九天玄女から貰った(押し付けられた)巻物は、啓発本みたいな内容だった。もっと熱くなれよ、とか、心を燃やせ、とか、やればできる、とか。
そういうのはいいから、もっと具体的なものが欲しかった。火薬の配合率とか、ライフルの作り方とか。
とりあえず書庫にしまっておこう。あそこなら誰でも読めるし、もしかしたら誰かの役に立つこともあるかもしれない。
それはそれとして、梁山泊に
ふたりを捕縛する作戦を呉用と一緒に考え、俺自ら実行しようとしたのだが、止められた。
仕方なく部下に任せることにしたが、よくやってくれたようだ。
晁蓋たちが凌振と呼延灼を捕らえて帰還した。しかし、ふたりとも捕縛してくるとは思わなかった。難しければ無理をせず、凌振の捕縛だけで良いと言ったのだが。
策戦をざっくり説明するとこんな感じだ。まず林冲の騎馬隊が前方から襲い掛かり、注意を引く。敵を引き付けた頃合いに、扈三娘の騎馬隊が突入して後方をかく乱する。
そして、敵が混乱している中で晁蓋と呂方が乱入して、呼延灼と凌振を捕縛するというものだ。
武力に乏しい凌振はともかく、将軍である呼延灼が問題だった。
迷彩服を着込んで、かつ全力で気配を消した晁蓋を発見するのはかなり難しい。呼延灼の実力が未知数なのが不安だったが、上手くいったようだ。
まずは凌振と会う。呂方によって引っ立てられてきた凌振は、借りてきたチワワのように震えていた。
「わたしを捕まえてどうしようっていうんですか!? 賊徒に答えることはありません! 拷問になど屈しませんよ!」
そんな震える声で言われても説得力はないが……まあいい。
「拷問をしてまで欲しい情報を、おまえが持っているとは思えんがね」
「なんですとっ!? わたしが砲撃隊隊長と知って攫ったのではないのですか!?」
「大砲に、それほどの価値があるのかね?」
「当然です! 大砲は、戦の常識を変える新兵器です! 所詮は賊徒、物の価値がわからないようですね!」
縄で縛られて、敵地のど真ん中にいるというのに、よく言えたものだな。度胸があるのかないのかわからん。
「大砲の価値がわかっていないのは、官軍も同じだろう。予算はたいして出ていないのではないのか?」
「……うぐっ!」
痛いところを突かれたのか、凌振は小さくうめいた。
「弓ほどの精度はなく、投石器ほど取り回しが効かない。機動力に難があり、戦況の変化が激しい野戦では対応が遅れやすく、撤退時には捨てていくしかない。
今の大砲って、本当に鉄の玉を飛ばすだけだからな。爆発したりとかはしないのよ。じゃあ石でいいじゃんってなるのは、まあ当然だよな。貴重な火薬を使ってまでやることじゃない。
「ぐぐぐ……大砲は、まだ発展途上なんです。運用法が確立されれば、戦の様相は一変します。偉い人にはそれがわからないんです!」
「その通りだ」
憤っていた凌振は、いきなり俺が肯定したものだから、鳩が豆鉄砲でも食ったように目を丸くした。
かつて、新法党と旧法党の権力闘争があった。今の官僚は旧法党の集まりで、改革など望んでいないのだ。
補給、整備、管理、運用、既存部隊との連動など、様々なことを考え、変更、修正しなければならない。
そんな面倒なことを、今の官軍がやるとは思えない。
「たしかにおまえの言う通り、大砲の運用法が確立されれば、戦の様相は一変するだろう」
「わ、わかりますか!?」
凌振が前に乗り出そうとしたところを、後ろの呂方に縄を掴まれた。まあ気持ちはわかる。今まで理解者なんていなかっただろうし。
開封に潜ませている者から、凌振が酒を飲みながら愚痴をこぼしているとの報告が上がっているからな。
「呉用」
「ハッ」
俺の合図で、呉用がそばに置いてあった布を取る。その中身を見て、凌振はカッと目を見開いた。走り出そうとしたところで、呂方が肩を押さえた。
「かまわん。縄を解いてやれ」
「はい」
呂方が方天戟で縄を斬った。自由になった凌振は、一目散に大砲の元へと走った。
台座を眺め、砲をさすり、砲の中に頭を突っ込み、ほーほーと呻っている。
フクロウかおのれは。
「はわわ! これは良い仕事してますねぇ!」
――ッ!? こいつ今はわわって!
すげー久しぶりに聞いた気がする。なんだか懐かしい気分だ。
まあ製鉄に関しては、相当苦労したからな。主に前回。その経験が今回に活きた。官軍の使っている鉄なんかとはレベルが違う。
とはいえ、肝心の火薬がないけどな。大砲も、火薬なければ、ただの筒、つってな。
「おまえならわかるだろう、鉄の違いが。つまり、大砲の製造は、官軍よりうちの方が上だ」
「……鉄は、たしかに良いものです。ですが……」
「その先は言わなくていい。この大砲は、未完成だと言いたいのだろう?」
そう、この大砲は未完成どころか、ただの筒だ。見せたかったのは、製鉄技術だ。凌振は酒場で様々な愚痴をこぼしていた。そのひとつが、鉄だ。二回発射すれば亀裂が入る。鉄そのものをなんとかしなければ、大砲は完成しない、と。つまり、この大砲は未完成でいいのだ。未完成というところに意味がある。
「だからこそ凌振、おまえが必要なのだ。高官どもが、大砲に期待していないのはわかっているだろう。それは予算に表れているはずだ。だが、俺は違うぞ。大砲に、可能性を感じている」
凌振がなにかを言いかけて、口を閉じた。
「この国で、大砲というものを本当に理解しているのは、おそらく俺とおまえだけだ」
こいつも安道全と同じだ。国がどうとか、志がどうとか、そういうことは二の次で、まず大砲なのだ。言ってみれば職人タイプで、ある種の求道者とも言える。
「モノ作りには、失敗することにかける金と労力が必要なのだ。だが偉い人には、それがわからんのだよ。すぐに結果を求める」
すごいスピードで、凌振は首を縦に振った。
「凌振。俺と一緒に、大砲を進化させてみないか?」
凌振の瞳が揺れた。
「大丈夫だ、凌振。自分を信じて夢を追い続けていれば、夢はいつか必ず叶う」
俺が右手を差し出すと、凌振は少し迷った後、その手を握った。
さて、次は呼延灼か。あいつは、一筋縄ではいかなさそうだな。気合入れていくか。
◇
縄を打たれた呼延灼が、いま俺の前にいる。
「おまえが賊徒の首魁、王倫か」
「自己紹介の必要はなさそうだな、呼延灼将軍」
「私を捕らえて、どうするつもりだ? 慰み者にでもするつもりか?」
と、呼延灼は鼻で嗤った。
「戦場では無類の指揮ぶりができるあなたでも、単独で突っ込んできた兵に攫われるとは、予想もしていなかった、か?」
挑発したつもりではなかったが、呼延灼はギリッと奥歯を噛みしめたようだ。
「俺はただ、話してみたかっただけだ。あなたと」
「賊徒が、私となにを語らうというのだ?」
「この国の行く末について」
「賊徒が、国を語るか。世迷い言にしか聞こえんな。一体なにを語ろうというのだ?」
後ろに立っていた林冲の眉がピクリと動いた。しかし、口を挟もうとはしない。気づいたのだろう。呼延灼は俺に関心を示している。自覚しているのか、無自覚かはわからないが。
もしかしたら、わざと捕まったのかもしれない。いや、これはさすがに、都合よく考えすぎだな。
「この国は豊かなのか、貧しいのか、どちらだと思う?」
「おまえは開封府に行ったことがないようだな。物があふれ、夜でも灯りが絶えることのない、賑やかな街だ」
「はぐらかしたような答えだな。ならば俺が答えてやろう。国は富んでいる。だが民は貧しい。それがこの国の現状だ」
後漢末期の民は、食うものも食えないほどの貧しさだった。だから民の不満が爆発した。だが宋代末期は、少し違う。貧しいが、飢えるほどの貧しさではない。だから民は耐えることを選択した。
そういう風に、調整していたのだ。生かさず殺さず、民をコントロールしていた。それにとどめを刺したのが、花石綱だ。これを発端にして起こった方臘の乱が、宋滅亡の遠因となった。
「役人も軍人も腐っている。庶民から税を搾り取ることしか考えていない。だがあなたは、そうではないと俺は思った。あなたは、どう思うのだ? この国のありようを。変えてやろうとは思わないのか? そんな気概は、持ち合わせていないのか? ならば俺は、失望だな」
ゆっくりと、値踏みをするように、呼延灼の瞳を見据える。それに耐えかねたのか、彼女は少しだけ、目を逸らした。
「……蔡京の権力は強大だ。しかし、高齢ゆえにいつかは
「いつかは、やがていつかは。いつ来るかもわからない『いつか』まで、苦しみ、耐えろというのか。理不尽に、不条理に。ふざけるなよ呼延灼。民は、いま泣いているのだ。なぜそれがわからない!」
「それでも、武力による解決は間違っている。間違った方法で得た結果に、意味なんてない!」
「間違っていると言ったな、呼延灼。間違っているのは俺ではない。国の方だ。官僚が守るべき民を苦しめ、民を民として扱わなくなった。だから民は
呼延灼は歯を噛みしめて押し黙った。
「呼延灼、もはやこの国は、そんな段階ではないのだ。蔡京が消えた程度では、この腐敗を正すことなどできん。王安石はもういないのだ。それに並ぶ人物もな」
王安石を語る前に、当時の宋の実情について語ろう。宋は経済発展したが国庫は苦しかった。その理由は、西夏や遼に支払う
そしてそのツケを、一般庶民が払わされていた。取りやすいところから、取っていたのだ。
いつの時代も同じだな。金持ちは脱税に
王安石が行ったのは、ここの改革だった。つまり富裕層や官僚の既得権益を奪おうとしたのだ。だが当然、彼らは反発した。そして起こったのが、新法党と旧法党の政争である。
その結果は、王安石の敗北だった。一時的に新法が採用された時期はあったが、結局は廃止された。
今の朝廷には、四奸やら六賊やら、そんな言葉が生まれるくらい、人材がいない。蔡京も奸臣のひとりではあるが、政治能力は間違いなく高い。だからこそ厄介なのだが。
高俅なんてアレだぞ、その辺のチンピラが、皇帝に気に入られたというだけの理由で将軍になったんだぞ。
だがああいう男にも、使い道はある。欲望に忠実で、保身術に優れ、人の足を引っ張ることにかけては一流の男だ。あの男が禁軍を指揮しているというのは、こちらにとってはありがたい。
「生辰綱を覚えているか? 梁中書から蔡京への賄賂だ」
「ただの誕生祝いだろう」
「本気で言っているのか?」
また、歯ぎしりの音が聞こえた。奥歯がすり減ってなくなるんじゃないのかと心配になってきたな。
「沈黙は、時に言葉よりも雄弁だな、呼延灼。民から搾り取った税を、賄賂とする。しかも、それを軍人が護衛するのだ。これは、間違いではないのか、呼延灼」
「私を
「大いなる矛盾を抱えているな、呼延灼。もう一度考えてくれ。自分が、なんのために戦うのかを」
「私は軍人だ。国のために戦っている」
「民のため、ではないのか?」
「同じ意味だ!」
呼延灼は俺を睨みつけながら、叫ぶように言った。
「この宋という国は、道を失ったのだ」
「道……だと? 孫子の五事を、言っているのか?」
「そうだ。あなたには、釈迦に説法だったかな」
道とは民が君主と意を同じくすること。そうすれば民は君主と生死を共にすることを恐れない、と孫子は説いている。
「軍人の本分に戻り給え。外敵への備えだ。遼が、慌ただしくなっている。呼延灼将軍の縄を解け」
俺の指示で、林冲の槍が煌いた。呼延灼を拘束していた縄が、はらりと解ける。
「おまえは……おまえはなんなのだっ!?」
「梁山泊首領、王倫。民の宿願を受け止めるための器だ。この身に民意を宿し、その願いを届けに、開封へ行く」
「私は……軍人だ。建国の英雄、呼延賛の血を継ぐ者だ。おまえが反逆の徒である限り、私は国を守るために、おまえを殺す」
殺意を秘めた瞳が、俺を射抜いた。
「国を亡ぼすつもりはない。それは、約束しよう。次に会う時は、軍人としての呼延灼将軍ではなく、人間としての呼延灼として、語ろうではないか」
呼延灼は答えない。ただ無言で、俺を見つめている。
「……将軍」
声は俺の左後ろから聞こえてきた。前に出た女性が頭巾を取る。額の右半分には青い痣があった。
「その青痣……
「それは違います。あの時、私は軍人でした。賄賂を運ぶ、ということに忸怩たる思いを抱いていましたが、全力で職務を全うするつもりでした」
「それで奪われたのなら、間抜けというほかないな。あげく賊の一味に成り下がったか」
「賊ではありません。私は、憂国の志士となったのです」
楊志は俺が来た時にはすでにいた。その時は、自分を見つめ直すという理由で、梁山泊にいたようだ。軍人であることに思い悩んでいた様子だった。
「……所詮は、反逆の徒であろうが」
「違います。憂国の志士です」
「言葉遊びだ」
「遊びでやってるのではありません!」
楊志が声を荒げる。これ以上はお互いにヒートアップしすぎて剣を抜くことになりそうだな。いや、呼延灼は丸腰だったな。
そんなことを考えていたら、対岸から大声が聞こえてきた。
「我が名は
ここまで届くとは、相当の大声だな。いや、声質のせいでもあるか。よく通る声だ。
「秦明将軍かっ!?」
「呼延灼将軍、もうしばらく付き合ってもらおう」
「首領、行くのですか?」
「ご指名だからな。船を用意しろ」
呉用が小さくため息をこぼした。呼延灼を船に乗せ、秦明のもとへと向かう。
「呼延灼将軍! 貴様が王倫かっ!?」
「いかにも」
下船して、秦明の正面に立つ。だが秦明は動かない。
「どうした? 一騎打ちをするのだろう」
秦明は一瞬眉根を寄せたが、すぐに狼牙棒を大上段に構えた。狼牙棒とは長柄の武器で、鉄棒の先にサボテンのような多数の棘のある重りが付いた武器のことだ。
「なぜ、剣を抜かない?」
「必要になったら、抜くさ」
激昂はしなかった。秦明はただ静かに、俺を睨みつけている。
秦明が、動いた。
「――ハァッ!!」
裂帛の気合で振り下ろされた狼牙棒が大地を砕く。その反動を利用した二撃目、からさらに横薙ぎの三撃目。すべてかわした。意外と隙が無い。無いなら作る。まずは、体力を奪う。ああいった重量武器は、空振りが一番体力を消耗するのだ。
秦明は攻め続ける。いや、攻め続けさせている、というのが正しいが。もう少しで当たる、相手はかわすので精一杯だ、と思わせる。
一分ほど攻め続けて、秦明は気づいたようだ。
「小手先の技は、通用せんようだな。さすがは、首魁というべきか」
秦明が構えを変えた。腰を落とし、狼牙棒を低く構えた。大技が来る。だがそれは、反撃のチャンスでもある。大技ほど、隙が大きい。
「我が渾身の一撃、とくと味わういい!」
秦明が、踏み込んできた。
狼牙棒が四つに分裂した、ように見えた。眉間、喉、左胸、腹部の四撃同時攻撃。
拳に気を込める。四撃すべてを迎撃する。
秦明の身体が泳いだ。弾かれるとは思わなかったのだろう。双眸は驚愕に見開かれていた。
「こちらも大技で応えようか」
さらに一歩踏み込む。もう秦明は目の前にいた。
「
斜め下からの
「
気を込めた掌底を打ち込む。その衝撃で、秦明は大きく吹き飛んだ。
大きく息を吐いて、秦明に近づく。
「……ぐっ、貴様の、勝ちだ。……殺せ」
「ずいぶんと簡単に諦めるのだな。その強さを手に入れるまで、どれほどの修練を積んだ? たかが一敗でそれが失われるのは、惜しいな」
「たかが? たかがと言ったか? 武人にとって、敗北とは死だ。早くその剣で、私の胸を貫け。貴様には、その権利がある。これ以上、侮辱するな」
力強く、秦明は言った。その目には、涙が浮かんでいた。
「侮辱したつもりはないのだがな。しかし、権利と言ったな。勝者が敗者の命を奪う権利があるというのなら、俺はおまえから死を奪う。今の軍に、命を捧げる価値はないぞ」
「軍人とは、そういうものだ。早く、殺せ」
「殺さない。おまえは負けたのだ。敗者は勝者に従え。それが、おまえの言った理屈だ」
「それは、屁理屈だ」
「屁理屈も理屈だ」
秦明は顔を歪めた。
「秦明は降伏したぞ! これ以上の戦いは無意味だ! 武器を捨てろ! 命は取らん!」
大声で叫ぶ。しかし、ざわめきが広がるだけで、武器を放り出す者はいなかった。
「降伏するとは、言っていない」
「一騎打ちとはそういうものだ。敗者は黙って勝者に従え。それが、おまえの理屈だろう」
秦明は口をへの字に曲げて、黙りこくった。
「武器を捨てろ! そうすれば、呼延灼と秦明を解放する!」
部隊長らしき男が、武器を捨てた。その瞬間、雪崩を打ったように大勢が武器を捨て始めた。
投降した兵から武器を回収して、ふたりを解放する。
大砲も接収して、隊員たちに凌振が残ることを説明すると、半数ほどの隊員が一緒に残ると言った。
解放された呼延灼は、約束通り軍を撤収した。彼女が朝廷にどういう報告をしたのかはわからないが、しばらくは平穏な時間が続いた。