俺たちが皇帝に要求したのは、以下のふたつだ。
ひとつ、徽宗皇帝の退位。
ふたつ、軍事権の譲渡。
徽宗の命は保証するし、次の皇帝も徽宗の長子である
危機感が足りない、とか言ってはいけない。今はそれが当たり前の政治形態なんだから。
粛清は、次の皇帝にやってもらえばいい。
三日以内に返答がない場合、武力でもって王朝を奪い取るといった。つまり、皇族や官僚は皆殺しというわけだ。
期限は三日だが、おそらく期限いっぱいまで使うだろう。
「受け入れますかね」
「さて、どうかな」
呉用は落ち着かないようだ。
開封は強固な外城と深い城濠があり、力攻めは難しい。だから、心を折る方策を進めている。今も気球を浮かべて、開封を見下ろすような形をとっている。これで敵情は丸見えだ。その光景は、皇帝からも見えているだろう。敵は、空を飛ぶ未知の兵器を有していると思っているはずだ。
人間は、自分の知識の範囲内でしかアイデアを出せない。これは本人の知的レベルにも大きく影響される。住民たちは、なにか変なものが浮かんでるな、くらいにしか思っていないだろう。
だが廷臣や将官は、火器の存在を知っている。凌振が捕縛されたのも知っているから、火薬の製造法が流れたとも思っている。空から爆撃されるかもしれないというのは予想できる。城壁というものは、空からの攻撃は想定されていないのだ。つまり、一方的に攻撃を受けるはめになる。
この短時間で打開策を思いつくか。まあ無理だろう。
戦争の決着とは、
孫子も言っている。戦わずに勝つことこそ最善だと。
だが、決戦を選んだらどうしようか。まずは大砲を打ち込んで、気球で空から宮城を爆撃する。そうすれば、戦だという実感が、皇帝にも湧いてくるだろう。それで皇帝の心も折れるかもしれない。本格的な戦闘は、それからでいい。
そして運命の日、三日目。
昼頃に、門が開いた。
出てきたのは、男がひとり。馬には乗っていない。
異様な気配を感じる。黒い瘴気のようなものが見えるのは、気のせいではあるまい。
「戦闘準備!」
叫んでいた。背筋がぞわりとする。
気配が膨れ上がった。男が大きくなる。近づいているからではない。物理的に巨大化しているのだ。
いかん。兵が動揺している。逃げ出さないのは、訓練の賜物か、志の高さゆえか。
しかし、いつまでも踏ん張れる保証はない。活を入れる必要があるな。
「うろたえるな! 想定外など想定内! 敵が妖魔であろうと魔物であろうと、立ちふさがるものは全て打ち払う!」
喚声が上がった。さて、士気を取り戻したのはいいが、どうするべきか。
『首領! 出撃の許可を!』
考えていると、史進と林冲がステレオで出陣の許可を求めてきた。
「左右に展開して、挟撃しろ!」
『ハッ!!』
ふたりが別々の方向に走り出す。
「凌振にも準備を急ぐように伝えろ! 花栄、準備はどうか?」
「いつでも撃てます!」
「射程に入ったら一斉射撃だ。号令は任せる」
「ハッ!!」
黒い巨人だ。たぶん二十メートルくらいある。たしかに水滸伝は妖術とか仙術が登場するが、今までそれらしいのなかったじゃないか。精々が幻術とか風を呼ぶってくらいだろ。
これも幻術かと思ったが、この圧倒的な存在感が
幸い速度はそれほどじゃない。だが一歩ごとに大地が震えている。重量級のパワータイプか。
「撃てぇっ!!」
射程距離に入ったのだろう。花栄の号令一下、無数の矢が放たれた。それは巨人に突き刺さり、沼に沈むように消えていった。
「もう一度だ! 射撃用意! 撃てぇっ!!」
二度目の射撃も同じだった。矢は巨人に吸い込まれていく。続けて史進と林冲の騎馬隊が左右から突撃した。
槍で脚を斬りつけるが、やはり効いている様子はなかった。うめき声すらあげない。そもそも、発声器官があるかどうかも疑問だ。
見た目はのっぺらぼうなのだ。目も、耳も、鼻も、口もない。人の形をした黒いナニカにしか見えない。
ピィーと笛の音が響いた。凌振の準備が整ったようだ。騎馬隊が散開していく。
轟音とともに大砲が発射された。しかし鉄の玉は、弓矢と同じように巨人の中へと吸収された。どんな原理だ、アレは!?
「首領!」
公孫勝だった。戴宗に背負われている。馬より速いからな、あいつ。
「あれは陰の気じゃ。囚われておる。いや、暴走しておる。陽の気でしか痛撃を与えることはできませんぞ!」
気質か。すっかり忘れてたわ。完全に死に設定だと思ってたわ。たしかに陰の気は使い手が少なく、未知の部分が多いとは聞いていたが、さすがにこんなのは想定してなかったぞ。
「首領!」
今度は呉用か。後ろから三人の兵がどでかい剣を運んできている。おまえ、持ってきていたのか!?
大広間に飾ってあったはずなのに。
しかしまあ、この場では役に立つか。
「ほかに陽の気を持つやつはいたかな?」
「すでに召集をかけております。まもなく駆けつけるでしょう」
答えたのは公孫勝だった。
「で、あるか」
史進と林冲は、足止め程度にしかなっていない。いや、足を止めているだけマシと思うべきか。多くの騎兵が巨人に
本当になんなんだ、あいつは!?
「まだ来ないのか!? ええぃ、先に出るぞ!」
「お待ちを首領! いましばらく! いましばらく!」
呉用に袖を引っ張られる。すごい力だな。袖が引きちぎれそうだ。しかしこのままではジリ貧だぞ。そう思った時――
「首領、来ましたぞ!」
公孫勝の声に振り返る。武松と劉唐がいた。ふたりだけか。いや、気功士自体が少なく、さらに陽の気質も少ないと考えれば、ふたりもいたことを喜ぶべきだろう。
「行けるか?」
「いつでも」
「どこでも」
良い面構えだった。
「史進と林冲を退がらせろ! 退却の銅鑼を鳴らせ! 武松、劉唐、ついてこい!」
『ハッ!!』
馬の腹を蹴る。だが速度はそこまで出ない。やっぱ重いんだな。まあ近づくまでの足になれば上出来だ。
「散開ッ!!」
『応ッ!!』
武松、劉唐が左右に別れる。
巨人は一瞬首を左右に振ったが、こちらを標的に定めたようだ。拳を振り下ろしてくる。
馬首を返して回避。大地に窪みができた。暴れだす馬の上に立ち上がり、跳躍する。
大上段からの斬り下ろし。巨人の手首が切断された。
「これでどうだっ!!」
切り離された拳は、霧のように消失した。しかし、手首からまた、新たな拳が生えてきた。
「再生持ちか!」
トカゲみたいなやつだな。いや、トカゲでもあの再生スピードはないだろ。
武松の拳も、劉唐の朴刀も、大してダメージを与えていないように見える。反応がないから効いているのかわかりにくい。
勝機があるとすれば、頭はあんまりよくなさそうってところか。他の兵と連携されると厄介だったが、単独で出てきたところを見ると、公孫勝の言ったように、敵味方の判別もつかない暴走状態なのかもしれない。
再び拳が振り下ろされる。それを回避し、今度は腕を駆けあがった。
脚に気を巡らせておけば、沈むことはなさそうだ。駆け上がり、
「――ッ!?」
硬い。異様な硬さだ。肉とも、鎧とも違う。なにか異質な……邪気のようなものすら感じる、明らかに手首を斬った時の感触とは違う。ならばここが弱点か?
「劉唐、正面でやつを引き付けろ。武松は俺と来い」
「了解です。こっちだ、でかぶつ!」
劉唐が脚を削ぎながら巨人の注意を引く。俺と武松は背後に回り込んだ。目がないから視覚があるかどうかもわからんが。
「どうするんです?」
「やつの首を斬り飛ばす。武松、俺を飛ばせるか?」
「……やってみます」
武松は手甲をガチンと打ち鳴らした。両手を組み、腰だめに構える。
「いつでもどうぞ!」
「よし、いくぞ!」
その場で軽く跳躍。武松は回転を始めた。足の裏に手甲が当たる。
「おおおぉぉりゃぁぁぁっ!!」
武松が渾身の力で俺を弾き飛ばす。高度はぐんぐん上昇し、巨人の頭を追い越した。
「イヤーーッ!!」
下降しながら項に大剣を滑り込ませる。しかし、その衝撃は身体全体を揺らしたものの、切断には至らなかった。やはりこの硬さは異様だ。これは、単純な斬撃では無理かもしれない。
だが、元々は人間のはずだ。生き物ならば、殺す方法はある。生きているなら、神様だって殺せる。それが道理であるはずだ。
……油を撒いて、焼くか? 中身が人間なら酸素は必要だろうし、有効のような気もするが……。
「首領!」
公孫勝だ。戴宗に背負われている。戴宗はおまえの馬じゃないんだぞ。
「陽の気を直接叩き込むしかありません」
「やはりそうか」
そういうことは先に言ってくれ。この大剣、必要なかったじゃねぇか。いや、途中で気づいたのかもしれない。
「わしが劉唐と交代して、やつの気を引きます。その間に、劉唐と武松から気を受け取ってくだされ。ゆくぞ、戴宗!」
「あーもう、わかりましたよ」
戴宗は不承不承了承して、劉唐の方へ駆けて行った。戴宗とすれ違いに、劉唐がこちらに駆けてくる。
「首領、私の命、お預けします」
「あたしは最初から預けてるけどな」
武松が劉唐の揚げ足を取るように、ふふんと笑った。
「言葉のあやだ。私だって、最初から首領に命を預けている」
いいから、そういうの。
「時に劉唐。あいつの色は、何色だ?」
「黒ですね。真っ黒です。あんなにも深く、
「そうか」
倒したら解放される、なんて都合の良い展開はなかったか。
「勇者たちの死を無駄にしないためにも、やつを倒すぞ。ありったけの気をよこせ」
右手を武松、左手を劉唐に預ける。ふたりから熱い気が流れてきた。
気が充溢していく。自分の中に、自分以外の気があるというのは、妙な感覚だな。だが悪くない。
ふたりの手が離れた。これならいけるかもしれない。
「行ってくる」
身体が軽い。誰が相手だろうと、負ける気がしない!
一気に間合いを詰め、巨人の脚を蹴る。
「シャーオラッ!!」
気が突き抜け、脚が吹き飛ぶ。巨体がぐらりと揺れたが、すぐに脚が再生し、倒れはしなかった。斜めになった身体を駆け上がり、眉間に狙いを定める。
だが直観した。これでは足りない。もっと気を高めなければ。
「もっとだっ! もっと……もっと輝けぇぇっ!!」
拳に気を込める。キィーンと甲高い音が響いたような気がした。
拳が光っている。どんな原理かわからんが、今はどうでもいい。
「チィィィエエエエエエストォォォォォオオオオッッ!!!」
渾身の力を振り絞って眉間を殴りつける。
目を焼くような光があふれた。
「やったかっ!?」
誰だ今の!? そのセリフは完全にフラグだぞ。たぶんこの後、第二形態になる。もしかしたら第三、第四もあるかもしれない。
巨人がボロボロと崩れだし、人の形を保っていられなくなる。
外殻が剥がれるように黒い塊が落ちていく。残ったのは黒い、小柄な老人だった。
「へへっ、ずいぶんと小さくなっちまったなぁ」
武松、おまえそういうのやめろよ。最終形態がシンプルなのは王道だろ。慎重に気を探ってみろ。強大で、邪悪で……いや、これはっ!?
「全員伏せろっ!!」
人型の黒い塊が、爆発した。粉塵が舞い、空気がビリビリと震える。爆心地には、小さなクレーターが出来ていた。
最後っ屁にしては、なかなかデカかったが、ようやく終わった、か。
「首領が巨人を討ち果たしたぞ! 私たちの勝利だ! 勝ち鬨を上げろ!」
劉唐の声に応えて、周囲から勝利の歓声が沸き上がった。