恋姫奇譚:北宋編   作:乾燥海藻類

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閑話(五)

遼に対して快進撃を続ける金国に、徽宗は同盟を組んで遼を挟撃することを思いついた。皇帝である徽宗の提案は、決定であることに等しい。

そして結ばれた軍事同盟は、海の上で結ばれたことから、海上の盟と呼ばれた。

 

(おとなしく芸術だけに傾倒していれば良いものを。しかし、誰が帝に北の情勢を吹き込んだのだ。いや、今さら言っても仕方のないことか……)

 

蔡京は眉間のしわを深くして眉をひそめた。

後世で色々と言われている徽宗だが、決して無能だったわけではない。専横がすぎた蔡京を一度罷免したこともある。

しかし、能力が優れていたというわけではなかった。為政者としては平凡な能力だった。

 

だが徽宗は、芸術家としては天才だった。それが花石綱という悪政を生んだ。政治に対して高い志を持っていたわけではなかったのだ。己の欲に忠実な、極々普通の人間だったとも言える。

ただの芸術家であれば、もっと良い意味で歴史に名を刻んだだろう。皇帝になるべきではない人間が、皇帝になってしまった。それは本人にとっても不幸であったし、国にとっても不幸であったのかもしれない。

 

燕雲十六州の奪還は、宋王朝の悲願だった。徽宗の関心は、起きるかどうかもわからぬ反乱よりも、遼征伐に傾いていた。

金王朝を打ち立てた女真族と結託しての遼征伐は、徽宗にとっては現実的な奪還計画だったのだ。

 

しかし興奮する徽宗に対して、蔡京は冷静だった。蔡京はこの計画が、大きな隙を生むと思っていたのだ。なにせ今の禁軍には、これといった人材がいない。高俅とそりが合わない者、つまり数少ないまっとうな軍人は、開封を去っていたのだ。

 

(平和な期間が長すぎたのだ。まともに戦争ができるのは、童貫くらいしかおらん。ならば遼征伐に向かわされるのは、あやつであろう。あやつ自身も、それを望んでおる)

 

そうなると、万が一の時に禁軍を指揮するのは、高俅である。

文官においても、そうだ。蔡京は自分の地位を脅かしそうな人物を、巧妙に排除してきた。それが長年にわたって権勢を維持してきた、蔡京のやり方だった。

そのやり方が今、あだとなっている。周囲を見渡せば、二流三流の文官しかいなかったのだ。

蔡京は諦念にも似た思いを抱いた。

 

(呼延灼は、梁山泊に反乱の意思なし、などと報告してきたが……馬鹿めが! 賊徒が群れておる時点で、討伐対象であろうが! やはりやつは、どこまで信用できるかわからん。軍人としては優秀だが、あれも今の国のありようには疑念を抱いておるし、禁軍にも批判的な態度を取っておる)

 

ふぅ、と息を吐き、考えを続ける。

 

(気の揉みすぎか? 梁山泊は、賊徒の集まりではあるが、大きな行動を起こしているわけではない。だが梁山泊に送り込んだ間者からは、連絡が途絶えておる。消された、と考えてよい)

 

反乱の気配という意味では、江南の方が目立っていた。しかし、江南の地では核が見えなかった。一時期、方臘(ほうろう)という人間が中心に動いているような報告が上がっていたが、今は陰りを見せている。

江南の役人がきっちりと仕事をしている、と考えるほど蔡京は甘くなかった。

 

(反乱の気配は治まっているのか、それとも水面下で動いているのか)

 

黙考の末、蔡京はため息を落とした。

 

(……後者、であろうな。これは、備えておいた方がよいのかもしれぬ)

 

蔡京の眠れない日々は、まだ続きそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

童貫、開封から出動す。

この報は江南にいる公孫勝のもとにも届けられた。

 

(ついにきたかっ!)

 

公孫勝は内心で快哉をあげた。公孫勝はすぐに方臘のもとへと向かった。

 

(あやつも相当焦れておるからの。暴発する前に道を示してやらねばならん。まったく、とんだはずれくじを引かされたものよ)

 

公孫勝が帯びた密命は、方臘の制御であった。彼女もまた、江南で反乱の兆しがあることは察していたが、いつ、どこで、誰が反乱を起こすのかまでは見抜けなかった。

開封府を挟撃するという策には、方臘も魅力を感じていた。しかし、信徒が増えるにつれ、梁山泊の勢力など必要ないのではないか、とも思い始めていた。公孫勝は、そんな空気を敏感に感じ取っていた。

 

(まさしく神算鬼謀と言うほかないの。まさか、女真族まで動かしてみせるとは……)

 

宋国と、女真族が興した金国との同盟。両国が共闘して遼へと攻め込むのだ。この同盟軍の総司令官が童貫だった。彼の麾下四万だけではなく、地方からも兵が招集され、総兵力は二十万を超える軍勢と予想されていた。

 

(呼延灼、秦明、関勝、ほかにも地方軍で名の通った英傑が、こぞって参加しておると聞く。勝機が見えたぞ。開封さえ落とせば、わしらの勝利じゃ!)

 

これまでの苦労が報われた気がした。公孫勝は、方臘との折衝に相当骨を折ってきたのだ。当初、方臘は『呉』という国を興し、自らが天子を名乗るつもりだった。

公孫勝はこれを必死で押しとどめた。宋という国内で別の国を興せば、宋も引けなくなる。どちらかが亡びるまで戦いは続くだろう。国とは、そういうものなのだ。

 

そういったことを公孫勝は方臘に説いた。なんのために戦うのか。民のためではないのか。自らの欲のために戦うのは道理に反している。

公孫勝はしっかりと道筋を立てて説明した。方臘も梁山泊の助力が得られることを望んでいたので、これを受け入れた。

 

(人選を間違っとりゃせんかのう。こんな、縦横家や遊説家の真似事のようなことを、なぜわしはやっとるのじゃろうな。樊瑞(はんずい)は護衛以上の役には立たんし、劉唐でもいれば……いや、あやつも大概口下手じゃったわ。呉用殿は梁山泊を離れるわけにもいかんし……そう考えると、豪傑はおっても頭を使えるやつが少ないのう)

 

劉唐とは、梁山泊に落ち着く前に旅先で出会った女傑だった。彼女は浪人(ろうにん)で、武者修行のようなことをやっていた。不思議と馬が合い、しばらく同道することになった。今では、気の置けない友人のひとりである。

梁山泊にいる者の大半はならず者や逃れ者で、学のある者は少なかった。公孫勝とて、道教宮観で一通りのことを学んだが、今回のような外交や交渉のようなことは、まったくの門外漢であった。

 

そんな、愚痴に近いことを考えながら歩いていると、気づけば方臘の屋敷に到着していた。

門番に訪問を告げると、いつもの間へと案内された。そこには五人の男たちがいた。方臘と、彼が信を置く一族の者たちだった。話し合いは、常にこの六人で行われた。

 

「公孫勝殿、俺たちはいつまで潜っていれば……」

「事態が動きましたぞ、方臘殿」

 

方臘の言葉を遮って、公孫勝は告げた。

 

「開封から、童貫の軍が出動しました。地方軍と合流して、遼征伐へ赴くようです」

 

方臘の息を呑む音が聞こえた。周りの四人も、顔を見合わせている。その内のひとり、方天定が問う。

 

「動く時が来た、ということですか? 公孫勝殿」

「早まりますな。まだ機をうかがう段階です。こちらの行動が早すぎれば、童貫は引き返してくるでしょう。動くのは、遼との戦の戦端が開かれてからです」

「しかし、公孫勝殿。いくら戦闘中でも、祖国の危機となれば、童貫は引き返してくるのではないか?」

 

続けて言ったのは、方傑(ほうけつ)だった。その言葉に、公孫勝はふるふると首を横に振った。

 

「此度の戦は、金国との共同戦線です。簡単には引けますまい。しかし、戦線が落ち着けば軍の大半を戻してくる可能性はあります。だからこそ、機と速さが重要なのです。蜂起から開封の制圧まで、一気呵成に進めることが肝要になります。段取りが、なによりも重要ですぞ」

 

公孫勝の真剣な眼差しに、方臘は再び息を呑んだ。

 

「梁山泊は、本当に動くのであろうな」

 

方臘は問う。愚かではないが、特別優れているというわけではない。将の器はあるが、帥の器ではない。それが公孫勝の、方臘の評価だった。

 

「無論です。まずは、我らが動きましょう。そうなれば、禁軍は我らの対処に動くでしょう。それに連動して、方臘殿が動かれるのがよろしいでしょう」

「まて、それでは、我らが貴殿らの下についているようではないか」

 

そう言ったのは、方貌(ほうぼう)だった。方臘も同意の態度を見せていた。

 

「王倫殿は、開封を押さえた後、どうするつもりなのだ? 自らが皇帝となるつもりなのか?」

 

方臘が鋭い目つきで公孫勝を睨みつけた。公孫勝は、内心で小さなため息を落とした。

最初は彼も、民を救いたいという思いで立ち上がったはずだった。国を建てると言ったのは、その方が人を集めるのに都合が良かったからだ。

しかし、周りからなにかを吹き込まれているのか、このところ王になりたいという思いが強くなったように思えた。公孫勝は、必死にそれをなだめていた。

 

(やはり、小さい。いや、首領と比べてしまうから、なのかもしれぬが)

 

度人(どじん)という教義も、公孫勝は好きになれなかった。度人とは、人を助けるという意味である。それ自体は、良い。しかし本質は違った。度人の本当の意味とは、生きることは苦しみだから、殺してやることが人助けになる、というものだ。

人の生を拒絶するような、この狂った教えが、なぜか人々の心を魅了していた。

 

人が宗教にすがるのは、不安が増大しているからだ。この国の(まつりごと)に、希望が持てないのだ。その絶望の底は深く、殺すことが、死ぬことが、幸福であると感じさせるほどの、絶望なのだ。

それがわかるからこそ、公孫勝は、ただただ哀しかった。

 

「それは、ありえません。今の帝には退位してもらうことになりますが、次の帝は係累の方から選ぶことになるでしょう。官僚は一掃することになるでしょうが、それらのことは、勝利した後に考えましょう。まずは、勝たねば」

「う、うむ。それもそうだな」

 

王倫が皇帝になるつもりなどないことは、わざわざ言葉にしなくとも、公孫勝はわかっていた。彼が皇帝になれば、必ず反勢力が生まれる。方臘もそれを不服に思うだろう。軋轢が生まれるのは必然だ。そうなればまた、国が乱れることになる。

禅譲という手もあったが、結局は同じことになる、と公孫勝は思っていた。

 

方臘にとっては、長い時だっただろう。公孫勝にとっても、そうだった。

ようやく、動く時がきたのだ。

方臘は数秒瞑目した後、静かに目を見開いた。

その目は、教祖の目となっていた。その目の輝きは、なにかに憑かれたようなもので、その目を見るたびに、公孫勝は背筋におぞましいなにかが這っているような感覚に襲われた。そしてそれは、得も言われぬ快感をも含んでいたのだ。

 

(あの目を、長く見続けてはいかぬ)

 

公孫勝の額に、冷たい汗が流れた。教祖になった時、方臘は方臘でなくなっている。これは一種の自己暗示のようなものだが、公孫勝の目には、別人になったか、なにかに憑かれているとしか見えなかった。

 

「信徒たちに伝えよ。度人を成すべき時が来た、と」

 

度人と聞いて、公孫勝はハッとなった。ここでは公孫勝も、信徒のひとりなのだ。そうした方が、色々と都合が良いのである。

だが宗教の熱気というものは相当のもので、なにか抗いがたい力が働いているのではないかと錯覚することがあった。

 

宗教を嫌っている樊瑞などは、ふりをすることすら拒んだ。オレの神はひとりだけだ、と言って、信徒たちの反感を買っている。方臘の客人という立場がなければ、暗殺されていてもおかしくはなかった。

そんな彼女を、公孫勝は羨ましいとも思った。公孫勝も認められなかったのだ。部下に、信徒に、死を強いる指導者など、認めたくなかったのだ。

 

最近になって、方臘と梁山泊の決戦は、避けられないのではないかと思い始めた。方臘の教えは、王倫の考えと違い過ぎるのだ。

安易な死を選ぶのではなく、絶望の中でも希望を信じて生き抜け、というのが王倫の考えである。その根底には、人の生きる力(ひかり)を信じた、彼の願いのようなものが込められている、と公孫勝は思っていた。

 

方臘も王倫も、人の本来持つ力を引き出すという意味では、似ている。人の持つ闇の力と、光の力。それは対極の力で、交わることはないのではないのか。

心の中心にあるものが違うだけで、こうも違って見えるのか。宗教とは、信仰とは、なんなのか。公孫勝は、知れば知るほどにわからなくなった。

 

ともあれ、方臘は動き出した。ゆっくりと、官軍に気取られぬように、静かに。それでいて、方臘の『声』は、信徒から信徒へ、風のように速く伝わっていった。

しばらくして、童貫率いる北伐軍が遼に対して挟撃作戦を開始した。

そして時を同じくして、梁山泊から王倫率いる本隊が、開封に向けて進発した。

その報告を受けた方臘もまた、各地に潜ませていた同志たちとともに動き出した。

最後の戦いの幕が、ついに上がったのだ。

 

 

 

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