娘がジャージ姿で汗を流していた。

 

「もう一本……!」

 

 彼女は今日のエキシビション・レースで走ったウマ娘。

 最初は怪獣大決戦のようなレースにふてたりもしたが、それはそれ。レース中に情けなくも諦めようとして、目が覚めた。

 私だって、走りたい、勝ちたい、と。

 

 ──がシャン。

 

 鮮烈なまでに目に焼きつくのは、あの末脚。

 軒並みいる強豪を貫いてゴールまで届いたあの走り。

 

 負けて終わったあとも、身体は熱く、興奮や焦燥感、そして決意を漲らせて練習に励んでいた。

 

「あと少しなんだけど……なにか、ちがう」

 

 グラウンドには彼女ひとり。

 クラスの打ち上げもあったが、断った。みんな怒るか呆れられるかと思ったが、『いいレースだったんだね』と言って送り出してくれた。ありがたい。

 

「脚の体重の掛け方か? それとも体の軸か…………いっそ、本人に聞いてみるか?」

 

 再現しようとしているのは、桜を散らして駆け抜けたスパートのやり方。

 小柄な身体から繰り出された鉄のような無骨な走り。

 

 あれをモノに出来れば、きっと。

 きっと、重賞にも手が届く。

 

「あー、ちがう、ちがう!」

 

 だが、奥義とも呼べる()()を簡単にできるわけもなく。

 空に浮かんだ月を見上げて、頭をくしゃくしゃとかいた。秋の半ばなのに汗はとめどなく溢れて、蒸していた。

 

(風でも、吹かないかな)

 

 そう思って少しはしたないが、服の裾で額を拭ったとき。ひゅるりと一陣の風が頬を撫でて行った。

 

 

──脚を無遠慮に使っちゃ、ダメだよ。膝を使って。

 

 

「えっ!?」

 

 風の音に混じって聞こえた声、のようなもの。

 慌ててミミを押さえるが、あるのは空にちかちかと光る星々のみ。

 

 サートラームはしばらく立ち尽くしたあと、芝の匂いを嗅いで、手首につけた手作りのお守りを見つめ、取れないようにしまってから走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、こうかも……?」

 

 

 

 

 

 

 月と星が見守るグラウンドでは、何処からか嬉しそうな声が聞こえた。

 

 

──そうそう、うまい上手い! 

 

 

 

 

Ep.21 またね 終

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とあるウマ娘が昨日の自主練を終えて、次の日、ちょっと早めに登校すると中庭の辺りでざわざわと騒がしかった。

 

「あれって本物ー?」「写真、なんか写り悪くね?」「さいきん話題の異常気象ってやつ?」

 

 

 

 何だ何だとウマ娘たちをすり抜けて、見てみれば、あまりの光景に口があんぐりと開き、言葉を失った。

 

 トレセン学園の中庭。そこには何本もの木が生えているが、今は秋。季節上、ほとんどの木が裸の幹を晒しているのみだった。そんな茶色一色の中庭。

 

 だか今日に限っては違う。1本だけ。ちいさな木だけがそれに逆らうように、鮮やかな色を冬の色素の薄い空に広げていた。

 

「うわぁ……」

 

 つまり──

 

 

「桜だねぇ」

 

 

 季節外れの桜が咲いていた。

 

 

「何だ、一体何の騒ぎだ」

 

 凛と通る声に、ウマ娘たちのバ群の一角が神話のように割れていく。中から歩いてきたのは、トレセン学園の誇る“皇帝”。シンボリルドルフその人と、生徒会副会長のエアグルーヴだった。

 

 朝からこんな騒ぎになっていたのだ。様子を見にきたのだろう。もしくは速やかにバ群を解散させる為に来たか。

 

 バ群を抜け切ったシンボリルドルフは騒ぎの原因を見つけようと首を巡らせ──すぐに気がついたようだ。そりゃそうだ。目立つもの。

 ぴたり、という言葉が似合うほど、皇帝は桜の前で時が止まったように固まってしまった。

 

「これは、本物か? 誰かの悪戯ではなく?」

 

 シンボリルドルフが問うと、近くにいたウマ娘はとんでもない、とぶんぶんと首を振った。怒られると思ったのかもしれない。トレセン学園の生徒会長の覇気は伊達では無いのだ。

 

「本物ですよ! ほらっ、花びらも!」

 

 聞かれたウマ娘は、なんとか弁明するように、まだ聞かれていないことまで饒舌に話し始める。そして、手のひらに握りしめた淡い色の花びらをシンボリルドルフに見せた。皇帝はかるく腰を曲げてまじまじとそれを見た。

「ふむ」

 と、ひとこと言って、また桜の木に向き直った。

 

「ほんとに昨日までなかったんですよ。こんな時期に急にって……。なんだか少し怖くないですか?」

 

 何か思案するようなシンボリルドルフの横顔に、先ほどのウマ娘がなにか少しでも情報を付け足そうと、早口になりながら、両手で体を抱えて言った。

 ちょっと、気味が悪いように思います と。

 

「まあ、あんまりそう言ってやるな」

 

 当然、同意が返ってくると思ったのだが、実際は違った。

 シンボリルドルフは愉快そうに、言葉尻を柔らかくして嗜めるように言った。普段生徒会長として、模範のように振る舞う彼女にしては珍しい態度に否応なく興味がひきたれられる。

 

「えっ、なんでですか?」

 

 なぜシンボリルドルフがそんな反応をするのか。思わずといった調子で聞き返すと、シンボリルドルフはとうとう、声を上げて「ははは」と笑い始めた。まわりのウマ娘の注目が集まり、だが“皇帝”は気にしたそぶりも見せず、ただ桜の木を見て、遠い目をして、優しく微笑みを浮かべ。

 

「−−−−」

 

 なにか、ぽそりと呟いた。

 

「? いま何か言いました?」

 

「いいや、何も。──さあ、そろそろ授業の時間だ。教室に戻ろう」

 

 ぱんぱん、と手を叩きながらシンボリルドルフが周りに言い聞かせるように声を大きくし、意を汲んだエアグルーヴが生徒たちを教室へと促す。

 

 先ほどシンボリルドルフに尋ねられたウマ娘は、自分のクラスルームへの道を走りながら、ふと考えた。

 

(さっき、なんて言ったんだろう)

 

 

 

 

 

 

 

 

5.『おかえり』 終

 

 

 

 

 

 

 







これで現代編は終わりです。
そうしたら次の章になります。ここまでお付き合いいただいて、ほんとうにありがとうございます。
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